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はてなキーワード: 一万円札とは

2024-11-11

手ぶら通勤おじさん

30代半ばのしがないシステムエンジニア

手ぶら通勤を始めて3年が経つ。

上着を着る季節になると、手ぶら通勤が捗りますね。

持ち物は、スマホと定期入れと社員証のみ。

定期入れには、予備の一万円札を2枚差し込んでるが使った試しがない。

カバンスケジュール帳、名刺なんかはずっと机に入れている。

手ぶら通勤は本当にいい。

定時になれば飲み物買いに行くフリして帰れるんだもん。

みんなの職場にもいるだろ?

定時後当たり前みたいに仕事振ってきて、どうでもいい世間話を延々とし、小学生かって疑うくらいにみんなで帰りたがり、定時で上がろうものなら露骨に不機嫌になるやつが。

そう。そういう奴らをあしらうために、俺もこの先手ぶら通勤を続けるよ。

もうカバンを持って仕事行くとか出来なくなっちまったよ。

来週の転職面接大丈夫かなあ。カバン忘れてしまいそうだ。

2024-11-01

祝儀の新マナーに抗いたい

渋沢栄一一万円札はご祝儀には不適切だというマナーができつつあると聞いた。

ピン札を用意させておきながら、更には銀行窓口でさえ用意できるか不確実な旧札をだせとは、憤りすら覚える非合理性だ。

なんでも、その理由渋沢には何人も妾がいて女好きで、だらしない性生活連想させるからだとかいものらしい。

全くもってくだらない話だ。

そこで、こんなクソみたいな新マナーを笑い飛ばすような古のルール勝手に発掘したいと思うので力を貸してほしい。

祝儀には聖徳太子一万円札

みたいなルール

それとなく考察したルール理由もつけてみてもらえると嬉しい。

2024-10-14

一万円札渋沢栄一って夜職の女から不評らしいなwww

見た目でしか物事判断できないいかにもカスらしい話で笑ったわ

2024-10-13

名作といわれるドラマおしんをみたので感想を書く その4

https://anond.hatelabo.jp/20241010224911から続く

おしん物語根底を流れているのが、「恩」であり「仁義であるということをこれまでの感想でも書いてきた。おしんイコール辛抱する精神というイメージが広く流布するなか、金儲けに走った息子の根性を叩き直すために、田倉家を滅ぼしてでもライバル会社に利する行動に出た、という物語ハイライトは、意外にもあまり注目されていない。私も正直なところ、全話を通してみるまで知らなかった。

今回は、物語類型としての「おしん」をみてみたい。

流浪するおしん股旅物としての評価

おしんは一代記ものとしては、タイムスケールがとても長い。おしん1901年昭和天皇と同年に生まれた設定である

そしておしんが生きた少女時代から後期高齢者の83歳になった1984年まで、それぞれの時代があまりにも違い過ぎるので、1983年の田倉家のシーンから明治回想シーン時代を一気に2世代くらい遡るときタイムトリップ感が半端ない

1983年おしんが息子・仁を裏切って、並木商店への説得どころか、積極的大手スーパーへの並木土地の売却を進めてくれとお願いした背景には、並木商店隠居の大旦那並木浩太に対する並々ならぬ恩があるからである

それは、どのような恩だったのか。おしんは息子たちには何も過去を語ってこなかったので、仁には知る由もなかった。そもそも並木浩太とは何者なのか。

おしんも誤解されるのが嫌でそれまで息子には一度も語ってこなかった。しかし、前年の1982年17号店進出を知ったおしんが息子の行動を阻止しようとしたとき、仁は、それが母の初恋の人への配慮であることを悟る。そして、仁はいう。商売ってそういうものじゃない、「母さん、みっともないよ。」と。今風にいえばいい歳してエモいことを言い出してんじゃねえよと思われたのであろう。案の上、誤解されてしまったおしんであったが、なすすべなく工事は進み、ついに開店当日を迎える。おしんはこれまでの人生の回顧の旅に出るのである

おしんと人の縁

おしんと浩太のいきさつをかいつまんでかくのも、がっつり書くのもいずれもけっこうしんどいしかし、今回のテーマの「股旅物」がわかるように、ややガッツリ目に書いておこう。股旅とは、大正時代に生み出された物語類型ひとつで、一宿一飯の義理人情に従って流浪する物語であり、多くは渡世人やくざなどが主人公である股旅物の元祖長谷川伸は、その後の日本小説戯曲、そして映画テレビドラマに至るまで多大な影響を与えた人物である。「飢餓海峡」で知られる水上勉は、長谷川伸の「夜もすがら検校」を読んで作家を志したことはよく知られている。「夜もすがら検校」を発表したのは1924年である明治が遠く過ぎさり、大衆大正デモクラシー自由への過大な期待から人々が少しずつ醒め始め、もう一度生き方を見直そうしていた時代である

2000年代になると、日本映画ドラマの潮流は変わり、義理人情といったテーマ陳腐ものとして忘れ去られてゆく。20世紀末までのドラマでいえば、「北の国から」が長谷川伸的な一宿一飯の義理人情世界観でつくられた恐らく最後ドラマだろう。吹雪の中を助けに来る馬、泥付きの一万円札などに表現される世界は、まさに長谷川伸系譜なのである

おしん回想シーンだけをみると、浪花節にあふれた、まごうことな股旅であるしかし、おしん物語面白いところは、浪花節陳腐化し、古臭いものになってしまった現代1980年代)と交差している点である

キーワード加賀屋への恩】

並木浩太とおしん最初出会いは、おしん16歳、山形酒田の米問屋加賀屋奉公へ来てから7年が経った頃だ。おしんは、加賀屋の跡取りの長女・八代加代と姉妹同然に育ちながらも、大奥様・八代くにからは、肉親の孫娘・加代よりも商売イロハから茶道裁縫など良家の子女としての教養を徹底的に教え込まれていた。このときにの指導によって身に着けたものの考え方や教養が、のちのおしん人生で役に立つのである。加代はというと、将来は良家から婿をもらって加賀屋をどうせ継がさせられる自分のつまらない運命うんざりしていた。絵画が好きだった加代は、東京で別の”自由”な人生があるのではと夢をみる少女だった。そんな折、農民運動活動家・浩太と出会った。酒田訪問した際、官憲の目を逃れるためにおしんとお加代に助けを求めたのが最初出会いであるおしんとお加代は同時に、浩太に恋心をもってしまう。大正デモクラシー時代だった。インテリかぶれした加代は平塚雷鳥の本を手元におき、人形の家を著したイプセンなどに憧れを抱いていた。当時、大衆のなかで勃興していた人権運動先進的だと中身もわからず憧れていたのである農民運動、カッコいい!加代は浩太の活動ロマンを感じて恋に落ちてしまった。一方、おしんは、土地を持たない小作農民の自立を助けたい、という浩太の純粋な思いに心を打たれていた。おしん小作の娘であった。小林綾子が主演した「おしん少女編」では、おしんの母・ふじが冬の川に下半身を沈めて妊娠中絶を図ったり、小作農民の悲哀がこれでもかというくらい暗く描かれていた。そしておしんは冬の川に入った母の姿をみて、6歳で材木問屋奉公へ行く決心をしたのであるいかだに乗って、母ちゃんと叫ぶ、有名なシーンのアレである

ともあれ、加代とおしんは同時に同じ男性に恋をした。そしておおらかで情熱的な性格の加代は恋心を隠すことができず、おしんに打ち明けていた。そしてやがて加賀屋の跡取り娘でありながら、何もかも捨てて浩太へ会いに東京家出してしまう。しかし、おしんは、奉公先の跡取り娘であるお加代様の恋を大切に思い、自分の思いはそっと封印した。一方の浩太は、東京に出てきた加代の猛烈な求愛を受け止めつつ(東京で加代と同棲までした)、本心最初からおしんが好きだったのである

おしんは加代の家出理由加賀屋に伝えることが忍びなく、おしん加賀屋から暇をもらって帰郷する。帰郷したおしんを待っていたのは、おしん女郎部屋へ売り飛ばそうとする父・作造と口利きの男であった。さら実家で目にしたのは、奉公先の製紙工場の過重労働健康を害し、肺結核で放り出され、今や死を目前にした姉・はるの姿であった。いまわの際に、はるは女衒に騙されそうになっているおしんを救うべく、自分の夢が髪結いになることだったことをおしんに告げ、東京の知人の髪結い師匠長谷川たかの住所を訪ねるように、伝えて息絶えた。

一方、加代は、浩太の心がおしんしか向いていないことを悟り、浩太のいない東京を去り、加賀屋を継いで見合い結婚する。

キーワード日本髪結いのおたかへの恩】

こうして、はる姉ちゃんが叶えなかった夢を託されたおしん東京へ出た。女郎部屋を売り飛ばそうとした父のいる故郷に心を残すものはなかった。髪結い師匠たかは、江戸時代から続く髪結いの昔気質職業観を持った女性だった。一人前になるための6~7年の下積みの苦労は当然であり、弟子には甘えを許さなかった。

しかし、大正という時代は、江戸から明治まで続いてきた日本髪の伝統の衰退期であった。大正浪漫とか大正モダンと言われる時代が到来しており、洋髪が東京流行し始めていた。おしんが修業している3年間の間に大きく時代が変わりつつあったのである

大衆身分から解放され、より自由髪型を求めるようになっていた。髪型をみれば、人妻なのかそうでないのか、はたまた、その人の職業身分がわかる、という時代は終わりつつあった。弟子入りなんてせず洋髪の専門学校をでて、理髪を仕事にする時代がきていた。おしんには洋髪のセンスがあった。たかおしん独立をすすめる。たかはいう。「昔は厳しかったんですよ。6年も7年も修業してやっと一人前になったら、それからまた、お礼奉公をして。10年近くもただ働きをして覚えたもんなんですよ。そんなことは今は通んなくなっちまったけど。やっぱりご時世ってもんですかね」。これは紆余曲折を経ておしんたかの元から独立し、その後、客先で出会った男性・田倉竜三と結婚挨拶たかを訪れたとき言葉である。その時、5人いたたか弟子はついにたった一人だけになっていた。

田倉商店を竜三の妻として支えるようになったおしんであったが、商売は順風ではなかった。おしん夫婦を陰で支えていたのはたかであった。田倉の経営が傾くと、おしんたかを訪れ、髪結いをして夫を支えた。たかもまた、洋髪の時代おしんの才覚を必要としていた。客商売は人の縁、ひととのつながりを大切にすることだと心に刻んだのはこの頃である

一方、田倉商店開店休業状態に陥るほど経営悪化していたが、おしん髪結いで稼いでいたので竜三はプライドを傷つけられ、すっかりおしんが稼ぎ出した金で遊び歩くようになってしまった。師匠たか相談すると別れちまえという。「ダメな男はどこまでいったってダメなんだよ」とすっぱり切り捨てるが、おしんは亭主をダメにしたのは自分だとと気が付いた。夫の更生のために妻の自分は黙って夫についていく姿勢を示すことを決意し、長谷川洋髪をやめることをたかに申し出る。稼ぎ頭のおしんに辞められるのはたかにとってもつらいが、受け入れる。やがて蓄えもつき、明日食べるコメもないどん底におちて初めて竜三は再起を決意する。しばらくは順調に田倉商店再生が進んで、おしん洋裁の才能も手伝って、田倉は子供服店を開店することになった。しかし、その直後、関東大震災おしん夫婦の夢を完膚なきまでに打ち砕いてしまうのである工場火災で焼かれ、絶望した竜三は「佐賀ゆっくり休みたかおしん佐賀はいいとこばい。。。」といって佐賀への帰郷の心を固める。竜三は大地主の三男坊なのである。こうしておしんにとって地獄佐賀編がスタートすることになった。

さて、佐賀に三男の嫁として入ったおしんを待ち構えていたのは、姑による徹底的な虐待だった。数か月もすると、おしん佐賀地獄から脱出を心ひそかに誓い、東京師匠たかのもとに、東京に戻りたいと手紙を書くのであるたかの元にいけば助かる、自分の腕一本で生きていると信じた。必死の決意で脱出し、やっと髪結いを再開しようとするも、さらなる不幸がおしん絶望に突き落とす。佐賀で夫に振るわれた暴力が原因で、右手の神経に麻痺が残ってしまっていた。髪結いを諦めざるを得なくなった。

こうしておしん流転の人生が始まる。屋台出店からまり故郷山形酒田と流れ流れ、ついに浩太の紹介で三重伊勢の魚の行商に落ち着き先を見出すのである佐賀に残った夫といつかは一緒になれると信じて手紙を書き続けるのである

キーワード:浩太の恩】

浩太の実家貴族院議員の父を持つ、太い実家だと先に書いた。しかし、浩太にとって本当のやすらぎのふるさとは、おばの伊勢実家網元のひさの家であった。浩太は、流浪人生を送るおしんを見かねて、伊勢網元をやっているおばのところに下宿し、行商を勧めるのである。これまで米問屋での奉公に始まり、ラシャ問屋子供服洋裁、洋髪・日本髪、農家の嫁地獄酒田の飯屋をやってきたおしんめし加賀屋は加代とおしんが切り盛りし、おしんにとって加代の元気な姿をみた最後の思い出となった。その職業遍歴に今度は魚売りが加わることになった。

伊勢に来て、笑顔を取り戻したおしん。竜三もおしん魚屋をやる決意をしてくれ、おしん人生好転し始めていた。

一方、加代の人生は、暗転した。加賀屋本体が夫の先物取引の失敗で負債を抱え倒産した挙句、夫は自殺してしまう。八代家の両親は過労で衰弱、入院費を工面するために加代は借金のかたに売春宿に沈められてしまう。両親は相次いで亡くなり、生まれたばかりの希望を抱えた加代をみて、おしんは救出を誓うが、借金の額に手が出せなかった。加代は翌日酒を煽って死んでしまった。希望は田倉で引き取ることにし、加賀屋の再興を果たしたい思いから、養子にはせず、八代苗字も変えなかった。

一方、浩太は長く続けてきた農民運動に行き詰っていた。治安維持法により、弾圧が厳しくなり、ついに6年間も投獄され、苛烈拷問の末、転向を迫られた。敗北者となった浩太は、心身の傷をいやすために伊勢のおばのところに帰るのである。すっかり引きこもってしまい、おしんとも口を聞こうとしなかった。やがて、浩太は実家の縁談に応じて、並木家へ婿入りすることになって静かな人生を送るのである。やがて少しずつおしんとも再び心を開くようになるまで十数年を要した。

田倉家では、雄、次男の仁、そして希望がすくすくと育っていった。雄は戦争で亡くなるが、戦後も仁と希望兄弟のように母おしん魚屋を支えていた。大人になった仁が商才を発揮する一方で、希望商売に向いていない自分を見つめ直し、自己実現のために陶芸の道を歩みだす。

屈折10年、陶芸師匠の元で修業した希望がようやく独り立ちできる時期が来た。そのときに、希望のための釜・新居の支援をしたのは浩太である。お加代さんとの縁を思い出してのことである。浩太は、折に触れて田倉家のおしんを見守るように生きていた。おしんセルフサービスの店に挑戦するときも、銀行からの借り入れにあたって、浩太は並木の自宅を抵当にいれてくれたこともあった。

股旅物を取り込んだ現代劇~義理人情は古臭い観念かという現代人への問いか

さて、長いことおしんの半生を振り返ってきたが、一旦冒頭の仁のセリフ1983年の場面)に戻りたい。

仁が17号店の出店を並木商店の近くに計画していることを知っておしんが反対したときのことである初恋のひとに迷惑がかかる?「母さん、みっともないよ。」というのが仁の反応であった。しかし、もし仁が母おしんの半生をもう少し知っていればそんな言い方はなかっただろう。おしんは人の恩に深く支えられて生きてきたのである。田倉スーパーの出発点となったセルフサービスの店にしても浩太の支援があってこそであった。

ドラマ構成として興味深いのは、おしんの半生を、徹底的に(一年間のドラマの大半部分を費やして)一宿一飯の義理人情で「世話物」的に(つまり当時の生活感覚として)描いておきながら、おしん戦後現代にいたる高度経済成長おしん自身義理人情を忘れてしまたことに気が付く、というメタで重層的な構成であるおしんにしても、商売は食うか食われるかだ、という厳しい姿勢戦後を突っ走り、16号店までたのくらスーパー事業拡大させてきた戦犯なのである。それが今になって17号店は昔に世話になった人に迷惑がかかるから反対、はない。突然反対し始めた母を見た1983年の仁の目からは、義理人情なんて古臭いものだという感覚であり、母の物語は「世話物」ではなく完全に「時代物」なのである。大切なものを置き忘れてしまった気がしたおしん問題17号店開店当日、失踪する。この世話物時代物が交差する、ところもドラマおしんの魅力である

2024-10-04

一万円札画太郎先生に頼んだらみんな貯金せず使うんじゃねえかな

経済回そう

2024-08-15

一万円札を財布に入れてるやつはアホ

アホだよね

今の時代、大半の買い物はオンラインで済む

リアル店舗の買い物だって電子マネークレカで済む

しかし、電子マネー対応してない小さい飲食店は多いから完全に現金排除することはできない

から現金を持つのは間違ってないし

それが災害対策にもなる

しか一万円札は使わんだろ

高額な買い物ならオンラインクレジットカードかもしくは銀行振込でいいし

本当に現金必要な場面で下ろせばいい

日常的に一万円札を財布に入れる意味はない

それなのにバカそうな老害はすぐに一万円札を出す

一万円を出してレジを遅延させる

まさに老害

生きる無駄

2024-08-12

そこら中の人が数万円するデバイスを見せびらかしながら歩いてるのはなんでかねえ

取られると思わないのだろうか

一万円札どころか千円札すらひらひらさせながら歩いてる奴なんていないのに

2024-07-16

anond:20240716151351

1. 妻妾同居制

渋沢栄一一万円札の顔になったんだし、これが推奨されてんじゃないの?

2024-07-13

anond:20240713151941

なぜ日本一万円札肖像画は全て韓国への加害人物なのか

リベラル観点を重視して、韓日の橋渡しに貢献した人物を選ぶべきだった

せめてバランスをとり、五千円札には韓鶴子氏あたりを選んだ方が良かったのでは

聖徳太子福沢諭吉渋沢栄一...なぜ日本一万円札肖像画は全て韓国への加害人物なのか

日本一万円札肖像画はこれまでに聖徳太子福沢諭吉渋沢栄一と変遷してきた。しかし、これらの人物には隠された共通点がある。それは、いずれの人物韓国に対して加害的な行動や思想を持っていたとされる事だ。

 

聖徳太子

聖徳太子日本社会では平和的な人物として広く知られているが、『日本書紀』には弟の久目皇子当麻皇子征新羅将軍に任命されていたことが記録されている。それまでの大和王権朝鮮派兵は主に大伴氏物部氏などの軍事担当氏族担当しており皇子の任命は初めてであることを勘案すれば、当時摂政を務めていた聖徳太子自身新羅現在韓国)に対して好戦的意志を持っていたことが推測できる。

 

福沢諭吉

福沢諭吉は「脱亜論」という論文を発表し、中国朝鮮蔑視する態度を示した。この思想はその後の差別的思想植民地主義正当化につながり、アジア諸国、とりわけ韓国に対する軽蔑と抑圧の態度を助長した。

 

渋沢栄一

渋沢栄一は、日本韓国支配していた日帝強占期において、独占資本家として朝鮮の富を収奪人物である。彼の活動日本経済発展寄与する一方で、韓国に対する経済的搾取と抑圧の一端を担っていたのだ。

 

~なぜ加害人物が選ばれるのか~

日本一万円札肖像画にこれらの人物採用され続ける理由には、日本歴史認識国民意識が影響している可能性がある。韓国に対する加害の歴史無視する形で、国内では偉人として称えられる人物を選び続けることで、過去行為に対する反省謝罪意識が欠如していると言えるだろう。これは、歩み寄りを図る現韓国政権との摩擦を一層深める要因ともなりかねない。

 

一万円札に描かれる人物選定が今後どのように変わるのか、またそれが日本韓国関係にどのような影響を与えるのか、注目されるところである

2024-07-10

次のお札の人物

一万円札 → 大谷翔平

千円札 → タモリ

 

五千円札けが思いつかないです

誰ですかね? 

2024-07-05

紙幣ダサい」≒「数字デザインダサい」じゃない?

anond:20240704132527

紙幣デザイン見て初めに思ったのが「ダサい」だった人間なんだけど、自分のがダサいと感じた理由は掲題の通りかなと思う。

紙幣に占める数字の大きさと数字自体デザインが「今までと違うから違和感がある」のではなく「単純にダサい」んだよな。

一万円札の表と五千円札の表はマシだが、それ以外は二段ぐらいレベルが落ちる感じでダサい

やっぱり数字デカいのがダサさの主な要因じゃないのかな?千円札数字のものダサい

元増田にはデザイン変更の必要性を長ったらしく書いてあるが「新紙幣デザイン裏付け理屈があればダサくない」というモノでもないので、ダサいと感じるモノはダサいのだ。

2024-07-04

あらためてフォントの件で新一万円札画像を見ているが

渋沢ソニックリングを集めようとしているようにしか見えん

今回の新一万円札は、明らかに実業家への「自分のことばかり考えて小さくまとまってんじゃねぇよ」というメッセージ

渋沢栄一を見習って20人くらいは子どもを養育する甲斐性を見せろやってこと。

一万円札を見るたびに思い出して欲しいこと

渋沢栄一身長151cmだけど、多数の愛人を抱え公式17人、隠し子も含めたら20人以上の子どもがいる絶倫モテ男だった

2024-07-03

10年後の新紙幣に思いを馳せたらショボすぎて泣きそう

これが俺の三連単や!

一万円札卑弥呼

五千円札:弥助

千円札孫悟空ドラゴンボール

一万円札卑弥呼 選抜理由ポリコレ男女平等

男女平等のために五千円札にそこまで大したことやってない女性偉人を押し上げるのがブームじゃないですか?

でもこれって次も五千円札にしたら「は?女だから最高額紙幣は無理だと?」ってイチャモンがつくと思うんですよ。

そこで一万円にショボイ女性偉人を輩出したら「は?日本の女はこの程度しかいないと?」ってなるじゃないですか。

まり歴代の最高額紙幣に負けない女性偉人必要になるわけですね。

日本でそのレベルってもう卑弥呼だけでしょ?

まあここはまだ納得できる気はするんですよね。

五千円札:弥助 選抜理由ポリコレ人種平等

一万円札女性枠になったことで、今まで女性枠だった五千円札が空白になるわけですよね。

でも既に五千円札ってポリコレ枠みたいなイメージがあるじゃないですか?

下りられないレールっていうか。

一万円に女性を入れたかトレードってやるわけにも行かないっていうか、根強く残る男尊女卑ジジイ的にもここで「今回一番強い男はこれです!」って出してもなんか負けた気がする。

というわけで色々な思惑が絡み合って人種平等枠になっちゃうのかなって。

人種平等と言っても日本ガチの人種差を感じるシャクシャインとかを紙幣にするのは流石に冒険でしょ?

じゃあ小泉八雲辺りっていうのもありなんですけど、白人を使うと今度は白人至上主義っぽくなってそれはもう今の時代には冒険でしょでしょ?

つうわけで黒人ですよ。

そこでまあ知名度とか「変な方向に活躍しすぎてない」とか色々考慮していくと、無難に弥助が来るのかなって。

自分でやってて悲しくなっちゃいましたよ。

ポリコレ迎合しすぎだろ。

千円札孫悟空ドラゴンボール) 選抜理由文化アピールクールジャパン

千円札っていうとやっぱこう文化科学で結果を出した人を置いて「日本スゴイんだ!」って世界アピールする感じじゃないっすか?

でもなんかこうノーベル化学賞とかもいい加減ネタ切れっていうか、案外地味なのしか居ないっていうか、結果出してる人以外と存命っていうかでしょ?

いっそドクター中松みたいなのを置くのも面白そうなんですよ。

ゆーてちょっとは真面目にやるなら塚治虫とかでもいいかなと。

でも手塚治虫ってなんかこう外人から見たら地味な気がするんですよね。

世界日本スゴイをアピールしたいじゃないですか。

そこで思ったんですけど、鳥山明って世界的にはめっちゃ評価されているなと。

でも鳥山明自体が有名ってよりもドラゴンボールが有名なんですよね。

じゃあもうカカロットでいいじゃんってわけですよ。

法定通貨アニメキャラクターってマジでクールじゃないっすか?

最近日本人って失い続けた50年のせいでめっちゃスゴイに飢えてて、特に外人からクールだと思われたくてしょうがないでしょ?

そういう流れでドラゴンボールちゃうかなって。

うーん思考実験にすぎないんですけど、マジで悲しくなってきちゃった。

どこに向かってるんだろうねこの国は。

いやでもマジで最近紙幣ショボすぎるでしょ。

渋沢栄一はともかく津田梅子北里柴三郎っすよ?

なんなんすかね?

これならまだ卑弥呼・弥助・カカロットの方がマシに見えてきたな。

マジで終わってるわ日本銀行のセンス

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