はてなキーワード: テキストエディタとは
自社の人間ではない彼に、GitHubのプルリクエストレビューでのやり取りの末、「正論より議論で進めていきたい」と言われた時、プロジェクトに対する熱が冷めるのを感じた。
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コメントをつける際や、コメントに対して返信する際には、私なりに文面でのコミュニケーションに心を砕いていたつもりだ。
明らかに実装がおかしい場合でも念の為相手の意図を確認したし、提案ベースで話を進めた。
背景知識が必要になる場合は、図を描いたり、一次情報や関連情報のURLを貼ったりして丁寧な回答を心がけた。
上から目線にならないよう気を使っていた。テキストエディタに下書きをして何度も書き直したことも、一晩置いてみたことも、同僚に文面の印象について相談してみたこともある。
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その結果、「正論より議論で進めていきたい」と言われてしまった。
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彼から正論に見えたのなら正しい論理だったのだろう。それは良かった。そこまでは良い。
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あるトピックについて、正しい(ように見える)論理が複数あり、どちらかを採用しなければならない場合、もちろん議論すべきだと思う。
正しい(ように見える)論理が1つしかない場合って、議論の余地無くないですか、、、?
反論したかったらしろよ、聞いてやるからよ、今までもちゃんと聞いてあげてきただろ、、、?
そんな捨て台詞みたいなん吐かれても困る。
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最近プライムデーで3万くらいの2in1のChromebook買ったんだけど、割といい感じ
最近カフェで技術書を読みながらNotionにメモを取る、みたいなことをよくやっているんだが結構快適
さすがに3万円だからプログラミングはきつそうだけど、まあそれはiPadも条件同じじゃん?
それでもテキストエディタで小説を書いて、コマンドラインでGit管理するくらいなら全然問題ない
あと、PC用のChrome拡張がガンガン入れられるのも強み。iPadユーザーって、未だにAdblockもアマプラの倍速視聴もなしで使ってるんだろうか?
絵描きとかには少し厳しいかもしれないけど、サブ用のタブレットとして何を買うかずっと悩んでいたから、正解見つけたなって感じ
いやぁ〜、テキストエディタの世界、めっちゃディープでんねん!聞いてくださいよ〜。
まず、テキストエディタの心臓部、バッファ管理システムについてや。これ、単なるテキスト保持やないんですわ。例えば、Emacsのガベージコレクション機構。マーク&スイープ方式採用してて、バッファ内のLispオブジェクトを効率的に管理してんねん。これがあるから、長時間の編集作業でもメモリリークせーへんのや。
次に、レンダリングエンジン。これが曲者でんねん。Unicode標準のUAX #9に準拠した双方向アルゴリズム実装せなアカン。さらに、合字処理のためにOpenTypeのGSUB/GPOSテーブル解析も必要や。Harfbuzzライブラリ使うんやけど、カスタムシェーピングエンジン組み込んで、特殊な文字体系にも対応せなアカンのや。
構文解析エンジンも侮れまへんで。LR(1)パーサーじゃ複雑な言語構文に対応でけへんから、GLR(Generalized LR)パーサー実装するんや。これで曖昧な文法も扱えるようになるんですわ。Treesitterライブラリ使うと、インクリメンタルな構文解析ができて、巨大ファイルでもリアルタイムにハイライティングできるんや。
差分アルゴリズムも奥が深いんですわ。Myers差分アルゴリズムだけやなくて、Histogram差分アルゴリズムも実装せなアカン。大規模リファクタリングの差分表示に効くねん。さらに、セマンティック差分アルゴリズムも組み込んで、構造的な変更も検出できるようにするんや。
非同期処理システムもめっちゃ重要や。単なるPromiseやasync/awaitやのうて、Reactive Extensionsベースのストリーム処理実装するんや。これで、複雑なイベントシーケンスも扱えるようになるんですわ。さらに、アクターモデルベースの並行処理システム組み込んで、マルチコア活用した並列処理も可能にするんや。
最新トレンドもめっちゃアツいんですわ。例えば、Language Server Protocolの拡張や。単なる静的解析やのうて、シンボリックAI使うた意味解析まで可能にしてるんや。これで、コードの意図を理解して、より高度なリファクタリング提案ができるようになるんですわ。
WebAssembly統合も進化してるんや。Single Instruction, Multiple Data (SIMD)命令セットサポートで、テキスト処理のパフォーマンスが爆上がりしてんねん。さらに、WebAssembly System Interface (WASI)採用で、ファイルシステムアクセスも可能になってるんや。
AI支援機能も侮れまへんで。単なる補完やのうて、プログラム合成(Program Synthesis)技術導入してるんや。部分的な仕様から完全なコードを生成できるようになってんねん。さらに、説明生成AI組み込んで、生成されたコードの詳細な解説までしてくれるんですわ。
リアルタイムコラボレーションも進化してるんや。Conflict-free Replicated Data Type (CRDT)のカスタム実装で、ネットワーク遅延があっても一貫性保てるようになってんねん。さらに、意図ベースの競合解決アルゴリズム導入して、複雑な編集操作の衝突も自動解決できるようになってるんや。
拡張性アーキテクチャもすごいんですわ。WebAssemblyベースのプラグインシステム採用して、言語に依存せんプラグイン開発可能になってんねん。さらに、サンドボックス化されたランタイム環境提供して、セキュアなプラグイン実行も実現してるんや。
性能評価も厳しくなってるんですわ。起動時間は、コールドスタートだけやのうて、ホットスタートも測定せなアカン。メモリ使用量も、物理メモリだけやなくて、仮想メモリの使用状況も追跡するんや。CPU使用率は、マイクロアーキテクチャレベルの最適化まで求められるようになってんねん。レンダリング性能は、GPUアクセラレーションの効率も評価せなアカンのや。応答性は、入力レイテンシだけやのうて、知覚的な応答性(Perceived Responsiveness)も測定するんですわ。
いや〜、テキストエディタの世界、マジでディープすぎて、もう頭おかしなるで〜!こんな感じで、テキストエディタの最深部まで潜ってみましたけど、いかがでしたか?テキストエディタ、侮れまへんで〜。ホンマに。
現代のテキストエディタがCtrlを押しながら矢印、Shiftによる選択、Home,Endなどを組み合わせたときの操作に対して、viが本当にエディタを乗り換えるほどの優位性を持っているのか疑問
viに有利な例題でない限りはそんなに差は無いのでは?
あとなぜvimはいまだにヤンクというクリップボードの下位互換のヤンクという概念で操作せねばならないのか?
このせいで「ビジュアルモード」という選択範囲クリップボード操作と同等の操作と、vi本来の操作が入り混じった一貫性に欠けたテキスト編集を強いられる
fugaをコピーしてhogeに上書き張り付けするという自然な操作の流れが「vi流」のキー操作で行えないのは明確な問題だと思える
vi開発当初にクリップボードという概念が存在しなかった事は分かる。しかしそれがいまだに改善されていないのはなぜか?
テキスト操作を便利にするためにユーザにはvi流の変態的操作を押し付けるのに
テキスト操作を便利するためにエディタ側はクリップボードを使った操作体系を取り入れないのは単に昔からの慣習を至上とする悪習なのではないか
地獄のごとき面倒臭さで胃に穴が空きそうだった3年前に比べれば、最近はUI・エラー文が改善され、非常に楽になった気がしていて、個人的には不満はない。サラリーマンなんで源泉徴収票のコピペができるのが強いんだけど...
大変そうに見えても、事前にきちんと何を申告するのか整理しておけば、苦も無く乗り切れると思う。頑張ろう。
非常に長文なので誰も読まないかもしれないが、読んでいただければ幸い。
日本人の宗教批判は主にオウム神理教や創価学会あたりから根深くなったと自分は思っている。とにもかくにも「宗教はやばい」となり、それが「宗教的なものはやばい」となっているのではないか。たしかに新興宗教団体はやばかった。最近でも、自民党から膿となって出てきた旧統一教会の問題がある。
日本人全体で、なんとなく「宗教はやばい」というゆるやかな共通認識があると思う。
そこから「宗教について熱心に語る者は、なんとなく、やばい」とされていると思う。ごく少数の人間だけが宗教について深く調べる。多くは、ミイラ取りがミイラになることを恐れているとか、宗教的な人間とみなされることを怖がっていたり、単に無関心な可能性もある。
ほとんどの人は、まずその「ヤバい」「うさんくさい」「拝金主義」という外から見える性質に嫌悪感を感じているはずだ。実際に、古来から権力・権威・金銭などと結びつきが強いように思う。多くの人々に害を為すものは、それが宗教だろうがなんであろうが、どういう形をとっていようと敵対される。宗教に対するネガティブな意見は、おおよそこの表面に出てきた宗教のネガティブな部分についてのものが多いと思われる。
また「人型の何か偉そうにした超常の力を持ったジジイ」を幻視して「そんなやつがこの世界作ったわけないだろ」と直感的に思うのではないか。
宗教的なものがやばいの1つの例でいえば、ガチのドルオタはキモいというものがある。キモいというのは比喩的表現で、ドルオタクラスタの方には申し訳ない表現だが、周りからは理解不能なのである。アイドルという神を信仰することで「生きがい」となして自分の人生を全うしていく。しかしひとたびその信仰の前提が破壊されれば、一瞬にして生きがいを喪失する。
アイドルの推し活は「きわめて宗教的だ」と半ば冗談めいて表現されることが多いが、比喩でなくそのまま宗教といっても過言ではない。仮に江戸時代に今のアイドルの状態を維持可能な状態で放り込めることができるとすれば、瞬く間に江戸幕府を牛耳ることができるだろう。実際BTS外交などと言われるほどアイドルは脅威的な潜在能力を持っている。一向宗など目ではない。江戸の民たちはアイドルの存在を知覚することで、それに畏怖し、夢を見ることができ、人生に生きる意味を見出しやすくなることだろう。本居宣長も、古事記伝にて「それはさておいても◯◯ちゃんのかわゆしこと尊し」などと書くかもしれない。知らんけど。
宗教のはじまりはアニミズムだという。何か神聖視せざるを得ないものを発見しそれに畏怖し感動することで、その圧倒的な偉大さを見て、人はそれを「神」と名付けたようだ。
日本では現状「科学信仰」と「常識信仰」が主流であると思う(これは自分の主観による)。「科学的な権威がありさえすれば信用する」だとか「よく知れ渡っているから信用する」といったものだ。「長いものには巻かれろ」という日和見主義的な発想がそこにあるように見える。
そもそも「信じる」とは「実際に本当にあるかどうかわからないが『ある』と信じる」ことにある。
自分には本当にあるかどうかよくわからないものを『本当にある』と思い込むことを信じるという。そういう行為には、根拠など無いのではないか。少し古いが「アイドルはうんちしない」などがそうだ。
宗教が必要かどうかは置いておいて、その発生過程や宗教が果たしてきた役割は、歴史を学習すれば誰でもその関連性には嫌でも気付くだろう(重要性は別かもしれないが)。人は「たかが宗教ごとき」で人を殺し合い、憎み恨み、人生を捧げたり、幸せになったり、正しく生きようと努力したり、救われてきた。さまざまな血を流してきたのであった。これは事実である。現在の今の自分にとって宗教は全然必要でないと感じていたとしても、その自分が存在する羽目になった基盤に宗教がある。一体全体どうしてこんなものが人類の中で大きな役目を持つようになったのか。
真に必要でないのであれば、なぜこの世から抹消できないのか。たとえばガラケーは抹消されつつある。必要でなくなったからだ。しかし宗教はどうか。消せども消せども名を変えて復活しているように思う。
科学的であると自負する人であっても、古来から続く伝統的な宗教っぽいものをなんとなく忌避していて、その拝金主義的傾向や宗教の政治的利用による人間支配を見て、なんとなく嫌悪しているのではないか。
また「宗教が必要かどうか」を論じるとき、「実際になくせるかどうか」のその現実性について論じられることは少ない。宗教がなくなれば代わりのものが出てくるのみである。名を変えたそれが絶対視される。
実際にとりあえず「宗教は必要ないもの」と考えて、この世から排除することにしてみよう。つまりそれは逆に言えば「信教の自由」の剥奪である。仏教を信じてはならない、キリスト教を信じてはならないとされる。
ありとあらゆる宗教的なものは不要なので排除されなければならないとする。しかし、必要か、不要か。それは誰にとって必要なのか、誰にとって不要なのか。
宗教と宗教でないものについて、どこで、誰が、どのように、なんの権限で線を引くのか。これはもしかすると権力闘争の始まりかもしれない。受容するか・弾圧するかのどちらかを、ある人間の主観で決めることができるということほど恐ろしいものはない。異端審問のラベリング(【十分科学的でない】というラベル)を受けて生きなければいけない世の中は厳しいものになるだろう。反ワクチン派・反知性主義者が実際にそうした世の中を生きている。われわれから見れば彼らは狂っているが、彼らから見ればわれわれが狂っているのである。
宗教と科学はなんの根拠もなく二項対立されがちだが、これは一神教的な態度ではないだろうか。
つまり科学的であればあるほど宗教的でなくなるはずだという根拠のない「思い込み」があるのかもしれない。
いったいなぜ、科学的であることが正しいのだろうか。いったいなぜ、論理的であることが正しいのだろうか。これは唯物論的な立場である。いったんそういうことにしているという、あくまで仮説である。そのように考えるとうまくいっているだけなのではないか。
そして、自分にとって宗教が必要ないからといって、他人にとっても同様に必要ないとは限らない。つまり全体としては「まだ必要」というのが答えになると思う。
それから自分は、ロジカルシンキングや科学最強説を強硬に主張してその他の考え方を排除しがちな陰キャはあまり好きではない(自分はロジカルシンキングそのものや科学的思考は好きだが、論理的であることが正しいことを信じることは論理的ではない、という前提があると思うからだ)。
彼らは科学や論理というアカデミックな権威のおこぼれを欲しており、いわば虎の威を借る狐のように見える。そうした人間は、自分よりも科学的で自分よりも論理的な人間が宗教的なものを崇拝しているのを目の当たりにしたとき、考え方を転向するかもしれない。これを改宗(conversion)というのだろう。
Visual Studio Code等さまざまなIDEに組み込んでコマンド操作できるテキストエディタがある。これはVimと呼ばれ、世の中で広く親しまれている。入門はやや難しいが、Must-Haveでおすすめである。これは宗教以上に必要である。
もちろんあなたはVimを導入しないという選択をとることもできる。
こう言うと自分は旧来の宗教観を引きずっているように思われるかもしれないが、一方で自分は古来から続いておりただの慣習となっていて合理的ではない規則を、ただ自分の強権を保とうとせんがために信じている老害もまた好きではない。彼らは自分の保身を考え、自らの世界観の安定させ、外に目を向けない人間である。生臭坊主と言われる。
自分は、そうした既製品の宗教や、新興宗教の教祖というただの詐欺師をそのまま信じてしまう人は愚かだと思うが、そういうことも含めて現実でありなぜそういった事象がでてきてしまうのか、なぜ彼らはそれに縋りつくはめになったのかを単に否定することは科学的ではないと思う。それは現実を観察できていない。少なくとも彼らにとって、彼らを救ってくれるのは科学ではなかったということなのだろう。
宗教はおもしろい。とりわけ理系で哲学や文学や詩や宗教やヒトや精神や心というものから縁遠かった者ほど、大人になってから初めて知ることで、そのおもしろさに気付きやすいかもしれない。
windowsバックアップを使用開始したら、再設定の手間が生じたので、メモを放流する
PCを新しくした。
外付けHDDが旧PCのファイル履歴データで容量いっぱいだったので新PCのバックアップ方法に悩む。
win11のスタートメニューでバックアップと入力すると、windowsバックアップが表示され、win10のときのようなファイル履歴を用いたものは機能としては残っているものの、コントロールパネルの端に追いやられた印象。
windowsバックアップ推奨なら、使ってみるかと思い、使用開始ボタンをクリックした。
windowsバックアップとは、OneDriveを使ってクラウドにバックアップする機能。
office365使用のため、OneDriveの容量は十分。
ドキュメント、デスクトップ等ほとんどの個人用ファイルがOneDriveフォルダ内に移動した。
前
C:\Users\(UserName)\Documents\
後
C:\Users\(UserName)\OneDrive\ドキュメント\
数時間ほど、ファイル移動に伴うのか、ファイルのアイコンがチカチカした。
再起動しようとするが、OneDriveが動作中でできない。次の日には再起動できるようになった。
帰宅するまでは、CPUを10%弱程度ずっと使っていた。一晩つけっぱなしで、翌朝には解消。
テキストエディター(notepad++)で開きっぱなしにしていたファイルが移動されたため、保存できなくなる。手動で見比べて、保存もしくは保存せずに閉じる。
多くのアプリケーションで、最近開いたファイルから開けなくなったので、再度ファイルを指定して開く。
ファイル、フォルダごとにバックアップの状態を示すマークが表示された。バックアップ済みのチェックマーク、同期保留の円形矢印マーク、同期失敗の赤バツマーク。
エクスプローラーのクイックアクセスにピン留めしていたフォルダがリンク切れで使えなくなったので再設定した。
Outlookがデータファイルにアクセスできなくなり、メール受信ができなくなった。下記に別項目で対応をまとめた。
フルパスでpythonスクリプトを指定して起動していたバッチファイルを書き換え
3日経過現在、バックアップ済みファイルと同期保留マークのファイルが半々程度に混在している。違いの要因は不明。CPU,ネットワーク,ディスクともに特に作業している様子なし。
同期エラーマークのファイルが時々ある。Macで作成した.webarchiveのファイルがエラーになっている。
受信トレイを選択したときに、ファイルにアクセスできず、ファイルを選択するように求められる。
OneDriveに移動した対応するpstファイルを指定するが、なおメールが受信できない。”0x8004010F” エラー。
ファイル 情報 アカウント選択 アカウント設定 選択したアカウントでは、新しいメッセージを次の場所に配信します:
の欄が空欄になっていた。
フォルダーの変更ボタンをクリックして、受信トレイを指定後にOKボタンをクリックするも、なお配信先の欄が空欄。
もう一度フォルダーの変更ボタンをクリックして受信トレイ以外のフォルダを選択してOKを押したところ、配信先の欄が表示された。
もう一度フォルダーの変更ボタンをクリックして受信トレイを指定したところ、配信先の欄が受信トレイに設定できた。
複数のメールアカウントのそれぞれの受信トレイをお気に入りに入れていたが、POPで受信しているアカウントがエラーに伴ってお気に入りから消えていたので、再度登録した。
アフィーに騙されそうな増田
Macを推奨するサイト(ブログ)が多いが…
数量的にきちんと把握したものではないですが、「プログラミングに向くPCはMac」(特にMacBook)という解説のサイトは多く見つかりますが、大抵はプログラミングスクールが制作した集客用ページ、フリーランス(ブロガー)による広告収益目的のページで、制作の意図には商業的な目的がありそうです。
「エンジニアはMacを使用している」という主張もありますが、実はこれは根拠がありません。
ITエンジニアがWindowsとMacどちらをよく使用しているかを調査した統計は見つかりませんが、エンジニアに限らず、一般的にどちらが使用されているかを示すデータならあります。情報処理推進機構がインターネット利用者の使用OSを調査したものですが、圧倒的にWindowsです。macOSはたった4.3%です。数年前とは言え、状況は劇的には変化していないでしょう。
Windows7 (21.9%)
明確な根拠がない以上、主観の域を出ませんので、安易に信用はできません。
私見ですが、MacBookを推奨するサイトが多い理由の1つは「おしゃれでウケが良いから」です。twitter上の駆け出しエンジニア(もしくはエンジニア志望)の方々を見ると、大抵、見た目がきらびやかなものに飛びつく傾向があるので、その点、MacBookはウケやすそうです。まぁ、スタバに座ってMacBookで仕事をすれば確かにおしゃれです。
Google AdSenseを収益源にするサイトは閲覧数が重要なため「どのような記事なら見られるか」から逆算して考えます。なので、必然的に見た目の格好良さが重視されます。これは、SEOとかWebライティングと呼ばれる技術の悪い側面ですね。
ちなみに、私もMac(MacBook Pro)を1台所有していますが、購入のきっかけは勉強のためでした(色んな機械を触ってみたいから)。Macは特にメイン機ではありません。開発環境がWindowsにもあるので、両方を使用しています。
「Macはプログラミングに向いている」は本当か?
複数のプログラミングスクールのサイトで「MacはRuby、Python、PHPは特に開発効率が良い」という解説も見つかりますが、理由が説明されておらず根拠がありません。
WindowsだとVisual Studio Codeという非常に強力なエディタが無料で使用できるし、テキストエディタのAtomもプラグインを入れれば、それなりに開発はできます(ちなみに両者はMac版もある)。後で解説しますが、Web系がメインのエンジニアであればmacOSは親和性は高いのは事実ですが、だからと言ってWindowsの開発効率が悪いことはないです。
それに、Python、Rubyは今後はデフォルトではmacOSには含まれなくなります
https://developer.apple.com/documentation/xcode-release-notes/xcode-11-release-notes
プログラミングPCにWindowsとMacどちらを選べばよいか、という問題 | YukiPress