はてなキーワード: 枕草子とは
https://anond.hatelabo.jp/20211010213345
これへのブコメで、
こうして中身のない感想文が量産されるんやな
感想文は嘘つき大会だから正直で素直な子には書けない。面白かったの一言で終わるからな。自分の心の内ではなく他人からどう見られるかに関心がある人が得意だった記憶がある
他の人も言ってるけど書評と感想文は違う。そして感想文嫌いだった派からすると、そもそもなぜ本の感想で自分語りをするのかわからない。実は本の内容なんてどうでもいい自分大好き人間なのか。
こういうやつね。見苦しいな〜〜
じゃあわかった、
お前らが使ったそれらの貶し言葉を、俺はぜっったいに言わないって約束するからさ、
読書感想文じゃなくてもいいよ。
書いてみ。書ける?
ビジネステンプレでもネットコピペでも誰かとのレスバトルでもなくて、
元増田(大本の書評増田ではなくて感想文増田)も似たようなこと言ってると思うけどさ。
あった出来事の羅列ではなく、
その形のないものを捉えて言葉にできるなら、本当はなんだっていい。
本をトリガーにして自分の考えてることを書いてみろって言ってるの。
そんなコミュニケーションのチュートリアルみたいな課題をサボりまくってきたくせして、
お前らは一生ネットミームばっかり喋ってなにか言った気分になってろよ。
自分で考えたことを自分の言葉で表現できてるやつなんて、ネットを見回したって少数派だ。
枕草子がなんで千年も読みつがれてるかわかる?
春は明け方がいいよねー、夏は夜がいいよねー、なんてただのお気持ち文章が。
そりゃまあさ、当時の宮廷生活を描写した歴史的価値が、とか「をかし」の文学的価値が、とか色々言えるだろうけどさ、
枕草子こそが、「感じたことを言葉にするのは価値がある」と歴史に位置づけたはじめの作品だからだよ。
自分が何を美しいと思ったか、どんなときに嫌な気分になったか、何を見てどんな気持ちになったか、
そういう黙ってたら消えてしまういろんなことを言葉によってすくい上げることの喜びを、
歴史に残ったのは、中宮定子に捧げるためのものだった、って背景も含めてだけれど。
「中身のない感想文」なんてつまんねーこと言うけど、
自分が何を思ったか、自分で言葉にする努力をするのはそんなに簡単なことじゃない。
それをパズルみたいに並べて何かを言った気になれるならそれでもいいよ。
お前らがいいならそれでいい。
だからといって、真剣に自分の中に潜って、思ったことを自分の言葉にしてきた、
少なくともそうあろうと努力してきた、
数多の「読書感想文を書いてきた人たち」を、適当にバカにしてんじゃねーよ。
とにかくクソあっつくて、本当に勘弁してくれ、もうやめてくれ、助けて!!そういう季節なんだよな、夏
入道雲、イイっすねえ!みたいな気分になることはそりゃーあるが、実際じゃあ何がええんや、答えてみいと言われると、窮してしまう
まあ、デケーモコモコした白いものが、青い背景に映えていて、シンプルに美しいですよ、そういうことなんですが、そういうプリミティヴなことばっかり言っていると、脳まで原人に返ってしまう
とか言って、実際原始の人たちって入道雲をありがたがったりしてたのか?っていうとわかんねえ感じはするな 枕草子に入道雲の話でてこないもんな
なんの話かというと、夏は暑すぎてやってらんねえし、全然いいことないですよという話だった
ガキ時代、夏休みの暴力的な質量にダマされてしまって、夏=夏休み=自由、みてえな図式が頭に刻まれるのだが、じっさいに自由なのは休みの部分だけであり、要は、夏=夏、休み=自由ってことなのだ
夏休みが冬にあったら、みんな冬が大好きだと思いますよ、マジで
ヨーロピアン・サマーならまだしも、ジャパニーズ・サマーに愛され要素ないもん
湿度が高えんだよ
そこなんだよな要は
セミミンミン、日光ギラギラ、とかそういう話じゃなく、湿度72%とか、そういう方向から来るんだ、夏のイヤさは
そんで蚊なんかもすげーいるんだ
気がついたら身体中が腫れてるんだ
カラッとした暑さとの対峙とかじゃなく、四六時中囲まれて、ボデーを殴られ続けるんだ
そういう陰湿な季節なんだよな、夏
マジで嫌やねん 僕は嫌やねん
秋の方が絶対いいですよ 早く秋になろうぜ
もちろん数値データが必ず必要なわけではないし、数値データがあったところで、それをどう分析するかで結論も操作できることが多い。
ただし、数値データを必要としない場合ってのは、観測方法が成立されていないとか理由がある。
数値データの必要性を、「国民としてのアイデンティティ形成」に限定して書く。
が、この比較は教育では難しい。ある群に「教育的に行うべき」と考えられていることを「あえて行わない」ことが倫理的に許されにくいからだ。
日本の場合、古典教育を行わなかった時期は存在しない。そのため、時代を変えて比較することもできない。あえて行うなら、不登校層などになるかもしれないが、その場合その他の条件が異なりすぎる。その他のフリースクールなどを参照することも考えられるが、これも前提条件が異なりすぎて比較にならないだろう。
参照するなら、他国におけるデータになるだろう。これは探せば存在するかもしれない(以前は行っていたが行わなくなった、あるいは、行っていなかったものが行うようになった、など)。
また、短期間のデータ(古典教育を行う前と行った後でどのように変わったか)も存在するだろうが、短期間で「効果がある」と言えるのかは疑問(短期的には何かしら影響は出るだろうが、長い期間では剥落するかもしれない)
もちろん、その他の「意義」に関しては、各種質問紙調査(などでよければ)であれば、データは玉石混淆で存在している。
もっとしっかりとしたデータを取った方がいいんじゃないか、ということであれば同意する。
義務教育に高等学校も含むということなので確認しておくと、まず、高校に入学した「全員」が必修で受けるのは高校では古文と漢文を合わせて「40時間」くらいだ。仮に1作品に3時間かけるとしても、13本くらいしか触れられない。
古事記、竹取物語、大鏡、源氏物語、平家物語、枕草子、徒然草、奥の細道、論語、史記、唐詩、故事成語類 ぐらいか。この中にも「選択」に回されているものもある。
この40時間は、上記の「まあ存在は知っといてほしいことになってるよね」という古典におおまかに触れる、くらいしかできないだろう。かつてこの国で、どういったものが読まれていたか/書かれていたかについて学ぶ時間を40時間も取るべきではない、と言われたら、「そうですか……」と沈黙するしかないが、「矛盾ってなんで『矛』と『盾』でパラドックスって意味なんだろうな」という国民が大部分を締めるのはちょっと勘弁してもらいたい。ただし、自分もここは「現代語訳」をもっと使ってもいいんじゃないかと思う。ただ、現代語訳使っていいよ、と一度学習指導要領でなったんだが、教科書会社や現場が着いてこなかったんだ……。
で、こういった「古典」を相対化していくのは義務教育(正確には高校教育)の「選択」の役割だろう。これは、全員が受けるわけじゃないんだから、高校生には要求してもいいんじゃないか。一部の、日本文学科などに進んだくらいの人しか古典を相対化できないというのは、これはこれで望ましくないだろう。
市民形成のためには、「国家」がどのような装置なのかを学ぶ機会があることは必要だ。もちろん、それは社会や地歴公民でも学ぶことができるが、ただ書名として「論語」や「古事記」と認識するのと、「ああ、ああいう中身の本が祭り上げられたわけね」とピンとくるのとでは全然違うと思う(これは主観なので、「いや、別に中身知らなくてもよくない?」と言われたら、特に反論はない)
全然役立った気がしないぞ
確かセンター古文満点だったし、漢文も1ミスくらいだったから、少なくとも「古典が大の苦手」ってことはない あんなんカンで結構読めるしな
俺の「活きた」のハードルはかなり低い
ナショナルジオグラフィックとか見てて、森の中にひらけた場所があるのが映ったとき「あ!ギャップだ!ヤッター!」と思えればもうそれは活きた判定になる
そうすると、かなり色々活きてるんですよ
現代文:評論文を読もうという気になれる 漢字が読める 問題に使われた小説を読もうと思う
科学:科学番組を観てて楽しい 擬似科学を警戒できる ドクターストーン的な作品をより楽しめる
英語:洋楽を聴いて楽しめる 洋画を原語で見ると楽しい 英語圏インターネットを楽しめる
数学:日常のなかでちょっとした確率計算とか測量の真似事みたいなことをして楽しめる お金の計算にも役立つ
ほら、ホントに色々役立ってるんスよ
俺が日本史に興味薄いからそっち系コンテンツに触れることが少ないっていうのももちろんあるけど、それにしたって活かす機会がなさすぎる
「枕草子のパロディでウケられる」みたいな話を古典学習のメリットとして出してくる奴いるけど、枕草子くらいのメジャー作品って逆に古典の時間にあんましっかりやらなかっただろ!
ああいうのはむしろ中学校の初期とかにサラサラっと通すだけなんだよな そのころの教科書にはだいたい結構しっかりした現代語訳も載せられていて、ホントに入り口っぽい感じの運用なんだ
で、そういう体験ツアーみたいな感じで読むメジャー作品の話しか出てこないんだよマジで 古典の話するときはさあ!
とりかえばや物語とか落窪物語とかそういうのもやった記憶はうっすらあるんだけど、ホントにうっすらした記憶なんだよな
「古文ってほとんどカスだな……昔の日本人、ゴミだったのか……」みたいなことを思いながら読んでた記憶しかない
分からないからつまらないとかじゃなくて、文意をしっかり解釈できた上で、「で?」という感想しか残らないんだ
つうか、かきつばたを見て都を思い出すのはいいけどよ、そこで「この気持ちを歌にしよう、そこにかきつばたの頭文字を織り込もう!」ってなるのがホンマに気色悪いねん
ミュージカルじゃねえんだから気持ちをいちいち歌にするな 薄ら寒いねん 俺はもっと自然な感情の発露が見たい
歌が技巧的だと「こいつこんな小手先のテクニック弄してる余裕あるし、実は全然感情動いてねえだろ」ってなる
逆にシンプルな歌だと「クソつまらんヘタクソな歌だ、こんなん読むくらいなら黙ってた方がマシだろ」ってなる
和歌文化、ホントに心から嫌いなんですよ マジで気色悪い 死んで欲しい(もう全員死んどるか!ガハハ!ざまあみろ!!)
友蔵心の俳句と本質が同じなんですよね オッサンが事あるごとにヘッタクソな俳句を詠んで聞かせてきたらマジでぶち殺したろかと思うが、古文読んでると常時その気持ちになる 常時
あと、なんかムダに引用みたいなのを会話に織り込んでた記憶もある 内輪ネタへのリファレンス=賢さみたいなノリ本当にキモい 淫夢ネタでゲラゲラ笑ってるのと何が違うのか
そんで漢文だよ
漢文、さすがにバカでけえ中国産なだけあって内容はやや面白いことが多い そこは認めよう
でもこう、なんつうか、儒教的?すぎるんだよな
基本的にオチというか教訓が読めるんだ この展開ならこういう教訓を引き出す方向に行くだろうっていうのが容易に読めてしまう こぢんまりと纏まってるんですよね サプライズがない
そんで、あの形式をわざわざ読めるようになる意味がマジでまったく感じられない
返り点とか漢文の授業以外で一切見たことねえもん 最初から書き下して出してくれればいいじゃん
古文にも共通する話だけど、漢文ってもう増えないじゃん いや、増やそうと思えば増やせるだろうけども、増やす意味がない
中国語をそのまま読むわけでもなく、かといって日本語でもなく、なんなんだ?マジで
というか、機械的に書き下せるものをワザワザあの若干読みにく形で出してくる意味がマジで分からない
漢文、自転車でいうところの補助輪みたいなもんだと思ってるんだけど、補助輪つき自転車でトラックをビュンビュン走らされてるような違和感がある
ガッツリやりたいなら補助輪をとれ 軽くやりたいならそれなりの軽さにしろ 半端やねん全てが
つか、内容、古文よりマシとはいえ意味わからんのも多いしな なんか突然神仙要素が出てきて、昔の中国ってこんなノリなんだ〜…ホーン…と思いつつ終わることが多かった
とにかく、古文漢文、文法からガッツリやるようなものではないんだよな
それよりスペイン語でもやったほうがいいですよマジで スペイン語やったらイタリア語・ポルトガル語あたりもうっすら分かるようになるし、英語への理解もより多角的になる感じあるもん
¡Que mueran los hatenars! ¡Os odio!
ホラかっこいいじゃんスペイン語
マジでこんなクオリティの和歌ときどき出てきてたからな 問題用紙破り捨てたくなるもん
古文、いくら読んでも軽蔑の念しか出てこないんだよな 垣間見文化とかもキモいし、とにかく全体的にキモすぎる
あと平安あたりだと都なんかに住んでる貴族しか出てこないのも腹立つ 所詮金持ちのボンボンどもが暇にあかせて遊んでるだけやんけ
本当に嫌いなんだ俺は
池澤夏樹=個人編集 世界文学全集II-11所収 ピンチョン「ヴァインランド」
岡地稔「あだ名で読む中世史 ヨーロッパ王侯貴族の名づけと家門意識をさかのぼる」☆
今尾恵介「ふしぎ地名巡り」★
奥野克巳「ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと」
ピーター・ゴドフリー=スミス「タコの心身問題 頭足類から考える意識の起源」
テッド・チャン「息吹」★★
ピエール・バイヤール「読んでいない本について堂々と語る方法」☆
イリヤ・ズバルスキー、サミュエル・ハッチンソン「レーニンをミイラにした男」☆
チャールズ・C・マン『1493――世界を変えた大陸間の「交換」』★★★
ジョン・サザーランド「ヒースクリフは殺人犯か? 19世紀小説の34の謎」
東京創元社編集部「年間日本SF傑作選 おうむの夢と操り人形」
高丘哲次「約束の果て―黒と紫の国―」
堀晃ほか「Genesis 一万年の午後 創元日本SFアンソロジー」
水見稜ほか「Genesis 白昼夢通信 (創元日本SFアンソロジー 2) 」
村上春樹「ラオスにいったい何があるというんですか? 紀行文集」★
サリンジャー「このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる ハプワース16、1924年」。
チョン・ソヨン「となりのヨンヒさん」
「ガラン版千一夜物語 1」★★★
「ガラン版千一夜物語 2」
「ガラン版千一夜物語 3」
「ガラン版千一夜物語 4」
「ガラン版千一夜物語 5」
「ガラン版千一夜物語 6」
ジョン・サザーランド「ジェイン・エアは幸せになれるか?―名作小説のさらなる謎」★★
ジョン・サザーランド「現代小説38の謎 『ユリシーズ』から『ロリータ』まで」
J・P・ホーガン「未来からのホットライン」
ロバート・アーウィン「必携アラビアン・ナイト 物語の迷宮へ」★
ヴァージニア・ウルフ「ダロウェイ夫人」(光文社)★★★
ジュリアン・バーンズ「フロベールの鸚鵡」
イアン・マクドナルド「黎明の王 白昼の女王」
オルガ・トカルチュク「逃亡派」☆
ユヴァル・ノア・ハラリ「ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来」上巻☆
ユヴァル・ノア・ハラリ「ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来」下巻
住吉雅美「あぶない法哲学 常識に盾突く思考のレッスン」★★★
ルーシャス・シェパード「タボリンの鱗 竜のグリオールシリーズ短篇集」
オルガ・トカルチュク「昼の家、夜の家」
エイミー・B・グリーンフィールド『完璧な赤 「欲望の色」をめぐる帝国と密偵と大航海の物語』
ヴァールミーキ「新訳 ラーマーヤナ4」
ヴァールミーキ「新訳 ラーマーヤナ5」
タクブンジャ「ハバ犬を育てる話」☆
ヴァールミーキ「新訳 ラーマーヤナ6」
ホアン・ミン・トゥオン「神々の時代」★
ヴァールミーキ「新訳 ラーマーヤナ7」
ローデンバック「死都ブリュージュ」
ホセ・ドノソ「夜のみだらな鳥」
ロレンス・スターン「紳士トリストラム・シャンディの生涯と意見」上巻
ロレンス・スターン「紳士トリストラム・シャンディの生涯と意見」中巻
ロレンス・スターン「紳士トリストラム・シャンディの生涯と意見」下巻
入江亜季「北北西に曇と往け」(一)~(四)
石黒正数「Present for me」
澤江ポンプ「近所の最果て」
カシワイ「光と窓」
月ごとに一番面白かった本を3冊選び、★をつけた。ただし、どうしても入れたかったものは☆をつけた。月ごとの順位なので、たとえばパク・ミンギュにはもっと星をつけたいのだがそれが反映されていない。
数えてみたが、2020年に読んだのは活字149冊、漫画22冊だった。毎月12冊から13冊読んでいると思っていたので、単純計算で150冊を超えると思ったが、ぎりぎり足りなかった。とはいえ、毎月10冊という目標は達成している。
1年を通して見ると、ノンフィクションばかり読む時期や、SFばかり読む時期などが明確に交代していることがわかる。特に、4月から6月はSFとファンタジーがほとんどだったが、8月以降SFを全くと言っていいほど読んでいないし、逆に11月、12月は1冊をのぞいてノンフィクションがない。
また、芥川賞をはじめとした日本の現代文学をほとんど手に取っていない。ベストセラーやエンタメ、ホラーもない。逆に、韓国やタイ、ペルーやチリなど、日米欧以外の海外文学の割合が高い。
意識してきたわけではないが、自分の好むジャンルは科学や歴史のノンフィクション、神話、行ったことのないラテンアメリカやアジアの文学、メタフィクション的であったり奇妙な味がしたりする短篇集、古典、であるようだ。一方で、女性作家の割合は低く、特に日本の現代女性作家をほとんど手に取ってない。一時期は多和田葉子だとか江國香織とかをよく読んでいたので女性作家が嫌いなわけではなく、ヴァージニア・ウルフも好きだし、ハン・ガンも自分の中では大当たりだったので、もう少し割合を増やしてもいいかもしれない(追記。身につまされる話よりも読んでいて気持ちのいい本を読む率も増えた)。
割合の話でいえば、大学時代はもう少し文豪の作品を多く読んでいたように記憶している。それと、いくつからの例外を除き、世間の動きや話題とは遊離したチョイスばかりである。世の中から目を背けているわけではないが、日々の雑事とはまた違う視点に立てたのはありがたかった。新型コロナウイルス関連の記事ばかり読んでいては気がめいってしまう。
今年は少し冊数が少なくなるかもしれないが、引き続き毎日の気晴らしとして、気が向いたものを好きなように読んでいきたい。
以上。
いまのパンピーが持ってる古典教養、枕草子と平家物語の一部を覚えてる程度でしょ
いち教科として何百時間も割いてその程度しか頭に残ってない時点でゴミであることは明白
・古文は内容のないカスみたいな恋愛小説、つまんねえ説教くさい話ばっかり読まされる最悪の教科
・漢文は簡単だし内容もまだ面白いがわざわざ習うほどではないし、返り点を読解できるようにならないといけない意味が本当にわからない 新たに漢文書くことなんてないんだしもう全部書き下せばいいだろ
まあ名作古典の存在くらいは知ってていいけども、わざわざ原典を読まんでよろしい そんなことやってられるほど余裕ねえだろ
ウンチみたいな内容のカス文章を読みやすいって理由だけで教材にして時間を空費するくらいなら、名作の内容をつまみ食いしたほうが絶対マシ
これ苦しい言い訳だよなあ!
古文で学んだ方法論が英語学習で活きた!と思ったことなんて一回もねえぞ そもそも語派とかガッツリ違うし、厳しいですって
俺はスペイン語やって英語力もなんとなく伸びた感じがあるので、外国語学習がどうこう言うなら古文なんて捨てて素直にフランス語なりスペイン語なりをやったほうがいいと思う
特に古文の内容がクソすぎてむしろ日本文化がかなり嫌いになった感じがあるんだよな
キショいんだよ古文 感情が昂ったところで和歌詠み始めるのが本当に気持ち悪い ぶっ殺したくなる つか、詠んでねえだろ?ホントは ホントは「う、う、」とか言ってアタフタしてただけの陰キャがあとからカッコよく詠んだ風に書いてるんだと思うとマジで鳥肌モンなんだよな