「耳コピ」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 耳コピとは

2024-08-27

音楽がつまらないのなら、

https://www.youtube.com/watch?v=JacMLoj6dBM

とりあえず、こんな感じの曲を作曲できるようになりたいんだけど、まず、ちょっと耳コピから困ってる…😟

2024-08-23

anond:20240822181059

ちょっと耳コピもしてみたけど、

予想外というのはないなぁ

まあ、プロ仕事してるなぁ、という感想

レコーディングとかの話で…

2024-08-19

Guitar Proを買ったところでお前は耳コピしてもちゃんと採譜しない

心に刻んでいこうな

2024-08-18

最近の曲コード進行難しすぎじゃね

90年代とかとりあえず王道進行か小室進行だったか素人でもコード耳コピできたけど藤井風とかわけわからんテンションコード使うからお手上げ過ぎる

もっとみんな簡単コード使え。

耳コピできないのに「音楽やってます」って言う奴はフェイクだと思ってる

プロアマ関係なく、単にスコアをなぞって弾いてるだけで「趣味音楽です」って言ってる奴は甘えだと思う。まずは耳コピしろ

2024-08-12

anond:20240811201557

Y&TのSummertime Girlsでもいいの?😟

https://www.youtube.com/watch?v=VAgGNWX8SXY

ちなみに、この曲、初心者向きです

できる人なら耳コピ一発で完コピできます

オススメ

2024-07-23

ギターって何が弾けたら上手い部類に入るんだろうな…

禁じられた遊びエレキで弾けないので却下

ギター買って初めて引いた曲はDeep PurpleのBurnだった気がするけど、パープルは奥が深いよ…

ジョン・ロード範囲まで弾いて一人前な気もするし…

あと、Iron MaidenのTrooperも初心者の頃だった気がする

メイデンは同じようなコード進行ばかりだし、弾きやすい気もする

イングヴェイインペリテリは相変わらず弾けない

楽譜ほとんど買ってない

耳コピか、ネットに落ちてる採譜されたものを参考程度にするかぐら

アドリブペンに毛が生えた程度のものは弾けるので、AC/DCのようなものは誤魔化せるけど、難しい奏法は弾けない

YouTubeとかニコ動見て劣等感感じてばかりだな…😟

最近YouTube流しっぱなしにして、推薦されれば知らない曲でもその場でコピーしたりして、だらだら弾いてるけど、こんな練習じゃ一向に上手くなった気がしないよなぁ

一曲一曲ちゃんと弾く、ちゃんと採譜して、メモ書いて

なんか鍛錬みたいなことしないと駄目かな

地獄のなんとかみたいな教則本とかやるべきかな

わけわかめな夢

車でどこかの廃校をもとにした施設に行く

なんやかんや買い物してたら、校内放送で女の人の詩のようなものが流れ、誰かが聞いちゃだめ!と言ったので耳塞いでもごもごしてたら周囲の人たちがみんなゾンビのように虚ろになり、どこかに歩き出した

洗脳放送だったのかなあと思って、自分洗脳されたふりをしながら歩くと、知り合いが肩ぽんしてきて謎の単語を2つくらい言って離れた

何かのメッセージなのか洗脳されたから通じる単語なのかわからないが、とりあえず別の知り合いを探して、精いっぱいの耳コピ単語をふたつ伝えて去る

周囲を見れば困惑して立ってる人もいて、何人か洗脳にかからなかった人がいるようだった

トイレに行きたくなったのでエスカレーターで下の階にあるトイレに行くと個室にテレビがあり、この施設がやべーことになっていると中継されていた

夢を見るからには影響された何かがあるからと思っているけど、集団洗脳的な出来事なんてあったか悩んでいる

強いて言うなら増田カルトの話を見たから、もしかしてそれが原因だろうか?

2024-07-13

ギターを始めた理由モテたかたか

とか言うやついるけど、自分全然そんなんじゃなかったんだよな

自分は遅咲き?で、それこそ幼稚園とか小学校とか、周囲は女子ジャニーズだったり、男子も何らかのアイドルにハマってたりするわけだけど、

自分にはそんな偶像崇拝はなかったというか、スクールカースト底辺らしく、アニメとか漫画とかゲームとかだったから、音楽自然アニソンとかゲームの曲になるわけで、

あと、家ではラジオだらだら聴いてて、英語勉強にもなるんじゃないかFENとか流しっぱなしにしてたんで、洋楽の方が聴いてたけど、曲名とか歌詞とか全然理解しないで聴いてたので、

学校で会話が成り立たないし、なんか流行の曲が分からないので、すげーバカにされたこと思い出ばかり残ってるんだけど、

山の中のド田舎みたいな場所に、ある日レンタルビデオレンタルCD屋みたいなのができて、よくわからんジャケット墓地がカッコイイという理由だけでメタリカ聴いて、

人生で最も感動したんじゃないかぐらいに感動してしまって、親にねだって田舎電気店ギターを買って、バンドスコア買って、タブ譜でリフはすぐ弾けるようになったけど、

速いソロは弾けないし、家のあちこちギターぶつけて表面加工がボロボロになったり、フロイドローズスプリングテンションいじってて壊したり、無理やり直したりした思い出があるけど、

ギターは未だに下手くそだけど、女性モテたいという気持ちは当然本能としてあるのは否定しないけど、女性モテたいと思ってギター弾き始めたわけでもないし、弾いてる訳でもなくて、

なんか難しいソロが弾けた、カッコイアニソンをとりあえず耳コピできた、延々とYouTubeカラオケ代わりに流して、知らない曲でもいきなり弾いてみたり、自己満足だけどなんかそういうのが楽しいわけで、

そもそも自分が観てるYouTubeチャンネルとか、例えばイングヴェイとかインペリテリとか完コピしてる人とか、まったく再生数ないよね

凄く上手い人、メタル関係なく、どんなジャンルでもいいけど、凄い上手いし、観れば参考になるのになぁ、と自分が思ってる人は意外と再生数が異常に少ない

再生数が多いのは、ギターは顔で弾け!の人とか、ファンクおぢとか、富士山とか、あとアニソン耳コピしてタブ配ってるような人とか、そういうのだよね

スコアが出回る前のぼっちざろっくとかは再生数が伸びるけど、スコアが出回ったり、挫折者が大量に出るようになったり?すると、再生数が落ち着くというか低くなる感ある

何が言いたいのかよくわからなくなってきたけど、未だにギター下手だし、ネットで上手い人見てスゴイネーとかコナミ感してるけど、今更モテたい気もしてきたけど、もう遅いんだよね…

昨日、ラウドネスネタで盛り上がってるYouTube観たけど、登場してる人がみんなおぢさん、おぢいさんばかりで、正直自分より一回り、二回り上の世代ではあるものの、

他人事じゃないぐらい、自分アラフォーアラフィフのおぢさん、おぢいさんだからね…

腰痛が酷くて、ギター立って弾いてたらギックリ腰するようなおぢさんだからね…

高齢独身童貞おぢさんが、暗い部屋の中で独りでLUNA SEA耳コピしたり、End of 早漏とかウケないおやぢギャグ脳内再生してるからね…

もう人生終わりだね…

早く退場して異世界行きたい…😟

2024-07-09

anond:20240709002704

勉強になる、ありがとう

発見旋律ではないというのはとても腹に落ちた。ジブリ作品メロディってミ、ラが結構出現率高いような気がするんだが(ヘタクソ耳コピの結果なので間違ってる可能性ある)、どれも別の素敵な曲に仕上がってるもんな。

自分なりにどこで良い感じのメロディを出すか考えて作ってみたい。ちなみに低いところから一気に高い音に行く瞬間が好き。

曲、作っても作っても似た曲ある

凡才宿命!!!!!

子どもおもちゃピアノを買ったら自分がそれを使って曲を作るのにハマってしまい、子どもたちの寝かしつけが終わってから遊んでいる。

作ると言っても人生音楽を履修したことがないのでコード意味も分からないし楽譜も書けない。なのでLINEの1人グループの部屋に音階を書いて貼り、演奏アプリ編集アプリもまったく分からないのでおもちゃピアノ人差し指ぽちぽち弾いたメロディを録音しているだけである

誰に公開するでもなく(強いて言うならごくたまに配偶者か親に聞いてもらっている)、ただの趣味しかない。

本当はニコニコYouTubeにサッと上げてカッコよく決めたいがいかんせんとてもひとさまに聴かせられたものではない。

というのも理由ではあるが、本当のところを言うと、タイトルの通り作っても作っても聴いたことあるようなメロディばかりで、「私が書きました!」なんて言ったらパクリ間違いなしなシロモノしか出来ないかである

作れたと思ったら好きな曲に激似、これ作ったんじゃなくて下手くそ耳コピじゃん...なんてことはもはや日常、聴いたことない(気がする)曲が出来ても安心できない。Google鼻歌検索オリジナリティをチェック、整合率(?)7%とか10%とかの曲しか出てこなくて安心...かと思いきやその7%とか10%の曲が不思議と良く似ているのだ。自分が作ったと思っている曲に。もう全部模倣だ。無意識に。

から売れ線の曲を作って世の中を盛り上げてるアーティストは改めて本当に本当にすごい。今ならYOASOBIさんとか米津さんとかだろうか。全部聞いたことない上にキャッチーメロディ。すごすぎる。

増田はそんなのできないしこれからも誰かに聞かせられるものを作るのは難しそうだけど、でも思いついた短いフレーズちょっとずつメロディ足していってきちんと曲のカタチになっていくのは楽しいし、あと趣味としても全くお金からなくてリーズナブルだし(笑)、飽きるまではおもちゃピアノに付き合ってもらおうと思っている。初期投資ランニングコストもかからずに楽しめるので、はてなー諸兄にもオススメしたい。

2024-04-16

[]

ふと自分youtubeチャンネルみたら登録者数5人になってた

登録者数うんたらーみたいなのをユーチューバーがいってたか今日はじめてみたんだけどまじびびったわ

15年前に4本動画投稿しただけなのに、5人も登録してるってのがマジで謎だわ

まあどこにでも物好きはいるもんだね

ちなみに動画耳コピ演奏

2024-03-20

YouTubeギターヒーローとしてちやほやされたいけど、

どんなに超絶技巧プレイだったのとしても俺は注目されないだろう

というか、俺でなくても、超絶技巧プレイヤーはまったく注目されてない

俺はチェックしてるけど、多分、ほとんどの人は、なんかすごいね、で素通りしてしまっているのだろう

それより、初心者記事とかが強い、ギタースクール講師とか、スタジオミュージシャンのうんちく語りとか、楽器店員雑談の方が見られてる

あと、エッチなかっこのお姉さんが演奏した方が爆発的に注目される

ぼっちざろっく!でぼっちちゃん水着プレイしてもらおうという話はあながち間違っていない

際どいコスプレピアノを弾くのと、普通オッサンピアノを弾くのと、どちらもレベルが同じだったら、みんなはどちらを見るのか?

エッチなお姉さんを見るに決まっているではないか

まりデブキモイ童貞中年の俺ではギターヒーローどころか、視聴者不快にさせたと運営通報される方が近い

なるほど、となると音楽理論のうんちく、というか、俺はちゃんとした教育受けてないから偉そうなこと言えないし、間違ってる可能性もあるけど、

あの有名な曲は、こういう仕組みで作られていて、つまり、作者はこういうことを伝えたいという意図があると考えられる、

耳コピをすることで、作曲者意図を推察することができる、みたいな話を書けばいいのだろうか

でも、それもそんなネタないしなあ

モテなくても、超絶技巧プレイできるようになりたいしなあ

ギター漫才でもやればいいのかな、ピンで

はなわベースだったけど、イングヴェイインペリテリお笑いやったら面白いだろうか?

いや、それも違うか…

anond:20240320092148

ゲームとして考えると面白いかもよ

音楽を聴いたら、まずキーを当ててみる

それからコードを当ててみる

高速速弾きギターみたいなの意外なら、案外耳コピできるもんだよ

でも、ときどき他人の採譜とか見て、あれ、そんなコードだったんだ!と驚愕することもあるけど

ビートルズとかでもあったよね、みんななんのコードか分からない、みたいな話

しかあれは、ギターだけじゃなくて、他の楽器も音を加えてて…、みたいな話だったと思うけど

あと、ギターだと運指の違いが出るので、そんなの弾けるかwみたいなのが堂々と有料で販売されてたりして、

そういうのへのツッコミ耐性が付くようになるから自分耳コピやるのオススメなんだよなあ

2024-02-17

anond:20240217171717

あー基本1対1になっちゃうんだ

まだ乗り換えるメリットないなあ

今はPC耳コピしながらサブモニターVtuber配信流しながらって感じなんだけどまだ聞き分け余力あるからそのまま通話対応とかスプラフェスやろうかなーと思うんだけど

さすがにそんなうまい話はなかったか・・・

ありがとう

2023-11-19

低音だけ抽出して、ピアノロールを見ながら、

耳コピをする日々

声門判定人とかになれないか

2023-10-01

白鍵の音を一つ鳴らせば何の音かは分かる。黒鍵は怪しい。

和音も知ってるやつなら分かるかもしれない。適当にグチャッと鳴らした音は全く分からない。

楽器以外から鳴る音の音階とかもさっぱり分からない。

ギター弾いててなんかチューニングズレてるなというのは分かるけど、高いのか低いのかは分からない。まして数ヘルツの違いとかは全く分からない。

ごく普通絶対音感だと思うけど、これって音感というか単に記憶なんじゃないかって気もする。

音を聞いても素直に音階が浮かばない時、おれは展覧会の絵の一音目のGを頭の中で流す。他にもっと好きな曲なんかいくらでもあるけど、なぜだかこれが一番明確に思い出せる。そのGを頼りに、相対音階でつじつまを合わせていく感じで音階の見当をつける。

これって絶対音感を働かせてるのとはなんか違うよなって感じがある。単なる音の記憶絶対音感の違いが何かって言われたら分からないんだけど。正確な絶対音感を持つ人の身体感覚体験する事なんてできないし。でもカゼ薬飲んで音が低く聴こえるようになった時は滅茶苦茶気持ち悪かったな。通学する時にイヤホン刺した途端滅茶苦茶違和感があった。

「一度聴いた曲ってその場でリプレイ出来るんですか?」「音が分かった所で細かいフレーズとか全部覚えきれない」

いわゆる持って産まれた超正確な絶対音感持ちの人はこういう事を言うらしいけど、いや分かるのは分かるのかよって思う。人体の神秘を感じる。

よくある耳コピってピアノメロディだけとって適当コードガチャガチャ鳴らすようなのが多いけど、ああいうのすごいダサく感じる。おれは初めて聴いた音源を親だと思う習性があるので。絶対音感持ちの人が正確に再現したらもうちょっとかっこよくなるんだろうか。そもそもバンドサウンドとかをピアノ一台に押し込むのがナンセンスというのもあるけど……

2023-08-17

[][]ogawat1968 ピアノギターも「それを趣味にしたい」というより、「あの曲を弾きたい」から始まったな

ほんそれなー

ピアノをひくことじたいを趣味しろってのは本末転倒なんだよねえ

絶対長続きしないわ

おいらは中学生の時に19、ゆずスピッツをひきたくてアコギさわって基本のメジャーマイナーコードと指すフォーくらいまでおさえられるようになって、

ネットコードみて適当にそれらに変調したらひけるていどになったしてきとーな耳コピもしたりアルペジオもそこそこできるようになって満足したけどエレキは買ったけど一人で家でやりにくくてほぼやらずにおわっちゃったなー

ピアノは妹がエレクトーンならってたんだけどコンクールでひくようの曲をいえで練習して妹と同じ曲ひけるようになったけどピアノとは勝手ちがったなー

練習すればひけるけどかなりがんばんないと難しかった

それでもff10の座なる感度やらairの夏影やらふたりやらひきたくて大学生とき練習してひけるようになったのはうれしかったなー

最初airの夢語りって曲から始めたんだよなあ

https://www.youtube.com/watch?v=3yL_Z9ZxUxk

夏の夕方にきいたり引いたりしたらすごくしあわせな気分にひたれる曲だったんだよなー

2023-08-16

anond:20230816230951

10年もかからん。4歳から5年しかやってないけどいまだに耳コピでだいたい弾ける

2023-07-30

田舎出身音楽に打ち込みたかったが不遇な日々を送った話

地方文化がないとは思わないのだが、特定の分野に強く打ち込みたい場合、分野によっては地方に住んでいることが非常に不利になることがある。

特に移動の自由のない子供にとって、住んでいる場所による格差は顕著に表れる。俺にとっては音楽がそれだった。


昭和末期に地方山間部の村で育った俺は、幼少期からクラシック音楽全般特に演奏作曲に強い興味があり、

自分作曲した曲を五線譜に書いて小学校音楽先生に見せたり、テレビで聴いた曲を耳コピして鍵盤ハーモニカ演奏したりしていた。

しかし周囲にクラシック音楽理解のある人はおらず、ピアノ教室に通うのを切望しても通わせてもらえず、演奏会などは遠くて行けず、やりたいことがほとんどできずに燻っていた。

まだネットなどもなかった時代である


やがて中学校に進学した。地方山間部の中学なんて公立一箇所しか選択肢がなく、医者の息子からヤンキーまでみんながそこに通う。俺も当然そこに通った。

その中学校では全生徒が何らかの部活動強制加入させられたが、選択肢運動部数種類と吹奏楽部しかなく、

かつ吹奏楽部男子部員は一人もおらず女子しかいなかった。なので男は強制的に運動部に入るしかないような状態だった。


しかし俺は男だがどうしても音楽をやりたかったので、周囲の反対を押し切って吹奏楽部で唯一の男子部員となった。

教師すらも俺を奇異の目で見たが、俺が音楽に熱意を持つのは有名だったらしく、まああいつなら…と認めてくれたような形だった。

しかしまあ、部内で馴染むことは最後までできなかった。部内でも異端中の異端だった俺は孤立し、一人黙々と練習する日々を送るしかなかった。

自体レベルも低く、コンクールで良い成績を残すこともなかった。そんな環境の中で、俺の音楽への熱意はすっかり薄れてしまった。やがて中学を出て高校に進学したが、俺はもう音楽をやることはなかった。


音楽と無縁な高校生活を送った後、大学に進学した。そこで管弦楽団勧誘が目に止まり、また音楽をやってみるかという気持ちになって管弦楽団に入ってみた。

しかしそこで俺は、他の団員たちと自分の差に愕然とすることになる。

小学校の頃からバイオリンをやっていたという人、中学生の時に全国大会に出たという人、親が音楽家だという人。

幼少期から豊かな音楽に触れて、環境にも仲間にも指導者にも恵まれ音楽エリートたちがそこに集っていたのだ。俺が生まれ育った村ではまず見ない人種の人々であった。

音大ではないにも関わらず、そこの楽団からプロの奏者もけっこう出ているので、レベルの高い楽団ではあったようだ。


俺は初めて、自分環境面で恵まれていなかったことを実感した。

これは住む場所問題だけではなく、家庭環境問題でもあるだろう。しか小学生のうちから子供バイオリンやらせるような環境や、全国大会に出るような活気のある部活動などは、

俺の住んでいた村にはほとんど存在できないものだ。それらはやはり、ある程度の規模以上の都会にしか存在できない。今にして思えば、これこそが都会と田舎格差であった。


結局俺は、他の団員たちの話に付いていけず、疎遠になり、半年ほどで楽団をやめてしまった。それ以来俺は、音楽活動はしていない。

今は都会に住んでおり、近くには楽器店やコンサートホールなどもあるが、もうどうでも良くなってしまった。


もし俺が打ち込もうとしたのが、地元伝統芸能とか自然の中での屋外活動のような、地方アドバンテージがあることであればこうはならなかっただろうと思う。

ただ、俺の興味の対象と、住んでいる場所の相性が悪すぎたのだ。

田舎者がクラシック音楽に興味を持つのが不相応だったのか、もっと別のことに興味を持つべきだったのか、それは分からない。

2023-06-17

下書き

書き直し。

ダラダラと、曲への思いを書きました。谷川俊太郎の詩による合唱曲ふたつ…曲:三善晃「生きる」と曲:木下牧子ネロ」についてのとても個人的な感慨。最初の方、書けなくて意図的主語を拔いてるので読みにくくてすみません。ていうか、無駄に長いので読まなくていいですごめんなさい。

 

全部谷川俊太郎って演奏会明日やるんだけど、中の2曲が自分経験に強く結びついててちょっとだけ抱えるのがしんどい

「生きる」と「ネロ」。

 

去年の夏、子供誕生日にお祝いを頂いたのでお礼の電話をした。子供からもお礼を言って、その時に「また遊びに行くね、今家族で音取りしてる曲があるんだ、遊びに行ったらみんなで歌うから聴いてね」なんて言っていた。

 

数日後、会社仕事をしていたら人事から電話があった。なんだろうと出てみたら配偶者から代表電話にかかったのを取り次いでくれたのだった。

数日前に電話したばかりなのに、亡くなったのだと聞かされた。家事支援ヘルパーさんが発見してくれたということだった。電話を切ってから自分携帯を見ると配偶者からたくさん着信があったとわかった。

会社は早退して駆けつけた。

 

病院ではなく自宅でだったので、そのあと警察署手続きやら葬儀社の互助会書類探しやらで、気がついたらその日にあった合唱団練習は無断欠席していた。

 

 

諸々落ち着くまで合唱団練習は一ヶ月ほどお休みした。

復帰してはじめての練習に行ったら、新曲が始まっていた。

「生きる」だった。

ちゃんと予習してなかったのでぶっつけでの参加だったけど、タイトルからして親しい身内を亡くしたばかりの自分には重そうだなあ、そんなことを思いながら歌い始めた。

 

うちの団はパート練習はなくて、音取りは自力でできるのが前提なのだけど、実は私にはそこまでの力はない。♯や♭が多くなりリズムが複雑になるとキーボードを叩くのもたどたどしく実用性がない。その代わり楽譜を見ながらの耳コピは割と速いので、既に歌えている周囲を聴きながら声を出していった。

曲は「生きる」。まあ、三善晃だし、ソプラノはそんな難しくはない(難しいけど)。 

 

……谷川俊太郎の詩によって、「生きているということ」がどんなことか、語られていく。

それはのどがかわくということ

木もれ日がまぶしいということ

ふっと或るメロディを思い出すということ

くしゃみをすること

孤独を感じる曲に影響されてか、詩の内容が全部亡くなった人を思い出させる。のどの渇きも、木漏れ日の眩しさと、くしゃみが出そうなムズムも、亡くなってしまった人は感じないことだ。だけどほんの少し前には感じていたのだ。あの人も。

本来の詩とは少し違うが、合唱歌詞としては

くしゃみをすること、手をつなぐこと

あなたと、あなたと手を…あなたと、あなた

と続く。

くしゃみをすること」までは生きていること一般の話だったのが、急に、自分の手と存命中のあの人の手をつなぐイメージにおそわれて、───しかし私は一度も手をつないだことはなかった、これからも、もう決して手をつなぐことはないのだ……。

 

これから介護があるのだろうとぼんやり思っていた。長生きの家系から、私の今後15年程は、あの家で、あの人と身体をふれあわせて暮らすのだろうと思っていた。

そうはならなかった。

寂しがりなところがある人だったから、一緒に住みたいとおそらく願っていたと思う。

そうはならなかった。

私が選ばなかったからだ。選ばないまま、亡くなってしまたからだ。

私は亡くなった人と手をつないだことがない。

 

曲はまた、「生きるということ」のいろいろな姿を歌っていく。自然科学芸術や…歌詩に出てくるミニスカートは何かな、生命力?若々しさ?を歌う。

それら美しいもの出会うということ。

あの人はもう、新しく美しいもの出会うことはできない。最後電話で話した、子供たちの歌にも出会ってもらえないままになってしまった。

 

「生きる」というタイトルなのに、谷川俊太郎の詩は死が匂う。

いまどこかで産声があがるということ

いまどこかで兵士が傷つくということ

いまぶらんこが揺れている、揺れているということ

いま、いまが過ぎてゆくこと

不穏な曲調で産声や兵士の傷が突きつけられ、それをぶらんこの往復運動が包み込み、ただ時間が過ぎる静けさに着地する。

生も死も同じ時間の中にある。

 

鳥ははばたくということ

海はとどろくということ

かたつむりははうということ

人は愛するということ

生き物の、自然の、あるがままの姿を歌った流れで「人は愛する」なんて、谷川俊太郎ずるいよね。あぁそうなんだと思わされる。

もちろん、愛さない人もいる。羽ばたかない鳥も轟かない海も這わないカタツムリ存在する。けれどできてない個体のことは今は措く。

それができている個体はなんと尊いことか。生きるということの意味を、「人は愛するということ」ととらえられる、かもしれない。もし私が愛さな人間でも、愛する可能性がある希望

 

そして曲はまた、

あなたの手の

あなたの手のぬくみ

いのちといういのちということ

生きるという生きるということ

あなたの手」に戻ってきて、命とはなにか、生きるとはなにか問いかけるように終わる。

 

私が繋がなかった手のぬくみ。

永遠に失われ、想像上にしか存在しない温かさ。

 

 

一人暮らしだった家は空き家になった。夏のことで、風を通したり、植木鉢やあとから頂いた供養の花に水やりをしなければならず数日おきに通った。

空き家にはピアノがあり、風通ししている間の時間で音取りをした。難しい音階を苦労して弾いた。

子供が小さい頃みんなで遊びに行くと、いつも初見でなんでも伴奏を弾いてくれたあの人がいたときのままの部屋で。ピアノには練習していたらしい楽譜が開きっぱなしだ。胸が苦しい。

  

亡くなった直後のショックや悲しみは今は薄れている。

でも練習で歌うたびに、空き家に風通しに行くたびに、拙く練習したのが思い出される。

去年の夏の、古い家特有の湿り気のある空気やあまりワット数の高くない蛍光灯の薄暗さ。

今日リハーサル明日が本番だから、終わったらしばらく歌うことはなくなる。

もう去年の夏を思い出すこともなくなるのか、いや曲を聴くたび一生思い出すのか…。

 

 

ネロ」も練習復帰後すぐに始めた曲だ。

これはまた、ストレートな死の歌で、主人公の「ぼく」が子犬の「ネロ」を亡くした経験を歌っている。

しか

ネロ

もうじきまた夏がやってくる

(中略)

おまえはたった2回ほど夏を知っただけだった

と、「夏に親しい者を亡くす」という、私の経験ととてもリンクするシチュエーションなのだ

 

主人公は「もう十八回の夏をしっている」とあるから若者だ。それは私とは違うけれど、私の子供たちとはとても近い。

何でもかんでも自分関係があるように捉えるのは無理筋ではあるけれど、私にはこの曲はうちの子たちが別れをどう受け止めたのか、の追体験のif…みたいに感じられる。

 

今、6月だ。もうすぐ本格的な夏が来る。

ネロ

もうじき又夏がやってくる

しかしそれはお前のいた夏ではない

又別の夏

全く別の夏なのだ

去年の演奏会には来てくれた人が、今年はもういない。

お盆あたりには親戚が集まっていたあの家で、今年は新盆をどうしようか、コロナもまだ猛威をふるっているから集まるのは無理だろうか。

去年の夏、せっせと通って水やりをした植木鉢も、一年草はみんな枯れて、鉢から抜いてゴミに出して、鉢も片付けてしまった。

 

曲は、しか喪失を嘆くものではない。疾走感とともに「新しい夏」の到来、「新しいいろいろのことを知ってゆく」ことを歌う。

たびたび出てくる「知る」という営為

そして僕は質問する

いったい何だろう

いったい何故だろう

いったいどうするべきなのだろうと

主人公は何を知りたいのだろう?

なぜネロは死んだのかを?

なぜ生あるもの死ぬ定めなのかを?

私にはそんな凡庸な問いしか想像できないが、案外それも全くの的外れでもない気もしている。

 

詩のなかで飛び飛びに3連に渡って繰り返しネロを思い起こし、

ネロの声や「気持ちまでも」が「はっきりとよみがえる」。

それは死せるネロとともにあるようだけれど、決して停滞ではない。ネロを胸に抱いたまま、

しかネロ

もうじき又夏がやってくる

新しい無限に広い夏がやってくる

そして僕はやっぱり歩いてゆくだろう

新しい夏を迎え 秋を迎え 冬を迎え

春を迎え 更に新しい夏を期待して

そこには若さがある。喪失を抱えていても新しいもの貪欲に取り込む力強さ。

(願わくはうちの子たちもそうあれかしと思うけれどそれは親のエゴというもの、彼らには彼らの受け止めかた、歩みかたがあろう…)

 

私自身は、「全く別の夏」というところからまだ身動きできないでいる。

冬場からこち空き家に通う頻度も減ったが、また雑草の伸びる季節になって、草を引くたびに「この家を高齢でよく維持していたものだ」と感慨にふける。

家の中はまだ手つかずで存命の頃と何も変わらない。カレンダー書き込みもそのまま。去年、子供誕生日のお祝いを送るためのメモ書きも、電話の横のメモ帳にそのままある。ただ留守を預かっているだけ、という感覚から動けない。

それなのに全く別の夏が来てしまう。記憶が上書きされてしまうのが切ない。感傷だ。感傷だが、血縁ではない私とあの人は、客観的に見ればけっこう長い年月、長い時間を一緒に過ごしていたわけだ。

まだもやもやと引きずってはいくけれど、そういうものなんだろう(ああ、しょうもないまとめになってしまった)。

 

 

(「あの人」と書いているのは配偶者の母ですが、普通に表記するとちょっと生々しくて書けなかったので…表記距離を置かないと吐き出しにくい)

 

引用の詩は曲のために繰り返しなどの改変があり、オリジナルと少し違っています

2023-04-30

ギターコードを並べて音鳴らすだけのサイトとかソフトってないのかな

がっつり楽譜とかじゃなくていいしリズム適当でいいか

コード進行耳コピ確認で使いたいんだよなー

ギター本物もってないか

コード単体の確認ならいくらでもあるけど、ならべて確認できるのってなかなかない

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