はてなキーワード: 尊厳死とは
https://president.jp/articles/-/28042?display=b
これも殺人罪といわれているが、しかも医者は安楽死のつもりで患者の方は苦しんで死んでる。
仮にこの記事のタイトルが殺人罪でなく自殺幇助罪でないのか?という記事であっても
国民が合意して法律をちゃんと改正させ、苦しまない死に方とはどういうものか定義までしないことには
医者というプロの手によりますます安楽死がとおざけられるだけです。
簡単に安楽死(=プロによる苦しまない他殺をうける)を口にし望まないこと。
望むなら望むでしっかり最後まで政治に働きかけないといけない。
無知な国民は長谷川豊(金がかかるから透析禁止と書いたブログで炎上)みたいな無知な政治家を増長させるだけ。
追記 どうせ増田は上のリンク先よまないから定義部分だけでも転記しておくね
死が迫る終末期において、延命治療を中止し、自然な死を迎える方法もある。「尊厳死」と呼ばれる死である。
尊厳死は医学界で常識である。日本老齢医学会は2012年に「胃ろう」を止めるための指針をまとめ、日本救急医学会も2007年に一定の条件下でのレスピレーター(人工呼吸器)などの生命維持装置の取り外しを提言している。
今回の公立福生病院の事件は、こうした医学界の考え方と大きくかけ離れている。病院が終末期医療や尊厳死の在り方を自分勝手に、都合よく判断した結果、透析患者の命を奪ってしまったのではないだろうか。沙鴎一歩はそう考える。
尊厳死と混同されがちなものとして、「安楽死」という言葉がある。
1995年3月、横浜地裁が東海大安楽死事件の判決で安楽死の3つのタイプ(積極的安楽死、間接的安楽死、消極的安楽死)を示している。東海大安楽死事件とは、東海大付属病院で末期がんの患者に医師が塩化カリウムを注射して死亡させた事件で、安楽死の問題が初めて司法の場で大きく問われた。判決後、医師の殺人罪(執行猶予付き)が確定している。
病院で目覚める見込みのない患者は医者から「延命治療しますか(見殺しにしますか?)」という選択肢を投げかけられるのは一度延命してしまうと自然に死ぬのを待つ以外は放置も尊厳死も罪に問われるからなわけで。
安楽死は生きるだけで発生する苦痛から逃れるための死です。ガンのターミナルケアではモルヒネなどで苦痛緩和しますが、苦痛が強すぎるとモルヒネを使おうが使うまいが正常な意識が保てません。自己判断でこの体はダメだとおもったら体に意識をつなぎとめることをやめていい制度「安楽死」は日本にはありません。体力などの状況的に自殺できない状況で回復しない苦痛におちいったら詰んでます。
尊厳死(オランダ版)は人としての尊厳がすべてなくなったからすでに死んだ(ここにあるのは生ける屍)と認め、肉体をそれ以上生かしておくことはやめるということです。本人は植物状態など判断が下せない状態なので自己判断はできず他人が判断を行います。もちろん少しでも口が利けるなら安楽死か生存ルートとおもいます。
尊厳死(日本版)は尊厳があるうちに死んで仏様になることなので実際はたいてい安楽死のことをさしています。日本の制度では尊厳がなくなる前に指示書を書ける人なら安楽死(自己判断)っぽい尊厳死(他人判断)を迎えられる可能性がありますが、結局はそれが守られるかは病院にきて同意書を書く家族の理解度次第な気もします。
なにかあれば自己責任
成功しますよ。招致した段階で成功まで確定です。テロが起きれば話は別ですが。
もともと上げるとしていたものを先延ばしにしてあげているだけですね。政府の皆さんには、夏休みの宿題を先延ばしにしてもいいことなんて何一つないと進言したい。
あなたが貰えることはないと思いますよ。あと30年ぐらいはあるかも知れませんが、国民に少子化を解決する意志が見られないので、細々と運用するぐらいならスッパリと辞めてしまえばいいでしょう。
尊厳死は議論に値しますが。いつでも誰でも楽に死ねるという権利はないでしょうね。
更に子供がいたら昨今の学校での問題(教育方法の是非、組体操、エアコン、警察の不介入、PTA等々)もあるし、明らかに不幸でしょ。
とりあえずはてな的には子持ちの家庭は千葉市にだけは住まないということでコンセンサスが得られたようですよ。
子供の命に予算を割けられない弱小自治体は市場原理に従って粛々と淘汰されるといいですね。