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はてなキーワード: バブル期とは

2019-01-30

anond:20190130153632

日本人女性海外モテるのは「ロリ顔だから」だよ。

年齢の割に幼く見えてしまうから

そっち系が好きな男たちにモテる

もともとは、90年代バブル期ハワイとか海外旅行に行った女性があっちでモテたみたいな話から出てきていたように記憶している。

2019-01-09

anond:20190109004239

増田中学の頃バブル期じゃん。

世の中そりゃ楽しかったろう。希望しかなかったろうよ?

まあ詰め込み教育とか受験ノイローゼかいじ自殺とかニュースでやり始めた頃だけど

まあ面白く無き世を面白く?していくしかないんじゃね?どうせ20年後には発展途上国になるんだし日本

2019-01-07

 

はてな村人ドン・キホーテに対する馬鹿に仕方を見ているとすごくバブリーだなと思う。バブル期を知ってる人なら当時と同じ空気を感じるよね。今の景気もああ弾けるんだろうか。

2018-12-27

anond:20180527151441

糸井重里が言うとバブル期の名キャッチコピーみたいに聞こえそうだな

「都会でぶつかるのは仕方ない」

2018-12-26

anond:20181226152031

世界はそこから更にもう一周回ってんだよ。

個人ライフスタイルから自由だ、なんて話をすると、「バブル期かよ」って話になるのが21世紀

新自由主義批判だとか、公共性の再評価だとかいう話をいまみんなしている。

個々人の自由になんて任せたら、国家は衰退し、社会崩壊し、生活が貧しくなるのがバレちゃってるからね。

  

さりとて個々人の自由はやはり大事であり、そこの葛藤こそが焦点になっている。

葛藤の片方を時代遅れと切り捨てるのは、それこそ時代遅れだ。

2018-12-17

バブル期よりも税収が多いのに日本ホロン部

いやーそんな実感全然ないけれど、日本好景気らしいですよ、奥さん

税収がバブルよりも多いらしいです。60兆円超えだそうです。

すごいなー。実感全然ないけれど。

僕の給料手取りで15万ですが。

30代ですが。

非正規派遣ですから

で、消費増税するんだそうです。

日本は滅びないけれど僕の財布は滅びそう。

そんで、野党が「お前ふざけるな日本が滅びるどころか日本史上最強に儲かってるじゃあないか弱者還元しろ増税やめろ儲かってるんだし」

といわないのはなぜか?

それは野党的に「未だに不景気アベノミクスは失敗し、すぐにボロが出て化けの皮が剥がれるから緊縮財政しろ」って批判し続けてたから。

もう景気はいいんだよ。

与党野党日本ホロン部所属してるから日本幌美内党がほしい。滅びないって。国も企業過去最大に儲かってるのだから

日本幌美内党の出現こそ待たれる。

2018-12-14

どれとは言わないが、あるツリーだけ非常に内容が寒いっすね

バブル期かと

2018-11-30

日本が貧しくなったとカードステータスで思った

先日、ダイナース広告記事通販サイトカード交通系がついたカメラ屋さんのカード言及して炎上した。

それでダイナースって久々に聞いたな、ステータスあって庶民には縁が無さそうだなぁと思って調べてみた。

すると、確かにバブル期とかは医者弁護士等々しか持てなくて勝ち組象徴みたいなカードだったが、今は時代に合わせて審査基準も変わってるとのこと。そして正社員年収500万あって27歳以上でクレヒス問題なければ審査はだいたい通るとのことだった。

会社の大きさを問わず正社員で500万あればいいのである

かに今のご時世、正社員で500万円っていうのはそれなりに成功ルートなのだが、医者弁護士経営者などと比べたら十分一般人の射程圏内である。家庭を持ったら普通に庶民だろう。

ダイナースの特典を見ると空港関係サービスはもちろんのこと、「ダイナース」の名前にふさわしく高級料理関係の特典が充実してたりと明らかに上位層向けのカードである

そのようなカードが数万円の年会費が払えたらそこそこの一般人でも持てるのである

持てたところで活用しきれないかもしれないが。

思えば今の世の中はステータス性があると思われたカードがどんどん一般化している。

昔はゴールドカードisスゴイと思われたが、今は様々なカード会社ゴールドカードバーゲンセールをしていて高めの年会費を払えばある程度の一般人でも持てる。

プラチナブラックでないとステータス性を感じなくなってしまった。

ステータス性がある思われたカードといえばアメリカンエキスプレスもある。しかし、これも一般人の手に届く。定職についていれば300万から狙えるようだ。雨金もわりと緩いと聞く。

クレジットカード基準の変化も社会バロメータになるかもしれない。

これは日本だけの流れなのか世界的な流れなのかわからないが、少なくとも私は日本が貧しくなってきてるのかなと感じた。

視点を変えると一昔前の普通が「成功庶民」(今作った言葉)にシフトしてるのかもしれない。

勝ち組になるのは難しくても成功庶民なら目指せる。

仕事頑張って成功した一般人になって普通に幸せ人生を送りたい。

でも非リア陰キャな私はカードステータスなど気にしても仕方ないしポイントが溜まって便利に使えばいいので当分は通販サイトカードマンだろう。

2018-11-27

anond:20181127173338

赤身肉が人気になりだしたのはここ最近の話なのにバブル期ってw

バブル時代で勝てなかった負け犬が今さら無関係なやつに幻影重ねてリベンジでもしようってのかw

anond:20181127172918

バブル期から飛び出てきたジジイみたいな底の浅いコメントだな

こういうバカがいわゆるマンスプレイニング野郎なんだよな

2018-11-23

anond:20181123113659

日本場合出世の条件は仕事の成果とか実力よりも

いか上司に気に入られるか

大事からね。

バブル期新入社員だった俺の先輩は、

まだ若い頃、上司引っ越しの手伝いとかは必須だったって愚痴ってたよ。

恐ろしいことだけど、上司自分より賢い部下なんかいらないんだよ。

から会社は昔よりも賢くなれない。

2018-11-19

平成文学

バブル期の余韻も終わり長い停滞の時代経験した市民が一発逆転を夢見て異世界転生もの流行した

センター試験に出るよ

anond:20181119202832

俺の時代別に結婚するのが当たり前でなかったぞ?

少なくともバブル経済と呼ばれた辺りから結婚するのが当たり前という風潮はそんなに無かった

女が経済的独立できるようになってきていたというのもあるし、戦後すぐのように結婚してたほうが生活が楽だったということもなくなっていたからな

俺の親世代では生活するために結婚したというおばちゃんは珍しくなかったがな

俺の時代恋愛至上主義的な空気感はあったが、結婚至上主義的な空気感はなかった。それがバブル期だな

若者と話してると当時の実体若者認識乖離していることは結構あるが、結婚関連は特にその傾向が強いな

あぁでも古い世代親族を説得しやすいから以前から知り合っていたけどお見合いの体で結婚への道を作ったというカップルは珍しくなかったな。今はそういうカップル居ないよな

2018-11-06

anond:20181106091715

最近バブル期脳内麻薬が本格的に切れて、イライラ禁断症状出ている感がある。

本当は、満員電車という現象自体解決しないといけないんだけど、日本人都市計画できないからなぁ...

2018-11-04

anond:20181104074933

彼女らの内面は変わってなくても、バブル期には男性がそれに付き合ってて、いまは付き合わないってあたりは、大きな変化じゃね。

2018-11-03

anond:20181103192144

鉄道を通すとその周辺の交通利便性が上がって不動産価値が上がるってのはわかりやすいと思うんだけど、鉄道会社自身駅前不動産を持っていて、鉄道敷設の経費を賄おうとするわけね。でもそのためには、みんなが欲しがらないとまずいわけで、鉄道会社から見ればメディア広告代理店パートナーなわけだ。

下北沢吉祥寺など東京西側二子玉川なんかも含めて、「若者が住むおしゃれな街」みたいな紹介がメディアによってなされるんだけど、それって自作自演であってあん場所は昔は農村雑木林湿地と谷間だった。下北沢なんて下北沢村だった。そこに堤が電車通してメディアが「お洒落だ!」って煽って大学キャンバス小劇場ライブハウスがやってきて、立派な財産になったわけだ。

あるいは苗場もそうだ。なんにもないただの山だったところをバブル期リゾート開発(悪名高きコクド)がやってきてホテルスキー場を作り、ユーミンに「サーフ天国スキー天国」とか歌わせて人工的に盛り上げた(結果、実際盛り上がって日本にはスキーブームがやってきたんだから馬鹿にできない)。越後湯沢なんかはJRも大いに潤った例だよね。

2018-10-26

anond:20181026133210

まあ、バブル期にそういう風潮があったのは事実だけど、別にそれは女が要求したわけではなくて、

「女とセックスするためには、そうやって歓心買わないといけないぞ」って煽られてただけの話だし、そういう風潮を主導してたのも女じゃなくて、広告代理店の男や出版社の男でしょ。

要求しなければ与えられることもない。

ま、どうあっても女様の罪は認めたくないようだけど

若い女が男に対して持つ性的魅力」みたいなファクターがある以上、女の可処分所得が低くとも、女の歓心を買うためのビジネスってのは廃れない。

男が二次元とかアイドルとかVRとかで満足して生身の女は不要ってことになると状況は変わってくるけど、そっちが多数派にはならないんじゃないかな?

「男が二次元とかアイドルとかVRとかで満足して生身の女は不要ってことに」ならないようにおフェミ様は萌え絵必死に叩いてるんですね、わかります

もっと進歩した穴あき人形やらが出てきたら我儘で小うるさい女の価値なんて急落するよ。

その時こそ女は自分たちの履かしてもらってた下駄の高さに気づくだろうし、真の男女平等を知るだろう。

anond:20181026131806

非婚化ってのも、男性収入が低いほど、女性収入が高いほど著しいわけで…

収入が高い男性ほど、結婚して家事を妻に任せる(=家庭における消費を妻に委託する)傾向にあり、

(更にもっと収入の高い男性は、妻以外に愛人を持ち愛人に金を使う傾向にある)

収入が高い女性ほど、結婚せず自由自分の為に金を使う傾向にある、

例え結婚したとしても家事自分で行うか自分外注し、家事を夫に任せる(=家庭における消費を夫に委託する)事はまずない

って風潮はそう簡単に覆るようなもんじゃないと思うけど。

プレゼントの最低ラインティファニーホテルオークラプリンスで、みたいな意味での「女性による消費の主導化」

そんなのやってたのはバブル期でもごくごく一部の人だけでしょ。

anond:20181026130223

しろ市場女性インパクトが増しているからこそ」女性による強気発言が目立つようになってるんじゃないかと。

かつて女性可処分所得もないし社会的発言力もない、取るに足らないもの、とされていた時代

女性にも「自分たちはそう扱われても仕方がないもの」と言う自覚があったから、世が男性中心に動いていても文句を言わなかったが

女性の力がどんどん増しているからこそ、文句を言うように(言えるように)なったんじゃないかと思っている。

実際に女性文句を言うことで世の中が動くようになってるわけで、

それは女性の力が無視できないほどに大きくなっているからなわけだし。

記事でも描いたように、それはまさにそうだったと思うよ。具体的には大正モダン時代から男女雇用機会均等法時代を経てずっと「市場における女性インパクト」は増大してきたし、それを背景に実際の発言力も、そして女性脳内における発言許可状況も拡大されてきた。もちろん指摘の通り社会はそれを無視できなくなり、女性向けのあらゆる商売が花開き、はいからさんが通る過去になった。

でも、ここ5年位でそれって頭打ちになってない? ってのが元記事でいいたかった消費に関する部分なのよ。すごくぶっちゃけたことを言ってしまえば、今現在バブル期のような財産献上を男性から受けるような、プレゼントの最低ラインティファニーホテルオークラプリンスで、みたいな意味での「女性による消費の主導化」はもうおこなわれてないでしょ? すくなくとも、「女性の消費力がどんどん右肩上がりで上がっていく」バラ色の未来予想図はもうない。非婚化すすんでいるんだから家庭に入れば消費大臣になれるってのも、どんどん儚い夢になっていってる。

現状は少なくとも事実として「女性の方が男性よりも給与が少ない」わけで、その事実のもとに「女性男性よりも消費のキャストボードを握る」ためには、理論的な帰結として「女性は自らが稼いだお金ではなく、男性財産処分先(消費するアイテム)の決定権を男性から委任される(もしくは強奪する)必要がある」のよ。そして、それは最近の傾向を見ると、どんどん難しくなっていくようにみえる。

もちろん、正しい、そして長期的に解決可能な回答は「女性給与男性と等しくする」だけど、少なくとも現在時点ではそうなってないって話でもある。

2018-10-20

理不尽

なんで親の介護のために子供負担しなきゃいけないの?

バブル期にそのくらいの金貯められただろうが。

戦争行って帰ってきた世代と同じように敬われると思ってて厚かましいにもほどがある。

2018-10-19

横山由季子「ブロックバスター展は善か、悪か」を批判する

 美術手帖で連載中の「シリーズ:これから美術館を考える」の第6回、横山由季子(金沢21世紀美術館学芸員)による「シリーズ:これからの美術館を考える(6) ブロックバスター展は善か、悪か|MAGAZINE | 美術手帖」。一読して何が言いたいのか理解し難かったが、それもそのはず、書いている本人が考えがまとまらないと言っているのだった。

まとまらない考え、逡巡をそのまま書いてしまいましたが、現状を共有することで、今後の共催展、ブロックバスター展について考えるきっかけになれば幸いです。

https://twitter.com/blanche1002/status/1051094298815430659

 「考えまとめてから話せ、バカ」で済む話ではあるけど、一部好意的に受け止められている様子もあり、少しこだわってみたい。

 まず、かなり気に食わないことの一つに、ブロックバスター展について「善か、悪か」と問うている点がある。「善悪」というのは倫理道徳的価値判断であり、展覧会評価をするにあたってはなじまない言葉である。「是非」でよかったはずだ。にもかかわらず、横山は敢えて「善悪」という強い言葉を用いた。その理由は推測することも可能だが、不要から止めておく。ただ、私自身は「善か、悪か」という問いに答える気にはならないし、また応じて「ブロックバスター展は悪だ」と言っている人がいたら異様だと思う。些末な問題ではある。しかし、筆者の立ち位置や考え方が無意識に出ているように見受けられる所、注意を要する点である

 次。筆者はタイトルで「ブロックバスター展は」と議論対象提示する。そして文中で「ブロックバスター展」の定義を明確に行う。ここまではまったく素晴らしい。だが、なぜか横山は文中でブロックバスター展以外についても語り出してしまう。こんなわずか短い文章にもかかわらず、その対象を固定することすらできない。大丈夫なのか、この人?

 実際に対象になっているのはブロックバスター展と共催展である。前者も後者の一部だが、このうち60~70万人ほどを動員したものを指すと定義している。もちろんそれ以上動員した場合も含まれるのだろう。また、共催展以外でこの規模の動員は不可能と考えられる。すなわち、60万人以上の動員を記録した展覧会ブロックバスター展だと言っていい。明確だ。

共催展のなかでも、とりわけ規模が大きく大量動員が見込まれものは「ブロックバスター展」と呼ばれる。ブロックバスター展の基準について100万人以上の動員としている記述もあるが、近年ではさすがにそこまでの来場者を集めた例はないので、ここでは60〜70万人規模の展覧会ととらえることにしたい。広報会議メディア担当者と話していても、60万人あたりがひとつ分水嶺になっているような感覚がある。

 共催展一般共通するものであるならば、わざわざ分ける必要はない。だが、60万を越える規模になると、単に量の違いではなく、質の差が出るようだ。「60万人あたりがひとつ分水嶺になっているような感覚」というのはそういうことだろう。ならば、「ブロックバスター展」と呼び分けることに意味が出るわけだ。

 しかし、結局筆者が俎上に乗せるのは共催展一般であって、ブロックバスター特有問題についての指摘はわずしかない。筆者は読者にブロックバスター展のみに絞って考えて欲しいのか、それを含めた共催展一般について考えて欲しいのか不明である。というよりも、筆者自身の中で、その程度のことすら整理できていないのではないかと思われる。

 そんな筆者横山が共催展やブロックバスター展の「現状」についてどのように認識しているか批判的に捉えているか文章引用しつつ細かく見ていこう。

ブロックバスター展はその華やかな話題性によって、普段美術館に足を運ばないような人が展覧会を訪れるきっかけをつくり、美術裾野を広げているという側面もある。そのいっぽうで、やはり集客のために打ち出される広報の数々は「イベント」としての側面を強調するものであり、一過性の消費で終わってしまうのではないかという危惧がつきまとう。

 一過性の消費の何が悪いのかさっぱり分からん人生は短い割に、世界はあまりにも豊かだ。誰しもが、美術とがっぷり四つに組んでいる暇があるわけではない。すべてのことに入れ込むことはできないわけだ。学芸員成るほど美術真剣に取り組んでる横山も、例えば音楽とか、芝居とか、映画とか、ほかのジャンルに関しては一過性の消費で済ませていたりするわけでしょ? 美術に対してそういう態度をとる人たちを批判する権利なんかないわな。

そして現場学芸員は、採算性と学術性を両立させるという大きな矛盾に直面することになる。

 ブロックバスター展やそれに準ずる共催展に足を運ぶ人の多くは、作品を見に来ているのね。有名作に心踊り、傑作に胸を打たれに来てる。学術性とか、正直無くても構わないとすら思っている。

最近ではメディア側も展覧会事業にこれまでになく採算性を求める傾向にあり、10万人を動員する小規模の企画を年に何本も実施するよりも、大量動員が見込めるブロックバスター展を1本開いたほうが、労力的にも資金的にも報われるという事情もあるだろう。

 共催展の数を減らして、ブロックバスター展に集約していると読めるけど、事実なのか?

あくまでも組織としては採算性が優先されることになる

 当たり前なのでは。

ここで、そこまでの費用をかけてまで、海外作品を借りてくる必要があるのかという問いが生じるだろう。国内美術館にも豊かなコレクションがあり、それだけでも十分に展覧会は成り立つ。実際に、近年では国内の所蔵品を中心に見ごたえのある展覧会が多く企画されている。

 ブロックバスター展や美術館展など、学術性の低い展覧会批判する人って、だいたい欧米によく行っていて、そこで十分に作品を見ている人なんだよね。だから、そういった展覧会が名作や有名作を持ってきているということ自体意味を見いだせないわけだ。でも例えば、今後10年間、海外所蔵の作品を見ることを一切禁じるって言われたら、我慢できるの? できないでしょ。できないなら「国内美術館にも豊かなコレクションがあり」とか言って欲しくないよね。子供仕事で忙しい人、貧乏人、障害者、老人。誰しもが気軽に海外に行けるわけではない。そういうところにブロックバスター展の意味の一つがあると思うんだよな。弱者に優しいという点を鑑みれば、筆者の問いかけに「ブロックバスター展は善である」と答えることも可能かもしれない。

共催展の広報において差し迫った課題は、いかにして若者展覧会に足を運んでもらうかということである。とりわけブロックバスター展を支えているのは、バブル期以降の大型展に足を運んできた50代以上の世代であり、メディア側も確実な集客を見込んで、この年齢層に的を絞った広報戦略を立てることが多い。しかしながら、このような目先の集客ばかりを求める広報が続くようであれば、美術館展覧会未来はそう長くはないであろう。

 若者じゃないから分からないけど、どっちかというとやはりブロックバスター展の方が若者リーチしていて、それより規模の小さい共催展に問題がある気がするけどなあ。今なら例えばフェルメール展とルーベンス展。

近代美術の延長線上に現代美術位置づけ、両者を結びつける作業は、やはり美術館が担うべきものである。そして、村上隆草間彌生などの知名度と人気を誇るごく一部の作家を除いて、メディア現代美術展に出資することは考えにくい。美術館が主導して近代美術現代美術をつなぐ展覧会企画したり、現代美術一般へと浸透させる持続的なプログラムを行うための体制づくりや予算が求められる。

 これはブロックバスター展や共催展の問題じゃないよね。美術館学芸員が怠けていたからこういう状況になったんじゃないの? 「国内美術館にも豊かなコレクションがあり、それだけでも十分に展覧会は成り立つ」んでしょ。美術館主催粛々とやってればいいのでは。

数十万人の来場者を想定したブロックバスター展の場合、あまり大胆な切り口を提示することは難しく、個展であれば年代主題ごとに画業をたどるようなオーソドックス構成となりがちだ。先行研究調査をふまえた新たな視点を、カタログ論文作品解説のなかで示すことはできても、展覧会構成全体に反映するにはいくつものハードルがある。とりわけオルセー美術館ルーヴル美術館からまとめて作品を借りる場合は、これらの美術館学芸員が監修を務めることが多く、そのことによって企画自由度が低くなるという側面もあるだろう。

 そういう学術性は不要なんだって。単にいい作品を持ってくればいいの。学術性を発揮したいのであれば美術館主催の展示でやればいい。それでは自分能力が十分に生かされないと感じるなら本場の美術館就職してください。あと、日本学芸員よりオルセーやルーヴルの学芸員の方が信用できるから、その場合は口出さなくていいよ。

オルセー美術館には各所蔵作家の膨大な資料が集められており(ルノワールだけでざっと50箱以上はあり、フランス語だけでなく、英語イタリア語ドイツ語スペイン語、そして日本語や中国語韓国語資料網羅されている)、それを日々リアルタイム更新していくドキュメンタリストたちがいる。学芸員は彼らの協力を得て調査研究に勤しみ、その成果が展覧会に反映される。この蓄積こそが、オルセー美術館の、さらには今日における世界的なフランス近代美術の人気の礎なのである。これは一朝一夕に実現されるものではなく、長期的な視点に基づいた、たゆまぬ歴史化の作業の賜物といえよう。

 日本フランス絵画についてオルセーと張り合う必要なんかないよ。自国美術研究環境が貧弱なこと(いろいろ話を聞くに相応の事実だろう)については悲しむべきことだけど、西洋美術基本的に横のものを縦にしてればいい。もちろん立派な研究をなしとげれば敬意を表するが、俺達のブロックバスター展を研究発表の場として利用してくれるな。

 私はブロックバスター展やそれに準ずる規模の共催展を楽しんでいるのだ。それを学芸員風情の浅薄な考えや安っぽい使命感によってぶち壊さないで欲しい。日本に居ながらにして傑作や有名作を鑑賞することができる。これだけでブロックバスター展は素晴らしいものなんだ。ということを学芸員玄人気取りに理解してもらいたいのだが、なかなか難しいのかもしれない。

2018-10-15

anond:20181015152227

政策で変更可能なのは確かだけど現行の民主主義的な範囲政策じゃ無理でしょ。

お金がないか子育てできないし少子化になるってのは少子化の端緒がバブル期であったこからも分かる通り明らかな嘘であって、どちらかといえば子育て可能年代価値観が、子供を作るよりも自分たち自身生活の充実を重視する方向に変わった(=結婚しない子供を作らないカップルに対する社会的圧力が減じた)ことが原因です。これは逆に言えば、自由ライフスタイル選択可能にした結果なわけです。

逆に言えば少子化こそがみんなの望んだ幸せな国の姿で、介護する人手が足りないからと言って今更恨み言を言う方が間違いですよね。

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