はてなキーワード: 信頼関係とは
政治運動の基本は仲間作りだ。
議会の中では、自分の仲間(党派・派閥)をどれだけ増やしていくか。
議会の外では、自分の党のために活動してくれる人をどうやって増やすか。
それは左翼団体や右翼団体のインディーズの政治運動でも同じで、
中核派がYouTubeやっているのも、若い仲間(同志)を増やすためである。
外山恒一が書いた「全共闘以後」という本でも、活動家は色々な手段で、仲間を見つけ繋がろうとする。
ひとりでは何も出来なくても、信頼できる仲間が増えたら、大きなことだって出来るようになる。
でもそういうことの積み重ねから、色々なことが始まるし、信頼関係も生まれる。
仲間作りができなくても(しなくても)バズりさえすれば、大量の人を動員できるし、自分の活動がマスコミの取り上げられたりする。
旧来の運動では、能力的にリーダーになれなかったような人でも、Twitterでの運動ならリーダーになれたりする。
どっと人が集まるけども、さっと人がいなくなる。
仲間作りをしなかった(できなかった)Twitter活動家はあっという間に孤独になってしまう。
信頼できる同志も、頼れる組織も何もない。
岩田医師なんかに似てるなって思ったけどサッカー部の先輩だわ。
昔その学校のサッカー部部長だった選手。卒業後母校が頑張っていい成績出し始めたと聞き「よっしゃ指導したろ」と思う。一応顧問に話し通して「見学ならいいけど指導していいとは言えない。見学して選手やコーチと信頼関係が結べたら指導もできるかもしれない」と見学許可をもらう。
で、部活見に行った途端「こんな練習あかんわ。俺が指導してやる」と騒ぎだす。選手は突然現れた知らん人が偉そうにしてなんやこいつとなる。違う指導者のもの違う方針で練習してるのに部外者が喚いて練習の邪魔をする。で、監督に咎められて摘み出される。
そんな感じ。
コメントをアンケートに添えて送り、その内容はコーチの実名付きで公開されるし
触発されもするけど、でも一方で、同じくらい成果を出したクライアントが
ノーコメントなんて事もザラにある。
そりゃ、結果を報告するためのアンケートで、コメントは任意だけど
当のコーチもがっくしだろうなぁと。。
私も昔はクライアントに尽くした。
語学コーチなのに、仕事の愚痴も聞きますよ!なんつってた(重)
そんだけ言っても、結局クライアントには届かないと気づいた時には疲弊しきってて
もう限界、と思った時に割り切ることを学んだ。
今は静かに受け止める。
クライアントにとって私は道標に過ぎず、期間が過ぎて目標を達成したら
さっさと忘れさるものでいい。
逆に私も、道標として機能する間は、プロとしてできる限りの情報提供や
次のクライアントに全力を尽くすためだ。
お互い、振り返っていられないでしょ。
信頼関係、ってすごくみんな言うけど、コーチがいくら頑張っても
相手が応えてくれるとは限らない。
最初から、信頼関係はあるものと思い込んで、言うべきことをきちんと伝えていくことに徹する。
それで嫌われたら、他へどうぞ、ぐらいの気持ち。
相性はどうにもならないから。
そこで落ち込むこともしない。
お互いが歩み寄らないとコーチングなんて成立しないし、
自分を開示していくこと。
お互いの腹の内を見せ合って、二人で協力してコーチングという船を
前に進めていく。
損するのはご自身です。
塩コーチ?
ただ、本気で何とかしたいと思って努力する人に、情報は惜しまない。
私はそう言う人を助けたくて、この仕事についた。
コーチが偉いとは思わないけど、最低限のマナーがなってないクライアントが
時々いて、それで真面目なコーチほど苦しんでるのを見ると気の毒でならない。
ただの道標、だけど、それが無いと最短距離でゴールに辿り着けないよ?
暴言はくクライアントとか、私は2、3人しかまだ当たったことないけど、
思っきし逆方向示したろうか、と本気で思ったな。。。
尽くしたって無駄。
かつての自分もそうだし、同僚の中にもいるけども
コーチングが何かまだ知られてないのもあるからそれは仕方ないけど、
気になるのは、クライアントの文法などの指導に逐一丁寧に答えてる
「クライアントの質問に全て答えることで信頼関係を作ってます!」
って話してて、うーん?となった。
申し込まれた時点でクライアントはコーチを含めたサービスをある程度信用してるし
コーチとして稼働してるのなら、会社からコーチとしての信頼はもらってあるはず。
最低限のベースはあるものとして、お互いを開示していけばいいんじゃないの?
わざわざ余剰サービスを提供してまで、信頼関係作らなきゃだめ?
むしろ、コーチとしての自信がないから、余剰サービスで補ってない・・・?
↑辛口すぎて、さすがに人に言えなかったけど、これには根拠がある。
昔、家庭教師をした時、初めての通訳業務をした時、コーチになりたての時。
自信がなかった私は、とかく生徒やクライアントに“尽くした”。
生徒に好かれるため、クライアントに認められるため、例えば生徒にはイベントごとに
今思えば、いわゆる「都合のいい女」よね(苦笑)
結局、生徒の気まぐれで家庭教師はチェンジ、通訳業務も次につながることはなく。
なんだかすごく損したし、すり減った。
たとえ自信がなくても、自信があるフリをする。
その分、本業をきっちり仕上げる!
大体、コーチの話に戻ると、そうやって文法の質問とかしてくる人、
十中八九、聞いても「ふーん、わかりました」程度。
こちらはプロだけど、わかりやすく説明するためにいろいろ調べてるのに!
ひどい人になると、質問している自分に酔ってるだけの人もいるから
教えない方がその人のため。
そして、熱血≠成果を出すコーチではない。
冒頭のようなことをしていると、クライアントはコーチに依存してしまうし
まぁ、その前にコーチが潰れるだろうけど…。
どっかでみんな気付くだろう。
感謝されないよー、、、と。
距離を空けて客観的に分析しつつ、痛いこともプロとしてずばりという。
尽くすコーチは言えないんだよ、嫌われたくなくて。
嫌われても、いうべきことを言える人は、結果としてクライアントのためになるし
それに気づいてくれた時、本当の意味で信頼してもらえるコーチになる。
ま、気づかれずにコーチ変更言われるかもだけど。
それはそれで。
そこは割り切らなきゃね。
私が結婚した相手の男性は異性としての性的魅力はないけど、一人暮らしの生活を一人で営むだけの家事能力があって、経済的にも自立していて、私との信頼関係がある人でした。
結婚前に夫婦で平等に家事を分担して二人で共働きで生活していこうと様々な事柄に関して相談したところ二人の意見は合ってました。
結婚前まではそうでした。
結婚後そうではなくなりました。
実家で生活しているときも男尊女卑の気配はなく、独身生活の頃は毎晩自分の家に来る私に食事を作ってくれていて、結婚前の同棲時も私の体調やあれこれを気遣って家事炊事分担してくれていたのも、いつも笑顔で優しかったのも、入籍後全部変わりました。
入籍前に私の親戚の人を見る目がある定評のある人複数に紹介して結婚相手としてどう思うか確認もしました。
みんな太鼓判押してました。
AS→ミリシタと新作でキャラプロフィールに齟齬が出てるけどどういうこと?
シンデレラ→無難な所が選ばれてるけど5/190とか少なすぎる、担当が出ないならスル―安定
ミリオン→ミリシタであれだけ散々52人で765プロ、一人も手放さないって歌って置いてCSでは34人手放すの?
M→普段は運営を信じよう、たのしいところをみて課金して応援しようと言っている層を巻き込んでの大炎上
シャニ→白スーツP以外にプロデュースされるのがNTRで嫌だ、文章で評価されていたゲームだからライターが変わったことでキャラブレしないか不安
って感じで全方位不安と不満が漏れ出ててこれ本当に大丈夫なのか?
自分は一応シンデレラ、ミリオン、Mマスの兼任Pで(シャニまで手を伸ばす金と時間がない)合同ゲームやライブはそれなりに楽しみにしてた立場なんだけど
やるにしてもいろんな事務所を巻き込んだ合同フェス!765プロ、876プロ、シンデレラプロ、315プロ、283プロの5つある事務所から好きな事務所を選んでプロデュースし、最高のフェスを作ろう!!みたいなのを期待してたから、他の事務所のアイドルを765Pが一括で面倒見るのは思ってたのと違うなと感じた
シンデレラのアイドルがあの無能水飲み鳥から解放されるのは有りだけど、シャニは(フォロワーからの外聞でしかないが)白いスーツのシャニPでないと話が上手く成り立たないアイドルもいるらしいのでそのあたりでキャラクター性に齟齬が出た場合の不安が出てくるのも仕方ないと思う
キャラクターの出身地が変わっているのもこういったキャラコンテンツでは地味に痛手ではないのか
ユーザーの混乱もだが、公式でキャラクター設定に対する共有や連携が取れていないと公表しているようなものなのでゲーム内でのキャラクター描写は本当に大丈夫なのかと心配になる
特にシンデレラではモバマス→デレステで設定の連携が取れておらずキャラクターが別人のようなセリフを喋った例が多々あり、酷いものでは中学生か高校生かブレるキャラもいて不信が募っているからこういった設定の部分ではユーザーは殊更敏感になっている
キャラゲーにおいてキャラクター設定はゲームの根幹にかかわる大切な部分なので、何度でもいうが本当に大丈夫か?と問い合わせたくなってくる
キャラ選出も基準があいまいで、シンデレラは開発の言を信じるなら開発が始まったと予想される時期に人気のあったキャラをまとめているがなぜかミリオンは信号機、シャニの人気の位置づけは詳しくないが個人的によく話題を耳にする三峰、田中、あさひ、霧子のあたりが外れていて何を基準に選んだ?と疑問ばかりが残る
Pラブ勢を避けたのだろうか?
sideMに関しては難しい部分であると当のMマスユーザーも感じていたと思う
今回は混ぜなかったことで荒れているがおそらく混ぜていても荒れていたことは想像に難くない
ただし、ここまで15周年は”5つのアイマス合同で”お祝いする、と言う体裁を取っていた為突然周年祝いのメインの一つであるゲームで省かれたこと、存在をゲストの言及があるまでなかったかのような振る舞いは誠意がなさ過ぎて笑いしか出なかった
ここまで、みんなで一緒にアイマス!と謳っておきながら肝心の場所でのお前の居場所はない、というやり方は公開苛めを見ているようで正直胸糞悪い
今回の件でツイッターのフォロー外から流れてきた言葉ではあるが「できない感動ポルノは最初からするな」の一言につきる
ここ数年Mマス自体が常に不安定な空気を孕んでいて素直に315!!と叫ばせてくれない状態ではあったがここにきてこの扱いはないだろ
せめて一言「今回のゲームは女の子メインだから男を混ぜることは難しかった、(嘘でも)埋め合わせは検討している」の一言をゲストの言及前に言えていたならばここまでの燃え方はしなかっただろう
ASのユーザーも折角の新作でこのような燃え方をするのは不本意だろう
合同は楽しみにしていた、と前述したがそれはゲームではなくライブの話だ
シンデレラのtrust meのように男性ボーカルの方が曲が映えるのではないか?と思わせる曲がいくつかあり、Mマスにも女性ボーカルで聞いてみたい曲があってその部分に対するシャッフルや交流を見てみたい、と言う思いがあった
あったのだが、流石にこの燃え方で呑気に合同ライブ楽しみ~と言えるほど能天気でもない
ゲームの方で合同が出るとは全く期待していなかったが、まさか生放送で公開苛めじみたことをされるとは思っていなかった
あのオレンジの服着たおじさんは以前から失言が多く、アイマス開発のアイコンではあるのだがせめてミリオンの12月の生放送で公開セクハラじみたことした時に燃えて発言に気を付けるべきだと思わせた方が良かったのでないかと若干後悔している
失言が多くても堂々と現れさらなる失言を重ねているので意味はなかっただろうが
ゆくますでMマスの扱いが悪いのでは?という燻りがあったものの、おっさんだから女性と男性で接し方に違いが出てしまうのは多少は仕方ないと割り切ることにしていた
まさかここまで自分たちの作ってきたコンテンツに無責任になれるとは思っていなかったし、それはMマスだけではなく全部のアイマスに対してだ
シャニの(未プレイなので他人の言葉を借りる形になるが)時間をかけて積み上げたPとアイドルの信頼関係
それらを切り捨てた今回の合同にどれほどの魅力があるのか
悪い事ばかりではなく、シャニマスのアイドルは新たに3Dモデルをもらえる、と言ったメリットも存在する
だがこれも参加するアイドルが限られている以上余計な格差を生んでしまう
やるのであれば、こんな中途半端でいじめに見えかねないやり方ではなくもっとユーザーの期待に答えられるような発表をしてほしかった
身近に自殺願望の強い人がいる。ここではAとしよう。Aは女性である。
まだ若いが、家庭環境に問題があって自己肯定感が上がらない。学校にも行けなくなり休学している。
Aは、SNS上でしきりに自殺をほのめかす。市販薬を乱用したり、リストカットをしたりしている。若気の至りという言葉では片付けられないほどに、あまりに死にとらわれている。
同じくSNS上で、そんなAに「生きていて欲しい」と声をかける人がいる。この人をBとする。Bは男性だ。
B自身も少し心を患っており、Aほどではないがたまに自殺願望を表明することがある。しかし、Aほど鬼気迫る感じではない。
2人は恋愛関係にあるわけではないが、信頼関係を築けているようだ。
Aが「死にたい」というと、Bは「ダメだ」「生きていて欲しい」という。日によってはAが「わたしは生きていてもいいですか?」といって、Bが「いいんですよ」という日もある。
しかし、段々とBの「生きていて欲しい」はAにとって負担となってきたようだった。それはつまり「死にたい自分を肯定してもらえない」という、ひどく歪んだ承認欲求によるものであるようにみえる。
「死にたい自分を肯定して欲しい人」にとっては、「死なないで欲しい」とは自己を否定されたように感じていたたまれないのだ。ここにAの死への強い憧憬がうかがえる。
しかし、Bが声をかけていることで踏みとどまっているのもおそらく事実だろう。ではBが折れて、「わかりました、死にたいあなたを受け入れます」と言ったとき、Aはどうなってしまうのだろう?
Bが折れるとは思えないが、そもそもBはなぜそんなにAを引き止めるのだろう。
措置入院だと3ヶ月で出てきてしまうのでその後は医療保護入院に切り替えて、ある程度まとまった期間、入院加療させることをおすすめしたいです。そうすることで、病院内で患者同士の人間関係や医療従事者への信頼関係なりが出来上がったりするので、、
私の両親は私の教育を間違えてたな。テストで悪い点取ると玩具やプラモを壊す。これが間違い。私は玩具を壊されない為だけに勉強した。喧嘩で両親に勝てる高1までこの恐怖は続いた。そして性格が螺旋階段のようにねじくれ曲がった私が完成した。
https://twitter.com/hiromi_kanzaki/status/826965836497719296
「40歳になってもエイルガムのプラモを破壊された時に母親を殴った事を自慢している」事ばかりが取りざたされ、死んで当然の極悪人と扱われている被害者だが
もしもこのツイートが真実なら、あのように育つのは無理からぬ話であったと思う。
激務の事務次官は家に帰れず妻に被害者の子育てを一任していたわけだが、配偶者不在の子育てというものは力での支配が容易であり、それを阻止する者がいないため簡単に歯止めをなくす。
エリートの妻である母が「偉大な夫に相応しい子供を作らなければならない」というプレッシャーを受けていたことは想像に難くないが、
そこで暴力という安易な支配に溺れ信頼関係の形成を怠った結果暴力が親子の法となってしまい、息子の身体成長によって力関係が逆転した時言葉による説得は既に意味を持たなかったのだろう。
(息子が容易に母を殴れたのも恐らくは母親から「力が強い方は不当に相手を苦しめてもいいし、哀願を聞かなくていい」と学んでいたからだ)
被害者が今更更生しえる段階になかったという判断自体は妥当だと思われるが、
だからといって現代であれば明らかに教育虐待に分類される育成を施し、さらにその記憶もないと言い出すような母親(支配の段階にまで達した教育ママというのは概ね狂人であり、暴力から嘘までかなりの事をしでかす)の証言を一から十まで鵜呑みにして全て被害者が悪であったと述べるのは危険を感じる。
狂人の息子に対して父親としての役割を遂行しただけであるから執行猶予を付けろ、等といった言説は論外である。
少なくとも十代の時期彼は真に被害者であり、単独で他の運命を選ぶことは不可能だった。違う道を歩むためにはサポートが必要だった。
父親は息子が廃人になった後でなく、母が圧政を敷いていた時や学校で爪弾きにされるようになった時期にこそかかわりを持つべきだったのである。
さて被害者が今更更生しえる段階になかったという判断自体は妥当だと思われるが、(二回目)
恐らく巷の十代の少年少女には同じように過酷な環境で憂き目を見て、今まさに廃人になりあるいは(自殺を含め)殺されて行こうとしている者が大勢いる。
そうした子供たちに関して本件の反省は生かされなければならないと思う。
今後発生する似たような事案に対しても我々世間が今回と同じように「お前が悪いのだから死で償え」と鞭を振り下ろし続けるなら、それはあんまりだ。
娘をスパルタ教育で潰し、廃人となったそれを疎み粛清する事でリセット、己が被害者であると触れ込んで同情を得る……と言った事が成立する社会はあってはならないのである。(なお世間では既に事実として扱われている事務次官の供述は概ね信憑性を認められていない)
世間はもっと発育という事に関して理解を持ち、それが無理ならより高度なサポート体制が実現するように行政は努力すべきであろう。