はてなキーワード: 尊厳死とは
ルーピー鳩山は大嫌いだが、彼がかつて言ったように、もう日本が日本人のための島であることは終わった。人口動態からいって復活の目なんてない。国としては終わり。
間抜けなお人好しと、三代かけて落ちぶれる由緒正しい100年企業の三代目()みたいなのが跋扈してるんだからどんどんアジア圏の人口圧に飲まれて日本人のための日本と日本国は薄まって雲散霧消していくわけだ。
この間にグローバル企業に脱皮できた会社はサムソンのように実質アメリカ資本みたいなものに収斂していく運命なんだから、日本の日本による日本のための世界に役立つ産業資本技術発展なんてものは完全に失われた。
よくあるアメリカから日本への周回遅れの流れのように、マイケル・ムーアのアホで間抜けなアメリカ白人みたいなノリの情けない日本人がウヨパヨしてるのが現状で、本当にこの国としてどうありたいかを考えればいくらGDPは内需主導とはいえ資源のない国で外貨を獲得する方向へリソースを全振りするコンセンサスがこの期に及んでも取れていないんだからあと10年しても20年してもジリ貧で右肩下がりなんだよ。
尊厳死()安楽死()の国策に乗って、この間50年くらい何も進めずリソースを貪り食ってた連中がこの世を去って社会保障費を削ってくれることだけが唯一の希望の光まであるわな
大学時代の友人
「被告は『職員が死んだ魚の目をして希望なく働いている』と話すこともありました。しかし『でも障害者はかわいい。いつも寄ってきてくれるし俺がいないと生きていけないんだ』とうれしそうな口調で言っていて、ようやく被告が楽しく仕事をするようになったと安心しました」
大学時代の後輩
「就職活動について相談したところ、被告は『仕事は金のためじゃなくやりがいだと思う。入れ墨を入れている自分でも、障害者の人たちはきらきらした目で接してくれる。自分にとって天職だ』と話していました」
自己の尊厳の低さを、障害者という依存的存在への奉仕という行動で自己の尊厳を満たしてるんだろうなって感じが見受けられる。
「俺がいないとこいつら生きていけない」という状態に喜びを感じているんだろうなと感じた。そこに健全さを感じない。
恐らくだが、被告は当時の自分に自己肯定感は抱いていないんじゃないかな。
「入れ墨を入れている自分でも、障害者の人たちはきらきらした目で接してくれる。」は高い自己評価を持つ人間だったら出てこない発言。
「2年ぐらいたったときに、『障害者はかわいそう。食べているごはんもひどくて人間として扱われていない』と話すようになりました」
3年経過。社会に貢献している、素晴らしい仕事に従事しているという認知フィルターが外れた状態。
もし健常者が体験するなら地獄のような非人間的環境に対する冷静な評価。その状況に対するリアクションを行えない事に対する重度のストレスも見受けられる。
「6月ごろ突然『意思疎通できない障害者は生きている意味がない』と私に言うようになりました。あんなに仕事に満足していたさとくんがそんなことを言うようになったので仕事で何かあったのかなと思いました」
地元の友人
仮説1:
『何もできない障碍者をケアするという社会的意義のあり、必要とされる仕事に従事している』(入社時)
↓
『地獄のような環境に障碍者を隔離、放置する倫理的に許容しかねる状況に加担している』(2,3年経過)
↓
「正しい事は何だろうか」
↓
主張
想定しうる主張の論拠
・社会的情勢として、社会に対する生産性の低い、貢献度の低い人間が積極的に排除されている
・介護従事者が現在の倫理的に許容しかねるような非人間的環境の維持、加担というストレスフルな状況から解放される
・障碍者の尊厳死という考え方。障害者施設に隔離され、介護従事者から「尿と便の詰まった袋」扱いされながら一生を終える状態を人間として尊厳を保ってないのではないかという考え方
多分被告は死ぬ直前まで自説の正しさを疑わないだろうなと思う。
・非常に高ストレスな環境にも関わらず、相応の報酬が得られない
こういう環境なわけでしょ?よほど自己犠牲的な傾向が高くないとやれない仕事だと思うわ。
俺は絶対こんな仕事就かないし、働いているやつはホントすごいと思うよ。
れいわの議員さんとかがこういった構造に対する認知を広めていってるけど、
結局のところこれ、こういう福祉に対する予算、人員、ルールをどう整備するかって所でしか解決できない問題だよな。
後期高齢者に対する医療費が天文学的に膨れ上がってて、他の予算がshrinkしてる現状だと、
正直現場の人や、障碍者の人達は報われて欲しいと思うけど、多分そうはならないんだろうなって思う。
どう思う?
数年前貯金でイギリス短期留学してきたけどスイスは渡航経験なし。
普段2ちゃんやがるちゃんで人生に疲れた系のトピ見てることが多いんだけど、スイスいって安楽死したいって人多くて、それじゃ通訳やってみるかなと思った。
外国人を受け入れてるのはDIGNITASってところだけど、イギリスやドイツではスイスまで同行する団体がいるらしい。
もちろん誰でも受け入れてるわけじゃなくて、向こうでかなり慎重な問診や調査があるらしい。
精神疾患は受け入れまでにかなりかかるとかで、本当に死ぬ意思があったかについては十全なチェックは取られてるっぽい。(後述)
懸念は、家族とちゃんと合意取れてないお客さんの依頼を受けたらトラブルに巻き込まれそうということと、関係ない第三者に叩かれそうということ。
それでも検討している理由は、まず需要がありそうだということと、実現できそうだということ。
ただことがことだけに事後にトラブルが発生した場合かなり大きな問題になるだろうし、かと言って「事前に必ず家族の同意を取って下さい」といっても天涯孤独な人とか親類と疎遠な人もいるだろうし悩む。
あるいは家族の同意が取れない人は申し訳ないけどお断りするか。
※DIGNITASによる自殺幇助ができる条件は
死に至る疾患(末期疾患)、および/または
のどれかが必要で、医師の診断書も必要みたいで、精神疾患はNOとは書いてないものの、ほとんど受け入れられないみたい。
Q:精神疾患や心理的問題を抱えています。ディグニタスで自殺幇助を受けられますか?
A:これは非常に難しく、多くの障害を伴う長く複雑な手続きが必要であり、YESと言える保証はありません。(クライアントの)主治医による診断書によります。病気の明確な診断、その原因と経過の説明、試したあらゆる治療法の結果(成功問わず)に加えて、判断力と識別力に関する詳細な精神医学的評価、また精神疾患の症状による希死念慮ではなく、十分に考慮された末の自己決定であることを確認します。
※追記です。
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/56712?page=2
>日本では他人がサポートすることは自殺幇助罪にあたる可能性がある
とのことで、そもそも通訳することだけでも法に抵触している可能性がありそう。
色々調べていくうちに
・ディグニタスが受け入れてくれるのはほぼ末期や回復不能な疾患のみ
・日本では緩和ケアが発達しており上記疾患があっても苦痛を和らげることは可能
とわかって、最終的に「これクリアしてる人って緩和ケアと尊厳死でいいのでは…?」という思いになった。
歳を取るたびに人生が負債になってきて、いずれ動けなくなった時、財源の乏しくなった日本で公的扶助が受けられるかもわからず野垂れ死ぬのを恐れている人にとっての心のお守りみたいなものにはなりえないんだな。
それにたとえこの条件をクリアしても、医師や団体による対話でちゃんと伝わるよう訳せなかった場合、意思疎通の齟齬で結果的に望まない死を選ばされたなんてこともありうる。
がっつり本職にしないと回っていかない気がする。
残念だけど
・幇助を受けられる層が限られている。
・通訳とはいえかなり責任が重い。依頼者の考えてることが不明瞭な場合うまく訳せないかもしれず面接までによくよく意識をすり合わせておかなくてはならない。それでも伝えきれず幇助が果たされた場合法に触れる可能性もある。
本人は辛いのかもしれないけどさ
ブコメは色んな人が見に来るところじゃん
安楽死を望む人ばかりじゃないんだよ
あんまり関係ない話題のブコメでも「安楽死制度を望む」みたいなブコメつけるのやめーや
安楽死に関係するところなら安楽死の話をすればいいし、安楽死したい本人の意思だって尊重してやるよ。
だがな、カジュアルに「生きるのだるい」くらいのノリの「死にたい」の言い換えに「安楽死制度」とか言うなよ。
つーか本当にどうでもいいところで「死にたい」とか書かれても見ちゃった人はいい気分じゃないだろ。
何で気軽にはてブやってて他人の希死念慮見せつけられなきゃならないんだよ。
非表示にしても感化された仲間が湧いてきてるしな。
男。
独身。
童貞。
もう40代が見えてる。
正社員。
実家住み。
道連れが欲しいのだろうか。
あれは復讐なんだろうか。
今まで、生まれ落ちた時の勢いの、その惰性だけで生きてきた。
生きてる意味とか生まれた意味とか、そういうのを考えたこともない。
というかどうでもいい。
冒頭に書いた通り、もはや友達はいないに等しいが、そもそも寂しいと思ったことがない。
家族仲がいいのは事実だし、ほぼ常にそばにいるからそう思うのだと思うかもしれないが、仕事の都合でしばらく一人暮らししていた際も、友達も恋人も家族もいない中で、淡々と生きてきた。
例えばいまぱったりと息絶えたとして、後悔しないかと問われれば、後悔はする。
買っただけで積んである本とか漫画とか、できれば完結まで見届けたい作品とか、そういうのがあるから。
逆に言うと、その程度しかない。
せっかく産んでもらったから、と思うくらいには恵まれているので、両親が死ぬまでは生きていようとは思うが、ついぞ孤立無援となったら、尊厳死を選びたい。
今の日本では選べないけど。
だって、本当に守るべきものが無い俺は、別に誰かを殺してから死のうなんて思わないもの。
痛く無い方法で、なるべく他人に迷惑をかけず、ひっそりと消えたい。
きっと無敵の人は、最後まで残った、自分の尊厳、プライド、自分という存在とか、そんな感じのものが消えるのが嫌なんだと思う。
前途ある人を殺すことが、なんでそれらを守ることに繋がるのかはいまいちよくわかんないんだけど、きっとそうやってターゲットにする人を一人でも多く殺すことが、自分が満足して死ねる唯一の手段なんだろう。
そうか、満足か。
俺はもう満足してるんだ、きっと。
無敵の人やその予備軍には、誰かを殺すこと以外の満足できる方法を探してあげればいい、きっと一人でひっそりと消えていくことだろう。
あなたのおっしゃる通り、全ての患者に維持透析をするわけではありません。
あくまで患者さん本人の意思によって、透析導入にするかしないかを決めますが、ほとんどの高齢者は透析したらどうなるかをまるで知らないよね。
食事制限から水分制限、各種合併症等等、年を重ねていくごとにどんどん衰弱していくのが人工透析患者の実態。
だから超高齢者には非導入の選択肢だってあるし、若年労働者世代にだって、非導入の選択肢があっても良い。
問題は、いちど透析の導入してしまったら死ぬまでやめられないと言うこと、その後様々な合併症などで年々苦しみが絶え間なく続くということ。
ーこういったことをあらかじめ、腎臓内科医がしっかりと伝えないのが、一番、問題視されるところ。移植すら教えない医師もいますよ。
心臓も肝臓も末期状態になればいずれの死に至ります。でも腎臓は透析があるから「生き永らえるよ」といった簡単な説明だけで透析導入していく医師たちの多いこと。
心臓も肝臓も腎臓も、移植ができなければ、結局は「人間はいずれ死に至る」んですよ。
苦しみ続ける患者さんを無理やり維持透析させ続けることほど、残酷なことはありませんよ。
医師も理解しているくせに、製薬会社や医療品メーカーなどと「透析利権」の関係があるからなかなか「尊厳死」を告げられないんだよね。
つまりインフォームド・コンセントがなっていない。
患者さんの意思を尊重してこその医療だと思います。それができていないのが日本。
その通りだと思います。
日本の透析医療は透析利権と結びついて、病院側と製薬会社、医療機器メーカーなどとのズブズブの関係で、異常ですもの。
医師が、患者さんの「その後の生活がどうなろうと関係なく、どんどん透析に誘導してゆく」のが日本。
生体腎移植ですら、なかなか進まず、欧米諸国と比較しても、腎不全に関しては明らかに医療後進国なのが日本。
腎臓関係の学会論文やシンポジウム、講演の資料などpdfでも色々でてくるから、誰でも理解できますよね。
脳死腎移植は多くて年間100件程度。これでは33万人もいる透析患者は救われませんね。
生体腎移植はドナーの定義が決まっているから、60歳以上の人からは健康な成人であってもドナーにはなれません。
今だからこそ、もう透析を中止したい=自分の命を「死」と受け入れた覚悟のできた患者さんには、尊厳死を認めるべきだと思います。
人工呼吸も胃ろうも本人の意思でやめられて、尊厳死=自然死に行き着くのに、腎不全患者だけは透析があるからって、尊厳死が認められないおかしいですよね。
透析中止の緩和医療もこれからは、全国の医療機関で、本人の強い希望があれば行われるべきです。
https://medical.nikkeibp.co.jp/inc/mem/pub/report/t308/201803/555278.html (透析中止後の呼吸困難は「瀉血」で緩和できる)
いつ何時でも、医療側が患者の生死を決めるのではなく、患者自身が自分の人生を決めるのが、患者の意思を尊重したこれからの医療の責務ではないかと思います。
完治できない病であるならば、患者の苦痛を緩和し、残された時間の間、患者が苦しまずに自然死へと導いてゆく「緩和ケア」も、これからは対応してゆくべき!
2019年3月に公立福生病院における透析中止により、透析患者さんが亡くなった問題が、毎日新聞を発端として報道され、社会的に大きな問題になりました。
でも、これは「事件」ではありません。日常的にどこでも起こりうる事態で、おおげさにゴシップを躍らせたにすぎません。
報道によると、患者さん本人の「透析を中止したい」と言う意思表示があったものの、呼吸困難などが出始めてから「こんなに苦しいなら、透析をまたやろうかな」と
言う発言が見られたと言うことです。
しかし、患者さんの状態が悪く、長期留置型カテーテルしか方法がないことを話されると、それは拒み、今現在の苦しみ、辛さを取り除いて欲しいと言う選択肢を
とったと言うことでした。これはつまり、透析はしたくないけれど、今現在の呼吸苦、尿毒症状の不快感をなんとかして欲しいと言う意味に当たります。
つまり”尊厳死を意味するもの”として解釈してよいと判断できます。
長期留置型カテーテル(画像参照)=これは流石に私も拒みます。
生きた心地がしませんし、日常生活もかなり制限されますものね…。
何より怖いです…。
〜もし、皆さんが、同じ立場であれば、どうしますか?よ〜く考えてみてください。
今回の件では、旦那さん同伴の元に同意書にサインしたのであるから、病院側の落ち度はなかったことになります。
また、病院側はそれ以前に、生体腎移植も提案されており、患者さん本人も希望されていたとのことですが、こうした一連の経緯さえ報じていません。
毎日新聞をはじめとする又聞きで追随した新聞社、各種メディアも、 しっかりとした裏付けも取らず、いかに断片的な報道しかしていなかったと言うことなります。
私自身も腎不全患者として直接、お話をじっくりお聞きしておりますが、新聞社の偏向報道にはあきれ返りました。
病院側はしっかりと手順を踏んで、よくよく説明したうえで、同意書にサインしたにも関わらず、一部を切り取ったような記事により、社会的に批判され、悪者扱いになってしまっていると言う内容に、個人的に違和感を抱きました。
https://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/report/t332/201904/560717.html
透析患者サイドから見ると、これはちゃんと患者さんの意思を尊重し、苦しみから解放して本人の意思としての「緩和ケア」を受け入れた病院側の大英断と私は思います。
一部の無知な人たちが、この記事をいまだに「事件」として取り上げ、誹謗中傷している記事も見受けられます。透析の「と」の字も知らない一般人でしょうね。
また、維持透析専門のクリニックでインタビューをしていたニュースもありました。
こうした都心のクリニックに通院される方々は大抵、労働者層世代が多いです。
透析における恐ろしい合併症等がまだ出ていない透析導入して数年程度の方々でしょうね。
透析導入から数年は、威勢のいい声を張り上げることは可能ですが、10年、15年、20年と時を重ねるにつれ、様々な合併症が出てくると、、、、、
多分、何も言えなくなるでしょう。
中には、透析のおかげで健康になったとか、食事管理ができるようになったとか、都合のいいことばかり書いている患者のブログは読むに値しませんのでご注意を。
くりかえしいうけど安楽死は安楽他殺(事前意思表示があっても他殺かよくて自殺幇助)
尊厳死は尊厳がなくなったから死亡認定して機械をとめる他殺(事前意思表示があっても他殺かよくて自殺幇助)
裁判で「死にたくてやったんだからさっさと殺してくれ」という死刑囚でさえ殺すのに賛否あるんだからそっちを先に解消しなよ
新しく汚れ仕事をつくるのなら誰をそれに就けるかよくかんがえてからしゃべりなよ