はてなキーワード: コンテンポラリーとは
企業運営なら入りやすいし、その上、無料なのがいいよね。それを入口にコマーシャルギャラリーも行ってみるとより広がるよ。
ちなみに、ここで言う企業運営ギャラリーとは、企画展を定期的に行う企業(財団含む)が運営する無料のギャラリーを指します。
サントリー美術館やアーティゾン美術館、SOMPO美術館のような企業運営でも有料の展示を行う施設は含みません。
(脱線だけど、SOMPO美術館のゴッホは当時批判も多かったけど、今では買って大正解だったよね。)
資生堂銀座本店の地下にあるギャラリー。バランス良くいい企画展が多い。
行くとたいてい企業文化誌「花椿」をもらって帰る。余裕があれば、資生堂パーラーでお茶して行けばいいんじゃないかしら。
DNPの財団が運営するグラフィック系のギャラリー。エッジの効いた平面作品をたくさん見られるよ。
銀座メゾンエルメスの8階にあるギャラリー。ドアマンのいる狭めの入口から入って、お店の奥のエレベーターまで行かなくてはならないので入るハードルがちょっと高いけど、レンゾ・ピアノの建築に入ることができる。展示のクオリティも高いよ。
フランス、日本に縁のある作家さんの展示が多い。入口が幅広で左のエレベーターへの通路も広いので比較的入りやすい。場所は銀座ね。
昔はポーラ美術館と同じようなガラス作品とかの展覧会をやっていた気がするけど、いつからか現代が多くなった気がする。ここも銀座。
表参道にあるコンテンポラリーを扱う。gggとは逆にインスタレーションとか映像が多い。お店の脇にあるエレベーターから行けるので入りやすい。
ワコールアートセンターの運営する複合施設。建築は槇文彦。ギャラリーはスパイラル主宰のSICF (スパイラル・インディペンデント・クリエイターズ・フェスティバル)の展覧会以外はほぼレンタルスペースだけど、グループ展とか、他の用で表参道に行くときに寄るといい展示に出会うことがあるよ。
ナディフが運営するギャラリー。表参道にあったのが移転して恵比寿に。ナディフは元々セゾン美術館(!)の脇で「アール・ヴィヴァン」という美術書店を運営していた会社を母体としている。展示は個性的というか、独自の視点のあるものが多い気がするよ。
ファッションブランド のDIESEL が⼿掛けるギャラリー。アバンギャルドだったり、野性味のある展覧会が多いよ。
TOTOの運営するギャラリー。建築の展覧会を専門に行っている。2フロアあって、それが外部の中庭にある階段でつながる構造になっているため、そのことも含め展覧会として構成される面白い展示空間だよ。中庭を取り込む展示があったり、特に何もせず、息抜き的に通過させる展示があったり。
クリエイションギャラリーG8とガーディアン・ガーデンが2023年に活動終了し、東京駅にBUGが2023年9月にオープン。まだ行けてないから情報まで。
超ニワカでYouTubeで動画見漁ってるだけだけどバレエ本当に面白い
重力がふわって無くなる感覚、くるくる回るシルエットが右脳にブッ刺さる
なんだこれなんだこの世界
クラシックな感じのやつすごい好き
白鳥の湖とか一生見てる
足の動きがはっきり見えるやつが脳に刺さりやすい感じある
高く飛ぶシーンとか、本当に重力消えて…すご…!?人体!?ってなる
普通の映画より高いんだが、実際にバレエ観に行くより遥かに安いのでお得な気がする
その映画のやつは演出がまた特殊で、ゴシック要素があって各キャラたっててちょっとアニメっぽい雰囲気もあって、こんな演出もありなん!?ってビビった
面白かった〜!見てる間、ずっと脳が痺れてるのを感じるわけよ
大袈裟にいうと、こういうの見るために生まれてきたんだ!って感覚があって、素晴らしいものを浴び続けられた感動でずっと薄ら泣きそうな、うわ〜!っていう気持ちを抱えながら見た。
幸せか?
本物のバレエも見に行きたい
どれ観に行けばいいのかよくわからん
何でもいいか
もうだめだな、これは沼の予感がする
日本を代表するアニメ監督たちが<音>に鈍感なの、悲劇だと思う。
湯浅監督の犬王みてきたけど、あの古臭くてパッとしないロックは何?
いやわかるよ、かの時代に一世を風靡した斬新で革命的な<音楽>を表現したかったのはわかる。
今の時代、最新の音楽理論とシンセサイザーを使えば風変わりで斬新な雅楽などいくらでも作れる。
まあ100歩譲ってロックにしたいならそれでもいい。
和楽器でロックをやるなら、それはそれで斬新な感じは伝わるだろうから。
もし洋楽器を使いたいなら、それっぽい何か(現実には存在しないけど、当時存在しててもおかしくなさそうな自作楽器的なやつとか)を画面に描けよ。
なんで、<絵>や<動き>に対してはあんな素晴らしく卓越したセンスを見せつけてくれるのに、<音>にこだわらないのだろう。
思えば宮崎駿もひどかった。
そう、風立ちぬ。
あの画面から唾が飛んできそうな効果音の酷さと言ったら、もう、言葉がない。
絵のこだわりに対して音へのこだわりのなさに、もうただただ悲しいよ。
コンテンポラリーダンスの一分野で複数人が接触しながら即興をする踊りである
多数で同じ空間で同時に踊る
ルールは特になく状況やタイミングによって一人で踊ったり数人で踊ったりする
一時流行ったコンテンポラリーのアマチュアリズムを伝えているものでもあるので
その踊りのイベントには普段から踊っている人以外にも色々な人がくる
ダンサー以外だと俳優や格闘家が多いが普段あまり運動をしていないデスクワーカーみたいな人もいたりする
そしてその踊りをやっていると気が付くのだが
それぞれが気を抜けば気を抜くほど男女一組になっていく
それぞれが疲れていれば疲れているほどフロアムーブメント(=床に寝そべっているような低い動き)が増えていく
体温に触れていると気持ちがいいからか重なったまま動かなくなったりすらする
意識的に床でグズグズにならないようにする人がいないとそれなりの有様になる
大抵はオーガナイザーが上手くやるけれど
踊りが踊りであるためにはその辺りをどうすれば良いのかなんとも言えないけれど
とりあえず男って女が好きだし女は男が好きなのね
割と美醜は関係なく
いやおれが見たのは本当にダンスだったのかなあ?
配信で近藤良平という人の「夜のカフェテラス」というのを見た。
近藤良平という人はコンテンポラリーダンサーというはなしだから、きっとこれはコンテンポラリーダンスなのだろうと思うのだけれど、自分が想像するダンスの枠の外すぎてわからなくなっている。
赤ちゃんが初めて立ち上がる瞬間の演技や、雌鶏が走り回って卵を生む演技なんかはぱっと見でそれとわかってすごいなあと思ったし、たまにあるちゃんとしたダンスっぽいのもよかったと思う。所々のコミカルなパントマイム的な演技もそれはそれで面白かったのだけれど、大中小のクマのぬいぐるみとのダンス?とか、笛やラッパを吹いているところとかはこれは一体何を見ているのだろうと不思議な気持ちになった。
たぶん理解できないんだろうなあというのは覚悟して見始めたものだからそれはそれでいいのだけれど。でもできれば自分が見たものが何なのかもう少し理解したいという気持ちもある。
私は男として生まれたし男として生きている。
子供のころからフォルムが好きだから女になりたかったし今でも女になりたいと思っている。
幸いにも背は 160 cm と小さく骨も細い。手足も小さい。
そして顔も女顔なので全身レディースを着ている。
私は男である。しかし男であることを覚悟し続けなければ男であれないな、と感じている。
異性から異性としてモテることはなかったが、女友達同士で遊びに行くことをデートすると呼ぶような意味合いでデートする相手は
セックスはしない。そういう関係になったこともあるがしている間に疑問が生まれるのだ。
私はなぜセックスをしているのだろう、と。
した後に関係性が少しずつ崩れていく。
いつも。
ED ではなく数時間でも勃起が長続きするタイプのそれなので相手はとても喜ぶ。
ただ私だけはわかっている。
違和感がある以上は毎回うまくことは進まない。
同じ相手と一か月以上セックスを継続する間柄になったことはない。
それでも私は性同一性障害ではない。
趣味の踊りで男とペアでストレッチする際に勃起することがあるけれどそれは別に性欲からではない。
ただ人肌は気持ちいい。それだけだ。
踊りを趣味としている。
どのような状況証拠を並べようとも私は断固としてヘテロである。
私は性同一性障害ではない。
国立新美術館の「古典×現代2020」に行ったんだけど、現代美術ってつまんねえなといまさら。
菅木志雄
宣伝動画で「来る人は美術館に石ころがあると考えませんから」なんて言っているけど、感覚が半世紀くらい遅れてんじゃないのこの人。いまどき美術館に石ころがあった程度で、なんも思わんわな。それとも現代美術ファンは、美術館に石ころがあったらびっくりするの? そんなんだったら、徳川美術館で水石「夢の浮橋」見たら、腰抜かしてしまいそうだな。まして国立新美術館は美術館ではなくて、美術館を詐称する展示場なんだが。
いい写真だと思うよ。インスタで流れてきたら迷わずいいねを押すだろうね。その程度。
棚田康司
円空と並べて展示してつらくなかったのかな? 作品の持つ力の差が歴然と感じたが。まあ、本人やファンが満足ならいいけど。
皮緞帳は粗大ごみにしか見えんかったというのは置いておくにしても、刀剣とのスケールの差が大きくて「組み合わせた壮大なインスタレーション」と感じ取るのは難しいな。現代美術ファンは器用だ。なお刀剣展示の照明ダメじゃね。刃文見える?
田根剛
中では唯一作品を展示していなかった。仏像展示の演出のお仕事。動く照明と録音された声明だけのインスタントでチープな演出。本物の宗教儀式が、さまざまな工夫を凝らして神秘性を演出しようと努力しているのに比べれば、子供だましみたいなものだ。
おもしろいパロディではある。こっちはツイッター映えか。アニメーションは途中までしか見てないから何とも言えない。
印象うすい
さすがに力のある作品で見応えがある。ただ、「針のない時計は〇〇(忘れた。時間の超越とかそんなんだった気がする)を意味します」みたいな作品解説を読んで、深いなあなんて思わなきゃならないとしたら、俺には現代美術は無理だ。
古典の方は見応えあるよ。念のため。
【追記】
「古典×現代2020」について、古典側も含めて、もう少し詳しく書いてみる。
仙厓の作品は掛軸1つ。円相図といって単なる○が書かれている。○には悟りや真理、仏性、宇宙全体などと宗教的・歴史的にいろいろな含意があるようだ。添えられた賛がいい。「これくふて御茶まひれ(これ食ってお茶を召し上がれ)」。
洒脱だねえ。かっこいい。この作品初めて見たんだけど、賛を読んで、ふわっと心が軽くなるような感じがして、ああいい作品を見たなあと。
それに比べて菅の作品。それっぽい思わせぶり以上の何かだとは思えないな。解説聞いたら納得や感動するの、これ?
川内の写真は数が多くて辟易した。いちいちつきあってられんわというのが1番の感想。前回インスタ云々と書いたけど、でかく引き伸ばした写真とかもあり、それはそれででかい会場で展示する意味はあるのかもしれない。ただちゃんと選抜してくれ。花鳥画の方は6幅なんだよ。
花鳥画の方で目を引いたのは、森蘭斎筆/梁田象水賛の牡丹図(神戸市立博物館蔵)。背景に大きく描かれた太湖石は伝統的な描法。手前の牡丹は西洋画の影響をうかがわせる陰影がついている。でありながらうまく調和していると思う。おもしろい。賛は読めんかった。誰か教えて。
棚田の作品には全然目が行かなかったんだよなあ。円空いいなと思ってただけだった。荒々しさというか生々しさというか、そういうのがいいよね。というわけで、棚田作については何も言えない。
いちおう言っておくと、もともと円空あんま好きじゃなかったし、今回で好きになったというわけでもない。それでも円空ばっか見てたのだ。
mitimasu 冷たいドブをさらって原石を見つけるのが楽しくないなら向いてない/刀剣は手に取って角度を変え光の当て方を変え…という見方ができない以上、どこの展示もそんなもんだと思うけど?国立新が特にひどいのか知らんが
刀剣の展示は、1つ1つに小さなスポットライトが当たっていて、それを刃文のところに乗せるように見ると刃文が浮かび上がるようになっているのよ。そして横にスライドしながら刃文を見ていくと。刀剣博物館でも東博でもなんでも、刀剣展示ってのはそういうもの。
今回の展示ではそのスポットライトがなかったはず。だから見えない。
ひょっとしたら俺が見落としていただけなのかもしれない。また、刃文の見えない展示もありだよねってことなのかもしれない。いずれにせよ、日本刀にそれほど興味ないからなんでもいいんだけど。
会場内で配られていた「アートのとびら×作品リスト」なるガイドブックに、別の機会での皮緞帳の展示の写真が載っていて、それで見るとこの作品なかなかよさげなんだよなあ。ライティングが異なる。あと中央にぶら下がって振り子のように揺れていた首がないのがいいのかな。
そのガイドブックには、「同じ部屋に展示されているのは、美術品としてケースに入れられている刀剣です。刀剣はかつては武器、または切る道具でもありました」とある。これ書いた人って、刀剣の展示を見て、自分の体が切られるようなぞくぞくする感覚を味わったことがないのか。もうちょっと古典の作品としっかり向き合おうよって思う。
前回子供だましだと書いたけど、ツイッターみると評価高いのよね。意外だ。
他の作家と違って、この人は作品を制作せず、仏像の展示演出を手掛けている。演出手法は光と音で、具体的に言えば動き変化する照明と録音された声明だ。
立体物の屋内展示で照明が固定されているということに以前から不満がある。屋外ならば太陽の位置で影の付き方が変わって見え方が違ってくるからね。たとえば上野の国立西洋美術館に行く楽しみの1つが、今日はロダンの地獄の門がどんな表情を見せてくれるのだろうかということだったりする。
だから今回の田根の試みのうち、照明を変化させる、動かすという点自体は評価したい。ただその変化のさせ方や動かし方については、もう少し考えがあってもよかったのかもしれないと感じた。
正面下方から照明を当てる瞬間があるけど、これはいい、というか正しい。お堂に安置された仏像は、下の方に置かれたロウソクの火に下から照らされる。だから仏師もそれで映えるように仏像を作っているはずだから。しかし、仏像の周囲にいくつかのピンライトがあって、それが上下に等速度直線運動してるってのはどうなのって思った。
まあ、しかし照明の方はまだいい。音の演出の方はちょっとひどいのではないか。録音された声明をスピーカーで流しているんだけど、音響についての工夫がまったくないのね。仏像に向かって右手、部屋の奥の方にスピーカーがあってそこから流れているんだなってのがわかる。どこからともなく聞こえてきて展示室内を包み込むような感じに聞こえるとかそういうの全くないの。音響について完全になめてる。
さらに言うと、仏像の展示位置が低いと思う。立って見ると正対するほどの高さ。一般に仏像は高い位置に据えて、仰ぎ見るもの。その下からの角度で見て映えるように造られているはず。この仏像の一番映える角度がどのあたりかは知らない。しかし今回正面から見て違和感を覚えたから、下からの方がいいと推測する。そういった点、たぶんこの人なにも考えてない。
出品しているのが大きく2種類で、うち1つがアニメーション。これは半分くらいしか見てない。なにも惹かれるところがなかった。
もう1つは、冨嶽三十六景のパロディ「ちょっと可笑しなほぼ三十六景」で、いくつかの作品を元ネタの北斎作と並べて展示していた。
北斎の冨嶽三十六景は三十六景といいつつ、追加があって全部で46図ある。一方パロディ版が全部でいくつあるのかしらないけれど、きっちり36ではないからなのか「ほぼ」とついている。三十六景といいつつ平気で10枚追加したあげく、三十六景のまますました顔をしているところの江戸っぽさ(前近代っぽさ)と、きっちりでないので気になって「ほぼ」とつけてしまう現代っぽさの対比が興味深い。
それはさておき、このパロディけっこういいのだ。うまくて唸らせるし、おもしろくて笑わせる。
でもね、「和紙にインクジェットプリンタ」なんだよ。実物見る意味なんて全くないからね。前回「ツイッター映え」と書いたのはそういう意味も含んでいる。なんつーか、いろいろ退化してるね。
伝統×現代アートという切り口から、伝統的な作品の「もの」性を再発見していく展覧会だと思いました たとえば皆川明×尾形乾山の展示を見て、私は初めて乾山の器の「素材」を認識しました そうか、これは焼き物だったんだ!という新鮮な驚きがありました
ちょっとびっくりしたよね。乾山見て焼き物だとわからないような〇〇〇がありがたがってるのが現代美術ってことなのかな。
このコラボレーションは2種類に分けることができて、1つは独立ケースに乾山作が収められており、その上に大きく平たい円筒状の布(皆川作)がぶら下がっているというもの。6セットあった。これは両作を同時に視野に納めるのが難しく、あまりうまくいっていないように思えた。
もう1つは、小さな様々な端切れが継ぎ接ぎされた数メートルはあるかという布の上に、ところどころ乾山作の陶器陶片が置いてあるというもの。ごちゃごちゃしたものの上だと乾山は映えないなというのが感想だけど、皆川明、というかそのブランド「ミナ ペルホネン」は明らかに自分がターゲットではない(というかそもそも初めて聞いた)ので、これが素敵だという人がいるなら、その感想についてどうこう言うつもりはない。
乾山の作品では「色絵石垣文角皿」(京都国立博物館蔵)がお気に入り。モダンな味わいがある。かわいくてすてきだ。
この展覧会に行った理由は蕭白。蕭白が4作出てたら行かざるを得ないよね。で、行ってみたら現代美術作品がつまらなくて、ひどい言い方だけど抱き合わせ商法にあったような気分になったわけ。
新出の游鯉図の眼がリアリティあって見事だった。群仙図屏風(東京藝術大学蔵)が、個人的に蕭白と言えばこうのって作品で大好き。
宣伝動画のなかで横尾は、人間の本質・魂の表現が蕭白の作品の中にこめられた重要なメッセージで、現代人が見失ったものだみたいなことを言っているんだけど、これ賛同する人ってどれだけいるんだろ。まったくピンとこない。
行ったよ。特に第1部はすてきだなと思う絵が多かった。ただ基本的に個展っていまいちよね。いろんな人の作品が見れた方が楽しいな。そのなかに数点ドイグがあったら、より魅力を感じたかもしれない。個人詩集よりアンソロジー読んだ方が楽しいし、好きな詩がより映えるよねみたいな感じ。個展だとその作家をどのように位置づければいいかもわかりづらいし。いまああいった絵を描きつつ評価されているというのは、いったいどういうことなんだろ。
yama_bousi 現代美術で自分が好きな人は、淺井裕介氏、高松和樹氏、蔡國強氏、ちょっと古いのではキースへリング、藤城清治氏、あとドールの世界とか凄いなあ、と思う。現代美術とは違うがぴろぴと氏は大好き。
だいたいそうだと思います
そうなのですがあえて癖のつよいところでいうと
日本語で言う 聞き間違いがおおいのではと危惧されるところはあえて違う言い書いたで回避するのです
本などでも古来からイニシャルだけ装飾しておおきく書いたりするような風潮があります
なので似たような単語 頭文字の系統でわけてききまちがいをしないように言い回しを変えるというものがあります
すべき とか日本でよく言われるところでは ふだんづかいしないのです
教科書でならったマストの使い方をしている人はまずいないと思うのがよいかもしれません
おなじように言い方として英語はいいたいことを前にもってきます
あなた のあとに形容のどのような をもってくるような話し方は英語的ではなくフランス語的で
黒人に言及するならフランス系黒人のようなというニュアンスをすでに含みます
あなたは はなすべきだ 何々の というのが一般的な英語のつくりなので
そこで日本的にはべきを強調したくなるのですが あなた はなす(はなせ)にするのが英語的には受け入れやすいです
あなた のあとに どうすべきかという意見をいれるのはやさしく友好的で
ハリーポッターの映画の中でも友人を諭すときにつかわれている話法をみれば近いと感じると思います
そのやさしさがすでに嫌味であることもあります にているものとしては京都弁のようなものでしょうか
英語ではなすときは なにをすべきかを2から3とかあわせることはできないと考えて
あなた はなすべき それが なにより よい といった形式になることが多いです
きれいな すてきな を選ぶときは単語としてSかEで始まる言葉を選ぶのが一般的です
ありがとう うれしい おめでとう のような雰囲気で すてきな すばらしい すごい というものと似ています
Bで始まるものはあまり好意的ではない皮肉であることがうけとりやすいのでこの場合は適しているだろうと思いますが
あらまあおきれいな といった皮肉は そうしなさい という文脈にはあわないかと思います
黒人もたしかにご指摘のとおりですが 前に「お美しい英国人」とついているので名前だろうとは思います
美しいのBと英国のBで重ねると皮肉が効いていると思われますがイングリッシュは英国のでも英語でも英国人でもなく
アメリカからみて東方の近い語圏または西のという意味になります
普段日本語を話しているのに「わかりやすくはなせ」というのに「日本」というスケールはでてこないと思います
なので北で海をこえたら日本語つうじないのか 南の海をこえたら といった風に北海道や沖縄をいうなら
「日本じゃないもんな」という比喩でしか「同じ日本語をはなすちがう日本語の地域」という表現を含めなくないですか
スティングがイングリッシュマンとつけた歌がありましたが はるか東方(西方)からきた人という疎外感を
距離は大きく違いますが関東人が「北陸人は」というような言い方でしょう
なにより誤解をおそれず話しかけることは大事だとおもいますし それがどう伝わったかは各個人間でしかわからず
それは外野がどうだといったところで違うものは違うしわかるものはわかりあえると思います
次の機会に私たちがだれかとであったときに あたらしい価値観をためせる機会があればよいのではないかと思います
あとついでなのですが南部訛りの黒人の方言はおそらく日本語の方はほぼ理解不能だとおもいます
黒人ラッパーなどの歌詞などで聞き取れる方がどれほどなのかと思います
日本できけるものは主に都会で聞かれるものだと思いますがコンテンポラリーチャートにあるようなものは
とても独特だと思います
たとえば語尾にアンドユーやアーントユーとつけるのがエイントでもなく
「アーイー?」
フランク・オーシャン (英: Frank Ocean)とは、アメリカ合衆国、ルイジアナ州出身のR&Bシンガーである。
2010年に、タイラー・ザ・クリエイター率いるアーティスト集団OFWGKTAに加入した事で注目を集める。
2011年には、ミックステープ『Nostalgia, Ultra』をリリースし、その退廃的な独特の世界観を持った楽曲は、各方面から
非常に高い評価を受けた。
2012年7月10日には、公式デビューアルバム『Channel Orange』がリリースされ、初週に13万枚近くを売り上げ、Billboard 200にて
初登場2位を記録している。
2013年にはグラミー賞にて、『ベスト・アーバン・コンテンポラリー・アルバム』と『ベスト・ラップ・サング・コラボレーション』
を受賞した。
Frank Ocean - Novacane