はてなキーワード: 当事者とは
最近、ブクマカに言及した増田を投稿すると削除される憂き目に遭うことが多い
昔は馬鹿な発言したブクマカやそれにスターつけた奴のidを晒す増田に憧れを抱いて「よし、俺もやってやるか!」とイキってたものの、いざ書いても削除されてしまうことが増えた
ガン無視して全ツッパしようとも思ったが、規約違反の投稿を繰り返すと垢BANも有り得るとブコメで見て以来、そこまでしてやる価値のあることなのかと躊躇してしまった
確かに増田の投稿欄の下には『匿名ダイアリーでは、「言及された当事者から削除の申し立てがあった場合、発信者への意見照会を経ずに削除を行う」という特殊なルールを設けています。また、サービスの匿名性は、特定の対象を攻撃する目的に使われるべきでないと考えています』って記述があって、それがルールであり投稿する以上は是認しなきゃ仕方ないとはいえ……
それからは手を変え品を変えじゃないけど、あまり母数を増やすと削除される確率上がるよなぁと考えて1つのブコメに対しての言及に留めたり、増田に対してなら規約違反にならないじゃん!と気付いて同じ文法で増田に批判してみたりしたけど、いまいちパッとしない
もっと華々しくブクマカを論破!みたいなノリで行きたかったのに、ふざけんなよ。あーあ、マジで辛いわ
ブログでやれ
これが一番多かったけど、違うんだよ!碌なフォロワーがいないのに、はてなブログやったって人が来てくれるわけないじゃん
増田なら、ある程度はブクマカが巡回するだろ?そういう往来の中で誤謬を突いたりダブスタ指摘したり切った張ったの言論ゲームを仕掛けるのが醍醐味なんだよ
ブログで書いて増田を誘導に使うって提案もあったけど、それだとリアルタイム性に欠けるし希望とは程遠いわ
あー、これがあったな。事件の後に登録して利用開始してるから忘れてたわ。他のブクマカから聞くに前は増田にもidコールあったのに、それで廃止されたんだっけ?
確かに粘着して殺人事件に発展するとマズいよな。俺も以前に元カノにストーキングしたり、女を性的暴行して自殺に追いやった過去があるし、そういうことする奴への抑止力としては役に立ってるのかも
ちなみに精神科には既に受診してるぞ。上記の事件どれかをきっかけに通わされてて自己愛性人格障害の診断を受けてる
実際には誰からの依頼で削除されたかってわかるんで、今度はその件でイジるエントリを投稿すれば、しょうもないことをブクマに書くししょうもないことで削除依頼もするやつだってアピールできて一石二鳥なわけです
したり顔でこういうこと言うアホが一番ムカつくわ。
あのさぁ、削除申請されたら誰から依頼がきたのか投稿者には通知されるって既に知ってんの!!!
俺、ちゃんと書いてるよな?「自分の書いた増田が削除された」って。実際に削除された側なんだから、その辺の流れ知ってるって普通に考えれば分かるだろうが。文盲なの?
それを益体もなくグダグダと、さも自分は知ってますけど?教えて差し上げますけど?みたいな姿勢を隠さないまま味方面した態度で擦り寄ってこられるの本当に腹立たしいわ
あとさぁ、削除申請してくるユーザーなんだから「その件でイジるエントリを投稿」なんかしたら、また削除されるだろうが。アスペか?
それに再投稿も禁止だから「この増田に書いた誰々が~」って示す為にはWebArchiveから引っ張ってこないといけないからタルいし、うろ覚えだけど削除申請してきたidに二度と言及しちゃ駄目的な注意もあった気がする(これ転生後の垢だから、前のメアド失効しちゃったんだよね)
で、その為に?垢BANのリスクを冒して?アピールする?はぁ?馬鹿じゃねーの。実名で自分の立場を明らかにした上で責任を持って発言するならともかく、増田みたいな匿名コミュニティでアピールしたところで所詮お山の大将だし、せいぜい〇〇増田とか呼ばれてンギモヂィ‼って承認欲求が満たされるだけだろ
そんなことするくらいなら増田の趣旨どおりルールを守って「名前を隠して楽しく日記」してる方が何億倍もマシだわ。お前はその狭い世界で一生センズリこいてろ、クソボケが
今まで「けしからん、こんな広告は取り下げるべきだ!」って騒いできた事例の積み重ねがあるし
そしてそういった事例での根拠がどれもこれも主観的でいかようにも取れるものばかりだったことを踏まえてる
まさにフェミの方では切り分けていないからこそ、「こいつツイフェミだな」と思ったとしても、議論上は本人の自認を尊重して一般フェミニストの意見として扱っているわけだよね?
だから
連帯責任にするのやめろって言いたいならフェミニスト当事者が責任もって切り分けてくれないと困るよね?
言ってることわかる?
ツイッターでの言い争い、毎分のように起こってるけど私の界隈でも発生した。
AさんがBさんにグッズを送る(A→B)。
Bさんのもとに届いた時にはグッズが破損していた。
梱包には問題がないので、故意にAさんが破壊して送付したのではないか?
という疑惑がBさんにより持ち上がった。
送付物の謎。
なぜAさんが持っていてBさんに送り返す形(A→B)になったのか、経緯が不明でよくわからない。
荷物が届いた日、Bさんは別の場所に居たため、代理で別の人に受け取ってもらい、開封してもらったということがBさんのツイートからわかる。
代理で受け取った人物が誰なのか、なぜ代理人が開封したのかの理由も明かされていない。
Aさんが破損させたとして、その動機に関連しそうな物品のやり取りの背景が明かされていない。
Bさんは直接受け取って開けていないため、代理人が破損させた可能性もある。
あやしい。
ドイツ代表を称賛する人たちも、この視点がないまま西欧側の正義や価値観で正しいから称賛しているだけで
聞こえてくるのは日本や西欧の「意識高い人」の声ばかり。現地のLGBTの声って全然聞こえてこないんだが。
禁止されているのは試合中のパフォーマンスだけなんだから、代表が現地のLGBTと対面したりシェルターに寄付するのは禁止されていない。
アピール程度で動くような問題ではないから、短期的には現地当事者にはマイナスの影響がある可能性も高いのに。
大会が終われば帰ってしまい、その後なんの手助けもしてくれない人たちの自己満足に見えてしかたない。
日本でもよくあるから。この手の政治的得点稼ぎの、当事者が望まない過剰なアピール(レインボートイレとか)。
おそらくだが、現地のLGBTとして必要なのは、西欧と現地の文明の衝突の最前線に立たされることではなく
筆者だ。初めましての方は初めまして。そうでない方はまた見に来てくれてありがとう。
まず最初に、筆者が匿名で記事を書く理由を軽く説明する。この記事を読んでいるということは、はてな匿名ダイアリーで記事を書く人を「増田」と呼ぶことはご存知だろう。知らなかったら覚えておくと世界が広がるのでお勧めしておこう。
単純に都合が良かっただけだ。聡い人であればすでに正体に気づいていると思うが、そこはさして重要ではない。
では、話を掲題の件に戻そう。相変わらずネタバレを含むので気になる人は読まない方がいい。
スターダスト★ストリートについてはひとまずの終了にたどり着いた。とても素晴らしいストーリーであった。人によっては先が読めてつまらないと感じたかもしれないがそれもまたひとつの感想なので筆者は否定するつもりはない。
ただその結末はあまりにも生ぬるいと言わざるを得ない。現実であればその事実が知れ渡ればまともに生きることはできないであろう。法を犯せばその人は何かしらの責任が問われる。それが刑法違反であれば刑事罰として前科がつく。何にせよ、その人はそれを背負い続けなければならない。ところがスターダスト★ストリートでは悪いことをした、ごめんなさい、解散で終わってしまうのだ。これが生ぬるいと言わずになんというか。
ゲームの話を現実に持ってくるなという人もいるだろうが、想像力が足りていない。これは今まさに現実で起きている問題そのものなのだ。
スターダスト★ストリートはアカデミーのはぐれものが集まったスター団という集団の解散を目的として進むストーリーだ。アカデミーとは学校であり、スター団は学校の問題児の集まりだ。そしてそれはイジメや不登校などの問題行為として実際にアカデミーに認知されている。認知されているからこそ解散が命じられていて、主人公は解散のためのスターダスト大作戦に参加するのだ。
現実世界でもイジメは悪である。ところが一向にイジメはなくなっていない。それは何故なのかは学校という組織の体質であると筆者は考える。
学校はイジメの概念を知りつつ、それを可能な限りで認めようとしない。もちろん、イジメの当事者が親に助けを求めて発覚して事件になることもある。最悪のケースではイジメ被害者が自殺してしまうこともある。
では、なぜ学校はイジメを認めたくないのかというと、学校の看板に傷がつくからという点が大きい。しかし、学校の看板に傷がついて困るのは誰だろうか?
その時に学校のトップとして立つものたちだ。校長なのかもしれないし理事長なのかもしれないが、少なくとも関係者はイジメの発覚を恐れている。ここがポケモンと現実の最初の隔たり、認知の有無である。
いまだに解決できないイジメという社会問題を、ポケモンではあっさりと解決してしまうのだ。これが人間を馬鹿にしていないとしたら何になるのか。
さて、真面目にここまで読んでくれた人なら筆者の言わんとすることがわかるであろう。人間はそんなに馬鹿ではないと筆者は信じている。そしてポケモンはやはり毒ではなく薬になると信じている。
ツイッターや、はてなブックマークでよく見る論法だけど、全然納得できないのは俺だけか?
男ミシンに声を上げてる人が、少年マンガに声を上げないのは、ダブスタにしか見えんって話だよ。
生活があるんだから割けるリソースは限られてるだろ、ってのは分かるけどさ。
それにしたって誰一人、少年マンガに文句を言ってないのは奇妙だろ。
必然的に、「少年マンガは良いが男ミシンはダメ」という結論になってしまうよ。
もし子どもたちにどうして? って聞かれたらどう答えるつもりなのか。
大人は信用できないもの、大人は嘘をついていい人々って認識が広まっていくだろうね。
結果、誰もモラルに理屈を通せなくなり、他人の顔色を伺うような、同調圧力に従うしかなくなる。
たとえ当事者が狂っても、もし理屈が明文化されていれば正気な人々が正しさを検証できる。
モラルに理屈を通せ。「少年マンガは良いのは、どうして?」に答えろ。
寝た子を起こさないようにビクビク振る舞う窮屈さを、次の世代に残すな。
老若男女誰にでも、話せるような説明を組むべく努力しろ。仮想の子ども質問に答えろ。
どうして? ねえ、どうして?
4歳早々に自転車はコマなしペダルとなり猛スピードで走っている。危ない。
公園まで信号は無い、だが交通頻繁な道路を一つ横断しなければならないが信号は設置されてない。
さて俺は子供が生まれる随分前、結婚前からこれが気に食わなかった。
自分が車を運転していた時は歩行者を蹴散らして走っていたが自動車に乗らなくなってから歩行者の俺様が優先だろ?と転換した。
蹴散らして走り抜けようとする車に対して横断の意思を見せ急停車させるのは長らく俺のライフワークだった。
皆が俺と同様に自動車を強引に止めさせるのが当たり前になれば多くの自動車はいわずもがな止まるようになる。
事故は減る、皆がきっちり歩行者に譲るようになれば信号機の数も減らせる。
誰一人横断者がいないのに信号で止められる、そんな理不尽な信号機も削減できる。
歩行者がいれば歩行者の横断を待つだけ、信号で待たされるよりも合理的で短い。
皆にとって良いではないか。
俺は基本的に信号を守らない、歩行者、自転車は信号を守らなくて良いと思っている。
自動車が交通法規を守らない国で歩行者だけ守らせても仕方あるまい。
信号のない横断歩道で自動車が100%止まるようになれば俺も信号を守ってやる、これはディールだ。
俺は自分の身を守れれば良いのだ、ルールなど知ったことではない、
こっちがルールを守っても違法な車に轢かれて死んだのでは意味がない。
俺はとある交差点で慢性的なタクシーの客待ちで始終渋滞している箇所があり、何度も警察に取り締まりを要請した。
俺がまだ自動車を所有していた時期で俺は毎日その交差点を通過せねばならないため渋滞が鬱陶しかった。
タクシーの客待ちは止まっている、静的違反である、これは取り締まり対象ではない、動いて事故を起こした車だけ取り締まりするのだ。
だってさ、
俺は「ならばスピード違反、信号無視も事故じゃなければいいじゃないか、俺がそれらの違反をしても切符切らないと一筆書け、警察署長がサインしろ」と食いついた。
だってさ
意味がわからん、そもそも静的違反とはなんぞや、いくら調べてもそんな法律用語はない。調べ方が悪いのか?
ともかく、違法性阻却事由、可罰的違法性の事を言うているのだろうか。
事故加害当事者にならなければ良いというのが警察の公式見解であると解釈したので以後歩行中は信号は守らないと決めた。
アホらしい。
加害者になることはありえない。俺にぶつかった自動車がふっとぶか?俺がいくらデブでもありえない。
たかが歩行者の信号無視ごときが可罰的違法性を満たすとも思わない。
倫理的な議論の余地はあるだろうが、俺は自分の身を守り訴追から回避されてりゃそれでいいのだ。
そうだよ
文句ある?
ルールがぁ、法律がぁ、とほざくアホがいるだろうが、道路交通法76条4項2号、守れるものなら守ってみろボケ。
条文通り文字通りに解釈するなら信号待ちでも立ち止まらず足踏みを続けなきゃならない。
やんねぇだろうが
ちなみにこれ罰則は5万円以下な。
ちなみにこの条文、安保闘争で便利な条文として警察は乱用した、死条文ではないのだ。
道路で立ち止まった「だけ」のアカどもをバシバシ検挙し48時間拘束。
もうね、道路では一切立ち止まれなくなります、立ち話、信号待ち、ぜーんぶダメ、一切ダメ、法律だから。
ともかく、屁理屈はどうあれ現実問題として俺は信号なんぞ守らんのだが、さて子供にどう教えるか。
正しくは信号は守るべきである、そのように生きたほうが人生楽である。
俺のような面倒くさい人間にはならない方がいい、そりゃわかってる。
さりとて、今更俺も宗旨変えなどしたくない。
ここにジレンマが生じる。
子供には信号を守りなさい、信号の無い横断歩道では自動車に進路を譲り安全を確認してから渡りなさい。
神戸のときは自衛隊の方達が詰めてる横の部屋でキーボードを打ってた
東日本のときは東京だったから帰宅難民になった程度で済んだけど歩いて帰れない距離の自宅に居るはずの子供のことを想って気が気じゃなかった
どちらも記憶は色あせない
どうせ新海誠のことだから、キモい性癖を散りばめて RADWIMPSで無理やり感動させる雰囲気作るいつものやつだろ、くらいの気持ちで臨んだ。
冷やかしの気持ちだ。
そうしたらあれですよ。
映画の中盤には東北道の北上して、物語の舞台が東北のあの辺になってきて
放射能で住めなくなった荒れ果てた街があって
ただ、ばあちゃんの家が福島にあって、小さいときに夏休みに泊りがけで遊びにいってたところ。
地元の駅は津波で流され、ばあちゃん家は放射能で住めなくなって、野生動物に荒らされて?ガラスが割れ草ボーボーになって
両親が防護服を着ながらそういう状態を写真に撮ってたんだけど、それにそっくりだった
呼吸が浅くなった
映画の描写は、津波の被害で家屋がぐしゃぐしゃ、船がおかしなところに乗っかっちまってるようなそんな街を映していて
これには本当にびっくりして涙が止まらなくなり、口のところまで流れてきてしょっぱかった
あの日俺は海老名で仕事してて、小田急止まって家に帰れなくなって
びっくりしてまた涙がぼたぼた落ちてきた
原発の仕事をしていた別の親戚は、仕事がなくなって引っ越したらしいが、まあそんなところだ
幼い日のすずめが、お母さんがいなくなった事を一生懸命に説明する描写がある
あの日、3月の冬の夜、帰る家も無く、たくさんの人が声を枯らして人探しをしたんだろう
そういう悲しさで辛くなって、手を合わせて祈りたい気持ちでいっぱいになってしまった
この記事を読んで思ったのは
「なんで?」だった
例えば(件の件とは全く関係ない話として)
「やってもいない窃盗をやったことにされて、反論すると口汚く罵られ、告訴までしてきた人」というのが居たとして
告発された人の人となりを知ってるコミュニティの大多数が共謀して、告発した人を排斥したときに
窃盗された被害者がさらにコミュニティから排斥された、これは問題だセカンド窃盗だと
第三者として被害者をさらに叩くのは許されざる暴挙という、それ自体は解らないでもない
けども、その窃盗が虚偽であったのなら
盗んでもいないのに責められれば、頭にきて当然だ
これを「盗んだかもしれない可能性について、裁判が終わらなければ確定しないのだから、告発者を排斥した行為性は、裁判の結果無罪となっても変化しない」とかおかしいじゃん
で、レイプの騒動とは「関係なく」リコール動議は度が過ぎていた、と批判を展開するとして
その理屈であれば、事案が窃盗の話でも、これは問題にしなければならないはずで
手続きの問題というだけの話になって、「レイプとは関係ない」問題なんじゃないのか?
なんで「セカンドレイプ」になるんだ?
みたいな