はてなキーワード: 無意識とは
どこか見下したような気持ちになっている女性も居るのではないでしょうか。
30代になるまで童貞だったようなモテない男性は、寄ってきた女性に対して、
「イケメン好きの癖に、嫁き遅れるのが怖くなったから妥協した結果が俺なんだろ?」
「今頃になって近寄って来やがってこのクソババアが。俺は女子中学生がいいんだ」
その感情を素直に表に出すのか、胸に秘めたまま呪い続けるのかは男性の性格によりますが、
どちらにせよ若い頃にモテなかった恨みや女性への憎しみを持っていることは確実です。
モテない男ほど、自分が男性に生まれたことで得した経験が少ないため、
特にレディースデーや女性専用車両など、女性優遇サービスについては強い憎悪を抱いています。
そして女性に生まれるデメリット(妊娠出産で退職を余儀なくされたり収入が伸び悩むことや、
経験が無いから気配りが出来ないのではなく、ただでさえ世の中は男性差別でいっぱいなのに、
なぜ更に女性を優遇してやらねばならないのかという発想から来ている言動なので、変わることは永久にありません。
こうして男性に雑に扱われた女性は、年齢より早く老化していくでしょう。
女性を恨んでおらず、お互いをいたわりあえる男性と交際するべきです。
女性といえばアイドルや二次元美少女キャラクターしか知りません。
だからグラビアアイドルやAV女優などの身体を無意識のうちに「普通」と認識していますし、
二次元美少女キャラクターの振る舞いやセリフを「女なら当然」と認識しています。
「(二次元と比べて)強欲で可愛げがない。性根が腐ってるなあ」
「(AV女優と比べて)感じにくいなあ、不感症なのかな?欠陥品掴まされちゃったかな」と感じます。
要するに30代童貞は、あなたの身体や性格をゴミと認識するのです。
傷つくのが嫌いな方は、絶対に付き合うべきではありません。
日の明かりに照らさせ、風に揺れる花を見るたびに泣いてしまう。
この前もスーパーに行ったとき、品出しをしている店員がお局的な女性に怒られているのを目にして、つい涙ぐんでしまった。
私は今、体調を崩してしまって休業しているのだけど、朝、日の光を感じて起きるたびに泣きそうになる。
というか、泣いた。
一筋の涙がすぅーっと頬を流れ、無意識にも泣いていた。
社内では妙なパワーバランスが働いていて、一種のカルト集団のようになっている。
Aさんの意見は絶対で、それは彼が社長のご子息だからというだけでは説明できないような雰囲気が漂っている。
Aさんは言う。今のままじゃ駄目だと。
社員一人ひとりを身内のように扱うことは、心地がよかった。
私は違うと声を上げたが、周りから向けられる視線は冷たかった。
居場所を失った気がした。
私は体調を崩し、休職を申し出た。
今日も朝から増田を延々と読んでは、クスッと笑ってしまう投稿を見ながらも心の隅では常に冷めている。
もう頬は濡らしたくない。
27歳社会人
小学生のころから「自分はお母さんとお父さんが好きすぎるので、2人が死んだらショック死してしまうと思うからこれ以上好きにならないように離れなければいけない」と思っていた
高校時代は部活とバイトで家にいる時間を少なくし、大学入学と共に実家を出て、そこからずっと一人暮らししているし実家に帰る頻度は低い方だと思う
ありがたいことにいい友達に恵まれ、恋人もいるのでさみしさは紛れているけど
ふとした瞬間にお母さんとお父さんにたくさん甘えることができた幼稚園時代を思い出して泣いてしまう
もちろん大好きなのでそっけなくしたり暴言を吐くことはないけど、お母さんとお父さんは私の気持ちを知らないので「実家嫌いなのかなあ」と思っているかもしれない
そう思うと泣いてしまう
本当は今でもたくさん甘えたいし色んな話がしたい
なんかこう、ツンツンまではいかないけど完全に自立している娘を無意識に演じてる感じ 自分のために
最近やっと大学から受け続けてた税理士試験に完全合格したんだけど
それを伝えるとお祝い何がいい?ってお母さんが聞いてくれて
本当は抱っこしてほしいって言いたかったんだけどさすがに無理だったし
外面をかなぐり捨てて、本当の自分を見せれば、理解してくれる女性は必ず現れる。
近頃、ルッキズム、エイジズム、人種差別主義が糾弾されている。
でも実のところ、多くの人間が無意識にインストールされた差別主義からは自由になれない。
見た目がアイドルっぽいとか、健康で若い人が好き、のようなバイアスは強力に人間の価値観を捻じ曲げる。
だけど女性の中にも、ちゃんとマトモで理性的な人間が存在する。だから、男らしくあろうとして格好つけるようなウソをつかずに、ありのままに本当のピュアな自分自身を見せれば、本質的人間性を見てくれる人は出てきてくれる。絶対に。
人間を信じるんだ。
若手の頃の俺に似てるな。
そういう人って「作業工程を頭の中に描けない」か「描けるが一か所でもひっかかりがあると動けない」のどっちかで動けてないんだと思う。
他部署にデータでくださいって依頼する一見なんでもないタスクでも、細かく分解すると、
どのような形式でもらったらいいか考える⇒誰にお願いするかを決める⇒メールの文言を考える⇒メールccに誰を入れるか考える⇒メール送る・・・
とか、無意識にこなしてるだけで実際はいろいろ考えるポイントがある。
その工程を頭の中に描けないか、どこかで分からないポイントができるとそこで脳みそがストップしてしまって先を考えられなくなる、というイメージ。
あとは、過去に何かキツイ出来事があったりコミュニケーションが上手く行かなかった出来事があったりして
お願いすると何かキツイことを言われてしまうんじゃないか、嫌がられてしまうんじゃないかと、負のイメージが過剰に湧いてしまって動けないとかもあった。
幸いにも俺の場合は自分で言語化できてその辺を解いていけたけど、いずれにしても事情をよく聞いてケアしないとずっとそのままな気がする。
俺はそういう「思い描いた通りの人生の計画をきっちり進めたい」みたいな感覚自体がよくわからんわ。
逆にどういう風に育つとそういう感覚になるのか知りたい。
まあ、立派な両親に大事に育てられて学校生活も卒なくこなしたそこそこの優等生で、逆に言えば自分の身に余る領域からは無意識に足を遠ざけてきたようなタイプなんだろうなというのは想像に難くないけども。
中〇のスパイ云々とかは別にして、あれじゃ人はついてこないよなあと思った。
まあ出自的に売国が刷り込まれてるから、日本人をぶったたく無意識からの行動かもしれないけど。
卵が先かみたいな話。
売国はともかくとして、いかに中〇の支援があったとしても総理は無理だろうなと思う。
そこまで日本は堕ちてない。
colaboの話で連日ここも盛り上がっているが、ぶっちゃけ大半はどっちもしょーもないが若年女性が救われなくなるのは困るなぁぐらいの感覚だろう。
DV被害者女性などが駆け込む場所としてシェルターと称するアパートが事業として回されており、生活保護で支払える家賃で住めて画期的と言っているがこのやり方は人権先進国ではとうに通り過ぎて問題点すら明らかにされている。
それは保護される側とする側の間にどうしようもなく権利勾配が発生してしまうので、生殺与奪の権利を奪われた入居者が "自らの意志で" 辺野古基地建設反対デモに参加させられてしまったり、怪しい宗教に入信したり様々である。
日本でも古くから縁切り寺とかあったし、欧米でも教会などの宗教施設がシェルターの役割を果たしてきたのだが、宗教関係者も権力勾配で力を持ってしまうと無意識に良からぬ事をやってしまうのは想像に難くなく、牧師が未成年を…という例は珍しくない。
仁籐氏も自称保護女性の証言などを信じるなら、自分の救いたいタイプの弱者以外は認めないタイプだったと見受けられる
代表の仁藤夢乃さんには高校生時代に家出してた時に拾ってもらったからお世話になってはいたけど、活動を通して女の子に優しいイメージが思い浮かぶかと思うけど、この人のどうしても嫌いな要素があって、LINEの文面とかめちゃくちゃ言葉の圧が強い。あとはわ私が昔ロリィタやってて、可愛い服が好きだったんだけど、それを全否定されて「ジーンズの方が似合うよ、着なよ。私はこういう方が好き」と、ロリィタに大して偏見があるのか知らないけど、私が好きなものを否定された、という気持ちがずっと残っててそれだけ、と思われるかもしれないが全部が嫌いになりLINEもブロックした。
こんな人が権力勾配でシェルターに人を囲おうとしたらそりゃ合わない人も出てくる。現にcolaboで断られた人が流れてきたというのも証言もいくつかある。DVシェルターが次なるDVを招いているのである。
さらに行政支援の入ったシェルターは生活保護費の一部を家賃として受け取りながら弱者支援の名のもとに行政からも支援がもらえるので、欧米では既得権益として確立されている。ひとたび金づるが入ると大家は入居者が出ていく事を渋るのが人情なので無意識的にも権力勾配が働いて入居者の社会復帰が遅れる。
養分を食い散らかしながら表向きは弱者の味方を名乗るので攻撃されない、つまり言葉を選ばずに言えば既得権益化したシェルターは社会のがん細胞なのである。既に完成してしまったものに対する治療法はまだ確立されていない。
そもそも第三者が勘を働かせれば登記で場所を割り出せてしまうのでDV被害者を匿うのに不適格としか思えない社団所有の新築シェルターは、colaboの定款が黒塗りで非公開になっているために解散時に誰の持ち物になるのかすら意図的に隠されていて不気味なのだが、そんな時代遅れな方法に頼らずともその欠点を克服した手法があって「ハウジングファースト」と言う。
行政の支援によって一定の期間、民間の普通の賃貸に補助金で住むことができる、という物でポイントは支援者が大家や意思決定者ではないので権力の勾配が起きない点である。
ファーストと名の付く通り、支援団体などの意志など全く関係なく意見のソリが合わなくても何はともあれとりあえず自分のプライベートな住居が与えられるのである。その先にももちろん社会復帰の支援や医療などのサービスも用意されているが、当然すべてを拒絶しても構わないし、支援者に合鍵を渡す必要もない。
住居があれば仕事も見つけやすくなるし、多くは手にした生活を維持する為にどうにか家賃を払えるように自助努力をするモチベーションにもなり、いずれその住居で自立した生活を手にする。
日本でもいくつかハウジングファーストを頑張って支援していこうとしている団体があり、個人的に寄付を検討している。
軽く調べた感じハウジングファーストの名のもとに「住居は期間限定で提供するが過ぎたら出ていけ」とか「代わりに今住んでいる屋外のテントに二度と住まないと誓約しろ」といった間違ったハウジングファースト活動が行われているようだが、条件を付けている時点でファーストではない。出直すべきである。
colaboの活動に関して特にこれ以上言いたいことは無いが、東京都は弱者支援のための予算を悪用されにくい形で有効活用する義務がある。一人の都民として公正な使途を求める。
https://anond.hatelabo.jp/20221211130053
まずもってそんなに強烈に地雷を持つ女オタクに今まで出会った事が無い。
増田も自分と属性の違うものを作る同人作者を自分に対して不利益であると思う事はあるが、地雷という地雷はない。どうせすべては非公式なのだから好きに生きればいいと思っている。
ともかく、どちらに関してもエコーチェンバーというやつなのだろう。地雷がある人間の周囲に地雷がある人間が集まり、地雷が無い人間の周囲に地雷が無い人間が集まる。
だからこの増田には、地雷人間ばかりが集まったコミュニティの存在を否定する力はない。
しかしだからこそ「女」という分類は大きすぎて、雑すぎる。女=地雷があるという認識になったらなかなか困ると思ったのでこの増田を書いている。
ところでまだ理性の浅い小学生女子のコミュニティでは、だいたいクラスに1人前後、繊細なジャイアンみたいな奴が存在する。
この繊細なジャイアンとの付き合いは非常に難しい。やたらと首を突っ込んで来るくせに選択肢を一回間違えると即終了というハードモードである。
ゲームオーバーになると好きなだけ騒ぎ、被害者面で横暴を働く。
そして他の全員の間で、「こいつを不機嫌な状態にしておくとロクなことがない」という暗黙の了解が取れるのだ。
そこで他の者は何かしら対処をしようとする。
自分に矛先が向かう事を恐れ自ら取り巻きになる者、別のコミュニティを形成しなるべく距離を取ろうとする者、単純にうるせぇめんどくせぇと全く別の世界観で生きようとする者、
色んな人がいるが、とにかくジャイアンを不機嫌な状態にすることが全体の不利益である事は無意識的に持っているものなのだ。
一般人・公式の目に届かないようにという配慮が起源の文化だが、同時に自らの身を繊細なジャイアンから守る為の施策でもある。
先に言った通りエコーチェンバー的なバイアスはかかるかもしれないが、そんなに大きなダメージを伴う地雷を持つオタク女は別にさほど多くない。
大人になった繊細なジャイアンは、大人になってもなお繊細なままである。自分と異なる回答をした者に対し、価値観を否定されたと深く傷付き、戦う。
そしてここでも「繊細なジャイアンを不機嫌にしてはいけない、何故なら騒ぎ出すと手が付けられない」という暗黙のルールが蘇る。
だから繊細なジャイアンとは距離を作るのだ、こちらに来ないように案内を立てる。一枚ワンクッションを入れる。
ジャイアンがつっかかってこないように。
社会的な性規範の内在化されたものを心の性と呼ぶのは大きな誤りを孕んでいる気がしてならない。人間の心がまずあると仮定してもそこに性別があるなんてどう考えてもおかしな話である。これはLGBTの方々への権利の制限に賛成する話ではない。むしろあらゆる権利はあらゆる個人とあらゆる形式の集団に付与されるべきである。
婚姻制度なんてものはあらゆる人間のあらゆる組み合わせに対応すべきであり現在の状況がおかしい。そもそも法の下の平等概念からして法に男女という概念を持ち込んだやつの頭がどうかしている。同性婚を禁止している現民法はどう考えても憲法違反である。そして重婚を禁止するのも、複数人による婚姻を禁止するのも憲法違反である。というのが私の個人的な意見だ。また恋愛感情などという定義不可能なものを前提としない純粋な資本の接続制度に作り変えるべきだと信じている。これはただの意見だ。もちろん国家や宗教のいくつかのレゾンデートルの一つとして性規範の固定化があるのは言うまでもないことであるが、そもそも国家も性規範も大嫌いな私にそんなものを持ち出しても意味などないし届かない。
しかしそれはそれとして、心の性などというものは私には看過できない概念だ。そんなものは存在しない。血液型性格分類と変わらない無価値で有害な幻想だ。
近年、ある程度は心の性がない人という概念も広く知られはじめてはいるがそれはあくまで特別な人とされている。多くの人にはどちらかの心の性があると考えられている。これがおかしい。そんなものはある訳がない。常識的に物事を考えろ。心の性なんてものは元々人には備わっていない。これは事実であり現実だ。
心の性概念などというものはくだらぬ性規範が内在化されたものにすぎない。自由主義においては規範の内在化に反抗すべきであり、あらゆる性規範の破棄を求めるべきだ。社会的性などというものは当たり前だが許されない。そして性を前提とされない社会においては心の性なんてものはある意味がない。よって存在しない。そこにあるのはどういった生殖器が付いているかによる機械的分類だけだ。我々は人間である。まともな社会においてはそれより先にはなにも要らない。
女に生まれたが心の性が男である、というのは現在の性規範に縛られた糞のような観念だとあり得る。確かにあり得るがそれは性規範を内在化してしまっている、という意味では従前のゴミのような性別概念とほとんど差異はない。結局のところ自由度が2から4に増えるだけだ。そんなちっぽけな自由など自由ではない。無限のバリエーションのある心を二分法で分類する心の性と呼ばれるものなど許される訳がない。性規範を信じる人間と性差別者に本質的な差異などない。心の性なんてものはその実際として現在の性規範に照らし合わせて自身の価値観をどう縛り付けるかを考えより良いものを選択した結果にすぎない。二者択一のジェンダーのうちより自身にとって有利なものを意識的にもしくは無意識的に選択した結果に過ぎない。
心の性など存在しない。そもそも性別などは付いている生殖器の違いに過ぎない。付いている生殖器によって何かしらの束縛を受ける謂れなど我々にはない。自由主義において我々はこう言い切るべきではないのか。
そしてそもそも人は自らを知り得るのか。
恋愛は性欲の詩的表現を受けたものであると言う。恋愛感情という自己認識としてのその主観事実を否定するべきではないし、当人の自己認識は自由権のもとで尊重されるべきだ。しかし性欲について言及した今もう一度考えてみたい。人は独りでに心の性を持ち得るか?
持たない。上述のとおりである。
人はあくまでも社会的に心の性を与えられるだけである。もちろん心の性というものは確かに存在し得るがそれは生得的なものではなく獲得的なものである。身体機能としての性に一対一対応した心の性なんてものはない。ある訳がない。あるのは社会的性の役割であり、ジェンダーと呼ばれるものだ。
スカートを履き、可愛いものを好み、ピンク色が好きで、私立文系に進み、事務職をする、男に恋愛感情を抱く実存。のようなそういう唾棄すべきステレオタイプの集合を心の性と言っているにすぎない。
人が持つのは極めて純粋な身体機能としての性と、社会的な役割としての性の二つだけだ。そして後者は破壊すべき対象である。心の性などというものはそもそも存在すべきではない。