はてなキーワード: 連鎖とは
社会活動に重大な影響を与えるレベルの鬱病・強迫観念の寛解だけを意味しており、
経済的に成功しても、パートナーを得ても、子どもを作っても、永遠に穴が空いたバケツのまま
親が愛してくれなかった・まともな養育をしてくれなかった怒りは、なにを得ても永遠に過去のものにならないし、
助けてくれなかった世界のあらゆるものを羨み、バカに出来そうなら攻撃する
自分自身のこの特性は嫌悪する親そのものと認知することもなく、ひたすらドン引くような言葉を使った家族の悪口を書き、
これが人の親になっちゃうからな、虐待の連鎖ってマジでこういうこと。単純に殴る・蹴る・怒鳴る・ネグレクトするとかそういう話ではない
あと、ネグレクト・機能不全家庭のサバイバーと、進学と食うには困らなかった毒親育ちは、やっぱ話合わねーなって思いました
だいたいが強烈な原体験を抱えていて、それに伴う怒りや憤りが活動のエネルギーになってるのよね。界隈で働きていたのでその突破力の凄さは肌身で感じている。
その怒りが社会構造に向けられているうちは良いのだけど、他の組織や支援者に向けられるとまあ悲惨。吸い寄せられて薪をくべる取り巻きが現れるし、穏健な味方は去っていくし、面倒臭いやつ扱いされて結局事業がスケールできなくなる。
うまくやれてる団体の代表者は原体験を抱えながらも「自分のような不幸の連鎖を少しでも止めたい」というスタンスの人が多いかな。身の回りの人を少しでも救いたいっていう、人斬りを止めた剣心みたいな感じ。
危ういのは、「自分のような不幸の連鎖は完全に止めるべき」っていうスタンスの人。怒りのエネルギーがとにかく強い。その「あるべき」が他者に向けられるともの激しい攻撃性が発揮されるし、果たせていない自分に向けられると自責感で潰れる。もっとも、多くの人はそんな強い怒りのエネルギーを受け止め切れるだけの心の強さもないので、結局は他責に転じてしまうのだけど。
まぁ何が言いたいのかというと、もしあなたが社会的弱者の支援活動に従事したいなら、代表のキャラクターはよく見定めた方が良い。怒りを程よい距離感で活動のエネルギーに変えられている人は超優秀。
功利主義の「最大多数の最大幸福」のメンバーにヒト以外の動物も含めた幸福を考えましょうね、という考え方
「なぜヒト以外の動物を含めるのか?」と聞いたら「性差別、人種差別と同じように種差別もよくないことだ」という回答が返ってくる
「いや、人間と動物は違うでしょ」と返すと「それって人間中心主義じゃない?それこそ差別だよ」と返される
「動物は嫌だとか言わないでしょ」と聞くと「その理屈だと赤ちゃんは何も言わないけど何してもいいってこと?」と返ってくる
「赤ちゃんは言葉には出来ないけど嫌と思ってるよ」と聞いたら「動物だって言葉に出来ないけど嫌と思ってるよ、赤ちゃんと動物とでどうして区別するの?」と返される
「赤ちゃんは成長すれば嫌と言える大人になるけど動物はその可能性がゼロだよ」と聞けば「それなら将来喋る可能性がゼロの寝たきりのヒトは最大多数の最大幸福の対象外ってことにならない?」と返される
「この正しさを採用するのなら、あちらの正しさも採用しないとダブルスタンダードになる」といった連鎖がずっと続く
なぜバグるかっていうと倫理ってのは「共感感情」が基盤になっている
「自分がされて嬉しいことを他人にもしましょう」「自分がされて嫌なことは他人にしないようにしましょう」
「自分がされて嬉しい/悲しいから、これをされたら他人もきっと嬉しい/悲しいはずだ」という共感能力が倫理を作っている
この共感感情ってのがまた厄介で、「西洋のキリスト教的人間中心主義のカウンターで動物の権利が取沙汰されるようになったわけじゃん?」と言っても「いや、倫理を形作る共感感情はキリスト教に限らず人類共通のはずだよ」と返されてしまう原因になっている
ヒトはヒト以外の動物に対しても共感するかぎり種差別は論理的には正しい
だが正しいからといって人々は正しき行いをしなければいけないわけではない
信号無視をしたからと言って、信号無視は善き行いだと思っているわけではない
信号無視をしたことがあるヒトであろうとも、きっと子どもには「信号無視をしてはいけません」と教育するだろう
だから肉を食べるし革靴を履くけどね、悪いなあと思いながら
わたしは「もにょる」という言葉が嫌いです。しかしその理由をここで開陳するのはやめておきましょう。そんなことを書き出したらわたしが本来書きたいことが書けなくなってしまいますから。
ということについてです。
元増田さんはきっと「繊細さん」ではないのでしょう。「繊細さん」を「(笑)」などと言って嘲笑しているのですから。
なぜそう判断するのか。簡単です。多くの人は自分を嘲笑したりしません。というか、できないのです。自分をあざ笑う為には自分を客観的に観察する必要があるからです。多くの人が自分の心は、胸若しくは頭の中という自己の体内にあると認識していて、それを自分の外部に持つことができないのです。自分をあざ笑う為には自分の体の外部に視点を持って自己を点検してみなければなりません。目の玉を切り離してその目で自分を見るというようなホラー映画のようなことを言っているのではないですよ。思索のことです。そういう思索が多くの人はできません。元増田さんはきっとそうできない、そうしない人でしょう。だからこんな一文を全世界から閲覧できるインターネットに放つのでしょう。でもご心配なさらないでください。元増田さんはきっと多くの人と同じですから。マジョリティですから。マジョリティであることほどこの社会で生きていく上で安泰なことはないのですから。
すいません。元増田さんが繊細さんではないという説明に字数を費やしてしまいました。わたしが書きたいことはそれではないのです。ただ元増田さんが繊細さんではないという前提で話は進めさせていただきます。その条件は整っているので。
話を進めます。世の中を白か黒かに二分することをわたしは悪手だと思っています。が、しかし、世の中は繊細さんと鈍感さんに二分されると思っています。その間には大きな中間部が存在して実を言うと彼らこそがマジョリティです。中間層にもグラデーションは存在しますが、しかし繊細さんが問題になるときには、その中間層と鈍感さんが結託して繊細さんを苦しめるのです。だから中間層も鈍感さんの寄りの人々は鈍感さんの一部であると言ってもよいとわたしは思っています。
わたしが言いたいのはここからです。この世界は未だに鈍感さんに支配されているので残酷極まりないのです。あなたたち鈍感さんが何も気にしていない、どうってことこと無いと思っているせいで、環境問題や、地球人口の増大や、資本主義の行き過ぎや、貧富の拡大や、男女格差の問題や、女性の生き辛さや、男の苦労や、結婚できない若しくはできなかった男女の苦悩や、結婚と子育ての大変さや、資源を浪費することや、核爆弾で人類が死滅してしまうかも知れない危険性や、科学を軽視しスピリチュアルに心の癒やしを求める問題や、インターネットによる陰謀論の拡散や、差別発言の問題や、利己的でなければ敗者に陥ってしまうことや、障害者の生き辛さや、あらゆる犯罪や、共産主義の不自由さや、綺麗で印象の良い言葉を次々に無思慮な人々が汚染していくことや、労働者の酷い待遇や、権力者の横暴や、腐敗や、既得権益や、行政の不作為や、ルッキズムに関することや、子どもたちに真っ当な教育が届けられない問題や、人口の減少問題や、マチズモや、自己責任論や、著作権や、資本を持つものが資産を拡大し維持しつづけるというシステムの問題や、詭弁や、宗教原理主義や、知識人の軽視や、警察の横暴や、勘違いしたフェミニズムの行き過ぎや、儲かれば法に触れない程度で何をしても良いと思っている人たちの問題や、暴力の連鎖や、権力者を批判することを揶揄する人々の薄気味悪さや、都会の若者の孤独や、高齢者の孤独や、詐欺しを教祖だと勘違いすることや、自然が日々損なわれいてる問題や、性的な表現の問題や、商業の無法さや、法の軽視や、音楽家に対価が支払われない問題や、過去の発言を顧みないコメンテイターや、氾濫する性的な画像や、右派の暴力的な言説や、倫理を超えた技術の有用性や、左派の極端な規制主義や、識者を名乗る人が権力者に寄り添った発言しかしない問題や、労働者を軽視する経営層の発言や、異常気象や、生活が困窮していく人が日々増えている問題や、あらゆる問題を世代間問題にして解決しようとする安易な言論や、質疑応答で言語の共通理解が破壊されている問題や、良い権力者には権限を無制限に与えてもいいという安易な強権国家の入り口や、南北極圏の氷山が融解する問題や、グローバルノースとグローバルサウスの問題や、エネルギー問題や、自由を制限することで効率化がはかれるのならそれを推し進めようとする人たちがいることや、税金の使い途や、政治家の不透明性や、核廃棄物を万年単位で管理し続けない問題や、日々劣化していく倫理観の問題や、不採算部門は切り離してもよいという行政に営利企業の目的を導入することや、美しいもの以外は滅んでもいいという傲慢さや、情報発信が容易になっていくことになることで不確かな情報が拡散していく問題や、伝統が失われていく問題や、科学の軽視や、豊かさという強さに人々が憧れを抱き思慮もなくそこに追随していく問題や、権力差の強さに同調して同じ論調を繰り返す愚かな人々の問題や、後先顧みずに営利原理主義で法の穴をつく者がいる問題や、弱肉強食が種の起源の本質であると勘違いしていることや、戦争や貧困や倫理や常識や平等や公平や優しさが失われること、は改善も改革もされず放置されています。
もう少し真面目に繊細さを獲得すべきだと思います。というか、これらは繊細差の問題ではなく、あなた達が鈍感過ぎることによる弊害です。
能力的に出来ないことは仕方が無いことだが、バカな甘やかしはしない方がいい
そもそも発達障害ってまず食事支援を推奨されるのに(脳の働きって腸内環境+何食ったかなので)
それ以前の通常の心身の健康を損なわない食育のとこでコケちゃってるって論外
毒親開き直りブクマカ・ブクマカを兼ねてそうな増田みたいに、毒親に共感したり、頑張ったね(←なにを???)とか言ってる場合じゃないし、
欧米に憧れるが、その対象は毎日マック食ったりじゃがいも食ってる貧困層・・・みたいな奇特なブクマカに共感してる場合じゃない
MITの3人の学者による研究で、Twitter上では、嘘のニュースが本当のニュースよりも急速に、しかもかなりの差で拡散することがわかった。
MITスローン経営大学院の教授で、この研究結果を詳述した新しい論文の共著者であるSinan Aral氏は、「我々は、虚偽が真実よりも著しく遠く、速く、深く、そしてより広範囲に、すべての情報カテゴリーで、多くの場合、一桁の差で拡散することを発見しました」と述べています。
MITメディアラボのメディア芸術科学准教授で、メディアラボのLaboratory for Social Machines(LSM)のディレクターであるDeb Roy氏は、この研究の共著者でもあります。ロイは、Twitter上で真実と偽りのニュースが異なる軌跡を描くことに、研究者たちは「驚きと唖然の間のどこか」だったと付け加えています。
さらに、研究者たちは、虚偽の情報が広がるのは、基本的に、不正確な記事を流すようにプログラムされたボットによるものではないことを発見しました。その代わりに、人々が不正確なニュースをリツイートすることで、ツイッター上での偽ニュースの速度が速くなるのです。
この論文の共著者で、LSMのポスドクであるSoroush Vosoughiは、博士課程の研究が今回の研究のきっかけとなったと語っています。
この研究では、この現象を定量化するさまざまな方法が示されています。例えば、虚偽のニュースがリツイートされる確率は、真実のニュースよりも70%も高い。また、本当の話が1,500人に届くまでの時間は、嘘の話が同じ人数に届くまでの時間の約6倍かかるという。Twitterの「カスケード」(リツイートが途切れることのない連鎖)については、デマは事実の約20倍の速さでカスケードの深さ10に到達します。また、どのカスケード深度においても、虚偽の発言は真実の発言よりも広くユニークなユーザーによってリツイートされている。
含みがないから言ってないじゃなくて、せっかく動いたやつに対しての礼儀がなってない行動が甘ったれのカスだからそう取られてるってのがわかんねえのか
行動からお前はあのレスポンスを信用してない上にただただ楽しく会話してるだけの人間達の中に挟まって『僕は利用者です』とかいうアホ面をしてるって話をしてるんだよ。
あのスレ自体が互助会でしかなくて、アイツらができる範囲のことやってるにすぎないんだから、本来ならあそこで検索されたら自分達も誰かの画像に答えをやるのがあのスレの流れだろうに、それをできねえししねえしただただ長文で意味のわからんことをダラッダラダラッダラ書きやがるし
お前にあそこまでの文面を瞬間風速で弾き出してしまうぐらいの熱量があるなら、それを検索エンジンにぶっ込んで『放尿』だの『佐藤翠』だの『町金身勒』だのして検索コイてる暇があったろうが
https://moemoelog.eroelog.com/archives/53217
俺の妹は診断貰ってるADHDで、多動や癇癪、空気の読めない行動が昔から強くあり定期的に通院してた。きっと昔は服薬もしてたと思う。多動は大人になると少しずつ落ち着いてくることが多いので今は薬なしで県外の大学に通っている。
俺が小さいうちに離婚した俺の父さんも、今思えばあの数々の不可解な行動は発達原因だったかもしれないなぁと考えている。随分会ってないから確信はもてないけど…あと祖父母もなんだか怪しい。変人というか、共感性にかけるというか。
俺自身は健常。でも障害はグラデーションって最近言うじゃん?俺も昔から周りから天然だと言われることが多くて、自分でもおっちょこちょいだなーと思うことが多い。もしかしたら発達の八の字くらいは入ってるのかもしれない。(診断済みの人と比べたら本当に失礼なレベルだとは思うが…)
そんな俺にも理解ある彼女ちゃんがいるのだが、子供の話になった時、俺は漠然と(別に欲しいかと言われるとそうでも無いけど、彼女が望めばまあ順当に1人2人くらいは子供を持つのだろうか?)と考えていた。
だが、「言いにくいけど結婚前にしとくべき大事な事だから言うね。妹さんに発達があって、お父さんやおじいちゃんまで怪しいんだよね?俺くんも少し抜けてる所あるし、はっきりいって遺伝の可能性が高いと思う。こういうのって子供に遺伝する確率が高いから、ごめんけど子供を持つ気は無い」とキッパリ言われてしまった。
最初から子供に執着は無いし子供を持たない選択自体には異論なしなのだが、少しだけ心に引っかかっていることがある。
優生保護法が廃止されてたぶん数十年(なのかな?)、現代社会は確実に差別を減らそう、相互理解しよう、SDGs万歳って感じに話が進んでいるし、ジェンダー平等なんて言葉は毎日色んな媒体で聞くようになってきた。
だけど現実として障害持ちの子供は誰も欲しがらないし、染色体異常が分かれば90%以上はおろされるし、発達家系(それに限らず色々な病気の家系)は子供を作ることを拒否される…
それってやっぱり人々の心の根っこの部分には絶対に変えられない優生思想が根付いてるってことなのか?
でも現実問題障害の子供を育てるって大変だ。間近で見てたからわかる。本当に俺も苦労することが沢山あったし、親はそれ以上に色んな苦労があったんだろうな。
それに遺伝する病気だと分かっていたのに子供を作って、本当に発達障害を持って生まれてきたら子供が1番の被害者かもな。子供は一生苦労するから。
だからやっぱ障害家系は子供を作るべきでは無いのか?これ以上負の連鎖を続けないためにも。