はてなキーワード: 視覚とは
定期的にイベントに参加して新作を出す。しかし拙作の小説に絵描様に表紙を描いて頂きたいと思ったことはない。
もちろん絵描きさんが私の作品を見て、この場面を絵にしましたと描いていただいたりなんかすると天に昇る気分だし、五体投地したくなる。それでもやっぱり表紙にキャラのイラストや挿絵は入れたくない。
小説は読み手がその世界をイメージしていくものだ。そこにキャラのイラストが入ってしまうとその世界のイメージが出だしから決まってしまう。それだけ絵描きさんの視覚の力は強いのだ。
イベントでキャラの表紙のイラストの小説を置いていたら見本で中を見て「なんだ小説か」と返されたという話を聞いたことがある。それを書き手が目の前にいるイベントで口にする行為は全く賛成できないが気持ちは正直分からなくもない。
憧れの絵描きさんに描いていただいた一枚なのかもしれない。
それでもやっぱり私は自作にはキャラのイラストをつけたくないのだ。私がこの先も拙作にキャラのイラストを入れることはない。入れている他の書き手の方に対してどうこう言う気持ちも無い。ただ私のように入れなくないと思っているという考え方もある、と呟かせてほしい。
通ってたコンピュータ系専門学校では、1年生は基礎的な事を勉強する。それこそPCの電源の付け方からだ。
そんな中、とあるデータから表とグラフを手描きで作成する課題が出された。
パソコンの経験がある生徒は「表計算ソフトがあるのに、わざわざ手描きなんて全くの無駄」と不満を言った。
しかしこの課題の意図は、一見無意味な文字・数字の羅列から意味のある「情報」へと視覚化する表現方法を学ぶことだった。
「手描きも出来ないのに、Excel使っても良いのができない」とは講師の談。
デキる人は手描きだろうが関係ないが、大学へも行けない偏差値の連中が多い(多かっただろうなぁ)生徒を叩き込むには、いい課題だったと思う。
※ミサンドリー(男性蔑視的)な話なので男性が読むと不快になると思います。
私は若くて綺麗な同性同士が仲良くしてる所を見るのが好きだ。
どちらも同性愛だけど、でも同性愛というテーマが好きなわけではない。
コンテンツに何を求め、どんな快を得ているかを突き詰めると自分の精神構造がよくわかった。
まず「同性同士であれば男も女も同じように」というわけではなく、
やっぱり男か女かで萌え方は違う。
BLのエロは楽しい。エロは精神と身体を手っ取り早く収奪する行為だから。
でも百合は二人の心の結び付きが大事で、精神と身体を収奪するようなエロはいらない。
ちなみにBLはセックスシーンがなくても良いのだが、その場合もセックス以外の方法で性的な心身の搾取はしているからこれもエロと定義している。
結論としては、私のBL好きも百合好きも、現実のホモソーシャルへの憎しみという同根から来ているようだ。
現実では男が悉く女を侵害してきて苦しいから、男を憎んでいるから、侮蔑したくて、BLでは搾取していじめている。
「男は排除して女だけで楽しく利益を独占し、男はコンテンツとして消費したり、従属させて都合よく使いたい」
この見方に気づいたとき、自分の心の解釈が一気に分かりやすくなった気がする。
とはいえ現実のホモソーシャルの男と女の位置をそのまま裏返したいわけではない。
私の理想とする女の同性連帯は、ホモソーシャルとは違って、女性間でのヒエラルキーも同性愛フォビアもない。
女でさえあれば多様性が認められ、コミュニティに参加するための贄や儀式も必要ない、マイルドで優しい世界だ。
その上で男には冷たいのは、今までやられた侮蔑と収奪を取り返すだけはしたい。
という感じだ。
十分取り返せて気がすんだら、男も多様性の仲間に入れてあげる。
ところで「若くて綺麗な同性同士が仲良くしてる所を見るのが好き」の「若くて綺麗な」という限定条件にはルッキズムとエイジズムがあるようだが、
若くて綺麗な子が好きといっても、
百合に関しては対象が年とってても美形じゃなくても萌えられる。
単に若くて綺麗な子同士だと視覚的な華という楽しみが増えるってだけ。
一方BLは若い美形以外、私が性的に消費できる対象じゃないからまったく興味ないです。
この辺もホモソーシャルの裏返しっぽいな。
FANTASTICAというレーベルがある。
作品数ベースではダントツトップのグラビアVRレーベルである。
これまで500本近い作品を世に送り出している。
ところがFANTASTICAの作品はマアー、モデルと目が合わない。
どこ見てんだよ、こっち見ろよ、っていう感じの作品ばかりである。
対面していてもモデルの視線は左右にふらふら泳いで、バッチリ目が合うということがない。
かわいいビキニの女の子が目の前にいてふたりきりなのに、俺のことを見てくれないのである。
特売300円のアダルトVRのAV嬢とはちゃんと目が合うのに、2,000円もするグラビアVRのモデルと目が合わない。
そんな理不尽があるか。
こんなの原因は単純で、「モデルが片方のレンズを見てしまっている」のである。
VRカメラにはレンズが左右ふたつ(かそれ以上)あって、モデルがどちらか片方のレンズを注視するともう片方からは視線がはずれる。
その映像をVRゴーグルで見ると、こめかみのあたりを見られているような感じになる。
人間の脳は片目だけ視線が交差していても目が合っているとは感じないらしいのだ。
では、ちゃんと目が合っている映像を撮るにはどうすればよいか?
ちゃんと目が合っている(と感じる)作品を再生しながら片方ずつ目をつぶってみればよい。
右目で見ている像も左目で見ている像も、実はどちらもモデルとは目が合っておらず、モデルの目線はいずれも少し内側(鼻寄り)を見ている。
ところがこれを両目で見るとあら不思議、ドンピシャで目が合っているように感じるのである。
こんな簡単に確認できてモデルへの指示だってたった一言で済むようなことすらまともにできないままダラダラと使い物にならない作品を世に出し続けているFANTASTICAというレーベルの制作現場はマジで馬鹿しかいないのかなと心配になる。
ちなみにアダルト業界はこんなこととっくのむかしに気づいていて、VRアダルトのかなり初期のある作品では「どこ見ればいいの?」「レンズじゃなくて、真ん中!」という女優とディレクターの現場のやり取りを見ることができる。
目線に限らずアダルトVR業界は表現の熟成にとても熱心で、2016~2017年頃の作品を発売順に見ていくと、様々なトライ&エラーを繰り返してカメラアングルや配置、技法や演出が日に日に洗練されていくのが見て取れる。
そしてアダルトVRにはCASANOVAというVR専業レーベルがあり、CASANOVAはおそらくFANTASTICAと同じ会社である。同じ制作会社のアダルト部門とグラビア部門みたいな感じだろう。そして不思議なことに、CASANOVAの作品では女優たちとちゃんと目が合うのである。
AV部門にはノウハウがあるが、グラビア部門に共有されていないか。
何年か前に女体型の大型オナホを買った俺だが、今日ついに中華製リアルドールに手を出すことにした。
手を出すことを決意した理由だが、元々以下のような理由でずっと悩んでいた。
一方で流石に視姦用に6万円近い出費は厳しいし保管場所だの万が一必要なくなった場合の始末だので困るのは目に見えていたため購入を躊躇っていた。
あなたは今何を履いているだろうか。
10年くらい前はトランクスがまだまだ優勢だったように思うが、今やボクサーブリーフが主流になっている。
かつてはボクサーブリーフは気取っていて気持ち悪いなと思っていたが、今やボクサーブリーフの虜になっている。
おしっこは外に漏れない。陰〇はある程度の自由さがある。クローズされているので、においが外に出るのも防げる。
最近のパンツは素材も良いので密着している布の面積が大きくても気にならない。
単なるブリーフだと陰〇の大きさが如実に強調されて恥ずかしいが、ボクサーブリーフの場合は視覚的に優しい。
私はオムツ→白ブリーフ→オムツ→トランクス→ボクサーブリーフという変遷で来ている。ボクサーブリーフを超えるパンツなど想像できないが、今後の長い人生あと何回履くものが変わるだろうか。
この話は、自身の感じ方とそれに対する個人的考察を述べただけのものである、ということを前置きにさせていただく。
同じ現象によく陥る、という方がいらっしゃったら少し嬉しく感じるし「現象は同じだけど理由は違うなぁ」と感じる方がもしもいたら、その「違った理由」もまた、知ってみたい。
そんな好奇心から、この記事を書いてみようと思った次第である。
私は創作することが大好きだ。絵を描くのも文章を書くのも大好きで、常に何かしら描いたり書いたりしている。
今、とあるジャンルのとあるCPに大変萌えており、二次創作をガツガツとしている。ちなみにこのジャンルでは絵を描くことはほとんどなく、専ら小説を生成している。
このCPにハマったのはかれこれ二年前だ。ハマりたての頃はそれはもう他の方の二次創作をドッカンドッカン摂取させていただいていた。来る日も来る日も夜更かしして、タグ検索でヒットしたイラストや漫画や小説を漁り、いいねをつけてブクマをする日々を送っていた。
素晴らしい作品を摂取しまくりブクブクに肥えた私は、次第にこのCPでの好きなシチュエーションや萌える会話などを脳内で錬成し始め、自分の性癖によりフィットした作品を読みたいと思い始めるようになる。美味しいものを食べると舌が肥えるのとよく似ている。
かくして私は「フゥゥゥ…萌え…フゥゥ…自分で小説書いてみるか…フゥゥ…」と、脂汗をハンケチで拭き取りながら、息荒くこのCPの創作を始めた。
漫画ではなく小説という方法を選んだ理由は、そっちの方が完成が速いと思ったからだ。私は絵を描く時は紙と鉛筆を使うので、ベッドで寝ながら作業できないというのが大きい。
脳内に公式の二人のビジュアルを思い浮かべる。自分が妄想した萌える会話を公式CVで再生してみる。準備万端である。
数週間後、無事に書き終わりwebに公開した。正直自分で何度も読み返して萌え狂った。創作ってぇのはホントにやめられねぇなぁてやんでぇ!と、何故かべらんめぇ口調になるほどだった。いいねやブクマ、コメントもポツポツあって、もう嬉しい楽しい大好き状態だった。毎日心の中で小さな私が小躍りしていた。
そんな風にして、萌えるネタを思いつく度に小説を書くということを続けた。公式絵と公式CVを脳内再生しながら紡ぐ妄想の世界は本当に幸福で、脳汁がジュワジュワと滲み出てくる。
相変わらず自分の作品を読み返しては萌え転げるというルーティンも変わらず続いた。いつでも私は、自分の創作物が物凄く好きなのであった。(余談だが創作物は好きでも自身の人間性等への肯定感はほぼゼロである。この話は長くなるので今回は割愛)
そんな日々を続けていると、やはりCPへの解釈がズンズン深くなっていく。ここが二次創作の面白いところだなと思うのだが、みな同じもの(公式)を見ている筈なのに、抜き取るポイントや読み取る行間の位置が違うのである。だからこそその人だけの「解釈」が生まれる。なんて素敵で面白いのだろう。
しかしだ。私はこの時に気づいた。「あれ?そういえば私、他の方が書いたこのCPの小説、めっきり読まなくなったな…」と。理由は恐らく、CPへの解釈が深まったからであろう。深まれば深まるほど、そうじゃない解釈の作品を読もうとする気力が起きなくなる。最初の頃はあんなに息をするように読んでいたのに、なんだか悲しいことである。
解釈とは、色のようなものであると思う。だから相性の良し悪しがある。混ざり合ってなんとも綺麗なマーブル模様になる組み合わせもあるし、きっとそうじゃない組み合わせもある。そして解釈を深めれば深めるほど「相性が良い」ものと出会う確率は、減っていく気がするのだ。
一年半ほど経って、私はすっかり他の方が書いたこのCPの小説を読まなくなっていた。読むのは「著者」として既に知っている好きな方の新作だけ。
だがしかし!ここからが不可解なところなのだが、小説は読まないくせに漫画やイラストは相変わらず見ているのである。何故!?小説の方が時間がかかるから?いや、時間ではない。だって私が他の方の小説を読まなくなった理由は「解釈の相性の良し悪し」だった筈だ。それが本当の理由なら、漫画やイラストにだってそれは適用される筈である。何故私はイラストや漫画だけは今も見境いなく探して読んでフゴフゴ言っているのだろうか?小説に対してだけやたら審査が厳しくないか?何故????
しばらく考えてみて「はっ!」と気付いたことがあった。それは、私が自分で小説を書く時「公式絵、公式CV」を脳内再生していることに由来してるのでは、ということだ。
小説は文章以外の情報がない。読みながら景色を想像して、キャラクターの仕草を思い描いて、セリフの声を脳内再生する。
そう。他の方の小説を読む時も私の脳内で再生されるのは「公式絵、公式CV」なのである。そして自分の中で充分に育ってしまっている解釈。この二つが同時に発生するから、他の方の小説を読んだ時に矛盾が生じやすくなってしまうのだ。「〇〇はこういうこと言わないと思うなぁ」とか「××はこういう表情しないんだよなぁ」とか、ピーチクパーチクと、そんなしょーーーーーーもないことを感じてしまうのだ。
これが漫画やイラストだったら。そうなのである。当たり前だが「公式絵、公式CV」がわざわざ脳内で発動されない。その方の描くそのキャラクターの映像のままなのである。その方の描くキャラがその方の解釈で描かれているから、特に矛盾が生じないのだ。視覚でも同時に情報を得られるから、脳内と視覚のズレがないのである。
この答えに辿り着いた時、メチャクチャ「な、なるほど!」となった。ストンと納得できた。そして他の方が書いた小説をモリモリ読みたくなった時は、脳内で「公式絵、公式CV」を発動させなければ良いのだということも分かった。(これが多分物凄く難しい。私は拗らせすぎてこのCPに限り自分の絵すらあんまり萌えなくなってしまった)
これを読んで「わかる!」と感じた文字書き様もいらっしゃるだろうし「さっぱり分からん」と思った文字書き様もいらっしゃるだろう。いろんな感じ方、考え方を知ってみたいと純粋にそう思っているところである。
◼️物忘れが激しい
・予定をわすれる
発生した予定は予定が発生した時点で、スマホのカレンダーに登録してその前日に通知が表示されるように設定する。
・ものをがなくなる
重要物の場所、毎日使うものについては位置を固定化する。どんな事情があっても使い終わったタイミングでもとにもどす。
・忘れ物がおおい
翌日出かけで必要なものがあるようなら、前日までに用意して前日に玄関においておく。保冷剤など、当日に用意しなければならない場合は玄関の扉にメモをはる。
・掃除ができない、維持できない
わたしもできない。。
→ごみ
ごみ捨てはまず分別の種類分のゴミ箱とよくわからない箱を用意、ごみをゴミ箱にすてる。
ゴミの判別がつかない場合は、ひとまずよくわからない箱にいれる。あとで両親に分別について相談する。(わたしは面倒だから燃えそうなら全部もえるごみ袋にいれる)
平日は何らかのゴミ捨てである場合がおおいから、前日に翌日のごみの日は何かチェックしてまとめ、玄関におき、当日の朝捨てる。
→整理
絶対になくしてはいけないもの(重要物、毎日つかうもの)だけ特別な箱を用意してそこにいれる、それ以外はなんでも箱にいれる。
◼️会話の内容が把握できない
わたしもできなくてこまってる。わたしは会話の内容をはなしてる最中に忘れていってしまう。
ただ要点をつかめないについては、小説の内容を140字以内にまとめるって練習が少し役にたった気がする。
・テスト用紙を折って見えないようにする
◼️聴覚過敏
わたしもこまってる。
自分は話をまとめるのが苦手で、話したい話題があると2時間~4時間ほど喋ってしまいます。
だから長く見積もっても30分ほどしかない精神科の診察では言いたいことも言えないし、聞きたいことも聞けない。
精神科を受診して発達障害のテストを受ける要因となった悩みの数々は、依然として解決していないです。
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悩みについて具体的に書くと、下記のような感じです。
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・物忘れが激しい
予定を忘れたり、ひきこもりだから生活範囲は自室だけなのに、物をよく無くします。
通院時に携帯すべきものを忘れがちです(保冷剤入りのバッグとか)。
部屋が荒れているので掃除しようとするけど、ゴミ捨てできる曜日や、仕分けの状況を把握できなくなり断念してしまいます。もはや断捨離でしか片付けられない感じ。
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・短い単語なら聞き取れるが、会話になると相手の言っていることを把握できなくなる。自分が話しているときも同様の症状に見舞われる。
スカイプを利用した通話なら、内容を録音して後日書き起こしすれば内容を把握できます。だけど、電話口や外ではそんなことはできません。
発達障害のテストの結果には「言われた内容の中から重要なところに注目することが難しく、結果として話の本筋がわからないことに繋がっている」と書いてあります。
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縦書きなら普通に読めます。現在も電子書籍で「コンビニ人間」を読んでいます。
高認試験を受ける予定があるので勉強中なんだけど、とても困っています。
精神科医からは「定規を使って視覚情報を制限しろ」と言われたんだけど、他に方法はないですか?
高認試験の本番で定規の持ち込みが可能なのか不安なので、別の方法があるのならそちらも試したいです。
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・聴覚過敏
物音がとても苦手です。以前住んでいた家では、一階のトイレの音や隣家の生活音が気になって辛かったです。
遮音効果を期待して、2階の床に畳を並べて床板を厚くしたこともあります。
現在は街宣車と、暴走族と、エーコープの訪問販売と、雷と、犬の遠吠と、ほぼ毎日発生している両親の口論が辛いです。
精神科で「ストラテラ」を処方されて一週間ほどになります。効果が出るまで4~6週間ほどかかると知り、頭を抱えています。
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悩みについて書き出すときりがないんですが、近々のうちになんとかしたい問題は以上です。
この日記を見たかたでアドバイスをできるかたがいましたら、ぜひとも書き込んでいただきたいです。よろしくおねがいします。
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【追記】
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>>https://anond.hatelabo.jp/20190926130547
>>でも横書きの文章が読めないのによく増田利用しようと思ったよな。縦書き表示に変換するChromeのアドオンとかあるの?
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「横書きが全く読めない」ということではなく、「横書きの長文が読めない」あるいは「横書き+記入欄の混在が読めない」と言った感じです。
例えばですが、スマホから閲覧する場合は「文字のサイズを大きくすることで、一行あたりの文字数を減らして」対処しています。
一方で、教科書や契約書の場合は一行あたりの文字数を調整できないので、苦戦することになります。
高認試験の申し込み用紙などは「文字が小さい+文字数が多い+記入欄が存在する」に加えて、「手引書が読みにくい」だったため、母親に代筆をお願いしました。
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アノニマスダイアリーに書き込んだのは、「以前にも書き込んだことがあったこと」「ASDの症状について、不特定多数に相談する場所として勧められたこと」が理由となります。
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本当に悩んでいたので、こうして返信(アドバイス)をいただけてほっとしています。
皆さんありがとう。