はてなキーワード: 鬼畜とは
エロ動画サイト開くたび上位に表示されるから人気あるんだろうけど、見ても一切良さがわからない。
あれって、素人が撮影してるからアングルからプレイ内容から、何から何まで全部クソなんだよ。
最初は大体フェラから始まる。んだが、クッソ長い。50分とか平気でずっとチンポ舐めさせてる。
フェラって10分くらいが限度じゃない?そんな何十分もチンコ咥えさせてたら顎痛くならない?
っていうか、飽きない?普通ならもういい加減次のプレイいきたくなると思うんだけど。50分もフェラ扠せ続けるって、遅漏かよ。
で、映像に映っているのはオッサンのチンポと女の子の口元だけで、アングル変わらず50分もひたすらオッサンのチンポ見せられたら次はやっとクンニに移行するんだけど、後ろのテーブルか何かにカメラ置いてるだけだから
映ってるのはオッサンの背中と後頭部だけなんだよね。女の子はM時開脚なんだけど、オッサンが被さってて見えないの。
で、クンニは数分で終わって、やっと挿入に至るんだけど
カメラは相変わらず置きっぱなしだから、やっぱり見えるのはオッサンの背中とケツだけなんだよね。
で、大体カメラを近づけて股間ドアップにするんだけど、見えるのはオッサンのケツと金玉が手前から奥、手前から奥の謎の3D映像を見せられるだけで何を撮りたいのか謎で、
結局最初から最後まで見たものはオッサンの背中とケツとチンポだけっていう、どこで抜けば良いのかさっぱりわからない謎映像な訳。
これ、オッサンが後で自分のオナニーのネタにするために撮ってるんだろうけど、自分の背中とチンポだけ映ってる映像で抜いてるんかね?頭おかしいのか?
フェラは50分もさせてたくせに、挿入は10分くらいで終わるパターンが多い。早漏なのか遅漏なのか?
挿入の際の体位も正常位だけ、たまにバックする奴もいるがやっぱりオッサンの背中とケツしか見えず。
極稀に騎乗位になるパターンもあるんだが、そういうときはオッサンが自分でカメラ持ちながらヤッてんのね。
けど、動きながらだからカメラが定まらず、ずっと天井か壁が映ってるというのが多い。何がしたかったんだ。
自分でカメラ持って全裸の女の子の接写するパターンもあるんだけど、結局はまんこのドアップだけで、それだけ急に見せられても・・・って感じだし
必ずオッサンが手マンしだして、まんこの接写すら結局映ってるのはオッサンの汚い手の甲だけ、という始末である。
結局女の子の顔とか胸とかがあまり映らず、女の子の感じがわからないのでオナニーのネタにならないし、そもそも映ってるのが天井か壁かオッサンの体の一部のみ、
こんなの撮影してるオッサンもキチガイだし、こんなのを動画サイトにアップして共有してオナニーしてる奴らも頭おかしいと思う。
なんなんだ。ハメ撮りといいつつ、オッサンのチンポ見ながら抜いてんのか?
あと、セックス中ずっとテレビつけるのやめろ。「なんかずーっと千原ジュニアと宮迫の声が聞こえてるなー、アメトーークついてんのかなー」って気になるわ。
セックスのとき普通テレビつける?俺テレビつけながらやったことないから気が知れない。
こういうのを観ると、いかにAVがプロの手によりオナニーのおかずとして練られているかがよくわかる。いつもお世話になっております。
そもそも、これが本当に素人流出だとしたらリベンジポルノ以外の何者でもないわけで、女の子のこの後の人生とか考えると気分が暗くなるのでオナニーする気になれない。
ちなみに俺はセックスのときに撮影しようと思ったことはないので、自分で撮るとどうなるのかはよくわからないが、撮るなら俺のほうがもっと見やすいものは作れると思う。
表現の自由が普遍的な人権を構成する要素足りうるなら国家間で表現の自由の制約に差はないだろう
基本的人権とは神聖にして侵すべからざるものではなく、その時代その国々において差があって当然のものであるから、日本社会としても行き過ぎた自由を制限するという方向に力学が働きつつあるということなのだ
であるからして、今後我が国において表現の自由が簒奪されようとも、それは人権を侵害したことにはならない
そもそもが、健康で文化的な最低限度の生活と言いながらそこらへんにホームレスがいる国だということを理解しよう
「若おかみは小学生! 」の劇場版について、まだ見ていない人がいたのであれば今すぐこんなサイトを閉じて、最寄りの公開館を検索して1800円支払い予約しなければならない。
「歴史に残る」や「必ず泣く」というような強い言葉は使いたくないが、間違いなく傑作であるし大人が1800円を支払って見るには十分価値のある作品である。
さてそんな名作についてレビューのなかで悪しざまに語るレビューも存在する。それもかなり強い語調でだ。
(正直PVを渡すのも馬鹿らしいので出典元表記としてURLは末尾にだけ記載する)
本当に同じ映画を見たのか?と感じるほどひどい内容だ。
ただそれを感情的にコメントしていても仕方がない。そこで何が問題かについて引用しながらコメントしていく。
なお筆者もまだ一度しか映画を見れていない。原作もアニメも見ていないまったくのにわかである。
本編内容について誤解、誤読があれば指摘がほしい。
また、以下盛大にネタバレすることになるため、もしもまだみていなければ今すぐこんなサイトを閉じて、最寄りの公開館を検索して1800円支払い予約しなければならない。
純士 俺ら夫婦はまず、あの絵がダメなんですよ。神社とか旅館とかに代々伝わる霊的なものを題材に取り入れつつ、命の大切さや、別れは寂しいことじゃないんだよってことを描きたかった作品だと思うんだけど、そこにオタク要素の強いキャラが大集合して、絵がワチャワチャしすぎたせいで、なんだかよくわからなかった。着想はいいのに、それを生かせてなかったような気がします。こういうのは絶対、実写のほうがいいですよ。
純士 いや、できると思う。アニメでこういう神社とか旅館とか霊とかをテーマにするなら、宮崎駿みたいな絵じゃないとキツイ。それか『河童のクゥと夏休み』みたいな絵。やっぱ人を感動させたければ、それにふさわしい絵のタッチってもんがあるんですよ。特別きれいなわけでもない、古風な絵。そういうのだったら感動したかもしれない。この作品は、萌え系の絵ですべてを台無しにしちゃった感がある。
中略
純士 いや、それだけじゃないですね。自分が今YouTubeで動画配信を始めたから感じるんですけど、アニメであれ実写であれ、人って、ただ道を歩いてるだけの映像じゃ楽しめないんですよ。転んだり立ち上がったり、知り合いに会ったり音が入ったり。そういう変化やアクシデントがあるから楽しめるんだけど、この作品に関しては、常に一定のリズムで進んでる感じがあって、どこがサビなのかもわかりづらかった。ハッとしたのは、最初の事故だけ。事故のときは、「あ、なるほど。ただのワチャワチャしたアニメじゃないんだな。結構ヘビーな話を放り込んできて、ここからいい話になるんだろうな」と思ったんですよ。ところが、全然そうじゃなかった。つまらないだけならまだしも、看過できない部分もあったし。
絵柄の問題点について。古風な絵 = ふさわしい絵という観点には根拠が不明。「萌え系の絵ですべてを台無しにしちゃった」ということで、後述のように趣味に合わなかっただけ、と考えられる。インタビュアーが趣味に合わなかっただけでは?という質問に対しての返しが、絵柄から動き・アニメーションの話にシフトしていて話がずれている。
ここからは想像だが、萌え絵であるという前提の時点で彼らの嗜好から外れたため、後半部分はそれを強化するための言い訳になっているのではないか。
純士 おっこの勤務体系は、ほとんど労働基準法違反だろ! と思いました(笑)。家業を手伝う場合は労基法に触れないみたいだけど、あのハードワークは手伝いの域を超えてるでしょ。小学生の女の子が、両親が死んだショックを抱えたまま旅館に行ったら、紫メッシュのババアにまるめこまれて、奴隷のように働かされるなんて……。
例えば旅館自体が潰れる寸前で主人公がハードワークすることでそれが建て直されるようなストーリーであれば、直接的にハードワークな描写がなかったとしてもそう感じるかもしれない。
しかし主人公が旅館の仕事に関わる前、旅館に到着したタイミングで来客が来ていることからも、冒頭時点で旅館は女将、中居、板前の三名で運営は回っていて、閑古鳥が鳴いているわけではない事がわかる。旅館のメンバーがハードワークさせる動機がない。
冒頭、父親も「忙しそうで挨拶できなかった」みたいなことを言っている。(はず。この点うろ覚えなので間違っていれば削除します)
逆に、旅館が経済的に困窮しているような描写はない。途中、ピンフリが春の屋旅館の問題点を指摘するが、そこでも潰れそうといった話はない。
ハードワークについても、例えば家に帰ったおっこが自室で疲れている姿をみせるといった描写があればそれも想像されうるが、なかったはず。
主人公は小学校に通い学生生活に支障をきたしているわけではない。放課後に友人たちと遊びにでかけてすらいる。
「紫メッシュのババア」と悪しざまに語っているが、それは旅館の女将であると同時に娘と義理の息子をなくした母親である。その忘れ形見であり、同じそれ以上の痛みを抱えた孫を家族として迎え入れた女将に対して、なぜそのような悪意を持った視点を向けられるのか。
麗子 しかもあのおばあちゃん、おっこの頑張りを褒めたったらええのに、ずっとイビっとったやろ。あれが可哀想で、可哀想で。そりゃ精神的に追い込まれて、お化けも見るわと思ったわ。
女将はおっこのおばあちゃんであると同時に自分の仕事に対してプライドをもっている。おっこに対して強めの言葉をかけるのは仕事に関わる部分だけだ。
ただ、おっこの立ち振舞が上手になっていくことについてコメントするようなシーンはなかったので、全体の印象として女将がフォローをしていないようにみえ、それが「ずっとイビっとった」というように記憶される可能性は考えられるかもしれない。しかし、女将がおっこへの気遣いがないわけではない。裾の長さや、温泉プリンの差し入れなど、おっこに対して明確に気遣いを見せるシーンが存在する。
なにゆえこの夫婦が女将に対して悪印象を持つか意味がわからない。
純士 若おかみとして旅館の看板を背負って成長していく感動の物語……って言うけど、そもそもあの子が望んだ職業じゃないでしょ。最初はいやがってたわけだし、あの子には選択権もなかったわけだから。
嫌がっている描写はない。
つぶやきが誤解され若女将の仕事が始まるわけだが、誤解される途中驚く描写はあるが、否定したり嫌がったりしている描写はない。
選択権がない、というのものどの描写をもって言っているのか不明。旅館に引っ越すための条件として手伝いことを強制されるといった、それこそこの夫婦が想像するような鬼畜じみた人間性の描写があれば別だが、そのような描写はない。ここでもないシーンを勝手に想像して自ら悪印象を植え付けている。
親が死んだばかりで弱ってる少女を、お化けを使って洗脳して、勝手に人格まで形成しちゃう。あの調子だと、おっこは旅館が潰れるまでおかみじゃないですか。可哀想に。
前述の通り、旅館が経済的に困窮している描写はない。おそらく、潰れた旅館を立て直すというステロタイプなストーリーに誤読していると思われる。
お化けを使って、というのも意味がわからない。うりぼうたちは自発的におっこに対して働きかえけこそすれ、旅館側は幽霊については一貫して認識していない。
純士 おまけにやたらと界隈で人が死ぬし。
麗子 命を軽視しすぎやねん。ああいうのは、子供が真に受けて見てしまう恐れがある。「死んでもまた会える」と思ったら命を軽視するから、あれはアカン。
作中での死者は、
で、大半が作中ですでに故人であり、冒頭の事故以外に死者が出るわけではない。本当の同じ映画を見ていたのだろうか。それを受けての「命を軽視しすぎる」発言も何を見ていっているのが不明。
おっこは死者すべてをみえるわけではなく、うりぼうと美陽の二人だけがみえるだけ(それも能力自体が徐々に弱まって、最後にはなくなる)。
うりぼうと美陽が見えることで、たとえばそれを女将やピンフリにつたえ、死者と伝えられなかった思いなどを相互にやりとりするようなことができたかもしれない。そんなシーンはおそらく女将やピンフリの感情を強く揺れ動かすことができる、感動的なシーンになるだろう。感動的ではあるが、それこそ死後また会えるというような誤解を生む安易に感動に走ったストーリーだ。
そしそてそんなシーンは存在しない。
おっこが両親に会えるのは幽霊が見える能力のためではないと思われる。おっこが両親を見えるのは夢と、本人にはそのように見えているというレベルでしかない。(他の幽霊たちがおっこの両親とやりとりするようなシーンはないため、そのように想定される)また、両親の姿を幻視することも、その死をうけいれることで無くなることが示唆されている。
亡くなった人のことを思うこと、それを受け入れることは命を軽視することにあたるのか
純士 いや、作者は決して命を軽視してないと思うよ。「死を暗いものにしないように」と考えて、子ども向けに「愛と希望」に持っていこうとしただけでしょう。ただ、おひよ(妻の愛称)みたいに揚げ足を取る人間が出てくるのも仕方がない作りではありました。
前半主人公が両親の死に対してのリアクションする描写を見せなかったことが抑圧から爆発のメリハリになっていたと感じたし、その爆発によって、主人公もしっかりと暗い死の影を感じていて、それをいかに受け入れ乗り越えるかが最大の見せ場だった、と筆者は感じた。
つまり十分に死が暗いものであるという認識ができる作りになっているし、むしろ”子ども向けに「愛と希望」” というのが一体どの部分をみてそう思ったのか本当に意味がわからない。
純士 占い師の女がポルシェを走らせてるときに、謎のアニソンがかかったじゃないですか。あれを聴いて、殺意が芽生えましたよ(笑)。
――えっ? そうですか? あの曲、キャッチーでとてもいいし、オープンカーの開放感とのマッチングも最高だと思ったのですが。
純士 てことは、お前も作者側の人間なんだな。髪をかき上げて、サングラスをかけて、ストローを使わずにお酒を飲んで、オープンカーに乗って外へ連れ出してくれて、高級な服やらなんやらを買い与えてくれる。そういうお姉さんがいたら格好いいだろうな……という作者の価値観、作者のオタク脳を、俺は許せない。実際あんなことをできるのは、歌舞伎町の風俗嬢ぐらいのもんですよ。それを勝手に美化しやがって。気持ち悪い。
宮崎駿作品は持ち上げるが、現実にありえない理想化されたキャラクター像をもってこの作品を腐すというのはダブルスタンダードではないか。
また「実際あんなことをできるのは、歌舞伎町の風俗嬢ぐらいのもんですよ。それを勝手に美化しやがって。気持ち悪い」に至っては本人の露骨な職業差別意識がでていて目も当てられない。
以上、はっきり妄言の類といって差し支えない内容だと思うが、この内容を本気で受け取って映画を見ない選択をしてしまう人がいたらそれは大きな損失である。今すぐこんなサイトは閉じて(略
最近なら北海道の停電で医療機器が止まって子どもが死んだ、って話から原発の必要性を語るツイートがたくさんあった。児童虐待で子どもが死んでどうのこうの、という話もあったと思う。
「人が死ぬ」ことは一般的に、絶対に避けないといけないことだとされている。貧困で餓死したら、事故死したら、停電で生命維持装置が止まって死んだら、全てはいけないことであり、対策が検討される。
これ自体はまさに人類が人類として生きるための叡智であり、その歩みを止めてはならない。
しかし一方で、そのあまりにも正しすぎる道徳は、往々にして議論を無意味にする。
前に出したように、原発を動かさないと人が死ぬ、電力不足は人を殺すのだ、と主張が一時期大いになされた。もちろん道徳的で非常によい意見だ。だが現実的ではない。
現代のようなある程度人権が確保され、安定した平和な世界では、「◯◯をしないと人が死ぬ」という意見は、「我々には関係ない人が死ぬようにしろ」と同意なのではないかと思う。
世界が、社会がどんどん安定して簡単には人が死ななくなった結果、1人を救うリソースがインフレしているのではないか。残念ながら人類のリソースは有限であり、強引にリソースを増加させる行為は別の人を殺す。
話を戻すと、電力不足は確かに人を殺すだろう。だが、現代社会において電力不足の解消が救う命は、解消のために費やしたリソースのために死ぬ人より多いのだろうか。
そうしたとき、「◯◯をしないと人が死ぬ」=「◯◯をして人を助けろ」という意見は、「死ぬべき人はこの人ではない、別の人だ」=「他の誰かを犠牲にしろ」に容易に置き換わる。もちろん、人類は道徳を大事にするので、表立って他人を犠牲にしろとは言わない。言わないが、やっていることが同じだとすれば、鬼畜の所業と言えるだろう。
我々は表立って言わなくとも、社会のために、もっと言えば自分のために、常に誰かを犠牲にしている。もちろんそれは巧妙に隠され、少なくとも日常的に出会うものではない。
だが社会問題を語るとき、そこから目を背けることはできないはずだ。目を背けるべきでないにも関わらず強引にそれをすれば、我々には見えない生贄を際限なく増やすだろう。
私は、不完全な人類社会において、人が死ぬことは仕方ないと思う。だが、それがなぜ仕方ないのか、我々は正しい生贄を選んでいるのか、そして生贄をどう選ぶか、というトロッコ問題に悩み続けなくてはいけない。
無限にある分岐先のうち、どこで何人の人を跳ねるかなんて問題に正解があるわけがない。だが、自分の気に入った人を殺したくないとトロッコをどこかに追いやって満足する人間が、私は死ぬほど嫌いだ。それは間違っている。
私は死ぬべき人が死ぬべきだと思っている。線路のポイントを切り替えるべきではないと思っている。どうしても切り替えたいのなら、相応の覚悟がほしい。
AVなんかだと実店舗の品揃えとオンラインとの差があったりするわけだけど、実はこれって結構認識の差を生む状況でもあるかなぁと。
先日Twitterでネットの(それも違法の)エロランキングで鬼畜がどうのと言う人がいたけれど、TSUTAYAの実店舗だったり、実際のコミケだとそれほどメジャーではなかったりする。
絵柄が絵柄なんで目立ちやすいというのもあるけど、AV借りる時でも一人ならともかく友人と借りたりする時はネタでない限り大抵そういうのは避ける事が多い。
BLの検索避け程ではないけれど、やはりアングラという場でないとあまりおおっぴらにする性癖ではないという感覚が大抵の人はあるみたい。
だから実店舗の品揃えと(なにせ借りる率に響くから)、ネットで目がつくもの、それも違法だったりとアングラ性が増せば増す程、その手のものの割合は大きい。
これはネットはアングラ的な商売をしていたという流れも関係してて、それだけにネットだけで探そうとすればする程認識に差が出てしまうとは思う。
個人的にはこの流れ自体はあまりよく無くて、ネットにおけるゾーニングの問題は(フィルタリングと言うべきか)別個に考えるべきだろうとは思っていたりする。
少なくとも痴漢で検索かけて、AVばかりが並び、痴漢被害の話が1ページ目にはまったく出てこないというのは、ちょっとまずいかなぁと。
いや、身体はキャラクターの立場や関係性を暗示するものとして描かれてて、白紙とはまた違うんじゃないか。
鬼畜キャラ=黒髪ストレート・細目・肩が広くて角ばってる・長身・筋肉そうでもない。
こういうところ男性漫画のキャラよりもずっと画一化……というか、抜けようにも抜けられないお約束に満ち溢れている。
男性漫画の場合はキャラクターの関係でななく、個人の持つフェチズム的特性が中心に描かれているのかな。
そういう対比になると思う。
【会社】関空連絡橋に衝突したタンカー「宝運丸」所有会社である日之出海運のHP鯖落ち
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1536051013/
282名無しさん@1周年2018/09/04(火) 19:15:57.43ID:CdSW5uAc0
同業者だけどこれは完全に関西エアポート側の引き起こした人災な
関空向けジェット燃料積む前にはわざわざ人が立ち入って危険なタンク掃除をさせられる
着桟とか停泊ポイントとか揚荷役の手順とかルールとかおそらく日本で一番厳しい理不尽ルールのオンパレード
13時から暴風圏に入ってたのに12時まで揚荷役させるなんて鬼畜の極み
事故起こして当たり前