はてなキーワード: 生き甲斐とは
わたしたちはキャストの側にいたわけじゃない。四六時中コミュニケーションを取ったりいつも一緒に喋ったわけでもない。でも好きだったから、Twitter や配信やymgrの、音や動きや言葉を通じて「彼ら」を感じて
それが嬉しかった。
今のわたしはもうそれをすることができない。言葉も見れないし声も聞こえない。話すことももちろんできない。好きだったキャストの存在感が私のそばから消えた。「存在感」しか、彼女の「存在」を確かめるすべはなかったのに。
わたしは彼女らが、何かを見たり聞いたりしてそれに反応するのを見るのが好きだった。彼女らが何かに執着したり何かを嫌ったりすること、その好き嫌いやその理由を知ることが好きだった。そこにわたしにとって世界一かわいくて世界一眩しい個性があって、それに驚かされたり確かめたりすることがわたしの生き甲斐だった。
それがわたしにとっての彼女らの存在感だった。存在感が無くなって、だから存在するのかどうかも分からなくなって
寂しくなったり、不安になったり、何かがおかしいと感じたりするのはなぜなんだろうか
これは愛じゃない、愛なら存在感が自分から離れても平気なはずで、
じゃあこの寂しく不安に感じる日々はなんなんだろう。
おなじく発達障害の無能の穀潰しのわたくしとしましては、無理して働くことが「健常者の皆さんにとてつもなく重い負担を強い」ているのを日々感じているんですよね。
わたくしのような発達障害の無能の穀潰しとしましては、やりたくもなくうまくできるわけでもない世間のもろもろについて皆様にご迷惑をおかけしながら日々を過ごすのは大変な地獄なわけです。感情もプライドもある人間なものですので。
それであれば福祉に支えられて、何の生き甲斐もなく誰からも大切に思われず邪魔にもされないほうがまだまマシなわけです(福祉で支援してくれている人達は邪魔に思っても表面には出さないよう努めてくださいます。しばしば漏れますが)
そもそも発達障害の無能の穀潰しとしましては個人としての他人からの愛を、承認を希求する段階はとうの昔に通り過ぎているわけでして、せめてマイナスにならぬよう、できるかぎり世間様の邪魔にならないようにと生きてはおります。もちろん健常者の皆々様としましてはそこまでして生きないで単に死ねよと思われますでしょうが、さりとて生まれた以上死への恐怖はございますわけで。発達障害を理由とした安楽死もしばらくは認められないことでございましょうし。
そんなわけで理解ある福士くんの元でできうる限り物理的時間的な損害を与えないように生かしていただければこれは幸いというものです。発達障害の無能の穀潰しにも色々おりますなあ。
この、
https://twitter.com/witch_medeia/status/1577165263199358976
『必要なのは「理解ある彼くん」でも「理解ある彼女ちゃん」でもねーんだよ!「理解ある福祉くん」と「理解ある社会システムちゃん」が必要なんだよ!個人の負担に丸投げするな!!!』
で、その「理解ある福祉くん」と「理解ある社会システムちゃん」を実現し、我々発達障害の無能の穀潰しが遊んで暮らしていけるようになるには
あんたら健常者の皆さんにとてつもなく重い負担を強いる事になると思うけれどそれでいいの?
あと仮に「理解ある福祉くん」と「理解ある社会システムちゃん」が実現したとして、
福祉に頼ってただ生かされる事、誰からも愛されず必要とされない人生を甘受せざるを得ない当人は地獄だよ?
福祉に支えられて、何の生き甲斐もなく誰からも大切に思われず(福祉で支援してくれている人達は別に私個人を好きな訳でも何でもない)
ただ生きているだけの人生って少なくとも私にとっては物凄く惨めです。同じように思う人達はきっと多いと思う。
久しぶりに電車に乗る。
早朝で混雑しておらず快適だ。
しかし、一緒に乗り合わせる乗客たちにとってはそうではないようだ。
なぜか彼らはとても急いでいる。
電車はまだ来ない。
時刻表アプリで調べていたし、駅の改札の案内でもそのように表示されている。
だが、彼らは異常に急ぐ。
せかせかと不器用に前の人を抜かそうとするし、エスカレーターをゆっくりと登るゆとりもないようだ。
電車に乗る時も、せかせか。
空いているが、といって座れるわけでもないのに電車の扉が開いた瞬間押し合いへし合いするのが生き甲斐のように殺到する。
順序よく乗車すればいいと思うのだが。
思うに低所得者層は「落ち着く」という行為がとても苦手なのだと思う。
能力的にはより上位の階層と遜色ない頭脳を持っている人たちがなぜこのような低所得階層を形成するのか?
常々不思議に思っていたが、それは知力の問題ではなく、おそらく性格の問題なのだろう。
実に惜しいことだ。
最近ドクターストーンというアニメの録画を見て年甲斐も無く「滅茶苦茶面白いなこれ!」って思って感動した。
人生って嫌な事も多くて、正直先も真っ暗で最終的に悲惨な結末を迎えるかもしれないな…って暗い想像をする事もよくあるんだけど
そういう時ベタだけど「うわめっちゃおもしれえなこれ!」ってコンテンツに出会えたらそれが一瞬でも生き甲斐になれる事がある気がする
なのでここ10年という最近に「これに触れる事が俺の生き甲斐なんだ!」ってくらいハマった物を少しずつ思い出して一度書き出してみたくなった
思い出せない物も沢山あるだろうけど、それでもその時その一瞬でも楽しめたのならきっと幸せな事だったんだと思う。ハマった年も覚えているなら書く事にする。
生まれて初めて最後まで追った深夜アニメ。このアニメを録画するためにブルーレイレコーダーを購入した。
機動戦士ガンダムSEEDの監督福田己津央氏が製作に携わっているという事で怖い物見たさで見始めたのだけど、見ている内に見事にハマってしまった。
OPに出てくるキラっぽいキャラが出るまではとにかく見ようかな…と思ってたんだけど、まさにそのキラっぽいキャラが出てくる4~5話で完璧にハマってしまった。本当に大好きだった。
次回が公開される一週間後を待ちきれず、放送日が来るまで何回も何回も録画した回を見返して待っていた覚えがある。今の自分からは考えられないくらいハマっていた。放送後に発売されたゲーム版もスパロボも買っていない。
イニストラード~ラヴニカへの回帰がスタンダートだった頃のMTG。当時友人達と一緒に遠くのカードショップまでカードを買いに行くほどハマっていた。
少年時代コロコロコミックで連載していたMTG時代のデュエルマスターズが好きだったんだけど、地元にMTGを取り扱っているショップが無かったので実際遊べるようになるのにその漫画を読んでいた頃から10年以上かかった。
基本的に安いカードしか買わないようにしていたんだけど、それでも結構な額を使ったような覚えがある。今ではその友人達との縁は切れたけれど、MTGだけは今でもMTGアリーナで遊んでいる。
当時ニコニコ動画でMTGの架空デュエル動画が大いに盛り上がっていて、そのシリーズが好きだった。所謂「例のアレ」ジャンルなので今となっては不謹慎かな、と思う。
当時菊地秀行氏や夢枕獏氏の作品の影響で所謂伝奇バイオレンス小説にハマっていて、何でも良いから面白い伝奇小説は無いか!?と思っていた時期に古本屋で出会ったのが講談社ノベルスの空の境界だった。
一冊100円という事でとりあえず上下巻買って読んだんだけど、とにかく読みづらくて「Fateとか月姫好きな人間はこんな読みづらい文章の作品にハマったのか…?」と読み始めた頃は思っていた。
読みづらい、とにかく読みづらい…と思いながら読んでいたけど上巻の終盤に始まる第五章・矛盾螺旋あたりから「あれ?この本読みづらいけど結構面白いのでは…?」と思い始め、下巻を読破する頃には完全にハマっていた。
正直今でもこの本の内容を理解しきれているとは言えないけど、主人公両儀式とその親友黒桐幹也の恋愛物語にもうのめり込んでしまった。しばらく後にこの作品がアニメ化している事を知りすぐにレンタルで全巻借りて見た。
アニメの出来もとても素晴らしくもう空の境界熱は止まる所を知らなかった。生まれて初めてアニメのDVD、それも初回限定盤を買ってしまったし書店でアンソロジーコミックスも買った。寝ても覚めても両儀式の事ばかり考えていた。
この自分の「好きだ!」「こういうのが見たい!」という熱量が、自分にSSを書かせる行動力も与えてくれた。とあるコミュニティで空の境界のSSを投下していたのもこの時期だったと思う。出来はあれだったけど、熱量はあった。
空の境界と同じ世界の話という事でメルティブラッドにも手を出してプレイしたし、メルティブラッドと同じ世界という事でついにCS版Fateにも手を出してしまった。クリアするのに60時間以上かかったけど、あれも凄いノベルゲームだった。
ここまで来るともう空の境界が面白い、というだけでは収まらなかった。Fateの前日譚という事でFate/Zeroの小説を通販で全巻買って読んだ。滅茶苦茶面白かった。その後はネットの各所でFateのSSを読み耽りまくっていた。
空の境界のアニメを見たんだから他の型月作品のアニメも見るか!という事で、真月譚月姫、DEEN版Fate/stay nightのTV版と劇場版、Fate/Zeroのアニメをセールの時に全巻借りて三日で全話見てしまった。
正直今の自分には信じられないくらいの熱量がこの頃の自分にはあったと思う。倍速でアニメを見るのもしんどい今の自分が、TVアニメを計5クール分と劇場版アニメ一本を立て続けに見るとか、完全にハマっていた。
その後空の境界の続編小説が発売されている事を知りそれも読み、未来福音の劇場版も楽しみだったけれど劇場には見に行けなかったのでレンタルで旧作扱いになる一年後に100円で借りて見た。これも中々面白かった。
この型月熱はずっと続くかと思っていたけど、ハマってから数年経つとやっぱり少しずつ冷めてしまった。色んな要因が重なった物だと思う。
型月ファン同士の嫌になるような叩き合いを見たとか、とある型月ファンサイトで作品叩きやらキャラ叩きやら嫌な思いをしたとか、自分の中で神聖視していた式のエッチな絵を見て衝撃を受けたとか、色々重なった。
結局2014年頃に放送されたUBWのアニメ版は「劇場版の中で出来た自分のイメージと違うと嫌だから」という理由で見なかった。2017年にやっていたアポクリファのアニメは見たけど、こっちは先入観無く最後まで楽しめた。
多分今でも作品に触れたらそれなりに楽しめるんだろうなって思う。3/16事件とかDDDとか型月熱が冷めた後に触れてもそれなりに楽しかったから。それにしても、空の境界に熱狂してた頃は本当に楽しかった。
ある時月刊少年マガジンを立ち読みした時に「陸奥VS呂布」という謎の煽りを見て何だこの漫画は…?と思ったのがこの漫画に対する第一印象だったのは覚えている。実際に読んだのはそれから大分経ってからだった気がする。
刃牙の烈海王ボクシング編が「烈の門」と言われたり、夢枕獏の餓狼伝をパクった作品だと夢枕獏本人に名指しで批判された事で、タイトルだけは読む前から知っていた。知っていたけど、中々手に取る気が起きなかった
それでもまあ有名だからきっと面白いんだろうな…と思って読み始めた所、最初の方は絵がお世辞にも上手いとは言えなかったり背景も正直手抜きだと思っていたけれど、いつしか…いつの間にか読む内にこの漫画にハマっていた。
第二部の決勝戦の頃には完全にハマっていたから、恐らくその前の片山右京戦・飛田高明戦あたりでハマっていたのかもしれない。第一部初期はあー夢枕獏作品のパクリと言われたのも分かる…と思いながら読んでいたから。
気付いた時にはグラップラー刃牙や夢枕獏の作品より修羅の門には好きになっていた自分に驚いた。特に第四部バーリ・トゥード編は未だに全格闘漫画で一番面白いパートなのでは?と思っているほどお気に入りだったりする。
修羅の門を読み終えた後には「とにかく修羅関係の作品が読みたい!」と最初は歴史物だからという理由で全く興味が無かったスピンオフ修羅の刻も読んでいてそちらにもハマっていた。幕末編と西部編、とにかく面白いんですよ。
その修羅の刻も読み終えると「もう修羅でなくても良い…川原先生の作品なら何でも良い!」と、あの大長編海皇紀にも手を出していた。とにかく長くて表紙で何巻か見分けが付かない漫画、といえば知る人も居るかもしれない。
これもとにかく長かったんだけど…読み終える頃には「これもしかして修羅の門より面白くね!?」というくらいハマっていた。修羅の門を描いたご褒美なのか、とにかく川原先生の当時描きたい物を描いた漫画、だったのかもしれない。
この長い海皇紀もコツコツ集めて読み終えた頃には、他に読める川原先生の作品といえばパラダイス学園やあした青空、エンジェル、HEROなどの短期連載作品か…それとも当時月マガで連載していた修羅の門の続編か、だった。
修羅の門とは全然雰囲気が違うなあと思いながらも川原先生の初期の作品も読んだし、修羅の門第弐門も九十九VS姜子牙戦あたりから毎月リアルタイムで月マガを立ち読みして追っていた。とにかく夢中になっていた。
九十九VS子牙戦の間に挟まれた九十九VSケンシン・マエダ戦は「もしかしてこれ本当に九十九は負けたのでは…」と読んでいてハラハラしたし、その後のラスボス・海堂さんと九十九の戦いは最後までどちらが勝つか読めなかった。
この修羅の門第弐門のエピローグ、或いはプロローグにあたる修羅の刻・昭和編がその後月マガで連載されたのだけど、こちらも最後まで面白かった。あまりの面白さに単行本も珍しく新刊で買いました。これまた面白かった。
その修羅の刻・昭和編を読んで自分の中で一旦何かが満足したのか…川原先生の新作・龍帥の翼は自然と読まなくなった。これも海皇紀と同じで長くなりそうだ、と思ったのかもしれない。実際読んでみたら面白いんだろうけど。
これもいつ頃ハマったのかは覚えてないけど、少なくともアニメの四期が始まる以前だったような覚えがある。揺れるイントゥ・ザ・ブルー、が面白かった事がこの作品にハマった切っ掛けだったような気がするけどあまり覚えていない。
フルメタは最初の一巻か二巻かを読んだ後にその後長年放置していた覚えがあるんだけど、何かがきっかけで積読を崩してからはもう夢中になってフルメタを読み耽っていた。恐らく当時ロボアニメにハマっていたんだと思う。
短編はあまり好みじゃなかったけど、長編と中編が面白いのなんの。途中で積読が何巻か抜けていた時は自転車で即書店に走ってその抜けを埋めて読むくらい、それほどこの小説にハマっていた。夢中になって読んでいた。
途中で作者の後書きに反感を持ったり、正直最後の方の駆け足展開ご都合展開は好みじゃないと思ったけど、それでも面白くて時間を忘れて読んだ小説だった。スピンオフにあたるアナザーは未だ読んでいない。
2015年に荒川弘氏のコミカライズ版がTVアニメ化した作品。アニメの一話を見て面白いな!と思い、二話までにそれまで積んでいた角川文庫のアルスラーン戦記を全て読み終えた。滅茶苦茶面白かった。
アニメ版アルスラーン戦記も主題歌が良く荒川弘先生のキャラデザが魅力的という事で中々楽しく見ていた。割と初期に原作漫画を追い越してしまった影響か最後の方はアニオリ展開になってしまったのは残念だった。
とにかくこのアルスラーン戦記を読破した事で「やっぱり田中芳樹作品は面白い!」と思い、マヴァール年代記やタイタニア、夏の魔術や灼熱の竜騎兵等々それまで買っただけで積んでいた田中芳樹作品を貪るように読んでいた。
その中でも銀河英雄伝説は「数年かけてOVAを外伝まで完全に制覇したのに、何で大まかな話を知ってる話をもう一度活字で読まなければいけないんだ?」と思っていた。実際読んだら、凄い面白かった。
当たり前だけどアニメと小説は媒体が違うという一番の特徴があって、どれだけ声優さんやナレーターの人の語りを入れてもアニメでは原作小説で描かれていた部分をそのまま全て作品に出来る訳ではないのだな、と思った。
OVA版が長いのもあって丁度内容を忘れ始めていた事もあってか、それとも純粋にこの小説が名作だからか、この場面や台詞は先にアニメで見て知っているなと思いながらもワクワクしながら読んでいた。
本編10巻外伝4巻の計14巻を読破した後は満足感と寂寥感の両方があったかもしれない。長い小説だけど、2018年と2020年にリメイク版が地上波で放送された時はまた熱が蘇り読み返した。本当に良い作家さんだと思う。
自分の中で小説・ライトノベルを読むのが何より楽しみだった時期に読み耽っていた作品。これも一巻だけ読んだ後は長い事積んでいたけど、ふと他人のとらドラ!読後の感想を見かけてこれは面白そうだと思い積読を崩し始めた。
どんな作品にも言えるけど、ある時期話題になった作品というのはやっぱり話題になるだけの面白さはある物だと思う。一度読み始めると「この先は一体どうなるんだ!?」と気になって気になって仕方なくなった。
この作品を読んでいて特徴的だと思ったのは、ヒロイン達が男にとって都合の良い一種のアイドルではなく醜い所・駄目な所・嫌な所もある人間臭い存在として描かれている所だった。逆に男子達には理想が入っていた気がする。
積読を読み終えると続き読みたさに書店へ走り、それも読み終えると今度は「竹宮ゆゆこ先生の作品なら何でも良い!」とわたしたちの田村くんとゴールデンタイムも買って読み始めた。こちらも同じく最後まで楽しませてもらった。
特にゴールデンタイムは途中まではもしかしてこれはとらドラ!に匹敵する名作なのではないだろうか?と思っていた。とらドラより巻数が少なかったためか終盤は駆け足気味に話が終わらせたのが残念だった。
ゴールデンタイム以降竹宮ゆゆこ先生の作品には触れていないけれど、彼女が電撃文庫で発表した二十数巻の小説はある時期の自分を本当に楽しませてくれた素晴らしい作品だった。本当にありがたい事だと思う。
いつだったか自分の中で野球漫画ブームが起きていた時期があった覚えがある。現実の野球が大好きという訳ではないけど、漫画というフィクションの中で描かれる野球という競技には本当にワクワクさせられた。
ドカベンなどの水島新司作品は書店で片っ端から買い漁ったし、他にもあだち充作品、ラストイニング、おおきく振りかぶって、名門!第三野球部、ペナントレースやまだたいちの奇蹟などとにかく野球漫画を読みまくった。面白かった。
登場する女の子の可愛さは最強!都立あおい坂高校野球部が抜群だった気がする。中でも一番読んでいて夢中になれた作品はラストイニングだけど、結局何とか甲子園に出場した所以降はまだ読んでいない。いつか読みたい。
野球漫画を片っ端から読んでいく内に、それまでタイトルと絵だけは知っていたけど読んだ事が無かったあだち充作品にも触れる事になった。最初に読んだ作品はH2だったと思うけどこれがもう面白いのなんの。
野球と恋愛をセットの物として描くからこっちは今野球が読みたいだけなのに!と思っている時はその恋愛要素が鬱陶しく感じる事もあったけど、それ込みで野球というスポーツを描く作品として本当に面白かった。
H2の後はタッチやクロスゲームなどの野球物は勿論の事、ラフ・虹色とうがらし・いつも美空、みゆきなど野球要素が無いあだち充作品も明後日は読み耽っていた。読んでいて一番自分に合ってるな、と思ったのはクロスゲームだった。
古本屋で全巻セットがお得なお値段で売られていた事から出会った作品。タイトルだけは知っていたけどあまりに長すぎて自分が読む事は無いだろうな、と思っていたから意外な出会いだった。
82年連載開始の漫画という事で、最初は絵も内容も古いな…と思いながら読んでいたけど、絵が読みやすくなったりキャラクターに愛着を感じ始める頃には流石長期連載される漫画だけあって面白い!と思いハマっていた。
主人公コータローがとにかく作中で色んな事に手を出すのでこういう漫画である、と一言では言えないんだけれど…格闘・バトル・学園物の漫画というのが近い気がする。もっと言うなら何でも有り漫画なのかもしれない。
全59巻という長さにも拘らず最初から最後まで面白いストーリー漫画というのは本当に衝撃的だった。これは続編も面白いに違いない!と早速柔道編も買って読んだけど期待は裏切られる事無くやはりそちらも名作だった。
この名作少年漫画が原作者の蛭田達也先生の病気療養が理由で2004年から連載が休止している事は知っているけど、実際に単行本最終巻を読むともうここから先は読めないんだな…と寂しく思ってしまった。
コータローまかりとおる!の連載が休止して再来年で20年、この名作の続きが世に出る事があればこんなにめでたい事も無いのに…と思う。昔の漫画だけど本当に面白くて90巻以上退屈せずに読めるって凄い事だと思う。
しかし、先日、10年以上付き合いのある同性の親友から告白されて以来、恋愛描写が書けなくなりました。
というより、書くのが怖くなりました。
私は今まで誰のことも好きになったことがない所謂アロマンティックで、かつ、学生時代から地味で鈍臭い非モテでした。誰ともまともに交際したことがありません。
自分の作品で恋愛をメインテーマにしていたのも、自分がしたことのない経験や感情を想像して書くのが楽しかったからです。私にとって恋愛はファンタジーのようなものだったのです。
しかし、急にそれが身近なものになったことに驚いたのでしょうか、最近、何にも書けません。
親友は最初に「昔恋愛感情を抱いていたことがある」と打ち明けました。
その後話を聞いていくと、「実は今も4割くらいは恋している。6割は友情だけど」「あなた(私)が○○さんと仲良さそうにしているのを見て嫉妬していた」と出てきました。
ちなみにこの○○さんと知り合ったのはここ半年ちょっとなので、私は思わず「全然昔じゃないね……」と言ってしまいました。彼女は「そうだね」と少し暗い声で答えました。
申し訳なさすぎて身がちぎれそうでした。
結局私は誰のことも好きになれないアロマンティックだし、彼女のことは親友だと思ってるし、必死で言葉を選びながら「ごめんなさい。あなたの思いには応えられないけど、これからも仲良くして欲しい」という旨を伝えました。
親友も「吐き出してスッキリしてしまいたかっただけだから、断られる前提だから気にしないで」と言っていました。
その後はいつも通り最近読んだ漫画やハマっているゲームなどの他愛のない話をして別れました。
気にしないでと言われたので、私は気にせずいるつもりでした。
が、自分の小説を書こうとした瞬間、それはふっと私の脳裏を掠めました。
それからはもう全然だめなのです。あらゆる恋愛感情を書こうとするたび、彼女の苦しそうな声を思い出してしまいます。
彼女は今まで私の小説をどんな気持ちで読んでいたのだろう。これからどんな気持ちで読むのだろう。
親友の片思いにも気付かないで、甘酸っぱい片思いの話などを綴る私はどんなに非道い親友だっただろうか。
私がこれから書くことは彼女の気持ちを踏み躙る行為ではないのか。彼女の告白への冒涜ではないのか。
そんな気持ちが襲ってきて、なにも手につかなくなりました。
そして、なによりも最悪なのは、「同性の親友に告白されたこと」よりも「小説を書けないこと」に苦しんでいる私自身のみみっちさです。
最悪です。自分の性格がいいなんて思ったことはありませんが、こんなにも性格の悪い人間だとも思っていませんでした。
私にとっては小説を書くことは親友と同じくらい大好きで、生き甲斐で、そのために生きていたようなものです。呼吸をするのと同じくらい大切なことなのです。
でも、だからといって、親友の告白を平気で無碍にしたくせに素知らぬ顔で恋愛小説を書き続けられないし、書けない理由を親友のせいにしてしまう自分もすごくすごく嫌。
でも、大事な原稿の〆切が迫ってることは知ってたはずなのに、なんで今……とも思ってしまう……。
でも、私が今原稿を落としたら親友は自分のせいでと思ってしまうのでは…………
でも…………
本当に苦しい。
息ができないみたいに苦しい…………。
自分が嫌すぎて死にそうです。
しかし、先日、10年以上付き合いのある同性の親友から告白されて以来、恋愛描写が書けなくなりました。
というより、書くのが怖くなりました。
私は今まで誰のことも好きになったことがない所謂アロマンティックで、かつ、学生時代から地味で鈍臭い非モテでした。誰ともまともに交際したことがありません。
自分の作品で恋愛をメインテーマにしていたのも、自分がしたことのない経験や感情を想像して書くのが楽しかったからです。私にとって恋愛はファンタジーのようなものだったのです。
しかし、急にそれが身近なものになったことに驚いたのでしょうか、最近、何にも書けません。
親友は最初に「昔恋愛感情を抱いていたことがある」と打ち明けました。
その後話を聞いていくと、「実は今も4割くらいは恋している。6割は友情だけど」「あなた(私)が○○さんと仲良さそうにしているのを見て嫉妬していた」と出てきました。
ちなみにこの○○さんと知り合ったのはここ半年ちょっとなので、私は思わず「全然昔じゃないね……」と言ってしまいました。彼女は「そうだね」と少し暗い声で答えました。
申し訳なさすぎて身がちぎれそうでした。
結局私は誰のことも好きになれないアロマンティックだし、彼女のことは親友だと思ってるし、必死で言葉を選びながら「ごめんなさい。あなたの思いには応えられないけど、これからも仲良くして欲しい」という旨を伝えました。
親友も「吐き出してスッキリしてしまいたかっただけだから、断られる前提だから気にしないで」と言っていました。
その後はいつも通り最近読んだ漫画やハマっているゲームなどの他愛のない話をして別れました。
気にしないでと言われたので、私は気にせずいるつもりでした。
が、自分の小説を書こうとした瞬間、それはふっと私の脳裏を掠めました。
それからはもう全然だめなのです。あらゆる恋愛感情を書こうとするたび、彼女の苦しそうな声を思い出してしまいます。
彼女は今まで私の小説をどんな気持ちで読んでいたのだろう。これからどんな気持ちで読むのだろう。
親友の片思いにも気付かないで、甘酸っぱい片思いの話などを綴る私はどんなに非道い親友だっただろうか。
私がこれから書くことは彼女の気持ちを踏み躙る行為ではないのか。彼女の告白への冒涜ではないのか。
そんな気持ちが襲ってきて、なにも手につかなくなりました。
そして、なによりも最悪なのは、「同性の親友に告白されたこと」よりも「小説を書けないこと」に苦しんでいる私自身のみみっちさです。
最悪です。自分の性格がいいなんて思ったことはありませんが、こんなにも性格の悪い人間だとも思っていませんでした。
私にとっては小説を書くことは親友と同じくらい大好きで、生き甲斐で、そのために生きていたようなものです。呼吸をするのと同じくらい大切なことなのです。
でも、だからといって、親友の告白を平気で無碍にしたくせに素知らぬ顔で恋愛小説を書き続けられないし、書けない理由を親友のせいにしてしまう自分もすごくすごく嫌。
でも、大事な原稿の〆切が迫ってることは知ってたはずなのに、なんで今……とも思ってしまう……。
でも、私が今原稿を落としたら親友は自分のせいでと思ってしまうのでは…………
でも…………
本当に苦しい。
息ができないみたいに苦しい…………。
自分が嫌すぎて死にそうです。