はてなキーワード: 健全とは
リアルと連動させても有害にならない程度のランダム性に、徹底的に抑えられてるって話を2つ上でした。
しかも、日本政府よりはるかに厳しい目でゲーム市場を見ている中国下で作られている課金モデルだ。健全さはお墨付きだろう。
そして、好むと好まざるとにかかわらず、心理学的特徴として、人間ってのは分かりきった道よりも、驚きのある道のほうがモチベーションを保てるんだよ。
保つ価値のない方向(ゴミゲー)へ向けてモチベーションを操作されるのは心理の悪用だが
ユーザーの望む方向へ導いてくれるのなら、主観的には驚きを含むが数値的に見ればランダム性はさほどない、って形は、もっともスマートで穏当な提示の仕方だろう。
実際のプレイヤーの中にも、定額でキャラ売ってくれって人はそこそこいると思う。
でも、実際にそれをやったら、なんだかときめかなくてゲームへの興味を失ってしまうであろう人数の方が、定額販売だからいって参入してくる人よりも多いだろう。
シビアに現実的な値札を突き付けられるより、無料石による軽減分も含めて、実コストが多少分からないくらいになっていた方が、ゲームをやり込む甲斐があるから。
俺は月額時代からMMOをやっていたし、アイテム課金時代のネトゲも多数触れてきた。
2万円の壮麗な刀を買って無双することもできるし、上位プレイヤーは軒並み買っていたが、ほとんどのユーザーは「そんな払ってまで強くなりたいのかよ」「結局カネで強くなるゲームか」とすこし冷めていく肌感覚があった。
まあ、原神やスターレイルは対人戦のないソロゲーなので事情は異なるが。
それに、ガチャというものを単純化しすぎている。課金キャラを手に入れるためだけのシステムじゃないんだよ。
★4のような副産物のように見えるものにこそ、チームビルドの戦略性の鍵があったりして、他人と同じチームを簡単に再現できない些細なパラメータのバラツキがあるからこそ、
使い分けや有効性の判定のために色々と考える必要が生まれてくる。そうする中でゲームへの理解が深まる。
俺が25年間、オンラインゲームをやり続けていた中で、原神はとりわけ色々なキャラの使い分けを楽しめるゲームだ。
ガチャという課金モデルはそれをまったく妨げていない。実際にプレイしていないと分からない細かい部分によって、ビルドの可能性が調整されているんだ。
配布キャラ縛りでも戦闘メカニズムなどをよく理解して極めればエンドコンテンツまで攻略できるし、ペイ・トゥ・ウィンのような安易な設計にはなっていない。今どきのガチャゲーはだいたいそうだが。
東京都の初の痴漢調査 女性4割超、男性1割に被害経験 | 毎日新聞
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mainichi.jp/articles/20231225/k00/00m/040/225000c
「痴漢に遭ったことがある16~39歳のデータを分析し、電車内で初めて被害を受けた時期を尋ねたところ、有効回答者2009人の半数以上(53・2%)が高校生までに遭遇」
と書いているのに
「高校生の電車通学率が45%なので電車通学する女子の痴漢被害率100%」
(単に読解力が低いのかそれともわざと間違えて分断を煽ろうとしてるの分からないけれど、複数の意見が集まったときにそういった意見が含まれること自体はむしろ健全ではあるけれど、そのアレげな意見が最も支持されるような集団はダメでしょ)
50代後半、バツイチ、子供はいない、親兄弟もいない、複数社経営中でぼっちの小デブおじさんだったけど結婚した。
出会いはガールズバーで、あっちもそれなりにベテランで話が上手くて通うようになった。見た目は橋本環奈を大人っぽくしたような要するに絶世の美女、ガールズバーにはもったいない。元々六本木にいたけど女同士の派閥がいやでやめて移ってきたばかりだったらしい。
でもはっきりいってこちらにしたら娘のようなもので、抱きたいとか付き合いたいより癒されるから会いに行ったり言われるがままにメシに行ったりプレゼント買ってあげたりしてた。妻子もいないしそれこそ娘が結婚となると莫大な金がいるだろうから、それに比べたら安いし喜んでるならどうでも良かった。
ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ
そんな感じで健全なパパ活おじさんライフを送ってた。その間に相手は彼氏が出来たり彼女が出来たり(バイセクシャルだとカミングアウトされた)DVされたり、彼女と3人で食事に行ったり旅行に連れて行ったりした。旅行の時はあちらが2人部屋でこちらがシングルだった。
こちらも彼女らしき人物が出来たりしたり、元嫁の話もしたりそれなりにいい関係だったと思う。
ある時、相手が仕事で揉めた。女同士のいざこざに巻き込まれて相当病んでいた。その時は恋人もいなかったから俺が全部話を聞いていた。ルックスとさっぱりした性格と関西出身の話術でファンの多かった彼女は1店舗任されていたけど、実質彼女のファンの集まりの店でほかの女の子たちは稼ぎに繋がらず不満だったらしい。そしてボイコットを受けて店をやめた。
店の寮に入っていたから家もなくなると相談を受け、とりあえず持ってるマンションの一室に住まわせた。何度も礼を言われ困ってる友人を助けるのは普通だとカッコつけたが、娘ならそうすると思ったからしたことだった。
学校へ行くなら費用を出してやるつもりだったし、なんならうちの会社で働かせて仕事を覚えさせて継いでくれてもいいし、どうせ遺産は国に持っていかれるのだから好きにすればいいと真面目に考えていた。
夜の商売をする女には父親がいない場合が多いが、彼女も例に漏れず父親はおらず母とも疎遠で同じように孤独だった。
そうして俺がカードを渡し、それで生活を賄う彼女が料理を持ってきてくれる本人曰く通い妻になってくれた。
2人で食べる手作りの食事が美味しいとか当たり前のことを数十年ぶりに思い出しながら、俺は今後のことを考えた。
ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ
養子縁組をしようと彼女に持ちかけた。養子縁組になれば財産は全て彼女にいくと真面目に考えてのことだった。
すると彼女はそれなら結婚でよくない?とケロッとした顔で言った。その方が手続きも楽じゃん、らしい。でも恋人が欲しくなったらどうする?と聞けば今みたいに穏やかに暮らすのがいい、人生で今が一番幸せだと言う。
1度も手を握りすらしないまま籍を入れた。流石に何もしないのは可哀想だと思ってハリーウィンストンで好きなのを選べと言ったら遠慮して小さな石を選ぶから倍のものを買ってやった。店員の目が生ぬるかった。
未だにスキンシップも頭を撫でるくらいで何もしてない。彼女は元々性欲も少なく子供も苦手らしい。俺もED気味だしそこに問題はなかった。
彼女は最近今まで持ってなかった運転免許を取りに行っている。一発で取れたらポルシェを買ってあげると言ったから頑張ってるらしい。
「私はいいけど、他の人が傷つくかも知れないから」論法は好きじゃない。
記事の要旨:
「私はいいけど、他のひとが傷つくかもしれないから」論法は(不当な)説得力のドーピングである。
「○○という表現はリスクがある、こういった属性の人が不快に感じるかもだから」という意見は、(不当な)説得力のドーピングではない(意味がある)。
例として、「私自身はハゲとなじられても何も感じませんが、表現自体はリスクがあるように見える」、
したがって、「私はいいけど、表現自体はリスクがあるように見える」という指摘は、(不当な)説得力のドーピングではない。
そのため、本来適切でない「ハゲの例」を引用してしまっている。
論点:
「ほかの人が傷つくかもしれないから」という論証を行うことで、"説得力の添加"を行っており、それが問題なのだ、という点である。
しかし実は、誰かをハゲと表現することは、「私、あなた、もしくは特定の誰か、もしくは不特定の誰か」を前提するまでもなく、リスクある表現であることがわかっている。
したがって、「私はハゲとなじられても何も感じませんが、表現自体はリスクがあるように見えます」という主張は、
"「私はいいけど」論証による説得力の添加"が行われていないことになる。(どこかの禿げた他人を前提せずとも、ハゲなじりは失礼である。)
なんらかの他人を前提せずとも、ハゲなじりはリスクがあるのだから、
もともとの議論で強調されている「なんらかの他人を規定して"説得力を添加"することの是非」の話を無視した例示となっている。
「ある属性の人が不快に感じるかもしれないから、指摘することには意味がある」
実は、ハゲとなじられることに不快感を覚える人は、「実際に禿げている人」にとどまらない。
「今現実に禿げていない人」であっても、もしくは「禿げているかどうかすらわからない不特定多数の人々」を指す上でも、不快感を覚える可能性はある。(というか、高い。)
すると、「現実に、なんらかの属性(ハゲ)を持っている人が実在するかどうか」すら関係がなく、
したがって、「ある属性の人が不快に感じるかもしれないから、ハゲなじりの不適切性を指摘しますね。」という説明は、
その論証が"「誰かを規定する手法に基づく説得力」の添加が成されていない(ハゲなじりはその属性を持つ対象が実在していなくても成り立つ)"がゆえに、「私はいいけど」論法の擁護になっていない、と言える。
まとめると、
誰かをハゲとなじるのは、特定の誰かであろうが、不特定の誰かであろうが、
また、禿げた何者かが実在するかどうかにすら無関係に、失礼で、リスクある表現である。
これは、「○○論証により、ハゲなじりはリスクがあることが分かる。したがって○○論証は(リスクを論ずる上で)健全な論証である。」と言ってるのと変わらない。
「ディズニーランド論法」、「(私はいいけど)ディズニーランドが好きな人が不快に思うかもしれない表現は慎むべきだろ!」という論法においては、
「不特定の対象」を規定することで、"説得力の添加"を行っており、そのような論証は本来濫用されるべきではない(と元記事は主張する)。
一方、「ハゲなじり論法」、「私はハゲとなじられても何も感じませんが、表現自体にはリスクがあると指摘します」という論法においては、
私はいいけど論法の問題点である"何者かを想定することに基づく説得力の添加"が実質なされておらず、私はいいけど論法の擁護になっていない。
●全国民は国のために勤勉に働き納税し子を産み育て国に貢献することを義務化
●西暦を使うことを固く禁じる、違反者は逮捕、古来から続く元号のみ使用可能とする
●家における洋室を撤廃、全て部屋を伝統的な和室にし、トイレは昔ながらの和式便所にする
●女々しく弱い男は日本男児ではないのでリンチにしてもよし罪に問われない
●女は働くことを禁じる、家庭で飯炊き業務と子を産むことに専念
●成人した男女は国が行う大規模お見合い事業において婚約し、日本武道館で合同結婚式を行う、女は男から選ばれたら断ることは許されない
●男の浮気は男らしいので良しとする
●なお女の浮気は死刑とする、あばずれは相応の報いを受けるべし
●男は女を守り、女は男を立てるよう徹底し理想的な家族になるよう努める
●教育現場における体罰を積極導入、子供たちが道を違えないよう厳しく愛を込めた指導を行い健全な日本男児女児を育成する
●会社においては年功序列、上司の命令には絶対服従、部下はジョッキにドレッシングを入れられたら飲み干し、上司の革靴にビールを注がれたら喜んで飲み干し、上司が小便大便をしたら歓喜して食す
●テレビは民放を廃止、国営放送たるNHKのみの独占放送、愛国放送をする
●日本国軍を設立、20〜50歳の全国民男性を徴兵し10年間の兵役を課す
●朝鮮と中国に対して宣戦布告、勝利し日本国の植民地として支配する、朝鮮人とシナ人は成人男と老人は殺処分し女子供は奴隷にし労働力として有効活用する
●さらに東南アジアへと侵攻し、大東亜共栄圏の再構築、アジアにおける日本の地位を確たるものとする
●音楽、美術その他文化的な活動は国を扇動する危険性をはらんでいるので一切を禁止とする
●在日外国人を強制送還させる、従わないものは入管にぶち込みいたぶり殺す
●外国人の帰化を一切禁止、既に帰化している外国人は国へ強制送還
●純日本人のみの国家にするためにハーフやクォーターなど外国の血が混じってる者は即国外追放
●パンやケーキなどのメリケン粉を使った食品を徹底排除、古き良き米と味噌汁のみを摂取し健康で逞しい国民になるよう努める
●肉や魚などの加熱調理を禁止、日本人は生で肉を喰らうことができる消化酵素を持つ世界的にも稀有な民族なので健康的な生食を推奨、食中毒になるものは気合いと根性が足りないので懲役刑とする
●和製英語の禁止、カナカナ言葉を使った者は罰金→例として野球のストライクは「良し」ボールは「悪し」など
●国外からの輸入を全廃止、食物は全て国産でまかなうようにする
●車、家電その他の嗜好品は国産の物のみ購入可能、外国産製品を購入する者は国のためにお金を落とさない非国民と認定し逮捕
●天皇誕生日には皆で皇居の方を向き一日中陛下への祝福と感謝の意を込めて万歳をする
●ひきこもり、ニートなど国や社会のためにならない穀潰し共を強制労働施設へと放り込み終身労働させる
●20歳を過ぎて実家にいる男は許さない、家を出て自立した立派な日本男児になるよう強制
●女は20歳過ぎても実家にいて良い、飯炊きなどの花嫁修行に努めるべし
言論の自由は、個々の意見やアイデンティティを尊重し、異なる視点や意見が存在する中で社会が豊かに発展するための基盤である。
しかし、検閲や監視によってその基盤が揺らぎ、言論の自由が侵害されることは、個人の権利を奪い、社会全体の進歩を阻害する。
中国が言論の自由を制約し、市民の発言や表現を監視し、統制しようとしていることに対して、反面教師にすることは重要である。
表現の多様性が尊重されず、異なる意見が抑圧されると、社会は偏狭で閉鎖的なものとなり、真の進歩は望めない。
中国政府は、情報の流れを制限し、市民が自分の意見を自由に表現できる場を奪っている。
メディアやインターネットを通じた監視が行われ、積極的に検閲が行われている現実は、個人のプライバシーを侵害し、自己表現の自由を奪っている。
言論の自由を尊重することは、個人の権利を守り、社会全体をより開かれたものにするための基本的な価値観である。
日本政府には、市民の権利を尊重し、異なる意見や表現を容認する道を選ぶことが求められるだろう。
自由な発言が制約され、表現の幅が狭められると、社会は停滞し、個人と社会全体が成長する機会が奪われることになる。
我々は日本政府に対し、言論の自由を尊重し、市民が自由に表現できる社会を築くよう要求すべきだ。
真の進歩と繁栄は、異なる意見が存在し、多様な対話が行われる中で初めて実現されるものであり、それが健全な社会の基盤である。
車、家の近所の近距離で週1回ほど乗っているが、点検してもらったら「バッテリが弱ってますねぇ、もっと乗らないとダメです」と怒られてしまった。
ドライブというものは嫌いだったけども、日常生活の大切な道具としての車を健全に維持するためには、月イチとかでも良いから、もっと長距離を走らないとダメらしい。
増田はドライブの良い感じの目的地なんて全く知らないので、以下の要件の大半を満たすような場所があったら教えて欲しい。