はてなキーワード: ドビーとは
名付けるって便利だよな。
ソシュールもイデア論もわからねえけど、「無敵の人」っていう言葉を共感覚として誰もが理解している現代怖いよ。
「無敵の人」に犯人をカテゴライズしておけば自分とは違う存在にできるもんな。
私にはそう思えないよ。
自分が発達障害を持っててメンタルクリニックはズッ友人生だから、ってのもあるけどさ、精神病んでるっていうのは、「普通」とそこまでの差があるんだなって驚いてる。
私は無敵の人側の人間扱いされてる感じがして怖いんだ。私だって許せねえよあんな事件起こしたやつ。
ただな、みんなのニュースへの反応見て、思ったんだよ。
お前が「無敵の人」になる可能性は、ゼロだとでも思ってるのか?
無敵の人ってあらかじめそう生まれたわけじゃないと思う。まあ、発達障害に限らず生まれ持っての特性はある程度あるにしても、無敵の人って、「全てを失った絶望の果てにいる、普通の人の成れの果て」なんだと思うんだよ。
犯人を許す必要はない、被害者を軽んじるつもりは一切ない。心からの哀悼を示す。
だからこそ、だからこそ、未来の事件を防ぐために、私たちはあの理解の不能に見える「無敵の人」を、自分たちと同じ普通の人に引き摺り下ろして、私たちと同じ人間ということを思い出すべきなんだ。
地球は宇宙船、全ての生き物は乗組員とかそういうはなしをしてーんじゃねえけどさ。
小説パクられたからって人を殺す人間を、わからないままにしていいわけないと思う。
今後、人生においてわからないものに出会う時なんていくらでもあるのに、わからないから全て逃げていくわけにいかなくない?
こんだけ無敵の人とやらが生まれる昨今だから、今こそ、彼らが自分たちの同等の人間だってことを思い出すべきなんだと思う。
ニュースで、彼の生い立ちを見た。
割と怒りに突き動かされる、衝動性が強いタイプの人だったのかなと思う。
思っちゃったんだよ、この人の人生において、心休まるひとときって、あったんだろうか。
知らないよ、彼の人生を見てるわけじゃねえもん。でもさ、自分以外の、彼の周りが全て敵に見えてたんじゃないかなって思っちゃったんだよ。
発達障害の自分は、障害持ちだと知らなかった頃、割ともうダメだと思ってた日々がある。
周りの世界が全て敵に見えて、手を差し伸べてくれる人も怖くて、けれど頭の中でずっと心が騒いでいる。くるしい、くるしいと。
その、叫びは、私の場合自分に向かったんだな。腕には今も無数の傷があるし、毎日見えないところに青あざ作ってた。屋敷しもべ妖精のドビーかよって感じで、部屋をのたうち回って体が傷つくのを求めてた。
異常だなぁって思うでしょ。でも私にはそれしか生きる方法がなかったんだよね。
薬1つで人の心なんて変わってしまうことを知った今だからふと思ったが、自傷ってあれドーパミン不足を補おうとしてるんじゃないか?
今は薬でドーパミン不足を補ってるんだけど自傷した後のどこかまったりとした感覚に似てるんだよこれが不思議なことに。
話ずれたけど。絶望が深まるうちに、自分に矛先が来るなら平和だよね、自殺だもん。
この矛先が、外に向いたのが、みんなの言う、無敵の人だと思うんだよ。
おっし、発達障害持ってるやつぜーんぶ無敵の人予備軍か!ってなるのは早計ですぜお兄さん。いわゆる無敵の人と呼ばれた犯人たちに発達障害を持たないやつはいるぞ、黒バス犯人は無かったはず。
結局はね、精神疾患なんですよきっと。
今回の京アニの犯人は精神科に通ってたみたいだけどそれでも救えなかったのは残念。
けれどさ、精神科で、揺らめく心を抑えることができれば、きっと、未来の犯人を先に救えるんじゃないかってそう思えるんですよ。
私はね、自殺寸前だった。
けれど、薬を飲んだ今、面白いね、世界が、こんなにも綺麗だって気付けたよ。
私は普通の人の中で下の下だと思ってたけど、普通の人から外れてみたら、割と普通のきらめく生活が待っていて、なーんだ、私って、穏やかに生活送れるんじゃんって。
この世の誰もが、いわゆる普通の、穏やかな人になれるんじゃないかって思ったんですよ。
そして言っておくとな、今はまだ気づいてない隠れ発達障害はたくさんいるだろうし、今後、心を病む可能性は誰にもある。
ただ、救いの手があるかどうか。それだけの違いじゃないのかな。
その救いの手はさ、何もかも精神科任せじゃなくてもいいんだと思う。
今までの無敵の人たちも、だれか温かい言葉をかける人がいたなら、何か変わってたのかもしれない。
私たちひとりひとりが、互いにちょっと優しくしあうだけで、世界は小さく小さくちりつもで穏やかになってくんじゃないかと思ってる。
いいじゃん、電車の席譲るとかさ、コンビニでバーコード面を上にしてレジ出すとかさ。
結婚もしにくい世の中で、誰もが老いていくうちにいろんな人とのつながりが切れて、きっと孤独な人は増えていく時代は、もう目前なんだよ。
インターネットで人とつながる機会が昔より増えた!って言う人いるけど、インターネットでの繋がりってさ、趣味とか話が合う人たちだけで固まるだけじゃないですか。どうやっても繋がれない人って出てくると思うんだよね。
昔の方が、村社会って言う物理的なエリア内での繋がりだったから逆に誰も見捨てられなかったんじゃないかって思う。
そういう風にさ、どんどん失うものがなくなっていくのが確実な世の中になってしまってるんだからさ。
ほんの少し、他人にも優しく、小さく親切にみんなで生きて、わずかにでも助け合って、繋がりを少しでも得て、お互いに、「無敵の人」に自分が、誰かが、ならないように生きていきません?
なんかさ、一日一善!じゃないけどさ、小さなこと、助け合って、生きていきたいよ、みんな。
私さ、あの言葉好きなんだ。
「人にはそれぞれの地獄がある」
って。
もう誰もが地獄を抱えてるよ、そりゃ。
でもね、覚えておいて欲しいんです。
もしかすると、その地獄は、精神科だったり、あるいは行政の支援サービスだったり、何かで和らぐものかもしれないんですよってこと。
あなたが、無敵と言えるまでに、心を壊してしまう前に、助けてくれるところはきっとあるんですよ。
忘れないでね。
というわけでまとめでーす。
・無敵の人って傷つきすぎた果てになるのかも。
・辛い時は、頼ろう。精神科でもなんでも。
・余裕がもしあればさ、ちょっと人に親切してみない?
って感じです。
そんなわけで今日は外国人に道案内したり酔ってふらふらしてるおじさんに電車の席譲ったり、会社の人にキャンディおすそ分けしてみたりしました。
…ただのお人好しなだけか?
あと、書いてて社会学やいろんな知識、インテリジェンスが足りてねえ!って思ったのでこれ読め!って本とか、おすすめあったら教えろください。
最後に。
美しい、あのアニメーションの世界に救われたものの一人として、深い悲しみの中にいます。
決して繰り返さぬよう、せめて小さなことでも何かしていきたいと思います。勝手にですけど。
ほんと、何にもできない一人の人間ですけど。
主観は事実であり、主観と整合した客観は事実であり、主観とはグローバルなスコープを持った文脈であるという形態の人だった。だから緑色のりんごが緑色であることに問題はなかった。明日は防災頭巾を持っていかなければいけないことにも問題はなかった。しかし緑色のりんごが緑すぎるかどうかは一意に定まっていた。それは緑過ぎるか緑すぎはしないかのどちらかであって、主観の小部分では濃いが別の小部分では薄いということはあり得なかった。主観は一貫しているのだ。
歯磨きという単元があったとしよう。歯が健康だと自己に良いという価値観があり、従って歯を磨くという手段が説かれる。そして歯磨きにより自己は高められたという評価がまず外から固められ、いずれ内的なものとなる。……そうではない。歯は磨かれねばならない。貴様はなぜ歯を磨かなかったのか。磨いたとすればなぜ正しく磨かないという選択をしたのか。それは自由意思による怠惰でもやまれぬ特段の事情でもなければ一体どのような合理的理由によるものか答え、そして反省を始めろ。これも一言にいえば歯磨きの指導である。
指示であれば可能な限り従おう。
自己責任論には慣れている。どんな責任でも誰からでも指弾は甘んじて受けよう。今日の東京は暑かったがそれは増田の至らなさゆえだ。誠に申し訳ない。それで読者の気が晴れるならばそれは素晴らしいことだろう。読者諸氏はここに書かれたいっさいに何ら責任を負わない。それで構わない。リンクを踏んだだけの諸氏に対して増田が何を求められよう? 苦しみは自らのものだ。増田は苦しみを内包する。それだけだ。ただ、そういう関係性があったこと、事実があったこと、そういった状況が発生することそれ自体が認識となれば、それは大変に心強いだろう。
佐野研二郎氏盗作疑惑について(学生個人の意見です/2015年8月23日時点)。
彼はご存知の通り多摩美術大学のグラフィックデザイン学科を卒業し、現在はアートディレクターをやりながら多摩美術大学統合デザイン学科の教授も務めています。
実際には、まだこの学科自体設立から2年目で、佐野教授自身が講義を行うことは今までにほとんどありませんでした(というか、私はまだ彼の講義を一回しか受けていません)
統合デザイン学科は、多摩美の本キャンパスとは別の上野毛キャンパス(世田谷区)にあります。
学科長はプロダクトデザイナーの深澤直人教授で、そのほかに、ウェブデザイナー・インターフェイスデザイナーの中村勇吾教授、HAKUHODO DESIGNの永井一史教授、そしてアートディレクターの佐野研二郎教授の4人と統合デザイン学科専任の講師や先生で構成されています。
現状、学校によくいらっしゃるのは深澤直人教授(統合デザイン論)と中村勇吾教授(メディア技術概論)で、あとのお二人は統合デザイン論に前期で一度講義をしたぐらいです。3,4年から講義が「プロジェクト」という形態に変わり、そこで教授別にクラスが再度編成され、たぶんそこからお二人もがっつり学校にいらっしゃるようになるはず。
世間的に言えば「つぶしのきく」学科だと思われがちなのですが、実際には「デザイン・ベーシック」つまりデザインの基礎を最初の2年間で徹底的に教わり、そのベースを生かして次の2年間で社会的にローンチできるプロジェクトのデザインを学んでいきます。具体的には現在、グラフィック・プロダクト・インターフェイス・描写などの必修と、そのほか選択を受けています。教授の顔ぶれをみてわかる通り、細分化されたデザインをあらためて"統合"することで、「これからのデザイン」に特化した人材を育成する学科です。現在、デザインそのものが非常に広い意味をもつようになり、そんな時代において「グラフィック」や「プロダクト」などに特化しているだけでなく広い知識と経験を持った人材が必要とされています。一見デザインとは直接関係のないようなこと(たとえば佐々木正人さんによる『アフォーダンス』の講義)や、表面的なグラフィックの造形技法からCADを利用した立体物、Webやメディアアート作品などに応用されるプログラミングなどいろいろな技術を学ぶことと同時に、それに付随する感覚みたいなものも学習しているように感じます。実際、そういった感覚みたいなぼわっとしたものが現場で役立つこともあり、領域の垣根を越えることでみえてくることや繋がることもたくさんあります。
(武蔵美の基礎デザインとどう違うのか、と聞かれることがあるのですが、基礎デとは根本的に近いはずです。学科長は原研哉さんで、そもそも深澤教授は基礎デザイン学科の教授だった)
(とにかくやることが多いので、課題の量は半端ないです。たまに自分がなにやってるのかわからなくなります。あと先生たちもまだどのくらいの量の課題を出したら学生達の生存に関わるのかをよくわかってないっぽい。勘弁して欲しい。)
先ほども言った通り、まだ学科が生まれてから2年しか経っていないので、3,4年を経験した学生はいませんし、卒業生もいません。だから、就職先のデータもなく、倍率はそこまで高くないのですが、統合デザイン学科特有のコンセプトに魅力を感じて、たとえば多摩グラ受かったのに蹴ってこっちに入学したり、試験内容が東京藝大のデザイン学科に似ているところがあるので(平面構成)そこを目指す人たちが受けたりすることもあるみたいです。
〜〜
ざっと学科についてはこんな感じです。詳しくは学科のサイトをみたり、各教授のNHKプロフェッショナルとか本をみたりしてみてください。デザインに興味のない人でも、おもしろいと感じる点はきっとあると思います。
さて、たぶんこれを読んでるみなさんが一番興味があるのは佐野研二郎さんについてだと思うので彼の話題に。
関係ない話ですがエンブレム発表の前日に佐野教授と現場の手伝いに行った視デの友人曰く、めちゃくちゃ笑顔だったようです。彼自身、亀倉雄策さんのオリンピックエンブレムがかなり好きで、それを(いい意味で)引用して新しいエンブレムを作り出し、それが選考で選ばれたんだから、嬉しくない理由がわかりません。
最初に自分があのエンブレムをみたとき、直感的にかっこいいと思いました。シックで、いままでのオリンピックエンブレムとは一線を画すような新しいデザイン、新しい東京のイメージを担ってくれるような力強いものに感じました。そしてそれと同時に、あ、きっとこれ佐野さんのデザインだ!と思いました。たぶんそう思った要因の一つに、中央の「黒」の棒の部分があります。完全な黒ではありませんが、こういったエンブレムで無彩色の黒を使うのは一般的にはわりと暴力的で結構批判もきそうだなと思ったのですが、そもそも佐野教授自身黒色を多く用いることで有名なので納得がいきます。たとえば、「統合デザイン学科」のロゴやその周辺のデザインはすべて白と黒で形成され、学科の、現状では異端であるもののそれがこれからのベーシックになっていくはず、という考えや、力強い勢いを感じられ、学科の学生の多くはこのデザインを気に入っています。他にも東京国際映画祭のロゴをはじめ黒を多用したものは多く、今回のエンブレムに関して喪章だなんだと言われていますが、まあそういうネガティブなイメージで彼がデザインしたということはないかと思います。
造形的にベルギーのデザイナーのエンブレムと似ているということで炎上していますが、擁護派の皆さんが言っている通り、ああいった幾何学図形を利用したロゴマークである限り、なにか他のデザインと似てしまうのはしょうがないことです。というか、そもそもロゴの本とかをみると似ているもので種類分けされているぐらいです。造形的に似ているからといって、そのなかにあるコンセプトは異なります。造形的な点のみで「パクリ」だと決めつけてしまうのは、あまりにも強引なのではないでしょうか。今回のエンブレムは、エンブレムとしてのオリジナリティよりもその拡張性や普遍性を追求した、シンプルで力強いものだと感じています。
さらに、ベルギーのデザイナーはそのロゴを商標登録していないとのことです。となると、エンブレム側にまったく問題がないと言っても大丈夫なのではないでしょうか。
記者会見で佐野教授が感情的だったという話がありますが、もともと彼は自分自身でも「おれはキレキャラだ」とおっしゃっていたり、講義中に実際にキレてくれたりするので、まあ無理はないかなと思います。余談ですが彼は最近藤子・F・不二雄関係の仕事が多く(映画やTOYOTAの広告の成功から)、ドラえもんミュージアムにあるレストランで新聞広告用の写真を撮りに行った際「ジャイ子の“ハット”シュッドビーフ」がもう販売中止ということを聞いて、レストランの方に無理を言ってその場で作ってもらい、その写真を新聞広告に載せメニューを復活させたという逸話があります。好きなものに対してのオシは誰よりも強く、普段から感情的にはなりやすいような人なのだと思います。 http://fujiko-museum.com/blog/?p=18605/
このエンブレムに唯一問題があるとすれば、なんとなく「高揚感」が感じられないところです。ただ、それは佐野教授に問題があるのではなく、それはこのデザインをたくさんの候補の中から選んだ選考委員に問題があるのです。他に、もっと「オリンピックらしさ」があって、高揚感の感じられるデザイン案なんていくらでもあったはずです。
その選考が一般的な選考会の方式をとっているのであれば、いまいわれている佐野さんのデザインだから特別に選んだということ憶測もありえないのではないでしょうか。基本的に選考は名前を伏せるはずだし、原研哉さんや葛西薫さんをはじめ他にも応募した有名デザイナーはたくさんいらっしゃいます(応募基準も厳しい http://www.fashionsnap.com/news/2014-09-19/olympic-tokyo-emblem/)。
これについては、一人のデザイナーとしても、いち仕事人としてもありえない行為だと私は思います。まったく擁護できません。佐野教授の下の人がやったとしても、「佐野研二郎デザイン」と書いてしまったからにはそれなりに彼にも大きな責任が生じるし、そもそも画像からまるごとトレース(というよりコピペ)するのはまさに「パクリ」で間違いないと思います。いかに制作環境が劣悪だったかがわかります。一般的なデザイナーであれば、なにかをトレースする際、そういう素材の揃ったサイトに月額とかでお金を払って利用したりしていることがほとんどかと。こんなやっつけ仕事でお金がもらえるなんて、純粋に「いいなー」と思いました。バレてよかったですね(今後のMR_DESIGNのためにも)。
ネット上では、佐野教授周辺の関係図みたいなものが話題となっています。審査委員が同じだとか、広告代理店が牛耳っているだとか、いろんな話があります。つまり、デザイン業界は身内のなかで行われているということです。残念ながら、それは確かにあると思います。業界内で評価するシステムというのは確かにあるし、長嶋りかこは彼の直属の後輩です。
自分の話になりますが、私は実はまったくデザイナーになりたいと思っていませんでした。多摩美の、統合デザインに入りたいと思ったのは、まさにそのコンセプトに魅力を感じたからです。深澤教授のおっしゃっていた「いいものを触った時、『これがほしかったんだよね』と人は言う。本当に欲しい物のかたちは、すでに決まっている。」この言葉が、デザインのみならず広い意味で今後の「デザイン」に応用できると思ったのです。だからいまでもグラフィックやプロダクトをやりつつもそれが最終地点ではなく、デザインという思想や考え方をあらゆる事柄に応用していきたいと考えています。そういうことを学ぶには、ぴったりな学科です。そして受験勉強をするために、予備校に通い始めました。そこの授業ではあらゆる有名デザイナーの作品が取りあえげられるのですが、その中にはどうしても理解できないものもありとても悩んだこともありました。もしかしたら、そういったもののなかには現在問題視されているような業界内評価システムの土壌でうまれたものもあるのかもしれません。
一般人に受け入れられにくいデザインは、果たして優れたデザインと言えるのでしょうか。なにをもって、ただのデザインは優れたデザインになりうるのでしょうか。その答えはまだ私にはわかりません。
いま、どんどん新しい「パクリ疑惑」のデザインがネットユーザーによって見つけられてきていますが、デザインの歴史が深くなり文脈が形成されていくと、そこには明らかな引用や模倣も増えていきます。それはどんな文化でも同じで、音楽なんかもそうです。デザインもスタイルであり、継承されていくものなのです。だから、造形的な面でなんでもかんでも「パクリ」と決めつけられてしまうと、デザインの歴史が続いていくことそれ自体を否定することと同じになってしまいます。なにかから影響を受け、文脈が形成されていくことを「パクリ」の一言で否定しないでください。
今回の件で佐野教授に問題があったことも明確になりましたが、一方で、彼の講義を受けていたからかもしれませんが、とてもじゃないけどオリンピックのエンブレムにおいて彼は雑な仕事をするとは思えません。
亀倉雄策の仕事で一番好きなのは1964年の東京オリンピックのエンブレムだ。シンプルで力強く、唯一無二のデザイン。いつの日かこのようなシンプルで骨太な仕事がしてみてみたい、と思うようになった。ニッポンを、世界を、あっといわせる仕事。一生に一度でいいからそういうデザインをしてみたい。シンプルであること。明快であること。太くあること。Simple. Clear. Bold. ある日から僕のデザインの指針となった。デザインとはなんだ。デザインにはなにができる。そういう自問自答を繰り返した。(中略)目の前の画面は世界に確実につながっている。デザインはシンプルで深い。考え、それを超えるべく手を動かし、また考え、また手を動かす。邪念はいらない。デザインは思想だ。簡単に。深く。明快に。太く。でも簡単に。ストレスはある。でもいつも朗らかである。そういうデザイナーでありたい。デザインの道はまだまだ続くのだ。負けない。僕には亀がついている。亀はゆっくり、確実にやってくる。
エンブレムの問題とトートバックの問題は根本的にまったく異なるものです。そこを一緒にしてしまうことが、今後のデザインを殺すことにつながりかねません。
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・エンブレムについて、おそらく審査員も彼の作品だと見ただけで分かる人もいたかと。黒を使用したこと、そしてあのTOKYO 2020のフォント。あれは東京国際映画祭のロゴでもおそらく使用していましたし、彼のデザインだと一目でわかる点でもあります。正直、あのフォントが幾何学図形を用いたあのデザインにとって最も理想的なフォントであったとは思いません。
・学生じゃないだろみたいな意見をみて「いや学生ですけど・・・」と匿名なりに思ったりしたしそれを証明できないのもなかなか悔しいのですが、多摩美術大学統合デザイン学科の学生です。「業界の端っこにいるみたいな気分になってる時点でこの界隈の闇を感じた」美大って、セミプロみたいな人が集まるんだと思います。それは、一般大学とは別の特殊な試験内容が課せられるからで、それをクリアするために誰しもある程度のレベルの状態で入学してきます。そういった意味で、業界の端っこみたいな感覚は私自身拭えない点です。生意気だと思われてしまったら、申し訳ないですが・・・。
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・ベルギー側が商標登録していないためエンブレム盗用疑惑について私は「まったく」問題がないと書きました。著作権がある、ということだけでエンブレムとの類似性を訴えられるのであれば、本当にどんなデザインでも訴えられてしまいます。商標というシステムは、そういう意味でも機能している。ただ、自分自身勉強不足でもあるのでもっと調べてみます。 http://ipfbiz.com/archives/olympiclogo.html たださっき調べたら、東京オリンピックのエンブレムもまだ商標登録が済んでいないとのことで・・・w
・佐野教授への評価は、私自身、下がりました。学生ごときが評価とかなにを偉そうにと言われるかもしれませんが。こんな仕事をするひとにはなりたくないな、と純粋に思いました。トートバックのような小さな仕事でも、しっかりと制作しなければ、大きな仕事、つまりオリンピックエンブレムのような仕事もダメになるというか、結局ものをつくるときの姿勢ってそのひとの評価やデザインにもちゃんと反映されるんですね。この一件はデザイナーや関係者、それを学ぶ学生、もしくはいままでデザインの外部にいたとされていた人たちにとって、デザインとはなんなのか、パクリや模倣とはなんなのか、そういったことを知り考えるきっかけとしては良い機会になったと思うのです。だからこそ、そこで歪んだ考え方や間違った見解が社会に浸透していくことは、できるだけあってはならないことだと思います。なにが正しくて、なにが間違っているのかすらよくわからない時代ではありますが。
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・多摩美情デに関する批判は完全に話題から脱線している内容であり、改めて読んでも全く的を得ていないものです。訂正しお詫びします。大変申し訳ありませんでした。
・ご指摘の通り「在日」や「売国」などに関しては一部のネットユーザーが根拠のない事実を拡散しているだけだと認識しています。この一件を複雑化させるだけだと感じたので訂正しました。
流通とかはわからないのでもしかしたらもう手に入らないやつもあるかもしれないけど。
メジャーなやつというよりも、一度飲んでビール観を広げてほしいというやつを紹介する。
BrewDog Tactical Nuclear Penguin
パンクIPAで日本でも有名なブリュードッグが出す32%のビール。
もともと株主優待用なので出荷数が少ない。去年は日本に来なかった。
一昨年は一本8000円ちょいだったと思う。
キワモノ系かと思いきや深みがあるというか、濃くておいしい。
酔いつぶれたけど。
これもキワモノ系。
俺が飲んだのはブードゥー チョコレートラズベリープレッツェルってやつだけど、
ほんとにチョコレートとラズベリーとプレッツェルの風味がするんだよな。
21th amendment / Hell or High Watermelon
これもキワモノ系かな。でもすいかの味が水っぽくなく濃すぎずちゃんとビールの中に収まってる感じですごいおいしかった。
でも好みは分かれると思う。濃いめのビール。
同社のアールグレイを使ったGunnamatta IPAもお勧め。
Fine Ales / Finebank
度数も低く軽めの味わいながら、スモーキーさが微かに感じられて不思議な爽やかさがある。
赤ワインに使われるカベルネ・ソーヴィニヨンを使ったビール。
関東だと手に入りにくいかも。
同じラインで甲府のアウトサイダーブリューイングで作ってるベリーAを使ったビールもおいしいかも。
ココナッツの味がすごい。柔らかくてまろやかでべたつかない甘さ。
瓶ではしばらくでないと思う。佐倉に行けばわりと飲めるのかな?
たぶん最終工程でゆず入れてるっぽくて、ココナッツとは逆にゆずの酸味と爽やかさがスタウトのコクにとてもよくマッチしてると思う。
この手のビールはとかくベタ甘になりがちななか、しつこくないから何杯も飲める。
そのほか定番の味わいで飲んでみてほしいやつ順不同
ラグニタス リトルサンピンサンピン
イネディット
少なくとも日本の都市圏に限ってはそれはあてはまらない(と僕は信じる)。確かに、地方については、海外の地方を、その国の味覚で味わうことができないので、ひいき目もあるだろう。
東京がクレイジーな美食の街である傍証その1: 「本国に負けないレベルの外国食レストラン」が東京にはひしめいている。
東京がクレイジーな美食の街である傍証その2: 「あの、味では譲らないフランス人も、日本は評価せざるをえなかった」(ただしソースはWikipedia)
これほどの密度で世界各国のうまい料理が食えるのは、あとはパリとNYぐらいじゃないか? パリは行ったことないから知らないけど、あとは美食の街ってないだろう。
ああ、アメリカ人に「ちゃんとした日本食」がウケない理由は、やつらの味覚が壊れてるからだ。あさりよしとお曰く「米国人の味覚は『甘い・辛い・くどい・デカい』でできている」と。やつらにとってウマい、というモノが全うな美食感覚からすると90%ゲテ物であることは議論するまでもないと思うぞ。ホームパーティに呼ばれてコーンプディングを食わされた身としては。
とはいえ、奴等の牛肉の食い方(日本でも最近「エージドビーフ」とか流行りつつあるが)だけは見習う価値があると思う(これが、残りの10%)。
好きにすればいいじゃないか。
見た目無理難題でも、元気を出せば本気になればできるんじゃないか。
2000いったら、時を待てということか・・
そんな罪はないよ
はぁ~~~~~~~~~~このすっとこどっこい。
なんでもいいけどぶっとばすよ。
世界の向こう側を信じるよ!!
なんでもいいけどアレをくださいな。
書いても書いてもキリがないな。
なんとなく楽しみを作っていけたらな。
俺は本気で想うんだよ。
悲しみを分かち合える友と共にありたいと。
ドナルドマジック!!
∩(*・∀・*)∩ファイト♪俺自身!!
何もできない俺が、何かをつかむための旅。
ロックンロールは生きている。
俺はロックンロールに生きる。
多筆家。そうスヌーピーのように。
駆け巡るシンドローム。誰も触れないふたりだけの国。
なんてことはない、なんということはない、などということはない。
ぴっぴりーーーーーーーーーリズムでいくぜ!!
暴れたきゃ塩を飲み干して
眠気が襲ってくるお年頃。中断だ中断だ。フォローするのは中断だ。
死の秘宝。期待しすぎたかな。
元気にやっていけばきっと大丈夫!
へい!
地面蹴って、hozzyになるのさ。
何度でも、何度でも
いつも何度でも
大好きだッッ
よくないことが起こり始めている。
理解はドを越して広がり続ける。
闇に消えてったメロディがある。
はてな匿名ダイアリー。しゃべりまくっても届かない地平線上。
∩(*・∀・*)∩ファイト♪俺。負けるな俺。
ぴゅーとくる。ジャガー。
がっちゃんごっちょん。
やっぱり楽しいな、世界が面白いなwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
how wonderfull world.どんだけすごいんだ。
もうどっちにいったらいいのか(><; ) わかんないんです!
首を縦に振ってるだけで一日が過ぎるぜええええええええええええええ
いらないぜ荷物なんて 何も持たないで飛び乗れえええええええええええええええええ
ロックンロールは生きている。最高だ。
ウサイン・ボルトにゃ敵わねぇ。アリスター・オーフレイムは優勝できるのか?
色んな情報が僕らを駆け巡るよ。悲しみも追い越してなおもその列車は走ってく
暗闇を追い越して風を追い越して
なんでもいいからやっちゃってー
ロックンロールは生きている。
答えに迷った時は、とりあえずそう呟いてりゃいい。
世界に正解などあるのか?
全く、困ったものです。
諸行無常の響あり。
時代は移ろうのでございます。
さぁ耳を済ましてごらん。
事務所がどうの、本当にうざってぇな。
俺が君の気持ちを代弁するぜ。
ぜっていうwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
頭が悪い。
どうしようもなく頭が悪い。
くそわろちwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
ぜっていうwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
同じこと繰り返すの楽しいwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
赤ちゃん人間だ俺wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
baby baby ここにきて見えるでしょう私がーあああwwwwwwwwwwwwww
びっくりくりくりっくりー
どうでもいいけどこれ一体どこにいくのよ。
方向性が見えてこないよ。
俺達と同等に見るのはやめてもらおうか・・・手下にしてくれの間違いだろう?
ワンピース。面白いよね。クロコダイルとか、ロックスターとか。
fanfareはいい曲だけどね。それ以外がどうもぱっとしない。
それともスルメ曲なのかな。BANKBANDのテーマは大絶賛なんだけど。
僕はどこかにいくよ。
げろげろわろち。ひっくり返す闇の記憶。
素敵な自分に妥協など許さない。
そろそろここらへんで。