わたしたちはキャストの側にいたわけじゃない。四六時中コミュニケーションを取ったりいつも一緒に喋ったわけでもない。でも好きだったから、Twitter や配信やymgrの、音や動きや言葉を通じて「彼ら」を感じて
それが嬉しかった。
今のわたしはもうそれをすることができない。言葉も見れないし声も聞こえない。話すことももちろんできない。好きだったキャストの存在感が私のそばから消えた。「存在感」しか、彼女の「存在」を確かめるすべはなかったのに。
わたしは彼女らが、何かを見たり聞いたりしてそれに反応するのを見るのが好きだった。彼女らが何かに執着したり何かを嫌ったりすること、その好き嫌いやその理由を知ることが好きだった。そこにわたしにとって世界一かわいくて世界一眩しい個性があって、それに驚かされたり確かめたりすることがわたしの生き甲斐だった。
それがわたしにとっての彼女らの存在感だった。存在感が無くなって、だから存在するのかどうかも分からなくなって
寂しくなったり、不安になったり、何かがおかしいと感じたりするのはなぜなんだろうか
これは愛じゃない、愛なら存在感が自分から離れても平気なはずで、
じゃあこの寂しく不安に感じる日々はなんなんだろう。