はてなキーワード: 弾圧とは
以前タイの地方都市に滞在した時、貸自転車で通りを走っていると近隣住民に爆笑されたことをよく覚えている。移動手段といえば車か徒歩であった彼の地の住民にとって、自転車を漕いで移動する姿はひどく滑稽なものだったからだ。
自転車は基本的に車道を走るものとされ、歩道を走る自転車への取り締まりが厳しくなってくると、
「日本の法律運用が場当たり的で自転車乗りが犠牲になっている」
など、ようするに自転車乗り様かわいそう!とする意見が目立つ。
この種の意見に欠けているのは、自転車にそもそも乗らないという選択肢だ。
歩けばたどり着くところに行くため、鉄の塊を漕いで他人と自分を危険に晒す行為はまったく不可解だ。
歩くには遠すぎるところに行きたければ車や電車に乗ればよいだけの話だ。
歩くには少し遠い距離を自転車を漕いで少し楽をしたいという自転車乗りの都合は、自転車に乗っていない他の人々にとってまったくどうでもよいものだ。
ほんの少し楽をしたいという利己心のために鉄の塊を高速で移動させて他人を危険に晒したり、実際に死傷させたりする権利は誰にもない。
そうした利己心の発露が引き起こした危害とその危害への反省のなさが今回の自転車取り締まり強化を招いていることは明白なので、そこに同情の余地は微塵もない。
それにもかかわらず、自転車乗りである自分は不当な社会の弾圧にあっている、かわいそうな存在だと主張する面々がいるとすれば、脳が壊れているとしかいいようがない。
ここ数年中国からやってくる留学生の傾向にかなり変化が起きてるように思う
以前は、日本やその他欧米の自由民主主義の空気にカルチャーショックに近い影響を受けて帰国することが多かったんだけど、最近はちょっと違ってきてる
最近身近で象徴的な出来事があって、ある中国人留学生が他のアジア圏の国からの留学生から香港弾圧について問われたとき「君たちは我が国の強さ偉大さをまったく知らないからそんな失礼なことが言えるんだ」と平然と言い放ったことがあったんだよね
もはや思想教育が現実を遮断するくらいに浸透してしまっているみたいで、大なり小なりこういう傾向の留学生が目に見えて増えてる
中国がアメリカに成り代わって世界の覇権を握る未来を信じて疑ってない
※同じ主張の人を見かけたので追記
まず始めに、TERFとは「トランス排除的ラディカルフェミニスト」の事である。
反ポルノは言うまでもない。
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野党の大半は、トランスジェンダーへの差別にも慎重になっているが、その事で支持を取り止めるTERFも多い。
しかし現与党こと自民党を見てほしいが、彼らは反トランスである。
正確には「ほとんどの差別に対し現状維持を貫いている」というのが正しいが、それでも反トランスなのはTERFにとってポイントは高いだろう。
そして言うまでもなく表現規制派なので、その点にしても反ポルノは支持するべきだろう。
AVに関するアレコレも何だかんだ与党が通さなければ成立はしていないし、過去にエロゲを弾圧して販売停止に追い込んだ存在の一つに自民党女性局がある。
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TERFにしても反ポルノにしても、歴史を紐解いていくと規制の為に、カルトと手を組む事はそう珍しくもない。
自民党がカルトと手を結んでいたという事実に対する嫌悪感は、ぶっちゃけ同族嫌悪に過ぎない。
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とはいっても、自民党やカルトがデフォルトで女性差別を抱えているのは、トランス排除を目指しているにしてもフェミニストの名が泣く。
たとえばオタクは自民党を表現規制派の巣窟だと認めながらも、レドマツに数十万票を突っ込んで自民党支持の免罪符を得た内部改革を期待している。
TERFも反ポルノも、自民党に数十万票も突っ込む事でチョロい票田として認識させればいい。
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これは自分が親世代からバリバリの党員、いわゆる党員二世なので感じる事なのかも知れないけど(活動はしておらず、現在は名簿上だけの存在)
左派による「表現の自由主義」=「ネトウヨ」=「オタク」=「表現の自由戦士w」という揶揄する流れが
ここ2、3年で急速に進んでいると思う。
まあ原因としては幾つもあってこれだけが悪いと断言出来るものは無いんだけど、元々は「表現の自由」という概念はリベラルの強いイシューだった訳よ。
そこにも共感してたから自分も共産党には長らく投票してたんだけど、さすがに近年は主張の変遷についていけず、無理になった。
少しでも歴史を知っていれば、「危険思想」として弾圧されてきた歴史を持つ共産主義や左翼思想を是とする人間が、「表現の自由」を主張するものをネトウヨ的なものとして愚弄するなんて有り得ないんだよね。
いやあり得なかったんだけど、現実的に「表現の自由戦士」と揶揄される人達と対立しているのは、左派とか共産主義を是とする人達が多いのが現状。
もちろんそこにはオタク的なもの、萌え的なもの、しいては男の性に対してのヘイトが前提としてあって、表現の自由を叩くのはその一つに過ぎないんだろうけど
長らくリベラルの理想的な理念を信じてきた者としては、もう数年前から共産党には投票出来ない訳なんですよ。
無論立憲なんてよくも悪くもリベラルの掃き溜めみたいなデッドコピーだから共産党以上に投票する価値がないし。
この前の選挙なんて、追悼の意味もあったけど、自民党に数十年生きてきて初めて投票したよ。
二世の自分がね。本当におかしくなったのかと我ながら思ったけどそれ以上にリベラルが表現の自由を叩く、即ち表現の弾圧を肯定している現状が嫌で辛い、悲しい。
踏み絵の禁止は、憲法上、信教の自由(20条)ではなく思想良心の自由(19条)の問題です。ちなみに、内心の自由は絶対的な自由と解されています。
思想・良心の自由が不可侵であることの第二の意味は、国民がいかなる思想を抱いているかについて国家権力が露顕(disclosure)を強制することは許されないこと、すなわち、思想についての沈黙の自由が保証されることである。国家権力は、個人が内心において抱いている思想について、直接または間接に、訊ねることも許されないのである。したがって、たとえば、江戸時代のキリスト教徒の弾圧の際に行われた「踏絵」、あるいは、天皇制の支持・不支持について強制的に行われるアンケート調査など、個人の内心を推知しようとすることは、認められない。
本条(引用者注:憲法19条)が,外界の行動や表現に現れない内心の自由を保障しているにとどまるのであれば,それは,本来,法の及びえない領域であって,サブリミナル(閾下)広告によって人々の行動を操作しようとするような例外的な状況を除くと,本条の保障する自由への侵害が直接に問題となる場面は,それほど多くはないとも考えられる。
本条への違反が独立に問題となりうる場面としては,①思想や信条の告白を強制する場合と,②特定の思想や信条を有することを理由に不利益を課す場合とが考えられる。
ちなみに、芦部142頁によれば思想・良心の自由の保障をあえて明文で規定するのは比較法的に珍しいようです。長谷部194頁によれば歴史的には宗教改革により対立する宗派の共存の必要から信教の自由が近代立憲主義が保障する権利の中核的地位を占めたのだそうですが、わが国では、明治憲法下において、治安維持法の運用に見られるように、特定の思想を反国家的なものとして弾圧するという、内心の自由そのものが侵害される事例が少なくなかった
(芦部143頁)ことから、思想・良心の自由を特に明文で保障する必要が意識されたのでしょう。
7歳上のアンケセナーメンと結婚。夫の死後彼女が捧げた花を墓の発掘者カーターは「どんな財宝よりも美しかった」と称えた。未亡人となったアンケセナーメンは後継者アイとの結婚を嫌がった。
25歳の時に15歳年上の未亡人ハディージャと結婚。天啓を受けたムハンマドを励まし予言者としての自覚を与えたのは他ならぬ姉さん女房のハディージャである。
・円融天皇
12歳年上の媓子と結婚した。夫婦関係は良好で会ったが、跡継ぎに恵まれず立后後6年で媓子は崩御した
・堀河天皇
中宮は19歳年上の叔母篤子。夫婦共に教養人であったために仲睦まじかった。天皇が若くして崩御すると篤子は出家した。
・藤原道長
2歳上の正室倫子とは夫婦円満で多くの子宝に恵まれたことが出世に繋がった。
・一条天皇
9歳上の中宮威子以外の妻を娶らなかった。
1歳上の妻ボルテと結婚した。チンギスが弱小武将であった頃からの妻は特別な存在であったようでチンギスの後継者は皆ボルテの息子である。
・成化帝
明の皇帝。19歳年上の万皇貴妃を溺愛したが。嫉妬深い彼女は他の妃を悉く堕胎させた。彼女が亡くなった悲しみから皇帝は同年に没した。
神聖ローマ皇帝。2歳上のマリー・ド・ブルゴーニュと結婚しブルゴーニュ公となった。政略結婚であったが仲は良く、共に乗馬や狩猟に興じた。しかし、マリーが落馬事故で亡くなったため、5年で幸福な結婚生活は幕を閉じた。妻の死後マキシミリアンはローマ皇帝となる。
・アフォンソ
ポルトガル皇子。5歳上のイザベルと結婚した。夫婦関係は良好だったが、落馬事故で夭折した。イザベルは再婚しないことを宣言したが、ポルトガル国王マヌエル1世と結婚することとなった
フランスヴァロワ朝の国王。19歳年上の愛人ディアヌ・ポワティエにうつつを抜かし、正妻カトリーヌ・ド・メディシスを冷遇した。厳密には妻ではない。
秘密裏に2歳上の豪商の娘フィリッピーネと貴賤結婚した。フィリッピーネは豊富な薬学の知識を持ち、貧民の救済に努めた。
・直江兼続
3歳上の船と結婚した。側室を持たなかったことから彼女への愛の深さが窺える。
・上杉鷹山
イギリスハノーバー朝の国王。6歳上の未亡人マリア・フィッツバードに夢中になり、秘密結婚した。正妻キャロラインのことは嫌っており、冷遇したため、国民は彼女に同情した。
・ハンス・アンデルセン
童話作家ハンス・クリスチャン・アンデルセンの父親。12歳上のアンネ・マリーと結婚した。
6歳上の美女ジョゼフィーヌと結婚した。ナポレオンが妻に熱烈な愛を向けたのに対し、ジョゼフィーヌは夫のラブレターを晒して笑いものにするなど、当初は良好とは言えない夫婦関係であった。跡継ぎに恵まれなかったため、二人は離婚したが、ジョゼフィーヌは皇后の称号を維持することが許され、二人の間に交流が続いた。ナポレオンは臨終の際に元妻の名を呼んだ。
イギリス首相。12歳年上のメアリーと結婚。当初は金目当てで結婚したが、次第に愛し合うようになり、政敵グラッドストンですらその夫婦関係を模範的と称えた。
1歳上のいとこエマ・ウェッジウッドと結婚。エマは絵に描いたような良妻賢母で度重なる子の死に耐え、病弱な夫を支え続けた。
南北戦争の英雄。2歳上の妻アニーは夫の死後生涯独身を貫いた。
・勝海舟
2歳上の民子と結婚。民子は奔放な夫を懸命に支え続けたが、最後は愛想を尽かしたようで勝のそばに産めるなと言い残した。
・明治天皇
・レーニン
1歳上のナデジダと結婚した。彼女はレーニンと共に革命運動に一生を捧げ、夫が病気に倒れた際も献身的に介護した。
ドイツ出身の哲学者。4歳上のガードルートと結婚した。彼女がユダヤ人であったため、ナチスドイツから弾圧を受けたが、妻への愛を守り通した。夫婦で家に籠城し、強制収容所に送れられそうになる寸前で連合国軍が来て、助かった。
3歳上のエディスと結婚。彼女とのデートから着想を得て、ベレンとルーシエンの恋物語が創られた。
・スカルノ
11歳上のインギットと結婚した。彼女は夫の独立運動を支えたが、一夫多妻制を拒否して離婚した。
・ダリ
10歳上のガラと結婚。ガラは若いアーティストとの不倫を繰り返したが、ミューズ、マネージャーとして夫の創作に貢献し、彼女が亡くなるとダリは創作を辞めてしまった。
・田中角栄
8歳上のはなと結婚。はなは表に出ず、陰で夫を支え続けた。
イギリスのチベット学者。妻は1歳上のアウンサンスーチー。妻の民主化運動をロビー活動で支援したが、自宅軟禁により引き離され、二人が再会することは叶わなかった。
TPOというのは元々ファッション用語であって、その概念を持ち出すならば「文化的営みの自由」のレイヤーで議論しなければならない。
しかし、
という事例を持ち出すということは、(それ自体に侮辱の意図がないことは理解出来るとは言え、)「性的営みの自由」または「政治的営みの自由」のレイヤーの議論にすり替わってしまっている点には注目する必要がある。
TPOとは例えば、「見せパンも休日のファッションとしては自由にすればいいけど、会社に着てくるのは空気読めてないよね」というような議論でなければならないはずなのに、いつの間にか「恋人とセックスするのもプライベートでは自由でいいけど、往来でやったら露出狂だよね」という話にすり替わってしまっている。猥褻物陳列は犯罪行為であり、もはや「TPO」の話ではないのに、これに反論すると「TPOが守れない人」というレッテルを貼るのは卑怯だと思う。
いや、これは卑怯というよりも、単に人々が「TPO」という概念をそもそも誤解しているのかもしれない。だとすれば、「これは性的営みではなく、文化的営みあるいは政治的営みだ」という異なる反論が必要になる。「マジョリティとは異なる文化圏が存在する」ことに理解と敬意を求めなければならなくなる。
何にせよ、このような粗雑な議論から始められてしまうと、反論する側も複数の全く異なる論点を同時に進めるという難しい対応を迫られてしまう。このように言語化の労力を押し付けられてしまうと、必ずマイノリティ側が不利になる。
また、例えばコラボとして行政や公共、社会に参画することにはアファーマティブアクションとしての側面があることも無視してはいけない。
これまで世論が空想性愛者およびそれに類する人々を不当に弾圧してきた歴史を反省するならば、多少のはみ出しに対して、「批判の自由」の名のもとに思い付きの言葉で口汚く罵るようなことは厳に慎まなければならない。何らかの批判があるならば、まずマイノリティに対する敬意と聞く耳を持って、丁寧な論考から対話を始める必要がある。
https://murakami-haruki-times.com/jerusalemprize/
もしここに硬い大きな壁があり、そこにぶつかって割れる卵があったとしたら、私は常に卵の側に立ちます。
そう、どれほど壁が正しく、卵が間違っていたとしても、それでもなお私は卵の側に立ちます。正しい正しくないは、ほかの誰かが決定することです。あるいは時間や歴史が決定することです。もし小説家がいかなる理由があれ、壁の側に立って作品を書いたとしたら、いったいその作家にどれほどの値打ちがあるでしょう?