はてなキーワード: モラルとは
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環境汚染が問題になりサステナビリティが必要という価値観が中心になる
という一連の流れと、
インターネットが普及して
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こりゃ凄えと匿名でモラル無しで汚い部分を全部ぶち込んでいたら
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00年代初頭まで痰壷の様にダーティなものになっていたが、その後mixiやFacebookの台頭で民度が一般化して変な奴が正しくマイノリティに追いやられた
という一連の流れが素晴らしく似ていると思いませんか。
ビジネス上の後出しとは、例えば、競合他社がグーを出したときに、自社はパーを出すということだろうか。
この時、ビジネスにおける3すくみって具体的に何?
じゃんけんが「後出しはずるい」という主張の単なるベースなのだとして、3すくみの話は無視するとして、
後出しとは、競合他社の出方を見て自社の出方を考えること、のことを言っているのだろうか。
他社の出方を見てから動くという決断は、逸失利益のリスクもある。
また、情報が全て見えているわけではないから完璧な判断はできないことがほとんど。
仮に、決断をしてから後に追加情報がでてきて、それに基づいて行動を変えたら、その時「お前は後出しだ!」とモラルを問われるのだろうか。
普通のじゃんけんなら単なるルール違反であり許されるものではないが、殊ビジネスに関しては、勝つことがすべてであり、勝つことができさえすればそれでいいわけで、むしろ積極的に後だしじゃんけん(…をしても咎められないやり方)をすべきということなのか。
私では判断がつきかねる。
1 人として守り行うべき道。善悪・正邪の判断において普遍的な規準となるもの。道徳。モラル。「倫理にもとる行為」「倫理観」「政治倫理」
2 「倫理学」の略。
私は全人類が共通して守るべき倫理があると信じる者だが、それがどのような内容なのかは分からない。
キリスト教徒にはキリスト教の倫理があるだろうし、イスラム教徒にはイスラム教の倫理があるだろう。
同様に日本人には日本人の倫理があり、アメリカ人にはアメリカ人の倫理があるはずだ。
「倫理観のアップデートを」と書いてあるが、それはどの倫理規範を指すのだろうか?
それぞれがそれぞれの倫理を尊重する表現をするならば、それは現状と何ら変わりがないだろう。
確かに誰でも一発で理解できるようなシンプルな勧善懲悪なんかじゃないと思う。
冒頭部分からちゃんと映像を見て、キャラのセリフもちゃんと聞いてないと誤解するような部分がある。
実況を見るのに夢中になっていたら見落としてしまうような所なのかも知れない。
語るならせめてその部分は理解してもらうか、そうじゃないならおっこカワイイだけ言って終わらせていて欲しかった。
おっこが何を感じて何を乗り越えたのか、山ちゃん(山寺宏一)の演技のどこが凄かったのか、そういうのが分からないならあの場面について何も語って欲しくなかった。
自分は、何者も拒まないような高潔な心の持ち主にはなれなかったからそう思ってしまう。
どこの話だよ?って
ネタバレを回避するために自分の気持ちを先に書いたから分かりにくい文章になったのは謝る。
自分が言いたいのは「木瀬文太(キャスト:山寺宏一)が起こした交通事故は貰い事故であり、彼は加害者でもあると同時に被害者でもある」ということだ。もっと言えば「木瀬文太に対して怒りや憎しみの感情をぶつけることが正義であるかのような態度を取るのは、この映画の描いたものを貶めるような行為だと理解して欲しい」ということである。
冒頭の事故において、木瀬文太本人に落ち度があったかといえば、間違いなくあった。
彼が完璧なハンドリングをしていれば、二次災害で死ぬ人は居なかったかも知れないからだ。
同時に、彼が全てを諦めてしまえば、もっと大勢の人が死んでいたかも知れない。
そしてこれが何より重要なのだが、『彼自身の落ち度は彼の運転者としてのモラルに起因するものではない』。不可避の貰い事故の被害を最小限に食い止めるに足るだけの神業じみた運転技術を持っていなかったことにある。
これで彼が責められるのは理不尽と言っていい。
だが、ハンドルを握るということはその理不尽を背負うということだ。
そのことを彼は理解していた。
彼の口にする「俺なんか」という言葉は、彼があの事故に対して責任を感じている証拠であるし、周りに八つ当たりのような態度を取るのも後ろめたさにより精神がいつも張り詰めていたからだと分かる(それらが観客に伝わるように演じてしまう山寺宏一がこれまた凄いんだが)。
では、本人が自分を責めているのなら、彼を許すべきなのか?
それを決める権利があるのはおっこだ。
おっこはとんでもない小学生だ。
今自分が書いたようなことを、事故の当事者という立場でありながら理解している。
許せないという気持ちが自分の中に湧き上がってくる中で、自分が今思っているような気持ちと鏡合わせの「許されない」という気持ちを木瀬文太が抱え続けていたことを理解してしまう。
彼が自分と同じ被害者であることを感じるだけの極めて高い共感能力を発揮する。
だが、それはおっこ自身を板挟みにすることになる。
小学生の身で事故で両親を失った悲しみだけでなく、事故で誰かの両親を奪った人の悲しみに対する共感まで背負い、許すか許さざるかの決断までもを迫られる。
この世界にある理不尽に対してどう向き合うかの答えをいまここで出せとばかりに現実が迫ってくる。
ある種の限界状況(カール・ヤスパース)を前にして、おっこの出した答えは「花の湯温泉の若おかみとして全てを受け容れる」ということ。
この選択が『正解』であるとういことは理解できても、それを小学生が選ばされるということ自体があまりにも理不尽であり、そこがこの映画最大の精神的にキツいシーンとも言われていますね。
このシーンに対して「うるせー木瀬文太死ね!」とか「コイツ人を殺しておいてのうのうと塩気が足りねえとかステーキうめーとか信じられねえよ」なんて感想を出して欲しくないんですよ!
こういう人達がどうしてこんなに怒れるのかって結局の所「自分は木瀬文太みたいなことは絶対にしない」と思ってるからだと思うんです。
自分が同じ立場になる可能性なんて考えてもいないから、木瀬文太がどういう気持ちで暮らしてきたかも考えられないし、彼に対してぶつける怒りなら絶対的に正義だと勘違いできるんでしょう。
ちょっと考えれば分かりますけど、貰い事故食らって半分被害者で半分加害者になるような事象に遭遇する可能性が0%の人生なんてどこにも存在しませんよ。
車の運転なんてしなくても、自分がドミノのパーツに組み込まれて意志とは無関係に他人の人生を破壊する羽目になる可能性なんてどこにも潜んでます。
そんな理不尽なことだらけの世の中で、みんながお互いに支え合って許し合っているのって尊くて暖かいなあって映画じゃないですか。
嫌なことがあったらそれっぽい理由をつけて攻撃的になるのは当然だと思います。
実際この映画でだって、最初のお客さんを通して観客にそのことを思い出させて来てますもの。
でも、それと対比するように自分の気持ちを飲み込むおっこが凄いって感動する映画でしょ。
そのおっこの健気さがあるからこそ、おっこに感情移入して、だからこそそれを傷つける相手が許せないから怒る、そこまでは分かりますよ。
でも怒ってるから相手に対して何言ってもいいみたいなのってどうなんでしょうか。
ましてや滅茶苦茶な屁理屈で相手の人格を否定するなんてアニメのキャラクター相手でもやるべきではないでしょう。少なくともこの映画の感想としては。
貰い事故であっても木瀬文太が交通事故を起こしたことは許されないことかも知れない。
でも木瀬文太が交通事故を起こした人間だから、正義の鉄槌でボコボコにしてもいいとか、事故を起こすような奴が幸福に生きようとしてはいけないとか、そういうのは違うでしょ。
ひき逃げした人がインターネットで叩かれているのを見て、交通事故の加害者は無限大にその人間性を否定していいと勘違いしているんでしょうか……。
こんな言葉を使いたくはないですが「同じ映画を見ていたとはとても思えない」ような感想が沢山あって驚きました。
以上です。
繁華街の雑居ビルにある鰻の寝床のような店舗でビストロが何年か前から営業していたのだが、先月末でとうとう閉店した。
食べログを見る限りでは、☆3.2に満たない程度で、価格帯の割にはボリュームのあるランチで付近のオフィス街からやってくるサラリーマン男性に主に人気があったようだ。付近をよく通りかかることがあったのだが、とうとう一度も利用することはなかった。フレンチを出すからビストロのはずなのに店内からはいつもワンパターンのボサノバが流れていたし、夜はサラリーマンの調子はずれの奇声が絶えず、客層があまり良いようには見えなかったので、静かに食事をしたい自分には合わないと感じていた。また、明らかに店主のものらしい折りたたみ自転車が毎晩歩道に止められてあり、そのモラルに首をかしげざるを得なかったというのもある。
新型コロナウイルスの影響で飲食店営業自粛が要請されるようになると、狭い店内は明らかに3密に該当する場所だったので、件のビストロはテイクアウトを始めた。店頭ではフランスパンを使ったサンドイッチの販売も行っていたが、突然閉店した。
近所に住んでいるせいでGoogle Mapの店舗検索でこのビストロのレビューを見かけたところ、☆1個になっていた。レビューコメントの内容は次のようなものだった。
「フレンチを出している店のはずなのにバゲットのことをバケットと連呼してサンドイッチを店頭で売っており、素人丸出しで恐ろしく、到底衛生管理などできていないに違いないので、絶対に避けるべき」
もともと客足が落ちていたせいもあったのだろうが、バゲットとバケットの言い間違いで店舗運営がとどめを刺されるということも実際にあるのだ。
シャッターが閉まったままの店舗にはもはや誰も来ないので、いつのまにか店舗前を利用してオメガラーメンのテイクアウト販売を昼時だけゲリラ的に行う業者が見られるようになった。非常時にはフレンチよりもこうしたある種奇妙な風味の食べ物を人は求めるのかもしれない。
これを書いているのはナイナイのオールナイトニッポンから15年ほど聞いているラジオリスナー。非モテ、30半ばの男性。
岡村さんの例の風俗発言を聞いたときは「あっこれはちょっとヤバイかも?」と炎上の気配をうっすら感じるくらいで、こんな大事になるとは思わなかった程度のモラル。
今週の岡村隆史のオールナイトニッポンで矢部さんの公開説教を聞くと非モテ高齢男性として死にたくなる気持ちは痛いほど分かる。
「結婚したら?」は結婚できない俺にもかなり刺さったし、今回の公開説教を恋愛エリートが非モテを追い詰める公開処刑だと感じて傷つく気持ちもよく分かる。
でも、これはやっぱりナインティナイン矢部浩之が30年以上一緒にやって来た岡村隆史に向かって言った説教だから、無関係なリスナーが「俺も傷ついた」と騒ぐ話じゃないんだとは感じる。
ここで、矢部さんが5年半ぶりにオールナイトニッポンに出てきた事の背景を整理したい。
5年半前、矢部さんが突然(リスナーとしては本当に突然だった)オールナイトニッポンを『卒業』した時、
その理由が「やりきった。燃え尽きた」というぼんやりしたもので、当時も不自然というか、『何か事情がありそうだけど穏便に済ませた』みたいな不穏な空気が確かにあった。
岡村さんが体調を崩して長期間休んでる間、矢部さんはゲストを呼びつつどうにか岡村さんが帰ってくるまで保たせている感じだった。
今週、矢部さん自身が「自分は面白いとは思ってない」と言っていた通り、
当時のラジオのリスナーとしてもやっぱり「岡村隆史の面白さ」を求めている部分が大きくて、岡村さん早く戻ってこないかなっていう空気があった。
想像になってしまうが、矢部さんは岡村さんが休んでいる間、「自分は面白くない」と自覚していて、求められているのは自分じゃないと理解した上で番組を支え続けていたのかもしれない。
そうやって守ってきたラジオも、岡村さんの「全てを笑いに」の一言で済まされてしまったのだとしたら、「ありがとう」も「ごめんなさい」もなく一行のメールで済まされたら心が折れても当然だ。
そこからさらに続けるのはさすがに無理だと思う。妙に納得してしまった。
(実際には復帰後半年くらい続いたはずだけど)
そんな経緯があって、それから5年半の間、矢部さんは一度もオールナイトニッポンに出ることはなかった。
おそらく、矢部さんはもうオールナイトニッポンに出ることはないと思っていたはずで、岡村さんもコンビとしての距離感から、もう自分の庭であるラジオに出てほしいとは思っていなかっただろう。
だから今週の矢部さん出演は、懐かしいか嬉しいという気持ちはなくて(むしろ嫌で)、相手に喜ばれるとも思っておらず、
本当に緊急事態だからこそやって来て、それで実現したのが今週の公開説教だった。
※ちなみに、ナイナイのオールナイトニッポン最終回で矢部さんが「何かあったらいつでもかけつける」と言っていて、
5年半も経って、その約束が果たされたことにちょっと感動はする。
矢部さんの説教のとくに後半、「結婚したら性格変わる」みたいな主張が強くて、そこには正直賛成出来ないけれど(結婚相手の都合は気にしないのかとか)、
自分の人生で経験したなかで一番自信を持ってできるアドバイスが
だったのなら、それはあの二人の中で話し合う正解の一つとしてはアリなんだと思う。
自分も含め、非モテの男性が岡村さんに自分を重ねて、ずっと非モテキャラのままでいて欲しいって思うのは依存だ。
岡村さん自身、結婚したくない訳じゃないんだから、結婚できるならしたほうがいい。
矢部さんが色々な事情を越えて、長い長い付き合いの友達(元友達)に、幸せになると信じている方向に背中を押したってだけ。
もう外野がとやかく言える話じゃない。
ネタはがきのコーナーで、何度も繰り返し謝る岡村さんと、その度に「かまへん」と返す矢部さんのくだりで泣きそうになった。
いい関係だなぁと思う。
実際のコンビ仲はもう友達とは言えないくらい距離が開いてしまってると聞くし、
お互いプライベートに干渉もしないんだろうが、それでもコンビとして自分にも迷惑がかかる立場でこんな事を言ってくれる友達がいるのは羨ましい。
自分には「本当にごめんな」に「かまへん」を繰り返しくれる友達はいないので「成功したうえに良い友だちもいるのかよ」という嫉妬もある。
ところで、オードリーのANNと岡村隆史のANNの両方を聞いてる人には共感してもらえると思うんだけど、
非モテが「自分もこのままでいいんだ」と安心出来る依存先としてオードリーの若林が岡村さんにかなり近い位置にいた。
『そういう仲間意識みたいなモノを持たれても、自分は最初からそういうタイプじゃないし、そんなつもりもなかった』というような事を言っていて、
依存してくる奴らをバッサリ斬って捨てた。
SNSでお出かけ報告している人達だって大半は自粛してないわけじゃあないし、モラルがないわけでもないんだよ。
その手の人達はそもそもどこまでも自粛を徹底すれば良いかのラインが程々に頑張れば良いやくらいの認識だから、その程々の自粛さえすればちょっとくらい出掛けてもそれは罪悪ではないって考えているだけ。
そして自粛自警団様が大活躍しているネットと違って、リアルは『たまになら息抜きとして外出してもOK』『理由付けができれば外出してOK』くらいの空気感は未だ根強い。
増田みたいな勝手にヘイトを貯めて消耗してしまうような人は、程々で良いや派は小数の身勝手な人達じゃなくて、普通の人達の中にも多数いるって現実を認識した方が良いと思うよ。
あとは小数だけど、思想や価値観レベルで社会が自粛方向に進むことが正しいとは考えていない人達もいる。
そういう人達は外出をアピールすることで、『皆、目を覚まそう! 自粛なんて止めよう! 出掛けたって良いんだ!』って空気を醸成しようとしている。
どういう心理なの?
(例えば、休みの日に外食に行ったり、デートしたり、遠出したり)
を自粛しない人はたくさんいるだろうと予想はしていた。
だけど、twitterで不要不急のお出かけしてますアッピールする人がこんなにいるなんて思ってなかった。
わざわざ探している訳ではなく、タイムラインに流れてくる。
自分は仕事柄、Twitterでエンジニアの人とかを多くフォローしている。
こんなにモラルの欠如した人がこの業界に多数いるなんて、と思った。
まあこの「モラル」というのも、自分が基準なので、世間一般のそれと照らし合わせるとずれてるのかもしれないが。。。
百歩譲って、どうしても我慢できなくて外食しちゃったりお出かけしちゃったりしてしまったのはしょうがないとしても(自分からすると?だが)、
書くなよ。こないだの祝日とか恥ずかしいけど悲しさと悔しさとか色々ごちゃごちゃになって泣いちゃったよ。
自分は一人暮らしをしていて、緊急事態宣言以降恋人や友人や家族に会っていない。でも仕方ないね、会える日が楽しみだねと励まし合っている。
外食もしてない。要請があってやむを得ず出社することもあるけどほとんどずっと家の中にいて、時々人が少ない時間帯に散歩や食料品の買い出しに行くくらいだ。
自分が馬鹿なのだろうか。勝手にルールを守ってストレスをためているだけなのだろうか。twitter見なければいいのか。
こんなところに行きました、こんなもの食べました、楽しかったです!(高確率で、経済回さないとね、とか、お店を応援したいから、とかの言い訳が付いてくる。そんなに店を潰したくないなら寄付すればいいのでは?)
本気でわからないのだけど、どういう心理でこういうことやってるの?
普段からやっていて習慣化しているのか、自分のような人間の憎悪を駆り立てるためにやってるのか、他に理由があるのか。
これが政府の狙っている、ロックダウンはしないが国民を自主的に自警団化させて見張り合う作戦だとしたら、
まんまと奴らの手中に落ちているということになる。とてもくやしい。