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はてなキーワード: つのとは

2023-11-14

つの間にか「日本の衰退」が右派左派共通理解になってしまったよな

こないだまで戦後最長の好景気とか騒いでる人たちもいたけど

攻殻機動隊の新作

劇場予告編流れてたか

えっ!新作とかいつできたの?と思ったら

ネトフリで作ったやつの編集版だった

ネトフリ版はあのモロCGってのがダメなんだよなあ

あれならハリウッド版の実写のほうがいいわ

anond:20231114174200

レスバしながらのお前「レスバってあのバカのやるやつのこと???」 

 

全部の発言に、私はバカです、って内容が含まれているんだがwwwwwwwww

anond:20231113102705

おでんの変わり種っていうと思いだすのが、イルカのワタ(もしくは、イルカのフワだったかも?)

小学生くらいのときに、地元の町の恒例行事で町内対抗運動会みたいなのがあって、会場の中学校運動場にいろんな屋台、出店が並んでる中に、おでん屋台もあったのよ。その中に、なにやら赤っぽい灰色(?)のスポンジ状の塊があって、オトナは美味そうに食ってたけど、ブキミな感じがして、ついに自分では食べたことがなかった。

当時はその正体がなんなのか知らんかった。大人になって考えてみるとそれはイルカの肺だったんだな。

つのまにかそんなイベントも廃れて、近年では見かけることもなくなった。どんな味だったのか一回食っておくべきだった。

普段40から50デシベル職場バカクソ声デッカバカが電話始めると60から70デシベルになる。

数字になると対して差がないのになんでこんなにストレスなんだろう…シンプルにこいつのこと嫌いだからかな……

anond:20231113203358

色んな人間人生リアルに見て経験値上がって視野広く考えられるはずだし

子育てしても色んな人間人生リアルに見て経験値上がって視野広く考えられるよ?

特に小学校以降、PTAに参加してるのもあって子供関係で今までなかった地元の繋りができたわ

もちろん仕事もしてるから社会人としての繋りもある

 

あとこれは経験しないとわからないと思うけど

○○ちゃんのママ(パパ)」

という立場自覚すると、自分俯瞰して見られるようになる

自分中心の視点だけじゃなくて、子供から視点子供を持つ親の視点と3つの観点で考えられるようになって、本当に視野が広くなったわ

つのミスが行き着くところまで行ってしま職場

毎月の決まった日にAが起票してBがチェックしてCが承認してお客様お金が振り込まれ業務があるとする。

 

ここでAがうっかり起票を忘れたときに、BやCが「書類回ってきてないけど、私の仕事じゃないんでどうでもいいか。」となり

お客様お金が振り込まれず、お客様からの問い合わせによってミスが露見するのがうちの職場

 

その前にBやCが「あれ?今月あの書類回ってきてないけど大丈夫なの?」と社内でお互いのチェック機能が働くのがお前らの働く会社だよ。

 

どうだまいったか。

春木町おかづ」のような店

https://tabelog.com/tokyo/A1310/A131004/13024123/

定食屋ランチは3つの定食から選ぶ。

ランチは近くのサラリーマンフルハウス。活気ある。

味噌汁はお代わりOK

・何人で来ても暗黙の了解でお店の差配に委ねられる。

・そのため相席はデフォ

・なにより美味い。

テレワークばかりしていたので、久しぶりにこういう店に行ってワクワクした。

他のお店も調べてみよう、と思ったんだが、上手なキーワードが見つからない。

定食屋だとより広い意味になってしまう。

食べログには「サラメシ」などとレビューに書かれてたりするが、そうじゃない感ある。

なんか上手にカテゴライズした言葉ありますか?

ボーカロイド音楽論」(ぱてゼミ)は何故あまり批判されないのか

追記そもそも「何故もっと批判されるべきなのか」については、【最後に】の後に追記した(2023/11/15)。

【背景】

 東京大学東京芸術大学では、鮎川ぱて氏(以後、ぱて講師)による「ボーカロイド音楽論」という講義が開講されている。東京大学の方の講義はぱて講師による著書『東京大学ボーカロイド音楽論」講義』においてその過去の内容が公開されている。このダイアリーの筆者(以後、「筆者」)は「ボーカロイド音楽論」の元受講生であり、書籍を購入し一読した。同講義Twitter(現X)での実況が推奨されておりTwitter上で一つの活発な動きを毎年見せているが、「ぱてゼミ 批判」「ボーカロイド音楽論 批判」などと検索しても同講義に対する明確な批判ツイートはヒットしない(Twitter検索システムが悪いという可能性は保留する)。書籍についても、これに批判的な書評Amazonレビューやブックメーターにわずかに存在するのみである講義内容全体のレビューはそれらに譲るとして、本ダイアリーは、この「批判の少なさ」の原因について仮説を立てることを目的とする。

 本ダイアリーは直接の筆者の特定を避けるため匿名形式をとっている。内容について「そんなの当たり前じゃん」「その仮説は的外れだ」と思う読者もいるかもしれないが、このように書き残さなければ何も始まらないということでご容赦願いたい。また、筆者は全ての年度や東京芸術大学講義を聴講したわけではないこと、このダイアリーの内容は主に『東京大学ボーカロイド音楽論」講義』の初版第一刷(以下、書籍)に基づいていることを断っておく。

【本論】

まず結論として、 「ボーカロイド音楽論」に対する批判の少なさの原因として、筆者は次の4点を提唱する。

1. 媒体:現地で行う音声形式講義では記録に基づく批判が困難であるという点。

2. 受け手資質講義対象となる学生や読者のほとんどはその議題についての非専門家であり、しか批判に割くだけのリソースを持っていないという点。

3. 内容:この講義の内容が批判を先んじて封じてしまうように作られている点。

4. コミュニティ:この講義ボーカロイド音楽が好きな東大生のうち一部を迎え入れるコミュニティ形成する役割を同時に担っており、コミュニティ批判との相性が悪いという点。

以下、これらの点を順に見ていく。

1. 媒体

 書籍が発売される前、「ボーカロイド音楽論」(以下、この講義)は大学の構内の教室で開講されているのみであった(初回の何回かこそニコニコ動画配信されたが)。そこではぱて講師の口頭でのみ内容が話され、レジュメは一枚も配られることなく、板書も最低限であった。言われたこと全てを紙に書きとるのはほとんど誰にもできないだろう。従って口頭の講義に基づく批判は、言った言わないの水掛け論になってしまやすい。現に筆者がこのようなダイアリーを書くことができるのも書籍が発売され、何を書いてあり何を書いていないかを把握し見直すことが可能になったかである

2. 受け手資質

 この講義は主として東京大学教養学部学生に対して開講されたものである。その多くはこの講義で取り扱った多くの思想概念の(多くとも)全てについて専門家であるというわけではない。またぱて講師自身もそれら全ての専門家でないことは講義中に明言している(85ページ脚注5など)。従ってぱて講師によるそれらの援用が妥当でない可能性は常にあるが、そのような観点から検討をすることは学生にとって難しいだろう(勿論専門家のみがそれらを扱うべきだという立場をとることは避けなければならないが)。さらに言えば、進振りのための勉強で忙しい学生にはわざわざこの講義批判するためだけに捧げる時間も体力も残っていないということ(そしてこの講義のもの大学が門を閉める時間まで延長していることもそれらのリソースを奪う一端となっていること)を指摘しなければならない。これは書籍の読者の多くについても同じである

3. 内容

 ここでは書籍でぱて講師が用いた概念の内容が批判を先んじて封じる性質を持つことと、ぱて講師が「論じるべき内容を論じなかった」ことが批判すべき点を覆い隠す機能を持っていることを指摘する。

 まず、ぱて講師はテマティスム(テーマ批評)に則ってボカロ曲評論するとしている。ぱて講師の言うテマティスムとは、以下に抜粋する通りである

「テマティスムは、作家メッセージをその意図の通りに読み取るということではありません。そうではなくて、むしろ作家作品の細部から作家自身も気づいていなかったかもしれないテーマ抽出し、作品価値を読み替えていく。それがテーマ批評という手法です。」(40ページ14行目-41ページ1行目)

さらに、この講義の鍵となる概念の一つとして「アンチ・セクシュアル」をぱて講師提唱している。以下に書籍抜粋を示す。

「本講義の当面のキーワードは『アンチ・セクシュアル』です。性や愛をめぐる通念を自明のものとせずに扱う感性が、ボカロシーンには多く見られ、そして支持されました。なにに比してかというと、いわゆるふつうのJポップに比してです。Jポップのチャートを見れば瞭然でしょう。ラブソングばかりです。」(42ページ8-12行目)

「『アンチ』といっても、それは必ずしも単純な否定のことだけを指しません。性愛を疑ってみたり、気持ち悪いもののように言ってみたり、ときにそれは、米津玄師において見られたように、アンビヴァレントな愛憎を差し向けるというかたちをとることもあるでしょう。」(43ページ2-4行目)

 つまるところ、「テマティスムを用いれば、性や愛をめぐる通念を自明とせずに扱う感性(単なる否定に限らない)をボーカロイド音楽から読み取ることができ、そのような音楽がシーンの人気を博した。一方で「いわゆるふつうのJポップ」からはそのような読み取り方のできない曲が人気を博している。」という主張をぱて講師はしているということになる。この主張に当たって用いた「テマティスム」と「アンチ・セクシュアル」の二つの概念は、この主張に対する批判として想定される「作者はそこまで考えていないと思う」型の主張や「この曲は性や愛めぐる通念を否定しているとまでは言い切れない」型の主張を先んじて封じる機能を持つ。このため、読者がすぐに思いつく形での批判ができず、ぱて講師の主張に対する批判が少ないことに寄与していると考えられる。

 もう一つ批判封じに寄与しているのは、「論じるべきところを論じていない」ということである。「いわゆるふつうのJポップ」についての記述に注目すると、ここでぱて講師が行わなければならないのは、

①「いわゆるふつうのJポップ」を「『アンチ・セクシュアル』な感性を持たないJポップ」以外の形で定義すること

個別楽曲評論を通じて「いわゆるふつうのJポップ」に該当する曲に「アンチ・セクシュアル」な感性が備わっていないことを論じること

③それが「Jポップのチャート」に非常に多く見られることを指摘すること

であるしか書籍の中で「いわゆるふつうのJポップ」についての言及があるのはここのみで、上記3つ全てを行っていない(ぱて講師言葉を借りれば、「瞭然」という「感覚思考俎上に載せ」ていない)。それもそのはず、「テマティスム」と「アンチ・セクシュアルな感性」を用いた読解だけではこのようなことは到底不可能からである。「テマティスム」は確かに「作者の意図」に縛られない自由評論の基礎であるが、それは同時に評論者次第でどうとでも言えてしまうことを意味する。同じ曲が違う評論家によって「アンチ・セクシュアル」であったりそうでなかったりする。もし「そうは言ってもこじつけってものがあるでしょ」と思うのであればそれは「良い評論」の基準として「テマティスム」以外の何かを想定していることになる。さらに言えば、「アンチ・セクシュアル」という概念の幅も広い。同じ言葉賞賛にも皮肉にもなる世界で、「性や愛をめぐる通念を自明のものとせずに扱」っているかどうかを「テマティスム」のみで確定させるのは不可能だ。つまるところ、ぱて講師が「いわゆるふつうのJポップ」を論じないことは「テマティスム」の持つ脆弱性、あるいは、「何でも言えてしまうが故に何も言うことができない」性を(本人の意図とは無関係に)覆い隠し、批判を予防することに寄与していると言える。

4. コミュニティ

現地での講義に付随する活動として、コンピレーションアルバム作成ちょっとした食事会など、ボーカロイド文化が好きな東大生のためのコミュニティ積極的提供する姿勢をぱて講師は見せている。それ自体マイノリティたる若者鼓舞するという目的からすれば妥当であるが、評論の面ではこれが裏目に出ている。余程肝が据わっていない限り人間は、自分を匿ってくれるコミュニティの発起人の言うことに盾突いたその先を恐れる。発起人自身が何とも思っていなくても、同じコミュニティの仲間から邪険に扱われるかもしれない。仲間が何とも思っていなくても、内なる自分が責め立てる...。こうなれば講義批判するのは難しい(批判したとて有耶無耶に言いくるめられるだけだ、という疑念もあろうが)。「肝を据わらせろ」という主張はマッチョイズムなのでしないが、しかコミュニティ形成するとはそういうことなである

最後に】

 「ボーカロイド音楽論」の講義書籍化されたことは、この講義自身にとって、そしてボカロシーンにとっての大きな一歩であると筆者は考える。内容の巧拙政治的立場はともかく、書籍化されたことによってこの講義は「亡くなったボカロPを悼み、内輪でボカロ曲をべた褒めする会」になってしま未来を脱して、元受講者やボカロ関係者を含む全ての人の衆目に晒され、批判され、検討され、洗練され、時に新たな論を生み出していくことができるようになった。後は実際にそうしていくだけである。筆者よりもっと優れた批判をできる人は多くいるはずなので、後は彼らに託してこのダイアリーの締めとする。

追記:何故もっと批判されるべきなのか】

 強い言葉で言えば、

「『ボーカロイド音楽論』などと大層な看板を出しながら、その実著名な学者の業績を形だけ借り"正しい"思想を添えた類推だらけの持論を『教養』と称し、[『教養』]と[『教養』を並べ立てた個別楽曲評論]を弱い脈絡の下で繋げただけの、部分を詳細に語っただけで全体を語った気になっている、評論と呼ぶべきなのかもわからないものが、まともに批判されずに学生の間や世の中に広まることが許せないから」

である(「まともに批判されずに学生の間や世の中に広まる」という心配杞憂であってほしいが)。

 筆者がこの講義書籍の内容が批判されるべきであると考えている理由は3つあり、これらを以下に簡潔に説明することで追記とする(注あり)。

1. タイトル詐欺:「ボーカロイド音楽論」を名乗りながら、その大部分は個別作品の読解に費やされている上、それらを踏まえて「ボーカロイド音楽とはなにか」をまとめて論じている内容が存在しないこと。

2. 「思考俎上」に載せる「感覚」の選び方の恣意性:本論で述べたように、思考必要なぱて講師感覚があるにも拘わらずそれを思考した形跡が存在しない箇所が見られること。

3. 「思考」の粗雑さ:「感覚」を正当化する目的しか思考」が用いられていないこと。「思考」に用いた「教養」の内容もそれぞれの分野を専攻した読者から見れば的外れものになっていること(注1)。「類推」や「テーマ批評」などのいくらでもこじつけることが可能手法を用いているのに、何故その手法を用いるべきなのか、その手法限界はどこにあるのか、といった説明がされていないこと。

注1:少なくとも一つの例として、筆者が専攻していた生物学に関連した部分を挙げる。リチャード・ドーキンス書籍利己的な遺伝子』に言及した後、「しかしこれらのような個体利他行動も、種や遺伝子主語にすると、自らを温存するための利他行動にすぎない。」(54ページ8-9行目)と段落を結び、その後「性はこのように、種の都合のための機能主義的なプログラムであるという言い方もできるわけです。」(54ページ18-19行目)と主張している。結論から言えば、この言い方はできない。生物学を学んだことがある人物なら絶対にこのような主張はしない。進化の結果としてある個体Aが(同種とは限らない)他個体Bに利他行動をする形質を獲得する条件はあくまで「それが後に個体A自身生存繁殖に有利となる可能性が十分高い」あるいは「個体Aと個体Bで利他行動に関連する遺伝子を共有している」であり、そこに「種」の概念は一切関係しないかである。(遺伝子自然選択対象となり得るのに対して)「種」という概念は観察者が生物を分類する際の線引きのツールであって、自然選択対象として観察可能ものではない以上、「性は種の都合のためのプログラムである」ということを(観察によって)事実として得ることもできない。つまり「種」を全体と見立て個体」を部分と見立てるような類推は成立しない。百歩譲って「利他行動に関連する(種を問わず)同じ遺伝子を持つ全ての個体」を全体とみなす形で類推を成立させるとしても、それは「類推を成立させるためだけに拵えた全体」であることを指摘しておく。

anond:20231114123615

俺は天才から人よりやるのは当たり前でここまできてる

お前のような嫉妬劣等感で潰れそうなやつの分もやっとる

anond:20231114092343

疑いを持つの自由だけど公言するには責任が伴うやろ普通に考えて

anond:20231114090153

在学中に手を出してたらやばいけど、いつの日か好意になって結婚まで行くなら別にいいけど?

anond:20231113184905

なんか『第74回NHK紅白歌合戦』出場歌手の顔ぶれから考える…紅白でのふたつの選出基準とはとかいブログ記事フルボッコにされてたね。

いやフルボッコっていうかビルボードチャート画像貼ってあと全然言及してないだけだけどさ。

あん画像貼ったらオーバーキルもいいとこだ。

2023-11-13

anond:20231113195002

やはり職を変えるべきでしょうか

異動願い出したけど封じられちゃった何故

なんでうちの会社の男たちは男だけで仕事回すのですか

それ私得意分野なんですけどってのも、若手の男に経験積ませたいとかで横に流れてく〜

言い出しっぺの仕事もいつの間にかメインじゃなくなってる〜

なんでなの〜なんでなの〜

ちなみに正社員である

バカクソでっけえ声で電話するやつの近くの席、そろそろ限界かもしれん。

そいつ電話し始めると耳も頭も痛くなるしストレスからくるメニエール病めまいやばい蕁麻疹も出る。

自分ってこんなに環境に弱かったんだ…

anond:20231112201558

職業訓練で何を勉強したのか知らないけど、

web系(コーダーとか)とかEC運用とかだったらまだ全然引く手あまたな気がする

自分EC関連の仕事をしているが、需要の割に人がおらず万年人手不足だよ

リモワ推奨のところも多し、ECWEB系はコミュ障いから多少経歴が変でもコミュ障でもバレないと思う

まずはクラウドワークスとかで商品登録など簡単案件をいくつかやってみていけそうだったら

そっちに絞っていろいろ受けてみるのもありかもとは思う

自分全然別畑からECはいって紆余曲折合ったけどなんとか働いている

就活とか面接は結局「自分を大きく見せるテクニックがあるやつの勝ち」だからなー

そういう人がえらいわけでも、仕事できるわけでもないよ、ただの技術

ちゃんとした経由で入ってきていないけどしっかり働いている人は何人も見てきた

あんまり自分卑下しすぎずにな

中退する人もいっぱいいるなかいろいろ遠回りしたけど大学卒業した増田さんは最後まで頑張れる人だよ

寒くなってきたか風邪とかひかんようにね

anond:20231113154026

Eminem, Lady gaga, Steve Aoki, Mashmello, Kesha, Maroon5, Rihanna, Ed sheeran, Bruno Mars, BTS, IVE, Taylor Swift

このメンバーが1つの場所で集まってパフォーマンスしてたら史上最高と言わざるを得ない

櫻井敦司さんを偲ぶ会に両日行く奴はファンじゃないにモヤモヤする

先月亡くなられた‪BUCK-TICK‬の櫻井敦司さんの偲ぶ会チケット発売が数日前に開始された。

ものの数分で完売し、買えなかった人も続出した。

私は外出中だったが、開始前から待機し購入することができた。

ほっと安堵し、SNSを見ると買えた人や買えなかった人の呟きが流れてきたが、あるツイートが気になった。

「買えなかった。転売されてるし、両日買えた人は他のファンに譲って欲しい」

「両日行く奴、本当のファンじゃないだろ」

転売を恨むツイートの中に両日行く人間を叩くツイートが多く目に入った。

私はたまたま両日1回ずつ取れたので、行くつもりだったが酷い言われようで落ち込んでいる。

そもそも、今回のチケット

12時にW会員(月額と年の2つのFCに入っている方)

15時に一般

非会員の同行者1名可、複数時間に申し込み可の先着順であった。

普段電子チケット抽選だが、急に決定したことなので紙チケット先着での販売だった。

それを悪用した悪い人間複数購入し、チケットサイトで1500円のチケットが2.3万に転売されていた。

フリマサイトでも、ライブが中止になった日から発売されたグッズの転売が酷いことで、ファンの怒りはチケット発売以前からあった。(通販はまだで、現在は会場販売のみ)

その怒りが、今回のチケットで爆破したという感じだ。

SNSチケット転売してる人が名乗り出る訳ないので、自然に両日取れたツイートをするファンに怒りが向かう。自分は取れなかったのに、と。

個人的にあまりに売り切れが早く行けない人が続出したため、このような機会は時間はかかるかもしれないがまた設けてくれると私は思っている。

両日行く予定だったが二日目は家族か知り合いに譲ろうかと思う。両日行く奴はファンじゃない。このツイート見てから結構モヤモヤする。そして転売ヤー許さん。

最後に。

このような場を設けてくださったスタッフの方々には感謝しています。お忙しいのに、中止になった会場でグッズ販売メッセージボードの設置、ツアートラックと共に全国を周っていただきファン想いのバンドスタッフだと思います。無理しないよう、ご自愛ください

anond:20231112170356

俺も最初はそう思っていたけれど、今は違う立場

「1つの優秀チンポで10マンコを孕ませる」のは一見正しい。

実際ペットショップ方式だとそういう風にして優秀な遺伝子を残そうとする。


ただこの方式の大きな問題点は3つある。

マンコに人権存在しないこと

マンコに淘汰圧が働かないこと

・オスのキャパティ考慮されていないこと


機械的商品的に産むのであれば効率的ではあるけれど、実際は「一見れいだが病気になりやす個体」などが生まれしまい、

またその後の教育費や育成費などは考えられてないため、ペットショップ方式だと数世代で種が断絶する。


人間も「ブリーダー方式」の方が良いと思うのが自分の中での結論だ。

オス・メス共にブリーダー品評会や、ドッグラン大会に出して優秀な個体を選別。

そして優秀な個体のみを掛け合わせて、子供にも金をかける。


オスは比較長期間種として約に立つし、メスも健康状態が良いため、比較的多く子供を残す事ができる。

「優秀チンポ1とマン10」で、優秀な個体1、汎用な個体7、劣等な個体2作成するより、

「優秀チンポ1と優秀マンコ1」で優秀な個体を5、汎用な個体4、劣等個体1を作ることもできるし、劣等個体が時に新しい価値を創出する可能性も高まる


結論、優秀チンポ1と優秀マンコ1に多産してもらい、劣等マンコは土方になって燃料棒の出し入れを頑張ってもらう、それが現実的合理的選択肢だと思われる。

anond:20231113135914

達成ではないけど一つの目標ではあるんじゃないですかね

anond:20231113121226

現実に起きてることを正しく認識できないやつのから出る妄想なんて取り合う価値がないんだわな。

あれだろ、ケーキが切れないタイプだろ。

大黒摩季昭和かと思ったら平成だった

タイトルのままなんだが、

大黒摩季っておれの中でずっと昭和イメージだったんよ。

先日、ラーメン屋行ったら大黒摩季がかかっててさ。

久しぶりに聞いたな。やっぱいいなー。小さい頃、親の車の中とかで聞いたなー。昭和レトロな気分に浸りつつのラーメンいいねぇ。

とか思いながらラーメンを豚みたいに食ってた訳よ。

そんで家に帰ってからも、大黒摩季ムードだったんで、

何曲か聴きながら、大黒摩季についてwikiで見てみたわけよ。

そしたらさ!

こいつ!!

デビュー1991年なのよ!!!

いっき平成なわけ。

もう訳分からんくなってさ。

まあ確かに時期としては平成デビューたかもしれん。

でも何度聞き直しても、おれにとってこいつの音調は昭和なんだよね。

存在平成なのに、スタイル昭和

それはもしかしておれが平成に生まれたからそう思えるのか?

昭和40年代とかにまれた人からしたら大黒摩季平成感に溢れてるのか?

ですがでうsになる

年取って左手運動能力が落ちてきてキーつのが遅くなってるのかなあ

地方都市,年収650万円の暮らし

県庁所在地地方都市暮らしている独身男性35歳.

大学卒で東京就職し、体調を崩して休職のちに、地方都市引っ越し転職.

ソフトウェアエンジニアです.


ボーナスなしで月の手取りは42万円ほど。もしボーナスが4ヶ月分くらい貰えてたとすると、手取り31万円程度になる。

月に使うお金は約20万円。

食費で5万円、駐車場込みの住居費が5万円、通信費1万円、光熱費1万円(冬は2万くらい)、車の維持費1万円、残りは趣味やら日用品旅行で7~8万使ってることになる

残りは月10万を積立で投資信託に入れて、あとの10万くらい貯金

他の増田手取り25万あれば余裕という話があったが、貯蓄などを気にしなければ概ね正しいと思う.


東京暮らしの時とそんなに使うお金は変わっていないが、一番変わったのが住宅

東京ときは、65000円で20平米の1Kで、置けるもの量が限られていたが、

地方都市では、50000円で50平米の2LDK。部屋が広いということで、人生でできることがめちゃくちゃ違ってくる。


例えば、大きめの観葉植物を4個くらい、熱帯魚水槽が2個あるが、全然狭く感じないし.

エアロバイクを置いて、毎日Youtubeアマプラを見ながら運動しているか体重もどんどん減っていく

ガンプラを組み立てても、1Kじゃ飾る場所に困っていたが、今だと5体くらい飾っている.

電子工作趣味も、工具や部品を置ける場所がふんだんにあるので、やりたいことが存分にできる.

趣味キャンプ登山釣り用品の置き場所にも困らない.

部屋の広さとは、趣味の許容量であり、 部屋が狭くて無意識に諦めていた多くのことが解決したのである.


さら仕事は自宅でのリモートワークが多いので、自宅にいる時間も長いが.

部屋が広いので長い時間いても陰鬱な気分になることがなく、時折エアロバイクを漕ぎながら仕事して、健康的に仕事ができる.

エアロバイクに机がついているので、パソコンを置けるのは本当に便利だし

考える作業をしながら漕いでいると時間があっという間に経つので、とてもオススメしたい.



考え事をするときは、歩き回る癖があるが、これも部屋の中でできる.

部屋が広いと掃除が大変そうに思えるが、ルンバのおかげでいつも床が綺麗なので、重宝している.


都会民は、田舎地方都市メリットとして、家賃の安さを挙げていることが多いが

部屋の広さを享受できることこそが真のメリットだと思う.

趣味がある人は、広い部屋のメリットを受けやすいので、ぜひ一度広い部屋に住んでみてほしい(一度広くすると元に戻りづらくなるが).


休みの日は、1時間程度で行ける山か海にドライブしに行くことが多い.

アイスとかソフトクリームが売ってる店を目標にしてドライブを始めて、アイスを食べてのんびりした後に帰るパターンが多い.

移動が電車ではなく、自分意思でどこでも行ける車なのは本当に楽。

電車の移動だと、周りに人がいることを意識しなければいけないが、車だと気ままに移動できる.

アウトドア荷物を積みっぱなしにしているから、天気が良くて気持ちいい場所があれば、椅子と机を広げてコーヒー入れたり

海で釣竿を投げてのんびりしたり.

ドローン飛ばして、自分視点では見られない、いろんな角度の景色を眺めたりしている.

ちなみに人口密集地は基本飛ばせないので、都会で飛ばせるところはない。地方なら割と飛ばし放題だ.

あとはスーパー銭湯温泉にふらっと行ける。お風呂道具も積んである.

今日はこれをしよう」と計画を立てて、荷物を準備して出かけるのではなく.

とりあえず天気がいいからどっか行こう、とできるのが、荷物を積みっぱなしにできる車のいいところなのである

食事は、そりゃ都会に比べて店の数や名店は少ないけれども、基本的チェーン店ローカルチェーン店個人店もそこそこある.

でも外食はそこそこにして、自分料理することが多い.

1Kのキッチンなんてろくに料理できるスペースがなかったけれども、広い部屋ならキッチンゆとりがあり.

冷蔵庫調理家電をいろいろ置けるので、料理捗る.

地方都市は、生活空間都市にゆとりがあり、そのゆとりをうまく使える人は人生を豊かにできる.

都会と同じ生活をしようとするのは間違っている. 地方には地方の楽しみ方があるのだ

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