はてなキーワード: 顔ファンとは
「芸事を見ない男性ファン」が原因で、自分の好きな女性たちが解散した。
顔ファンのせいだ顔ファンのせいだ、と言われた。トレンド入りまでした。
そんな生易しいものではないと思う。
正直、自分は顔ファンだろうがなんだろうが、金や時間をかけてちゃんと見に行く、それができなくても配信なりなんなりで、要は正当な手段で迷惑かけず応援してりゃあいいじゃねえかと思っている。顔を出して活動してる以上、好かれる要素のひとつになるのは仕方がないことだと思う。
そういうんじゃない。
自分は知っている。「女だから」寄ってくる男を知っている。要するに性欲、支配欲、「女を」見下したい媚びへつらわせたいが理由で寄っていく男が掃いて捨てるほどいるのを知っている。そういう男たちを喜ばせる「仕事」が湧いてくるのも知っている。
ギャラリーストーカーが問題になったのを覚えている方もいるかもしれない。それに近い男は、どこの世界にもうようよいる。
素人の癖に上から目線の的外れな説教を「アドバイス」と言って垂れ流す。拒否の姿勢を少しでも見せると粘着質に攻撃する。
女のくせに、と。
男からの好意の皮をかぶった加害者性に、女性は過敏だ。なぜなら肉体的に勝てない相手だからだ。危機感といってもいい。そういうのが日常的に浴びせられるから、芸事をする女性のストレスには特有のものがある。
これは男の体を持って生まれた者には絶対に理解できない。断言してもいい。
「女だって~」は反論にすらならない。反論したくなる時点で自分にもそういう加害者性があるのだと自覚した方がいい。
(きっとこの記事のコメントにもたくさん湧くだろう。たくさんの加害者性が可視化されるだろう。その無自覚さも含めて)
一言で言ってしまえば、彼女らはこの男尊女卑社会の犠牲になったのである。
こんな終わり方をしてほしくなかった。そう思う自分の感情もまたエゴである。そして、その気持ちを上回るほどに苦しみが理解できるので、自分は何も言えない。
憎い、悔しい。顔の見えない有象無象の男の加害性。
怒りに任せてこれを書いている。あんな才能が潰れる世界に夢も希望も持てなくなっている。
「顔ファン」じゃあない、「性欲猿」「加害男」の方が近い。そういう男が、女には驚くほど寄ってくるのだ。
望んだわけでもない、女という肉体を持って生まれた、ただそれだけで。
・すごいいましめ映画だ
いましめすぎてもはやホラーだった
・Twitterでおすすめ(半信半疑)+filmarksで3.6だったからそこまで期待せず見たけど現時点で今年1位になった 監督の次回作あったら観に行く
これもうホラーだろ…
・手づかみのレストランでの「マッマだけが一方的に楽しいと感じてる会話」が辛えわ…
・仕事の権力勾配ある状態で対等なコミュニケーションなんて不可能だから粛々と役割を果たすことに専念しよう…と思った
・息子君は社会(労働)に出たら否応なくわからせられるしアーティストになったとしても才能上位互換にぶち当たるだろうから調子こける今のうちに調子こいとけ…
ご家族から大切に育てられ、スタイルのいいイケメンでこの時代に自発的に恋愛したがって
アーティスト活動(笑)やるくらいバイタリティあって小銭稼げるくらいには人気稼げる出来過ぎな息子さんやからこれはほっとけマッマのがよほど怖かった
・初手の「ババア配信中は〜」からの「(シャワー中にドア開けて)ごめん!」でもう大切に育てられた子感すごかった
・A24作品で一番好き
なんか監督の自己満足感が少なくエンターテイメントとして伝わるよう重すぎず軽すぎず作ってくれてる感じする
・ネットで「創作者の承認欲求と自己実現の話〜」って聞いてたから「チック、チック...ブーン!みたいな感じかなそれならあんまり合わないかも?」と思って見てみたけどどっちかというと「他人に興味持て映画」だった
・キラキラワークのドヤ感を「他人に影響を与える仕事をしたくないの?!」の一言で捉える的確さよ
・最後のシェルター建築前更地のマッマの写真で「そ、その状況からイチから始めたんなら思った20倍位スゴい人やったわ…」ってなって
・職場の人に絶対「クラシックババア」ってあだ名付けられてるやつじゃん…
・母息子については「よかったね!」ってなるけど父親の存在がキャラの濃さの割にノータッチだったの、人生相談とかで母親から子育てについて相談メッセージ送られてきたが相談内容文面に父親が一切登場しないような不気味さがあった ちょっと父親だけアリ・アスター作品みたいな静かな不穏さ滲み出してて…
・「世界を変えるのは地道な仕事と相手への興味の下りは」ホンママジでその通りでございます…なんだけど他人に影響与える「福祉の仕事」と「車修理の仕事」のくだりに1ミリも関わってない女の子の口から唐突に出たからそこだけ少し「キャラに作者の思想言わせてる」感あった
・運転シーンが常に若干飛ばし気味でいつ横から車が突っ込んで来るかずっとヒヤヒヤしながらみてた
あとマッマの乗ってる車に「生活」の親近感もった
映画の人々、みんなSUV車?乗るから「お金、あるんやね…」ってなるから…
・配信中のババアノックしろよと配信で思想強めの曲やって信者からウヘられる共感性羞恥シーンはぜってえあると思ってたが無くて驚いた¥9000稼げてよかったね!
顔がいいから何でも似合う ピンホールシャツみたいな鎖、顔面が良くないと似合わん
・シコリ赤ランプ草 音楽漏れてないし「あっ…(触れない優しさ)」されるやつじゃん 家にそんな軽々とドリルの穴を…
・思想強めライブハウスの初手に出てきたシンガーの「ぼくはボンクラなので仲間内でちやほやしてくれるこの界隈でやってます!」顔に目茶苦茶わろた 間違ってないにしろ悪意ありすぎだろ!地味に2回出ててさらに草
・息子の曲の「十代にしか刺さらなそうなありふれた曲」感すげえな!顔ファン枠もそこそこいそう
・思想強めこじらせ人間しかいなそうなライブハウスで卒業アルバムに寄せ書きしてもらえる俺らマジ最強お前らとのお別れマジつれえわ…ソングは眩しすぎるからやめろ…やめろ…
・ほんま「今日は来てくれてありがと」「また来てね」の所良すぎた ちょっと涙滲んだ
・タイトル、原題のがよくない?と思ってたらラストの流れ見た後だと翻題のがいい…ってなった
砂場でトンネルを右手左手それぞれで両側から掘ってやっと手が繋がる時のような良さを的確に現しとる…
・ここまで素晴らしい映画で「自分の事ばっかじゃなくて他人に興味関心を持て人の話を聞け」と戒められたのに何で自分は他人の話に興味を持てないんや
興味関心を持とうと思って持てたら苦労しねえ!
UVERworldが、全席同じ値段で男ファンはセンター席とアリーナ席、女ファンは男ファンの後ろのアリーナー席とスタンド席に割り振って燃えていた。
前にもトークイベント応募券付きのアルバム出して男女ファンから応募を募って、実は女ファンからの応募は全部落選で男だけのイベントでしたーとかやって燃えていたそうだ。
何か女ファンは顔ファンと公言しているとかで、売れない間は女ファンがずっと多かったのがコンプレックスだったらしい。
それ反映してか、嘆いてる女ファンのリプでは、ドヤ顔の男ファンたちがマウント取っていた。アーティストもファンもダサ…。
売れない間支えた古いファンは音楽を聞く耳がなくて、売れてから寄ってきたファンは音楽をわかってるって何で思うのか謎。
どんな顔だろうと検索してみたら精一杯格好つけた顔してるけど普通か普通以下のおっちゃんしかいなくて吹いてしまった。
この顔で顔だけ目当ての女吸い寄せて商売できるわけ無いだろと。
何でそこまで顔に自信持てるんだよ凄いダサいな。
推し声優がいる。アニメの出演は少ない方だけどスマホアプリゲームで当たり役を多く演じてるからそこそこ人気がある人だ。
声も穏やかな印象で顔も爽やか系に近い雰囲気だから顔ファンも多いと思う。
そこそこ人気がある人あるあるなのかもしれないけど自分と全然違う価値観のファンが寄ってきて可視化されることが増えてきてしんどいなーと思うことが増えた。
ざっと挙げると
・推しへのリプや推しの出てるラジオ的なコンテンツのおたよりにセクハラまがいの文章を投げつける(推しもお前と同じ人間だぞ?お前もそれ顔も知らない人間から言われたらどうよ?ってイラっとする)
・推しの写真とか動画のスクショをアイコンにしてる。しかもそのアイコンで推しにリプを送る(それ無断転載って言うんだけど)
・推しが既婚者だと決めつけて匿名掲示板で暴れる(推しが既婚者だろうが子持ちだろうが盗みや殺しや詐欺や薬や異性関係にだらしないとかじゃなければ推しが死ぬまで応援したいと思ってる私としては生きてたら良いだろと思ってしまう)
・推しがやった仕事に対して「いらない」とか「興味ない」とか堂々と鍵パカでツイートする(ひろゆき嫌いだけど言葉を借りて「それってあなたの感想ですよね」って言いたくなるし推しだってマルチに転向しつつある声優業界を生き残ろうと必死なんだよ分かれよって言いたくなる)
・推しが自分の演じたキャラの誕生日にお祝いツイートしなかったらキレる(推し何個演じたキャラがあると思ってるんだ)
他にも書ききれない位色々あるけど推しを推してると変な人が多くてちょっと嫌な気持ちになるし今さら同担の友達とか絶対作りたくないな…と思ってしまう。
書いてて思ったけど男声優のオタクですらこれだから女声優のオタクにももっとアレな人たちがいるんだろうな。まとまに声優オタクしてる老若男女よ、お互い強く生きよう。
https://note.com/hoikushioto/n/n34e37b42e52a
このNoteの奴みたいな主張って、リベラルの中でも過激派というか、
ブコメ見ると思ったより肯定的な意見にスターがついてて驚いた。
「将来は若くてきれいな人と結婚するんだ」(したいって思うことだよね)
「イケメン」という言葉にも「社会がフューチャーして使う言葉ではありません」
(「フューチャー」という言葉の誤用は置いておいて)と切り捨てている。
こんなこと、リアルで言ってる人がいたら「やば…近寄らんとこ」としか思わないよね。
自衛隊も含めて全部武力放棄しても話し合えば平和外交できる!って言ってる頭のイカれた左翼にも似てる。
要するに現実を一切見てない、穏当に言っても現実と折り合いつけることができないバランスを欠いた人。
率直に言って、「容姿の美醜」という非常に深い、人間が実生活上はもちろん、芸術上のテーマとしても深く掘り下げてきたテーマを、
「間違った価値観」「古い価値観」と言ってしまえるのは、どれだけ自分が進歩的だと自惚れていればできるんだろう?と不思議でならない。
まして、思春期の少年が例えばヒロスエや、ガッキーや、バッサーと結婚したいと願うのは「間違った価値観」なのだと。
どう考えても間違ってるのはお前の頭だよ。
さらに、結婚したい相手に年齢を考慮するのも差別だというのだから、芦田愛菜も瀬戸内寂聴も同じ条件で考えろというのだろうか。
それがポリコレを突き詰めた末にたどりつく結論なのか? 頭が悪すぎる。
もちろんルッキズム・エイジズムに基づいて、公衆の面前で他者を評価するのは今の世の中ではセクハラに該当するだろうし、誹謗・中傷は許されることではない。
ただ、個人が他者との関わりの中で、その付き合い方の中で容姿や年齢を考慮することを断罪しようだなんて、あまりに行きすぎた考えだと思わないのだろうか。
そしてルッキズムを排除することは、突き詰めれば外見の没個性化に行き着くのだが、それがお望みなのだろうか。
もちろん、アイドルや俳優の存在などもってのほかで、芸人やスポーツ選手も顔ファン防止のため全員アバヤ着用が義務付けられる。
個人も「人格」によってのみ他者を評価するため、結婚を決めて初めて素顔を見ることができる。
あ、声による差別も防がなければならないので、ボイスチェンジャー装着も義務化だ。
身長なんかも差別のもとなので、全員年齢に応じて決まった身長になるよう靴底で調整するのかな。
まぁそこまですればルッキズムによる「差別」はなくせるかもしれないけど、それが理想の社会なのですか?
俺はそんなアップデート、したくないです。
もう頭にきた。
文化祭で漫才やってるし、一時期本気でNSC入ろうか考えてた。
女に生まれたせいで好きな芸人について語れないよ。どうしてくれんだよ。
地雷ファンでもミーハー顔ファンでもないってどうやったら理解してもらえるの?
ほんとはアインシュタイン好きなんだよ。
パンサー向井さんのラジオ毎週欠かさず聞いてるけど、パンサー好きって言えないよ。絶対誤解されるもん。
お笑いの話をするとき、誰の名前を言えば「そっち側じゃない」ことを理解してもらえるんだろう。
確かに、劇場に通い詰める女子の中には、痛いファンもいると思う。それは認める。
ちなみにフェミでもなんでもないよ。
一緒にライブ行く仲間でこの話題が出て、もやっとしたから書き込んだだけ。
こういうこと書くだけで「めんどくさいお笑いファンだな」と思われるんだろうな。
あーあ。
○ご飯
朝食:ラーメン。昼食:七福丼。夕食:フライドポテト、イカフライ、和風サラダ、ビール、レモンサワー
○調子
むきゅーはややー。
仕事が疲れてたのか、頭がフラフラして、遊びに集中できる感じじゃなかったので、横になってた。Yutubeでカプリティオというクイズをやるチャンネルをみたりしてた。とても面白いし、出演されてる方がとってもとっても格好良くて、顔ファンになりそうだった。
明日は僕が住んでる地域の治安がとてつもなく悪くなる日なので、早起きしてどこかに逃げたいと思っているので、ちゃんと寝て元気を取り戻したいです。
いや本当に、うるさいんですよ、明日…… あの日だけは、ここに住んでることを後悔する……
追いかけている推しがいる。ちゃんと生きているし炎上して社会的に消えたなんてこともなく、今でも精力的に活動してくれている。けれど最近ふと、私が推している人間はもう地上に存在していないんじゃないかと思う時がある。
きっかけは宣材なんだ。キービジュアル、フライヤー、生写真とかその類。推しなので新しいビジュアルが出てきて大喜びする。保存する。TwitterならRTして数字に貢献する。けれどその綺麗な顔を眺めているうちに、ふとハイな気分が冷めてしまう時があってね。
なにか違う。いやなにかって言うか顔が違うんだよ、推しの。
つい先日現場で見てきた生の推しと、フライヤーの推しの顔が違うんだよ。フォトショップでごっりごりに修正されて、なんかもう骨格レベルで顔の大きさが違う。元から加工過多なものが多かったから気がつかない、いや昔から気がついていたけど見えないお約束だった修正が、ここ最近は別人レベルの域になっている。
推しは太りやすい。体じゃなくて顔に出る。数年推していて老けた訳じゃなく、ただ単に出会ったあの頃より輪郭が大きく膨らんでいるだけなんだ、だけなんだが、丸から鋭角くらいまで削られた顎とその向こう側の歪んだ時空を見てうわぁと思ってしまった自分がいたんだ。
現場だと興奮してるし、髪で輪郭さえ隠れちゃえば分からないからハイが持続する。けどふと冷静なタイミングで見ちゃうとしみじみ、顔が変わったなぁと思っちゃう。
私はアホな増田だから難しいことは分からない。ただ好きで現場に通ってただけだ。ぶっちゃけ盲目でいつから推しがかつての推しのビジュアルを失ったのかも分からない。ゆるやかに進行して改善していかなかったことは確かなんだろうけども。
ただ、あっち側が売ろうとしているのがあの修正鬼盛り写真の姿なら、それを現実が裏切っているというのは本人にもしんどいことなんじゃないだろうか。そんなこともぼんやり心配する。いやまだ痩せればいけるとは思うんだけどさ。こんな状態がずっと続いてるから期待していいのか?って。顔ファンとか言うけど、顔って大事じゃん。地の果てまで追っかけたら、やっぱり綺麗な顔を見たいじゃん。
昔の円盤を見返せばほっそりとした顔の、私の知ってる推しがいる。私の推しはこの頃には確かに実在していた。けど、今はもう分からなくなったかも。
もちろん顔以外に好きなところは沢山あるからすぐに冷めるなんてことはないんだけどさ。やっぱり、自慢の人で居て欲しいじゃん。
とあるバンドを思春期から追いかけ続けて10年以上になる。言ってしまえば私が音楽好きになるきっかけになったバンドだ。私のこれまでの人生の楽しい時も辛い時もずっと、彼らの曲がそばにあった。もはや人生とアイデンティティの支柱だった。
好きになった当初は世間的にも爆発的な人気を誇っていたが、時間が経つにつれてどんどん一般的な人気は落ち着いていった。所謂「消えた」と言われてしまうような状態。今もそのバンドが好きという話を周りにすると、「懐かしい〜前好きだったな〜」とか、「あのバンドまだ活動してたんだ?」という反応が返ってくる。そんな言葉に「まだ活動を続けてるから!!」と返すことにも慣れた。最近は彼らを「世代の音楽」として聞いてきた人たちがフェスのメイン層になったからか、久々に大きなフェス会場を埋めている様子も見られた。けれど会場が湧くのは過去の曲。今の曲で盛り上がっている人は少ない。今もいい曲を作っているのに。みんなに聴いて良さを分かって欲しいのに。
いつしか、「もう今は人気も落ち着いてきた彼らを支えるためにも追い続けなければ」という気持ちが芽生えていた。
曲だけではなく、メンバー同士が長年仲良くやっている関係性の良さにも惹かれていた。また、あるメンバーの考え方も尊敬していた。その考え方を拠り所にして、学生時代の辛い時期を乗り越えてきた。彼らがインタビューやライブのMCで話す言葉が好きだった。彼らが新しく生み出す音楽を楽しみにして、その曲たちにああだこうだ思うのが楽しかった。昔から好きな曲をたまに聴き返して、やっぱりこの頃の曲はいいなあと懐古したりもした。彼らの曲や表情、振る舞いをライブで観られれば幸せだった。
同時にガチ恋気味のファンや顔ファンを、なんだあれ痛いなあ、と思いながら冷ややかに見ていた。
このバンドをきっかけにネット上で仲良くなった友人もたくさんいる。勿論ライブの際にも何度も会っている。今回のツアーセトリ・演出のどこが良かったとか、それぞれが思う彼らの好きな要素とか、他のおすすめのバンドやアーティストを聞いたりだとか、そんなことを話すのがとても楽しかった。
「それって音楽が好きなんじゃなくて、人としてトータルで好きだから追いかけてる状態だよね?」
一つのきっかけは、奇跡的にできた私の初めての恋人に言われたこの言葉だったかもしれない。「ずっと喪女のまま、好きなものをひたすら追いかけて生きていくんだろうな」と思っていた私の人生観は、恋人ができたことによって大きく揺らいだ。異性から自分に直接反応がある感情を受けとめるなんて初めてだった。それは難しくも楽しくて、一方的に追いかけるだけだった時には知らなかったものだった。
それを言われた時、最初はそんなことない、曲が好きだから追いかけているんだ、と思ったけれど、改めて振り返ると人柄込みでの好きだったのかもしれないと気づいた。よくよく考えてみれば、自分の好みの顔のタイプも一番好きなメンバーが大きな基準になっているようだった。私の彼らに対する好きの想いは、自分が馬鹿にしていたガチ恋や顔ファンに片足突っ込んでいたのかもしれない、と気づいて大きな衝撃を受けた。
先日久しぶりに彼らのワンマンライブに行ったのだが、前よりも『最高に楽しい』という感情が湧かなくなっていた。なんだかマンネリ感すらあった。それは気のせいだと思いたかった。直近に先述の恋人と別れるというショックな出来事があったので、そのストレスで楽しめなかったのだろうと思っていた。別のアーティストのワンマンライブにも行った。『最高に楽しい』と思えた。あれ?おかしいな?こう思えない状態だったんじゃなかったのか?
彼らのライブが楽しくないと感じる日が来るなんて思ってもみなかったのだ。
結果的に、曲が聴きたいというよりも友人たちと会いたい、話したいからライブに行っているだけなんじゃないかとすら思えてきた。けれど今、友人たちとの追いかける熱量の差も感じてしまっている。私が彼らから離れたら、バンドのファンであることがきっかけで繋がれた友人たちとの繋がりさえ無くなってしまう気がしている。
10年以上経って、気づきたくなかったことに気づく機会があまりにも増えてしまった。どうやら彼らに飽きてしまったらしい、というこの事実に向き合いたくない。けれどもう気持ちの上で今の彼らを盲目的に追うことはできないとも思っている。私のアイデンティティの支柱にすらなっていたものなので、すっぱり離れきることもなんだか怖い。
それとも、10年以上同じものが存在していて、追い続けてこられたこと自体が奇跡なのかな。改めて書き出してみるとだいぶ気持ちが重いな。飽きてるなって思いながらしがみつき続けるのが正解なのかな。昔だけが好き、今はそんなに好きじゃないって開き直ればいいのかな。
私はこれからどうすればいいんだろう。
芸能人なんて「顔」だって売りもんなんだから「顔が好きで応援してるファン」をそうじゃないファンが軽く見るヲタク同士のマウンティング本当に意味わかんない。
っていうか、芸能人なんて本当の性格分かんないでしょ。顔はよっぽど正確な情報だ。顔で好きになって何が悪い。
演技だって結局ヲタクのほとんどが素人目なんだし、好みってことに尽きるでしょ。
それを言うなら顔だって好みの一環だ。
なんで、「○○の顔が見たくて通ってる」って言ったら「これだから顔ファンはねぇ」って馬鹿にされなきゃいけないの?
下に見られなきゃいけないの?
「顔ファンは無理」とか言われなきゃなんないの?
執着して通ってる時点でそれが「顔」への執着だろうが「演技」への執着だろうが同じでしょ。
通ってる役者本人に言われるならまだ分かるけど、ヲタクにマウンティングされなきゃいけない理由が本当に分かんない。
その役者の何を応援しているかでヲタクの上下とか決まんねぇから。
黙って金払え!!!
二次選考でも外れた。一般もだめだった。ここで私は行くのを諦めた。チケット取れないのは毎年の事だし、行かない反抗をしようと思った。当たってもないのに。
何が行かない反抗だよ、根は行きたいに決まってんだろ、よくわからないイベントで作品のことについて語るコーナーも設けられないイベントで推しがにこにこしてるのは見れるのに、なんで本職の声の仕事は生で見れないんだろうと思った。
やっぱり私は声を使って仕事をしてるあなたが好きだ。イベント中もお仕事中なわけだけど、やっぱり彼の演技を生で見たい。それがオリジナルのシナリオで、1年に1回の朗読劇となるとなおさら。円盤化もしない。
なんだよ、朗読劇に行かないでほかのイベントには行くの顔ファンみたいじゃん。好きでチケット取れてないわけじゃないんだよ。
やっぱり最後まで諦めずに頑張ろうと思った。
定価取引サービスで絶対にチケットを取れると思ってたからライブビューイングは申し込まなかった。絶対に私は本会場に入れると思ってたから。
でもやっぱりだめだった。ライブビューイングも最終的にチケットが余らず入れなかった。
当日は体調を崩した。どうせ本会場に行っても体調崩して床に座り込んでたのかと思うと神様からのいじめかと思った。
朗読劇中、寝てる人も居たらしいしその代わりに私が座りたかった。朗読劇の話を理解してない人がいるなら代わりに私が座りたかった。
なんでひとつの朗読劇に行けなかっただけでこんなに悩むのか自分でもわからない。
チケットを取れなかったことが申し訳ない。行けなかったことが申し訳ない。
次に推しに合わせる顔が無い。