はてなキーワード: pcとは
大して詳しくは知らないが、パソコンには演算装置であるCPUがあり、一時記憶部分となるRAMメモリーがあり、ファイルなどを保存しておくドライブ装置があり、ディスプレイやキーボード・マウス、ネットに繋がる端子があり、みたいな大雑把なことは知ってるつもりである。
OSやエクセルなどのアプリケーションソフトはドライブ装置にファイルがあって、メモリ上に展開されて動作する仕組みになっている、って程度のくらいも知っている。あまり細かなややこしいことは知らないが、エクセルのVBAで、ほんの触り程度ならプログラムも書ける。
さて、弱小企業たるうちの会社の面々のほとんどは、ほぼそんな知識はゼロといっていい。
だから、パソコンで困った時の相談は全部私に来る。もちろん相談していただいて結構だ。
だが、私は神様ではない。
どんなに頑張ったって、ブルースクリーンに落ちたらパソコンの電源落として再起動をかけるしか方法はない。
「君が頑張って直してくれたら私が作業中の報告書は復活するんだから、とにかく頑張って欲しい」
どんなに説明しても説明しても、電源落とされるのだけは困ると、復活できないのは非常に困るといって聞く耳持ってくれない。
事情は分かるんだ、その作成中の報告書に貼り付けた写真100枚は、元ファイルを全部消しちゃったんだから。
でもそれは、あんたが写真のサイズも考えずに無茶な貼り付け作業をしたからだろ。その上、元ファイル消すとか、アホか。
というわけで、その上司は一週間の猶予を与えるから絶対電源を落とすな、と言い残して出張先へ出かけていってしまった。
どーすりゃいいのさ?
追記:
でも、
1.PCが古くて動作が重いと上司が仰られた為、自動保存は殺してしまったのです、チーン(合唱)
ちなみに未だXPなので、更新を稟議に回そうとしたら、その直属上司は頑なに拒まれました。色々理由はありますが、最大の理由は「新しいことを覚えたくない」からだそうです。
2.写真ファイルを復活させればよい、と言うのは思いついたのですけど、すぐにダメと分かりました。
HDDにファイルを移動しておらず、SDカードをメモリーカードリーダーに差してそこから開いて使用しており、そのSDカードは再びデジカメに戻り既に上書きされてしまっているからです、チーン(合唱)
この事務所のブレーカー探して、原因不明の停電が起きたことにしようかと思ってます。南無阿弥陀仏、南無妙法蓮華経、アーメン。
※あらかじめ断っておきますが、職業の貴賎の話であり、法律上または社会通念上問題となる事柄は議論の対象外とします(PCデポの騒動など)。また、職業の話であるので、雇用形態(正社員や派遣社員など)も対象外とします。
職業に貴賎があるという考えでいくと、貴いとされる職業に就けたら仕事に適正が無くても貴、卑しいとされる職業に就いたら仕事に適正があっても賎という事になってしまうと思います。
それでは競争主義・実力主義と言うより、世渡り主義になってしまう。
本来は、職業の貴賎では無く、本人の技術力・成果で待遇に差が付く事が全てであるはずです。
個人の努力や、競争主義やそれに伴う格差を肯定するなら、職業に貴賎が有ると言ってはいけません。
仕事のステータス性は、その人の仕事における成果ではありませんから。
あくまでも、職能と、仕事の成果で個人単位で計るべきだと思います。
以上。
指摘等あれば下さい。
PCデポの件も話題になっているので、私の母が最近あった詐欺(と言っていいと思う)について被害者を増やしたくないので書く。
ハワイ旅行に行くためには、ESTAというビザのようなものの申請が必要なのだけれど、申請するにはWEBから公式サイトから申し込む必要がある。
しかし、Yahooで「ハワイ ESTA」のようなワードで検索すると、検索結果の広告枠にESTAの申請サイトとして
ESTA申請ウェブサイト | esta-center.com(非公式サイト)
ESTA申請 日本語ウェブサイト | esta-website.com(非公式サイト)
ESTA申請 米国渡航認証システム | apply-esta.info/ESTA-USA-FOR-JAPA(非公式サイト)
などなど
ここからESTAの申請は可能なのだけれど、これらはあくまで申請代行サイトで、公式サイトから申請した場合の数倍の価格を要求されるので注意してほしい。
googleで検索した場合は広告枠にこれらサイトは表示されないので、googleはこれらサイトを広告を出すべきではないと判定しているのだと思う。
(Yahooは広告表示が甘い。間接的に詐欺に加担しているといえる。)
呼んだ?読んだ。
出先で営業日報や営業事務への指示をタブレットPCやスマホから入力できんのかね、その会社は?
治療って、薬物?たぶん薬は、根治させるというより、おしたりひいたりして調節する類だろう。副作用で能率がかえって下がることもあるだろう、社会人としての事情をよく斟酌してくれるお医者のところへ行くこった。
年齢はおいておくとすれば、貴殿の立場ならではの職もいろいろ探せばあることだろうけど、生活そのほかでの必須年収などの条件を決めて、転職可能な会社が割に合わない会社ばかりだったら、現状を工夫しつつふんばって後の機会で探すに限るかな。
と、最近思った。
当初白人層が中心だと思われたが黒人も徐々に支持し始めているらしい。
ぶっちゃけ、アメリカの一般人ってあれくらいの差別的なことって仲間内とかだとぽんぽん言ってるんだと思う。
ちょっと古い映画なんかだと侮蔑的な言葉でコミュニケーションとる親友とかあんな感じ。
で、アメリカ人は白人も黒人もヒスパニックも昔からいる人はそういう国だって知ってるんじゃないかな。
少し興奮したら差別的な言葉なんてポロっと出ちゃうし、よっぽど酷い対応を取らなければ翌日とかに
「すまんかった」
とか言ってまた罵りあうとかそんな感じの気がする。
だからトランプが本音を言っていると共感を集めるんじゃないかと。
黒人を悪く言っても、ちゃんと集会でお前らも働けるようにする。
って言えばすぐ流されるんだと思う。
差別ワードなんて日常茶飯事だしそんなもん一々気にしてられっかって。
大変かもしれないけど、頑張って。
親は悪くない、甘えるな。
昼間仕事して、夜学の大学にいって勉強して、学費を自分ではらい、
戦前戦後の昔と違い今は時代が違うとか、今の方が大変とかいってはだめだよ。
今の時代の方がはるかにITもスマホも学習の機会・選択肢も沢山あるから
圧倒的にいい時代だよ。
月13万円とは費用対効果が悪すぎる。
学生時代の4年間なにをしていたのか?
借金返済のために頑張って稼いでいたのか?
20歳過ぎていて考えが稚拙だよ。
ダブルワークして、夕方・夜からコールセンターやコンビニで働くかして
考えてばかりいないで、行動起こすんだよ。
価格競争で死に体だったPC業界で、今ゲーミング市場がキテる。
マウスやキーボードなんて1万円オーバーが当たり前だし、最新のゲームに対応するグラフィックボードなんてそれだけで据え置きゲームより高い。
ストレスなく満足に動くPCを組もうものなら10万円は下らない状況だ。
デスクワークなら3万もあれば十分だった時期に比べると信じられないような状況と言っていいだろう。
ところがゲーミングさえ付けば何でも売れると思っているだろう。とうとう色々と胡散臭いものも出てきた。
中でも笑ったのはゲーミングメガネだ。
一体次はどんな便乗商品が出てくるのだろうか。
ノマドワーカーって流行り言葉が一時期あったけど、いまはもう廃れた感がある。
でも、フリーランスで、PC持ってカフェやスタバで仕事してる人は今もたくさんいる。
そういう人たちに向けられる冷たい視線と、「なんでわざわざ外で仕事するの?」的な心無い言葉。
つまるところ、「なにかっこつけてんだよ」ってことだと思うんだけど、しかし、そういうこと言う人たちには理解できんのかな。
外で仕事する理由。別に何もかっこつけてるわけじゃないし、みせびらかしてるわけでもない。
家だと集中できないんだよ。
みんな経験ないのかな。テスト前、つい漫画読んじゃったり、部屋の片づけしちゃったり。
会社勤めでないフリーランスは自宅が仕事場であるケースが多い。
仕事場を借りてたとしても、結局のところ、自分のプライベート空間であることにかわりはない。
集中できない。つい、ネットをダラダラと見たり、エロ動画見て、昼間からオナニーしてしまったり。
仕事にならない。
だから、あえて外に出る。
その中でなら、仕事がはかどる。集中もできる。
別に「仕事してるオレ」「できるオレ」を見せびらかしてるわけでもなんでもない。
それを、「何ドヤってんだ」とか、見当違いの言いがかりも甚だしい。
もちろん、フリーランスの中にも、外じゃ気が散って仕事はできないという人もいる。
自宅で仕事してても、エロ動画もみないし、ちゃんと集中できる人もいる。
だから、スタバで仕事してるフリーランス風の人を見かけたら、人の目がなきゃエロ動画見てオナニーしてしまう集中力が欠如した可愛そうな人なんだ、と暖かい目で見守ってあげて欲しい。
いろいろ突っ込まれることを前提でエントリをぶちまけるので、忌憚ない意見が聞けたら良いなとおもっている。
さることの昨年九月、とある財閥企業グループの子会社に転職をした。
親会社にくっついたエンジニアリング会社といえば聞こえは良いが、要するに工事会社だ。親会社が不採算で利益率の低い部門を分社化しただけのことだ。
この企業に転職して数ヶ月、起こったこととそれに対する意見をぶちまける。異論、反論、大募集だ。ただし討論に興味はない。
思ったことをぶちまける代わりに、それに対して思ったことが返ってくることを期待する。
サマリーはおおまかにいって以下にまとめることができる。
①工事会社としての技術力とは一体なんなのか、それは情報漏えいを恐れるようなレベルのものなのか
②内部の人間同士で『人間性』に言及し始めるようなら、その組織は終わってる
③ドメスティックタイプの企業における『コミュニケーション能力』という名の限界
会社に入ってきて思うのだが、いわゆる施工規準や施工方法に関するデータの流出を上層部が過度に恐れているように思える。
しかもそれは本質的な『情報漏えい』に関する健全な怖れというよりは、子会社にありがちな親会社や風評被害を怖れての脊髄反射に見える。
PCをシンクライアントにするのは良いが、いくつかのクラウドサービスをアクセス禁止にするのはいかがなものか。はてはフラッシュメモリからフリーソフトのダウンロードまで規制されている。
顧客情報流出を怖れるのは良いとして、施工規準や施工方法に関する教育データぐらいある程度コピーして弊害があるか?
原価見積りに関するデータが流出することで、利益源泉が素っ裸になってしまうリスクは分かるが、正直言って建設業関係で中小のエンジニアリング会社に、セキュリティをかけてまで守る技術などない。
とてつもない機械をどっかから買ってきて、数値を入力して、資金力にものを言わせて人を雇って、膨大な工期を費やして建築物を完成させるというだけのことだ。
だいたいエンジニアリング会社なんて、自社の技術なんてなにも持っちゃいない。
太陽光発電事業者なんかがよく自らをEPC(エンジと調達と構築をワンストップで行う事業モデル)とか言っちゃってるわけだが
要するに知識と人員と情報収集力&編集力はあるから、必要なもんは金かけて集めてきて設計して作ってやんよ、っていうだけの話だったりする。
だからエンジニアリング会社がプラントに持ってく装置や設備のほとんどは、実は盤屋に筐体だけ作らせて中身は中小メーカーやどこぞの電子メーカー製品の寄せ集めだったりする。
ぶっちゃけ施工会社としてのエンジニアリング会社はエンジニアリングっつーよりはむしろ商社に近い。投資事業モデルを使ってないだけ。
客先常駐型の派遣モデルで収益を上げているが、結局設備そのものの校正やサービスはメーカーの技術者を呼ぶわけで、ビジネスの形が顧客との利益相反になってる。
これが例えばプロパティマネジメントのように、顧客の一部となって設備投資利益の最大化を目指す形ならばいざ知らず、結局は政府の公共工事に縋る建設コンサルタント業界とほとんど変わらない。
相手がメーカーに切り替わっただけの話で、二年三年単位で作られる景気を見越した設備投資計画によって投入された予算に従うだけ&なるべくその予算を多く取るために張り切るだけのビジネスだ。
現代における技術力の意味合いはどちらかといえばもっとサイエンスであったりコンピューティングなものだと思う。
少なくとも、いくら工事会社が『我々の技術力を守る』だのと言っても、そこに書かれていることのほとんどは日本の電気事業法だの高圧ガス保安法だのに則ったものを超えられないし、そこから幾らでもリバースエンジニアリングが可能なものでしかないと思う。
つまりなにが言いたいのかというと、会社のPC持ち帰れないんだから教育資料ぐらいクラウドサーバーにアップして家でテスト受けることを許可しろ。
職場で仕事の成果物に対する評価を下すならまだしも、従業員の人間性に言及が終始するような職場は終わってる。それは単なる噂話や陰口の温床だ。上司が部下の人間性に口を出す組織も終わってる。
コミュ障やアスペ、発達障害やうつ病についての言及をするような職場、とりわけそれを「脱落者」「人として未熟」という組織も同様だ。まず間違いなく組織として終わっている。
仕事をするにしても各自に割り振られたタスクそのものがなく、社内営業や油売りによって仕事を獲得するような組織だ。
指示系統にせよ、組織でありながら組織化が徹底されてない証拠だ。
誤解を怖れずにはっきり言うが、そもそも『人間性』に着目しはじめたとき、その組織もあるいはその人間関係もある意味で終わってる。
多くのビジネス書では地図よりコンパスの方が重要だとよく言われるが、はっきり言ってそれは嘘だ。
コンパスはたしかに重要だが、それよりも地図を手に入れることの方が先決だ。
コンパスは主観だが、地図は自分がいる位置を相対化して知る事ができる唯一のツールだ。GPSがあっても上空からの映像がなければ何の役にもたたない。
人間性を期待するべき側とそうでない側がTPOで変化する。また人間性の定義もTPOで変化するし、人間性を評価する人間もまたTPOで変化する。
そして多くの場合、人間の語る評価はポジショントークで、現代人は一個人でありながら日常生活の中でさまざまなポジションに立つ(親であり上司であり母であり父であり弟であり..)から、人間性の評価軸そのものが普遍ではない。
人間関係は一元的なものではない。人は誰と対面しているかによってコロコロと相を切り替えるので、ある人間から見た印象が必ずしも別の人間から見た印象と一致するわけではない。
しかもそれは個々の人間が持つ評価軸に連動しており、その評価軸は各々の視野・視座によって変化する視点であり、複雑系で曖昧だ。
『評判』そのものに実は信頼性などなく、『何故その人はそのような評価を下したのか』に着眼し、評価を下した人間の立場や背景にまで目を広げなければ、客観的な『結論』を得ることは難しい。
facebookの『いいね』の個数は重要ではない。『どこの誰が〝いいね〟を押しているのか』が重要で、さらに言えば〝何故いいねを押したか〟の方がもっと重要だ。
その理由の如何によっては、『いいね』そのものをデータの指標として無視するという選択すら十分ありうる。
ビジネスの現場において、始末書や反省文に人間性に対する言及があってはならない。
それはなんら解決にはならない。根本的な問題が仮に人間性にあるとしても、それを逆手に取って上手に外的要因に沿って問題に取り組んでいく以外に道はない。
上司がパワハラであるからといって、我々は生計を立てることを諦めるわけにはいかないし、部下や従業員が怠惰や傲慢であるからといって、具体的な目標を立てずにビジネスが進展することはありえない。
結論を言えば、『人間性』に言及し始めることは、ビジネスにおいて必須たる〝コト〟に向かう姿勢を歪める。
それが蔓延する組織は、組織化が上手くいっていないか、もしくはそのビジネスが限界を迎えているかのどちらかだ。
(※ 筆者の場合、所属しているのは子会社タイプの工事会社なので、ビジネスそのものが危うく、社内が内向きになっているのだと考えている)
阿吽の呼吸のことを『コミュニケーション能力』と呼ぶ時代はとうに終わっている。
すべては文脈と宣言型言語によって語られ、記述と構造化が優位に立つ時代になるはずだ。
曖昧さは削られていく。
世界全体で大きなストーリーが崩壊した今、ドメスティック企業において求められていた『コミュニケーション能力』を担保にした『仕事が出来るヤツ』『仕事が出来ないヤツ』の評価軸は揺らぐだろう。
なにが言いたいのかというと、現場ごとに施工ごとに異なる大同小異の部分で小さく競い合うのは不毛だし醜くてむしろ哀しくなってくるから辞めろ。
たかだが一つの装置の細かい機能に過ぎない部分で知識自慢と知恵比べをするのは不毛だから辞めろ。
文脈レベルでの競い合いなんざ無意味だ、職人同士の張り合いは趣味でやれ。ささやかな自慢なら良いが、無駄にプライドを持つと逆に扱いづらくで邪魔だ。