はてなキーワード: フィーリングとは
何かがきっかけで人がいがみ合う、嫌い合うことは日常生活で良くある事だが、その原因を分類する。大前提は「人間が動物である以上、人間は感情によって行動する」ということ。でも、人間は感情をコントロールすることを美徳としている。これが人間性である。人間性とは「感情を論理で制御すること」をいう。ここで言う制御とは、感情に対するブレーキだけではなく、時にはアクセルを踏むことも踏まえて(韻を踏んでいるわけではない(と踏んでいる(以下略)))制御と呼ぶ。この感情というのはなかなか制御出来るものではないけれど、感情に振り回されないように、いかに制御するかが大切。感情にブレーキばかりかけていればいつか感情が爆発してしまうときがくるかもしれない。だから、「制御」とはアクセルもブレーキも自在に使いこなせる状態を言う。さて、私が生きてきて様々な人に出会い、好かれ、好き、嫌われ、嫌ってきたが、感情の制御に関わる根本をどう解釈するかが、人によって大きく2つに別れていることに気付いた。
前者がロジカルタイプ
とここでは呼ぼう。
[20130218追記]
タイトルがよくなかった。大学名をボカすために「高学歴な理系院生」とした次第で、そのすべてには当てはまりません。自分が話した工学系・理学系の修士学生10数人のうち8,9割に危うさを感じただけで、一般性もなにもない。
ブコメを読むと、理系は推薦使うから別にいいじゃん、と書いている方がいますが、最近は推薦でもコミュニケーション力重視を会社側が明言してるところ多いですよ。平気でたくさん落ちます。
自分のとこの会社は推薦でも自由でも受けることはできるけれど、推薦でも最終面接合格合格率は3倍くらい。
あと自分のスタンスについて説明しておく。OBの若手社員としてエントリーする学生を増やすことが目的。せいぜい今後の人事との面接で話すことになる志望動機をつくってもらう練習相手。なので自分の会社にいい後輩が入って欲しいというのもなくはないけれど、後輩にいい就活をして欲しいというののほうが強いかも。よく面倒をみてた後輩たちも就活しているのでかぶっている、かも。
思い込みの見当外れブコメも多いけれど、けっこう手厳しいブコメが多くて反省。
会社説明会で某地方国立大の学生何人かと話して危うさを感じた。たぶん無い内定がまたたくさん現れる。なんとかできるのはいまのうちだけ、かも。
先日、某地方国立大で催された会社の説明会に社員側として参加して学生たちと話をする機会があった。みんな理系で9割くらい修士で9割くらい男。
うちは業界では規模・売上・知名度とも国内トップの会社。もちろん、トップだからいい会社というわけではないけれど、エンジニアの採用も多い会社、とだけ説明しておく。
会社説明会をしてきたといっても自分は人事ではない。うちの会社の方針でエンジニア系の採用は大学のOB/OGが説明会をすることになっている。エントリー後はwebテストがあって、そのあとに人事や事業部の偉い人が面接していくという流れになる。今回は評価や面接はしなくて、あまり知られていない会社のことを説明して、多くの学生にエントリーしてもらうことが目的。
説明会のほかに、お昼を一緒に食べてざっくばらんに話をしたり、個別で相談/面談してきた。自分は12,3人くらいの学生と話をすることができた。そこで感じたのだけれど、大学生の就活けっこう危ない。
このままじゃ内定とれない学生がたくさん出そうと思うので、後輩のためにアドバイスという意味も込めて書いてみる。直接言うのもあれだしブログで書くと名前・会社がばれると面倒だし、学生はネット民多そうだったので匿名ダイアリーで失礼。
とは言っても、きちんとした採用活動の訓練を受けているわけではないので主観的な要素も多分にあると思う。補足や批判などあればお願いしたいし、共感できれば就活している学生に共有していただければ、と思う。
もし内容に、これおれのことじゃん、と思った方、勝手に使ってすみません。就活がんばってください。よければ弊社にエントリーしてください。
この日に話した10数人のうち、8割くらいは人と話すのが不得手そうであった。会話に割り込む。ぼそぼそしゃべる。一方的に話し続ける。下を向いてしゃべる人すらいた。
別に勧誘したり説得したり説法したり商談したり((あとダーラボンのまねをしたり))と高度な話術を求めているわけではない。面接みたいに緊張する場所や雰囲気でもなかったし、噛んだり整理されていなくてもいい。ただ自分のやっていることを話して欲しい。
エンジニアや研究者志望ということなら、多少のコミュ障ぶりは目をつぶれる。話し方よりも内容だよ。ということで、どういう研究しているかであったり、なにか勉強していることがあるかと聞いてみた。けれど、まともな返事が少ない。せいぜいありきたりなサークル活動がんばっていましたレベル。
これだけ会話が下手な人が多いと、日本企業がコミュニケーション力を重視するのもうなづける。
これまでは、技術力よりもコミュニケーション力を重視していて世界の競合と戦えるのかと苦々しく思っていたけれど、もしかしたらこれは正しい戦略なのかもしれない。日本の学生には、人になにかを説明したり相手の質問を理解する力、いわゆるコミュニケーション力が足りない人が多く、たとえ技術力があったとしても発揮できない。((使う側の能力の問題では?という指摘もあるかもしれない。それはその通りで、使う側にそういう能力を持った人が少ないので採用しないと思われる))
一方で、自分の主観的で狭い交友ではあるけれど、欧米の人は議論する能力がある人が多い。初等教育から高等教育までディベートや議論、質疑応答を訓練する機会が多いからかもしれない。その前提があるから欧米の企業ではあえてコミュニケーション力を評価対象として大きく扱わないのではないか。とも考えられる。
社員と学生が1対1か1対2くらいの個別面談では、会社の気になるところがあれば疑問を解消してもらうことと、実際の面接での話のネタにしてもらうくらいのスタンスだったのだけれど、学生からはあまり聞きたいことがないようだったのでこちらから質問していくことが多かった。
「どういう業界を志望しているのか。そのなかでこの業界、この会社を志望している理由は?」といったものと「大学でなにか打ち込んだことは?」((模範解答は「くさび」))というド定番。
「商社も志望してるんだね。もしよかったらその中でもどう考えているか聞かせてもらってもいい?」
「〜商事がいいかな、と思ってます。前に会った社員さんにフィーリング会う人がいて。〜物産はちょっと違うかな、と」
「・・・(それって君の大学のマジキチひとりとあったら君の大学のひとみんなマジキチだと思うようなものだけど、サンプル数大丈夫か)」
「社会のインフラに携わりたくて、電力以外のインフラ志望です」
「なんで電力以外なの?」
「某原発に見学に行ったとき、現場のひとの態度が悪くてこれはないと思って」
「ほかのインフラはそういうことはないの?(なんでわざわざ電力以外とネガティブな言い方をするんだ・・))」
「SIerを志望しているのはどうして?」
「ほかの業界でも社会貢献はしているよね。SIerならではの社会貢献ってなにか考えてる?」
「・・・」
「A社はいい会社だとは思うけれど、ほかの大企業とはなにが違うの?(そもそもA社も東証一部上場の大企業だ・・・)」
「ものづくりがしたいと思っていて、企画から完成まで携われそうだから。」
「ほかの会社ではそういうことはできないの?」
「A社にはその部分ごとの担当・専門家はいないの??部分を担当する人がいないならよほど小さい製品か、相当の少数精鋭かだけれど」
「」
2月という就活の序盤で、業界が定まっていないのは当然だしかまわないのだけれど、先入観だけで判断していて、それを先入観と気付いていないのはけっこう危うい。
そのものずばりな動機なんてなかなかないけれど、論文などで必要になる研究の背景とか目的と同じで、多少の味付けと詭弁はあってもそれなりに筋は通っているものを用意して欲しい。
もしかすると、こういう志望動機を言うのは茶番だ、という指摘もあるかもしれない。それは自分も思う。
けれど、海外と違って経験無し能力不明でも採用され得る日本の新卒採用ではそういうとこでしか差別化できない。((その是非は別問題。解雇規制もあるし会社にとっては良くないと思う))
海外に比べて、日本の新卒市場は圧倒的に学生有利なのでもうちょっとチャンスを生かして欲しい。
会社の説明会で行ったのに、就活の相談と言うよりもアドバイスと練習になってしまったかもしれない
上記でだいたいわかると思うけれど、みんなあまり準備していない。楽天的というか自信過剰。無邪気に内定とれるものと思っているフシがある。先輩の惨状とか知らないのかもしれない。自分は違うとでも思っている?毎年々々、M2がM1に「就活結構大変だから早いうちに準備して手広く受けた方がいいよ」と言ってM1は「自分はだいじょうぶ」と思って失敗するのを見聞きする気がする。
戸愚呂(弟)がひとにらみしたら消えるレベル
参考:セルゲームに学ぶ「再チャレンジ支援税制」:【2ch】ニュー速VIPブログ(`・ω・´)
こういうのもあった。
「ほかにどういうとこ見てるの?」
「え、経営状況悪いけどいいの・・?」
「関西で働きたくて」
「え、けっこう東南アジアの工場で勤務する人多いけれどいいの・・?」
ここで「いまは業績は悪いけれど、パナソニックのやっているスマートホームの事業はまだまだ可能性があって、自分の研究のこういうところで貢献できる、おれならこうする」とか考えているなら別だけれど、そういうわけでもない。(自分が就活していた数年前はすごい人気だったのを棚に上げています・・)
とりあえず、どういう動機でもいいのでいきたい会社があれば、そこの面接官にこいつを欲しいと思わせるためにはどうしたらいいか考える必要があると思う。会社選びは難しいしどうしたって先入観まみれになるので動機が恣意的になるのはやむを得ない。
ここあたりのことについてはいろんなひとが書いているので省略。
もちろんちゃんと考えていて行動している学生もたくさんいる。すでにヨコモジのコンサルとか金融に内定もらっていたり、エンジニアだとweb系のベンチャーにインターンしていたりしている学生も少なくないようだ。
イケてる業界でもイケてる会社でもないからそういうイケてる学生が集まっていないだけじゃないか,大企業志向・安定志向の学生ばかりじゃん、と言われればそれまでだけれど、会社説明会にわざわざ足を運んでくれた10数人の学生のうちの多くがこういう状態だったというのは暗澹たる気持ちにさせる。
能力はあって、ちゃんと考えているけれど、それを面接なりで伝えられなくて落ちる学生が多いのはもったいない。
小手先のテクニックと言われれば否定はできないけれど、消えない幻は現実。リア充のように振る舞って、リア充のようにみえるならばそれはリア充。時間は短いけれど新卒就活をうまく利用して欲しい、な。
以上、散漫とした、主観的な文章で恐縮ですが、感じたことをぼかして書いてみました。
この記事は見る人が見たら誰が書いたか分かると思いますが、わかった方はこっそりしておいて欲しいです。
(ここまで書いてきた批判は、たぶん学生だった頃の自分にも当てはまっていた。無能なわりに自信があった自分の鼻っ柱を折ってくれた先輩に感謝。たまたま内定とれたけれど、もうちょっとちゃんと就活しておけば良かったかなとは思う。)
>「天秤の右の皿に金貨が乗りすぎてるから、右を削るか左に乗せるかしましょう」という理屈がわかってない人
そんな人いないけど。
>なんで具体策が必要なの?
簡易な天秤の例えだから「右からつまみ上げて左に乗せる」みたいなイメージが浮かびやすいけど、
実際は天秤の両皿じゃなくて社会福祉費の分配についての話なんだから、実行に当たってどういう基準で何処から削って何処に充てるかを決めるのには具体的な議論が要るよ、ということ。
そこが欠けてると空想の天秤でシーソーごっこしてるのと何も変わらない。
まあ「俺はこう思う」レベルで提案できたとしても、大体の要素はいろんな識者が吟味してるから総フルボッコ喰らうだけかもしらんけどな…。
>どういう対策であっても切り分けは要らないと思いますが…
思うっていうのは君の主観、フィーリングであって根拠がないよね?
そういう根拠の極めて薄い或いは無いことを主張として押し通すと、
「お前がそう思うならそうなんだろう、お前ん中ではな」を地で行くバカと認識されて相手にされなくなりますよ。
実際相手にしようがないんだよね、そういう思い込みの強いタイプの独善的なバカってのは。
>子供を増やす、ことについて、これが高齢化対策なのか少子化対策なのかを切り分けて考える必要って何かあんの?
ある。子どもを増やすっていうのは何らかのアプローチの結果でしょ?
そのアプローチ自体は「少子化対策」という観点から行うのか、それとも「高齢化対策」という観点から行うのかで性質がだいぶ違う。
2、3月中に大量のESを送る大企業、つまり誰でも知ってるような有名メーカー、マスコミ、金融は4月中で全て決まる。
自分はなれなかった。でも、そこからどうにか5月上旬に希望の業界に内々定をもらった。
そこで気付いた落ち武者なりの面接のコツ的なものを書こうと思う。
基本的かつごく当たり前のことだけど、徹底的にこれらを意識するようにしてから内定ラッシュが遅れてやって来た。
何社落ちたかなんて数えない。落ちた選考の資料、終わったスケジュールは全部捨てて消せ。
でも、どんな企業の選考でボロカスにされようと、それは決して無駄じゃない。
そのなかで絶対に譲れないものが見えてきたら、そこだけ目指せばいいと思う。
4月大手に全滅すれば、泣きながらよくわからない企業に新たにエントリーすることになるだろう。
周りは半分以上大手に決まって、スーツで授業に出る学生が少なくなる。
すると、そのなかで自分は何がやりたかったのか、何をやってるのか、電車の中で必ず絶望する時が来る。
でも、たとえ全く興味のない企業の面接で志望動機を0からつくっても、結局は同じ所に帰結する。
軸は、例えばこの職種、業種、勤務地、給料でないと自分は働かないという
「希望勤務条件+自分の今までの人生の総決算から導き出された自分は何がやりたいか」だ。
将来何がやりたいか、から入ると思考停止してしまうから、気をつけるのはこれまでの自分から考えること。
それは大学時代だけじゃなくて、21年間の総決算だと思えばいい。
未来は過去の延長なので、過去を探れば探るほどそれ以上でもそれ以下でもない答えが見つかる。
やりたいことを企業を限定しないように。
自分の人生で感じる使命感とか夢とか、そういう大きな括りで考えるとあらゆる企業の志望動機に転用しやすいから。
自分はこの21年間、どんな人間だったか。徹底的に物心ついたときまで遡る。
なぜその高校に入って大学に入ってその活動を頑張って、なぜその企業に入りたいのか。
いわばこれが自己分析ってことになる。
例えば「自分はこの活動を頑張りました」「なんで?」「~が好きだから」だけじゃだめ。
「自分は子供の頃からが~好きで、それを通じて~できたり~できるから、それが原動力となって頑張れた」
全部に筋道を立てて、相手に納得させる答えを考える。
また、面接では他企業の選考具合について必ず聞かれるけど、そのときは決して受けてる企業と無関係の企業を口にしないこと。
自己分析って言葉はわかりにくいが、常に自分に質問を投げかける習慣をつけること。
「御社のこの製品が、サービスが素晴らしいから御社に入りたい」なんて間違っても志望動機じゃない。
「自分はこういう人間でこういう生き方をしてきたから、こういうことがしたい、それは御社でしかできない、だからお前らは俺を入社させるべき」くらいの強気で。
就活は恋愛だという。それは正解だと感じた。いかに相手の興味を惹くか。駆け引き勝負。
2でつくった筋道を、全部話すんじゃなくて相手に聞きださせることが大切。
面接の最中、これから面白くなるぞなるぞという雰囲気のギリギリ一歩前で話をやめる。
「えっ、それでそれで?」と身を乗り出してくれば勝ち。思いっきりアピールしまくれ。
逆質問は最後の猶予なので、面接で言えなかったことを無理やり質問に詰め込む。
質問を相手に投げかけつつ、むしろこっちが答えを返す勢いで。
たとえば営業職の場合、「お客様にと接する際、どのようにそのニーズを聞き出していますか?」と聞く。
そのとき重要なことは、「自分はアルバイトの経験から接客でこのようなことに気をつけていたんですけれど…」と前置きすること。
自分の答えが相手の答えに一致するよう誘導する。
「○○さんのおっしゃった通り、我々もこのようなことに気をつけています」で返ってくれば勝ち。
じゃあなんなのかというと完全にフィーリング。
今までの面接と違い、何回も自分の話を聞いてくれたことのある人事ではない。
相手はただのおっさんだ。
何故か今更エントリーシートについて素っ頓狂な質問をされる。家族について聞かれる。自分語りを始められる。鼻で笑われる。
そんな感じなので、自分は最終面接はいつも失敗したと思って帰った。
でも受かってるのだ。落ちてることもある。
お偉いさんだろうが相手はただのおっさん、そこでの結果について決して自分を責めないように。
自分はごく普通の学歴と経験(むしろ留年のハンデ付き)で、可もなく不可もありませんでした。
僕が、日立のリクルーターのトレーニングを受けなかったのは、はっきり言って「使えない」と思ったからだ。
入社1年目と2年目選手がやってきて採用のことも知らないのに間違ったアドバイスやそれを行う正当な理由がないのにそれをさせることに大きな違和感を感じた。
基本的に何かをさせるのに「なぜならば」という理由がない。
でも、何かおかしいと思っていても就活生はそれを真面目に聞いて頑張る。
ワザワザ来てもらってる人間にいちいち理由を聞いてはいけない雰囲気がある。聞いたら聞いたで露骨に嫌な態度。
そして、皆改悪されていく。
彼らは就活生に正しいことを伝えようとい部分もあるのだろうけど、リクルーターしてるオレ何かかっこいーの状態であって就活生に正しいアドバイスなんかできちゃいない。
採用側の気持ちもわからないのにアドバイスをするなんて自分じゃ恥ずかしくそんなことはできない。少なくとも、こう思うからこうするのが有効だと思うぐらいは言うと思う。
一番ショッキングだったのは7,8年リクルーターをやってる人間からの「論文ではないからエントリーシートは「ですます調」で書く」というアドバイス。
僕は宇宙人を見るような目で彼を見ていたと思う。
○○だから○○するというフォーマットは守られているけど、中身がめちゃくちゃだ。
理由をつけようとしてるだけ前者よりはましだけど。
そもそも、コンテンツを伝える目的を達していれば手段である「ですます」「だである」ってのは関係がないと思う。指示が間違っている。
そして、会社に入ることをゴールとしていた。
後輩にある特定の部署に入りたい子がいたのだが、3部署受けるように勧められた。
最終的には断れたのだが。限られた時間の中で何故そんなことをさせたのか、練習の意味で受けろというのか?
同じ会社の別の部署の人間にそんなことを平気でさせるのならばさぞかし暇な会社だ。
この時点で彼らにアドバイスを貰うのはやめた。
最終的には、むこうがあいつはこないからあいつの面倒は見たくないと言ってきた。
こちらとしてはハナからあてにしてない。しかし、それだと日立は受けられないが、この時点でフィーリングが合わないと思って辞退。
就職担当の教授曰く会社に入りたかったらそれでも食らいついていかなきゃとのこと。
会社に入るのは手段であってゴールじゃない。
適切な指示でないのにそれをそのとおり飲み込んで動く人間がほしいのなら別だが。
http://anond.hatelabo.jp/20111223010012
良いんじゃないの?
やらせても別れる可能性もあるし、
何だろうな。
あの時こうしておけばとかとか後悔することもあるだろうし、逆にしなくて良かったと思うこともある。
出会ったから必ずフィーリングが合うわけでもないし、合わなければ次に行った方が良いよ。
世の中男は余るほどいる。
彼氏の何が好きだったかわからないけど歳をとれば価値観も変わるし、その時に自分のとった選択肢が正しいと思えれば良いんじゃない?
一つだけ警告をするならば、
男女それぞれ、成功もあるだろうし、失敗もあるし、場数踏んで学ぶ事もあれば、少ない経験でもちゃんと理解する人もいる。
中にはいつまでたっても子供っぽい人もいるので、その辺理解するまで時間が掛かるかも知れないし、人によっては一生理解しないかもしれない。
当然、理解できない人とずっと付き合うのは時間の無駄だし、新しい人を探した方が良い時もある。
(それは彼かも知れないし、あなたかも知れない)
もちろん初めての人で成功するのが一番良いんだけど、そんな事はなくて、失敗から学ぶこともあるんだよ。
過去を振り返って、あの時の自分は独りよがりだったなと思うこともあるかもしれない。もちろん男女お互いにね。
誠実な人が見つかると良いね。
今私は、鬱状態で仕事を休んでいる。フリーランスのアーティストとして10年ほど。その半分以上を海外でくらし、今もヨーロッパの片隅にいる。
カオスラウンジというグループ、全く知らなかったが、なるほど、人々の怒りがよく分かる経緯だった。
面白いので、コラにはコラに対抗ということで、代表藤城嘘の作品や彼の写真をphotoshopで10分ほどやっつけでコラした絵をPixivに投稿。説明なしのアカウント削除→IPアドレス指定拒否→串刺しIPでの再UP→瞬殺アカウント死亡 などを繰り返して遊んだ。
http://www.rupan.net/uploader/download/1311933348.jpg
で、私の意見。
これ、日本の芸術にたいするマーケットのあり方や、芸大における教育とか、そういうことが根本にある。
まずマーケット。
これは日本だけでないけど、マーケットって、ようはお商売の世界。売れればいいの。芸術家も、批評家も、生活あるから、お金にしなくちゃいけない。
で、やっぱり、売れたものはみんな金魚のふんみたいについていくの。それは仕方ないこと、どこでも。
そのために役にたつのが権威(power)。カオスラウンジは村上隆と美術手帖がそのicon。
私は両方とも死ねと思っている。(殺害予告ではありません… 念のため) 正直。
村上隆は売れた。それはいい。オメデト。尊敬。でももともとサブ・カルなのに、権威的にふるまう?どうして?
本流に対してのalternativeなありかたとして出した、その経験の意味は?
美術手帖。いつも売れ線をおっかけ。責任おわない。コンテクストが脆弱(消極的な取材が透けて見える)。しょうがないけど。お商売だし。でももうちょっと、光を見せてよ、せっかく日本のマーケットで権威もっちゃったんだから。
僕は90年代に青春をすごしたから、今の日本の若い人とちょっと感覚ずれてるかもわからないけど、その時の感覚からすれば、分かる。
日本の人って、権威に弱い。テレビとか、どっかの大学の先生とか、批評家とか、マーケットとか、あとは身近な友人や家族なんかの意見にも。
もちろんどこでもそうだけど、日本はちょっと過剰だなーっておもう。
今自分が見てるもの、聴いているもの、食べているもの、感じているものを、どうやって、「いい」か「悪いか」判断できるだろう?
日本の人は、まず周りをみる。周りの様子にノル人、ソル人…
僕が暮らしいるところの人たちは、まず自分のフィーリングを聴く。で、それから周りの人も見る。それから、どうするかと考える。
yap, subjectは結局おなじなんだけど、順番が違うんだよね。僕がくらしている人たちは、まず自分の意見が先にくるんだよ。
例えば、スーパーマーケットにいって、入り口に物ごいがいる。ああ、かわいそうだなって思ったら、こっちの人はお金渡す。
日本の人は、まず、お金わたす自分の姿が周りからみてカッコワルイ、アタマヲカシイ?、ってかんがえて、無視する。
全員がそうでないけど、そういう傾向が、ある。
この順番が、カオスラウンジの人たちの行動にもよく見える。
http://d.hatena.ne.jp/lie_fujishiro/20110625
端的にいうと、ダサい。カッコワルイ。
同じ芸術家として、引用とかサンプリングについての立場はちょっと分かるよ。ちょっと。
でもさ、想像力って彼らは持っているんだろうか?
例えば満員電車の中で私が突然うんこしたら、みんな嫌がるだろーなーって、なんか創造できる、だから私はうんこしない。
やべぇ、うんこもれそう、もうしぬぅーーーーってなっても、みんな嫌がるだろーなーっておもうから、我慢して、次の駅までまって、でダッシュ。
ま、動機はカッコワルくなりたいってのもあるだろうけど、まぁおんなじように。
で、カオスラウンジの人たちは「ウンコしたい」で、すぐウンコしちゃってる。ブリブリ。
ネットのオタク文化いけてる、売れそう、俺好きやし、カッコええやん、よっしゃ、これで俺の作品つくったろ。
一方的。想像してない。それで誰が傷付くか。
みんな同じようなネタをずーっと話してたり、コラしてたり…。純粋だなーって思うのと、あと普通だなーって思う。
世の中の多くの人たちが、文化については保守的。日本をみたら、なんで演歌や歌謡曲が未だに紅白で重要な立ち位置を持っているかということ。
そういう人たち(=普通の人たち)の気持ちに思いを巡らすのが、やっぱり普通の人であるところの、普通の芸術家でないの?
少なくとも、私は自分自身芸術家としてそういうスタンスを譲らない。
あるいは、もし自覚的にそうした『普通』に対する反抗であるなら、最後までヤリきらないと。
炎上したから?ビジネス・パートナーが予定していた商品をキャンセルしたから?周りのエラい批評家にお説教されたから?
本当に反抗したいなら、まず梅沢ナントカという友達の作品を正当化して、ウルセェ、テメエラなんもわかっちゃいねぇんだよっていって、もっともっと同じ手法で作品を創らなくちゃ。で、その路線で別のパートナーをみつける、そこまでいかないと。
この謝罪、カッコワルイよ。
たぶん村上隆が翻ったのも、この日和見的なところ(態度)で、ア、コイツラ、シロウト。ってみやぶったんだと思う。
で、彼らがここまでやってこれたのが、日本の芸大etc.における芸術教育の影響だろうなぁと。
「売れる」ことを考えすぎ。たぶん、日本におけるfine artの伝統の不在が起因なんだろうけど。
自分が、一人の人間が、今思い、考え、感じていること、そしてそれによって目の前にある作品や起きている事象にたいする疑問を素直に「どうして?なぜ?」と問いかけること。こういう当たり前の姿勢がどうして求められないんだろう?
タマタマ自分がやっていることが売れ線だと。で、エラい批評かなり、curatorなりが、ヨイヨイ、といって、金だして、仕事なりコンタクトわたしたりして、ま、同業者として分かるっちゃ分かるけど、それで、自分がやっていることは全肯定できるのだろうか?
酔いが回ってきたので、またそのうち続きを書こう。
という本と、読んで考えてみたこと。
男性に女性化願望は多少はある。とりわけ女性との交流が少なかったり異性のキョウダイがいないとさらに顕著だと思う。
自分は前者後者両方を満たし、なおかつタイトルの通りのことを願う男だ。
とはいえ性同一性なんたらではなく、極端に言えばウルトラマンに憧れる幼児と変わらない。
違うのは女性も同じ人間であり、それも体のたった数箇所、といったところか。
タイトルのようなことを夢見るようになる理由を分析してみた。
突拍子もないが、自分は自身を嫌いだ。顔、ガタイ、大きいホクロや目・・数えきれない。
気になる人がいて、目の前を歩いていても、見てほしくない。素通りしてほしい。
いっておくが最初からそんなフィーリングではない。デートを断られたりして、自己嫌悪に苛んだ挙句の話だ。
もし自分が女の子だったら何も気にせずあの人と話したり、遊んだり、一緒に居られるかもしれない。それが理由。
もちろん不可能なのは分かっている。そんな暇があったら男であるお前を磨けよ、との言葉は百も承知の上である。
しかし、最近これが胸に浮かんでは心を刺激して、寄せては返す。
小柄な女の子が歌って踊ってる姿を見ると、どうしようもなく羨ましくなる。取って代わりたい。
さて、タイトルの本を読んだ感想は、大まかな中身はネットで書いてあること+α。
まったくの初心者は迷わず買って読むことを薦める。案外中身は薄いが。
んっとねー、俺の考えていたのは、「わいせつであれば表現の自由は規制されてよい、なぜならわいせつとはこれこれこういうもので表現の自由より保障されるべきだ」という論を立てられないか、ということだった。
俺の見た論はことごとく「なぜならわいせつとはこれこれこういうもので表現の自由より保障されるべきだ」を説明しなかった。「そんなの当たり前じゃん」で済ませてきた。そのたびに俺は「それじゃ馬鹿じゃん」と思ってきた。
フィーリングとしてはそういいたくなる気持ちは(言語化できないレベルで)分からなくはないが、理論化できないと、立法のレベルではともかく、法学と司法のレベルでは駄目だろう、と。
セクシュアリティを思想・良心の自由にしていいのか迷うが、たとえ他者に働きかける類の能力であっても、それが外面化しない限り、やはり思想・良心の自由の発展系と言うべきか。ならそれでいいです。
プライバシーはねー、構造主義の立場からは「そんな私秘的領域なんてものは実存主義臭すぎる」と言えるのかも知れないけど、やっぱ今も古典的/積極的プライバシー論とか、まだ考えるに値すると思うのよね。
名誉毀損がプライバシーかというと、他人からの評判という概念も入ってくるから違うけど、そっちでも当たってみるか。
ありがとうね。少し頭の方向性が定まった。
タイトル見て
「あー、成型肉がどうたらこうたら」
とか思った奴、今すぐページを閉じて山岡さんのところにでも行ってこい。
よし、残ったファンキーでジャンキーな貴様らは馬の糞程度には見込みがある。
涎をたらしながら続きを読め。
まずサイコロステーキはステーキじゃない。いいか、この現実から目を逸らすな。
今日はこいつを使って馬の糞にはもったいない料理を教えてやる。
サイコロステーキは大抵2cm角で売っているから、すべて8等分、つまり1cm角にしろ。冷凍ものの半解凍位がやりやすい。自分の指を喰うのはいざってときだけにしとけ。
ボウルにいっぱいの肉ができたか。早まるなよ。
野菜もおおかた同じくらいの大きさに刻んでおけ。ニンニクの芽は下茹でしておくといい。戦場と同じで時には繊細に、時には大胆に、だ。
よし、鍋を火にかけて肉を投入だ。
見ろ、肉がごみのようだ。みるみるうちに小さくなっていくだろう。
憐憫に浸っている場合じゃない。野菜を入れて攪拌しろ。相手さんはだいぶ参ってるはずだ。
ここまでくればもう一息だ。様子を見つつ豆とトマト缶を投入して一気に方を付けろ。
スパイス?そんなもん適当にローリエやタイム、ナツメグあたりを入れとけ。あん?オールスパイスだと?勝手にしろっ。
オーケィ、ここまでよく来たな、お前ら蛆虫にしては上出来だ。
その手には何がある、答えてみろ!
そのモロトフ・カクテルを気が済むまで鍋にぶちまけるんだ!思いのたけを叫べ!
その後は地獄の業火で焼き尽くすんだ!
ただし焦がさんように弱火でな。
「戦後半世紀、日本の社会は「教養」という概念の意味を創造することができなかった。この文化的空隙に乗じて、教養とは専門のための準備であり、予備であるという間に合わせのその場しのぎの解釈が流通して、大学のカリキュラムの予算の基本となり、時には人事にまで影響を及ぼした。しかし、このいかにも官僚的事務的な解釈はもう廃棄すべきであろう。それに代わって、教養と専門との関係を知識と意見という観点から眺めてみてはどうだろうか。つまり、専門的知識の探究が専門的研究の仕事であるのに対して、意見の形成や鍛錬が教養の意味だと考えるのである。もちろん、意見の形成や鍛錬にはその主題について十分な知識が必要であり、その知識は専門知識のストックから供給され修得される他はない。・・・そうだとすると専門と教養の関係は従来の解釈の場合と逆転する。教養が専門への準備なのではなく、専門知識が教養のための準備なのである。(略)。
・・・
その[教養]の訓練とは第一に、できるだけ多くの意見に接してそれを理解し、批判し、比較する力を養うことであり、第2には、できるだけ多くの主題について自分自身の意見を形成し、それを明確な言葉で述べることである。教養とは物知りになることではなく、優れた意見を持つことなのである。そのような訓練はかつてレトリク(修辞学)と呼ばれて中世西欧の学校では全人的教科とされていたと聞いている。実際現代でも、自然について、歴史について、人間について、科学について、宗教について、税法について、脳死についてと人生全般についてバランスのとれた意見を持つことこそ全人的な教養の意味ではなかろうか。その意見を単に漠然としたフィーリングであるのではなく、自分の胸の底から言葉で述べることができ、討論することができ、あわよくば説得することができる意見でなければならない。つまり、意見とは実は「思想」であり、言語こそその思想の中核なのである。」
参照Url
文章からは元増田は彼のことが好きなのが感じられたよ。
好いてくれる人と付き合うっていうのはきっかけにすぎないんじゃないの?
貴方が言うようにフィーリングが合わなければ何年も続かないわけだし。
末長くお幸せに!
http://anond.hatelabo.jp/20100902235259
私と同じ考えの人ってやっぱいるんだと思って、少し安心した。
まぁ別にその事で不安を覚えていた訳では無いけれど。
やっぱ相手が自分の事を好きでいてくれる事が大前提だよな、私の場合も。
私は自分から追いかけるような恋はしないです。
だからと言って、勿論、好きでも無い人と付き合う事も出来ません。
電話はほぼ毎夜向こうから掛けてきてくれる。
だからと言って、特に向こうが私に何か話したい事がある場合は少なく、
大抵は私のしょうもない日々の出来事を聴いてくれる。
会う時も毎回、30分掛けて車で家まで迎えに来てくれる。
仕事の為に会う約束時間に遅れそうな場合はわざわざ高速に乗ってまで会いに来てくれる。
何でそこまで私に構ってくれるのか。
普段、作業着で働いている彼は、結婚式の二次会に参加した際に、入社式以来久々に背広を着たのが嬉しかったらしく、
二次会終わりにわざわざそれを私に見せに来た。
仕事の企画で成功した時は、それが嬉しくて、疲れているのにその報告の為に私に会いに来ようとした(私が止めたけど)。
マッサージもよくしてくれて、気持ち良い。
付き合いだしてから、5キロも太った詐欺女の私なのに(苦笑)。
私ってそんなに魅力的な女性なのかしら?と勘違いしそうに…は、私は他の人からチヤホヤされるタイプでは無いので
彼とは付き合い始めて、3年目を迎えた。
今のところ、彼が私に対する愛情は薄れてはいないような。
恋の始まりなんて、何処でどう始まるか解ったもんじゃない。
因みに私の場合は、職場で、自分の体力の限界を感じている時に彼に出会った。
その時に彼に励まされ、優しい言葉を掛けてもらえ、自分が救われた気がした。
私の事をこの人は救ってくれると思った。
当時、私は恋人いない歴4年目を迎えようとしている時だった。
弱ってる時に優しくされたら、そりゃあ、ね。
でも、フィーリングが合わなきゃ、ずっと仲良くは出来ないよね。
彼はモテるタイプでは無いけれど、会社ではそれなりに頑張ってるみたいだし、仕事終わりに会社の人達とご飯を食べに行く事も多い。
不器用なところもあるけれど、優しいです。
私は満足しています。
充分です。
私がそういう風に思ってる事を彼氏が知ったら、どう思うかな。
傷付く?
それとも、それさえも受け入れてくれるかな。
続き
なんでもかんでも「ェ・・・」をつけりゃいいってもんじゃないだろェ・・・
見るたびにイライラするんだよェ・・・
NARUTOも初期の使われ方も発祥も分からない癖に使ってんじゃねェ・・・
よく知りもしねェやつらがそこらじゅうで使ってるともっともっと広がってクソくだらねぇバカどもまで使いだすだろうがェ・・・
もちろん単語の後ろにくっつけずに「ェ・・・」だけ言ってるのが特にむかつくんだェ・・・腹立つんだェ・・・
俺がこまけェこと気にしすぎで余計に気が立ってるのかもしれねェがさすがに無節操に使いすぎだェ・・・
ぶん殴りたくなるんだェ・・・
よく知らなくてもフィーリングで使えてしまう汎用性がなまじあるからこそ、
頭のよぇェクソガキや脳みそハッピーなスイーツども・生きてる価値のねェ一部ネット中毒者どもと、人種分け隔てなく使いやがるェ・・・
使うなってやんわり言っても使いやがるクソうぜェ知り合いがまたむかつくェ・・・
この言葉はテキトーに使っても人をおちょくれてしまうからさらに厄介なんだェ・・・
単語の後ろにくっつけて「~ェ・・・」とか言ってるだけで何か言った気になれてしまうんだから恐ろしいェ・・・
そのままてめェらの言語中枢をてめェ自身がよく知らねェネットスラングに侵されてまぎれもねェクソ豚になっちまえばいいんだェ・・・
分かったか無思考無知晒しのバカ野郎どもェ・・・
だから今度からは「ェ」じゃなく「ぇ」にしろよぇ・・・?ちょっとかわいいからよぇ・・・
ちょっと前にハローワークに行こうとして自転車乗ってたら、ハンドルのバーテープが剥がれてきた。持ち手に近いところだったのでうざい。その日はちょうど火曜日で行きつけの自転車屋が閉まっている日だった。しかたないので道端に止まってiPhoneで検索して、近場の自転車屋を探したんだ。商店街のはずれにあって古くて雑然とした店だった。「バーテープを止めたいんだけど」と言ったら店主は「うちはビニールテープで止めているよ」と言っていた。ビニールテープは時間とともにべたべたになってしまうのだけど、そうなったら取り替えるとのことだった。
ふうむ。
落ち着いてよく見るとすごい店だった。パン屋と飲み屋と自転車屋が一緒になっている。この店が実在することが恐ろしい。狭い店内にパン屋のメニューと飲み屋のメニューが同じ空間に貼ってあり、その側には自転車が大量に置いてある。たぶん自転車屋だけではやっていけないのだろうけれども、カオティックな世界。
帰ろうとすると自転車のポジションが変であることを指摘された。確かにポジションとか適当なので、自分が都合のいいポジションで乗っている。じゃあついでなのでちょっと直してもらう。話をしていくとケーブルが短すぎるので、延長せねばならないらしい。その日はもう遅い時間だったので、数日後にまた来ることになった。
数日後、小雨が降っていた。自転車をみてもらっていると、なんとフレームに割れを発見される。普段あまり見えないヘッドチューブの割れだったので気がつかなかった。結局このフレームを使い続けることが危険ということで、ケーブル延長を含むポジションの本格的な調整は行わないという結論になった。かといって自分は金がないし、すぐに新しいフレームを買えるわけでもない。とりあえず調整のために剥がしたバーテーブだけを購入して巻いてもらうことに。
今は新しいフレームをなににしようかということばかりを考えている。新しいフレームを買えることがうれしい。金はないし、意味がわからないのだが、お金を使う理由が明確にできたことがうれしいのかも。なるべく安いフレームでカーボンのがよかったんだけど、いろいろなフレームをみたんだけどどうも納得のいくカーボンフレームがない。
捜索範囲を広げてみていくとカレラのフレームが目にとまった。MAMAYAMAというモデル。MAMAYAMAってなんだろう。意味がわからない変な名前だ。イタリアの会社だけどイタリア語ではない。でも、このデザインが気に入った。今乗っているのもカレラだし、どうもカレラのデザインにはフィーリング的にぴったりくるものがあるようだ。安いしアルミフレームだけど、ヘッドチューブは両端が膨らんでいて以前に比べると強化されているように見える。ヘッドチューブの割れがなければきっと長い間乗ることができるだろう。今のフレームも10年近く乗ってきたわけだし。フレーム交換くらいなら自分でもできるかもしれないな。ちょっとやり方を調べてみよう。