はてなキーワード: ポスドクとは
ポスドクのみならず、新しい産業の種は時間と金をかけて研究しないと生まれないからさ。どうなるかわからない段階で科学として研究して、その積み重ねで産業の種が生まれる。研究する段階を担うのがポスドク。
新しい産業の種は煽って大量に生贄を作れば勝手に湧いてくるという幻想で、学生を騙そうとしたがゆえの大学におけるネットワークビジネスの隆盛と思うけどね。
プロスポーツ選手とかYouTuberとかお笑い芸人とかだったらみんながそれに慣れるわけじゃないんだから諦めさせることも大事だみたいなこと言われるのにポスドクの話になるとまともな給料を出さない、活躍の場を作ることが出来ない日本はクソみたいに言っている気がする。
そうかな? 分野によるのでは。
まあ大規模な実験やるところはどうしてもそうなるのかね、生命系とか。
自分なんかは数物系科学で、ぶっちゃけ一人で研究進められる分野だったから、楽だったな。
講座制というか、〇〇研究室(教員+ポスドク+学生)に所属したことはあったけど、アイデア盗用どころか、
自分から積極的に絡みに行かないと共同研究もできずに放置だったな(笑)
ポスドク問題、研究費が足りない、オーバードクター、精神病む人。。。などなど大学におけるアカデミアのブラックトークのネタは尽きない。これらの問題は確かによろしくないし、しばしばテレビやネット界隈をにぎわせる。
でも、僕はあえて言いたい。本当にアカデミアでやばいのはそこじゃない。
この記事では、5年ほどアカデミアで下っ端の助教として研究にいそしむ著者が、アカデミアの問題点を、普段アカデミアのなじみのない人にプレゼンしようと思う。今回語ることは、根本的すぎてなかなか問題提議すらされない。ぜひアカデミアというガラパゴスの歪みを皆様にも考えてもらいたい。
ではさっそく、アカデミアで最もヤバいのはなにか??それはズバリ【講座制】というシステムである。
講座制って何?と思った人も多いと思う。簡単に言うと講座制は「研究室は、教授がトップ、その下に准教授、その下に助教、そして学生、という小さなピラミッド構造で運営してくださいね」という決まりである。日本の理系研究室、特に著者の専門の化学ではこのシステムが主流である。
え、普通じゃね?と思った人も多いかもしれない。だが、実は世界的にこの講座制を敷いている国は極めてまれである。欧米では、教授、准教授、助教いずれの階級でも自身の研究室を持ち、運営することが一般的である。つまり、世界から見て日本の講座制は「きわめて変」なシステムであるといえるし、実際海外の研究者から変と思われている。
では、講座制の何がそんなにヤバイんだろう?その理由を列挙してみよう。
人間は衰える生き物である。若いときは優秀であった研究者も老いて時代遅れになることは仕方のないことである。アインシュタインですら量子力学をなかなか受け入れることはできなかったのだ。日本の講座制は見事にこの問題をカバーする。老いて耄碌したおじいちゃん教授がいたとしよう。最近の研究トレンドがわからず、大したアイデアもでてこない、研究者としては枯れてしまった存在だ。しかし、日本の講座制はこのおじいちゃんを手厚く保護する。なんと、下についた研究室の若手の准教授や助教がせっせと新しいアイデアを提案して、研究を進め、勝手に論文を書いてくれるのだ!ちなみに論文の著者リストの中で、そのおじいちゃんは責任著者として、「これワイの研究やで!」っていう風に論文を出すのが通例だ。その研究が仮にすごかったとして、世界に名が轟くのはおじいちゃんの名前だ!よかったね!
え?実際アイデア出して、研究を進め、論文書いた若手は?って?いやいや研究室の下っ端なんだから(笑)偉くなってからまた下っ端つかえばいいのよ(笑)今は我慢我慢(笑)
これは知らない人には嘘みたな話に聞こえるかもしれないが、本当の話である。実際、僕が100%自分で考えた研究を、自分を責任著者として発表しようとしたら、ボスから「責任著者は研究室のトップがなるもんや!!」って本当に言われた。「俺の成果は俺のもの、お前の成果は俺のもの」を見事に体現したジャイアニズムといえよう。
本当に笑えない話で、これは日本からなかなかスター研究者が生まれない理由にもなっている。若いときに世界的な発見をしたけど、今その業績には発見者の若手でなく、当時のボスの名前がついている。というケースを何件も知っている。まぁ、搾取だよね。
② 若手にお金を配らない
若手研究者は大学で研究者のキャリアを歩む場合90%以上の確率で、講座制のもと研究室の下っ端から始めることになる。こういうシステムが常態化したおかげで、日本には若手研究者をスタートアップを助けるという文化は存在しない。海外では若手研究者も自身の研究室を持つことからスタートするので、結構スタートアップが手厚い。その分海外は生き残り競争が厳しいが、いくらなんでも日本は若手に主導権を握らせなさすぎる。さらに、大学からの公費も講座制の名のもと、若手研究者にはほとんど配られない。「教授に配っとけば、助教にもいくんでしょ」と言わんばかりである。ほかの予算も大なり小なりその性格がある。この辺は長くなるので省略するが、日本はとりあえず偉い人に金を配っとけばいいという文化がある(少なくとも著者の周りの分野では。)。逆に言うと、若手のうちからまとまった研究費を獲得することは本当に難しい。じゃあ、どうなるのかというと、研究室の教授に頼らざるを得ないのだ。若手は実績・アイデアを引き換えにして、資金的後ろ盾を得る。実によくできた奴隷制度である。
③怪物を生み出す
さて、こういった営みを繰り返したアカデミアでは、普通の社会ではお目にかかれない怪物が生み出されることになる。たいしてアイデアや能力もなく、若手研究者に対し、たまに的外れな茶々を入れるだけで研究した気になり、他人のアイデアを自分の能力によって生まれたものと信じて疑わず、搾取に搾取を重ねるだけの寄生虫である。こんな寄生虫は普通、搾取のし過ぎで宿主を殺してしまうはずだが、講座制はこの寄生虫を手厚く保護をする。都合のいいことに、若手は任期があって二・三年でポイできることが合法化されているからね。若手の変わりなんていくらでもいるのである。あ、ちなみに教授はほとんどの場合任期なんてないよ♪だって教授はえらいもん♪
さて、本当はまだまだあるが、もうアカデミアが思ったよりヤバイことがわかってもらえただろう。
で、こんなことをわかりつつ、それでもこの仕事を続けるのは研究が、学問が好きで、どうしてもやってみたいことがあるからだ。この考えがもしかすると講座制を生きながらえさせている諸悪の根源なのかもしれないな…だとすれば一番悪いのは僕ということになるのがつらい。
講座制の中でも、何とか研究したいから、搾取にも甘んじて付き合っちゃんだよね。
だが、このヤバさは、僕の時代で解決しなくても、10年20年後にはどうか改善していてほしいと思う。というわけで皆様、この記事をSNSでシェアして、バズらせましょう!届け!文科省とか偉い人に届け!!
・1年目:260万円
学位を取って晴れてポスドクとなった。同じゼミにそのまま残っていて業績過小なので、オーバードクターみたいなものではあるが。手作りの収入は院生時代の奨学金より減少し、奨学金の返済も始まった。給料について事前に説明はなく、同じポジションの先輩が月30万くらいだからそんなもんだろうと思ってたら予算の都合で今年度の採用者はこの金額ですとのことだった。他に行き場所もないからとりあえずそのまま働くことにしたが、すぐに転職サイトに登録した。まあ色々理由はあったが、結局のところアカデミアへの興味も失っていた時期で、かつ結婚も考えていたので、もういいや民間へ行こうと心に決めた。
・2年目:350万円
1年弱ポスドクをやって転職した。微妙に専門分野と関係なくもない専門事務?的な仕事で無事採用され、何も考えずに行くことにした。炎上プロジェクトに放り込まれて月60時間くらいの残業があった時期もあったが、自分としてはランナーズハイみたいな感じになって結構楽しかった。しかしそれだけ残業して残業代がフルで出てもこの金額である。一応、転職エージェントから言われていた金額とピッタリではあった。どんだけ残業前提なんだ。
・3年目:430万円
新年度から正社員に登用されることになった。転職エージェントから聞いていた話とは違い、基本給は据え置きだった。炎上プロジェクトが完了し、残業が減ったのでむしろ収入は減った。しかし業界がちょっと景気の良い時期だったので、人生初のボーナスは3桁万円だった。これは結構嬉しかった。
・4年目:490万円
特に変わらぬ日々。正社員2年目でボーナスがようやく2回出るようになった。しかし業界的にも会社的にも業績が下がっていて金額は下がった。残業もさらに減少した。
・5年目:520万円
コロナの影響で在宅勤務となった。一応昇級したらしく基本給はちょっと上がった。しかしまだ転職エージェントに言われた、正社員になったらこれくらいですよ、の金額には到達していない。なんか残業もそこそこあり、後半は結構忙しかった気もするが、やってる事が相変わらずすぎて飽きてきていた。もう成長している実感もないし、転職しようと思い立った。
・6年目:550万円
他業種に同職種で転職を果たした。まだ任される仕事が少なく、業務量としては今までで一番楽である。在宅勤務は相変わらず継続中。一番楽な事をしているのに今までで一番収入が多いことにはやはり何か変な感じはする。
・今後:今のポジションでは600万くらいがいいところでしょう。とりあえずアカデミアでずっと続けていて助教になるのと同程度には収入を増やせたかなと思って自分を納得させている。今のところで年収がサチったらまた転職は考えるかも。博士取ってから民間でバリバリ稼げている人もいるだろうけど、こういう例もありますよって程度の自分語りでした。
「大学いってないから大学ネタやれない」って悲しんでる人あつまれ!オレが大学ネタおしえてやるから一緒に書こうぜ!
・年度と年齢
通常の大学は卒業に4年かかるので1年生(19歳)~4年生(22歳)が混じって生活している。関西では1~4回生とも呼ぶが、関東では1回生が学校創立直後の入学生をいうぞ。
短大は2年(20歳まで)、医科大学は6年(24歳まで)。卒業後に大学院にいけば修士2年(24歳まで)、博士は修士+4年(28歳まで)。その後も大学にいられるのは助手・助教授・教授と採用されつづけて進めれば最短あたまよさげコースだが、職にあぶれて学生っぽい「ポスドク」になって大学に居残るひともいる。30歳くらいだな。
算数と理科を専門でやろうとしてるのが理系学部。医学部とか理学部とか工学部とか情報学部とか。それぞれ医者とか工場とかITとかで働くぞ。男が多く女との出会いは少ないぞ(数少ない理系女子を特別にリケジョとよんでほめたりする)
国語、英語、社会が中心になってるのが文系学部。普通にサラリーマンとかいろんなとこで働くぞ。女性が得意な分野も多いぞ。図書館学とかもあるぞ。
他にもどっちにもわけられない芸術大学とか、体育大学とか、音楽大学とかもある。さがせばたいていの好きな科目を専攻できる学部が日本のどこかにはある。残念ながら地方大学にはすくないので単身上京してバイトしながら好きなことをやる若者もいるぞ。
すきな進学先を探したら大学じゃなくて専門学校しかない場合、入学はしやすいが卒業後の就職先が少なくて狭き門だったりするから、よほど地元でその特殊な業種が流行ってるのでないかぎり、少子化ではみな大学のほうを選びがちだぞ。
サークルという部活動みたいなのがあって、体動かすのが体育会系、インドアが文化系だぞ。グラウンドにいるのが体育会系で、文化系サークル会館とかにいるのが文化系サークルだぞ。現代視覚文化研究会(アニメ・漫研)が大人気だとおもうだろうがそうでもない(癖がつよい)
・コマ・限
90分1コマで午前2コマ(1限と2限)、午後が3コマ(3~5限)だ。
もし5限の授業を選択せずあいてたら4限まででたあと帰ってバイトにでもいくか、サークルの部室にでもしけこんで漫画読んでる。
2限・3限の空き時間があると食堂でだべってたりするが、先生もその時間帯に授業を開くのが好きなので、意外と人数が少ない、というか留年して去年2~3限だけとりおわってるやつとかがメインだったりする。
理系は空きコマ自体が少ないぞ。理系に多い実習単位は単位数が少ないので集めるのにせっせと働かなきゃいけないのだ。
・学費
高いぞ。国立大は比較的安いが私大は遠慮なしに高いぞ。奨学金はもらいっぱなしでいいのと、借金として返さなきゃいけないのがある。就職先によって借金が返さなくてよくなるタイプのもあるが、それの一つが教職なので、「でもしか教師(しょうがなくやってて子供を導く意欲がない)」が多くなるんじゃないかとオレは思う。国によっては大学全員全額無料にしてる国もあるから留学したほうが却って安い場合があるぞ。
以上!あとはぐぐってくれ
いろいろしくじってきたが、その後のことも考えると、人生で一番大きなしくじりだったと思う。
を検討していた。
コンピュータと人工知能に関心があったということが候補を選んだ理由だった。
当時、LinuxやFirefoxなどのオープンソース活動に興味を持っていた。
また、脳科学や認知科学、人工知能など人間の知能に関する分野にも興味を持っていた。
研究分野としてはOS・コンパイラなどのコンピュータの基礎研究という印象を受け、
工学の方が自分の嗜好に近いと考えて工学部の学科を検討することにした。
工学部機械情報学科はロボティクスを中心とした情報を扱っていて、
ロボットのハードウェアへの興味が低かったことから優先順位を下げた。
そして、
を候補として考えた。
機械系のカリキュラム・研究も含まれていて、2つの学科が扱っている分野が共通していた。
違いとしては、システム情報工学では応用物理系の内容を中心に扱い、
知能社会システムでは機械系から社会工学・経済工学まで扱っているという違いがあった。
そして、次の理由から知能社会システムコースを候補として考えた。
私は教養学部での講義からゲーム理論やシェリングの分居モデルなどの話題に触れ、
また、当時行動経済学や経済への物理学の応用などの書籍を読み社会科学系にも興味を持っていた。
人工知能やマルチエージェントや進化計算などの複雑系にも興味を持っていた。
また、自分の関心がある講義が他学科にも分散していたことから、
講義を取りやすいことも良いと考え、自立して科目を選択できると考えた。
また、製造業や電器メーカーの不調から従来の工学系学科に進んでよいのかと悩んでいた。
できて数年の学科だということで新しいことができるのではないかと無根拠に考えていた。
そうして工学部システム創成学科知能社会システムコースに進むことにした。
そうして、システム創成学科知能社会システムコース(PSI)に進学したが、
思うようにはいかなかった。
幅広い分野を扱いつつ、講義数が少ないということで全体的に内容が薄く、未消化気味だった。
また、講義間の関連性が薄く、体系的に学べることが少なかった。
などの工学の基礎となりうることは扱うのだが、基礎に留まっていた。
また、講義を受けてのレポートが中心で理工学の演習は少なかった。
工学部だから機械や電気ではなくても理数系を基礎として扱うのだろうと考えていたが、
予想とは違い少なかった。
統計は理工系でも社会系でも重要なものだからもっと力を入れて欲しいと思う。
そのため、ディスカッションやプレゼンテーションなどの機会があったが、
幅広い分野を扱っているということもあり、学生層が広かった。
その分、興味が合いそうな同級生を見つけにくかった。
カリキュラムが少ない分、就職活動を頑張って学部で外資などに就職しようという
学生も多かった。
全員が全員そうだということはなく、修士も進むことを考えている学生もいた。
他学科聴講は思ったよりもできなかった。
受けたいと思った講義の時間が被っていたり、前提知識が不足していたりして、受講が難しい場合があった。
学科での講義に関心が持てず、モチベーションが下がっていたということもあった。
研究室には学部3年後期に配属される。カリキュラムの少ない分をそこで補う想定らしい。
しかし、私が所属していた研究室では、学部就職する学生が多く、
他大学からの院生やポスドクが中心であまり教育が受けられなかった。
システム創成は機械情報学科や計数工学科と違い、情報理工学系研究科ではない。
進振り時点ではそこまで差を考えていなかったが、講義の内容やPCなどの設備が違っていた。
大学院でより専門性を高めたいと考えて情報理工学系研究科に進んだが、
実力の不足から、大した実績を上げることができなかった。
学部では幅広い内容を身に着けて、大学院で専門性を高めるということを考えていたが、
他の研究室に進学するならば、その研究室と密に連絡を取って、院進学前から
必要な勉強・研究計画作成をしないと、講義や就活で研究に必要な時間が取れなくなる。
このようなことから、大学院では成果を出せず、就職活動もあまりうまくいかなかった。
振り返ると、それまでの人生で初めて大きな意思決定をする機会だったが、そのことを十分に認識できていなかった。
取捨選択するということができず、幅広いカリキュラムがあるということから選択肢がありそうな道を選んでしまった。
安易に考えず、具体的にメリット・デメリットを書き出して、検討すべきだった。
それまでどれかができるということではなく、どれもできるようになろうとしてきたことがあり、
立花隆さんの影響を受けていて、文理ともに学ぶことに憧れていたが、
その難しさを分かっていなかった。
意思決定をするために必要な情報を集めて、裏を取るということができていなかった。
まあ、サークルに工学部の先輩がほぼいないという事情もあった。(普通工学部は忙しいからな。)
もう少し聞けていれば、進学先を再検討していたと思う。
自分が目指すような幅広い分野を学ぶということを行うのであれば、基礎を幅広く身に着けることを
念頭において進学先を選ぶべきであった。
そう考えると、情報科学科や計数工学科に進むことを考えるべきだったと思う。
理学部情報科学科については小中高からプログラミングを扱っている人が多いと聞いていて気遅れしていた面もあった。
独学で学ぶようにはしていたが、学科に進学した方が教育や同級生など成長できる機会は多かった。
学部で情報系の基礎を身に着けて、大学院で応用に広げることも十分考えられたが、当時はその想定ができなかった。
あと、当時情報科学科や電子情報学科が進振りの最低点(底点)が非常に低く、避けた方がよいかなと思っていたところもあった。
進振りで高い点のところを目指していたわけではないが、つい点数に左右されてしまった。
今の機械学習やディープラーニングは自分が当初やりたかったことに非常に近かった。
大学院でそちらに進もうとしたが、実力不足から挫折してしまった。
情報科学科や計数工学科に進学していれば、その分野に進むチャンスが大きかったと思う。
教養学部時代に自分がやりたいことについて、教授に相談したり、一般書籍ではなく学会誌を読むなどしていれば、
進路を明確に決めて、進振りでの失敗も避けられたのではないかと思う。
進振りでは点が足りなくて進学できなくて失敗したという話を良く聞くが、
これは進学先の選択を誤ったという話である。その分、あの時選んでいればという後悔が大きい。
システム創成について、自分の失敗から悪い面ばかり記載してしまった。
私の進振りでのしくじりを具体的に書くことで何か参考になればということで書いたものである。
自由度が高い分、自分で計画を立てて行動できる人にとっては良い面もあると思う。
私自身は進路・キャリアを良く決めないまま進学してしまったため、うまくいかなかった。
など学科の色がはっきりしてきて、その方面に目指す人にとっては良い学科と思う。
(カリキュラムはあまり変わっていないらしいという話も聞くが。)
失敗したと思っても、将来どうなるかは分からない。
現に情報系学科は過去は非常に底点が低かったが、今は高騰している。
システム創成ではないが、大学院で他分野に進んで研究者として業績を上げている知り合いもいるので、
あまり後悔せず、前を向いて進んで欲しい。