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はてなキーワード: 小泉八雲とは

2024-11-17

2025年前期のあんぱんで後期がばけばけ

あんぱんもばけばけも興味がある分野で

小泉八雲!?えーーっってなってしまった

意地でも朝ドラ見るしかいか

どうにか平日15分毎日時間をとって……

あぁ、わたしまんぷく見るの挫折したんだよなー

2024-09-30

三  学年は九月十一日に始まった。三四郎は正直に午前十時半ごろ学校へ行ってみたが、玄関前の掲示場に講義時間割りがあるばかりで学生は一人もいない。自分の聞くべき分だけを手帳に書きとめて、それから事務室へ寄ったら、さすがに事務員だけは出ていた。講義はいからまりますかと聞くと、九月十一日から始まると言っている。すましたものである。でも、どの部屋を見ても講義がないようですがと尋ねると、それは先生がいないからだと答えた。三四郎はなるほどと思って事務室を出た。裏へ回って、大きな欅の下から高い空をのぞいたら、普通の空よりも明らかに見えた。熊笹の中を水ぎわへおりて、例の椎の木の所まで来て、またしゃがんだ。あの女がもう一ぺん通ればいいくらいに考えて、たびたび丘の上をながめたが、丘の上には人影もしなかった。三四郎はそれが当然だと考えた。けれどもやはりしゃがんでいた。すると、午砲が鳴ったんで驚いて下宿へ帰った。  翌日は正八時に学校へ行った。正門をはいると、とっつきの大通りの左右に植えてある銀杏並木が目についた。銀杏が向こうの方で尽きるあたりから、だらだら坂に下がって、正門のきわに立った三四郎から見ると、坂の向こうにある理科大学は二階の一部しか出ていない。その屋根のうしろ朝日を受けた上野の森が遠く輝いている。日は正面にある。三四郎はこの奥行のある景色を愉快に感じた。  銀杏並木こちら側で尽きる右手には法文科大学がある。左手には少しさがって博物の教室がある。建築は双方ともに同じで、細長い窓の上に、三角にとがった屋根突き出している。その三角の縁に当る赤煉瓦と黒い屋根のつぎめの所が細い石の直線でできている。そうしてその石の色が少し青味を帯びて、すぐ下にくるはでな赤煉瓦一種の趣を添えている。そうしてこの長い窓と、高い三角が横にいくつも続いている。三四郎はこのあいだ野々宮君の説を聞いてから以来、急にこの建物をありがたく思っていたが、けさは、この意見が野々宮君の意見でなくって、初手から自分の持説であるような気がしだした。ことに博物室が法文科と一直線に並んでいないで、少し奥へ引っ込んでいるところが不規則で妙だと思った。こんど野々宮君に会ったら自分発明としてこの説を持ち出そうと考えた。  法文科の右のはずれから半町ほど前へ突き出している図書館にも感服した。よくわからないがなんでも同じ建築だろうと考えられる。その赤い壁につけて、大きな棕櫚の木を五、六本植えたところが大いにいい。左手のずっと奥にある工科大学封建時代西洋のお城から割り出したように見えた。まっ四角にできあがっている。窓も四角である。ただ四すみと入口が丸い。これは櫓を形取ったんだろう。お城だけにしっかりしている。法文科みたように倒れそうでない。なんだか背の低い相撲取りに似ている。  三四郎は見渡すかぎり見渡して、このほかにもまだ目に入らない建物がたくさんあることを勘定に入れて、どことな雄大な感じを起こした。「学問の府はこうなくってはならない。こういう構えがあればこそ研究もできる。えらいものだ」――三四郎大学者になったような心持ちがした。  けれども教室はいってみたら、鐘は鳴っても先生は来なかった。その代り学生も出て来ない。次の時間もそのとおりであった。三四郎は癇癪を起こして教場を出た。そうして念のために池の周囲を二へんばかり回って下宿へ帰った。  それから約十日ばかりたってから、ようやく講義が始まった。三四郎がはじめて教室はいって、ほかの学生といっしょに先生の来るのを待っていた時の心持ちはじつに殊勝なものであった。神主が装束を着けて、これから祭典でも行なおうとするまぎわには、こういう気分がするだろうと、三四郎自分自分の了見を推定した。じっさい学問の威厳に打たれたに違いない。それのみならず、先生ベルが鳴って十五分立っても出て来ないのでますます予期から生ずる敬畏の念を増した。そのうち人品のいいおじいさんの西洋人が戸をあけてはいってきて、流暢な英語講義を始めた。三四郎はその時 answer という字はアングロ・サクソン語の and-swaru から出たんだということを覚えた。それからスコットの通った小学校の村の名を覚えた。いずれも大切に筆記帳にしるしておいた。その次には文学論の講義に出た。この先生教室はいって、ちょっと黒板をながめていたが、黒板の上に書いてある Geschehen という字と Nachbild という字を見て、はあドイツ語かと言って、笑いながらさっさと消してしまった。三四郎はこれがためにドイツ語に対する敬意を少し失ったように感じた。先生は、それから古来文学者が文学に対して下した定義をおよそ二十ばかり並べた。三四郎はこれも大事手帳に筆記しておいた。午後は大教室に出た。その教室には約七、八十人ほどの聴講者がいた。したがって先生演説口調であった。砲声一発浦賀の夢を破ってという冒頭であったから、三四郎おもしろがって聞いていると、しまいにはドイツ哲学者の名がたくさん出てきてはなはだ解しにくくなった。机の上を見ると、落第という字がみごとに彫ってある。よほど暇に任せて仕上げたものみえて、堅い樫の板をきれいに切り込んだてぎわは素人とは思われない。深刻のできである。隣の男は感心に根気よく筆記をつづけている。のぞいて見ると筆記ではない。遠くから先生の似顔をポンチにかいていたのである三四郎のぞくやいなや隣の男はノート三四郎の方に出して見せた。絵はうまくできているが、そばに久方の雲井の空の子規と書いてあるのは、なんのことだか判じかねた。  講義が終ってから三四郎はなんとなく疲労したような気味で、二階の窓から頬杖を突いて、正門内の庭を見おろしていた。ただ大きな松や桜を植えてそのあいだに砂利を敷いた広い道をつけたばかりであるが、手を入れすぎていないだけに、見ていて心持ちがいい。野々宮君の話によるとここは昔はこうきれいではなかった。野々宮君の先生のなんとかいう人が、学生の時分馬に乗って、ここを乗り回すうち、馬がいうことを聞かないで、意地を悪くわざと木の下を通るので、帽子が松の枝に引っかかる。下駄の歯が鐙にはさまる。先生はたいへん困っていると、正門前喜多床という髪結床の職人がおおぜい出てきて、おもしろがって笑っていたそうである。その時分には有志の者が醵金して構内に厩をこしらえて、三頭の馬と、馬の先生とを飼っておいた。ところが先生がたいへんな酒飲みで、とうとう三頭のうちのいちばんいい白い馬を売って飲んでしまった。それはナポレオン三世時代の老馬であったそうだ。まさかナポレオン三世時代でもなかろう。しかのん気な時代もあったものだと考えていると、さっきポンチ絵かいた男が来て、 「大学講義はつまらんなあ」と言った。三四郎はいいかげんな返事をした。じつはつまるかつまらいか三四郎にはちっとも判断ができないのであるしかしこの時からこの男と口をきくようになった。  その日はなんとなく気が鬱して、おもしろくなかったので、池の周囲を回ることは見合わせて家へ帰った。晩食後筆記を繰り返して読んでみたが、べつに愉快にも不愉快にもならなかった。母に言文一致手紙を書いた。――学校は始まった。これから毎日出る。学校はたいへん広いいい場所で、建物もたいへん美しい。まん中に池がある。池の周囲を散歩するのが楽しみだ。電車には近ごろようやく乗り馴れた。何か買ってあげたいが、何がいいかからいから、買ってあげない。ほしければそっちから言ってきてくれ。今年の米はいまに価が出るから、売らずにおくほうが得だろう。三輪田のお光さんにはあまり愛想よくしないほうがよかろう。東京へ来てみると人はいくらでもいる。男も多いが女も多い。というような事をごたごた並べたものであった。  手紙を書いて、英語の本を六、七ページ読んだらいやになった。こんな本を一冊ぐらい読んでもだめだと思いだした。床を取って寝ることにしたが、寝つかれない。不眠症になったらはやく病院に行って見てもらおうなどと考えているうちに寝てしまった。  あくる日も例刻に学校へ行って講義を聞いた。講義あいだに今年の卒業生がどこそこへいくらで売れたという話を耳にした。だれとだれがまだ残っていて、それがある官立学校地位競争している噂だなどと話している者があった。三四郎漠然と、未来が遠くから眼前に押し寄せるようなにぶい圧迫を感じたが、それはすぐ忘れてしまった。むしろ昇之助がなんとかしたというほうの話がおもしろかった。そこで廊下熊本出の同級生をつかまえて、昇之助とはなんだと聞いたら、寄席へ出る娘義太夫だと教えてくれた。それから寄席看板はこんなもので、本郷のどこにあるということまで言って聞かせたうえ、今度の土曜にいっしょに行こうと誘ってくれた。よく知ってると思ったら、この男はゆうべはじめて、寄席へ、はいったのだそうだ。三四郎はなんだか寄席へ行って昇之助が見たくなった。  昼飯を食いに下宿へ帰ろうと思ったら、きのうポンチ絵かいた男が来て、おいおいと言いながら、本郷の通りの淀見軒という所に引っ張って行って、ライスカレーを食わした。淀見軒という所は店で果物を売っている。新しい普請であった。ポンチ絵かいた男はこの建築の表を指さして、これがヌーボー式だと教えた。三四郎建築にもヌーボー式があるものとはじめて悟った。帰り道に青木堂も教わった。やはり大学生のよく行く所だそうである赤門はいって、二人で池の周囲を散歩した。その時ポンチ絵の男は、死んだ小泉八雲先生教員控室へはいるのがきらいで講義がすむといつでもこの周囲をぐるぐる回って歩いたんだと、あたか小泉先生に教わったようなことを言った。なぜ控室へはいらなかったのだろうかと三四郎が尋ねたら、 「そりゃあたりまえださ。第一彼らの講義を聞いてもわかるじゃないか。話せるものは一人もいやしない」と手ひどいことを平気で言ったには三四郎も驚いた。この男は佐々木与次郎といって、専門学校卒業して、今年また選科へはいったのだそうだ。東片町の五番地の広田という家にいるから、遊びに来いと言う。下宿かと聞くと、なに高等学校先生の家だと答えた。  それから当分のあい三四郎毎日学校へ通って、律義に講義を聞いた。必修課目以外のものへも時々出席してみた。それでも、まだもの足りない。そこでついには専攻課目にまるで縁故のないものまでへもおりおりは顔を出した。しかしたいていは二度か三度でやめてしまった。一か月と続いたのは少しもなかった。それでも平均一週に約四十時間ほどになる。いかな勤勉な三四郎にも四十時間はちと多すぎる。三四郎はたえず一種の圧迫を感じていた。しかるにもの足りない。三四郎は楽しまなくなった。  ある日佐々木与次郎に会ってその話をすると、与次郎は四十時間と聞いて、目を丸くして、「ばかばか」と言ったが、「下宿屋のまずい飯を一日に十ぺん食ったらもの足りるようになるか考えてみろ」といきなり警句でもって三四郎をどやしつけた。三四郎はすぐさま恐れ入って、「どうしたらよかろう」と相談をかけた。 「電車に乗るがいい」と与次郎が言った。三四郎は何か寓意でもあることと思って、しばらく考えてみたが、べつにこれという思案も浮かばないので、 「本当の電車か」と聞き直した。その時与次郎はげらげら笑って、 「電車に乗って、東京を十五、六ぺん乗り回しているうちにはおのずからもの足りるようになるさ」と言う。 「なぜ」 「なぜって、そう、生きてる頭を、死んだ講義で封じ込めちゃ、助からない。外へ出て風を入れるさ。その上にもの足りる工夫はいくらでもあるが、まあ電車が一番の初歩でかつもっとも軽便だ」  その日の夕方与次郎三四郎を拉して、四丁目から電車に乗って、新橋へ行って、新橋からまた引き返して、日本橋へ来て、そこで降りて、 「どうだ」と聞いた。  次に大通りから細い横町へ曲がって、平の家という看板のある料理屋へ上がって、晩飯を食って酒を飲んだ。そこの下女はみんな京都弁を使う。はなはだ纏綿している。表へ出た与次郎は赤い顔をして、また 「どうだ」と聞いた。  次に本場の寄席へ連れて行ってやると言って、また細い横町はいって、木原店という寄席を上がった。ここで小さんという落語家を聞いた。十時過ぎ通りへ出た与次郎は、また 「どうだ」と聞いた。  三四郎は物足りたとは答えなかった。しかしまんざらもの足りない心持ちもしなかった。すると与次郎は大いに小さん論を始めた。  小さんは天才であるあん芸術家はめったに出るものじゃない。いつでも聞けると思うから安っぽい感じがして、はなはだ気の毒だ。じつは彼と時を同じゅうして生きている我々はたいへんなしあわせである。今からしまえに生まれても小さんは聞けない。少しおくれても同様だ。――円遊もうまいしかし小さんとは趣が違っている。円遊のふんした太鼓持は、太鼓持になった円遊だからおもしろいので、小さんのやる太鼓持は、小さんを離れた太鼓持だからおもしろい。円遊の演ずる人物から円遊を隠せば、人物がまるで消滅してしまう。小さんの演ずる人物からいくら小さんを隠したって、人物は活発溌地に躍動するばかりだ。そこがえらい。  与次郎はこんなことを言って、また 「どうだ」と聞いた。実をいうと三四郎には小さんの味わいがよくわからなかった。そのうえ円遊なるものはいまだかつて聞いたことがない。したがって与次郎の説の当否は判定しにくい。しかしその比較ほとんど文学的といいうるほどに要領を得たには感服した。  高等学校の前で別れる時、三四郎は、 「ありがとう、大いにもの足りた」と礼を述べた。すると与次郎は、 「これからさきは図書館でなくっちゃもの足りない」と言って片町の方へ曲がってしまった。この一言三四郎ははじめて図書館はいることを知った。  その翌日から三四郎は四十時間講義ほとんど半分に減らしてしまった。そうして図書館はいった。広く、長く、天井が高く、左右に窓のたくさんある建物であった。書庫入口しか見えない。こっちの正面からのぞくと奥には、書物いくらでも備えつけてあるように思われる。立って見ていると、書庫の中から、厚い本を二、三冊かかえて、出口へ来て左へ折れて行く者がある。職員閲覧室へ行く人であるなかに必要の本を書棚からとりおろして、胸いっぱいにひろげて、立ちながら調べている人もある。三四郎はうらやましくなった。奥まで行って二階へ上がって、それから三階へ上がって、本郷より高い所で、生きたものを近づけずに、紙のにおいをかぎながら、――読んでみたい。けれども何を読むかにいたっては、べつにはっきりした考えがない。読んでみなければわからないが、何かあの奥にたくさんありそうに思う。  三四郎一年生だから書庫はい権利がない。しかたなしに、大きな箱入りの札目録を、こごんで一枚一枚調べてゆくと、いくらめくってもあとから新しい本の名が出てくる。しまいに肩が痛くなった。顔を上げて、中休みに、館内を見回すと、さすがに図書館だけあって静かなものであるしかも人がたくさんいる。そうして向こうのはずれにいる人の頭が黒く見える。目口ははっきりしない。高い窓の外から所々に木が見える。空も少し見える。遠くから町の音がする。三四郎は立ちながら、学者生活は静かで深いものだと考えた。それでその日はそのまま帰った。  次の日は空想をやめて、はいるとさっそく本を借りた。しかし借りそくなったので、すぐ返した。あとから借りた本はむずかしすぎて読めなかったからまた返した。三四郎はこういうふうにして毎日本を八、九冊ずつは必ず借りた。もっともたまにはすこし読んだのもある。三四郎が驚いたのは、どんな本を借りても、きっとだれか一度は目を通しているという事実発見した時であった。それは書中ここかしこに見える鉛筆のあとでたしかである。ある時三四郎は念のため、アフラベーンという作家小説を借りてみた。あけるまでは、よもやと思ったが、見るとやはり鉛筆で丁寧にしるしがつけてあった。この時三四郎はこれはとうていやりきれないと思った。ところへ窓の外を楽隊が通ったんで、つい散歩に出る気になって、通りへ出て、とうとう青木堂へはいった。  はいってみると客が二組あって、いずれも学生であったが、向こうのすみにたった一人離れて茶を飲んでいた男がある。三四郎がふとその横顔を見ると、どうも上京の節汽車の中で水蜜桃をたくさん食った人のようである。向こうは気がつかない。茶を一口飲んでは煙草を一吸いすって、たいへんゆっくり構えている。きょうは白地の浴衣をやめて、背広を着ている。しかしけっしてりっぱなものじゃない。光線の圧力の野々宮君より白シャツけがましなくらいなものである三四郎は様子を見ているうちにたしか水蜜桃だと物色した。大学講義を聞いてから以来、汽車の中でこの男の話したことがなんだか急に意義のあるように思われだしたところなので、三四郎そばへ行って挨拶をしようかと思った。けれども先方は正面を見たなり、茶を飲んでは煙草をふかし、煙草をふかしては茶を飲んでいる。手の出しようがない。

anond:20240930173301

2024-08-18

耳なし芳一」は誤解されてるんじゃないか

耳なし芳一は、盲人である芳一が耳まで(聴覚まで)取られてしまうところが怖いんであって、小泉八雲が「怪談」で書いているように、耳を取られたけど怪我が治って(聴覚も失わず琵琶法師を続けたというのは、ちょっと違うんじゃないだろうか。

2024-07-03

10年後の新紙幣に思いを馳せたらショボすぎて泣きそう

これが俺の三連単や!

一万円札卑弥呼

五千円札:弥助

千円札孫悟空ドラゴンボール

一万円札卑弥呼 選抜理由ポリコレ男女平等

男女平等のために五千円札にそこまで大したことやってない女性偉人を押し上げるのがブームじゃないですか?

でもこれって次も五千円札にしたら「は?女だから最高額紙幣は無理だと?」ってイチャモンがつくと思うんですよ。

そこで一万円にショボイ女性偉人を輩出したら「は?日本の女はこの程度しかいないと?」ってなるじゃないですか。

まり歴代の最高額紙幣に負けない女性偉人必要になるわけですね。

日本でそのレベルってもう卑弥呼だけでしょ?

まあここはまだ納得できる気はするんですよね。

五千円札:弥助 選抜理由ポリコレ人種平等

一万円札女性枠になったことで、今まで女性枠だった五千円札が空白になるわけですよね。

でも既に五千円札ってポリコレ枠みたいなイメージがあるじゃないですか?

下りられないレールっていうか。

一万円に女性を入れたかトレードってやるわけにも行かないっていうか、根強く残る男尊女卑ジジイ的にもここで「今回一番強い男はこれです!」って出してもなんか負けた気がする。

というわけで色々な思惑が絡み合って人種平等枠になっちゃうのかなって。

人種平等と言っても日本ガチの人種差を感じるシャクシャインとかを紙幣にするのは流石に冒険でしょ?

じゃあ小泉八雲辺りっていうのもありなんですけど、白人を使うと今度は白人至上主義っぽくなってそれはもう今の時代には冒険でしょでしょ?

つうわけで黒人ですよ。

そこでまあ知名度とか「変な方向に活躍しすぎてない」とか色々考慮していくと、無難に弥助が来るのかなって。

自分でやってて悲しくなっちゃいましたよ。

ポリコレ迎合しすぎだろ。

千円札孫悟空ドラゴンボール) 選抜理由文化アピールクールジャパン

千円札っていうとやっぱこう文化科学で結果を出した人を置いて「日本スゴイんだ!」って世界アピールする感じじゃないっすか?

でもなんかこうノーベル化学賞とかもいい加減ネタ切れっていうか、案外地味なのしか居ないっていうか、結果出してる人以外と存命っていうかでしょ?

いっそドクター中松みたいなのを置くのも面白そうなんですよ。

ゆーてちょっとは真面目にやるなら塚治虫とかでもいいかなと。

でも手塚治虫ってなんかこう外人から見たら地味な気がするんですよね。

世界日本スゴイをアピールしたいじゃないですか。

そこで思ったんですけど、鳥山明って世界的にはめっちゃ評価されているなと。

でも鳥山明自体が有名ってよりもドラゴンボールが有名なんですよね。

じゃあもうカカロットでいいじゃんってわけですよ。

法定通貨アニメキャラクターってマジでクールじゃないっすか?

最近日本人って失い続けた50年のせいでめっちゃスゴイに飢えてて、特に外人からクールだと思われたくてしょうがないでしょ?

そういう流れでドラゴンボールちゃうかなって。

うーん思考実験にすぎないんですけど、マジで悲しくなってきちゃった。

どこに向かってるんだろうねこの国は。

いやでもマジで最近紙幣ショボすぎるでしょ。

渋沢栄一はともかく津田梅子北里柴三郎っすよ?

なんなんすかね?

これならまだ卑弥呼・弥助・カカロットの方がマシに見えてきたな。

マジで終わってるわ日本銀行のセンス

2024-06-19

[]

〔「これは酷い話だ。」私は語ってくれた友人に言った。「死者の復讐は──全て受け入れるとして──男が受けるべきだ。」

「男の人はそう考えます」彼は答えを返した。「けれど女の感じ方とは違う……」

その通りであった。〕

奇談 破られた約束 ラフカディオ・ハーン小泉八雲

https://open-shelf.appspot.com/WeirdTalesFromJapan/chapter4.html

2024-06-12

NHK 25年秋放送朝ドラ「ばけばけ」発表 小泉八雲の妻描く ヒロインオーディションで選出

私も今年51歳ですが新しい挑戦だと思って

ヒロインオーディションに応募しようと思っています

今日の朝、夢の為にと言う理由

退職届を提出しました。


悩みましたが一度きりの人生悔いなく楽しみたいと思います

2023-11-07

「三体」が好きだった人にオススメしたいSF小説・追補編

条件を満たしているわけじゃないけど何となく思い出した作品

東浩紀

クォンタム・ファミリーズは並行宇宙から流れ込んできた情報きっかけに物語が進む。自分の娘と名乗る相手から受けたメッセージを手掛かりに、作家である主人公はもう一つの世界に入りこむ。そこでは妻との関係も良好で、作るのをためらっていた子供もいる。自分作家ではなく、ブロガー政治活動をしてコミュニティを作っているらしい世界適応していこうとするが、さらにほかの世界が絡まってきて……というお話

クリュセの魚未来火星舞台に、自分と同じ日系人の優しいお姉ちゃんとの出会いから始まるおねショタに見せかけて、お姉ちゃんが今は亡き日本国に関するとんでもない秘密を抱えていたっていうお話で、さっき書いた「日本沈没」の精神的な続編というくだりから思い出した。舞台は遠い未来で、日本という国家他国に吸収されてアイデンティティが失われているからだ。

柴田勝家

走馬灯セトリは考えておいて」Vtuber小説なんだけど、接続された女みたいな暗鬱な感じじゃなくて、現代推し文化肯定的描写していて楽しい

「ヒト夜の永い夢」仮想昭和史もので、意外な人物が意外な形で出てくるので歴史を知っていると深刻なストーリーなのに笑ってしまう。登場人物男性に偏っているのは往年の少年探偵団へのオマージュだろうし、だから世界の謎が女性の姿をしている。下ネタが多いのは屍者の帝国との差別化だろう。

宮内悠介

この人は創元SF短篇出身の中でも頭一つ抜けている。どれを読んでも大体面白いんだけど、まずはグロ描写もあるけど最初「盤上の夜」と、あえてユーモアSFである「超動く家にて」おすすめしたい。

というか、ギャグが書ける作家って貴重だよね。

長谷敏司

さっき「allo, toi, toi」を紹介したけど、BEATLESS面白かった。人工知能機械女の子主人公男の子という手垢のついたようなモチーフなんだけど、女の子のほうがあくま自分人間ではなく機械だと一貫して主張し、責任を取るのはあなただという。これはシンギュラリティを迎えたAI人間との信頼を築く話なのか、完全に人間を手玉に取っているのか、みんなはどう読む?

あなたのための物語は末期がん苦痛の中で孤立し、尊厳もなく死んでいく描写が冒頭にあり、なぜそうなったかが作中で語られていくのだが、二度と読み返したくないほど壮絶。

サイエンスを信じているという意味では藤井太洋候補に入ると思うんだけど、あまりにもオプティミスティックなのと、意識の高さと言うかビジネス描写面白いとは感じられなかった。今までの日本SFでは見られないタイプだし、優れているんだけど肌には合わない。

あと、ミシェル・ウエルベックとある作品人類未来描写するんだけど、ジャンルSFってことを言うとネタバレになるからどれかは言えない。

ちなみに今読んでいるのがフレドリック・ブラウンの全短編で、星新一の源流の一つなんだけど、自分は最新のSF古典SFを交互に読み、それに飽きたら純文学に走り、さらに飽きたらノンフィクションをぶっ通しで読むという癖がある。

読書系の増田を書くと普段ブクマしない人が来てくれるので楽しい

(翌日追記平野啓一郎「ドーン」ってSFを書いていて、政治色が強いけど面白かった)

そういえば「竜の卵」いいよね。civilizationゲームといい、小泉八雲安芸之助の夢」といい、僕は箱庭系の世界が好きなんだ。コンウェイライフゲームをぼーっと見ているのも好き。

全然関係ないけど、キム・スタンリーロビンソン火星三部作」で、火星の大地を巨大レーザー照射して運河作っちゃうシーンが好き。

月曜に増田書くと疲れるのでおやすみなさい。

2023.11.8追記

また早川書房 翻訳SFファンタジイ編集部ツイッターに捕捉されてて吹いた。これが推し認知されるってやつだろうか?

ブクマが700まで行った。どひゃー。

そういえばブコメ女性宇宙を書く作家多いじゃんって突っ込まれてたけど、ここ数年を含めると確かにヒューゴー賞ネビュラ賞も大きく顔触れが変わっているね(アメリカでは受賞者の多様性をめぐって大きな議論があったんだけどそれ以来)。基礎資料に当たってなかったのはまずかった。

どうも僕は最新の文学を追うというよりも、数十年単位物事を見ている傾向にあり、というかここ三十年を最近とみなしているところがある。これが歴史に対する興味由来なのか、僕の年齢のせいなのかはわからない。

かにたくさんの作品を薦めすぎてしまったようだ(前編で書いた条件で絞りはしたものの、それ以外のものを含めればいくらでも薦めたい作品があるし、漫画だってある)。それでも、ふと思い出したのがJ. J. アダムス編黄金の人工太陽 巨大宇宙SF傑作選」で、「三体」が好きな宇宙ヤバい系で短編なので手に取りやすいんじゃないかな。

なんで小松左京「虚無回廊」が出てこないのかっていうと、一時期逆に大きなスケール物語に対する興味が薄れてた時期があるのだ。それを好む自分が「三体」で久しぶりに呼び覚まされたのだ。

ではまた。

2022-10-20

anond:20221019192506

小泉八雲の「雪おんな」のように、

山の猟師が泊り客の女と結ばれ子供が生まれ

嫁にうっかり雪女と結んだタブーを口にしたため、

女は自分こそ雪女だと明かすが男との間に生まれた子がいたため殺さず、

“子に万一の事があったら只では済まさぬからそのつもりで”と告げて姿を消す

2021-10-06

日本人」の定義ってなんだろうね

ノーベル賞受賞の真鍋さん(米国籍)を「日本人だ!」って言うのは確かにおかしいと思う

でもかといって「日本人ではない!」って言い切るのは正しいのか?と俺は確信が持てない

日本人」を「日本"国民"」とするなら該当しないのは確実

じゃあ「日本人」を「日本"民族"」としたらどうか?といえば該当するかもだけど、そのくくりを許すならアイヌの人とか諸々少数派は日本人じゃないのか?ってなってしまうし

日本出身かどうかを条件にするなら小泉八雲とか以下略

究極的には本人がどう自認してるか次第かなって俺は思う

でもってそれは日本国籍かどうかだけじゃ断定できないよね

例えば猫ひろし自分のことカンボジア人だと心の底から思ってるかどうか疑わしいと思うし

2020-07-26

anond:20200726074534

島根松江出雲しか行ったことない。

松江はお城と小泉八雲記念館(?)とお稲荷さんがすごい神社行って(そのあと妖怪電車境港に行って妖怪銅像みたり絵をみたりした)、湖の橋の上で釣りする人たちを見物したり夜の街を通りすぎたり。湖に沿って走る電車に乗って出雲に行き、お参りして蕎麦食べて自転車で浜まで行って伝説の岩を民家の脇で見て、出雲駅前で一風呂浴びて長距離バスで帰った。

2020-07-17

anond:20200716151032

小泉八雲怪談だけではない。日露戦争のころ、半分江戸時代のような雰囲気熊本生活が見える。

そういや青空文庫読んでると古典が多くなりがちね。

2019-08-27

anond:20190827013905

一般的貞操倫理的には男が悪いだけだと思うし、彼女が泣くのは知ったことではない気がするけど、小泉八雲の「破られた約束」にもある通り「しか女性はそうは思わないだろうね」という感じ。

2014-07-10

松江住みだけど、横浜ってショボイね

東京に行くついでに寄ってみたらショボくて笑った。松江に勝ってるのって、中華街だけじゃん。まず、近代建築がショボい。銀行建築だけだよね、横浜が誇れるのって。松江武家屋敷みたく、個性豊かな個人の住宅が残っていない。まあ関東大震災があったから仕方ないけど、ちょっと肩透かしを食らった。てか横浜は街並みが汚いよね。松江駅そばのシャッター街のが人が居なくて綺麗。あとさ、みなとみらいにある横浜ランドマークタワーって建造も松江出身者が関わっているんだよね。横浜があまり労働者がないからって、出稼ぎしてたみたい。真実は知らない。

それに、繁華街松江スターバックス前の方が密度があって栄えているイメージ横浜はでかい箱物って感じ。横浜が誇る人口だって、面積広いだけじゃん。あと、東京ベッドタウン(笑)で稼いでいるだけ。なんかさ、横浜って東京属国みたいな感じだよね。頭があがらないイメージ。その点松江は、米子出雲に対しても胸を張って誇れるものがあるし、内心下に見ているよ。

あとさ、横浜ポプラが少ない。松江は多い。横浜に大盛りライス文化根付いてない証拠横浜ってガストぽいんだよ。

過去から脈々と受け継がれるプログラミング文化がない。米子から松江Ruby本買いに行く人は沢山いるが、東京から横浜は全くない。Perl(笑)横浜限界だもん。学生向けのRuby教室とか、プログラミング書籍コーナーにおけるRuby本の比率とか松江のがダントツに多い。街ゆく人も、松江の方がRubyistが多い。そういうのは、横浜は全て東京に奪われてる。まつもとゆきひろみたいな言語的分担がない。『初めてのPerl』よりも『初めてのRuby』の方が薄いしね。

だいたい、横浜国立大学ってほぼ単科大学じゃないか。国立なのに早慶に蹴られるし。その点島根大学総合大学だし、山口大学にも肩を並べる大学山陰政財界に多数OB排出している。レベルが違う。

あと、島根は山があるところが素敵。横浜みたいなぼんやりとした平地とは違う。琴引山(松江市から車で1時間半)ではスキーが出来る。海もあって山もあって、おまけに歴史があって栄えている街なんて松江ぐらいしかない。あと横浜言葉が汚い。下品。なんだダベって。松江のようなだがぁ、だがぁって素朴な感じがない。田舎港町そのまま。

まあ総合すると、

シャッター街 松江横浜

歴史的小泉八雲感 松江横浜

Ruby教育 松江横浜

Ruby文化 松江横浜

言語のきれいさ RubyPerl

裏日本度 松江横浜

自然 松江横浜

大盛感 松江横浜

村民度 松江横浜

街並み(寂しさ) 松江横浜

夜景(暗さ) 松江横浜

デート(時間がつぶせない) 松江横浜

Ruby 松江横浜

正直横浜より米子の方が魅力あるよね。なので、総合的には松江米子横浜くらい。

関東人の皆さんはどう思いますか?笑

http://anond.hatelabo.jp/20140709122516

2007-11-14

うちの近所の図書館

そこのHPで検索すると小泉八雲よりラフカディオ・ハーンの方がいっぱいヒットするんね

同じ怪談にしても色々あって非常に困る

2007-03-30

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偉大な事業を完成するためには、人はつねに緊張していなければならない。サン・シモン

志を立てて以て万事の源と為す。吉田松陰

賢明思考よりも慎重な行動が重大である。キケロ

着るものは新しいうちから、名誉は若いときから大事にせよ。プーシキン

われわれは、ことばではなしに、行為を見守らなければならない。そしてまた、われわれも、ことばではなくて行為で示さなければならない。J.・ケネディ

大変な仕事だと思っても、まず、とりかかってごらんなさい。仕事に手をつけた、それで半分の仕事は終わってしまったのです。アウソニウス

汝の活動、ひとり汝の活動のみが、汝の価値を決定する。フィヒテ

規律は、宗教に似ている。ばからしいように見えても、それが人間をつくるのだ。サン・テグジュペリ

至上の処世術は、妥協することなく、適応することである。ジンメル

決心する前に、完全に見通しをつけようとする者は、決心することはできない。アミエル

他人のために尽くすことによって、自己の力を量ることができる。イプセン

取らんと欲する者はまず与えよ。老子

学生をして自重の風を養わしめるためには、これを紳士として待遇しなければならない。アーノルド

礼儀は人を神聖にする。カント

何よりもまず汝自身を尊敬せよ。ピタゴラス

一事をよく為す者は多くをよく為す。トマス・ア・ケムピス

正義によって立て、汝の力二倍せん。ブラウニング

余り考え過ごす者は何事をも成し得ない。シラー

まず汝自身を落ち着かせよ。そうしたら他人の間にあっても落ち着くことができよう。トマス・ア・ケムピス

とてもかくても、つとめだにすればできるものと心得べし。本居宣長

神は自ら助くる者を助く。フランクリン

心は盤石の如くおし鎮め、気分は朝日の如く勇ましくせよ。黒住宗忠

始まりはすべて小さい キケロ

意志あれば道は通じる。ハドソン

死を決するの何の難きことやある。ただ死すれば足る。難きは死地にありて生を決するにある。河村瑞軒

正しく思考されたものであるかぎり、それは必ず明瞭な表現をとる。ボワロー

鶏鳴に起きざれば日暮に悔あり。楠木正成

ときとして勇気は、征服者の心さえ動かす。ヴェルギリウス

道徳的勇気が正しいと感ずれば、なしえないという個人的決意はない。ハント

行為の最中にも思考の余地がある。ゲーテ

一つの冷静な判断は千のやかましい会議に勝っている。なすべきことは光を与えることであって熱を与えることではない。T・W・ウィルソン

人間の一生について、また彼の運命全体について決定するのはただ瞬間のみ。ゲーテ

過ぎ行く時をとらえよ。時々刻々を善用せよ。人生は短き夏にして、人生は花なり、彼は死す。ああ、何ぞ死するの早きかな。S・ジョンソン

機会が二度君のドアをノックすると考えるな。ジャンフォール

よく始められた仕事は、なかば終わったものである。プラトン

大人物と小人物の差異は、一度意を決すれば死ぬまでやりとげるという覚悟があるかないかにある。シェリング

賢くなることを明日に延ばすな。明日の太陽は汝の頭の上に輝かないかも知れない。コングリー

最も堅固な決心は最も有用な知識である。ナポレオン

心強くして進め。汝のすべて往く処には汝の神も偕に在せば、懼るるなかれ戦慄くなかれ。旧約聖書

用事を弁ぜんとせば自ら行け。リチャード

およそ世に障害のない仕事はない。障害が大きければ大きいほど、その仕事も大きい。マクドナルド

力は一切のものを征服する。しかしその勝利は短命である。リンカーン

各人は天より与えられて、各自自身の思想主人公たる権利を有す。スピノザ

溝をばずんと跳べ。危うしと思えばはまるぞ。沢庵和尚

思案しないで我々を働かせよ。これこそ人生を堪えるものにさせる唯一の方法である。ヴォルテール

偉人の達した高峯は一躍地上から達したのではなく、同伴者が夜眠っている間も、一歩一歩とよじ登ったのである。ブラウニング

他人を支配せんと欲する者は、まず自らの主人であらねばならぬ。マシンジャー

一つも馬鹿な事をしないで生きている人間は、彼が自分で考えているほど賢明ではない。ラ・ロシュフコー

敵に勝ったからとて勇者ということはできない。おのれに勝った時初めて真の勇者といえる。T・ブラウン

努力によって得られる習慣のみが善である。カント

千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を錬とす。宮本武蔵

井戸を掘るなら水の湧くまで掘れ。石川理紀之助

一日延ばしは時の盗人である。上田敏

神は行動せざる者をけっして助けず。ソフォクレス

汝ら善き行いをもってその身の飾りとせよ。キリスト

初めに計画せよ。然る後に実行せよ。モルトケ

確信をもつこと、いや確信をもっているかのように行動せよ。ゴッホ

功の成るは成る日に成るにあらず。蘇老泉

心ある人は時間の損失を最も悲しむ。ダンテ

人の持つ尺度は、その異常な努力によってではなく、その日常的な行為によって測定されるべきものである。パスカル

真面目とは実行するということだ。夏目漱石

汝もし真に熱心ならば、後と言わず今ただちにこの瞬間においてなすべきことを始むべし。ゲーテ

一日作さざれば一日食わず。百丈禅師

明日為すべきことは今日これを為せ。フランクリン

ことばと行動は、神の力のまったく異なったモードである。ことばも行動であり、行動もことばの一種である。エマーソン

われわれがいくつかの危険に気づいているというので、動かずにじっとしていることを自己に課するならとんでもないことである。トリアッテ

人間の行動は思考最上通訳者だ、と私はつねに考えた。ロック

してしまえば片付くのだったら、早くやってしまったほうがいい。シェークスピア

一日善いことをしなかったら、生きている価値はない。ロバーツ

行いは必ず人に先んじ、言は必ず人に後る。大載記

君の心の庭に忍耐を植えよ。その根は苦くともその実は甘い。オースティン

この秋は雨か風かは知らねどもきょうのつとめの田草取るなり。二宮尊徳

苦しむには死ぬことよりももっと勇気がいる。ナポレオン

幸運と愛とは勇者とともにあり。オヴィディウス

勇気こそ、君よ、これこそ男をも女をもいと美しく見せしむれ。テニスン

実におそろしいものは人間努力である。マルコーニ

無人島紳士たり得る者が真の紳士である。エマーソン

大人は虎変す。中国のことわざ

現在われわれは悪い時期を通過している。事態はよくなるまでに、おそらく現在より悪くなるだろう。しかしわれわれが忍耐し、我慢しさえすればやがてよくなることを、わたしはまったく疑わない。チャーチル

公正をもって生活すれば、ゆくとして安全ならざるところなし。エピクテトス

希望が逃げていっても、勇気を逃してはいけない!希望はしばしばわれらをあざむくが、勇気は力の息吹である。ブーテルヴェク

いやしくも悔恨しないことを欲するならば、人は何事もしないほうがよい。しかしながらまた、何事もしないところの人生も、ひとしくまた悔恨なのである。萩原朔太郎

苦痛はみじかく、喜びは永遠である。シラー

己に克つの苦功を用ひずして、怒りを遷さず、過を再びせざるは、柔惰振わざるの士にあらずんば、かならず奸を掩ひ非を飾る者なり。大塩平八郎

人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり。一度生を得て滅せぬ者のあるべきか。織田信長

昨日憎しと思ふこと心に染み、昨年の嬉しと思ふこと心につきて、はなれねば、それより根ざして、まよふとか、聞けり。松平定信

気随に成り行き候はゞ、一日一月と延び、一月は一年と遅々に及び、一生空しく打ち過ぐべし。土井利勝

道に堀があるからといって、渡るのを嫌って、そこに止まってしまったのでは、その人はいつまでたっても、進歩することは難しい。大きな溝の中に落ちたからといって、いたずらに悶えるばかりであったならば、その人は一生溝の中で終わらねばならない。藤原銀次

困難とは作業衣を着た好機会にすぎない。H・カイザー

諸君が困難に会い、どうしてよいか全くわからないときは、いつでも机に向かって何か書きつけるがよい。小泉八雲

今日はよく働いたと夕方になって考えることほど、私にとって大きな楽しみはなかった。大倉喜八郎

身には疾あり、胸には愁いあり、悪因縁は逐えども去らず、未来に楽しき到達点の認められるゝなく、目前に痛き刺激物あり、慾あれど銭なく、望みあれど縁遠し、よし突貫して此逆境を出んと決心したり。幸田露伴

境遇とか!われ境遇を作らん。ナポレオン

金を失うことは、小さく失うことである。名誉を失うことは大きく失うことである。しかし勇気を失うことはすべてを失うことである。チャーチル

男子、死中に活を求むべし。坐して窮すべけんや。范曄

理想はわれわれ自身のなかにある。同時に、理想の達成をはばむもろもろの障害もまた、われわれ自身のなかにある。カーライル

人もし忍辱の鎧を着て戦うときは、一人の力をもって八万四千の魔軍を挫くべし。釈迦

人は幸運の時には偉大に見えるかも知れないが、真に向上するのは不運の時である。シラー

禍福は天上より出ずるにあらず、地中より出ずるにあらず、おのれ自ら之を生ずるなり。説苑

キホ積まずば、以て千里に至るなし。荀子

 
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