はてなキーワード: あやしいとは
後方腕組みさんなら分かっているだろうけど、許認可でゴーサインが出たタイミングにみんなが一斉にやりがちだから目立つんだろうね。
マイクラは作業と言いつつ雑談用途に使え、しかも緩い交流もしやすいという点である種のプラットフォーム化しているから仕方ないしゲーム枠と言い切れるかさえあやしいけど。
資格なりもっと広く勉強枠なり見てみたいとは思う。でも、それを見てて楽しいコンテンツにできるのは相当に腕がないと難しいと思うよ。もともと学習系のYoutuberみたいに来る層が限定されているのと違って、見る側も層が広いから、ある人にとっては簡単すぎてかったるいライブになっても別のある人には難しくてついてけないものになるだろうし。
新コンテンツの開拓をやろうという気配は見えるんだけどやっぱり難しいのか、結局、テレビ番組をまねたようなお話コラボとか無難なお料理(コンテンツ化までもっていけた人が約一名いたけど)とかになっているところを見ると、ゲームと対になってくれるほどのものは中々見つからないないようだね。
はじめに。
自カプは長寿ジャンルのマイナーカプだ。ジャンルだけなら時たまオンリーが開かれるぐらいの規模だが、自カプはPixivに三桁には程遠い二桁しか作品がない。そのうちの半分は私が書いた話だ。
ブクマは天井でも三十に届かず、一桁がデフォ。ブクマしてくれる人はいつも同じ顔ぶれで、コンスタントに活動している字書きは私ともう1人だけ。絵描きも似たようなものだ。
神字書きことAさんは普段は別ジャンルをメインに活動している。自カプを書く頻度は半年〜年に一作程度だが、作品を上げると天井に近いブクマがつく。
Aさんが最初に自カプを書いてくれたときは、純粋に自カプの作品が増えていることが嬉しかった。他の人が書いた話は滅多に読めないので、一行一行を噛み締めるように読んだ。
Aさんの文章は作中の情景が鮮やかに浮かんだ。読んだ後の余韻は翌朝になっても醒めなかった。とにかく言葉の運びのひとつひとつが美しく、私は何度もAさんの作品を読み返した。
Aさんの作品は簡単に二桁ブクマがついた。いつも私にブクマをくれる人とは違う人たちの名前が並んでいた。Aさんの作品は自カプは好きだが読む専の別カプの書き手にRTされて絶賛されていた。普段、私の書いたものには何の反応もくれない人が、Aさんの作品のことはあれこれと褒めていた。
なんだか釈然としない気持ちだったが、Aさんはそれからしばらく自カプを書かなかったので、私はAさんのことは別ジャンルの神が一瞬の気まぐれを起こしたのだろうと思っていた。
だが、Aさんは間を開けて二作目を投稿した。私は怖々と二作目を読み、うちひしがれた。相変わらず私には絶対に書けない発想の話だったし文章も相変わらず美しかった。自カプ二人のやりとりは原作に出てきてもおかしくない自然さだったし、サブキャラも魅力的に描かれていて、他キャラファンが読んでも楽しめそうな話だった。投稿後、数日して、やはり誰かがTwitterで話題に上げて「理想の〇〇だった。皆読んで欲しい」と言った。二作目にも二桁ブクマがついた。一作目はその頃にはカプタグの天井になっていた。
Aさんの書く話は短い。一作目は5000字程度だったし、二作目も3000字を少し超えるぐらいだった。しかし、私が書いた1万字よりAさんの書いた3000字の方がずっとずっと求められていたし、私の全作品を合わせたブクマ数とAさんの二、三作が等価だった。
AさんのTwitterは当然ながらメインにしている別ジャンルの話ばかりで、自カプの話は滅多にしなかった。新規の燃料があった時もそうだ。多分燃料があったことにも気づいていないんだろう。
Aさんはメインで活動している別ジャンルでも人気があり、作品を上げれば、引用RTやリプライで、必ず何かしらのレスポンスを貰っていたし、相互らしきフォロワーと楽しそうにやりとりをしていた。
Aさんは絵や漫画も描けた。小説を書いていると息抜きに絵が描きたくなるタイプの両刀らしい。私はAさんが自カプを描かないように祈っていたが、気まぐれにAさんが「自カプの話」と上げた漫画は界隈の誰かの目に留まり、RTからそこそこのいいねと「自カプいいよね」という反応を引き出していた。私以外のもう1人の字書きは「あの方、絵も描けるの!?」と心酔していた。
Aさんの画力は低くはなかったが神レベルではなかった。それでも、小説と同じく着眼点が独創的だったし、モノローグや台詞の言葉選び、コマ割りのセンスが良かった。どことなく違和感があるパースがあやしい背景の小物ひとつにも、Aさんの自カプ解釈が詰まっていた。
自カプはマイナーだから、ブクマが少なくても、反応がなくても仕方がないと思ってきたけれど、単に私が下手だから見向きもされなかっただけなのだとAさんを見ていると気付かされた。書くのがどんどん苦しくなった。私がどんなに時間をかけても、Aさんの片手間の自カプ愛に敵わないのが嫌だった。そう思いながら私はAさんの書(描)いた自カプを繰り返し読んだ。何を食べたらこんな自カプが書けるのだろうと考えながら読んだ。何もわからなかったが。
Aさんが好きだと言った作品は機会があればチェックした。本も読んだし映画も見た。別ジャンルのAさんの本も通販で買った。私はAさんのメインジャンルをよく知らないが、キャラクターの紹介が丁寧で、原作がわからなくても最後まで読みきれてしまった。
ある日、Aさんのメインジャンルと自ジャンルのイベントが同日同会場で開催された。私は自ジャンルでサークル参加していた。
一般で来ていたAさんはメインジャンルの買い物が終わったらしく、昼過ぎに「〇〇(自ジャンルオンリー)にも行ってこよ」と呟いたが、私のサークルに人が来ることはなかった。
イベント終了後、逆カプサークルが「既刊全部買ってくれた人がいたから話しかけちゃった〜」と嬉しそうにTwitterで呟いていた。なんの根拠もないが、もしかしたらAさんかもしれないと思った。Aさんかどうか確証もないのに、私の自カプ本より逆カプ本の方を手にとった、少なくとも私の本には興味がなかったAさんのことを恨んだ。
Aさんに対する私の感情が完全に逆恨みなことは自分でもよく分かっている。Aさんは純粋に自カプが好きだから、メインジャンルの合間に時間をとって何度も作品を上げているのだろうし、ただ淡々と神作品を上げる閲覧者からすればありがたい書き手だ。
それでも、私が毎日自カプについて考えていても生み出せない話を、Aさんがさらっと思いついて書き上げ、さもカプの代表作のようにブクマを取るのが許せないでいる私は、Aさんの神作品を押し流すように自カプタグを増やす。ブクマは一桁しかつかなくても。
『医療に協力したら何が帰ってくるの?』という先日話題になった投稿。
正直、私はなにも帰ってこないと思っている。なぜなら、私が「もしコロナがなかったらやっていたこと」は、「コロナが終息した後の世界」ではもう二度と手に入らないものだからである。
少し自己紹介をする。私は現在高校3年生だ。つまりは数日後、共通テストがあるわけで、その直前にこんなものを書いている時点で気が触れているのがわかってしまうのだが、以降は割と感情に任せた文章なので、途中少し話が逸れても許してほしい。
それから、ここで私がしたいのはあくまでも感情の吐露や、いわゆる「若者」と呼ばれる私のリアルな気持ちを皆さんに見ていただくことであって、だから医療に協力するかしないかとか、そういう論点を作り出すことではない。
Twitter上なんかでもよく言われるのは、私の世代であるこの2002年〜2003年生まれは災難続き、みたいな話で、いわゆる大学入試がセンター試験から共通テストに変わる世代、修学旅行の行き先でことごとく見たいものが修繕中(日光東照宮・清水寺・首里城)の世代、である。
それに加え、どうやらWikipediaを見るとゆとり教育から脱ゆとり教育へのちょうど移行期間の世代であるらしい。
まあ、何かと災難続きな学年らしいことがわかる。でもそういうのは結局、文章にすると大変なように聞こえるネタなだけで、これまでそんなに「自分は大変な年代に生まれた」と自覚したことはなかった。
しかし去年の夏、私にとっての最大の災難が訪れてしまった。高校の文化祭が開催できないことが決定したのである。たかが文化祭、と思われるかもしれないが、私の高校の文化祭は、多分、殆どの他の高校の文化祭よりも意味が重い。
全学年がクラスごとに劇やミュージカルを行うのだが、毎年夏休みを返上して行われる(本当に毎日学校に行くので夏休みは実質ない)準備のおかげで、特に3年生の劇のクオリティは、かなり高い。魂のこもったものになっている。初めて見た時ひどく感動して、他の高校の見学もしていないのに、それだけでこの高校への志望を決めたほどだ。
しかし、コロナ禍においては、「ひとつの教室の半分のスペースに何十人ものお客さんを詰め込んで、窓にもドアにも段ボールを貼って外光を遮り、換気扇はともかくクーラーもまともに効かない教室で80分間ぶっとおしの劇」を行う文化祭は、「三密」以外の何ものでもなかった。
代替案として、最初はそれぞれの劇を配信で、という話だったのが、同じ教室内に数人以上いてはいけないとか、横2メートル以上開けてないといけないだとか、どんどんよくわからない規制が加わって、最終的に劇はできなくなった。
実行委員の生徒も、なんとか開催に漕ぎつけようと奮闘してくれた先生たちも、悔しい思いだったと思う。
文化祭がやりたくて高校に入ったのに、今年の夏は今まで一番熱い夏になるはずだったのに、それが目の前で突如奪われたのである。私にとっては、野球部員にとっての甲子園と同じくらいの意味があった。私のこれからの人生が輝くものになるかどうか、文化祭にかけている。大袈裟だとわかっているが、それぐらいに思っていたのである。
しかし、1番暑い日が来る前に、私の青春は帰らぬものとなった。
みんなで夜遅くまで残って暑い中だらだら作業することも、他のクラスに勝とうと歌の練習を頑張ることも、帰りにコンビニでアイスを買い食いすることも、二度とできない。
高校で過ごした年月が二度と戻らないのは、大人の皆さんならきっとよくご存知だろう。卒業してしまったらみんなバラバラになる。あのメンバーは、あの教室は、あの夏は、二度と戻ってこない。私のものだったはずの青春は、もうどこにもない。
このやるせなさ、虚無感は、去年一年で文化祭に限らず何かを失った人にはきっと伝わると思う。
今、正直に言ってしまえば、私が1番今欲しいものは、大学の合格でも、はたまた給付金でもなんでもない。いつになっても帰ってこないもの。どれだけ医療に協力しても手に入らないものだ。
けれど、医療に協力しなかったとしても、結局1番欲しいあの日々は帰ってこないから、せめて家族や友達を守るために、私は外に出ない。
残りの受験期間を、存在するのかどうかあやしい「楽しいキャンパスライフ」のために、どこかもやもやした気持ちを抱えたまま生きる。きっと、何年経ってもこのもやもやは消えることはないだろう。
コロナが流行る前は舞台好きでよく観に行ってたけど、いくら対象外になっても今行く気にはなれない。
だって舞台って、数ヶ月前からチケット戦争してようやく勝ち取ってドキドキワクワクしながら日本全国からオタクが集まってくる一大イベントだ。
(そうじゃない舞台もあるだろうけど、自分がそういう舞台ばかり行ってたので)
多少体調悪くても「どうしても観に行きたい」って無理してくる人絶対いる。
コロナ流行ってなかったころは武勇伝みたいに「体調良くないけど推しへの愛があるから来た」
とか言ってる人、劇場の側のカフェとか待機列とかTwitterとかに結構いた。
今は流石におおっぴらに言わなくても、少し具合悪いくらいなら来る人がいてもおかしくないと思う。
そして後からコロナが判明しても、ここで公言したら舞台や推しに迷惑がかかると思って観劇したこと申告しない人も出てくると思ってる。
キャストやスタッフが「幸い感染者もなくやり切りました!」とTwitterで言ってる作品見かけたけど、そんなん分からんやろ。無症状者からもらって無症状のまま誰かにうつす可能性だってあるし。
ただ、こういう発言があることが観劇した人たちが正直に申告しにくい雰囲気を作ってる気がしてならない。
けど人間好きなものが目の前にあったら判断甘くなるし、好きなものに迷惑かけたくない気持ちがあれば正直にもの言えなくなるもんだと思ってる。
劇場の換気とか感染対策とかが不安というよりも、こんな理由で今観劇に行く気にはどうしてもならない。
プラス直前までどうなるか分からず、中の人が感染したら即座に休演になるおそれもあり、行けない時の金銭負担も高い(もろもろ込みで1回数万は行く)などなどもあってすっかり舞台熱が収まってしまったな。
なんて偉そうなタイトルだが、元増田家は正直あまりちゃんとやっていなかった。
皮肉にもコロナウイルスの流行後に、嫁がとあるアウトドアブランドを給付金で買ったことから、
環境問題に興味を持ち始めた。
結果的に我が家ではちゃんと分別しようということになり(その位しかやることがない)、まだ数か月だが今の所きちんと分別している。
自分達が住んでいる都市は焼却で、最終処分場(埋め立て地のこと。この存在も知らなかった)に行く前に中間施設?という所で焼却、粉砕して、
最終処分場へ運ばれているようだ。
きちんと分別されていればリサイクルされる物が、分別されていないと埋め立て地行きになるらしい。
とはいえ夫婦共にそんなに熱心ではないので、たまにビニール袋もらうし、たまに分別が完璧ではない所がある。
これは思い返すと心に余裕が無い時だった。
嫁と話していて思ったのが、全然余裕が無い(経済的だったり、仕事のことだったり、家庭のこと等)人が、
そんなこと考えている余裕や暇も無いのでは?と思う。
自分達が正にそうだ。きっかけがあって考えるようにはなったが、完璧に実践できているかと言われたら大分あやしい。
仕事や育児に追われる中でゴミをきちんと分別するのは「ストレス」でしかない時がある。
可視化できて数値にされれば取り組む人もいるのかな?とか色々考えるが、
という話を嫁以外にできる人がいないので増田に垂れ流す。
干支がいのしし年の1月3日までぐらいしか使われない言葉の猪突猛進ってあるじゃない。
急にPSvitaが欲しくなったのよ!
なんで急にそう思ったかというと、
こないだ部屋を片付けていたときになくしていたと思った
想い出がいっぱい詰まったPSPが出てきたので、
久しくゲームに興じまくったわけ。
で私のこのPSPいつまで遊べるんだろう?と
一抹の不安が天空から舞い降りてくる少女のように私にも降りかかってきたの。
おやかた!おやかた!って
私の作ったミスタードリラーのオリジナルステージを保存したメモリーカードは見つけられなかったけど、
あれほど完璧なプレイで自分で華麗にクリアできるステージはないもの。
きっとそのメモリーカードは部屋の何処かにはあるはずなのよね。
それはさておき、
そんなこんなで、
でもこれも本当に早く買わないと、
秒で買わないといけないし
一体どこで買えばいいのか?問題も勃発。
またあれこれ調べていたらゲームアーカイブが充実しまくっていて、
結局私は何をしたいのかはよく分からなくなってきたので、
でもさ、
これ12年ぐらいしたらPSP復刻版が出てリバイバルブームまで待つ?
必ずラッキーが回ってくるって言うし、
そこまで待とうかしら?
猪突猛進の気持ちメンタルバイブレーションを12年キープするのは
モチベーションが保たれなかったって理由で出場を辞退するぐらいと同じように
私も諦めちゃうのかなって。
ゲーム機だけに!って
もうもはや上手いこと言えてるのか言えてないのか定かではない定吉だけど、
またもしよ、
もしPSvita買ったら、
オンラインで買ったPSPのゲームもまたvitaで遊べるのかしら?って思うけど、
それはまたのちの話しね。
でもさー
PSvitaをSwitchより高くで買うって言うのもなんとも皮肉だし、
なにしろPSvitaをSwitchもどこにも売ってないって言うのが、
すでに存在すらあやしいほどの都市伝説じゃないの?って思うぐらいよ。
部屋の隅っこで見つかった製麺機で
麺でも打ってお昼は美味しいうどんにでもしようかしらって勢いよ。
まったくだわ。
うふふ。
ちょっと最近のパン屋さんのサンドイッチのラインナップが弱いです。
一時期は凝って新商品サンドイッチがたくさんあって目移りしまくっていたんだけど、
この強みハムタマゴサンドの美味さに現れているかも知れないわね。
そのままで食べてもいいって噂だけど、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
教官(エンパシー(empathy)とは、他者の感情を想定し共有すること
自閉症、アスペルガー、サイコパスと共感性の低さに関連があると考えられている
Emotional Intelligence (EI)を測定するテスト(EITest)によって、定量化を行えるらしい
ミラーニューロンシステムとバソプレシンオキシトシンシステムがあやしいらしい
ミラーニューロンは自分と他者の行動の両方で活動する神経細胞で霊長類は持っているみたい
脳内の情報伝達物質で、養育、求愛、きずなの形成に関与するらしい
男女で働き方が違うらしいという話もあり
ある程度は遺伝する模様
複数人のゲノムデータ(ただしゲノムの一部で全体ではない)とEQの関連性を調べて、関連のある場所を探すといくつかの遺伝子がみつかった