「オーバードーズ」を含む日記 RSS

はてなキーワード: オーバードーズとは

2014-05-30

妊娠してから嫁がうつ病かもしれない

コンドームでの避妊失敗→アフターピルも失敗→で結局妊娠発覚

夫婦ともに子無し決めてたのでショックが大きかった

嫁は中絶するつもりのようだが、医者に強く止められていて精神的に病んでいる

とりあえず発覚後の嫁の行動を箇条書きで書いていく

・まず飯を取らない。喉は乾くらしいので水分はとっているが腹が鳴ってても何も食べない。

飯を買ってきたり作ったりするんだけど、ほとんど手を付けてくれない。「作ってくれたのにごめんね」と泣きながら残す。

・お陰で体調がすこぶる悪い。ただ仕事は絶対に行く。あんなフラフラ仕事になってるのか?と思うが、こっそり仕事場をのぞきに行ったら仕事はいつも以上に明るく振る舞ってる

風呂から出てこないと思ったら冷水に30分位下腹部さらしていた

休みの前の日は睡眠薬10粒とか平気でオーバードーズ(平日もやりたいらしいが平日にそれをやると仕事にいけなくなるからやらない)

・暇さえあれば腹を殴ったり、わざとマンション階段から落ちたりするので体がもうボロボロ

ネットで「流産する方法」とか検索しまくって、毎日のようにビール飲んでは、つわりなのか酔いなのか知らないが吐いている

こんな生活がもう二週間は続いている。

正直自分子供はいらない、嫁の二人だけで生活していきたい。

ただ、妊娠しているのが実家にバレているので(理由は割愛する)

なかなか中絶するといろいろめんどくさそうだ。

あれだけ無茶をしたとしてもなかなか流産ないらしく、いつもうつろな目で「もう私ごと死ぬしかないのかな、でも私死にたくない、あなたと一緒にあそびに行きたいよ」とつぶやいてる。

自分お腹の中の子供は失ってもいいけど、嫁は失いたくない。

問答無用中絶してくれる病院、探そうかな、あんなうつろな目をした嫁はもう見たくない。

卵管結紮とかパイプカット検討したんだけど、子無し夫婦で手術してくれることないんだな。

こんなクズ夫婦去勢しておいたほうが楽なのに、優生保護法かめんどくさい法律だ。

2014-05-23

[]5月23日

○朝食:なし

○昼食:サッポロ一番味噌

○夕食:お好み焼き外食

睡眠時間:AM2:00〜AM10:00(8時間

調子

自傷行為およびオーバードーズはやってない。

と、明言する程度には調子は悪い。


○Fable2

ノットホール島のDLCクエストを一件クリアして今日は終わり。


ポケカ

一勝ニ敗。

ちょっと人疲れしてしまったので、土曜日大会はいかないつもり。

2014-05-19

[]5月19日

○朝食:なし

○昼食:なし

○夕食:なし

調子

最悪。

自傷行為が辞められない。

頭を叩くことだけが気持ちいい。

オーバードーズだけは我慢してるが、いつかしてししまいまそう。


プログラミング

共同作業者と話し合いだけで終わり。

ちょっともうツラくなってきた。

頭が痛い、動悸がする、視野がどんどん狭くなっていく。

2014-05-17

何故オーバードーズしたくなるのか

必死に飲まないでおこう飲まないでおこうと耐えてる。

でも飲みたくて飲みたくてしょうがない。

それ以外に楽になる手段を知らないから

ただただ、意識があることがツラい。

2014-04-15

教育について勉強することは、苛められた自分治癒する行為でもある

そして過去を整理するために記事にすることも、自分への治癒に繋がると信じて書くことにする。

とても長いです、すみません

小学校から中学校あいだだいたい9年間ほど苛められていた。

最初ちょっとしたハブりとかくらいだったんだけど、陰湿になっていったのは小学校3年制くらいからで、学校に行けばなにもしていないのに笑われる、嫌がられるという扱いを受けた。

私に非があったんだろうという輩が湧いて出てくるような気がするから先に述べるけど、私はガリガリで色黒で身なりがダサくて大人しいという典型的な地味な子どもだっただけだ。

苛められていることを学校の作文に小学校4年生くらいで書いたときは、担任に呼び出されて、詳細を聞かれたけど、いじめられているという事実が恥ずかしくてうまく答えられなかったせいなのか、まったく対処してくれてなかったように思う。

小学校高学年になったとき、苛められはしていたものの、とある女子グループにしがみ付いていた。苛められるとは分かっていても、それ以外に一緒にいる人がいなかったし、そのグループの数人は幼稚園も一緒で、近所だったこともある。帰宅グループだった。

けどある日、学校の近くで働いている父親が、私が友だちの軽い感覚でぶたれたところを偶然見つけ、私を怒った。その友だちと一緒にいるんじゃないって、だいぶ怒鳴られた。

私は、まぁ苛められてはいものの、その女の子幼稚園からの付き合いで、別に本気でぶたれたわけではなかったし、からかいはするけど一緒には帰ってくれるから、その子のことは好きだったから、まったく理解できなかった。

まぁ一方的に怒鳴られる状況下でそんなことが説明できるわけもなく、それ以降、恐縮した私は怯えながらその道を通ることになった。このあたりから父親への苦手視が始まったように思う。その通りを歩くとき、いつも父親がいるんじゃないかと怯えていた。いつも逃げるように歩いていた。

の子グループから距離を取らざるを得なくなったあと、私は苛められっこのグループに混ざることになった。なんというか、嫌な視線は前よりも多かったし、高学年になるにつれて、わりと堂々となにか嫌なことを言われるようになっていった。

中学生になっても、その環境はもちろん変わらなかった。メンバーほとんど一緒で、そこに他地区から3校分ほど加わったんだけど、苛められていた寝クラになりつつあった私が新しく中学校で再スタートできるわけなく、鬱気味になっていった。

中学校1年生のときはまだマシだったけれど、それでも徐々にやっぱり苛められキャラというのは定着するもので、ジャニーズが好きだったことなんかを理由に気持ち悪がられていた。

この頃から自律神経失調症になった。朝起きると気持ち悪い、ご飯が食べれない、頭痛がする、だから学校行きたくない

3年生にあがったころは、学校に行っても終始寝ていた。朝遅れて授業に行き、英語時間以外は昼まで休み時間もぶっ通しで寝ていた。英語だけは好きだったし、英語の科目の先生がとても英語のできる人で尊敬していたので、起きていた。成績は普通だったけど。

文化部所属していたので、上下関係に揉まれることはなかった。

高校受験とき希望していた高校は当然だけど全部落ちた。美術高校を目指して画塾に通っていたとはいえ、基礎の勉強していなかったから当たり前である。今でも当時、試験のために描いた白菜はよくできていたと自負してるけど、実際はどうなんだろう。分かんないや。

興味のない勉強を真面目にし続ける自信も体力もないと感じ、さらに同じ中学校の人がいない学校へ進学したいと考えた私は、定時制入学することにした。

定時制で、ある意味高校デビューを果たしたけれど、間違った方向にすすんだ。

夜間学校なだけあって、ヤンチャしている生徒が多く、そんな子たちに混ざって遊びを覚えたため、高校1年生から夜遊びを繰り返していた。朝帰ることも多かった。

でもいじめから無縁の生活になり幸せだった。

ただ美術受験を失敗した私は、自分美術に対する自信を完全に失っていて、挫折を強く感じていたため明るくなれたわけではなかったし、中二病も混ざって鬱はより悪化していった。

勉強もできない、絵の才能もない、コミュニケーション能力もない自分自身に対して、ただひたすら絶望していた。

中学校先生に勧められたメンタルクリニックに行き、薬を服用し始めると、薬が効かないことへのいら立ちが増えた。飲む量だけは増えていくのに、精神的な落ち着きはまったく得られなかった。

1回だけオーバードーズを試みたこともあった。当時の私は死にたいとずっと考えていた。

家族関係悪化していったのも高校時代である

鬱で泣いてばかりの私を、父親と祖母はよく思っていなかった。泣いていると怒られて、怒られたことに泣くと、さらに怒られるという悪循環けがあった。

家族の恥のような扱いをされているふうにしか思えなくて、私は家族にいるべき人間じゃないと思っていた。

人生もなにもかもうまくいっている妹と比べるととても惨めで、その妹は私のことなんか気にせずのびのび生きていたし、母親だけは唯一鬱への理解を示してくれようとはしていたけど、基本的には小学生のころと同じように放置主義だったように思う。

問題を抱え続けていたわけだけど、こういうわけで、家族の中に頼る人間がいなかったし、頼れる友人関係高校で築き上げたわけでもなかったので、中学からこの頃まではずっと孤独だった。

高校3年生の夏、ようやく打ち解けあえる友だちができ始めた。ようやく仲間と呼べる友だちに出会えて、今でもこのグループの人たちとは交流が続いていて、のちのち精神的に助けてくれる人となる。

高校4年生のとき、頼りにしていた母方の祖母が亡くなった。父親や家族と揉めるといつも、この祖母の家へプチ家出を繰り返していた私にとって、これは大きなダメージだった。ちなみにそんな家出を繰り返しては家族に嫌いとかそんな暴言を吐いていたため、父方の祖母は「あっちの家のほうがいいんだろうねぇ」なんてよく言ってきた。

母方の祖母が亡くなった日、私は唯一の身内で頼れる存在だった人を失ったこともあり、葬式中は泣きとおしていた。親戚一同が集まる食事会では、母方の祖母側の兄弟たちと、祖母の話をして気を紛らわせた。田舎の人たちなので、宴会になっていて、楽しかたから。

けど父親からは「葬式にきていた父親側の人間のそばにいなかった」ということでキレられて、それがショックだった私は2週間ほど、亡くなった祖母の家で、祖父と一緒に暮らした。どうしても父親の理論理解することができず、頭ごなしに一方的に怒鳴られることにも嫌気がさし、この頃から本格的に父親嫌いとなった。

父親嫌い、父親側の祖母嫌いは、このあと数年続くんだけれど、このとき高校の友だちが私に理解を示してくれたおかげでどうにかたちなおれた。だから高校の友だちには本当に感謝してる。ちなみに父親を嫌うエピソードとしては「お前なんかが大学に行けるわけがない」と言われたこともある。

父親の言葉を見返すつもりで、必死勉強をし、第二志望だったけれど希望大学入学することができた。美術は諦めていたから、その次に好きな英語科へ入学した。

私の人生大学入学と同時に、ようやく明るくなってきたように思う。

今まで女子の仲良しグループに属したことがなかったけど(高校ときは男友達に囲まれていた)、それが実現したり、定時制から入学したにも関わらず成績は中の上ということで、自信にもつながった。

家族とは距離を取りつつ、揉めつつ、という微妙関係が続くも、大学2年生のとき、反対を押し切って1年間の留学をした。

嫌いな父親から出資ではあるけれど、家族から距離を置けたのはよかった。今まで家にいても落着けないというか、父親と同じ空間にいると緊張して耳鳴りがするくらいだったので、ストレスから開放されたように感じた。

父親とのコミュニケーションがまったく取れない私とは違い、妹と父親は仲が良く2人で旅行もするくらいだったので、その差に絶望したり、自分の不適合っぷりに悲しくなったりもしたけれど、距離を置くことでどうにか凌いだ。

帰国日が近づき、電話先で父親が口頭一番に発した「帰ってくるなよ」みたいな冗談?をきっかけに、乱れ始めてたので、カウンセリングのお世話になった。話を聞いてもらうことでどうにか落ち着き、まぁ金銭的な援助だけはあるのでその辺の感謝はしつつ帰国した。

留学後の関係は以前よりもずっとマシだったけれど、どうしても距離は縮まりにくかったので、やっぱり何度か揉めた。

でも大学4年生のとある大規模な英語スピーチ大会スピーチを行い、英語理解できないのでいいやと思い両親を招待することで、なんとか今までの成果を見せることができた。まぁ特に褒められはしなかったけど。

今は教育を学ぶために自分奨学金を借りて、二度目の留学をしている。

父親に対して批判的になる大きな理由の一つ、それを助長する理由の一つとして、大学に入ってから教職を取り、先生や親、大人の在り方について考えるようになったからというのがある。

子どもにどう接するのが理想なのか、自分過去と照らし合わせて、教育論について考えている。そんなわけでより一層、父親は間違っていると認識してしまうため、寄り添うことはできなかった。多分、今もそんなにできてない。耳鳴りなんかはなくなったけど、あまり喋れないし。家では基本的に口数が少ないと思う。

感情豊かではない。

それに気づいたのは、つい最近教育実習先の学校からコメントについて大学先生に触れられたのがきっかけだった。私は自分の気持ちを表すことや、人に頼ることが苦手なんだろうと先生に言われた。

過去を振り返ってみると、そうなんだろうと納得できるし、きっとこれまでのことが原因なんだろうと、教育について勉強してきた分、自分をそう判断することができる。

これから努力して少しずつ練習して変えていくつもりなんだけどね。

これを書いている最中、辛かった日々を思い出して泣いた。

けど、泣いても書き続けることで、辛かったあとにやってきた楽しい人生を振り返ることで、自分の成長を確かめることで、自己治癒に繋がったと思う。

ここまで長々と読んでくれた人はどうもありがとう

2013-05-30

http://anond.hatelabo.jp/20130530190848

元増田オーバードーズについて知ってるくらいだから

オーバードーズぐらい、みんな知ってると思っていいのでは?

それに、いまどきオーバードーズできる薬なんて、普通は手にはいらないよ。

逆に、飲まないで下さいって書いてある、物を飲まれたら止めようがない。

知識は知識で、別途配布すれば十分だろ。

http://anond.hatelabo.jp/20130530164915

元増田だけど遺族やスタッフが公表したくない死を全部心不全として報道していると

自殺オーバードーズなどの死に対する知識が広まらなく、若い人の不幸な死が増える原因になるのではという考えからです

それでも遺族やスタッフが公表したくないのなら、死因は公表せず。と報道すれば良い。

2012-09-06

だれも特に聞きたくない女性の体シリーズ

昨日だれかと周期があっちゃってひゃっほうしたので自分の体験した月経周期とおりものとかについて書く

 

おりものはすごい変化がある。

排卵前後は多めなんだけど、一回でろっとしたのがでる(白い~透明で、でろっとしててなかなか乾かない)特有の薬品ぽい?木材ぽい?匂いがある(夫も知っていた)。

たぶん黄体とかだとおもうんだけど、正確にはそれがでろっとでてくる前が一番あぶないんじゃないかとおもうけどよくわからない。

生理一週間前になるとおりもの量がすくなくなる。

ある日、おりものがかりかりに乾燥して、中に青い綿埃みたいな繊維がまじってると、子宮内膜のはがれはじめ。

そっからなんとなくむらむらする。でも1回でも自慰エッチをして子宮を収縮させてしまうと

生理がくるのがはやまる(子宮が収縮してから24時間目くらいで生理がきてしまう)。

我慢して何もしない(あるいは旅先とかで何もできない)と1週間くらい来るのをのばせる。

来ちゃったら2日目にすごいお腹痛い。いわゆる生理痛。ずーんと重苦しい。眠いお腹死ぬほど冷える。

夏でもホッカイロ必要になることがある。汗だくで寝るが腹だけは冷たい(無理していた月ほどよく冷えて死ぬほど辛い)。

薬がなければホッカイロでもあてて横になってるしかない。姿勢を工夫すると痛くない場合があるから往生際わるく薬つかいたくないと思わされて面倒。

丸48時間くらいは痛いかオーバードーズもやだし間隔に気を遣うほどの気が残ってないしあとアレルギーを悪化させますとか書いてあるし面倒。

月経のひどいとき下痢をする(冷え程度に比例して激しい)のだが、

その排出時は下腹部がひきつれてるというか金串をつきさされるように痛い。食欲がないのにこんなに出るなんてと恨めしい。

前もってわかっていれば固形物ができないジュースをいっぱい飲んでやりすごしたいのだが前もってはわからない。

どっかで子宮内膜組織がながれでて腸とかと癒着しているらしい。陣痛より正直痛い。

あとでそんなことになって後悔するから月経とき性交や道具入れての自慰はやめたほうがいい。

でもやっぱりなぜかむらむらする(とくに痛みが軽くなったおわりかけあたり)んだけど。なんでよ。黄体でるあたりでむらむらさせてよw

姿勢をかえた拍子に痛みが消えたりするが、結局水漏れ危険はあるので、いろいろおっくうで

つい何もしないで寝ているほうをえらぶけど出かけたり人に会うならやはり一錠100円で済むロキソニン飲んだ方がいい。

妊娠しないでいいなら子宮だけとっちゃう生理なくなってエッチはできて

ホルモンも卵巣から補われるから楽らしい(でも黄体とかどこから出ていくんだろ、どこで吸収されるんだろとは思う)。

月経血には血のかたまりというよりレバーみたいなのがまじってる。

漢方によるとよくないものをたべておけつがあるせいとなるんだけど、ちゃうやろと思う。

あわない生理ナプキンすると肌全体がびりびりに腫れていたい。布ナプキンのほうがサワリ心地はマシだが洗うの面倒。よく選ぶこと。

あとしょっちゅう洗いたい(血で肌がかぶれる)がそのとき手触りがぬるぬるする範囲でこんなに広くよごれるかとびっくりする。

ビデつきウォシュレットなんか全然たりないので水道が便座にむいてるトイレトイレットペーパーぬらして一生懸命こするけどよれて紙がくっついただけだった。

やっぱ風呂場が一番早い。

あと衛生パンツ脱いでトイレの上に座るとたらたらーっと悪い血が垂れる。

ボウルは非常に陰惨な光景にはなるのだが、

そのとき悪い血がでていったよーというようにすーっと痛みが消えるというか体が軽くなる。

腹さえ冷えなければトイレ読書もいいかもしれないと思う瞬間。

でも座っているのが辛くなってまたトイレと往復したりすることが多い。てか痛みで気が散って本は読めない。漫画くらい。

 

こないだはてなブクマで、新米母親ちんこの洗い方は半笑いでみんな楽しく教え合うのだけれど、

まんこの洗い方は「自分と同じで」っていうだけでちゃんと教えないので驚くほど汚い人がいるっていってた。

ちゃんとだいいんしんとしょういんしんのひだの間は指いれてあらうこと。普段でもすごく汚れやすい。

尿道やちつぜんていはあまり指つっこまないで手のひらとか指を平らにして洗うといい。

処女膜(のあったあたり)に突き指すると痛いので気をつけて。

そんで月経とき月経血はお尻側まで広くついてることがあるから、前からだけじゃなく後ろからお尻をさわってよく洗うこと。

 

そんで生理用品とトイレットペーパー生理ときは多めに使わざるをえないがボウルにやまもりで自分でげっそりする)は消費税無税でいいじゃないかとおもう次第。

あと肩凝る。あと腰痛い。もういいいからはやく子宮とりたい。

2012-05-10

増田オタクと戦ういつもの人へ

1

http://anond.hatelabo.jp/20120510110120

その差、内面の差を見極める能力オタクには欠けている。だから小手先勝負の外見チェンジだけで落とせるのだ。

黒髪だと言うだけで、おとなしくて清楚な感じ、処女っぽい、と思い込む。あまりにも簡単。

何か根本的に勘違いしてるようだけど

そもそも茶髪オタク男に嫌われるなんていう事実は無い。

茶髪女がオタク男に接近したいという場合

わざわざ黒に染め戻す必要なんかゼロ


メンタル系の病気のため働けない、自活できない女には、寄生先としてオタク男をおすすめする。

こういうのを受け止める度量も趣味オタク男には無い。

バンギャルだった過去や、同棲していた過去リストカットオーバードーズしていた過去喫煙過去

色々あるだろう、そういったものコミュニケーション能力の高い男には読み取られてしまう。

それらは強烈過ぎてどんな相手にも必ず察知されるし

その上でオタク男は「ビッチ」として即シャットアウトする。(たまに変な風に入れ込むけど…)。


現実にはそういう子をあまり気にせずに受け入れる男は「コミュニケーション能力の高い男」クラスタに多い。

良くも悪くも重く受け止めないで流しちゃうことが出来るから

というかあなたにもう少し実際の

メンヘル女」や「コミュニケーション能力の高い男」の知り合いが多ければ

この組み合わせがとても多いことを観察できていたはず。


2

増田でよくオタクとかもてない男とかについて

一生懸命馬鹿にする文章を書いてるのって

全部同じ人か、数名の固定メンバーのような気がする。


あなたの文章が大抵トラバブクマゼロ

まり面白くないのは、

とにかく現実をきちんと観察してないから。

あなた必死に叩く「オタク欠点」は常にリアリティやディテール全然無いの。


自分の頭の中だけで「オタク」「処女厨」を作って

いつもそれだけを参照しながら「ほらこんなに駄目だ」って唾を飛ばして力説してる。

経験の乏しい小説家志望の人物造形みたいな感じっていえばいいのか、

掘り下げや厚みが足りない。


本当のオタクはもう少し入り組んだ感じに駄目だし

頭で考えただけじゃ思いつかないような側面で駄目なのね。

そこは現実に興味を持ってないとわからないし、

観察力を鍛えてないと目に入っても読み取れない。


オタクに限らず。

あなたの話に出てくる「メンヘル女」も「コミュニケーション能力の高い男」も

全部ステレオタイプで、その人達の実際の生活を見たことないのが伝わってくる。

一番悪いのは、経験だけじゃなくたぶん興味も乏しいところ。


3

自分の頭の中の「敵」像を繰り返し参照して馬鹿にしてヒートアップするのって

煮詰まっちゃった政治クラスタの右や左の人達にも多いけど

これはどれだけやっても全然新しい世界が見えないし進歩もないの。

でも中毒性だけはすごいから、本当に注意して欲しい。


自分の脳の中に出来上がってる「型」や「パターン」に固執するんじゃなくて、

目の前の人や物事にもっと関心を持って欲しい。

実際の人間もっと複雑に味わい深く駄目なものから


すぐ脳の同じシナプスで処理しようとするのをやめてみて欲しい。

自分」&「過去」より「世界」&「今」に興味を持つっていうこと。


まりそれは自分以外のものを愛してみるっていうことだけど。

メンヘラ女にはオタク男をおすすめしま

「黒髪女」にも、強固な信念を持っていて、生まれてこのかた一度も髪を染めたことがないというタイプから

10代の頃はDQNモテたくてド金髪だったが20代になって金持ち男を落とそうとして黒髪に染めたというタイプ

大学デビューで周りに合わせて一度は茶髪にしたが、維持するのが面倒になって黒戻ししたというタイプも居るだろう。

その差、内面の差を見極める能力オタクには欠けている。だから小手先勝負の外見チェンジだけで落とせるのだ。

黒髪だと言うだけで、おとなしくて清楚な感じ、処女っぽい、と思い込む。あまりにも簡単。

 

メンタル系の病気のため働けない、自活できない女には、寄生先としてオタク男をおすすめする。

バンギャルだった過去や、同棲していた過去リストカットオーバードーズしていた過去喫煙過去

色々あるだろう、そういったものコミュニケーション能力の高い男には読み取られてしまう。

オタクにはそれを読み取る力が無い。「黒髪」「清楚」「童顔」「色白」などの外見的要素を作り、

インドアであることのアピールをし、言葉遣いを丁寧にして必要最低限しか喋らないようにすれば、勝手処女属性をつけてくれる。

処女でなくてもいい。生理の終わり頃にセックスすれば「血が出たか処女」と彼らは思い込む。

(逆に言えば、本物の処女でも出血しなかった場合、「処女じゃなかった!」と疑うのが彼ら。

 わかりやすく目に見えるものしか判断できない。他者の感情を知覚する能力が低いからね)

 

セフレ扱いされていた過去も、風俗で働いていた過去も、オタク男相手なら生かせる。

オタクアダルトコンテンツを見る立場お客様としての立場でのセックスしか知らないので、

本物の処女が相対すると本気で傷つくような非常識な要求を平気で行う。

その点、風俗などの質の低いセックス経験があると、「あの客よりはマシ」と思えば傷つかずに済む。

嫌なことをされても、あー、はいはい、と流せるのだ。

 

オタク男はあらゆる男の中で最も騙しやすい。

外見だけでレッテルを貼る、思い込んだら考えを改めない、認めてもらう機会に飢えている。

他者の感情を知覚する能力が低いので演技と本気の差が見分けられない。

(彼らは演技と本気の差を見分けるマニュアルを欲しがるだろうが、これが出来るマニュアルなど無い。

 これは数学の真髄を教科書ガイドで理解しようとするような愚かな行為。)

要するに対人関係において底が浅い。自意識についてしか考えてこなかった結果、そうなっている。

オタク男は最高のカモ。性格が悪い女性、後ろ暗い過去のある女性、金のない女性は是非利用して欲しい。

25歳以下で、顔が平均以上なら、内面が酷くても入れ食いだ。

35歳以下でも、顔さえ良ければ入れ食いも可能。整形しましょう。

2011-08-17

地震起こしたのは私です

告白します。

地震を起こしたのは私です

正直、すまんかった。今は反省している

話は去年の3月にまでさかのぼる。

大学をやめるかどうか先延ばしにし続けて一年が経っていた。

意を決して復帰すると言った。でも、言った直後からもう大学に行く気などとうに失せていた。

だがそれを隠してマンションを決め、小遣いをせびり、自由な生活を手に入れた。

それから地獄天国毎日入れ替わるような日々を送ることになった。

躁と欝の波が絶え間なく押し寄せてくる。死にたいと思った次の瞬間には生命の喜び、生きる喜びを感じて笑い出す始末。

何をやってもすぐにやめ、うまくいかないと周りのものに当り散らし、思いつきで高額な商品を買いまくり、ついにはクレジットカードにも手を出す。

理想現実どころか、何が理想で何が現実なのかも分からなくなり、ついには真剣に死ぬことを想うようになる。

そして10月電話してきた親に「もう会いたくないか電話しないでくれ」と蚊の鳴くような声で伝える。家族旅行を計画していた父が電話の向こうで泣き始めた。

いたたまれなくなって帰省を決意、しか死にたいという想いは日に日に強くなっていく。

親にクレジットのことなどを明かし、自分病気かもしれないと告げると、精神科をすすめられた。

結局休学の口実になるから精神病自分を演じるようになる。のらりくらりと治るんだか治らないんだかよく分からない説明。

薬を出され、これで立派な精神病患者の仲間入りとウキウキするも、考えることはオーバードーズでどうやって死ねるかということだけ。

年末が近づく頃になって、いままで大事にしていたものを処分し始める。ノートパソコンゲーム機段ボール箱4箱分の本、アルバム写真日記

家族に隠れてこっそりシュレッダーにかけ、夜中にゴミを捨てに行く日々。

すっきりした部屋を見た妹が気づく。もしかして何か変なこと考えているのではと。笑ってごまかす。

年が明けるともう毎日が死ぬ方法ネット検索する日々になる。

1月末には突然猛烈な寒気に襲われ何年もひいたことのない風邪を引く。これで死ねたらと思う。

2月3月はやけくそな気分を誰かに知ってもらいたくて匿名コミュニティ上でだれかれ構わず意見を垂れ流す。

少しでも叩かれると感情的に反応し、人格否定、殺す死ね罵倒、一時間に50回以上も投稿し続け、手が動かなくなっても目が真っ赤に充血しても深夜だろうが早朝だろうが構わず相手を否定し続けた。

目が覚めると死にたい、死ぬの投稿。我に返り謝ってみるが、すぐに怒りの感情が溢れてきて人格否定。

そうして、あの日がやってきた。

思えばあの日までい鬱積した自分ネガティブエネルギー臨界点をとうに越えてしまっていたんだと思う。

死ぬ気はあっても死ぬことが出来ない、家を出てのたれ死ぬという選択肢をとることも出来ない、いつまでも甘えて他人をのろい続けることしか出来ない自分エネルギーが、地震という形で世界に反映された結果なんだ。

ぬことが出来なかったのは自分がまだ自分人生を生き切っていないからだと思う。それなのに死にたいと唱え続けたから、地震が引き起こされたくさんの人々が死ぬというヴィジョンによって死への欲望が満たされた。そう考えるとあの地震がとても理解しやすくなる。

東京マグニチュード8.0というアニメは、主人公の少女世界崩壊を望んだことから地震が起きるという描写がある。もちろん本当にそういう設定であったのかは謎だが、このアニメを知っていたことが、今回の地震という表現に繋がっているとは考えられないこともない。ましてやあのアニメも今回の地震も、とてつもない大地震という点で一致している。

地震が起きたとき今まで家族バラバラだったのがきちんと揃っていたのも、偶然とは思えない。あの日を選んで自分地震を起こし、家族には危害が及ばないよう調整したとしか考えられない。

あれ以来、なぜか死のうという考え方はすっかりなくなってしまった。

死に対して興味を抱かなくなった。そこらじゅうで人は死んでいるし、別に何もなくなって人間はいつか死ぬ。そう思うと、自ら命を絶つことがとても馬鹿らしく思えるようになった。

やはり地震を起こしたのは私なんだろう。

私が作り出した現実にいる私が作り出した人々には申し訳ないことをした。

2011-05-16

シブトラミン スニッフ、舌下、経口 45ミリグラムぶっこみ

痩せ薬として色々とヤバげな効き目を出すシブトラミン

服薬して、すでに半年以上だが、最近ききの実感がなくなってきたので(飲んでも腹がへる

一気に増量して、効き方を再認識しようとオーバードーズにちゃれんじ

一日の上限が15mgとのことだが

15mg一錠ごとに、5分ごと程度にスニッフ、舌下、経口で摂取

はじめにスニッフするも痛い

刺激っぽい苦みがある薬はスニッフに向かない、と思いつつも

とりあえず頑張るもほとんど鼻水で流れてしまう、薬効実感は希薄

経口で余った粉末と錠剤を服用

この時点での効き方は、胃に何も入っていないのに

お腹がいっぱいのような感覚を得る

一番効きがガクっと来た舌下

初めて服用した時の、視界がグワーッと広がり

脳に何かしらヤバイ信号バンバン流れてる間隔が広がる

この時点で、かなり食べ物を見ても興味が失せる状態

意識に異常はなし、脈拍も安定状態で推移

お腹いっぱいがかなり強く感じる

食べ物を見ると「気持ちが悪い」になっている

効き方としてベストというか、これ以上無いくらい

痩せ薬として作用している状態に移行

飴、ガム、野菜ジュースなどをのぞけば

最後にまとめて食事をとったのが20時間ほど前(カップヌードル)で

胃に堕ちたシブトラミンも、舌下で溶かした分の効き目が

下降線を描く前に、ジワジワと効き始める

睡眠ほとんど取っていないので

起床時間も18時間を超えているが、眠気が穏やかに

目が冴えているというより、目があいてる状態のほうが楽という感じに

6時間後に結果を書く予定

2010-12-22

産業の人たちとお付き合いして思ったことをダラダラ書いてみた

初めて付き合った人がソープ嬢だったことをきっかけに、

デリヘル嬢、キャバ嬢、S嬢、AV女優と性産業の方々と数多く付き合ってきた経験

とりとめも無く、ダラダラ書いてみたいと思います。

からオチとかないで

はじめに

これだけは言っておくけど、性産業で働いてる人たちは色んな理由で働いているんで

決め付けで「どうせホストはまって借金でしょ」とか思ったり、言ったりしちゃダメです

しかにそういった嬢もいますが・・・、だいたいいますし

風俗来てる奴にそんなこと思われたり、説教とかされたくないから!

でもまー単に金遣いが荒いパターンほとんどで

僕が付き合ってきたなかだと、70%くらいが買い物依存症です

で、金が回らなくなって、昼職からキャバ風俗に流れてくるパターンが多いか

ちなみに体感的にはクツ、服、ネトゲ代の為に働いてる場合が多い気がしま

最近20代前後の嬢だと、ネトゲヲタ的活動費用の為って傾向がある

#そもそもなんらかの借金を返すために働いてる嬢は

嬢をしてるとバレないようにいきてるから、嬢だってわかってる人と付き合いません

から、僕が付き合ってきた人はそういう傾向にあるのかもしれません・・・

あと何も出来ないバカだから身体を売って働いてるってわけじゃなくて、

単に性的サービスと夢を売っているのだけだから

最後に僕のスペックは顔、結構普通

28歳、独身、一般企業勤務、年収600万

のパッと見はいたってマジメな普通人間を装っています。

が、まー色々あって出張エステオーナーもやっていま

なんでソープ嬢と付き合うことになったのか

これは簡単で高校卒業まで童貞で、卒業後かなり焦っていて

先輩に相談したところ「クラブナンパしろ」とのアドバイスを間に受け、

せっせと3ヶ月間ナンパしまくって、やっと口説いて、そういうことになった人がたまたまそういう人でした

最初のうちは「結構いい年齢なのに働いてないの?」とか思っていましたけど、

本人の「お父さんの仕送りで生活してる」ってのを信じてました

でも半年くらい付き合ったところで、

実は高級店のナンバー2、ソープ嬢でかつ不動産会社社長愛人もしてて、

この住んでるマンションはその人から貰った

という告白をうけました

まー19くらいの小僧からそういうこと聞いたら動揺しちゃって、

ギクシャクして酷いこと言って別れてしまいました。。。

#ちなみに5年後に偶然再会し、和解

いまは完全に僕のカウンセラーたいな感じで相談にのってもらってる仲です

M気質を発揮し、S嬢の彼氏というかアクセサリーになる

ソープ嬢と別れて、かなりダメージを負って、

もうどうでもいいやと軽く自暴自棄になっていた時期に

当時のバイト先の上司ビアンの方)に紹介されてもらって出会った人で

女性暴力を振るう」という事実を教えていただいたり

女性はどうやって尽くしたら喜んでくれるのかを教えてくれた、

僕の人生ターニングポイントになりました

出会った瞬間に何かを察知され、そこから半年

完全にパシリをやらされました

パシリの内容は

・謎の海外銘柄の酒を1時間以内にもってこいといわれる

・深夜にケーキ(本格的なヤツ)を買いに行かされる。ノーヒントで

・深夜に熱々のたこ焼きを買いに行かされる

・深夜に熱々のクレープを買いに行かされる

・深夜に高級葉巻を買いに行かされる

台風の深夜に指定の銘柄のシャンプーを家にデリバリーしろと言われる

・むやみに呼び出されて殴られる

・とある駅に捨てられて、「いまからショートカット女の子ナンパして、指定の喫茶店に連れてこい」

 ※ちなみにこれだけはガチで泣きを入れて、「この時は」勘弁してもらいましたが、後日何度もやり直しさせられました

いまから京都に迎えにこい

・木曜の夜に、これから北海道行きたいから手配しろ

等々のミッションをこなして、ある朝ついにご褒美にセックスさせてもらってから

やることは変わりませんが、一応彼氏っぽいポジションに置かせてもらえました

最初はホントに嫌々やってたんだけど、

つの間にか「ミッションをこなせるオレ、すげー」という勘違い

(※実際はどれも出来なさそうで、出来るミッションだってことにおいおい気付く)

できた時に喜んでくれてる「笑顔」フェイク)と「ありがと」に騙されて

嬉々としてやっていました

ただこの経験は非常にでかくて、大体の女性ワガママ対応できる能力と、

かつ先回りしてこういうことすれば喜ばれるということを学ばせてもらいました

あとナンパミッションをこなすための話術とちょっとコジャレたファッションセンスが身につきました

でも、慢心してちょっと、ほんのチョットだけ浮気したら、速攻で捨てられました・・・

結局、女性は絶対に何があろうと自分しか愛してくれない人じゃないとダメなんですよね

#ちなみに後にわかったことは、性産業に従事するワガママな娘はかなり精神状況が不安定な人が多いですけど

S嬢は圧倒的に精神的安定度が高いです。リスカとかオーバードーズとかやたら誰かと寝る心配が無かったです

キャバクラ風俗にハマる

S嬢に完璧に捨てられた後、風俗にどっぷりはまました

当時、祖父の生前贈与により、急に小金持ちなり

フラれた憂さ晴らしはまってしまいました

そういう店にいくとすごいホームで楽しくて、

つまりS嬢と一緒に行動していたときに、そういう人達とたくさん接してて、

そういう女性が居る空気普通になってたから、すごい自分が出せて

で、いつもS嬢につくして時のように接したプレゼントを持っててたりすると、

嬢に異常にモテることに気づいたんです

最初は「大好き」とか「ホントにタイプです」、「愛してる」ってメールがきても

はいはい、これがいわゆる営業メールでしょw」って思って流して

「営業乙wwwwまたそのうち行くから」とか返してたんだけど、

「いや本気だから」「いつ会えるの」みたいな流れになることが多くて

実際にデートできるってパターンが増えてきて、

この時はまだ「美人局に違いねー!」「絶対ブランド買わされる」って思ってたので、

ご飯を食べにいっても、映画にいっても必ず何もせずに見送ってました

である日、とある店のオキニデリヘル嬢とデートすることになって

待ち合わせ場所にいったら、その瞬間に嬢に告白されて

そのまま流されて彼女の家に行ってセックスして付き合うことになりました

(この段階ではお店以外でのセックスソープ嬢、S嬢につぐ3人目でした。ある意味素人童貞。)

オキニ嬢と付き合うa.k.a.修羅の道

一言でいうと、かなりの精神的負担でした。ホントに当時は辛かったです

この嬢は一見、かなりおとなしめで、美人かつ黒髪で遊んでる風はな

言葉使いも、サービスも丁寧で、かなりの人気嬢でした

(※2ちゃんでも一回は必ず入れって書かれてた)

付き合いだした時はそんな娘と「ただでセックスできるwww」って思ってましたけど

タダより高いものはないで

あと清楚、黒髪、マジメってのは営業モードの時だけで、

普段はめちゃくちゃ、ワガママな娘でした

特に束縛がヤバい

まずスーパーメール攻勢。いつでもどこでもメールが来て、内容はたわいもないことなですけど

返さないと、次は電話攻撃です。いつでもどこでもかかってきて、

バイト中でも、友達と遊んでる時でも、授業中でも、映画を見てる時でも

バンバン電話がかかってきて、でないと「他の女と会ってるんでしょ!」って怒られて

「は?いい加減にしろよ」っていうと「別れる」「付き合わなければよかった」「死ぬ」のコンボをくらってました

で、これに対応出来るように順応しちゃったうと、いわゆる今までは待機所にいるときor家にいるときだけの連絡だったのが

仕事する寸前、つまりは呼ばれたラブホの部屋に入る前とか、お客さんの隙をみてメールするようになって

いまから知らない男に抱かれます」「マジ、オッサンきもい」等の欝メール、欝電話を毎日くらうようになりました。。。

かつ仕事の日は100%、終わった後にデートです。だいたい深夜12時過ぎに、遅い日は3、4時から朝まで遊んでお泊りして、

こっちは一瞬寝て、学校行ったり、仕事いったりして、向こうは昼過ぎに起きて仕事いって、メール電話、その後デートループです

ときに酔って、殴られたりして・・・

体力的にも、精神的にも死にました

毎日、毎日「これから知らない男に抱かれる」「客、キモイ」って話を聞いて、なだめて、

ある日「オレなにやってんだ?」って思って、

ついに禁句の「そんな仕事、やめろよ!」って言っちゃいました

このときはま全然、向こうの大変さとかわかってなくて

あと、心のどこかでやっぱり蔑んでてて

「どうせみんなお前とセックスしたいだけだろ!」

って言っちゃたんだよね

これで終わり。ここで大げんかして終わり。

その後もなんとかく、関係は続けたけど、もう修復は不能でした

オキニ嬢と別れて、考えた

その後、三ヶ月間軽く、欝&体調不良で入退院を繰り返しました

S嬢に長らく仕え、耐えた僕が約半年で倒れました

で、その後反動で、懲りずにまた風俗キャバクラに狂いました

たぶん数千万くらいはつかったか

また同じこと何度も繰り返して

まー色んな色恋もあって、包丁で刺されたり

付き合ったり、一緒に住んだり、結婚したり、子どもできたり、別れたり

そういう経験をして、色々考えました

今までトータルで10人以上のそういう人と付き合ったんだけど、

(※正直、性産業以外の人とは1人以外付き合ったことがないです)

ふと最近

これだけは言っとこってことがでてきました

産業って男のクソみたいな欲望を受け止めてくれる、究極サービス業

から優しくしてあげてください。

お前のこぎたねー要望とか一方的な思いを全部受け止めてんだぞ

から無理は言うな、ルール内で遊べ

嫌がることはするな、言うな

愚痴はオレが100倍返しで聞いてたんだぞ

そのサービスの過程で、時間の中で夢をみさせてあげてる

から時間が来たらもう終了です

その時間以外は仕事じゃないんで、「オレと付き合え」とか「オレが一番いいだろ」とか

そんなメール送らないでください、もうねそんなメール、山ほど見せられたか

そんなこと書いて、付き合えると思ってんのか?馬鹿なのか?

お前の恥ずかしいメールは必ず見られてます。お店のスタッフとか、嬢仲間とか彼氏

からアホなことは書くな

あとネットによくある情報商材の、嬢と付き合う方法みたいなヤツを試しても効かないか

もうわかってるから、わかってて時間内は付き合ってあげてるんだから

セックス目的じゃなくて、基本カウンセリングなんだなー

そういう社会生活の中で吐き出せない汚れを受け止めてるんですよ、

そういうこと言ったり、思ったり、やったりするとちょっとはストレス発散するでしょ

それを受けてるのは、人だってこと忘れないで

そのカウンセリングは誰かがやってるんだぞ、お前から受けたことを違う方法で投げ返されてんだぞ

でもまだ、「オレのオキニ嬢は違う!きっと好きだ」って思ってるお前へ

勘違い乙w

マジレスするとキャバでも風俗でも20、30万使って同伴・アフター以外の普通デート

ご飯食べて、映画見て、イイ感じなってみたいデートが出来ない場合は、それは諦めろ

絶対にその後は無い。お客から彼氏に昇格できるケースが超稀だから

体験的に1、2回目で向こうからそういうアプローチがない場合はないで

これでもわからないとウザい客でも、金を落とす人はお客様からマジ、絞りとられるぞ

最近出勤してないから、緊張しちゃって、だから〇〇さんに来て欲しいな」

とか

「今度お店にきたら〇〇さんの為に、今度ケーキクッキー)焼いて持ってきてあげるね」

とか

死んだ目でこういうテンプレメール書いてるから、これにマジ釣られてるのを

横で毎日見てたか

からもう諦めろ。諦めて、一瞬を楽しみなさい。

本気で狙えるのは、1、2回目のみだから何度も書くけど

それでダメだったら、おとなしくオキニ嬢の一人として遊びなさい

からオキニ嬢は3、4人作った方がいいよ

最後

あと、今、元嫁と一緒に出張エステ経営してるんだけど

2ちゃんとか、その他掲示板にアホなこと書くなよ、

スタッフみてるし、嬢みてるし、マジ、誰かわかるぞ

「お母さんに見られてもいい!」ってぐらいの覚悟で書いてくれ

「オレは」「オレは」みたいな発言はみてるこっちが恥ずかしくなるから・・・

ホントに止めて

最後に、何度も書くけど情報商材とかマニュアルみても付き合えないか

試さないでくれ、そういう話を聞かされると男として恥ずかしくなる・・・

僕も高校までずっと男子校でそういうマニュアル鵜呑みにしちゃう気持ちわかるから

から、やめてくれ

さてと五時になったし、明日の昼職のために寝ます

あ、「そんな仕事、やめろよ!」問題について書いてなかった

でも寝よう

2010-11-24

私は人殺しですか?

母は昔から精神病が原因で、何度も自殺しようとーバードーズやリストカットなんかを繰り返してきて、

そのたびに病院に連れ込んだり金を払ったり、母に気を遣ったりしてきた。

最初は同情やどうすれば母を救えるんだろうかみたいな考えがあったけど、

次第にそれが嫌悪や憎しみに変わって、最後にはただ疲労だけになっていた。

家族や親戚が母ひとりの為だけにみんな疲れきっていた。

つまり、母が死ねばみんなが救われる。

だから先日、母がいつものように薬をオーバードーズして庭先に倒れているのをみたとき

そのままにしておくことにした。

今日は父も妹もそれぞれ用事があって家に帰ってこないはず。

私は隣県まで行って適当ホテルに泊まり、酒を大量に飲んでから眠った。

翌朝、携帯には父や妹からの連絡の跡がたくさん残されていた。

母は凍死だった。東北の冬の夜に、外に薄着で放置されれば死ぬ確立はかなり高い。

私はアルコールが抜けるのを待ってから家に戻った。

既に警察医者は引き上げたあとで、葬式の準備が始まっていた。

父も妹も泣いてはいなかった。父は準備に忙殺されていて、妹は呆然としていた。

一番最初に母の死体発見したのは妹らしく、このことだけは凄く後悔した。

親戚たちが集まってきて、口々にお悔やみの言葉なんかを言っていたが、

ある親戚の一人が事の経緯を聞いて、私に突っかかってきた。

「どうしてお母さんを一人にしたの? どうして一人でどっかに行ってたの?

あなたがしっかりしていれば・・・」

私は下を向いて、「そうですね、すみません仕事だったんです」と言っておいた。

その私の存在の言い方が気に入らなかったのだろう、さらに何か言ってこようとしたが、

他の親戚がとめた。その親戚も、母に少なからずの迷惑をかけられた一人だった。

葬式は粛々と進み、あっさりと終わり、親戚たちは去り、後には父と私と妹が残った。

母がいなくなって、もう夜中に母の奇声や罵声で飛び起きることはなくなったし、

隣の家や他人に迷惑をかけて頭を下げることもなくなったし、包丁をもった母が

「死んでやる、殺してやる」と泣きながら喚くこともなくなったし、そんな母の

振る舞いのせいで妹が友達を失ったりしなくなったし、追い詰められた父が

酒の力にすがることもなくなったし、私たちはもう誰も母のことで悩んだり疲れたりしない。

母にとっても良かったのだ。母はずっと死にたがっていたし、ようやく死ねたのだから、

たぶんこれが母も含めたみんなが幸せになれるやり方だったはずなのです

なのに、近ごろ父の酒量は異常なほど増えていて、妹は「あの日自分が家に戻っていれば・・・」と自分を酷く責めています。

妹はメンタルクリニックに通い始め、そして二日前、母と同じようにオーバードーズ自殺を図りました

幸いにも一命をとりとめましたが、予断を許さない状況です

私はあのとき、庭に横たわる母を助ければよかったのでしょうか?

私は人殺しですか?

2010-11-16

非常に情けなく、恥ずかしい話。

ネットで、学生時代の友人が結婚していたことを知る。

素直に喜びたいのだが、とってもモヤモヤするのだ。

不幸になれ、とまでは思わないけど、幸せになってほしくない、そんな漠然とした気持ち。

我ながら、人として最低だと思う。が、モヤモヤしてしまっているのは紛れもない事実

いたたまれないので、この場を借りてそっと告白させていただきたい。

 

友人、とするからいけないのかもしれない。

中学時代から大学卒業まで、濃密に付き合っていた相手、というべきか。

同性なのだが、あまりに好きすぎて、多感でデタラメ中学時代などはそれを恋愛感情とまで自分で誤解してしまったくらいだ。

大学卒業間際、あることをきっかけに喧嘩になり、それっきり、会わなくなってしまった。

 

そもそも、友達、だったのかどうか。

ヤツはずっと成績優秀で、オタクで、マイペースで、頑固。

絵がうまい小説うまい、と当時の私は思っていた。事実中学生としては上手だったと思う。

「見せてほしい」とお願いすると、同じものを同じ枚数かいてもってこい、と言う。

だから私は小説なんか書き始めたのだし、当時は下手なイラストも必死で描いた。ほんとうに下手だった。

友人複数と交換でリレー小説をやったりもした。いつも私がキャラを殺すと怒られた。

楽しかったのは間違いない。けれど私は、メンバーの中では、いじられキャラ微妙に超越したいじめられキャラだった。

 

ボケ突っ込み、の体裁をとりながら、私が何か言えばいきなり手が飛んでくる。

はじめのうちはちょっと突く程度だったものがエスカレート

こちらが笑っているうちはいじめにならないから、と、私も痛いのを我慢していたけど、

ついに、脳味噌ずれるのが分かるほどの平手打ちをもらったときは、意志に関係なく涙が出てしまった。

さすがにどうかと、ヤツに手紙を書いて渡した。

なんて返ってきたと思う?

自分には、対等な付き合い方というのが分からない。見下すか、敬うかしかできない」だと。

 

要は、ペルソナが強すぎるのだ。

自分キャラ」みたいなものから一切逸脱できず、ただそれを演じることに徹している。

そこを理解してくれと言うのだ。

事実、二人でいるときは手をあげることはない。

他のメンバーが混ざると、見せしめのように叩くのだ。

 

それでもやっぱり、好きだったのかねぇ。

強くたたきすぎるのはナシ、みたいな密約のもと、謝られるわけでもなく同じ関係は続き。

オタク仲間、というのが少なかったからかもしれない。

別の高校に行っても、長電話したり遊びに行ったり来たり。

でも、この頃になると、学校が違うから明確な学力の差が見えにくくなってくる。

視野も広がるし、友人も増える。

私も小説を書くのが好きになって、素人ながら作品と呼べそうなものも作れるようになってきた。

そうなってくると、力関係は変化し始める。

コテコテのドオタクでいるより、好きなものを適度に取り入れたい私と、

中学生のままの精神状態のヤツ。

なりふり構わぬ服装や態度を、こちらがやんわり諭すような場面も出てきた。

 

そして受験

お互い一浪し、ヤツは有名大学の文学部二部、私は芸術系学部の文章創作コース。

こっちは大学課題小説を課され、プロ小説家添削を受けているんだから上達は早い。

ヤツの書いた、あいかわらず中学クオリティの作品の粗もよく分かるようになった。

でも、こき下ろすようなことはしなかった。

こっちはプロを目指そうとしているのであって、趣味で書き続けている人の楽しみを奪ってはいけない、と。

 

この頃になると、家族に次いで親しい大親友と言っていいくらいには気心を許していたと思う。

・・・少なくとも、こちらからは。

あくまで「自分キャラ」のなかでしか行動しないヤツに、私はだんだんいらだってきていた。

とにかく、成長がない。他者から学ぼうとしない。影響されない。

だから、迫ったのだ。本音で付き合え、と。

 

ヤツのペルソナをすべて論破して、丸裸にしてやった。

そうやって逃げるのは怖いからだろう? ほらまた自己弁護に走った、

それは本心じゃないだろう、なぜそう言いきれる?

などとひとつひとつ、ヤツの言葉意味を暴いてやったのだ。

 

思えば私も若かったし、性急だったと思う。

自分はこんなにお前のことを知っているぞ、とひけらかしたかっただけなのかもしれない。

いわば、言葉ずくでヤツの精神強姦したわけだ。

10年付き合っていてはじめて、ヤツは涙をみせた。

初めて本音に触れた、と思った。漠然と、勝ったと思った。

そんな風に思う時点で、私も薄っぺらだったわけだ。

 

それっきり、会っていない。

ただ、私はそのとき予言した。

「そんな風に自分の殻に閉じこもった付き合い方をしていると、幸せになんかなれないぜ」と。

 

それから、約10年。ヤツをネット上で見つけたのは、ほんの数年前だ。

中学時代から書いている小説の続きをHPにUPしていて、

ブログには、仕事をやめて加療が必要なほど激太りし、

精神安定剤オーバードーズしていることが自慢げに書かれていた。

複雑な気持ちになった。不幸自慢は気持ちのいいものではない。

でもどこかで、ほら言ったとおりだ、という思いもあった。

 

一方私は、小説家とはいかないまでもライターとして仕事で文章を書くようになっていた。

信頼も得ていたし、役職をもらって後輩を育てるまでになっていた。

大した成功ではないが、ヤツと比べてしまえば雲泥の差。

HPに設置された掲示板に声をかけるか迷ったが、やめておくことにした。

何を書いても、自慢になってしまう気がした。

 

それからさらに数年。

私は結婚を機に仕事をやめ、家事に専念することにした。

一定の自己実現欲も満たせたし、第二の人生といった感覚の引退。悔いはひとつもない。

ふと、ヤツを思い出した。

正直、自殺しているかも、とさえ思った。なぜか、それだけはやめてほしいと思った。

安否確認のつもりで昔見つけたHPを開くと、ブログが変わっていて、

そこに結婚相手が登場していた。ヤツも主婦になっていたのだ。

 

私が拙い文章力で記事を書き飛ばし、小銭を稼いでいた間に、

ヤツが何を思い、どう変化していったかは知る由もない。

真に心を開ける相手を見つけたのか、

心を開かないことを許してくれる相手を見つけたのか、それすらわからない。

ただ、相変わらず昔の小説の続きを掲載し続けているヤツと、

今の私が社会的に同じところにいるということが、妙にモヤっとするのだ。

 

愛情憎悪も憐憫も、感情という意味では等しいと聞く。

もしかすると、私こそがヤツに対して、一定の強い思いを抱えたままなのかもしれない。

これが片思いなのか両思いなのか、確認する術はないけれど。

2010-11-11

http://anond.hatelabo.jp/20101111085546

トラバついた増田だけど。

カビだらけの部屋に(服や化粧品通販で買えるとしても)ろくに髪も整えていない女が居たら普通は男が逃げるんじゃね?

それがさ、私だって汚部屋でろくに髪も整えないし化粧もしないし風呂は二日に一度だし私服は男物だったんだよ。でも彼氏は逃げなかったどころか結婚までするし。

ネットはそうやってなんか「普通」じゃない人たちが繋がれる場なのよ。

メンヘラオーバードーズ男とメンヘラリスカ女が出会って、付き合ったら両方のメンヘラが治った!結婚して子供できた!幸せ!って事例も見たことあるし。

恋愛パワーってなんかすごいんだよね。

もし増田恋愛絡みで何か諦めてる事があるなら、希望を持って欲しいよ。

いるんだって、自分に合う人って。

対面じゃ見つからなくてもネットで見つかる事もある。

2010-10-18

オーバードーズ

医者から処方されて残ったアモバンが大量にあるんだけど、アルコールと一緒に飲むと致死量で死ねるってホントかな?

2010-07-03

http://anond.hatelabo.jp/20100702162438

酒はおそろしい毒。ドラッグ犯罪事故を呼び起こす社会の癌。

年末年始歓送迎会ではオーバードーズ、いわゆる急性アルコール中毒で毎年3万人が死亡している。

飲み会などにおける上の立場からのパワハラアルハラ飲酒強要での健康被害死亡事故も問題視されている。

酒を飲むとまず咽頭・食道がやられる。食道静脈瘤や咽頭がんなど。

「酒焼け」とよくいうだろう、あれが出たらもう赤信号

そして次に当然ながら胃が多大なダメージを受ける。

キャベジン大正漢方牛乳で守っても胃潰瘍は防げない。

その先の小腸や大腸も以下同文、消化器系は漏れなく壊滅。

アルコールが運ばれる循環器系はもちろんやられる、血管バキバキで脳血栓できまくり脳卒中の最大要因。

休肝日」という言葉があるくらい皆さんご存知の通り、アルコール分解の主役である肝臓はもうボッコボコになる。

最終的な分解を受け持つ筋肉もやられ、深刻な場合慢性的な震えや痙攣・運動障害をひき起こす。

そしてアルコールで最も甚大な影響を受けるのが、酒の麻痺効果のターゲットである脳・神経系

飲酒常習者は脳が萎縮し、非飲酒者に比べ痴呆が10年速く進行する。

慢性アル中患者は脳血流やグルコース代謝が低下し判断力などの高次機能が破壊され、反社会的行動を起こしやすくなる。

さらに膵臓ランゲルハンス島もやられて糖尿病になる。膵炎の半数はアルコール性。

もちろん腎臓もやられるし、アルコール性心筋症は心筋梗塞の最大要因。

それだけじゃない、免疫力が著しく低下するためエイズ肝炎などあらゆる感染症にかかりやすくなり、

酒による肥満はありとあらゆる成人病を加速させ、さまざまな合併症をひき起こす。

日本人の三大死因、がん、脳卒中心筋梗塞、すべて酒が要因。

さらに言えば、酒の上の暴行や傷害や殺人強姦など、様々な犯罪の間接要因でもあり、

昨今ようやく少し認識が改まりつつある飲酒運転被害ももちろん酒の害のひとつ

タバコによる火災も、その8割以上が飲酒による酩酊が原因。

まさに百害あって一利なし

万病の素。

あらゆる悪の根源。

経済的にも社会的にも、恐ろしく多大な損失を生む、まさに悪魔ドラッグ

それが酒。

今日リアル尊敬のかけらも受けてないだろう増田のようなアルハラ中高年が

若者の身体と才能を潰して日本を衰退させていってるわけだ。

年長の世代がこれではね。中高年は恥を知るべきだな。自分らの世代がいかに自分勝手

犯罪率を誇っていたかも知らないんだろ?酒を飲まない若者を尊重できてこそ良い中高年というものだ。

2010-03-20

ウンコは臭い

母親自殺未遂の後始末をした事あるぜ!

向精神薬オーバードーズして意識が混濁してて、

しかも何故か下半身が丸出しで、

元気よく歩き回ってウンコを家中にばらまきやがったぜ!

殆どヒキコモリみたいな不健康な生活を送ってたからウンコがもう臭すぎて

兄弟と父親と一緒に吐き気をこらえながら雑巾トイレットペーパーをたくさん消費したぜ!

母親は「もう嫌だぁぁ・・・人間が怖いのぉぉぉ・・・死にたいのぉぉぉ・・・」と呻きながら救急車病院に運ばれていったぜ!

掃除が終わった後のどうしようもないやるせなさと家に漂う悪臭は異常だったぜ!

しばらくは臭いが抜けないし、その臭いをかぐ度にいい年して思春期乙女みたいに

女々しく自殺未遂を繰り返す母親に対して怒りと苛立ち、

それと一緒に母親の悩みや苦しみに手助けをしてやれない無力感が湧いてくるけど、

相手は哀れな病人だって理解している、理解しているつもりだから、

鬱憤をどこに向ければいいか分からなくて、他の家族もみんな似たような感じで、

家の中の雰囲気は最悪、とっくに崩壊しているから悲しいぜ!

そして母親病院から戻ってくると少しは改善の兆しを示すけれど、ウンコの臭いが薄れてきた頃になると

再び自殺への願望を膨らませて、いつ爆発させるか分からないからもうどうすればいいのか分からないぜ!

2009-08-10

オーバードーズ

飲酒運転ですら異常に厳罰化しないとやってられない、もしくは厳罰化を望んでしまう国なのに。

過剰摂取しなきゃ大丈夫、で納得する人間がどれだけいるんだろうね。

2009-07-17

以前他人の自殺を強制的に警察介入を以て止めさせた。

当初は毎朝夕メールを送るようにしていたが、自分の都合で遠ざけてしまった。

今その人がどういう人生を送っているのか深く知らない。

この前、また別の他人の自殺兆候を警察に通告し止めた。

結局、その時は誤報となったが、また自ら飛び込んでしまった。

今はリストカットオーバードーズを繰り返す彼女を、その親と第三者と自分連携を保ちつつ経過を観察している。

他人の自殺は止めるけど、自身の生きるということには興味がない。

というか、自身の意思ではなく逝けることに憧れさえある。


そんな独善的で傲慢な考え方は、一度目で嫌になった。

自殺を止めること。それは少なからず人の人生に足を踏み入れること。

一度目も二度目も相談を受けている関係上、その人の人生を全く知らなかった訳ではない。

けど、その人が望む最後を阻止してしまえるだけの権限を持ちえたのか。

その人が望む最後を阻止してしまえる程の責任感があったのか。

一度目の件はきっかけに過ぎなかったが、それ以降他人との接触が怖くなり、気付かぬうちにヒトと距離をおくようになった。

答えを見付けられぬまま6年が過ぎ、また同じことを悩んでいる自分がここにいる。

その危機が予測出来た状況に置いて、自分よりその資格を有する者へ、その後のバックアップが出来る人への連絡手段を持ち合わせていなかったことは、

その後の責任を負いたくないと考えてしまう身としては、準備不足だったと思う。

自殺は、「気付いて貰いたい」、「気に掛けてもらいたい」ことが目的という意味では、充分に役に立ったのかも知れない。

本当に死のうと思う時は、誰にも言わないことは身をもって知っている。



今は、親・第三者共に疲弊して頼らざるを得ない状況なのが解るので、協力しているが、本心は逃げたい。

多分、今の自身の心理状況を分析している自分から逃げたいのだと思う。

2009-04-23

お薬日記

朝起きる。ご飯を食べ、処方された薬を飲む。ロナセンという錠剤だ。最初は2mgだったが、効き目が薄いと4mgに変えられた。

錠剤から染み出される睡魔だけが頭に伝わってくる。ひどく眠く、起きた後もつい昼まで寝てしまい、代わりに夜更かしをし、叱られる。元々職業には就いていない。万年ひきこもり

寝ている間は確かに幸福だが、起きている間は頭にかすかに残った眠気が頭と体の動きを鈍らせて、辛い。活力に欠け、むしろ鬱になっている。

あの医者の言うとおり、盲目的に薬を飲めば治るのだろうか。一口目を飲んだときからずっと疑いに思っていた。軽いオーバードーズも決めてみた。苦しいだけで効果は無かった。

そもそも自分が鬱なのかすら疑わしい。そもそも病院に行ったのは何もしたくないことの口実つけなのではないだろうか・・・?と俄かに思っている。

自分自分に失望しながら自分を救うために色々と考えを何年も練ってきた。

こんなことをして救いになるのだろうか。薬で心が治ったとしても、使えない体は何の解決にもならない。

本当はこの薬を飲んでいても体を壊すだけで、医療代をタダにしてくれているのも体を壊すのを待ってからふんだくるためでは?

あの医者は「とりあえず薬飲ませとけ」みたいなヤブ医者に見えてしまう。自分が苦しい理由を一生懸命考えて伝えても、処方箋が答えとして返ってくるだけ。

それは別の医者もそうなのだろうか?

壊される。殺される。どうすればいい。このまま苦しい日々を送るだけなのか。

2009-01-05

昨年鬱病の夫と離婚した

http://anond.hatelabo.jp/20090103032255

昨年鬱病の夫と離婚した。

今はその選択にまったく後悔はない。

そもそも今となっては彼が鬱病だったのかわからない。

彼は3年間ほとんど働かなかった。

生活費はすべて私が稼いだ。

彼が実家に帰っている間、彼の実家にも毎月10万円のお金をいれていた。

途中半年ぶりにしたセックス妊娠した。

妊娠が発覚したとき彼は動揺してものを投げ「俺だって喜びたいんだ!」と叫んで実家に帰ってしまった。

こどもは流産した。

流産直後も彼は私に付き添わず、実家にいた。

友人が彼を責めたら「俺だってつらいんだ!」と言ったそうだ。

オーバードーズするので私が薬を管理していたのだけれど、薬の取り合いで羽交い締めにされたこともある。

彼がベランダから飛び降りようとするのを必死で止めたこともある。

彼が投げたもので窓ガラスが割れたこともある。

欲しいものがあればだだをこね、大人だというのに店の中で泣き出したりもした。

ほかにもたくさんの出来事があった。

私は仲のいい夫婦を取り繕うのに必死だった。

病院で相談しても、彼の病名はかわらず鬱病のままだった。

病院ありのままを告げると彼は先生に悪く思われる、どうしてそんなこというんだと私を怒った。

薬が増えるだけだった。

彼が本当に鬱病なのか私にはもうわからなくなっていた。

あの頃私も十分におかしかったのだと思う。

彼は薬のみならず、アルコールにも逃げ始めた。

そのあたりで私は離婚を考え始めた。

病院先生アル中になりかけていますよといわれても彼は酒をやめなかった。

姑に相談しても大して答えは得られなかった。

高いお金を払ってカウンセリングにも行ったけれど、結論からいうと私はカウンセリングによって離婚を選択したのだと思う。

確かにカウンセリングは私のストレスを解消し、共依存だという自覚を与え、考えを整理してくれた。

カウンセリングはよかったと思う。

離婚しようと告げたとき彼は俺が仕事ができなくなったのはおまえのせいで、俺をぼろぼろにして捨てるのかと言った。

姑も私に同じことを言った。

離婚してから彼の行為がDVであることを知った。

具体的に暴力を受けていたわけではないからDVだなんて思わなかった。

結婚していた頃は彼の行為がDVだなんて思わず病気だから仕方ないんだと思い込んでいた。

これはたぶん特殊な例だけれどつらくなったら別れていいと思う。

2008-05-27

SOS…私の場合

匿名ダイアリーに書くの初めてなのでトラックバックミスったらごめんなさい。

 ヘルプ読んだけどわかりづらい……

 思いつくままに書くので、長文ごめんなさい。

前置き

川田亜子さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

昨日、はてブの注目エントリ彼女ブログの記事がとりあげられているのを見て、他人事には思えず、気に掛かっていた。その翌朝の訃報。耳を疑い、テレビニュースに釘付けになり、ネットニュースも見た。

はてなの住人さんたちはどんなことを書くだろうか、と思っていた。これからもっと触れる言及が出てくるかな、と思っている。

私の場合を片隅でも発信して、似た人、もしくは似た人の近くにいる人の何かの参考になれば、と思った。

私の病歴

私は鬱病と診断されて4年、その後、転院して、境界性人格障害と別の診断をされた。

死ぬことをはじめて意識したのは幼稚園のときで、それから30年近くずっと消えない。

自殺未遂」の経験は、たぶん境界性人格障害人間にしては少ないほうだと思う。

だから診断に時間がかかったのだろう、とも思う。

ずっと、「死にたい」「消えたい」という毒が自分の心から湧き上がっていたが、押し殺してきた。

リストカットをしたのは、中学生のときに一度だけ。二度としないと誓っている。

オーバードーズはずっと自分に禁じていたが、とうとう、先週、やらかした。

2日間、意識不明で点滴を打たれ、死なずに、幸いにも後遺症も残らず、生き残った。

(そもそも、オーバードーズじゃ複合要因がないと死ねないのはわかってたけど。)

オーバードーズする1ヶ月前から、薬の効きが悪いので、もう病院に頼るのはやめようと思い、通院していない。

薬の断薬作用がひどかったら通院しようと思ったが、ないので、たぶんこのまましない。

医者の処方どおりに薬を飲めない人間には薬を処方される資格はない、とずっと前から思っていたので、オーバードーズ後の意識不明状態から復活したあと、残った薬は全部捨てた。

SOSの発信、その1

前置きが長いが……

リストカットも、オーバードーズも、私が最後に選んだSOS発信の方法だった。

本当に死のうとしたわけではなかった。

死ぬならもっと確実に死ぬ手段を選ぶ。

前に、鬱病と診断され大量の薬を投与されていたころ、

病院の受付との些細なやり取りのすれ違いから大いに傷つき、憤慨し、

通院と投薬を自己判断でやめたことがある。

周囲の人間には「病院に行かない」と言った。

ブログにもその詳細をぶちまけた。

友人たちが、通院の再開を勧めてくれた。

本当に私が心から望んでいたことは、一緒に憤慨し、一緒に病院に行ってくれ、病院側の不手際を責めてくれて橋渡しをして問題を解決してくれ、私がまた心を開いて通院できる状況を作ってくれることだった。

病院には行ったほうがいいよ?」という言葉はたくさんかけられたが、、

「一緒に行くから、病院に行こう。」と言ってくれる人はいなかった。

通院を再開したのは、ひどい断薬作用に苦しんだあとの自己判断だった。

泣きながら病院先生に受付の人とのやり取りについて訴え、そこで他の患者からも苦情がついていたことを知り、先生から謝罪を受けた。

それを受けて、再開した。

後日、カウンセリング先生からも謝罪を受け、

「ただ、SOSはブログではなく、もっと大声でやれるようになると……」

と言われた。もっともだなぁ、と思った。

たぶん、言われるのを待つのではなく、一緒に行ってくれ、といえばよかったのだろう、と思う。

でも、あのときの自分は言えなかった。

変にプライドが高いのかもしれない。人への助けの請い方がわからない。

この場合のSOSの受信の仕方はどれが正しいのかも、よくわからない。

私が望んだように「病院に引っ張っていく」のは、本人を甘やかせるだけのような気がする。

私が「病院に一緒に行ってくれ。」と頼むように、変えていくのがたぶん正しいとは思う。

でも、他人のためにそこまでやれる人がどれだけいるだろう。

みんな自分が生きることでいっぱいで、そこまで他人にエネルギーを割けないだろう、と思う。

SOSの発信、その2

境界性人格障害、と診断されたとき、自分はとても納得したが、同時にひどい衝撃を受けた。

ご存知の方はご存知だと思うが、境界性人格障害ボーダー)の人というのはとても困った人が多い。実に。周りをかきみだす迷惑もの。

そう思っていたので、自分がそれだったか、と思うと……

しかも境界性人格障害ならば、鬱の薬は本当に補助的にしか効かないわけで、根本的な解決方法はない。

私の「死にたい」「消えたい」と湧き上がってくる毒は、薬では消せないわけだ。

私は軽いパニック発作と、不眠も症状として持っているが、そのころから、その薬も効かなくなった。

どんなに薬を強めても、眠れないときは眠れないし、逆に、眠れるときは何も飲まなくても眠れる。

パニック発作も薬を飲んでも軽減しない。

だんだんと自分で受け止めきれなくなった。

実母に訴えた。

「私はこんな障害なんだよ。死にたいのが消えないんだよ。生まれてきた意味がわからないんだよ。」

と言った。

実母は泣いて謝り、どうすればいい?と逆に私に聞いてきた。

私をそんなふうに育てたのは実父のせいなのだ、と自分の感情をぶつけてきた。

それから数ヶ月。

そんなことはもう忘れられた。

眠れないことも、嘔吐がとまらないことも、周りには伝えていた。

目の前で吐いたこともある。

病院で症状を訴えると、聞いてもらえるのて処方も変えてもらえるのだが、それが効かない。

自分の「毒」がもうとめられなくなった。

誰も私を助けられない。助けての声が届かない。

私が追い詰められていること、苦しいことを、訴える手段がもう、なかった。

結果、オーバードーズとなった。

苦しんでる人を救う方法ってあるのかな?

私は誰かに救ってもらえる余地があったのだろうか。

ブログで発信しても、身の回りに訴えても、ダメだった。

死にたい」「消えたい」という毒は、他でもない、自分の心からこんこんと湧き出る。

それはどうやったらとまるんだろう。

オーバードーズエネルギー放出した今は、毒の出る量は減っている。

でもこれが再び大きくなったとき、次はどうなるんだろう?

私は負けずにいられるだろうか?

周りの人に望むこと……よくわからなくなった。

たぶん、毒が湧き出ない人にはわからないことだと思う。常に毒を自己生成される人間の内面は。

そして、きっと、手に負えない。

「毒」を放出する「SOS」は、それを受信した人にも「毒」を伝播する。

SOSを真摯に受け止める人ほど、きっと毒を食らう。

その闇に取り込まれる。

それがわかっているから、SOSを出すことをためらう。

大切な人に自分の毒をあてたくなくて、自分の中に押し込めて、押し込めて、死を選ぶしかなくなることもあるんじゃないか、と思う。

決定的な自殺を選んだことがないのでわからないけれども……

たぶんそれは、己の毒に負けたとき、なのかな、と思う。

人を救う、って難しい。

人に人は救えるのか?

身近にそんな困った重大な人を抱えてしまっている人に、私が言えることは……

なるべく気にかけて、寄り添って、否定しないでいることだろうか。

でも、毒を受け続けて、共倒れになることも、危惧する。そうなるのを恐れる。

餅は餅屋、専門家を頼るのが一番、といえたらいいのだけれども、

私は専門家の手に負えなかった。

専門家二人三脚する、というのがベターな選択かもしれない。

「悲しみは半分こ」できるならば、毒も悩みも一緒に半分こ、してくれるのが一番救われるかもしれない。

そうしたら、いつかは毒が消える日がくるのかもしれない。

私には正解はわからない。

長文、失礼しました。

http://anond.hatelabo.jp/20080527065749

追記

hrkt0115311さんのアドバイス、なるほど!と思いましたので、

私が書いた記事のURLを追記しておきます。あわせて、内容も短く添えておきます。

hrkt0115311さん、ほんとにいろいろありがとうございます!

http://anond.hatelabo.jp/20080527135329

 …病院への付き添いについての、私の経験談

http://anond.hatelabo.jp/20080527135929

 …病院につきそってほしかった私のSOSは、ボーダー特有の甘えとの気づき

http://anond.hatelabo.jp/20080527140359

 …いただいた、「イキロ」の言葉に感激泣き

http://anond.hatelabo.jp/20080528020715

 …hrkt0115311さんからいただいたトラックバック記事へのお礼とお返事

  感謝感激です

http://anond.hatelabo.jp/20080528025927

 …一番最初の記事「SOS…私の場合」の補足

http://anond.hatelabo.jp/20080528031558

 …ボーダー治療アドバイスへのお礼とお返事

ちょっとここまで書いて、一休み中です。(多少、息切れ&整理中)

ここまでで、匿名ダイアリーを使って、

「自分のブログよりも多くの方に目にとめていただくこと」

目的に書いた意図は達成できたと思うので、

真摯にいただいた反応もとてもありがたく参考になったので、

今度は増田としてではなく、サブアカウントをとって、まとめておくなり、

続く限り記事を伸ばしてみるなり、新しいニュースを受けて書いてたりしようかと考え中です。

「つらい人、悲しむ人を少しでも減らしたい(自分も含めて)」

って思うならば、

一度思うだけじゃなくて、思い続けて行動し続けないと、

きっとすぐに忘れちゃうような。

川田亜子さんの訃報についても、新しいことが出てこなければニュースにならず、

だんだんと過去の出来事になっていくし……忘れられていくし。

とりあえず、まだ未定です。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん