はてなキーワード: ペットボトルとは
家からそう遠くない所に、新しめのワークマン女子がある。そう遠くないといっても、私の体力でもってチャリをこいで行くのはかなり厳しい距離だから、車で行った。
駐車場はとても混んでいた。多種多様な数店舗のショップや飲食店との共有だから仕方ない。だが、遠目に見てワークマン女子の中には人がそんなに多くなさそうに見えたので、他店の客で混んでいるのだろうかと思ったら違った。ワークマン女子、かなり混雑していた。単純に、外から見える部分には簡易テント等のディスプレイがあったので人がいないように見えただけで、フロア奥の棚と棚の間は普通にごった返していたのだ。混雑レベルは休日のユニクロに匹敵していた。性別ごとの客層にかなり偏りがあるのに。
実をいうと、ワークマン女子にはあまり期待してはいなかった。たまに出かけるワークマン+の端っこに陳列してある、女子向けをうたった上着などがユニセックスの上着に比べてかなりしょっぱく、もしもワークマン女子がそれと似たり寄ったりのクオリティのものばかり並べてあるのだとしたら、残念過ぎてやだなと。
しかし、偏見はただの偏見に過ぎないのであり、やっぱり真実は自分の目で確かめるべきっしょ☆ と思った。
新しくて白を基調とした明るい店内は清潔感に溢れて、これがあのワークマンの系列店なのか!? と目をぱちくりしてしまったが、やっぱりワークマンはワークマンだった。ウェアの陳列の仕方に、どうしようもなくワークマンの香りがする。そして、商品の全てがあの安心感のあるチープさとダサさだった。
それでも、店内をうろうろしているのは綺麗めの30代以上の女性達ばかり。そんな人達が鋭い目付きで商品を吟味していた。華やいだ雰囲気とはそぐわない猛禽類の眼差し。ここがワークマン女子でなければ一体何事かと思う。こういう目で買い物している群衆、昭和時代のバーゲン以来に見たかも。
私が求めていたのは、ここ最近くらいの朝晩は底冷えするけどダウンジャケットを出すのにはままだまだ早いシーズンに、買い物や通勤の際にサッと着て出掛けられるような、薄くて軽い上着だった。買い物の目的が明確な場合、こと訪れたのがワークマンであるならば、目当てのものをサッと取ってサッと会計してサッと帰るのが定石というもの。だけど、せっかく初めて来たので店内を端から見て回った。
三面あるうちの壁の一面の半分くらいはメンズの上着が陳列されていた。もう半分のまた半分がユニセックスのもので今のシーズンというよりもこれからのシーズンのものだ。それと棚一列がメンズとユニセックスのレインウェア。つうかレインウェア多いな!
晴れの日でも着れるというのが謳い文句の種類豊富なレインウェアの、その全てがどう見てもワークマンのダサい上着である。色と形でワークマンを主張し過ぎなのだが、服の側に掲げられた着用見本写真では、綺麗めのモデルがブランド服を身にまとったような爽やかな笑顔でごく自然なポーズを取っている。この写真撮った人、優秀過ぎんか。
その隣の棚にはレディースサイズの大量のレインウェア。あれもこれもそれもレインウェア。遠目に見れば撥水加工の利いた薄手のウインドブレーカーだが、近づいて見ると一目でわかるワークマンぶりだった。ワークマン御用達のデザイナーって、一人しかいないのかな。
でもまあ、「ワークマン女子」なんてブランドになったらいきなり垢抜けたとしたら、その方がなんか気持ち悪いし、自分の来るとこじゃない感に圧迫されて返りたくなるから、別にいいけども。
去年、ワークマン+でレディースの上着を見た時には、一見メンズやユニセックスと似ているようでいて、温かさと機能性がしまむらだったのでふざけんなよと思った。ワークマン女子の上着はどう見てもワークマンで安心感はあるが、しかしワークマンに求めるのは勿論、お洒落感を犠牲にした高い機能性なので、大事なのは色選びよりもポケットのチェックだ!
……え? スマホすっぽり余裕で入るくらいあるやん? なんならポッケに手を突っ込んだまま肘が伸びる。500mlのペットボトルは入るかな、どうかな。女性が持ちがちなゴツい長財布、余裕だと思う。雨降りの時はスマホはファスナーつきポッケに入れれば濡れなさそう。もしも梅雨時、これを着て散歩ちゅうに捨てられた子猫を見つけたら、計四つのポケットを駆使して一度に六匹くらい持ち帰れそう。薄手の上着だから、内ポケットは無し。懐にタブレットを仕舞うポケット無し。メッシュのついた排気口あり。懐かしの、中学の部活動でお揃いで買う上着みたいだな……。「レディースディアドルプパーカー」というらしい。買い。
アウターだけじゃなくセーターやパーカーなども売られていた。薄くて温かい肌着類もあった。以前、ワークマン女子の1号店がオープンした時にその宣伝記事がバズッたので読んだ記憶がある。それを読んでただのアパレルじゃん? という感想を持ったのだが、自分のこの目で見たワークマン女子も大体ただのアパレルであって、鳶左官や整備士などの女性や昔ながらの女性の仕事……看護師とか……で働く女性のニーズに合わせた服や物品があるかといったらあまりないように見えた。トップスやボトムスは普通に街歩き用、アウターがアウトドア用、肌着は冷え性の人大歓喜みたいな感じだ。なんというか、ちょっと郊外や市営キャンプ場など、自然のある所で遊びたいが、WILD-1で買うには持ち合せが足りない人が利用するといい所……なの……か……? それにしては客の綺麗度やお洒落度が高く……、この人達はいったい、ここに売られている品物を着てどこに何をしに行く気なのだろう? と疑問に思った。ウォーキングかな。
あと、気になったのは、キッズ服もあったのだが、どれも男児用のデザインの様で、実際着用見本写真のモデルもぜんぶ男児だったこと。もしかするとユニセックス服なのかもしれないが、これを娘の為にわざわざ買って帰る人がどれだけいるだろうか。差別的な考え方だと批判されるだろうが、現実の女児の自分の性別への拘りはシビアで、わざわざ男装をしたがる女児は珍しいのである。
もっと隅々まで見たかったのだが、私よりも先に連れの家族がしびれを切らしてしまったので、すごすごとレジに上着一枚を持っていきお会計。レジ接客担当の二人はどちらもアパレル関係の仕事を長くしていそうな、お洒落な女性だった。
ワークマン女子……よくわからない。客層からして私自身はかなり浮いている感じだったのだが、そこにあった服は私の様にお洒落など知らん! と開き直って機能性と着心地に全フリした恰好しかしない人間には、どうしようもなく合っている。にも関わらず、ここにぶらりと買い物に来るには最低でもユニクロで買った服を着ていった方がよさそうな、謎のハレの気に満ちた空間だった。
トランポリンと嘘
シャワーを浴びる。排水溝に長い髪の毛が詰まっている。どろどろしていて触りたくない。でも水がつまってきた。あたしのくるぶしまで汚い水がちいさなシャワー室に溜まる。
足がくさい油ぎったおとこのひと、新品のリボン柄のストッキング。ここがあたしの居場所。
あさの十時。お仕事をはじめる。
ひるの十二時、お客さんは来なかった。ペットボトルのお茶を買う。伊右衛門茶だった。
ゆうがたの四時、革靴のおにいさんが来た。あたしに小便をかけて笑っていた。おにいさんが笑ってくれたからよかった。
よるの六時、お友達のタイ人のおばあちゃんが来た。前はクラブでお仕事をしていて、どうしてここにいるの?と聞いたら
「ここでは嘘をつかなくていいから、ここにいたいの」といった。
彼氏がいるのに、彼氏がいないと嘘をつくのが嫌だと言っていた。
あたしはほんのり嬉しくなって、やさしいおばあちゃんに優しくしたいと思った。
よるの八時、男の人3人と1時間ずつ楽しんだ。
よるの十時、タイ人のおばあちゃんとお客さんを待ちながらテレビを見る。CMでトランポリン?でぴょんぴょん上下に動くふわふわした服を着た人をみた。
「なんだかにこにこしてて楽そう。いいな。」
おじいちゃんはあたしを灰皿で殴った。
足から血が出た。
「血が飛んでる。トランポリンだ。」
3行でまとめると
・並んでいたのは普通の人って感じだった
・16時ごろには反対派も賛成派も見かけず落ち着いた雰囲気だった
・蒸し暑くて並ぶの疲れた
故安倍氏に対するイメージも書いておいた方がいいのかな。岸田総理支持、数年後の河野太郎期待、2・3段下がって安倍氏という感じ。支持政党なし。事件については未遂かせめて大怪我で済んでいたら、山上容疑者も殺人者にならず、警備体制やカルト宗教との付き合い方も見直されて、みんな今よりは幸せだったんじゃ無いかなと残念に思ってる。何も殺さなくてもよかったのに。
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9月27日14時すぎ、YouTubeの国葬の配信を見てふと現地の様子を体験したくなり家を出る。仕事中だろ!と突っ込まれると辛いけど、家から半蔵門に行ってノータイムで献花して帰宅できればちょっと長めの昼休み・・で収まる想定。まあ無理なんでサボりですが。
手ぶらはアレだなと思い、近所の花屋にいくと白と青の小さな花が220→165円で売っていたのでそれを購入。九段下駅で降りると、普段よりだいぶ騒がしい。関係者と思われるスーツの男性が「最後尾は四ツ谷駅です」と頻繁にアナウンスしている。行列の先頭から最後尾まで歩いてもいいやと半蔵門駅に向かって降りて地上に出たところ、そこでも最後尾に案内された。どうやら複数の列があるみたい。(結果的に、これがめちゃ時短になって申し訳ない感じ)
横5〜6列くらいで並び、普段着の人、喪服っぽい人、なかにはゴスロリの人もいたりした。男女もあまり偏りなく、だいたい30代から上が多い感じだったかなあ。まあ、その辺で歩いてる普通の人のように見えた。ノーマスクはごく一部。99%くらいの人がマスクをしていた。屋外とはいえ距離が近いから助かる。かなりの数の警察官が行列の整理にあたっていて安心感があった。税金の使い道として正しいのか判断しかねるけど、現実問題として警察官の協力がなかったらこの規模の開催は無理だっただろうなとは感じた。
疲労と空腹で、「天重 本店」の前を通った時は列から抜けて食べてしまおうかと思ったが、まだ営業前だったからなんとか我慢。気温はYahoo天気で27度くらいだったけど高湿度でジト汗。1時間半近くじりじり進んで、やっとFM東京前くらいまで列が進んだと思う。そこからちょっと南下してから千鳥ヶ淵の堀の方に渡って北に向かって、そこから急にペースが早まった。かなりの早歩きなのに、年配の人でもそのペースについてくる人も多くて凄いなと思った。立つのに疲れて先に進みたかったのか。
イギリス大使館前の交差点で別の行列(市ヶ谷、四ツ谷方面?)と合流したように見えた。5台くらいの空のバスが皇居の方に向かっていったので、式典が終わったのかな?と想像。そこから千鳥ヶ淵の桜の通り抜けを歩き続けると、ボート乗り場の先で荷物検査場があった。まあまあ厳し目にチェックされたように思う。飲み掛けのペットボトルや水筒はその場で一口飲まされていた。「もう3時間以上並んでるよ〜」とか話し合ってるリーマンもいた。
献花会場に近づいたけどちょっと期待していた反対派と賛成派のどちらも見かけず。疲れて帰ってしまった?エフエム東京あたりと、松尾九段ビル前あたりに行列をずっとカメラ撮影してる高齢者がそれぞれいてちょっと不快だった。
献花会場は白いテントの中にいい表情の安倍氏の遺影があって、横4列くらいで進んでいく感じ。一人一人心の中でお別れをしているのか、回転はかなりゆっくり。それと同じテントが先の方にもう一つ。コミケの参加者より少ないとか揶揄してた人がいたけど、あの会場だとキャパ的に絶対無理。おそらく最大の倍以上は来てたんだと思う。Twitter見てると途中で諦めてハンバーガー食ってる人とかいたし。
(前回のご報告)https://anond.hatelabo.jp/20220920212135
拾ったねこなので誕生日とかもわからないのだけど、ボロボロのこねこを9月に拾った時に多分生後3ヶ月くらいだった。ということで毎年6月をお誕生月にして毎年お祝いをしつつ22年とすこしが過ぎました。1年ごとの大きなお祝いはもちろん、その間にいくつかのちょっとしたお祝いと、まいにちのささやかなお祝いがあって、ねことの生活はそれはもう祝祭にあふれているのですが、台風が去ったあとのとてもよく晴れた日に最後のお祝いを滞りなく済ますことができましたことに感謝しつつ、いつもよりさらにとりとめないものになるかと存じますが、いまここに駄文を残しておきたいと思います。
タウ・ゼロという小説を読んだことがあるのですが、増田とねこの日々はまるでどこまでも加速し続ける宇宙船の中にいるかのように、大きく変わる世界のなかで何も変わらない生活をしていたように思います。これまで完食されていたものを残されるようになり、ペースト状のお食事をむしろ好まれるようになり、そしてお食事もところどころ休憩を挟みつつになるなど確実に変わっているのですが、ねこ一匹とひと一人の生活の中に存在している事項はなにも変わらないまま、まるで小学生のころのように、長い長い一日を連日過ごしていたように思います。
三連休が終わる夜に、彼女の体温が下がってきていることに気が付きました。まずペットボトルに水を詰め冷凍庫にしまったあとで、増田は彼女をバスタオルでくるんで魔法の呪文を唱えながら抱き続けました。そのうち「だっこはもうよい、ねこは箱で寝る」と、いつものようにまえあしでぎゅっと押されてしまい、増田は泣きながら苦笑するという稀有な感情をいだきつつ暖かくした箱の中に戻し、嫌がられない程度にしばらく撫でさせていただいたあと、箱のよこに布団を敷いて3時間ほどうとうとして、気がついたらすでに旅立たれたあとでした。まだぬくもりが残っている間に美味しいお菓子が入っていたきれいな箱に移っていただき、ひとまず涼しいベランダに置こうとしてふと見上げると南の空の木星がとてもきれいで、双眼鏡を通して見るとガリレオ衛星もよく見えるので、ちいさな望遠鏡を引っ張り出すと木星の縞もぼんやり見えて、でも眺めているとすぐ視野から外れてしまうので調整しなおして、を明け方まで幾度も繰り返していました。(手を離したならすぐ、ねこの顔で歌ってやろうと思ってました。でもあまりうまく歌えませんでした。)
正直なところ、自分の肉親の時であってさえ葬儀というものにあまり価値を感じたことがなかったのですが、ポッケの旅支度を読んだ影響もあって美味しいお蕎麦で有名な門前町があるところで焼いてもらうことにしました。朝の受付開始時間を待って電話で予約をお願いし、駅前のお花屋さんまで歩いていってねこが死んでしまったのでとお伝えし、白とピンクのきれいな小さな花束を作っていただきました。花束をエコバックに入れて帰り道を歩いているときに今日が雲ひとつないとてもいい天気なことに気が付きました。午後に抜けられないリモート会議が1件あったのですこしだけ仕事をしました。うまくできたと思います。火葬はとても丁寧にやっていただけました。待合室の本棚に「退屈をあげる」があったので読みました。焼かれたあとに丁寧に並べられたしっぽをみて昔図鑑でみた小型獣脚類の化石を思い出しました。とてもかっこいいしっぽでした。このようなかっこいいしっぽをもったねこと暮らせた増田はとてもとても幸運でした。
今日はねこが部屋にいない一日を過ごしました。いちおうお皿のお水は替えましたけど、もう扉を閉めずにすこし隙間をあけたままにしなくても問題ありませんし、ベランダに続く網戸がちゃんとしまってるか度々確認する必要もなく、寝たねこを起こさないようそっと居間にはいらずとも大丈夫です。でもそんな生活はくそくらえですし、増田が世界平和のためにできる数少ないことは不幸になるかもしれなかったねこが不幸にならないよう共に暮らすことなので、それはそうするつもりです。そしたらまた何か増田でご報告したいと思います。これまでありがとうございました。
18歳、高校3年。
生まれて初めて被災した。台風の影響で、3日前のお昼過ぎから水道水が出なくなった。「断水」だ。
今までにない事態に、俺、父、母は動揺した。そのうち直るだろうとも思ったが、復旧まで最悪1週間以上かかると聞いてさらに絶望した。
しかし、俺にとって最もショックだったのが、この災害で父親が何の役にも立たなかったことだ。むしろ不愉快な行動しかしてなかった。
まず、水が止まったことに対してずっと愚痴を言い続ける。母や俺が、「仕方ない!」「なるようにしかならない!」と開き直っても、「困ったことになったなぁ!」「ちくしょう!」とでかい声で喚き散らす。本人曰くパニックになっているらしい。
母はすぐに貯蓄していた飲料水を出してきた。2リットルのペットボトルが6本もある。俺と給水車が来る場所を確認し、水を取りに行くことにした。少しだが生活できる水が揃ったので、「この水はコレに使おう」と母と相談をして決めた。父に決定した内容を話すと。「考えることが多すぎてわからん」「パニックで何も考えられない」と泣き言い、俺と母に嫌味な表情をした。
俺はキレかけたが、母が「こういう人だから。昔からこういう人だから。言わずにはいられないんだよ」と言うので、強くは当たらないことにした。
僕は、SNSを利用して情報を収集して家族に伝えるようにした。高校の同級生とも連絡を取り合い、情報を精査しながら家族に伝えた。
母親はラインのグループチャットが活発に動いているようで、様々な情報を入手してくれた。近くの温泉施設が、地域の人限定で浴場を無料開放してくれるという情報もいち早くつかむことができた。
父はというと、未だにガラケーでインターネットなんて触ったこともない。友人もいない。情報収取は一切なく、テレビもドラマの再放送を眺めているだけだった。
僕や母は父にも情報を伝えるが、父はほとんど話を聞いておらず、同じことを何回も質問してきたりする。「それ、何回も言ってるじゃん!」を何度いったことか……
給水所で貰った水も、「重い」と言うのですべて僕が運んだ。父は椅子にふんぞり返っては、ため息と愚痴を吐いている時間が長かった。
挙句の果てに、「食欲がない」と食事を拒否。無料開放してくれている温泉施設に行こうと誘うも、「町の人に会いたくない」と拒否。そのくせ、ウンコだけはしたかったようでビニール袋に出していた。トイレに凝固剤(簡易トイレ)を用意しておいたのに、それを使わなかった。家には腐った生ゴミのような臭いが充満し始めた。
母親が説得して父も温泉施設に行くことになった。父は草食動物のように周囲をキョロキョロし、僕に「離れないでよ」と言った。情けなくて涙が出そうになった。大浴場でも隅っこでキョロキョロと周囲を見渡しており、「サバンナにでも解き放たれたんか!?」と俺の心のノブが叫んだ。ちなみに行ったのは午前5時台だ。父の為にもっとも人が少ない時間を選んだ。
断水3日目(月曜日)父は出社した。僕の学校は臨時休校。母親は専業主婦。
父は帰宅すると、職場も大変なことになっていたことをやや興奮気味に話し始めた。自分がいかに不幸だったかを語るときが一番テンションが高い。
「周りの目が冷たかった」というのだが、それにも理由があるそうで、断水する直前に職場から「台風の影響で散らかっているから片付けを手伝ってほしい」という要請があったらしい。それを無視して行かなかったことを周囲に良く思われていないのだそう。ちなみに父は、お世話になっている施設の片付けに出向く母親に「そんなの行かなくていいだろ!」と何回も言っていた。基本的に他人を助けるとか協力するという考えが無いのだ。
今回の件で、父の社会性の無さやネガティブさ体力の無さ等が本当に情けなく思えた。
ウチよりも深刻な被害を受けているところもある。うちは浸水もしていないし、周辺が泥だらけにもなっていない。助かっている方なのだ。それなのにこの頼りなさ…本当に悲しくなる。
なにより、不便を感じているのは俺や母も一緒なのだ。その中で開き直ってやっていこうというとしている。それなのに、1人でずっとグチグチ言われるのはこちらの気まで滅入ってくる。
本当に、「いない方がマシ」と思った。「ずっと職場にいろよ」と思った。いても役に立たないどころか精神衛生的に良くないからだ。
昔はこんなことはなかった。少なくとも俺が中学の頃まではこんなに頼りない存在ではなかった。いざとなれば頼りになる父親だったはずだ。それが、数年前から決断力がなくなり、判断力が無くなり、ボーっとしていることが増え、人の話を聞かなくなり、聞いても忘れ、同じ話を何回もするようになった。近所の人とも喧嘩腰でしか会話しない。こちらがイライラし始めると「お前はすぐバカにするな」とこちらを非難してくる。
本当に親父が情けない。なんでこんなに頼りないのか……書いている最中に思ったが、認知症などの症状が出ているんじゃないかと思ったがどうなんだろうか。
なぜ水の備蓄をしておかなかったんだ?
これまでも日本中で数多くの災害があって、そのたびに「災害備蓄しましょう」とさんざん言われてきたのに、お前らは何をやってたんだ?
ちなみに俺は2011年の大震災以来、水・食料・トイレ・その他あらゆるものの災害用備蓄をしている。
水は家族の人数×1日4L×1週間分くらいは家から一歩も出ずに飲めるようペットボトルを準備してある。
そういう準備をせずに「助けてくれ」って、『アリとキリギリス』を読み直してから言いなさい。
「困ってる緊急時に言うことじゃないだろ!」とお前は怒るかもしれないが、俺からすれば今まで平時にさんざん何百回も同じ警告を受けてきたのにサボって備蓄を怠けてきたくせに、困った時だけ「助けて~」はムシが良すぎだろ!と怒ってるよ。