自社の人間ではない彼に、GitHubのプルリクエストレビューでのやり取りの末、「正論より議論で進めていきたい」と言われた時、プロジェクトに対する熱が冷めるのを感じた。
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コメントをつける際や、コメントに対して返信する際には、私なりに文面でのコミュニケーションに心を砕いていたつもりだ。
明らかに実装がおかしい場合でも念の為相手の意図を確認したし、提案ベースで話を進めた。
背景知識が必要になる場合は、図を描いたり、一次情報や関連情報のURLを貼ったりして丁寧な回答を心がけた。
上から目線にならないよう気を使っていた。テキストエディタに下書きをして何度も書き直したことも、一晩置いてみたことも、同僚に文面の印象について相談してみたこともある。
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その結果、「正論より議論で進めていきたい」と言われてしまった。
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彼から正論に見えたのなら正しい論理だったのだろう。それは良かった。そこまでは良い。
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あるトピックについて、正しい(ように見える)論理が複数あり、どちらかを採用しなければならない場合、もちろん議論すべきだと思う。
正しい(ように見える)論理が1つしかない場合って、議論の余地無くないですか、、、?
反論したかったらしろよ、聞いてやるからよ、今までもちゃんと聞いてあげてきただろ、、、?
そんな捨て台詞みたいなん吐かれても困る。
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常に正しいことしかしてはいけないという強迫観念を感じる