以前、青い鳥でセックス依存症の漫画がバズっていたと思うんだけど。自分がそれなのか、はたまたただ単にセックスという行為が好きなのかが分からない。
たしかにセックスによって安心感や自己肯定感、喪失感を埋められないことはない。だがそれは、自分自身がそう思えるように錯覚しているだけなのではないかと考えてしまう。自分はただのセックス狂いなのではないかとも考えてしまう。
診断によって、セックス依存症という病名がついたところで「あぁ、自分は病気だったのか」という安堵感は一切ない。あるのは焦りと諦めだと思う。セックス依存症などと病名をつけられて喜ぶ輩がいるのだろうか、いたら連れてきてほしい。自分はそんな病名をつけられた日には死にたくなるだろう。
なぜ?と思う人もいると思う。だがそれは普通にパートナーのみがある一定の周期でセックスをしてくれているから。パートナーのみの愛情を一心に受け取っているからだろう。
自分にもパートナーはいる。愛情も一心に受け取っている。受け取っているのだ、ひたむきに真っ直ぐに。だがそれだけでは足りない。足りなすぎる。飢えるというこの現代社会では不釣り合いな言葉がぴったりと合うほどに。自分だってパートナーからの愛情で満足したい。満たされたい。なぜ飢えて仕方ないのだ。自分はなんなのだ。どうしてほしいのだ。飢えて飢えてしかたがない。つらい。くるしい。
他にも自分と同じ人がいるのであればなんでもいいので話してほしい。