はてなキーワード: メンタルクリニックとは
20代の頃から働くのが本当に辛かったのだが、30を過ぎてからどうにもならなくなって、もうずっと安楽死したいと思っている。
自分の辛さは「他の人は1時間で10のことができるのに、自分は0.1くらいしかできない」ことに由来する。
周りからも邪魔だと思われているのは伝わってくるけれど、こんな人間でも生きるには働くしかなくて、そのことに絶望して夜通し泣いたり一睡もできず翌日を迎えて、
ただでさえクソなパフォーマンスが更にクソになるというループに陥っている。
「転職すればいい」、「メンタルクリニックに行け」、という言葉を信じて転職は2回したし、メンタルにも行ったけど何も変わらなかった。
「せめて1時間で1のことができるようになりたい」と思って勉強もしたが、自分が勉強する速度が職場で必要になる知識の増加量に追いつかない。
年収xx万以下で暮らす方法や働かずにすむ方法に関する本も読んだが、運が良かった、もしくはその運を掴むだけの才能がある強者の言葉だった。
どうあがいても自分がこの社会で普通に生きていけるとは思えない。
自分みたいな無能は働かないほうが社会にとってもプラスのはずなのに、社会はそれを許さない。
こんな人間なので自殺にも失敗してしまった。死ぬというのはとてもむずかしいことで、それをやり遂げた人の覚悟は想像を絶するし、
どうにもならなくて電車に飛び込むしかなかった人たちのことを思うと胸が痛くなる。
自分と、自分と同じ辛さを持つ人がせめて穏やかに生きられる社会になってほしくて選挙には行った。小選挙区も比例も自民党には入れなかった。
でも結局何も変わらなかった。そんな日に京王線の事件があって、あれは一歩踏み誤ってしまった自分なのだと思わずにいられなかった。
別に死にたいわけじゃない。けど生きて行くには働くしかなく、働くのは死ぬほど辛いので死ぬしかない。
毎月死なない程度の金はやるから社会に出るな、命を大事にしろと言われたら喜んでそうする。
だがこの国はそんなことをしてくれないし、きっとこの先もしないであろうことは先の選挙が証明した。
今は死にたいなんて思っていない人でも、いざというとき自分で自分を終わらせる選択ができるというのはきっとお守りになるはずだ。
自分もいざ安楽死ができるようになったら、貯金を使い切って思い切り楽しんで死ぬつもりだ。なんと幸せなことだろう。
誰も損をすると思えない。一刻も早く国が安楽死を認めるのを願ってやまない。
会社のカウンセリングを受けて、やはり自分は心療内科に行ったほうがいい状態なんだなぁとぼんやり思った。
その頃、たまたまTwitterで適応障害という病気を知り、色々とインターネットで調べたり、心療内科のウェブサイトとかにある簡易的なうつ病診断をしたり、本を買って読んだりした(「なんで私が適応障害!?」という本は漫画で読みやすかった)
自分は病院にかかるほど深刻ではないという気持ちと、診断書が出れば休めるんだ(休みたい)という気持ちでせめぎ合っていた。
この頃のツイートを見ると「会社辞めたい」といったネガティブな内容のものが続いている。
カウンセリングを受けてから数日後、ずっしりと体の重い状態は続き、ついには朝起きた時に胃がキリキリと痛むようになった。
もういい加減限界だと思い、心療内科の予約を取った。明日すぐに診てくれるようなところはなかなか見つからず(初診は大体二週間後くらい)、ネットで家から近い病院を順番に検索して、翌週予約が取れるところをなんとか見つけ予約を取った。こんなに心療内科に通っている人がいるんだなぁと思った。
ただ、胃痛はひょっとしたら心理的なものではなくて内科的なものかもと思い、念の為内科にも行ってみた。
かかりつけの内科に行って問診票に「夜は眠れているか」「不安な気持ちはあるか」という項目ほぼ全てにチェックをしたら「心療内科に行ったほうがいい」という診断が下された。(一応診察もしてはくれた)
内科での診察中もボロボロと涙を流していて、気持ちを落ち着けるために別室に案内されたほどだった。今思い返すと全く正常ではない状態なのだが、当時の自分はこれでも大したことはないと思っていた。
内科に行ったものの薬などを処方されたわけでもないので胃痛は治らなかった。2日後くらいに起きようとするとキリキリと痛むので、もう休もうと思い「腹痛がひどいので午前半休で病院に行きます」と上司に連絡。「お大事に、無理せずに全休でもいいですよ」と返信が来た。メールを送ると胃痛はすっと消え、気持ちが楽になった。病院に行くというのは嘘なので、午前中ゆっくりと過ごした。突発休をすることで、休職に向けた布石を打つ狙いも少しあった。
こうして第三者たちに病院に行ったほうがいいと再三言われ、緊張しながら心療内科に向かった。
問診票には先日内科で記載したような確認項目があり、ほぼ全てに当てはまっていた。
病院によって違うかもしれないが、初診時は心理士がまず出てきて、具体的な症状やきっかけなどをヒアリングされた。もう症状を話すのは3回目なのでだいぶまとまった話ができたのではないかと思う。また、どうしてそのような症状が出たのか、何がきっかけだったのかという話も詳細に話す必要があった。ずるずるに涙と鼻水を流しながら状況を話した。その内容がきれいにまとめられ、医師のもとへデータで送られた。最後に「今後どうしたいですか?」と聞かれた。社内カウンセラーにも聞かれたので、テンプレなのかもしれない。「もうどうしたいのかわかりません。何もしたいことが浮かばないんです」と答えた。
次に診察室に呼ばれ、ずるべたに泣きながら、医師に症状を話した。朝起きられないこと、ジムに行ったときに大泣きしてしまったこと、突発的に壁を殴ったり、明日仕事をするためだけに無理して眠っていること、胸のあたりがざわざわすること、部屋は荒れ、掃除や片付けをする気力もないこと。
「適応障害か軽度うつかなぁ〜、、うーん、適応障害にしとくか。とりあえず休職1ヶ月で診断書出しときますね」と、なんとも軽い感じで診断書が発行された。
「とりあえず休んでください。休めば絶対良くなりますから。休んだらもう仕事できなくなるんじゃってみなさん心配されますけどそんなことないですから。全然普通に仕事できますから。今仕事するために生きてるでしょう、普通逆ですから」
「気持ちを落ち着ける薬を出しますので、きちんと飲んでください。食事は取れてますか?」
「食欲はあるんですが、準備するのができなくて…」
「カップ麺とかでもいいですから食べてください。今デリバリーもあるし、みんな使ってますよ」
「デリバリーもたまに頼むんですけど、自分みたいな人間が、こんな贅沢していいのかって気持ちになるんです」
「そんないいもん食ってんの?!1000円とか2000円くらいでしょ?」
この世に何も生み出していないのにデリバリーや外食で1000円も超えて食事を取るなんて贅沢だ、こんな贅沢をしてごめんなさいと本気で思っていた。普通なら、自分の稼いだ給料で美味しいご飯を食べたら美味しいなぁ、幸せだなぁと思うはずなのだ。
「あとはとにかくダラダラしてください。やりたいことだけやって、やりたくないことは何もやらなくていいですから。自炊も掃除もしなくていいですから。あと、ちょっと元気になってくるといきなり自殺したりする人とかいるんで死んだりしないでくださいね。ジムとか絶対無理なんで、家でゆっくりしてください」
えらく軽いノリの医者だったが、すんなりと診断書と処方箋を出してもらいその日の診察は終わった。
時間にして30分くらいだったが診察室を出ると待ちが発生していて、予定より随分と長く時間をとってしまったようだ(コロナの影響もあり、完全予約制で基本は待ちが出ないようになっている)
一週間後に再診の予約を取って病院を後にした。
もともと休日に受診していたので、その日は休みで、明日上司にどうやって連絡しようと考えていた。
「休職 メール 書き方」とかで検索した。(Google先生はなんでも教えてくれる)
このサイトが一番参考になった。
初めて休職される方へ。適応障害の治療の流れについて解説します(メール例文つき) | 早稲田メンタルクリニック
翌日、とりあえず勤務開始して、人事規約などを読んで休職のルールを確認しつつ、上司にメールを送った。
メールしたのち電話でも話して、実際の体調はどういう状態なのか、医者にどのように言われたかなどを報告した。上司からは診断書の提出方法などを指示されて、療養に専念するようにと言われた。
その日のうちに関係者には休職する旨を伝え、引き継ぎ事項などを済ませた。もともとパフォーマンスの悪さゆえに抱えているものも少なく、連絡を終えてみて「全然仕事してないな、いなくてもいい存在だな」と思ってまた落ち込んだ。
薬のおかげか、休むことができた安心感か、ずっと胸のあたりがざわざわしていた感覚も、頭の中が不安や焦りの感情でごちゃごちゃになっていたのも少し落ち着いた。
上司から休職の手引きのようなものがメールで送られてきたが、とても目を通すことができなかった。とりあえずPCを閉じて横になった。
翌日、目覚ましをかけずに眠ったが普段と同じくらいの時間に目が覚めた。ただ、いつもはそこから起き上がることができなかったのに、もう会社に行かなくていいんだ(もともと在宅勤務だが)と思うとホッとして、すんなり起き上がることができた。
テレビをつけてみるがごちゃごちゃとうるさくてすぐに消した。ゆっくりと身支度をして、ぼーっとしていた。
Twitterで適応障害で検索して自分と同じ症状の人を探した。そしてどのくらいで復帰したのかなどをずっと調べていた。
ちょうど自分と近い時期に発症した適応障害と診断されまして… vol.1 - 霏々 というブログを見つけて読み耽っていた。
休めて嬉しいという気持ちよりはついに休んでしまったという気持ちと、もう自分はだめなのかもしれないという気持ちが強かった。今までバリバリ働いていたので、人生終わったかのような気持ちになった。
Twitterを眺めながら気づいたら眠っていて、夕方に目が覚めた。とりあえず何か食べるかと思い起き上がる。外に買いに行く気力はないのでデリバリーにはめちゃくちゃお世話になった。医者から食べていいと言ってもらえたおかげで、罪悪感は薄まっていた。
つづく→適応障害と診断されてからの記録③
・真面目な性格
・昔あった嫌な出来事を反芻して動けなくなる
・初対面の人への警戒心が強い
・朝起きれない
・やる気が出ない
・悲観的
・他人に攻撃的※口には出さないけど脳内で必要以上に罵ってしまう
・心を許した身近な人間にはひどい態度をとってしまう(わざと傷つける、試すような行動、キレる)
・やや死にたい(でもそこまでの度胸はなく、ただ消えてしまいたい気持ち)
・片付けがままならない
性格の問題だと思い続けて、でもとうとう身近な人に病院に行ったほうがいいと言われた。
これ病名つきますかね。
書いておいてなんだけどこんなのみんな普通によくあることだよねきっと。
メンタルクリニックのレビュー見てたら行くの怖くなっちゃった「それは甘えです」とか言われてしまいそうで。
小さい頃両親は喧嘩が多くよく壁に穴が空いてました。中学は人が怖くなって不登校の時期がありました。高校大学のときはよく泣いてました。自分の顔が本当に嫌で。
でもなんとなく、なんとなく何らかの脳内物質の伝達がわるいとか、分泌が人より少ないとか、そういうのな気もする。その場合薬で治るだろうか。
そうなんだよね。メンタルクリニックの診療費も薬もすごく高い。なにか目の前で処置してくれるわけでも、すぐに効き目がある治療が受けられるわけでもない。自分で効いてる自覚がないから余計高く感じる…
実生活で困ってるのは事実だけど、あんまり合わないなと思う薬もプラセボ効果に期待してお守りぐらいの気持ちで飲んでる…飲まないと不安障害が出るし…
朝起きてどうしても動けなくて、メンタルクリニックにキャンセルの電話する時は自分がこの世で1番惨めに感じたりするよね…
ベッドの上or床で転がって身体は動かないし心も重いし「なんで自分はこんななんだろう」と意味のないことばかり考えてしまう…相変わらず行動はできない…
気休めだけど、私はメンタルクリニックの予約を美容院やマツパと一緒に予約して、外からも内からも自分のコンディションを整える日にしてる(カウンセリングがあんまり意味ないなと思ってもね)
治ることは無いのかもだけど、いつか病院に行かなくても良くなって、薬も飲まなくていいようになりたい…
なんとか少しでも楽しく生きられるように工夫して頑張りすぎずにがんばろうね。
みてる人いないとおもうけど、もし同じ状況のひとがいたら届いたら嬉しいから書く。
半鬱みたいになって人生消化試合みたいにジメジメすごしつつ、一縷の望みをかけてメンタルクリニックにいった。
結論からいうと、ものすごく薬がきいて、若い頃のようなエネルギー、楽しいことを楽しいと思える気持ちが蘇った。
前のダイアリーにあるように何をしても盛り上がりきれなかったり悲観的な考えばかりうかぶので
簡単なテストした結果、鬱ではなくADHDからくる症状が問題だろうとのことで投薬をためした。
常に重だるかった体は軽くなり、四六時中なやまされた眠気は消えて、ネガティブな考えは抑制され、面白いと心から思える若い頃の感覚がもどってきた。
ADHDは脳内のドーパミンが健康な人より制御がうまくないので、そこを薬で補っているらしい。
薬は万人に効くわけではないが、もし同じように苦しんでいるひとがいたら、勇気をだして試してみると苦しい気持ちが変わるかもしれない。
母に姉ちゃんから話してみてくれーって言われたんだけど、何を言えばいいんだろう?普段そんな話さないし。
弟は頭がいいし、就活しなきゃいけないことくらい分かっているはず。
高校は私の行っていた所のワンランク上だったし、浪人して名の知れた大学に進学した。
進学後も学部?学科?の特待生に選ばれたり、国家資格を取ったりしていた(と聞いた)。
私は大学進学と同時に実家を出たから、よくて中学・高校までの弟のことしか知らない。が、学校や部活は休まず行っていたし、友達も普通に多かったと思う。彼女なんかも確か居たんじゃないかな。
最近だとキャンプとか釣りとかにハマっていたらしいし、そういう明るい方面の友達も居たってことだろう。私自身は普通の根暗ジャニオタだから、少し羨ましく思っていたところがある。
3月に実家に帰った時はリクスーを着て朝出かけていくのを見たから、その時は就活をやっていたっぽい。面接を受けたという話も少しだけした。
母が言うには「やりたいことが何もないから、何もできない」「働くことに意義を見出せない」ってなってるらしい。まあたしかに弟には少し無気力というか悪い意味で飄々としてる感じはあったかもしれない。ゼミの教授やらハローワークやら大学の就職支援課の所に行ってみたらしいが、「やりたいことをやれ」と言われるだけで何も意味はなかった、と弟は言っているらしい。私は就職課を頼りまくった経験があるから、そんなことはないと思うのだけれど。大学によって違うのかな?
そういえば、私が就職した時に「姉ちゃんは凄いよな〜」ってケーキ買ってくれたことを思い出した。そんなことねーよ…って思ってたけど、あれってもしかして自分が働きたくないから言っていたことなのかな。そうだとしたら、無理やり働かせるのも酷な話だとは思う。まあけど、弟がニートってのもなかなか辛い。別にいいんだけどね。
このままだと母と父が悲しむよ、と言うことが一番最初に浮かんだけれど、そんなことは弟も分かっているだろう。ていうか既に誰かに言われていると思う。国家資格を取得したならその職業に就けばいいとは思うが、きっと面接で駄目だったりしたんだろう。母からの情報が断片的すぎてよく分からないが、かと言って弟本人に聞くってわけにもいかない。単純にめんどい。
とはいえ弟のことは嫌いではないし、むしろ心の中では可愛がっているから、どうにかなるならどうにかしてあげたい。就活に起因する心の病気なのだとしたら受診を勧めたりすればいいんだろうが、実際の様子を見てないから何とも言えない。
どうすべきかな〜!うーん悩む……。
ーーーーーーーー追記ーーーーーーーー
お姉ちゃんいっちょやったりますよーって感じて弟に電話してみた。3回かけたら出た。声とかはやつれてる感じもなく普通だった。睡眠は怪しいがご飯はちゃんと食べているらしい。
で、就活は30社くらい受けて全て落ちたらしい。大手病ってわけでもなく地元の普通の中小も落ちたと。
どうやら普通の企業の求めてる人物像が自分からかけ離れすぎてて嫌になってるらしい。説明会や面接でキラキラしたことを言われると辟易してしまうらしい。そこは頑張って笑顔取り繕って合わせろよ、って言いかけたけどやめた。30社も受けてればそれくらいの対策は試みただろうから。
ゼミの教授や相談した人からは軽めな性格やら人格の否定と「そんなんじゃ働いていけないよ」「働かなくてもいいんじゃないか?」「あなたの哲学はどうでもいいから働きなさい」というお言葉を頂いたらしい。弟はそんなに酷い奴だとは思わないのだが。
夢とか目標は何もないんだって。大学も別に行く気はなくて進学校の周りに流されて行っただけで、やりたいことがあったわけでもない。たまたま今まで運が良かっただけで、自分は何も出来ない人間だと昔からずっと思っていた。周りの友達が就活を終えても特に焦ったりもしなく、「あぁやっぱり自分は駄目なんだ」と納得してしまうと。面接で落ちる度に逆に安心したのだと。今まで周りに合わせてばかりで自己表現を禁じてきたのに、今更自己表現をしろと言われても困ると。本心なんて分からないのだと。そういう風に考えることで甘えを誤魔化しているのは分かっているけど、とにかくもうやる気が湧かないのだと。親に申し訳ないし、このままってわけにもいかないのは分かっているけど…ということらしい。
自己肯定感やられてるっぽいよなぁ。弟の言っていることが正しいとすると、それも昔からってことだよなぁ。あなたはすごいすごーいって褒められても、何も感じないんだってさ。「他の周りの人に大したことないって言われるから」だってさ。そんな人間の言うこと信じるな〜って言っても、生返事だった。
弟はやっぱり真面目すぎるんだなぁ。いろいろと適当でいいのに。適当でも何となくやっていけるのに。
無駄に考えるのをやめさせたいとは思ったけれど、説得は無理だよなぁ。私にも気持ちはほんの少し分かるけど…まあとりあえず死なない程度には元気そうで良かった。私にはどうにも出来そうになかった。メンタルクリニック行ってみたら?って言ったら親に申し訳なくて行けないだってさ。
産後鬱で通院してたけど首を吊る事ばっかり考えてたので実行に移してみた
下にビニールプールを置いてブルーシートを敷き、新聞紙を何枚かかさねて60リットルゴミ袋を外袋ごと置いておいた
隣に見えないようにシーツと毛布を干した
あちこち回らなければいけない手続きなので時間がかかりそうといったら快くお気に入りのタオルにくるまって眠る赤子を受け入れてくれた
万が一必要になったらと哺乳瓶と缶ミルクと着替えとおむつも渡した
人見知りもまだないほやほやの赤子なので泣かずにお別れした
自殺です、旦那くん子供ちゃんごめんなさい、誰も悪くなくて全部私が悪いです 令和3年7月7日
と書いて、通帳と印鑑と一緒に置いた
口に一番お気に入りだった小さめのハンドタオルを詰めてタオルを噛んだけど後ろで縛るのが難しかったから着物の兵児帯を使った
本当に寸前までは順調だった
バケツが割れて壊れてロープを掴んで倒れて物置のレールにおしりをしたたかぶつけた
左の足首からふくらはぎにバケツのプラスチックの裂け目で大きな傷ができて血がドバーっと地面に垂れるくらい出た
おわーっと言いながらとりあえず兵児帯をとってタオルで止血したがとまらない
ぐるぐる巻にして車に乗って市役所に行き子供を引き取って、ベビーカーにのせて外科に行った
危ないから安全確認せずにあんまりひょいひょい物の上に乗っちゃダメだよと叱られ、何針か縫ってもらった
旦那にLINEする前に遺書を畳んでロープと一緒に生ゴミに捨てた
ケガの様子を伝えると旦那は豚カツ屋の海老フライ弁当とミックスフライ弁当を買って帰ってきてくれた
メンタルクリニック予約するも二週間先。
会社に通院で休みますなんて言ったら、もっと自律神経やっちゃう自信ある。
そういう会社。
メンタルクリニック行ったところで、十分休んでくださいって言われてお薬出されるだけなんだろうな。
十分休めてたら病んでないし。
私はメンヘラで友達がいないのでちょっと悩みがあるとすぐメンタルクリニックに行く。
所詮私の悩みなどだいたいのことは外に出て美味しいものでも食べて人に話を聞いてもらえば気が済むのである。
だが私には友達がおらず、外に出る気力もない。
予約を入れて外に出るために風呂に入る。風呂にさえ入れず撃沈している人間のメンタルはここでだいぶ回復する。
外に出て日光を浴びる。一日中家にいる引きこもり学生としては、この時点でかなり晴れやかな気持ちである。
病院に着く前に外で飯を食べる。ウィダーゼリーとシリアルで生きていたカスが、人間の食事をしたときの心の潤いは半端ない。
既にこの時点で私は何に悩んでいたのかを忘れているが、まあ病院についたら待合室で昨日の夜死にそうになりながら書いたお悩み帳という名のTwitterを開き、ああ私はこんなつまらんことで死にたいとか言ってたんか、って思い出す。
カウンセラーに色々聞かれるが、対面で人と話すのが久しぶりすぎてキョドりながら喋り倒す。喋りすぎるコミュ障ほど迷惑なものはない。
で、医者が出てきて家族構成や過去の行動、現状などを聞き出してくる。
特に何もないが、だいたい「発達障害かもね、テスト受けたい?受けるほどでもないんだけど………」と最後に言われ、「就職に不利になると嫌なんでいいです」と断り診察は終了する。
私は発達障害だが、別に診断を受けるほどではない。というのが私の認めるところである。
実際は検査など受けたことがないので別に発達障害じゃないのかもしれないし、診断を受けたほうがいいレベルでやばいのかもしれない。
先延ばし癖のせいであらゆるところで苦労しているが、最終的にギリギリ間に合っているので特に誰も叱ってくれず、問題視もされずここまで来た。
ギリギリ間に合わせるために犠牲にしたものは数知れず、その一つが生活の質であり、また人間関係である。
メンタルクリニックの予約がなければ外にも出ないし、カウンセラーと精神科医以外話を聞いてくれる人もいない。
しかしまあ、こうやってときどき歯医者に行くように、メンタルクリニックに行くことで問題なく生きている。
たまに意地悪な先生に当たると、ホームセンターで金剛打のクレモナロープとか10mぐらい買うけど、首を吊る度胸もないので安心だ。
複数勧めを受けた為メンタルクリニックを受診したところ、現在進行系で鬱とのことだった。
未だに首は治らないし夜は眠くても寝てはいけない思いが強いので限界まで起きてしまう。集中力は保てないし気分の上がり下がりに波がある。家事は少しできるようになったがそれでも部屋は綺麗とはいいがたい。
死にたいというよりはさっさと消えられたら良いという思いがあるのだが、それは正常では無いらしい。投薬で治療している。
中学生くらいの、生きるだとか死ぬだとかを考えられるようになってから常にそういう思いがあった気がするので、薬によって自分がどうなってしまうのかわからない。
ただ自分が鬱ということ、ちゃんと出来無いのは元来の性格のせいでは無く鬱のせいかもしれないこと、沢山考えることがあり心が追いついていないのか不安や疲れを感じていない。
自分のせいで両親に大変な迷惑をかけているのでとても嫌だ。親不孝な子で申し訳無い。基本的に良い人達なので自分などでは無いちゃんとした普通の子だったらもっと普通に平和に楽しく生きられただろうに。こんなふうに相手が自分のことを考えているという慢心があるのが気持ち悪い。
ただただ自分がクズでゴミな人間なだけ、普通をしてないだけなんじゃという思いもまだ強い。
文に纏めていたら辛くなってきたが、これも悲劇のヒロインぶっているだけで最悪だ。本当に嫌いだ。
質問に普通に返しているつもりだったのだが主治医に「話をまとめる力が弱くなっている」と言われたのでこの増田も読みづらいかもしれない。いづれ完治したら読み返して赤をつけながら笑い飛ばしてやろう。
医者通いを始めてから眉の抜毛が酷くなった。自覚が無いだけでストレスなのかもしれない。先に書いた首のかゆみやかさつきとこの抜毛は見た目にも影響するので早い目に治したい。やめたい。
診断名は適応障害。生活上のストレスに耐えれなくなったときになる症状らしい。納得感ある。
薬は効いてるが、劇的に楽になるわけでもないので、それなりにつらい日々を送っている。毎日、「ここから逃げたいなぁ。いやどこに行っても逃げれないんだよなぁ」と考えてる。
そんな状況で冷静に働けるわけもなく「うー」とか「わー」とか叫びながら働いてる。リモートワークでよかった。そろそろ隣人に通報されないか心配している。
だいたい午前はつらい気持ちでいっぱいになって、ほぼ仕事にならない。以前は平気でできてたタスクにも苦痛を感じる。メンタルクリニックの先生には耐久力が落ちるのが症状だと言われた。なるほど。
自分をうまく客観視できないので、成果が出せてるかは自信ないが、とりあえず怒られてはいない。
パンデミックで乱された心をクスリで抑えつけて働くの現代的ではある。フィクションの世界だと、あんまりいい結末を迎えれない。
まじでつらい。