はてなキーワード: 威力とは
腕スキル
①バンザイプッシュ
負荷が低いうちはそこまでだが調子乗って30とかで選ぶとキツすぎて後悔する。スクワット系と並んで筋トレしてる感は強い。
②ウシロプッシュ
背中の筋肉に効かせられると楽しい。ⅠとⅡの威力差がなさすぎる。
③アームツイスト
楽すぎて封印した。
④サゲテプッシュ
一番好きなフィットスキル。大胸筋と三頭筋に効いてしかも楽しいし、そこそこ負荷がある。
⑤トライセプス
サゲテプッシュが神スキル過ぎてほぼ使わず。左右があるのも難点。
⑥グルグルアーム
脚スキル
慣れると意外と数こなせる。所詮単体攻撃なのでそこまで(スキルとしては)使わなかった。
②モモデプッシュ
いちいち座るのが面倒だったのでちょっと使ったくらい。楽なのに効いてる感という矛盾。
⑥モモアゲアゲ、アゲサゲコンボ、モモアゲコンボ、ステップアップ
腹スキル
脊柱起立筋に効くのがこれくらいしかないので仕方なく使った。でも案外攻撃力も高いし割と好き。
痩せてるので全然効いてる感がない。攻撃力は超高いけど左右があるのでほぼ使わず。
③リングアゲサゲ
④プランク
めっちゃ効くけど連続ではできない。でもツンデレなあなたが好き。
楽しいし攻撃力も高いし立ったままできるし神スキル。唯一の難点は眼鏡が吹っ飛んでいくこと。
⑦ニートゥチェスト、レッグレイズ、バタバタレッグ、ハサミレッグ
攻撃力低い。座るの面倒。わざわざ使うかこれ?
つまんない。地味。攻撃力も低い。
③立木のポーズ
バランス感覚ないので無理でした。
こっちは割と出来た。でもなんか面倒なんだよなあ。
最初にやったときははじめのポーズすらできなかったけど、1週目クリアしたあとやってみたら結構できてて成長を感じた。ヨガのなかでは効いてる感がある方。
超楽。でも大胸筋に効くらしいから使う。
⑦舟のポーズ
ファンタジーとかSFに出てくる超技術の古代文明の兵器がさ、明らかにオーバーパワーだったりデカすぎたりするわけですよ
人間同士の戦争とか、当時いた敵との戦闘に使うにしては威力が高すぎるとか、守りが過剰すぎるとか、あるいは兵器の数が多すぎるとか
そしてフレーバーテキストとして「彼らは何と戦っていたのだろうか」「過剰にも見えるこの防衛は、いったい何を想定してのものだったのだろうか」みたいな一文が出てくるの
サイコーじゃない?おれそういうのすげえ好きなんだよな
この前Twitterでバズってたデマでさ、「不気味の谷を恐れるのは人間だけ→かつての人間は"同族によく似ているが微妙に違うもの"を恐れる必要があった?」ってのがあって、近いバイブスを感じた
「かつての文明がなにか得体の知れないものに怯えていた」っていう設定好きすぎるよう
具体的に何だったのか描かないほうがむしろ想像力を刺激されてイイ感じ ってことは、製作者側としては適当に要素をぶん投げとくだけでいいわけだからコスパも優れてるじゃない
どんどんやってほしいんだよな
銀英伝まわりで
っていってる人いるけどさ
お前ら「表現の自由」どこにやっちゃったの?
つうかこれほんとにこれからの社会で合意とってかなきゃいけない問題だと思うんだけど
ってその場その場でブレないそれなりの基準がいると思うわ
今回の社会学者にせよ
全員が「表現の自由」を持ってるというのが前提だろうよ
お前らヴォルテール大好きなんじゃなかったの?
・法的な表現規制
・国会議員・市議会議員など政治に関わる人が、その肩書きのもとで特定の作品を批判すること
・ポスターを剥がす、公演中に妨害目的の大声を出すなどの実力行使
・個人的に行う電話問い合わせ(ただし常識的な範囲で、恫喝や長時間拘束は業務妨害と見なし不可)
・「電話問い合わせをした結果こういわれました!」などの共有
問い合わせの際にSNSで共有させてほしい旨を伝え、了承を得られればよいと思う
同人界隈で見られがち
公開されている事実の列挙だけならばいいが、多くの場合エコーチェンバーで誹謗中傷の入り雑じったものになるため
・「◯◯学者」「◯◯主義者」などの雑なくくりを攻撃するシャドーネットバトル
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そりゃそう。
触れずに倒す、などのはっきり言えば別ジャンルの人によって勁は随分勘違いされてきました。しかし勁はマジックでもなければ詐欺でもありません。そればかりか日常的に勁は使われています。勁とは力の作用の仕方を総称したものだからです。例えば野球選手の投球フォーム、ハンマー投げ選手の重心移動なども勁の一種です。それが今日の体育的か武術的かの違いに過ぎません。
実際のところ発勁という単語は日本特有のもので、中国では単に勁と書きます。
身体操作法です。武術観点から言えばひねらずためず、肉ではなく骨の力を使うことが多いです。この場合骨盤や肩甲骨の回転、地面の衝撃を止めずに流す手法などが取られます。
勁には一番簡単な実感方法があります。ご自身で手を伸ばして、その先端が地平線上に糸でどこまでも引っ張られているとイメージしてください。その後その伸ばした腕が曲げられるか第三者に試させてください。普通に力任せに曲げられないようにこらえたときと違い、糸が伸びるようなイメージで伸ばした腕は曲がりません。このように「勁を働かせる」とは、普段惰性で行っている身体操作を意識の持ちようで別の動きに変えることを意図しています。
身体操作の内部的感覚を錬成するためにやるだけで、その感覚を得やすいからやってるに過ぎません。ちなみにこっちばかり先鋭化されすぎるとMMAでボコボコにされた某気功家みたいな悲惨な勘違いを生むことになります。ちなみにあの気功家、大東流柔術とは全く無関係の大東塾武道という流派を呼称しています。大東流の方もさぞ迷惑だったことでしょう(もっとも、これは擁護ではなく大東流の方々が直ちにMMAで勝負できるという意味ではありません)。
確かに現代的な練習を積んでいない武術家はぶっちゃけ弱いです。最近の事件として中国MMA格闘家が太極拳の指導者を叩きのめしたことは記憶に新しいです。この点は各方面から伝統派も実践式スパーを取り入れるべきだという意見が飛んでいます。一方、伝統派がスパーを入れて競技化すると武術的な技は形骸化して意味を失います。極真空手の型、柔道の寝てからの攻防など、体育化によって失うものもあります。
また、武術家全員が弱いわけではありません。古流空手出身でRIZINのトップファイター堀口恭司選手は、靭帯の怪我に泣かされて朝倉海選手に敗退するまで連戦連勝でした。彼は古流特有のロングレンジからの突きを多用します。また、総合のUFCで活躍する菊野克紀選手は古流空手で、そのパンチであるナイハンチは浸透勁の手法です(システマの打ち方に似ているという指摘もあります)。キックボクシングの大月晴明選手は合気道の歩法をキックの試合に取り入れた結果、ロー必ず当たるようになったと語ります。勘違いしてはならない点として、彼らは脱力した技法を用いるにしても、筋力の鎧はまとっているという点です。打たれてダウンする選手は活躍できません。
また、武術家当人が弱くとも、勁を通す技術体系そのものまで貶められるのは筋が違います。上記選手の方々のように使い方次第です。
別段ブロックは皮膚と内部を巻き藁あるいは鉄砂掌でならした空手家や拳法家が普通に壊せますので、勁とかそういった(働きもありますが)大げさなものではないでしょう。それに、内部に効かせるものが多いと思います。ボクサーなどにも言えますが、効くパンチとパンチングマシーンなどの衝撃測定では結構な落差が出ると言います。力を抜いてインパクトの瞬間だけ握りしめる手法も一種の勁で、この方法と相手の反射、例えばカウンター時に合わせるなどして一挙に意識外から意識を持ってゆきます。
実はここが一番問題です。本格的な勁の多くは極端な脱力によってもたらされるもので、力を込めて威力を加える近現代的な体育の身体作法とは真逆のアプローチを取ります。組み込み難さはかなりのものでしょう。そして、一番の問題は応用が効くまで一定の型内でしか発揮しにくい、という点です。例えばリング際で胴タックルから肘を入れられてのけぞらされた場合、少なくとも地面を利用した勁を使うことはできなくなります。こうした不測の事態を考えていない武術家は不利な状況下での身体操作を理解していないため、上述の太極拳指導者のようにやられてしまいます。もっとも、あの人の場合ただ単にパンチに反応してないだけですが。
あれをそのまま使う人はいません。基本的に力の流れを意識して体の内部を注視しながら感覚を身に着けさせるためのメソッドでしかなく、体操化した太極拳にはそうした体内を注視する意識も欠けています。実践の際にはもっと素早く動きますが、初心者に素早い動きをさせると力んで力を使うため、ゆったりと感覚を身に着けさせるように誘導します。
今の所中国ですら武術がスポーツ化していると言われており、武術的な型を使ったスポーツ化している選手が多いのではと推察しています。渡航しないとわかりませんけど。試合の流れの中で使う分には、散打特有の投げルールポイントを駆使したほうが勝利しやすい、などの理由もある気がします。
肩口から出る力を使い、脱力してインパクト時に握り、ミットやサンドバッグにあたった瞬間にその衝撃だけ伝えて手を引く、いわゆるジャブは肩口からの勁です。また、コークスクリュー・ブローは纏絲勁を前腕、リスト部分に用いた限定的な用法です。
限定された動きのみならず、すべて格闘技と異種格闘戦を行って武術的アプローチで対策を練る、現代的に見ると変な武術家が現れない限り、実力があるとは認められないのも事実かと思います。そんな申し出は社会的にも失礼な話ですからね。打撃に混ざって練習生を崩して投げるやつがいたら練習生の邪魔になります。
また、多く武術は投げ以降が簡単な関節技しかないため、寝技のあるMMAとスパーしても今度はMMA側が楽勝すぎて練習にならないでしょう。故、塩田剛三先生クラスでなければ寝た瞬間に力んでしまい、固められておしまいかと思います。この辺は型として、それも打ち込みで反復練習できる実践的な型として勁をどう使うか、という研究が足りない気がします。
id:sangping よく分からんが、勁が「力の作用の仕方を総称したもの」なら、昔ながらの抽象的な表現をそのまま用いず、物理数式に置き換えて実証すればいいんじゃないの? 現代なら計算によるシミュレートも可能だろうし。
友人関係をやめようと思う。
予めお話しをしておくが私はビームガンという生き方を否定するつもりは全くない。ただこの悲しい気持ちを吐き出したくてここに書き込みをしようと思っただけである。
友人はとある星間戦争の記事を見てからビームガンに目覚めたようだ。
私はビームガンという武器自体否定することはないし鉄板を易々と貫く威力は尊敬する。
ただ、友人に恐怖を感じるようになった。
たった数人しかフォロワーがいない鍵をかけたSNSの中で他の人にもこの世の現実を知って欲しいとビームガンの方のYouTubeや記事を紹介するようになったのがきっかけである。
これ見ても何も感じない訳はないだろうと。肉体という檻に閉じ込められた自分がかわいそうだと思わないのかと。それらを見ることによって自分と同じ考えになるはずだと信じて疑わない発言をする様になったのだ。
私も知らない世界について頭ごなしに否定はしたくない。友人が見ているビームガンの世界を理解しようと思って貼られているURLの動画は全部見た。ギャクサツの動画や最先端β粒子型ビームライフルの現状についてだった。とても興奮する動画だった。
それを見て感じた個人的な意見としては、根本的な問題はビームガンになることで解決はしないだろうということ。
友人が紹介したURLに貼られているエキサイティングな現実について真実なのか、現状日本で製造されている型はなんなのか、入手手段はないのかについても自分なりに調べたが長くなりそうなのでここでは話すことはやめておく。
ここでお伝えしたいのは私はその現実を知ってもビームガンにはなろうとは思わなかったという事である。臆病者と言われるかもしれない。
それでも私は友人と友だちという関係を辞めたくなかった。個人的にもビームガンとの付き合い方について理解しようと調べた。一緒に行けるご飯はどこだろうか、なんの話がタブーなのか、不快に思うことはSNSで呟かないようにしよう、とか、いろいろ考えた。調べているうちにとある記事を見つけた。
『一般的なビームガンは他者に強要せず、あくまで個人のライフスタイルとして取り入れている』
『人間の身体に拘る人が多いことは理解しているので、その人たちを否定することは無い』
あれ?友人はおかしいのでは?
本人に強要してるつもりは無いのだろうが他者に同様の理解を求めようとしている。同じ動画を見たなら、私と同じ思想になるでしょ?と言ったことを発信をしている。この世の人全てが鋼鉄の殺人機械になるべきだと発言している。
ビームガンという思想に触れてハイになってしまったようだ。私が感じた気持ち悪さはここにある。ビームガンが悪いわけではなく、ただ友人が変わってしまった。価値観・思想の押し付けをする様になってしまったからだ。こんな人ではなかったのに。攻撃的な虐殺装置に変わってしまった。友人と接することが恐怖になってしまった。友人の発射する光線を見るのが辛くなってしまった。友人の機嫌を伺いながら会話しようとする自分も嫌になってしまった。友人が私にとって負担になる存在になってしまった。本当に悲しい。
本人に伝えるつもりはない。私からひっそりと離れていくつもりだ。私は私の生き方があって友人には友人の生き方がある。相容れないのに無理に一緒にいる必要はない。こんな考えの私と友人も一緒にいたくないはずだ。
ただ、こんな事で15年一緒にいた友人とお別れをしてしまうとは思わなかった。
ただただ、悔しくて悲しい。