はてなキーワード: パーセントとは
いや完全な与太話を本気にするほうが悪い。
私は別に何もすることが無いわけでも無いことも無い予定が無いのよね。
咳をしてもなんとかよ。
うーん
今年1年を総まとめしてなんというか?ってなるとどうなるのかしらね?
私的には色々とマジでお仕事にも役立ったChatGPTちゃんに1票を上げたいわー。
文章も書いてくれるし、
後半になったら絵も描けるようになったじゃない。
あれには驚愕よね。
私も色々とアウトプットやってもらってるんだけど、
人間の手が追いつかないぐらいよー。
海外の調べ物って具体的に言うと
郵便番号と電話番号の桁数のフォーマットを教えてくれるだけでも
もの凄く楽チン極まりない烈伝全8巻を読破してしまいそうなほどの勢いだし。
あれネットで調べても、
この情報あってるの正解なの信じていいの?って極まりないぐらい疑ってかかって仕方がないインターネッツ社会の縮図みたいになってるじゃない。
かといって予めこっちが知っている情報を答え合わせで尋ねてみたら
ぜんぜん嘘のことを言い出したり、
なので100パーセント信じているわけではないけれど
ものは使い様よ。
なんだかんだいってAIのChatGPTちゃんに翻弄されたこの2023年だったわーって私の2023年はまだ終わってないんだけど。
あとあれよね、
コロナ禍も解除されつつ人がぱんぱん観光客がごった返している感じも
ここ久しぶりの感覚だわー。
いまだ争いは続いているんだけど、
営業所の方は閉鎖されて
引き続きなんていうの?弁護士とかのやり取りをしている感じみたいね。
私はそれはちょっと話をその時に聞いたぐらいで
その後はそれぐらいの情報しかその情報筋の人から聞いたぐらいしか知らないけど
結局オーリョーしていたとおぼしき営業所は潰されてしまったわー。
もちろん全員解雇でーって話しよ。
あと私の鍋のベーナー情報で言うと、
今年の前半はおでん屋さんで夏場はおやすみでこの冬からまたおでん屋さんと思ったけれど、
年末年始はこれをベースにパスタとか鶏肉とか煮込んで美味しくいただけそうよ。
お休みだからって不規則なリズムにはしたくない繰り返すこのリズムでキープしたいところよ。
相変わらず
スプラトゥーン3と後半から一気にブームのF-ZERO99に途中で夢中になったファイアーエムブレムエンゲージかな。
思いのほかスーパーマリオブラザーズワンダーもよくって、
クリアしてしまうのがもったいないぐらいとここで書いて思い出したので
クリアしなくちゃ!っていい加減1つのことをやり遂げる勇気を私にも持ち合わせたいワンダーだわ!
スーパーマリオブラザーズワンダークリアにしようかしら?
ちな
F-ZERO99は目標とかないし日々のノルマの5レースをやってラッキーカードをめくる楽しみと、
スプラもそうよ!
S+の腕前まで持っていきたいところ最低でも今シーズンは!ってところね。
そうなるってーと
いけないいけない!
いい加減HDDレコーダーの中身も消化しつつ
ここで一気に空き容量を空けたいところ!
これも苦しい消化作業なのよね。
あとまたもう一つ!
スマホで読んでいたら小さいし、
そーなるってーと
キンドル端末のペーパー電子端末でまたちくちく開いている時間に
特に最近はランチのランチが提供される間のランチ待ち時間に持ち込んで読むと
逆にあのオーディオブックはぜんぜん聞き進められないけれど、
まあ総じて私の1年ってそんな感じだったのかしら?
増田的には何個かはブクマ300行ったのがあったような気がしないでもないけれど
過去を過去的に可及的速やかに振り返らないでお馴染みの私だから、
たぶん300超えあったようななかったような
そんな感じの出来栄えだわ。
忘れていたけど、
思い出すまで忘れていたけれど増田も頑張らなくちゃ!って思ったわ。
マジこれ本筋のメインで本域で頑張らなくちゃいけない案件じゃない!
わちゃー!って感じよ。
私の一番の目的の部分をすっかり忘れていた意義を思い出したわ!
杉の上の梢に明るく光る星に願うのよ!
でもさー
おおよその計画実行できるのは1割も満たなくない?
たぶんこれ書いたの全部実行できない気もしてきた時間を有効に使いたいって事しか書いてないけどこれだから私はいつも自分を見失ってしまうのよ山脈に向かってヤッホー!って叫んじゃうのよねー。
結局お休み明けなにも出来なかったー!って事態には避けたいじゃないそれ一番で。
なので、
自分に言い聞かせることを言葉の意味はよく分からないと思うけれど、
ほんと有意義にってことよ。
うふふ。
年越し蕎麦にはまだとても早いけれど、
私がいつも食べて寄るこのお店が一番麺好きかもメーン!って感じで
やっぱり比べてみて初めて気付く麺の偉大さよメーン!ってところよ。
麺大事!
時間があったので、
これの淹れ方しちゃうと
急須が面倒になって仕方がないわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
どうして自分自身に暗示を掛けて神さまとかいうウソを信じ込むのが推奨されているのか。
現に、日本人の多くが神さまとかいう欺瞞に頼らなくても十分暮らしていけてる。
神さまに拝まなきゃ辛いほど追い詰められてるなら、抗うつ剤とかストラテラに頼ればよくね?
お墓とか祈祷とか宗教に貢いでるカネを取っておいて、アイドル Vtuber にスパチャした方がまだしも幸福のコスパはいいと思うが。
生物多様性を大切にするとか言ってるのと同じ口で、せいぜい数個のバリエーションしかない宗教にこだわってるの意味がわからん。
追記・
議論のツリーで「科学的に天国は存在しない」と言ってる人を見かけた。
いや混乱するかもしれないが、それは誤解だ。
科学に身を置いて生きれば宗教は必要ないと主張するオレだが、しかし別に天国はないなんて言ってない。
宝クジが当たる確率とか、流れ星が落ちてくる確率とか、婚活が成功する確率とか。
ランダムで何回に一回あたるはずと想定する、小惑星帯に流れ星を妨害する障害物が一様に散らばっていて数パーセントの確率で軌道が変わるはずと想定する、とか。統計的に今までペアになった確率は数パーセントで未来もさほど変わらないはず、などなど。
「天国の存在する確率はわからない」が正しい答えだ。十分に妥当な確率モデルを示せないんだよ。
天国は存在するかも知れないし、しないかも知れない、わからない。
つ オッカムの剃刀
オッカムの剃刀とは理論は可能な限りシンプルである方がいい、という提言だ。
しかし、この格言は科学界で人気の思想というだけで、外せない原理原則ではない。
もしシンプルな方がいつも正しいのなら、光速度不変の原理という速度上限は必要なく
近年、GPSの 狂いやブラックホールによる光の湾曲など、相対性理論があって初めて説明できる事象が観測されるようになった。
しかし昔を思い出してほしい。
それらが確証事例が無かった時代にも相対性理論は議論されてたんだよ。
成人済み女。
数人のお付き合い経験あり。
ただ、セックスするのがどうしてもこわい。
コンドームやピルでほぼ避妊できるといっても100パーセントじゃないんでしょ。
このままうっかり子供ができておろすにしても産むにしても信じられないくらいの責任が圧し掛かってくるようで、いやらしい気持ちが一気に冷めてしまう。
性欲はないわけじゃない。一人でなら時々するし。正直、(子供ができないから)おもちゃとかなら興味ある。
でもどうしても生身と最後まではこわい。
いれるのがこわい、ではなく、その後の責任がとてもとてもこわくて。
まだ自立もしっかりしていない、向こうと結婚する予定も覚悟もないのに、もしも子供ができたら。
結局いつもBどまりで、それが原因で別れたことはないけれど、周りの友人や世間の風潮を見ていると私はおかしいのかと思ってしまう。
やっぱり異常なのかな。
問題にしなくてはいけないのは、それが予期出来たはずなのに対策を講じていない場合などだろう。
ある販売店のクリスマスケーキのほとんどがグチャグチャになって届いたなら、それは問題だ。
「〇〇ならば、と期待していたのにガッカリだ」といいたくなるのはそういうときだ。
しかし、ただ単に何らかのミスやトラブル、突発的な現象によって問題が起こったのならそれは仕方がないことなんだよ。
もちろん文句は言いたくなる。
それでも完ぺきを期することを目指すなら他人ではなく自分に期待しよう。
でもさ。
それでもって人生が終わるわけでもない。
はー、やれやれ。
そんなふうに呟いて崩れたケーキを笑いながら食べるのも悪くはない。
と、そんな風に私は思う。
俺の働いてる市の生保受給者は人口の1.5パーセント前後。うちの受診患者を無作為に調べてみても、大体そのあたりの数字に落ち着く。
ところがこれが夜間だと、その割合がぐっと跳ね上がる。
「日中の外来に来てくださいねー」と言っても無駄。次にお会いするのはやっぱり時間外。
午前1-5時あたりは元々患者の少ない時間帯である。生保患者はなぜか、この時間を狙ったかのように集中する。
ちなみに一般人で変な時間に来る人は、ホンモノ(本当に病気がある場合)が多く、こちらも身構えてアドレナリンが出るのだが、
生保だと軽症であることがほとんどで、仮眠時間を取られ体力が削がれる以上に気力が萎えること甚だしい。
時間外のうち救急車で来る人は1-2割だが、生保に限れば4-5割程度になる。
自宅で気分不良?たいがい酒酔いか過量内服、それかいつもの不定愁訴である。酔って転倒する奴も多いな。
週に3回とか普通。日に二回もたまに。
「あそこじゃ十分診てくれなかった」と日に複数施設をハシゴする者も。もちろん全部時間外なのは言うまでもない。
残念、それを決めるのはセンセイたちの仕事です。
きついから入院させてくれ?だってあんた検査も診察所見も全部正常ですやん。
以前救急外来から引き取った生保患者、次の日には勝手に帰ってやがった。
病室に仲間を呼び込んで苦情が来たり、トイレで煙草吸ったりする者も。
生保が診察券を出すところを目にしたことがあるが、財布の中は「○○整形外科」「△△ハートクリニック」「××内科」…と診察券でパンパン。
方々で鎮痛剤や向精神薬を過剰に処方されてるのは明白。
以前、生保の医療費が3倍というニュースがあって、怪我や病気が多いからそのくらいは普通なんて言われてたけど、
ここで、困った人が普通よりちょっと多いだけか、一部の人間が極端な悪さをしているだけで多くの生保患者は日中普通に受診してるんだろ?
という声が聞こえてきそうである。そうであればよかった。
俺の通常外来に来てる生保患者の大半が服薬もきちんとしてないし、予約した時間に来ないし、とにかく病気に対する意識が薄い。
それを指導するのがお前の仕事だろ、って?ええ。頑張ってましたよ、これまではね。でももう飽きた。
いままで何してたの、って感じの人ばっかだし。慎ましい難病患者、貧困患者、高齢者、なんてのは幻想。
もうこいつらに必要な医療といったら、疫病の感染源にならないとか、不慮の事故で死なないとか、その程度っしょ。
Y本病院みたいに囲い込んでカテーテルの実験台にしたとか、いいじゃん。もうどっかで囲い込んでくれ。そして外に出さないでくれ。
俺が助けたいのは善良な人間なんだ。ちゃんとした人たちのためなら、当直明けの勤務だって頑張れる。でももう無理。
てなわけで今年いっぱいで辞める旨を院長に伝えてきた。病理、放射線、臨床検査などの、診察のない部門での再出発を考えてる。
たとえばulをフレックスコンテナとして、その子要素liの子要素imgに対してmax-width:100%をかけていたとします。
デフォルトだと、imgを内包したliがulの中で横並びになり、さらにliの横幅は自動的に親要素の横幅をliの個数で割った分だけ縮小されますが、ここでflex-wrapにwrapをかけると、imgで表示する画像のサイズがある程度大きいと、wrapとしないときよりもliごと大きく表示されます。
しかしliの横幅はそもそも指定していなくて、しかもその子要素のimgに対してmax-width:100%をかけているということは、そのcssの指定の意味を論理的な日本語で表すならば、imgはliの大きさを基準にその100パーセント分の大きさで表示しろという意味の指定になると思います。
しかしその基準であるliの大きさを定めていないのだから、imgの大きさも定まりようがないというのが論理的な解釈だと思います。
それでも実際はwrapをかけるかかけないかでそれぞれ一意的にある大きさでimgが表示されるわけです。
ようするにcssはそこに記述されているプロパティの兼ね合いで最終的にある要素がどういう風に表示されるのか、その挙動を理詰めで予測するのが困難な部分があって、それはプログラミング言語よりもある種厄介な癖として立ちはだかっているように思います。
上記の例の場合も理詰めで挙動を予測するには、プロパティの性質に関する論理的な情報が不足しているように感じます。「imgはliの大きさを基準にその100パーセント分の大きさで表示しろ」という情報から、実際どのような大きさでliやimgが表示されるのかはっきり言って予測しようがないと思います。
多くの参考書にもどう挙動するのか一意的な推測を可能とするだけの情報は書かれていません。
もしかしたらcssの公式の仕様を端から端まで参照することで過不足なく挙動を把握するための情報が手に入るのかもしれませんが、仕様のどこか今の自分の仕事にとって必要な情報なのか見極めるのにはなかなか困難なところがあるという意味で、情報に対するアクセスの困難性があると思います。
私はjavaも学習しました。極めたというところには全く到達していませんが、それでもああいった言語は書いた通りに動くものであるということを実感しています。つまり自分が今書いた、書こうとしているコードがどのような動きをするのかを予測するための、各記法や関数に関する文法が情報として過不足なく学習者に提供されているように思います。
cssにも事実上として「文法」なるものはあることは前述の例からも疑いの余地がない(先に書いた解釈以上に要素の表示を決定づけるための文法がないなら、要素の大きさは決定不能ということになる)のに、その情報がいまいち曖昧に提供されているきらいがあるように感じます。
https://coliss.com/articles/build-websites/operation/css/about-css-layout-algorithms.html
↑このような「レイアウトアルゴリズム」と語るサイトも見つけはしましたが、私の言っている文法、すなわち、要素の表示のされ方を決定づけるための処理のフローと、概念的に同質なのかはいまいち不明です。
他の端的な例としては隣接する要素同士がネガティブマージンなので重なった場合、z-indexを指定してない場合はどういう法則でどちらの要素が上にくるのかとかも、本来は明確なアルゴリズム、文法に則って決定されているはずなのに、多くの初学者あるいは中級以上の方でさえも当て推量とセンスと試行錯誤で、なんとか自分の意図通りの表示になるように調整を繰り返すことを余儀なくされているかもしれません(意外と単純で要素の名前について辞書順ベースでどちらが上にくるか決定されてる?)。理詰めで考えさえて設計しさえすれば一発で自分で思い通りの挙動(表示)をさせる、ということが困難な言語がCSSの癖として立ちはだかっているように思います。それはある種プログラミング言語が持つそれよりも厄介な癖だと思います。プログラミング言語の方がある意味で「素直」に挙動してくれると私は思います。
同じように感じた人は教えてください。またそういう感覚を卒業してCSSの挙動が論理的に手に取るようににわかるぞという方は今後の学習に関するアドバイスをしていただけると助かります。
ケーブルテレビSTBでは見られない場合が多いようなのでBSパススルーとか
地域によってはSTBで見られるようになったかもしれないので最新情報要確認
・04 木村庄之助 きむらしょうのすけ
・05 桃太郎電鉄
・06 『キングダム』
・07 [漢字を読みましょう]いんど ぱり ぶらじる さんふらんしすこ ろんどん とるこ べるりん すいす
・08 『ゴッドファーザー』
・09 井戸田潤 いとだじゅん
・13 カシュクール
・14 草(かんむり
・15 沖縄(県
・16 つんく♂
・18 なかやまきんに君
・19 7(つ
・21 [共通]ユキ
・22 [AC]叡 えい
・27 [3択]6 7パーセント
・29 アメリカ
・30 [3択]田安(家
・32e Hard
・xx 佐野常民 さのつねたみ