はてなキーワード: 微熱とは
洗い物をしてる時に包丁で指を切ってしまった夫。たしかにえぐれてて痛そうだし出血もしてたけど、指が切断されるほどでは当然ないし、ポタポタ…と垂れるほどの出血量でもない。それでも「血が全然止まらない」「ずっとティッシュで抑えても止まらない、俺死ぬのかなぁ」って本気で言ってくる。死ぬわけねーだろ。
血に弱いだけじゃなくて、病気全般そう。微熱や下痢など、体調不良が続いたときも「俺は癌かもしれない、どうしよう」とこの世の終わりみたいな顔で訴えてくる。3日続いただけだよ。あんた今年の健康診断でもオールAだし、早速病院いってたけどそこでも問題ないでしょうって言われてたじゃん。
あーーーほんとしんどい
「体調がすぐれない」的な内容だった。
その時は46歳で、長男は高校3年、長女は高校1年、次女が中学1年生だった。
俺は大学を卒業して就職したあたりからずっと体調が悪い。常に風邪の引き始めみたいな状態で、油断すると扁桃腺が腫れて微熱が出る。アレルギー性鼻炎があり、点鼻薬の使用や通院を怠るとくしゃみと鼻水が出て微熱。お腹を壊しやすく激務や飲み会が続くと下痢になり痔も何度かやった。
しかし健康診断や血液検査、内視鏡などの人間ドックでは常に問題がなく身体は健康だそうなので不思議だ。
それでも俺は常に「そう遅くないうちに病気で死ぬ」となんとなく思い続けてきた。万年の体調不良がいつか重大な症状に変わり、病気が発覚し死ぬのだろうと。
だから家族との時間ややり取りを大切にして、後悔することのないように生きてきたつもりだ。
そして14年経過し、60歳。
2年前、新卒入行以来勤めていた地方銀行から役員として子会社に追い出され、昨年には県の偉い人と歳下の本社役員から赤字の県外郭団体か大赤字のローカル鉄道会社の代表の話を頂いたが嫌な予感しかなかったため断った。今は知り合いの小さな税理士事務所で働いている。
相変わらず体調は悪い。
今も扁桃腺が腫れて喉が痛い真っ只中。
若い時、子供が大きくなってこの歳になれば「何かをしなくちゃ」と焦らされることなんて無くなると思っていたが、そんなことはなかった。
自宅のローンは終わったが、仕事で覚えることも確認することも勉強すべきこともある。10年前に乳がんに罹患して以来通院が必要な妻の医療費を稼ぎ、生活費のことや老後のことも考えなければならない。8人の孫へのお年玉やらプレゼント代だってバカにならない。
そして体調は悪い。
俺の一生は体調が悪い中やることを抱えたまま終わりを迎えそうだ。
熱が下がったあとにいくつか不調が出てる
異様に眠い
生理前かってくらい眠い。毎日23時過ぎには布団に入ってる。その後9時近くまで寝ないと無理。昼寝したくなってしまう。
ほぼ水の下痢が出てお尻が痛い
熱下がって翌日が一番ひどくて、4日経った今よくなってきた
咳
熱下がって2日めが酷かったけど、肺炎とかそういう感じの咳ではない
現状ほぼ出ない
まだ全然治らない
平熱が0.5度上がった
元々平熱は36.0だったんだが、今は36.5もある。
一般的には微熱が続いてる状態らしいが、普段低体温の私からするとちょうどいい体温になってるのでこのまま現状維持したいところ。
以上。
逆にいうとこれくらいしか不調が出てない。
人に感染させたらまずいというのと、在宅仕事で外に出る必要がないので家にこもって全回復を待っているが、私がアクティブな性格なら今の状態でも普通に遊びに行ってしまいそうな態度には元気。
悪化しなくて本当によかった。
タイトル通り。なんかずっと微妙に熱がある状態が連休前からはじまり、一時的に下がるのに外出後や夜中に戻ってしまう。
初日最高温度が37.1→2日目37.2→昨日37.4→今37.5。この間定期的に36.4などに下がってはいて、なんだか熱っぽい→はかると熱が上がっている、という感じ。
コロナは抗原検査キット買ってきたけど陰性なのと特徴的な症状が何も出てなく、よくわからない。熱出る前は喉とか鼻とかではなくて耳が痛くてなんだろうと思ったが、今は痛まない。
たまに痰を出すと血が混じってるけど、鼻をかんでも血が出てこないので気管支かなにかから出血しているのでは?と思うんだが、連休で病院が開いてなく…。
明日は同じ理由で病院我慢してたやつ多くて混んでそうだし、明後日でも大丈夫だとは思うんだけど、コロナでもこんな感じの経過で徐々に熱上がるとかあるかなあ。
コロナとインフルは陰性で扁桃炎と診断されて薬もらって来たけどそれが全然効かなくて今日までずっと36.8度〜37.5度を行ったり来たりしてる。
昨日の夜また抗原検査したけどそれも陰性。
仕事が繁忙期じゃないから休んでたんだけどこれ以上休むなら診断書が必要で、効く薬も欲しいのでまた病院に行った。
喉の痛みも出て来たし扁桃炎だから同じクリニックの耳鼻咽喉科に行ったんだけど、発熱がある人は発熱した人の枠でしか診られませんと言われた、
それからうちの職場はちょっとお堅いところなので診断書はしっかり療養期間が明記されてる物じゃなきゃいけないんだけど、その診断だと療養期間の記載はできないと言われ結局何も得られず帰って来た。
お疲れ様です
近隣の小児科も逼迫してて、RS他各種検査キット足りないらしい
数年前コロナのときに小児科やってられんと閉院したとこあったので余計に患者増。
なので、検査なく問診でRSだろうと診断されたりです。
予約制のとこが多く、予約開始とともに「サーバーが混雑しているためやり直してください」表示のあと、満席。一分以内。
予約なしのところも、車で隔離するので2時間車で待機(かかりつけ外でも診てくれるけど予約もれ患者が殺到するので診察券発行してくれなくなった。気持ちはわかる)
元投稿のように、導線気にしないで数さばいてくれる小児科は近隣にはない。けどあったら有り難い存在だと思う。
そして大変だとも思う。
なので家で休ませることが多いけど高熱は半日で後はほんと元気、咳だけ何日も続いて元気。
幼稚園は何日でも休ませるけど、小学生はマスクさせて出席することもある。
市販薬とうがいに頼ってるけど治ってるんだか咳がしつこい。
いつどこでどうやって自殺したのか知りたくなるが、ブラウザの検索履歴に残るのも、かといってシークレットモードを使うのもなんだか癪に障る。
だからいつも「いいなあ、自分も早く死にたいなあ」って思うだけだ。
とはいえ、自分は「死ぬしか後がない」というほど追い込まれているわけではない。
自分は20代前半で、シス男性(身体的性・性自認がともに男性)で、異性愛者で、大学を卒業しており、家族との関係も円満で、住む場所もあり、友人もいる。
社会的に見れば、よほど恵まれている方であるという自覚はある。
新卒で入社した企業と相性が合わず、ここ2週間ほど仕事を休んでいること。
微熱などの体調不良が続き、心身共に疲弊した状態が続いていること。コロナでもインフルでもなかった。
クリエイティブな趣味に没頭しようとするも、集中できずスランプが続いていること。
そのような状況を改善しようともせず、「できない自分」に酔って自己憐憫に浸っていること。
そんな中でも一番の理由が、「生きることに希望がないから」だ。
二十数年生きてきて、今まで上手くいったためしの方が少ない。
もちろん完全なゼロではないが、それでも他の人より劣っていたり、社会に上手く溶け込めなかったことの方が多い。
今までそうだったのだから、これからもそれが続いていくのではないか。そんな不安に苛まれている。
前置きが長くなったが、本題に入ろう。先日、自分は自殺未遂をした。
もともと希死念慮はあったが、ここまで強く、そして具体的に「どう死ぬか」まで考えたことはなかった。
その日は突然だった。
いつものように仕事を休み、Twitterで「死にたい」だの「いかに自分が無価値な人間か」を呟いているうちに、「本当に死ぬか」という気持ちが膨れ上がってきた。
失禁があると聞いていたので、足元にタオルや珪藻土マットなどを敷いた。
死ぬとしたら遺書や遺言を残すつもりだったけど、そんな気力はなかった。
その日はもう遅かったし、一人暮らしだったから邪魔は入らないと思った。
何もできなかった日だったので、自殺の準備をしている時間は生き生きとしていた気がする。
ネクタイの片端をドアノブに結んだ自分は、仰向けで横になり、首を吊った。
息苦しかったが、それだけだった。
意識が朦朧とするわけでも、視界がぼやけるわけでも、音楽が歪んで聞こえるわけでもなかった。
結果は同じだった。
大学時代に読んだ『完全自殺マニュアル』によれば、首吊りは最も楽で確実な自殺方法だという。
曰く、一瞬にして意識が飛び、苦しみを感じることもなく死ねるとかなんとか。
自分が首を絞める箇所が悪かったのだろうか。それとも、この本に書いてあることが間違っていたのだろうか。
今となっては分からないが、その時の自分は、死ぬことすらできないという絶望を抱きながらスーツを脱ぎ捨てた。
あれから数日経つが、今のところ自殺をしようとは思っていない。
満足したからなのか、死ねないことが分かったからなのかは分からない。
もっと良い首の吊り方を探すかもしれないし、別の死に方を見つけるかもしれない。
でも、それまでは頑張って生き延びてやろうとは思う。
より良い自殺のために。
自分のブログも持っているけれど知人にあれこれ言われたくないので匿名にて失礼します。
■ 健康な人へ
心当たりが一切なくても健康診断は毎年受けるべきだし、付けられるオプションはなるべく全部付けるべき。時間とかお金とか恥ずかしさとか痛みとか、いろいろハードルはあるんだが、健康には代えられない。あ、今はとても元気です。大丈夫。
他の人の体験記を参考に入院準備を進めたので、これも後続の助けになれば幸いです。後続なんていないのが一番なんだけどね。
身バレを防ぐために若干ぼかしたり時期をズラしたりしています。
■ 概要
・開腹して左の卵巣と卵管を摘出した
・入院期間は7日間(月曜入院→日曜退院)。手術は入院2日目(火曜日)の午前中
・パジャマとタオルはレンタルサービスを使ったので持って行かなかった
■ 大まかな流れ
・月曜日:入院。昼食と夕食は普通に食べる。シャワーも浴びる。夕食後は食事禁止。
・火曜日:朝6時以降は水も禁止。午前中に手術を受ける。気付いたら終わってたしベッドから起き上がることも禁止されていた。微熱があったため隔離されてPCR検査を受ける。正直傷口よりPCRの綿棒の方が数倍痛い。あいつは一体なんなんだ。
・水曜日:朝、上半身を起こしてみる。立ってないけど立ちくらみみたいな状態。時間と共に和らぐ。昼から食事再開(重湯)。コロナでもインフルでもないと分かったので昼過ぎには隔離が解除され、自分で歩いて病室へ戻った。その後尿カテーテルを抜いてもらい、蒸しタオルで身体を拭いてパジャマに着替える。
・木曜日:メモによると1日中ハイラルに籠もっていた(ブレワイをプレイしていた)らしい。痛み止めが背中のカテーテルから飲み薬(ロキソニン)に切り替わる。
・金曜日:この日の朝食から普通のメニューに戻る。午前中の回診で諸々の管やテープを取ってもらい、シャワーが解禁される。
・土曜日:またハイラルにいる。こいつハイラルに居座りすぎではないか? 傷口(というより上に貼られたテープ)がかゆくて看護師に訴えるが「カサブタなので我慢するしかない」と言われて絶望する。それでも諦めず主治医の先生に訴えたらかゆみ止めの塗り薬を処方してもらえた。効き目が薄くてさらに絶望した。かゆみとの戦いは退院後も1週間ほど続いた。
看護師さんからも主治医の先生からも「珍しいくらい順調に回復している」と言われたので、普通はもう少しゆっくり良くなっていくのかもしれない。
■ 持って行ってよかった
今回のMVP。Switchとスマホの命をつないでくれた。ベッドの頭の方の壁にコンセントはあったものの、スマホの充電ケーブルが短くてギリギリ枕元までしか届かない。ベッドを起こしたらもう無理。延長コードがなかったら電源の取り回しに苦労したと思う。退院したら自宅の古いものと交換するつもりで買ったので、入院生活だけを考えるなら1.5~2mで大丈夫そう。
・小さめの紙袋
ベッドサイドに置いて細々したものをまとめる用。高さ15cm×横15cm×奥行き5cmくらい。化粧品買うともらえるような、しっかりした作りのものがおすすめ。折り畳めるから入退院時にじゃまにならない。ある程度高さがあるとペンを挟んでおけるので便利。
入院した後も書類は増える。一度目を通せばいいもの(処方薬や麻酔の説明書きなど)と、繰り返し取り出す必要があるもの(食事や飲水量の記録表など)を分けるために最低でも2つほしい。
・メモ帳
気になるから後で看護師さん来た時に聞いてみよう→忘れる、のループから脱却したい時に使う。気になることは際限なく増えるから覚えておくのは無理。別にスマホでも構わないがフリーハンドで好きに書ける紙の方が便利だった。
髪が長い人向け。手術後しばらくはお風呂に入れず髪も洗えないため、次第にベタベタテカテカして気になってくる。そういう時にさっと留めてとりあえず遠ざけておくと気持ちが楽になる。ヘアゴムでもいいんだけど、バナナクリップの方が圧倒的に手軽。
石鹸やシャンプーや歯ブラシなど濡れたものを雑に突っ込んで、サイドチェストの手すりにくくりつけて干した。ベッドサイドが広く使えるしすぐ乾くし、地味に便利だった。メッシュ生地に限らず巾着は「くくりつける」という選択肢が生まれるからポーチよりおすすめできる。
説明不要。これを書いている今もまだプレイしている。ティアキンに移るタイミングを見失っている。手術直後はただ草原を走り回って採集活動に勤しめばいいし、回復してきたら弱そうな敵や簡単そうな祠に向かえばいいし、病状に合わせてプレイスタイルを変えられるのも良かった。
■ あればよかったなぁと思う
・充電ケーブルの先を保持できる仕組み
延長コードを使うと発生するデメリット。ちょくちょく充電ケーブルの先が床に落ちるし行方不明になりやすい。クリップ的なもので留めておきたかった。
入院して初めて、自分は白米が単体で食べられないらしいと知った。おかずも山程あるんだけどそれ以上に白米が多くて苦労した。残すのも忍びないから毎食フードファイト状態。ふりかけでもごま塩でも、とにかく白米に味がつけられるアイテムがほしかった。
・マスク置き場
感染症予防の観点から、ベッドにいる時もなるべくマスクをつけておくよう求められていた。そうは言っても寝る時はさすがに外したいし、食事時はもちろん外す。そういう時にちょっと置いておける場所がほしかった。
出歩く時、スマホはパジャマのポケットに入れていたが、ふとした拍子に落ちるんじゃないかと不安になった。背中の痛み止めが繋がっている時は痛み止めを入れる巾着(紐が長く斜めがけにできるもの)にスマホも押し込んでいた。看護師さんにはちょっと笑われた。でもあのスタイル超便利だったな……ロッカーの鍵も入れてたし……。痛み止め取れた後も巾着は残してほしかった。
・クリップボード
入院中は毎日「ごはんをどのくらい食べたか」「水はどのくらい飲んだか」「お手洗いに何度行ったか」を記録する必要があった。用紙はクリアファイルに入れておいたんだけど、書く度に出してしまってを繰り返すのはちょっと面倒だった。
シャワー解禁があと半日遅れていたら、なんとしてでも髪を洗おうとしたと思う。髪、想像以上にベタつくし重くなる。
■ なくても別に困らなかった
・ハンガー
備え付けのハンガーで十分事足りた。
巾着のところで書いた通り、洗ったものは巾着に入れてくくりつけて干したので「何かを引っ掛けたい」と思う場面がなかった。
・ウェットティッシュ・汗拭きシート
病室には手洗い場が備え付けられていたし、看護師さんが毎日蒸しタオルを持ってきてくれたので使う機会がほとんど訪れなかった。
起き上がらずに水を飲めるから便利という体験記を読んで買っていったが開封もしなかった。起き上がれない時は水も禁止されてたし、飲めるようになる頃には問題なく起き上がれた。これが一番の想定外かなぁ。
・スーツケース用の鍵
事前の説明では「鍵をかけられる小さな引き出しがある」としか言われなかったので、引き出しに入り切らないが盗まれたら困るものを管理する目的で持っていった。しかし引き出しは十分に大きかった(Switchをケースに入れた状態でしまっておけた)し、引き出しの他にも高さ1m×横20cm×奥行き50cmほどの鍵付きの棚があったため使う必要がなかった。
こんな感じです。参考になるといいなぁ。ともかくみんな健診には行こうね。
4月30日、同居する親が体調を崩した。
なんでも、親の勤務先に、家族が新型コロナウィルスになった人物(要するに濃厚接触者)がいたらしく、その人と会話したらしい。
その人物もかなり体調が悪そうだったらしいが、その後親も同様に体調を崩した。
家にあった抗原検査キットを使うと、すぐに新型コロナウィルス陽性であることが判明した。すぐに自宅別室への隔離措置をとることとなった。
親は案内が来るごとに必ずワクチンを接種する(この時点で4回)など、かなり感染症対策に気を使っていたからか、幸い重症化もせず数日後には回復した。
私の勤務先でも、私とデスクで隣り合う両者が風邪気味だった。また、ここ最近忙しい状況だった。
だからか、4/28の夕方から少しのどが痛く、日曜日微熱があり倦怠感を感じた。
トローチを連続してなめ続け、市販の風邪薬を服用するとすぐに回復した。
だが、そのときの体調がどうだろうが、その定義に該当する以上、私は濃厚接触者になってしまったことには変わりない。
抗原検査キットに残りがあったので、親の勧めを受け私も検査した。しかし陰性の判定だった。季節の変わり目ということもあり、私も風邪気味だったのかもしれない。
私もワクチンは案内が来るたびに毎回接種していたからか、ここまでの3年間ずっとノーマスクandノー自粛だったものの新型コロナウィルスに感染することはなかった。
5月1日は普通に出勤できそうな体調ではあったが、自己判断で出勤すると勤務先に迷惑だろうから、念のため勤務先に電話した。
すると、うれしいことに5/1,2は出勤しないよう指示が出た。
これを理由とした休暇制度があるらしく、次の出勤日(5/8)に休暇届を出せば、欠勤にはならず給与や昇給、年次休暇の日数などには一切影響しないという。
こうして私は、意外なところで9連休を手にしたのであった。
どんなときもポジティブシンキングでいこうと思い、親に感謝するとともに、早い回復を祈ることにした。
もしこれで親になにかあったら私一人で家族を養わないといけなくなる。家族が安心していられるのは親が健康でいるからだ。
夜更かししてデレマスU149のアニメを見た。勤務日の朝は早く睡眠時間を確保するため、2時間ほど寝てから放送時間直前に起きてみるのが普通だが、今回だけはそのまま起きていた。
小春ちゃん(ちなみに彼女はアニメ放送半年以上前からの担当で、すでに180万人以上のファンを獲得しています)、仁奈ちゃん、ありすちゃんだけでなくみんな可愛すぎる。
この子たちのせいで貴重な精子を何億個無駄にしたかわからない。
できるなら毎晩交代でこの子たちと一緒に風呂に入って一緒のベッドで寝たい。髪の匂いを嗅ぎたい。
抱き枕やタオル、フルグラフィックTシャツが出たらもちろん買うだろう。
引き続き抗原検査は陰性のままで変わらないので、電車に乗ってカラオケに行った。
この前CDを買った、Vast world, Brand New!など20曲程度を歌唱。
グッズを買いあさったところ、イラスト入り紙袋もくれた(有料化が義務付けられたレジ袋にはあたらないらしい)。せっかくなのでそれを肩にかけて帰宅。
5/2-3の両日で抗原検査が陰性だったため、こちらは自宅待機の解除ができるようになった。ただ全身ダルい。
両親ともに、家の中を動き回れる程度には体調も回復した(感染者のため自宅療養の解除はできないが)。
私は行きたいところもあまりなく、ベッドに横たわるだけで何日も過ぎていった。