はてなキーワード: お布施とは
安倍元首相、銃撃されましたね。ご冥福をお祈りします。
もちろん殺人は罪だがこの流れで統一教会がメチャクチャに叩かれてるので本当に嬉しい、リアルでは言えないけど生きててよかったと思うくらい嬉しい
親の代から統一教会のガチ信者で、借金作るくらい献金してて、家にたくさん壺があって、同年代の子が自由に恋愛してる中自分だけ「統一教会の人との結婚(祝福といいます)しか許さない」って言われて育ってきたわけ
下層信者の私たちは光熱費もカツカツの生活してるのに、教祖一族は城建てたり自家用ヘリで旅行して優雅な生活してんの
ましてや国の与党まで、統一教会宛に好意的なメッセージ動画送ってくんの 票集めか何か知らんけど
18になってすぐ家を出て統一教会からも離れて、関わらないようにして生きてきたけど、どうしても「世間に誰も私の味方はいない」感はぬぐえないですよね
何も知らない人とか「一人っ子なのにどうして大学のお金を払って貰えなかったの?」って言うのね、いや「親が統一教会に献金しまくりで生活もままならなかったからです!」とは言えないわ
大学も、大学時代の生活費も自分で稼いで(&奨学金MAX借りて)払ったわ
だから故人には悪いけど、この度の統一教会の闇が暴かれる流れすっごく嬉しい
10代の頃から自殺したかったけど、今は生きててよかったって本気で思ってるし、救われてる
統一教会二世の自殺率って割とエグいって聞くし、犯人も私含め多数の被害者も、事件を起こす可能性を生じるくらいの精神的苦痛は受けてると思う
犯罪を美化したり推奨する気はないけど、それくらい統一教会は恨まれてるよねって話
どうでもいいけど、カルト仲間だと思ってた創価学会員に「いや学会はそこまでお布施(?)エグくないよ」と言われたときはかなりショックだった
仮に自分の容貌が良くなくて、人生が上手くいっていない、と思う人がいた時に、何らかの点でそれをカバーしたりしようと思うじゃん?
仕事はできて金はあります!とか、人付き合いは多くて人脈はあります、人望があります!とか。
宗教がやるのは「人生がうまくいかないのは容姿や金のせいではない、前世からの業のせいである!その業を振り払うのは修行やお布施である、この行いは全ての人の前で平等である。さぁ修行、修行!」っていって目の前の悩みから目を逸らして、新しい人生のゴール(これを真理と呼ぶ)に向かわせることだろうなぁ。人生のゴールポストを動かすの。
増田は信徒じゃないから、教会と与党がズブズブなんて事実はそこまで大きいこととして捉えてなかったってのが大きいんじゃない?
信徒にしてみたら、霊感商法とか巨額のお布施とか合同結婚式とか世間的にはマイナスイメージが強い教団に帰依するにあたり「首相や与党、有識者も応援している」って事実は後押しにはなってたと思うんだよね。
一般信徒にとって自民党とか安倍一族との結びつきはブラックボックスだったかというと絶対そんなわけない。内部に向けての広告塔として使ってたでしょ。
で、犯人は分派にいたんだから、当然それも近くで見てるわな。少なくとも、インターネットだけがきっかけで安倍一族と統一教会との結びつきにたどり着き憎悪をつのらせたってことはないよ。
自民はまとまった頭数からの票が欲しいし、団体は信者からのお布施が欲しいのと政党からのお墨付きが欲しいでWin-Winなわけで
家庭にフォーカスして見てみればアウトなのに野放しにされてるというわけですな。
うちもまさに今母親がそんな感じになってる。母の場合は統一教会みたいなメジャーどこじゃなくて、サイエンスオブエンライトメントっていう極小カルトだけどさ。(でも教祖がちょっと前にマツコのテレビとかにも出てた)
とにかく金金金なの。「欲と執着を落とすのにはお布施が一番です」とかいってさ。いやまずおめーのその金への執着をどうにかしろよ。俗世の刺激で欲を満たすのはカルマを積むんだとか言って、自分も昔からあまりおもちゃとか買ってもらえなかった。そんなくだらない俗事に金を使うくらいなら教祖様に献金した方が不思議なパワーで守られて幸せになれるんだとさ。アホか。あとは勧誘。真実の教えを広める事こそがカルマを清めますとか言って、親族はもちろんのこと、行く先々の店とかで教祖様の本を配ってた。なんかノルマがあるらしい。
入口はヨガとか瞑想とかで、うちの親も最初はヨガ繋がりだった。町のヨガ教室は全部「当方は怪しい宗教団体とは無関係です!」ってデカデカと貼り紙しとけ。
父親はすっかり諦めて言いなりになってる。多分死ぬまでそんな感じなのかも。昔親父が弁護士に相談した時に聞いたらしいんだけど、ここ最近は統一教会以外にもそういう小粒のカルトが乱立してて、統一教会ほどじゃないけど小粒な揉め事をあちこちで起こしてるらしい。
母親が破産するまで統一教会に貢いだってのが理由とされていますが、
よく言われるやつで、戒名にも値段があるじゃないですか。
高い戒名を持った方が位が高くなる。
もちろん位に差なんてないというのが建前だそうですが、
ならなんでそんなルールがあるんだと。
お寺に寄与した人=よりお金を払ったひとを優遇するってことですよね。
もちろん宗教団体だって霞を喰って生きるわけにもいかないでしょうから
それにしても
税制上優遇されながら、あれだけのものを作れてしまう宗教って、やっぱり異常ですよ。
府内に多くある寺社施設が税制上優遇されているからともいわれています。
なんなんでしょうね。
お布施で破産した話なんて、20世紀にはさんざんニュースになっていました。
問題なんじゃないんですかね?
こちとらチマチマ商売してやっとできた儲けからガッツリ税金しぼりとられとるのに
家族を破産させるくらいカネをもぎとっておいてビタイチ納めんとか。
しかも非課税になる根拠が憲法の「政教分離」のはずなのに、ガッツガツに政治に食い込んどるやんけ。
この国おわっとるぞマジで。
(追記)
トラバの“固定資産税とか、最低賃金x労働時間分の賃金くらいはまぁ非課税扱いでもいいけど、 バチクソべらぼうな額のお布施はもう贈与税としてガッツリかけていいだろ”に完全に同意。
うんうんワイもそのトラバには同意やな。だってそれ書いたのワイやし
書いたあとできづいたけど贈与税は贈る側が払うからそれよりは普通に所得税でいいのかもな→もらうやつが払うらしいな。んじゃ贈与税じゃい!
統一教会への復讐の矛先が安倍さんに向いたから、とばっちり?みたいな意見もあるけど、それは違うんじゃないかな
統一教会がお布施巻き上げて人々の人生や家庭を破壊しているのに、それを取り締まったりするどころか
安倍さんや自民党はイベントに参加したり、祝電送ったりして仲良しアピールしてたわけだし
お前こそがこの組織の悪行を正すべき人間じゃないのか!って当事者なら思って当然かと
なので逆恨みだとか陰謀とは思わないかな。とくに疑問の余地のない犯行では
政治主張じゃなくて私怨での犯行ってことで、実は日本の民主主義にとってさほど影響はなかったってのは不幸中の幸いなのかも
統一教会とは限らないってコメントあるけど、大量のお布施で家庭が壊れているとか、状況証拠的にほぼ確実に統一協会だと思うよ
自民安倍とズブズブの宗教団体でヤバいのって統一教会か日本会議で、日本会議は保守過ぎて糞だけど、信者の人生をぶっ壊すほどのラディカルな搾取はしてないし、創価学会なら安倍さんを狙う意味が薄いし、何なら最近の創価学会十分おとなしいから、そこまで殺意上がるとは思えない
安倍さんつながりで他人の人生を破壊して恨まれるような宗教団体って統一教会しか無いはず。
このての「限らない」系の人はどの宗教団体だと思っているのか。まだはっきりしないのでコメント控えるくらいにしとけばいいのに
「限らない」なんて言っちゃうと、じゃあどの団体だと思ってるんだ?って話にしか発展しないし、そんなこと言い出したら微粒子レベルの可能性を考えて他人の意見を封じようとしているようにか受け取れないかな
法輪功の特徴は、たんなる健康法にとどまらず、「真・善・忍」を中心とする「宇宙大法」を身に着けることにより、より高い次元に修煉できると説いている[19]。「真」は真なる言動をなし、虚偽の言動をなさず、将来「返本帰真」に達すること、「善」は慈悲心をもち、人を苛めず、弱者を思いやり、人を助け善行をなすこと、「忍」は困難や屈辱に際しても、受け流し耐え、恨みや憎しみをもたず、仇を討たないこととされる[20][21][22]。「返本帰真」とは、世俗の慾望を捨て、人間本来の自然な姿と理念の境地に達することを意味する[23]。莫 (1999, pp. 59–60) はこれらの教えについて、世俗の栄達に対する批判的な眼差しによるものであり、"中国の一般民衆が慣れ親しんでいる仏教、道教、儒教などの伝統的な価値観をうまくミックスしたもので、市場経済の変化についていけない信奉者たちの悩みをわかりやすい表現を用いて効果的に取り除こうとした"ものであると評している。
今 (1999, p. 35) は、「忍」こそが在家主義をとる法輪功の教えの核心である、なぜなら山中の出家生活でなく世俗の中の在家生活でこそ修練が捗ることを意味するからだと述べている。例えば李は、「徳という物質は、われわれが苦しみに耐えたり、打撃を受けたり、良いことをしたりして得るもの」であり「業力という黒い物質は悪事を働いたり、良くないことをしたり、人をいじめたりして得るものです。[……]人を罵ったり、いじめたりすると、その人は自分の得を相手に投げ与えることになります。一方、相手はいじめられ、苦しめられ、失った側なのでそれをもらえるのです」と述べている[24][25][註 1]。
法輪功では内面の向上に重点が置かれているため、他の多くの気功法同様、金銭や利益が絡む活動はいっさい許されていない[要出典]。そのため、現在[いつ?]は各地のボランティアの手によって、無償で気功動作の指導が行われている[要出典][註 3]。『転法輪』は市場相場より安価で提供され、お布施の類も一切ない[18][註 4]。一方で今 (1999, p. 35) は、執着しないかぎりにおいては利益を得ることを拒んではおらず、「いわば『社会主義市場経済』をある意味で肯定している」と指摘している[註 5]。
こんな素晴らしい教えが7000万人にも影響したらそりゃ恐れるだろうな政府は
母が亡くなって、1年ほどになりました。
時折ふとした瞬間に、そうだ、この世の中には、もうお母さんはいないのだなあ……、としみじみ思い出して寂しくなります。
母親が亡くなると、大げさにいえばそれ以前とそれ以降で、自分の心持ちががらっと変化してしまったような気がします。
抱えている寂しさや空しさの量が少し増えましたし、自分自身の死ということにも、よりリアリティを感じるようになってきています。
とはいえ、人生は続いていくわけで、時間が解決することもあるけれど、この寂しさや空しさを、当たり前にそこにあるものとして、これからは暮らしていくんだろうと思います。
ただ、今日この場で語りたいことは、現実的(で大切な)話、葬儀・供養についてのお金の話題です。
私、母以外にも肉親をもう2人、既に亡くしていまして、喪主の経験が3回あります(3回あれば、語る資格ありますよね?)。
さて皆さん、人がひとり亡くなると、葬儀・供養にどれくらいのお金がかかると思いますか?
もちろんケースバイケースですが、私の母のケースを参考までに述べますと、
・ほぼ家族葬、参列者が15人以下。
・コロナなので、会食はなし。
というもので、
(高齢化社会になると、高齢で亡くなるため、すなわち、葬儀に参加する仕事のつながりや友人知人もいなくなります。なので近年は、家族葬の割合が増えていると聞きました)
位牌・・・4万円
合計・・・180万円
でした。
(これに加えて、香典をもらうとしたら、平均ひとり1万円いただくことになり、その半分を返礼品でお返しすることとなります)
わりとメジャーな葬儀社で、いちばん簡素なプランを選んでの金額です。
お布施は付ける戒名のランクによって金額が変わるというお寺のシステムがあり、こちらも最低ランクの戒名でお願いしました。
なので、自分が亡くなる時には180万円くらい残しておかないと、残された人たちが困るかもしれません。
たとえ自分が「葬式不要・戒名不要」と遺言を残していたとしても、実際には、残された親族親戚からすると、それでは気が済まないから、
皆でお金を出し合って最低限の形にしよう……という話になる可能性もおおいにありえると思うのです。そこは、自分だけの合理性では済まない部分もあるといいますか。
私自身、もちろん亡くなった家族を悼む気持ちはありますが、宗教的な信仰心が厚いわけではないので、
葬儀・供養については、できるだけシンプルな形でと考えていたのですが、それでもこの金額になりました。
ちなみに葬儀社には「互助会」というシステムがあり、生前に入会して積立金を支払っておくと、費用の割引を受けられるというシステムがあります。
(なので、互助会に入会していないと費用が割高になるようです)
亡くなった親が既にどこかの互助会に入っていたり、どこかのお寺の檀家になっていると、このあたりについては選択の余地はないですね。
小さめの家族葬をメインとしたセレモニーホールだと、価格が抑えられたかもしれないなとは思います。
しかし、決して安くはないけど、ネットで調べた相場よりも高くはないようなので、まあ、こんなものかなという感想です。
ただ、お墓への戒名彫りと納骨費用の10万円は、調べると相場は3~5万円ということらしいので、ちょっと高かったのです。
(あと、戒名彫りのフォントが野暮ったくて、それも不満に感じています)
石材店に依頼して、お墓の側面に戒名と没年を彫り、骨壺をお墓の下に収納するわけですが、墓地には「指定石材店」という制度があり、
決められた石材店にしか依頼することが出来ないルールなんです(公営の墓地にはそういう制度はないようですが、民間墓地にはあるそうです)。
それを聞いたときには、ちょっと疑問は感じました。シンプルに独占禁止法にひっかかるのではないかと思ったのですが、それにはあたらないという見解もあるみたいで。
とはいえこのルールでは相見積もりも取れないし、これが適正価格なのか信用はできないな……、と思います。
そういった独占的な商売を、消費者としてどこまで信用してよいのでしょうね。
だけど、お墓はトラックが横付けできないような山あいにある墓地ですし、近年の様々な材料の高騰の影響もあるのでしょう。
素人にはわからないコストもあるでしょうし、ネットで調べた相場感だけで軽々には判断できません。
ところで、その石材店の社長名でfacebook検索してみると(そういうこと、しますよね?)、
自宅ガレージの前には、レクサスはおろか、BMW X4 M Competition、フェラーリ ポルトフィーノ、488ピスタ、などの写真が並んでいて、
オタクコンテンツ炎上事件が起きると、表現規制派 vs 表現の自由派でうんこの投げ合いが始まるけど、別にこれ、憲法でいう「表現の自由」の話じゃないんだよな。
それなのに、なんか基本的人権の重要な一部が毀損される深刻な事態が起きているかのような話になるから、わけのわからない空中戦になる。
どういうことだか説明するね。
そりゃあ、法的規制ができれば大金星として、成果を大々的に掲げて本とか記事とか書きまくるだろうけど、それができると思うほどのぼせ上がってはいない。
それにむしろ、法律によらず、SNSとか炎上させて圧力をかけて、相手が自主的に応じてくれたほうが都合が良いわけ。
1.法的規制と同様の効果を生じさせることができる。炎上して謝罪させたら、それを見た他の企業も炎上しないよう、自主的にやらないでくれるだろう
2.炎上させる相手を選択することで、自分たちが実質的に規制判断の基準の決定権を握ることができる。フェミニストのなかにはBL愛好家もいるので、法ができてしまうとむしろ困る。BL無罪のたわごとは裁判所では通用しない。
3.憲法上の問題を回避できる。規制法の制定は憲法上、著しい困難を伴う。「性的搾取」とか「性的に眼差す」とかのふわっとした根拠で規制なんかできるわけない。
そういうわけで、フェミニストさんたちは法規制を目指さず、集団で火付けをすることで実質的な規制を行うことを目指しているわけ。
表現に対して批判を行うことも、表現の自由の重要な一部なので、フェミニストさんたちが行っていることは、実にまっとうで健全な手段なのだ。
1.買って応援!
なぜなら、
1.買って応援!
→ とてもまっとうで健全な対抗手段であるが、宇崎ちゃんにせよ温泉むすめにせよ、これまで炎上して取り下げを強いられてきたものは、たいていがコラボ案件なのである。
コラボ案件は実施主体にとって、ないならないで別にそう困らないのである。むしろさっさと取り下げたほうが、いつまでも燃やされるより低コスト・低リスクなのだ。
→ フェミニストにうんこを投げても、チンパンジーじゃないから効果はない。
だいたい、フェミニストたちは社会に訴えかけているのであって、別にオタクと議論するつもりなんかないし、はじめから折伏できるなんて思っていないのだ。
→ フェミさんたちは言論の自由の上に立って批判をしているのであって、憲法上の問題を生じさせない手段でやってるため、はじめから議員の出る幕などないし、むしろ介入方法によってはそれこそ問題があるのだ。
まあ、フェミさん路線は票にならないよと知らしめる意味くらいはあっただろう。
今回、フェミさんたちがなぜ未だに何も達成できていないかというと、
→ しんぶん赤旗にだって広告欄はある。そして紙面にどんな広告を載せるかも、メディアの表現の範囲内だ。
広告に対する事後検閲を外部の機関に許してしまうと、メディアとしての自律性が危うくなるため受け入れ難いし、少なくとも高度に予期可能な基準を要求するだろう。
2.日経新聞が「あれは問題のある広告だった」と認めて謝罪してしまうと、広告主の顔に泥を塗ることになるため、できない
→ あたりまえ体操
3.講談社にとっては、あんまり講談社に抗議はきてないし、謝罪しても別にいいことないし、「広告出したい」「いいよ」「やったぜ」ってだけなので、文句を言われる筋合いがない。
要するに、主にターゲットにされてる日経新聞にとって、譲れない線を踏み越えてきているからなのだ。
なお、UN Womenとの規約に違反したんだって議論もあるが、以下の理由で非常に疑わしく思っている
1.少なくとも「3つのPをすべて満たさないと掲載しない」みたいな内容の規約だった場合、法務や経営陣が許すはずがない
2.仮にもしそんな規約を受け入れているのであれば、外部にむけて広告を募集するにあたって公表するはずである
そうしないと出稿企業から予測不可能なため、広告掲載にあたって毎回手戻りが起きてしまう
3.そんな規約を受け入れるのであれば、せめてそれだけ厳しい規約を受け入れましたよとPRするはずである
どうせ、具体的で予期可能な広告基準は合意内容に含まれていなかっただろうと推測している。
今後も何も、不満に思ったことにたいして批判を加えているだけなので、特に今回のことがあったからといって何も変わることなく、今後も不快なもの、不正義だと思うものに対して批判を加えていくだけだろう。
そのなかにしょうもないコラボ案件があれば、やはり相手は謝罪して引っ込めるだろうし、それが重なっていくことで、世の中の基準はゆっくりと動いていくだろう。