「学問」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 学問とは

2022-12-20

で、はてなーヴィーガンに勝てるの?

このまとめ( https://togetter.com/li/2013016 )のブコメを見てたら、ヴィーガンに対して、「よろしいならば戦争だ」、「カルトの教え」、「ただのアタオカ」、「疑似科学風の新興宗教」とか何とか色々放言があって驚いた。

何に驚いたかというとまとめのツイート論理を全く追えていない点。

このまとめの主となるツイートの内容は「ヴィーガンの主張は規範的なものから他人同調するよう迫るのは当たり前」と言う内容であって、

ヴィーガンの主張が正しいなんてことは全く言っていなくて、ほとんど必然的論理関係規範的な主張を認めるならば、それを他人にも認めるよう求める」を確認しているに過ぎない。

割合多くの人がツイート内の「正義原理」と言う言葉を見て、「ツイート主はヴィーガンが正しいと主張している」と言う解釈をしたようだが、

普通に読めば、もしくは少しでも倫理学を学んでいれば、この「正義原理」の意味は「規範的主張の根拠となる原理的な規範」と言うぐらいの意味であることがわかる。

誤った解釈をしていた人は改めてまとめのツイートを見てみてほしい。明らかにそう書いてある。

読んでもわからなければ、おそらく非常に基礎的な学問トレーニングが足りていないから、適当にいっちょ噛みするのはやめた方がいい。

で、この論理が追えていない時点で、もうほとんどまともに話が通じる相手ではないので、文章を続けても仕方ないのだけれど、

このまとめのツイートが言っているようにヴィーガンの少なくとも一部は規範的な立場で肉食を否定している。

一番代表的なのはおそらく功利主義的な立場に基づくもの

いわゆる「最大多数の最大幸福」、つまり幸福の総量の最大化、そして苦痛の総量の最小化が善であることを前提として、

動物人間苦痛を感じる」、「人間苦痛には配慮して、動物苦痛には配慮しない合理的根拠がない」と言う点から

動物に多大なる苦痛を与える畜産をやめるよう求めるものだ(これは非常にラフなまとめ)。

この主張の根拠等についてはこれ以上詳しく述べないが、動物倫理の本を見れば書いてある。

まり、少なくとも一部のヴィーガンの主張は明確な原理的主張を持っている。だから否定たかたらこ原理否定したらいい。

カルト」、「宗教」と適当レッテル貼りしたり(そもそもこれらの言葉をかなり独自定義で用いているようだが)、

いつでも逃げられる場所から「よろしいならば戦争だ」とか「アタオカ」とか言っても、意味はない(ことはない。ただかなり合理性を捨てていると思うのだが、それでいいのだろうか)。

で、ヴィーガン攻撃的な人たちは結局どんな武器を持っているのか?

ヴィーガンは少し本を読んでみればわかるように、実のところ、非ヴィーガンでも認めざるを得ないほど、単純ながらも強力なロジックを持っている。

それに対して、肉食側は今のところ、相手の主張を理解しないことによって敗北しないという「無敵戦略」や

多数派であることを頼みに相手を異常者扱いする「魔女狩り戦略」で戦っているように見える。

これらはかなり低レベル戦略に見えるが、実際のところどうなのだろう?他にも戦略はあるのだろうか?

2022-12-19

言語学会では日韓祖語とか話題になってる中で嫌韓とか無いわw

ちなみに朝鮮語起源日本語であるという意味でなく、逆に日本語起源朝鮮語という意味でもない。
日本語朝鮮語は同祖の可能性があるという学説

更に言えば同じ民族だったということも意味しないので、未だに嫌韓こじらせていたり、日本叩きを続けてる連中は巣に帰って良いぞ。
そんなことで好悪感情を昂ぶらせても俺たちの祖先みんなアフリカ出身なので学問邪魔になる党派性は巣に持って帰ってくれ。

これで何がわかるかと言えば、古代朝鮮人古代倭人はかなり密接に交流していたってのがわかる。
まぁ言語学から見ると過去朝鮮半島多民族地域だったので古代朝鮮人と呼んで良いのか悩みはするが、ここはわかりやす古代朝鮮人として定義する。

お前らがいくら韓国へ好悪感情持ってても過去時代から影響されあっていた間柄なんだよ。
言語学日韓祖語を証明したとき、それをその瞬間の事実として受け入れ、より良い未来選択し、過去時代研究が進んだほうが世の中がほんの少しだけ楽しくなるはずだ。

少なくとも日本列島にある朝鮮人遺跡や、朝鮮半島倭人遺跡の発掘はスムーズに進むようになるとは思うぞ。

2022-12-18

anond:20221218005350

教育コスト払えばいいんよ

リスキリングとかやってるじゃん

学問用の教育じゃなくて労働用の教育機関充実させた方がいいんやろね

2022-12-17

完全に理解した物事って、ある?

ないよね?きっと。

完璧に全て理解できるジャンル学問とか、マンガアニメでもいいんだけど、ないよね

研究すればするほど疑問が生まれてくるものから

無知の知」ってこういう事なんだよ

うん、いま完全に理解した

2022-12-15

https://archive.md/FmHjl

学問力ってのは予報力なんでねえの?他人のはよく予報できても自分のは難しいねえ、とは言えて、それはvice-versaであって、ただそれを乗り越えて自分を予報するのが必要なんでないの?

自分を予報する」のをだれもやってない、のがねえ。

Add: https://archive.md/2nQSb https://archive.md/oXNy2 https://archive.md/PDMY5

2022-12-11

anond:20221210175647

なんかこの増田についてる枝葉の「習った」とか「学問として」とかて何なの?

そんな学問がある らしい みたいな 知られてないけど 経験則的に 自分は実際にやった 教わった

みたいな話なん?

まあそれがあってようがまちがってようがはずかしがろうが立派だろうがしらんが

当人は聞いた話を流してるだけだからなんの責任を追及されても困るみたいな態度でも別にいいけどさ

じゃあそれ誰にならったんよ

どの学問なんよ

それが追える事こそが教えでしょ

ソース自分ってのでもべつになんの問題もないと思うし自分で考えたってこともっと誇っていいと思うしさ

その引用してきてるデータソース別にあるって話ですすめるんならその話だしなよ

どの教授がどこでなにをどんだけの人間にひろめた論なのよ

anond:20221209230121

文系翻訳に対する感覚の話、ブコメちょっと反応してみる。

何が書いてあるか、誰が書いているか、の違いか文学作品ならそら後者やろうけど、技術書理論論文後者重視したら権威主義への傾倒でしかないな

いや、文学研究でも「何が書いてあるか」です(「何が書いてあるか」を解釈する上で「誰が書いたか」という情報必要場合があるだけ)。たとえば、ピケティ英語で書いた論文なら英語から訳すべきで、ピケティフランス人からといってフランス語から重訳するのはおかしい。逆に、仮に著者がイギリス人でも、フランス語で書かれた本ならフランス語から訳すべき、そういう話です。文系大事にしているのは「文章それ自体」であって、文章それ自体を忠実に原語から訳すことが重要である、というのが文系の考え方。

だって、「オリジナル文章」こそが我々にとっての生データですからね。もちろん完全にオリジナルなのは難しい場合が多いけど、なるべくオリジナルに近づける努力をすることは必要で、原文にあたるのはその基礎的な作業であって学部生とかの未熟な人でない限りは省くべきではないプロセスですよね、ってこと)

さえぼう氏側は「間違いが起こり得る」としかわず、具体的にどこが「間違いだった」という指摘がないから、屋上屋を架す空論でしかない。具体的に誤訳だったという指摘、出版から随分経つけど今までにあった?

これはもう「具体的に間違いがあるから問題だ」ではなくて「重訳なのがけしからん」という話なので……具体的な実害の問題じゃなくて規範の話をしてるんですよね。ただ、その規範が他の分野の人たちに受け入れられていない、という状況。

たとえば増田は、ちょっとマニアック事柄についての論文を有名な査読誌に投稿したことがあるんですけど、「よく調べてあるけど学術インパクトが足りない(要は面白くない)。却下」という趣旨のやり取りを何度かして、もういっか、めんどいから載るとこに載せよ、って思って当時所属してた機関紀要に無査読論文いたことがあるんですよ。業績欄には当然その論文を載っけてます(もちろん査読の有無は明記した上で)。で、この論文形式上査読なしであることに特段の問題はないですよね。だって研究結果が間違ってるわけじゃないもの。ただ有名な雑誌に載るほど面白くないだけ。それでも、論文には査読がついていて当然、という人たちは「いや、査読なしだと間違った論文が載るリスクがあって、だから査読がないもの論文と認めるべきではなく……」って言いたくなるんじゃないですか? 「重訳だと誤訳リスクが……」ってのもそういうことですよ。

物理学では基本的英語から翻訳だと思うけど文句言ってる人見たことないなぁ・・・価値観の違いを感じる

物理学のものではないですけど、いちおう、文系には科学史という分野もあり、そこでは物理学歴史について原語を使った研究がされてます。たとえば、 isbn:4486021746 なんかは、ソ連時代物理学をめぐる論争について研究した本で、がっつりロシア語の文献を読み込んでますネットで読める論文だと、DOI: 10.34336/jhsj.47.248_193とか)。外国学者が書いたこの本 isbn:4815808090 も、英語以外の文献も読んでたような(この本は面白いので超オススメです)。アインシュタインドイツ語相対性理論論文を書いたわけですからね(DOI: 10.1002/andp.19053221004)。もちろん、繰り返すようにこれらはあくまで「物理学対象とした文系学問」であって、物理学のものではないので、「物理学では基本的英語から翻訳」というのはそうなんだろうなぁ、と思いますが。

これ、医学系が人文系にIF要求するような無理筋を感じる 読者がやるのはピケティ研究じゃなくてピケティを踏まえた研究では

これメチャクチャ思いました。過去査読云々の論争を思い出しちゃいましたよ( anond:20181009070341 とか、 anond:20181011090428 とか、このへんの話ね)。「翻訳するとき原典から訳すのが当然だろ!」「いや、別に重訳でも意味が取れてればそれでいいじゃん……」「出版スピード感大事だし……」っていうやり取り、まんま過去の「論文は全部査読するのが当然だろ!」「ええ、別に査読で載せても、後続の論文でしっかり吟味されてればそれでいいじゃん……」「出版スピード感大事だし……」っていうやり取りとソックリというか。増田は「なんで原典にあたるという当然のことを重要視しないんだろう……」って思っちゃうんですけど、理系経済学の人たちも「なんで査読という当然のことを重要視しないんだろう……」って思ってたわけですよね。まあだからあんまり自分野の基準で他分野にケチつけるのはよろしくないなぁと、自戒を込めて。

追記

査読に落ちる場合は、その落ちる原因をちゃんと指摘されてるんじゃないの?そんなお祈り一行みたいな感じで落とされるっけ?

増田に書いたことは原文ママじゃなくて要約です。当たり前でしょ……(ほんとはきちんと細かく落とす理由を書いてあったけど自分の専門分野も出した雑誌名前も言いたくない)。まあ「大意」とか「趣旨」とか書いておくべきだったかもしれないけど流石にこの文面見たら要約だとわかるっしょ? って思ったんですけど伝わらない人もいるんだなぁと新鮮な驚きを感じたので「趣旨」って付け足しておきましたわ。要約を鉤括弧で括ったこちらにも非はあるし。

査読もされていないのに「だって研究結果が間違ってるわけじゃないもの」と自信満々に言えるのが分からない...文化が違う

から丁寧に「有名な査読誌に出して面白くないからと蹴られた」話をしたんですけど伝わりませんでした? 間違いがあるとかじゃなくて、マニアックすぎてうちの雑誌に載せるには面白くない、っていう理由却下されたんですよ。まさかそこに引っかかる人が出てくるとは。ちゃんと経緯は書いてあるでしょ。

でもまあ、反射で「査読ついてないなんてけしからん」って思っちゃうってことですよね。重訳もそういうことです。反射で「直訳しないなんてけしからん」って思っちゃう、っていう話。

インパクトが足りない。却下」が研究結果の正しさの保障になる???

わざと言ってます? それとも本当に読めてない? 「よく調べてあるけど」と前置きしたでしょ? 研究成果それ自体への疑義査読からは呈されていません。むしろ称賛されてます。その上で面白くないから書き直せってやり取りを何度もしたの(再投稿を可とするリジェクトだった)。何度か書き直して、ああこれは先方が求める「面白さ」と増田がこの研究に感じている「面白さ」が噛み合うことはないな、と思ったので再投稿せずに無査読紀要に載せることにしました。自分にとっては自明ことなので説明不足になっていたきらいはあり、そこは申し訳ないけど、もとの文章ちゃんと読んでくれませんか?

だいたい、研究成果の正しさはディジタルじゃなくて、「部分的には正しいが、しかし……」みたいにグラデーションがあるものでしょ。査読100%の正しさが保証されると考えているならそれは大間違いですよ。増田研究だって研究手法結論的に「正しいか、間違いか」なんてディジタルに言えるような研究じゃないっす。なので査読で「間違いだとわかる」なんてこともほぼあり得ない(資料の読解間違いとかはあるかもしれないけど、増田論文総体として「間違い」であることを示すには増田論文と同程度以上の調査をし論文を書く必要があるんで、普通査読じゃ「間違い」とか言えないはず。関連する資料を全部諳んじてる大家なら別だけど)。

そもそもピケティ先生は狭い学術ギルド論文として書いたんじゃなく経世済民の書として世に問うたわけだから増田の話(や一部ブコメ)は大分ズレてるのでは。例えば「翻訳とか無駄原本を参照汁」的な暴論との文字数

学術業界だけじゃなくて、一般書の方でも最近は「原語から訳すべき」という流れが定着しつつあったじゃないすか。スタニスワフ・レムも昔はロシア語からの重訳だったけどポーランド語からの新訳が出てるし、昔はフランス語経由で訳されてたイスマイル・カダレも今はアルバニアから訳されてるし、バスク語チベット語イディッシュ語文学翻訳されてきたでしょう? そういう流れが出てきてたのに有名なフランス語の本を英語から重訳するなんて、というショックは当然ありますよ(だから私は『三体』も相当ガッカリしましたよ。中国語版には検閲が入ってる、と聞いて納得したけど。エーレンデュル捜査シリーズの方は、重訳自体はもう仕方ないけど、頼む~~~せめて著者の名前おかしいのくらいはどうにかしてくれ~~~って感じ。重訳のせいで著者の名前すらおかし表記がされてるんですよね……)。時代を巻き戻す気か、と反射で思っちゃうのも無理はないです。

anond:20221210191815

ネット初めて文系の立派な言葉がすべて嘘だったのショックだったわ

観察対象に対する敬意なんてみじんもないし、それどころか差別を煽ったり実際に排外したりするためのツールしかなってない。

フクシマだの、オタクへの激しい攻撃差別だの。

彼らは何一つ悪いと思ってないし、謝罪すらしてない。

フクシマに対する差別行為を謝罪してる社会学者を見たことがない。

自分気持ちよく差別するためだけの学問なのがよくわかった。

anond:20221211062121

この増田には恨みはないけど、はてなアカデミズムを装った小学生みたいなつまらないさや当て話やゴシップ多すぎ。

はたしてネット人文社会ソサエティ学問の体をなしているのかと思うけれども。どうでも良すぎる。

anond:20221209135746

重訳をするな←わかるけど別に犯罪じゃないよ

フランス語翻訳者仕事を奪ってる←フランス語から訳した本を新たに出版したら良いじゃん、両方仕事ができる。え、出版必要な金を出す覚悟もなしに他人に金出せって言ってるの?いやまさかそんなね?

出版社の方針としてどうかと思う←別にあなたの為にその出版社があるわけじゃないんだから気にいる出版社を自分で作るなり買収するなりしたら良いじゃん

 

要するに、自分思想に沿わない他人が許せないって宗教戦争仕掛けてるだけ。こういうのが蔓延る程に人文学地位が下がる。

市場経済なんだから市場が出した答えに対して宗教で殴り掛かるの筋が違うんだけど学問しててもわかんねーのかな。

リベラルフェミニズムポストモダンフェミニズムって分類はどうよ

リベラルフェミニズムは「人は生まれながらに自由」「男女は同じ人権を持っている」「互いの権利を害さないよう法律条例があるしその調整もする」という方針で、はてなー的にはおそらく異論あんまないタイプフェミニズム

ポストモダンフェミニズムは「ジェンダー社会的性別)は許せないからそれを再生産しそうなあらゆる物は批判する」「法律条例では快適な社会には足りないのでアップデートした倫理規範で更に強い制約を設ける」「弱者意見が常に正しいので女性の言うことに従わなくてはならない」という、社会学者とかジェンダー論とかを大学で専攻した人が染まるタイプの奴。

 

どっちも一応フェミニズムだし、後者の方が近代議論から余計タチが悪いんだけど、どちらも学問を名乗っていて社会運動の側面もある。社会的性別を徹底的に排除した社会というのがどうあるべきか(目指すべきか?)などは考えてみる価値はあると思う。

後者の方はその理屈の振り回し方が活動家宗教家に便利過ぎたという致命的欠点があるせいで、例えばミサンドリーをこじらせただけの人が萌え絵封殺するための棍棒としてフェミニズムを使う。

あと矯風会の「女の権利制限して肌の露出娼婦も許さん」みたいなパターナリズムゴリゴリ思想倫理規範みたいな顔をしてフェミニズムを振り回す。もちろんリベラルとは真逆なのでこいつらをリベラルと呼んではいけない。

 

ジェンダー解体観点から萌え絵批判をする場合社会にある性差再生産しそうなあらゆる物(シャネル広告でも男性アイドルでも良いけど)もすべて否定しないと一貫性が無いし、棍棒として振り回す奴らは自分に都合が良い部分だけしか勉強してないかちゃんポストモダンフェミニズム勉強した人からすらも馬鹿にされる。

アップデートした倫理なんて物は学問世界ですら答えは出ていないのに、宗教家適当に都合が良い部分だけつまみ食いして自分が正しいと言い出すので矯風会的にはかなり使い勝手が良いんだろうなポストモダンフェミニズム

そもそも学問ってのは「誰の口から出ようが正しい物が正しい」っていう再現性こそが要なのに、ポストモダンフェミニズムは「弱者が正しい」と言い出したか弱者以外が何を言っても間違いとしてしまった結果、学問ですらなくなってしまって袋小路に迷い込んで失敗した学問なんだけど、そこを反人権全体主義者やミサンドリズムに目をつけられて乗っ取られたか活動家宗教家が便利にフェミニズムを名乗ってる。

 

俺は他人思想市場経済活動法律やら倫理やらで制御しようという考えがそもそも間違いだと思うので、規範押し付ける事で他人思想制御しようとしてくる奴らは残らずクソだと思ってるし、絵を焼く奴らも服装押し付ける奴らも反人権な巨悪だと思う。

でもフェミニズムって名乗って活動してるからこの辺の経緯と実体を知らない人から敵視されずに済んでるんだと思う、ガン細胞みたいなやつだ。

2022-12-10

anond:20221210191815

学部レベルだとこういう誤解をするのか…やっぱり研究したことがないとだめだな…

社会学という学問を広げていくのに「当たり前を疑う」という方法有効であることと、社会学という学問の知見を何か他の論拠にすることに、何の関連があるの?

カレーを作るのに「包丁で切る」という方法有効であることは、別に作ったカレーを何にかけて食べるべきかについては何も言っていない。同じ事。別に、既に得られた知見はどんな他の発展的な主張の論拠にしてもいいんだよ。

ただ、その論がマトモな論かどうかは知らん。それは、作ったカレーご飯にかければうまいかもしれないが、アイスクリームにかけたら不味いのと同じことだ。

anond:20221210191815

学部レベルだとこういう誤解をするのか…やっぱり研究したことがないとだめだな…

社会学という学問を広げていくのに「当たり前を疑う」という方法有効であることと、社会学という学問の知見を何か他の論拠にすることに、何の関連があるの?

カレーを作るのに「包丁で切る」という方法有効であることは、別に作ったカレーを何にかけて食べるべきかについては何も言っていない。同じ事。別に、既に得られた知見はどんな他の発展的な主張の論拠にしてもいいんだよ。

ただ、その論がマトモな論かどうかは知らん。それは、作ったカレーご飯にかければうまいかもしれないが、アイスクリームにかけたら不味いのと同じことだ。

anond:20221210175647

社会学は何かの当たり前を疑う学問だと教わったから、

「新しい普通さ」の押し付けと補強のために使われるとは思わんかったわ

anond:20221210063138

その相場感や人文系感覚というのは粗悪な翻訳が行われることに対する懸念に由来するものだろうが

しかし人選を批判する北村翻訳の内容に対する具体的な批判はできておらず、山形による翻訳の内容は実際には粗悪どころか経済学者石塚翻訳家の山内から高く評価されている

まり前提となる「粗悪な翻訳が行われた」という事実特に確認されておらず、前提が成立していないことから不適切な人選と批判する根拠に乏しい

なお、翻訳が早く出て日本語で読めるようになったことは出版社経済的メリットがあるだけではなく、経済学者として学問に携わっている石塚にとっても「ありがたかった」とのこと

anond:20221210001547

フランス語で書かれた専門書を翻訳する際に当該分野の専門知識を有する人間英語からの重訳をさせるよりも

当該分野は素人でもフランス語翻訳家に原書を訳させる方が適切な翻訳可能だというのが人文系常識なの?

本当に疑問なんだけど、日本にはフランス経済専門家とかおらんの? 探せば日本のどっかにフランス語原典から訳せて経済学の知識がある人が絶対いるでしょ(フランス語メジャー言語だ、って強調してるのはそういう意味もあるよ)。

ピケティの本が世界的な話題であるなら尚更、フランス語経済の双方に通じた翻訳者を探してくるか、それが無理ならフランス語から翻訳を監修する経済学者を連れてくるべきで、重訳は最後の手段だろう、というのが人文系感覚。「アイスランド語推理小説」ならまあ重訳でも仕方ない(良いわけではない)けど、「フランス語経済学書」だったら、日本にはフランス語専門家大勢いるんだから彼らに直接訳させろ、翻訳にあたって経済学の知見が必要ならフランス経済専門の翻訳者 or 翻訳を監修してくれる経済学者を連れてこい、というのが相場じゃないかなぁ。すげえどうでもいい本ならその手間を惜しむのもわからなくはないけど、世界的な話題作ならそこの手間はかけるべきでしょ、と思うよ。だからピケティを重訳で良しとする感覚マジで理解できんのよな……(出版社にとっての経済メリットはわかるけど、学問的にはメリット皆無でしょ)

結局、人文系にとっては「原典にあたる」ことがまず基本であって、翻訳原典ではないわけよ。研究をするにあたって翻訳で済ませてよいのは、

場合に限られるんじゃないかしら。あとはよっぽど研究環境の貧弱な地方大学所属してて碌な研究ももらえず図書館も充実していないので原典を入手することができず、なおかつ信頼に値する翻訳があるなら、まあ翻訳で済ませるのも仕方ないかもしれないけれど、山形浩生はそんなに貧窮してるの? って話になるので。

理論もすべて原典で読むべきか、はまあ微妙なところ。たとえばフーコー思想研究するのならフランス語原典を読むのは必須だけど、フーコーの「生-権力概念ドイツ研究に応用してみました! みたいな場合は、うーん、まあ研究の基礎となる資料ちゃんドイツ語で読んでるなら理論日本語訳でもいいかなぁ、という感じ。もちろん理想を言えばフランス語読むべきなんだけどね、それ言ってるとキリがないからね)

なお、元の話題に出てる北村紗衣は、「原典を読める文学作品については研究し、そうでない作品ロシア文学とか?)については評論する」というスタンスであることをどっかで公言していたはず。研究あくま原典依拠して行うもの原典を読んでいないのは研究とはいえない、というのは、人文系研究者としては当然のスタンスだと思う。なんだろう、増田経済学のこととかよくわからんけど、英語からの重訳を出されるのは、数学統計学を踏まえずになされた経済研究を出されるようなもんなのよ。基本のキができてないですね、問題外、って感じ。

2022-12-09

anond:20221209163603

このへん、文学研究経済学研究とのあいだの感覚の違いだよねえ。

文学研究、というか人文系あいだには

という感覚があるわけよ。したがって、

という結論になる。正直、こんなのどれも人文系研究者としては当たり前すぎて、反射で「いや直訳させろよ」って思っちゃう案件なんだよな。

ただこれは人文系が、文学作品とか、歴史上の人物書簡とか、とにかく細かな原文のニュアンス大事にする学問からであって、経済学の人が「いや、細かなニュアンスが多少おかしくても、経済学理論問題なく訳せてれば重訳でええやん……」って思う気持ちはわかるし、出版社が「文学作品ならともかく、こんな話題作なら、仕事が遅いフランス語訳者よりささっと出してくれる英語訳者に頼みますわ……」ってなるのもわかる。

外国文学場合は、そもそも読者層が上に書いたような「人文系論理」を内面化してる場合が多いから、多少進みが遅くても直訳した方が出版社利益になるんだよね。「あの○○をちゃんと原文から訳してくれたのか!」って評判になるので。

このへんの制約が緩めなのはジャンル文学かな。『三体』もエーレンデュル捜査シリーズも重訳だけど、みんな気にしてないし。エーレンデュル捜査シリーズなんてアイスランド語固有名詞表記メチャクチャだけど普通に受容されてるからな……。ただこの2作に関しては、「『三体』中国語版は当局意向で改変がなされており、劉慈欣の意向が反映されているのは英語版」とか、「アイスランド語マイナー言語であり、『アイスランド語ミステリコンスタント翻訳できる人』はほぼいないので、重訳でも仕方ない、ないよりマシ」とか、そういう擁護論を組み立てることもできる(実際、ワイはこの理由があるので納得してる)。でもピケティはねえ……フランス語でこんな擁護は無理でしょ……なので北村さんが怒るのもわかるんだよね。

ブコメへの返信はanond:20221211132121で。

anond:20221209105751

フェミ景観条例のような民主主義プロセス踏んだもの使って批判してるならこうはならんやろ。お墨付きも何もないただの自分好き嫌いを人に押し付けてるから問題になってるだけ。

そもそも景観条例はその良し悪しを規定していないし、ガイドラインお気持ち排除されちゃんとした学問に根ざしている。社会基盤学とかな。

もっと勉強してからおいで。

2022-12-08

第六感がある

これはスピリチュアル精神的な話ではない。

また学問的なものでもなく、当然その知識はない。

よってただの「考え」である

五感という感覚について考えることがある。

感覚がどこから起こるのか、やってくるのか。

砂浜に立てば海が見える。

なぜ海が見えたのか。

砂浜に立っているから。

海という広大な水たまりが目の前に広がっているから。

眼球が感知した光を信号で脳へ送り、海と認知たから。

いずれも起こったことの後付けの説明しかない。

感知したこと過程理由付けできても、感知したことのもの説明できない。

なぜこう感じるのか。ただ感じたから。

やってくるそれに対して、自身はこのようにしか言えない。

光景、音、香りはやってくる。

他にやってくるものはなにか。

そして自身にやってきた。この「考え」が。

それは自身の中で生み出したものではなく、ただやってきたものだと。

この「考え」が。「考え」ることが。やってきたそれが6つ目の感覚であると。

なぜこう考えるのか。ただ考えたから。

2022-12-06

フィクション社会性を見出そうとするフェミはたぶん大切なことをやろうとしてる

日本人クトゥルフ神話が怖くないのはなぜかみたいな話でさ、フィクションに宿っている社会性を研究するのは重要ことなんだと思うのよ。きっとフェミのやっているフィクションにおける女性差別研究重要仕事だと思う。

しかネット有象無象によるノイズがでかすぎる。学問研究としてのフェミニズムの歴史が浅いから誰も参照すべきものがわからないのも大きな原因だと思う。フェミニストも、アンチフェミニストも教科書的な知識がないか永遠に平行線フェミニズムはまず教科書から作るべきではないか

anond:20221206142247

80年代とか結構そういう感じだったぽいぞ

大学大衆化してなかったので、頭がいい奴が「俺は学問をしにきた」とか言ってフランス文学をやってたり。

2022-12-05

anond:20221204152326

バカだなお前。大学学問って一人だけのもんじゃないんだよ。

いろんな人の蓄積で出来た財産で、国が強くなっていく為のものなの。

国だけじゃなくて社会世界全体で強くなっていけるもんなの。

それが医学であれ工業であれ経済であれ、文学だって心の中を強くするもんなの。

お前もそういう基盤の上でのらりくらりインターネットやっているの。

そうやって貯め込まれて増やしていってもっと明日の国を強くすることができるんだよ。

それを担う人たちに全然違う仕事させて、鬆の入ったコンクリートみたいにしてるのが今の文科省

介護とか保育とかそういう専門とはちがうの。そもそも専門ってそう簡単に変えられるような生き方出来ねえし。

からねえよな。難しい話して悪かった。

2022-12-04

anond:20221204151635

ほかの学問先生がおしえてるのと違うことを書いても点がもらえるの?

必須科目のフェミニスト先生の授業って

先生の主張と反対のことをレポートで書いたら成績下げられるってマジなの?

それって学問なのかな?

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん