はてなキーワード: 握り寿司とは
寿司を食べている。
回らない寿司だ。
正確には元々回る寿司だけど、ウーバーイーツで頼んだものなので回ってはいない。
夫は、それを知らない。
私が夫に隠れて寿司を食べている事を知らない。
結婚して早2年。
元々の交際期間が長かったのもあるが2020年には新婚ムードも無くなり、3週間や1ヶ月以上の国内出張を任される立場となった夫。
酒も好きだし煙草も吸うけれどギャンブルと女には興味がない夫。Switch版のシュタゲを買ってもいいか、一緒にやらないかとラインをしてくる夫。
私のTwitterも知っており、メンブレした際は適度な距離感と客観的事実で静かに宥めてくれる。怒らず、感情的にもならず、事実を語る。歳を重ねてもニーハイを履いてほしいとしっかり意志を示してくれる。
優しく頼もしく、酒と煙草があったとしても引く手あまたであろう男 is 夫。
コロナの影響と物理的距離によりクリスマスも正月も無くなったし年度末には地方への転勤も決まっている。
途方に暮れた私に夫はこう言った。
「食費は先月と同じ額で渡すよ。余裕があるだろうから好きなものでも食べてね」
これがまずかった。
コロナで様々な事に自粛を求められている中、娯楽といえばアニメ・漫画・ゲーム・食事・資格・猫くらいしかない。
皆がやっているからという軽い気持ちでウーバーイーツに登録した。
はじめは地元の個人経営の飲食店からお取り寄せして、写真を撮っては夫とシェアしていた。コロナ落ち着いたら引越し前にお店にも行ってみたいね、などといいながら。
だけど気付いてしまった。
私は、家にいるだけで寿司が食える。
1000〜2000円くらいで寿司が食える。
夫は職場で半軟禁のような生活らしいのに、私は寿司を食ってしまっている。
それどころか「もう隠れて食べない!」と誓った翌日には出前館などのクーポンを眺めてしまっている。これ以上はまずいと我ながら思う。それなのに今日も寿司を食べてしまう。
恐らく、Twitterなどで私の生活情報を得ている夫にはこう見えているはずだ。
「人口100人未満の地方の限界集落で育った為、出前を遊園地のアトラクションみたいに思っている妻」
概ね間違っていないと思う。
しかし我々地方出身者の認識としては「宅配サービスがあるのは県庁所在地」。いいね?
私は自分にも夫にもそう言い聞かせ、今日も隠れて寿司を食っている。ここは関東ベッドタウン。
プラは金曜回収の為、証拠隠滅の手はずは整っている。体重も問題ない。寧ろ痩せた。
※シュタゲ:「別々にプレイしてお互いの感想で語り明かしたいから君もネタバレは避けてね」と言われた
※寿司:回る寿司でも回らない寿司でも認識はなんだか高価な食べ物なので、夫が頑張って働いているときにこっそりひとりで食べてることを思うとなにやら情緒不安定になる
※寿司:スーパーの握り寿司680円を半額で買うだけで緊張する。一度近所の回らない寿司屋に連れていかれて「一見さんだからここは特上でいこうよ!」と言われ情緒不安定になったことがある。1本99円の巻き寿司バイキングが心の友達。
※創作乙ブコメ:国道101号付近から地元の漁船を紹介するのでそっちで釣るといい。これより遥かに鮮度良いよ
※寿司:イカ・あんこう・鮭・イクラ・白子・ホッケ・カワハギ・キス・カレイ・キンメ・カサゴあたりは釣るor貰うという認識というか印象が未だに根強く残っているので、改めて正規の価格を知ると身震いを起こすのかなと、今思いました。
※バイト:あまりにも寿司が好きすぎて回らない持ち帰り専門チェーン店でのバイト経験もありますがそれでも寿司は憧れの食べ物
※猫:もはや寿司には全く動じず見下してくる。
※海鮮丼:材料は同じでも微妙に別のカテゴリーという認識。もちろん好き。今回は色々なものを少しずつ食べたくなって12種×2人前の暴挙に出てしまった
※回る寿司:流れるのを延々と見ているのが好き。だいたい12皿くらい食べる(1個だけのお皿も少し含む)
※食費:夫の分の食事を準備する必要がないと夕食に炭水化物中心の限界飯を毎日食べ続ける傾向があるので、適宜テイクアウトを利用して可能な範囲でバランスよく食べるようにとかなり念押しされていた。ex.無限雑煮
※寿司:絶対に今夜は寿司を食べるという意志で仕事も家事も頑張れた。ありがとう、寿司。ありがとう、ウーバーイーツ。
※ウーバー寿司:約1ヶ月で3回ほどお世話になったが、割引率と食費予算内を重視したので全て別店舗。また1食で2人前は今回が初めて。スーパー寿司の日も含めるともっと食べてる。
※寿司:ブコメもTBも皆お寿司好きでなんだか嬉しかった。お味噌汁も好きだけど店舗で飲みたいので自粛で無念。
※夫:好みのタイプが二次元なので「女性に興味がない」は語弊があったかもしれない。その点はごめんなさい。
※コロナ:怖いから外食・会食避けてるけど、やっぱり気を許してる人と食べるごはんが一番美味しいんだなあ、今住んでる土地はごはんが美味しいお店多くて好きだなあって前々からずっと思ってるので、難しいけど早く落ち着いてほしいな(政治経済は門外漢だから、思う事がないわけではないけど割愛します)
※寿司:今は蟹がただの繊維状の何かになるという話が本気で一番怖い。
小計 ¥2,100
サービス料 ¥210
プロモーション -¥200
合計 ¥2,310
米の上に魚の死体が乗ってるだけなのに国民食みたいな顔してるのがウザすぎる
そもそも食う頻度かなり低いんだよな そのわりに海外では日本食=スシみたいになってて、料理要素があるゲームやるとたいていSushiがでてくる
でもそのSushiの見た目が軍艦巻きなのがウケるんですよね わかられてないぞ、寿司!
寿司らしい寿司、握り寿司はRaw-fishが乗ったDisgustingな食い物で、食うに値しない それが世界基準なんだよな
米の上に生魚を乗せただけのものを料理と言い張る時点でおしまいなのに、さらにそれをベルトに乗せて回転させる 意味がわからない
そういう奇怪な店がひとつだけあるっていうならわからなくもないが、むしろ庶民の寿司つったら回ってるもの、みたいな風潮すらある
回転するのがスタンダードな食い物ってなんなんだよ 本当に異常なんだよな 気持ち悪い狂った国の最悪伝統料理
いやいやいや 米の上に生魚乗せるのに伝統も何もないな
ステーキを伝統料理と言わないのはあまりに原始的だから 寿司もサルですら考えつくような粗雑な料理なので伝統の名を冠する資格なし
あれ本当に異常で、米の上に物が乗ってたら寿司だっていうんなら米を食うときにかなりの頻度で寿司状態が発生していることになる 不快!
ですからシャリを地面に置いた時点で地球全体がネタになり、地球に属するところの我々自身もその瞬間寿司の一部になってしまう
これまでシャリが地面に触れたことが何度あったか 我々は何度寿司にされたのか という話になってきて、到底受け入れ難い
寿司にならないためには寿司を否定するしかない 寿司と俺のレーゾンデートルをかけた戦いが始まる
でも寿司は雑魚だから俺が勝つに決まってんだよな 逆にどうやって寿司に負けるのか?という話になってくる
生まれも育ちも大阪の下町近辺で、もうアラフォーですらなくなりそうなおっさんから見た恵方巻きの話。
もう旬が過ぎた話題だけど、昨日関東から来た人と話してて少し驚いたので書いてみたくなった。
知ってる人も多いだろうけどそもそもの話として、大阪ではそこそこ昔からのローカルな風習として根付いていた。つっても起源はともかく近代で根付いたのはここ50年ぐらいだけど、逆に言えば俺ぐらいのおっさんやもう少し上の世代でも物心ついた頃からはやってたって事だ。
三つ子の魂とか言わんでも子どもの頃から今まで延々やってた風習なら、血肉となる感覚は若い人でも分かるだろう。特に当時はコンビニは当然スーパーも今ほどそこらになくて、まだまだ商店街が強かった時代だ。うちのオカンもまだコマ付きチャリにしか乗れない俺を連れ、近所の商店街の旨いと評判の寿司屋に買いにいっていた。
ところで、寿司は特別感のある料理、という感覚は日本人なら多くの人が持っているのではないだろうか。
世代や地域や家庭によって、桶に入った握り寿司だったり、かーちゃんが作ってくれるちらし寿司だったり、みんなでやる手巻き寿司パーティーだったり、種類やシチュエーションは人それぞれだろうが、特別なときに出てくる特別な料理という感覚はかなりの人に共有してもらえる感覚だと思う。
節分の巻き寿司も、少なくとも俺にとってはそうだった。普段寿司なんて稲荷ぐらいしか食べてないし、握り寿司も盆正月ぐらいだ。巻き寿司はたまに食べなくもないが、大抵細巻きか、太巻きでも乾瓢・高野豆腐・椎茸とか中心の年寄りくさいやつで、鰻か穴子が入ってるだけで喜んだもんだ。
それが、節分には寿司屋のちょいといいやつを買ってくれる。鰻やら鮪やら、下手すると海老やイカまで入ってる宝石箱だ。しかも一人で一本独占させてくれる。のちに弟妹が出来て旨いものは常に奪い合いだった俺には長らく特別だった。
豆まきではしゃぎまわり夜には旨い巻き寿司を一本まるごと食べられる日、節分はまさに特別な日だったんだ。
そんなだったから巻き寿司ぐらい自分で買えるようになってからも、節分には色々な店の旨い巻き寿司を食べ比べたりした。友人ともどの店が旨かった、来年はあの店のを丸かぶりにしようかと思うなんて話をしたりした。当たりを引いた年には、将来自分に新しい家族が出来たらこの巻き寿司をお土産に持って帰ったりするのもいいな、なんて考えたこともあった。だから、節分にスーパーやコンビニで巻き寿司を買おうと思った事もないし、実際に買ったこともない。
先の関東の人と話して驚いたのは、子どもの頃はまだしも大人になってからは節分を特別な日と思う感覚がないらしきことだった。出身地なんかで結構変わるだろうし個人差も大きいかもしれない。でも少なくとも、節分を特別と思ってない人が異文化とともに大量生産品を押しつけられたら大抵の人は嫌になるだろう。
スーパーやコンビニの愚行を庇うつもりはない。俺が好きな行事だからとみんなに押しつけようとも思わない。でも「大人になって節分が特別でなくなった」というのは、俺からするとちょっと寂しいなと思う。
昔地元であった習慣でもいいし、今住んでいる地域の何かでもいい。節分をちょっと楽しみに思うような何かをしてもらえたらなと思う。そしてよければ旨い太巻きでも食ってくれ。わざわざ店内に入らず店頭でスッと持ち帰りの巻き寿司を買えるのも節分のいいとこだ。
1970年代前半に、仙台市内の中華料理店「まんみ」にて賄い料理として提供したのが始まり。
//ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%99%E5%8F%B0%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%9C%E3%83%BC%E7%84%BC%E3%81%9D%E3%81%B0
発案者が思いついたのが10年前と言っていたので、
//detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11156573366
ただし他にも元祖を名乗る店がある。
14〜15年前ですかね。パンって、夏は本当に売れないんですよ。暑いからみんなソーメンを食べたり、おやつもスイカになったりしてね。なんとか夏に売れるパンができないかなぁと思って開発したのが、塩分補給もできる塩パンだったんです
//tabi-labo.com/287605/painmaison-yawatahama
//ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%95%E3%83%88%E3%82%B7%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%A2
ただし他にも元祖を名乗る店がある。
【第22巻・第213話】いま話題のおにぎらずはクッキングパパが発祥!
//cookpad.com/recipe/2831394
第22巻は1991年発売。
ご存知のとおり発祥には諸説ある。
落合「僕が帰って来たのが1981年で、前のお店を開けさせていただいたのが1982年ですから。
(中略)
1982年に魚のカルパッチョを作ったとは語られていないが、近い時期であることが示唆されている。
古くは本朝食鑑の鱗部の巻「鰯」の箇所に「或有甘塩者有糟漬者有塩麹漬者号曰黒漬」という下りがあり、「塩麹漬」という文字列が見られる。
日本人はいつから牛の生肉や生レバーを食べるようになったのか。
焼き肉などの食文化に詳しい滋賀県立大の鄭大聲(チョン・デ・ソン)名誉教授は「戦後、在日韓国・朝鮮人が家庭で食べていたものを焼き肉店で出すようになり広まったのではないか」という。
//sankei.jp.msn.com/life/news/120428/trd12042822020023-n1.htm
「つけめん」が定着するきっかけとなったのは2000年頃からのことです。つけめんの考案者である東池袋大勝軒の店主 山岸 一雄氏のお弟子さん達が独立し始め、大勝軒系列の店が増えたこと、大勝軒の常連客から人気店になった「べんてん(高田)」、「道頓堀(成増)」といったお店が繁盛したこと、そして川越にある「頑者」が「自家製極太麺×魚粉×濃厚つけだれ」という新しいジャンルのつけめんを生み出したことが影響し大きなエポックとなりました。
//web.archive.org/web/20130622095039///www.asahi.com/business/pressrelease/ATP201005190013.html
プロジェクトが始まったのは86年。当初の計画では、輸出の要はカペリン(カラフトシシャモ)だった。しかし、その前年、時の漁業相らが日本を視察して方針が変わった。日本には生のサーモンを食べる文化がない。江戸前寿司にもない生サーモンの握り寿司を考案し、試食会を重ねた。
日本のイタリア料理史の中で、最大のブームとなったのは「ティラミス」と言って間違いありません。80年代半ばから評判を呼び、90年に雑誌「Hanako」で特集が組まれるや、人気は最高潮に達します。
日本の輸入量は1970年代までは微々たるものだったが、1970年代後半から増え、1980年には479トン、1990年2163トン、2000年14070トン、2005年は28150トンと急増している。
//ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%9C%E3%82%AB%E3%83%89
1908年(明治41年)、魚の油漬け加工に必要なオリーブ・オイルの自給をはかるため、農商務省がアメリカ合衆国から導入した苗木を三重県、鹿児島県と香川県に試験的に植えた。香川県の小豆島に植えたオリーブだけが順調に育ち、大正時代の初めには搾油が出来るほどの実が収穫された。
//ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%82%A4%E3%83%AB
//www.amazon.co.jp/dp/4478039674
//ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%84%E3%82%BF
単なる竜田揚げとして見れば×。
1952年(昭和28年)に創業した国立市の一橋大学そばの「三幸」が、のびたラーメンをヒントに昭和30年代前半頃から酒の肴として提供を開始したとする説や、同じく昭和30年代に武蔵野市境の亜細亜大学そばの「珍々亭」が中国の拌麺をヒントに油そばを発売したという2説が存在している。
新規企業の太洋醸造が当時自由販売化していたイモとホップを使用したイモ・ビールの試験醸造を申請して認可され、1950年(昭和25年)から新発売され、日本の市販発泡酒第1号となった
垣島在住の夫婦(夫は中国・陝西省西安出身の辺銀暁峰、妻は東京都出身の愛理)が、具材を食べるタイプのラー油を開発し、2000年(平成12年)、石垣島にて開催されたイベントで販売したのが始まりである(ただし、具の入ったラー油そのものは中国にて古くから存在している)。
//ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%9E%A3%E5%B3%B6%E3%83%A9%E3%83%BC%E6%B2%B9
私の会社には寿司がいる。ネタはマグロで握り型、そう珍しくないタイプだ。シャリは少し温かく、サビ抜き。少々慌て者だが穏やかな人柄で、けして女の子にモテるようなタイプではないけれど、人に信頼されるタイプの人物――いや、寿司だった。
寿司が社会進出しはじめたのは、今から十年ほど前のことだった。当時の私はまだ中学生で、友達とのグループチャットでの対応がこの世でもっとも大きな悩みであるような小娘だったが、この事件についてははっきりと記憶に残っている。
「寿司と仕事をするだって? そんなの腹が減って仕方がないじゃないか」
テレビを見ていた父が忌々しげに叫んだのを今でもよく覚えている。
「いいじゃない、あなた。だってナマモノは苦手でしょう? 寿司がいたってお腹が減ったりしないわ」
「そりゃあそうだが、母さん、あれだぞ。俺はサーモンだけは別だ」
テレビに写っているのは炙りサーモンの女性だった。まだ若いらしく鮮やかなオレンジ色の表面はつやつやと輝き、ところどろころに見事な焦げ目がついているのだった。
ああ、美味しそう。私は思わず舌なめずりをした。父と違って私はナマモノだって食べれるし、寿司をほとんど愛しているといってよかった。
一瞬にして現実に引き戻された私は、はいはい、と生返事をしながら慌てて受話器に手をかけた。内藤さんは本社勤務のカンパチである。早稲田大学卒のエリートでプリプリのカンパチだ。相当モテるらしく高飛車な性格で、いつも隣に鉄火巻だの軍艦巻きだのの女の子をはべらせている。
彼、海苔が好きらしですよ、いやらしい。二つ下のイカ握りの後輩が話していたことを思い出す。海苔が好きである、ということと、男性のいやらしさというのが直結せず、私は曖昧に頷いたものだった。