はてなキーワード: 川田亜子とは
飯島愛の死体が発見されたクリスマスイブに浜崎あゆみが貧血でかなり
高い所から落下し、全治3週間の右手に負ったみたいだな。最近自称歌手
のやしきたかじんも右手を15針縫うけがをしたみたいだが、もしかしたら
<飯島愛の死+右手のけが>に意味を持たした芸能人死傷攻撃が行われた
かもしれないな。
浜崎あゆみは貧血と思っているが、強烈な波動拳+薬物攻撃を受け、一時的に
頭の中が真っ白になった可能性がある。気になるのは「たかじん」が番組の
中で怪我の理由を自分で説明したのではなく、辛坊治郎解説委員が「ワイン
グラスを握りつぶしたんでしょ」と推測したのを、たかじんが「なんで知っ
てんの」と答えただけで、怪我の理由の説明をはぐらかした感じがしたこ
とだ。もしそうだとしたら、<やしきたかじん>から飯島愛怪死の真相に
迫れるかもしれない。
あとサンジャポファミリーの川田亜子?、三浦和義、飯島愛がこの7ヶ月の
間に怪死している。最近テリー伊藤も腰椎の一部を骨折したが、もしこれも
闇組織が意図して骨折させたとしたら、その方法はどういったものなの
だろう?本当は骨折してないのにテリー伊藤が骨折したと言い張っていたら
笑うな。かなづちで自分の腰を自ら骨折させてたらそれこそ爆笑問題だよ。
・自称歌手、やしきたかじんが、最近右手を15針縫うけがをした。
有名人のブログを沢山抱えているアメブロのことだけどさ、どうして自殺したタレントのブログを消すのかな。
意味が分からない。
川田亜子さんの件だって、コメント欄を無くしているわけだから、ほっとけば荒らされるとかいう類の危険はないわけでしょ。
むしろ、亡くなったからこそ残しておくべきなんじゃないの。
利用規約にもあるけど、死んだら用無しってこと?
第7条(退会)
(5)第12条に定める禁止事項を行った場合
(6)会員が死亡した場合
(7)その他、弊社が会員として不適切と判断した場合
第12条(禁止事項)
前項の場合に於いて、弊社が何らかの損害を被った場合、会員は弊社に対して損害の賠償をしなければならないものとします。
うがった言い方すれば、ウェブの世界で自社のリソースを消すことの意味が分かっていない会社が運営しているブログなんて使いたくない、とも言えるし。
病気や事故、もしくは自殺などで死亡した場合、ギネス記録を達成した上地雄輔さんのブログでさえも規約を適用して削除するのでしょうか。
よくわからないですが、自分が死んでもブログは残っていて欲しいと思っています。
なんつーか、昔から時代とか社会が良くないっていう言葉はあったと思うんだよね。
でもここ10年ぐらいはやっぱり日本の社会は悪くなってるのかなあと、ニュースを見てたりすると思う。
先に言っておくと、自分が生きるという意味だけをいうなら自分は自分に満足している、相対的に言って勝ち組といえるかもしれない。
だから自分の利益を社会に対して要求しようというつもりは全くない。
世の中の人々が不遇を社会や時代のせいにするその風潮が、なおのこと社会や時代を悪くするように思う。
現状がどうだろうと、合理的に目の前の問題を解決することでしか我々は前進しないのだから。
しかし、なんかその合理的に考えてその解を共有するというようなこと自体がなんか通用しなくなってる気がする。
インターネットっていう強力な武器をもってるのに、なぜだろう?
ダガーナイフ禁止!とか明後日の方にいってるのを見るともうね。
ネットには正しいように見える言説があふれているのに、それらがほとんど実行されないのはなぜだろう。
日本の中で権力ある人々ってのは、自分のことしか考えていないんだろうなってメッセージを日々のニュースから読み取れる。
そして、そのなかで非力な人間が力を持つにはそういう人たちにおもねることが重要。
正しいことが間違ったことをただすことを見ることはまれにしか無く
力が力を呼び、歪んで肥大していくことを日々見せつけられる。
戦争が終わって60年以上たち、社会にも膿がたまってきてるんだろうか?
なにか黒幕のようなおぞましい何かがこの社会の見えない頂点に潜んでいて糸を引いているようなそんなイメージをうける
ユダヤ?中国人?韓国人?マスゴミ?官僚?世襲政治家?経団連?カルト?
それぞれが、それなりの求心力をもって日本の庶民を食い物にしてるような気がするが、よく見えない。それすら偽装で本当の黒幕が何かあるような気さえする。その黒い何かが、堀江や村上を犯罪者にして竹中の担当記者を変死に追い込んだのかもしれない。川田亜子さんはそのために死んだのかもしれない。
村上春樹の作品に出てくる羊の力。
では、食い物にされている日本の庶民の求心力って何だろう?徹底的に分断されてるけど、日本の庶民像ってのは確かにある。
無理矢理に言うと江戸っ子と関西人を足して二で割った何か。仕事を愛し、技芸を好み、礼儀正しく、粋に生きる、お人好し。そういう庶民像。
しかし、そういう庶民像の本当の味方、総体としての利益の代弁者というのは存在しないように思える。
左翼は、税金を弱者に使うことしかできない、しかも超非効率。保守は大企業の代弁者だが、大企業はバブルがはじけた後、庶民を2つに分断し片方を犠牲にすることに決めた。
ここに来て、さらに移民を呼ぶという。アメリカが自由の国なら、日本は、サムライの国、どんどん失われつつあるが技芸に優れ、木訥を潔しとする国だ。肌の色さえ違うかもしれない移民は日本語を学び、日本の庶民になってくれるだろうか?そしてそれを期待することにどれだけ意味があるだろうか?
GDPが増えたらハッピーというわけではない、ニコニコや2ちゃんねるに神が現れるまさにそのことが日本のすばらしさなのだとそういう気もしてきた。バブルのように日本の購買力で海外の資産を買いあさってるよりよっぽどハッピーじゃん。そうか?本当にそうか?サムライの技芸は、現代ではオタクとして昇華している、海外ではそれをリスペクトするものさえいる。しかし、オタクは非モテ、少子化への道。サムライの技芸を継ぐ跡継ぎはいない。回路はショートサーキットしている。
村上春樹の作品で言うなら世界の終わりとハードボイルドワンダーランド。サムライは座して死のうとしてる。
日本の庶民は黒い何かに気づいている。いまそれは取り除かれなくてはならない。
日本の庶民は黒い何かに気づいている。いまそれは取り除かれなくてはならない。
日本の庶民は黒い何かに気づいている。いまそれは取り除かれなくてはならない。
日本の庶民は黒い何かに気づいている。いまそれは取り除かれなくてはならない。
日本の庶民は黒い何かに気づいている。いまそれは取り除かれなくてはならない。
うーん、はてブのタグ「川田亜子」を新着順に表示させて、過去に遡っていくと、最初にはてブされたのはMSN産経ニュースだったみたい。
(はてブの新着順は、ブックマークされた順なので、報道の順ではないけど、大雑把には報道順とみなして判断しています。)
http://b.hatena.ne.jp/t?tag=%E5%B7%9D%E7%94%B0%E4%BA%9C%E5%AD%90&of=50&sort=eid&threshold=5
↑現時点では、このページ内に含まれる。経時的に新着エントリーが増えると含まれなくなるようになる。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080526/crm0805261113011-n1.htm
この記事では、遺書になってますね。
鬱系の日記ってけっこうちらほらみる。
で、あまりにちらほら見るから
どれが本当のSOSかわからなくなる。
ノイズとシグナルがあるとき、
認知心理学の弁別に関する理論、信号検出理論に基づけば我々の判断は
2.シグナルをシグナルと判断 (ヒット)
と4通りあるわけだけど。
往々にして、1.コレクトリジェクションの比率が圧倒的に多い気がする。
で、たまに4.フォールスアラームがあったりする。
これをどうやって弁別するかは本当に難しい。
特にノイズが多いと、シグナルを検出できない。
そういうことから考えると、川田亜子さんはノイズが少なくて本当のシグナルがわかりやすかったように思う。
でも、鬱系日記ばかり書いている人のシグナルはとても見つけにくい。
いままで鬱系日記を書いてない人はSOSをブログで発信しても、受信してくれる人がいるかもしれない。
鬱系日記ばかり書いてる人は、ブログ以外の方法(電話とか)でSOSを発信しないと受信してくれる人はなかなかいないでしょうね。
http://www.oricon.co.jp/news/entertainment/54911/
以下はコメント全文。
5月上旬頃から様子がおかしいと感じ、本人に直接確認したところ大丈夫だと言っていました。
体調が悪い様子ではありましたが、心配しつつも仕事はしっかりとしていたので安心していました。
今回の件につながる理由が皆目見当もつきません。
所属事務所としては、本当に驚いているとしか言えません。
最低限こちらも気を遣ってるし、本人も大丈夫だと言っていた、こちらの責任ではない。
むしろ自殺なんかされて迷惑だと言ってるように聞こえるのだが。。。
お悔やみの一言も入れられないなんて、どんな会社なんだ?
http://anond.hatelabo.jp/20080528020715
このネタをしつこく引っ張ってすみません。。。元記事書いたものです。
はてブ、トラックバック、いろいろと反応をいただき、ありがとうございます。
うまく前置きで書けてなかったから伝わらなかったかな、と思ったのが、
元記事を書いた理由でした。
川田亜子さんが亡くなられ、その報道を受けての反応はだいたい以下2つが大きかったと思います。
『なぜ彼女が出したSOSを受信して救えなかったのか。』
『彼女のSOSの出し方は適切じゃなかったのでは。』
彼女が亡くなられて、きっと周りの方が衝撃を受けているだろう、と思いました。
お母様はそれこそ胸を痛めて張り裂けんばかりだろうし、鳥越俊太郎さんも悔しく悲しく思っているという報道を見ました。
川田亜子さんも、周りの人も不幸になってしまった。
じゃぁ、どうしたら今後、そんな悲しい思いをする人を減らすことができるだろうか、と思いました。
よりよいSOSの発信の仕方を考えてみればいいのでは。
よりよいSOSの受信の仕方を考えてみればいいのでは。
川田亜子さんと似た振る舞いをして心当たりがある私は、自分の経験と思ったことを書いてみよう、と思いました。
それには、自分のブログよりもよほどアクセス数が多い、はてなの匿名ダイアリーのほうがいいだろう、と思いました。
はてなの住人の人たちはたくさん考えてくれる人が多いし、反応を返してくれる人が多いから、
きっと書いたことはブラッシュアップされるだろう。
それが少しでも誰かの目に心にとまり参考になれば、今後、悲しむ人が少しでも減るきっかけになるのではないだろうか、と切実に願ってました。
今日一日は落ち着かない一日でした。
記事をあげたあとは、仕事が手につかず、ブクマを気にし、トラックバックを気にし、
いただいた反応を受けて、考えて考えて……そんな日でした。
心が弱った人間に寄り添うのは本当にしんどいことだと思います。
たぶん、できないです。私は本当に大切な人でなければ、やはり寄り添いきれないです。
「そんなのできないよ。」「できなかったよ。」は、当然の反応だよな、と思ってました。
できなかった方はご自分を責めないでくださいね。すごく、それも難しいことだと思いますが……
「病院につきそう」ことについてブラッシュアップさせてくれたのも、ありがたかったです。
心療内科や精神科という場所が、自分が患者として足を初めて踏み入れるとき、
どれだけ敷居が高い場所だったかを忘れてました。
私は初めてのときはひとりで行きましたが、怖かったです。
偏見が消しきれずあったので……ヤバい患者にからまれたらどうしよう、とか、
っていうか、そんなヤバい人の仲間入りをするんだ、私は……とか思ってました。
通いだすとそんな怖いところでもないんですけどね。
病院を訪れて頼るのも、ひとつの大きなハードルだと補足できてよかったです。
ブログにしかSOSを出せないのは、やはり問題がありますよね……
もっと確実な周囲を頼るべき。
「周囲の人がいる前提」で記事を書いたのは、
『川田亜子さんの周囲の人は何をやってたんだ』という論調を受けてでしたが、
そういう周囲に恵まれてない人はどうするんだ、という問題もありますよね。
これも確かに考えてみれば、私も経験があったことでした。
追い詰められた心境の人は『自分はひとりだ、助けてくれる人は誰もいない』と思ってますよね。
私もそういう心境で「死」を思ったことが何度もあります。
枕を涙で濡らして、「死にたい」「でも生きたい」と葛藤した夜は数知れずあります。
こんな思いは誰も持たないだろう、だから理解できないだろう、私は変だ、と思ってました。
でもそんなことはないんですよね。
実はけっこう、気にされてないようで、気にされているのですよ。
大丈夫かな?と心配してくれている人はいます。
もし本当にいない、と思ったら、作ればいい。
今すぐ、そばにいる人誰でもいいから、赤の他人でもいいからすがりついて、泣いて助けを求めればいい。
恥をかくだろう。迷惑をかけるだろう。でも死ぬよりましなはず。
(なるべく助けてくれそうな人を選ぶのがいいです。
おススメは交番、おまわりさん。
できれば、病院。)
「いのちの電話」もあるし、自殺の名所には自殺を考え直すよう、連絡先を示す看板も立っている。
誰のどんなSOSも、いつでも受信するよ、と言ってくれている人たちは、よくよく見るといるんですよね。
追い詰められると目に入らなくなるけど。忘れちゃうけど。確かにいる。
「頼る人は誰もいない。周りには誰もいない。」というのは、自分がそう仕向けているだけのことが多かったです。私の場合。
自分の思い込みがそうさせてたり、プライドが変に高すぎるか、低すぎるかだったりするんじゃないかと思います。
だらだら書き続けてすみません。。。
最後に。
私の心の心配をしてくださった方々、ありがとうございます。
id:hrkt0115311さんには重ね重ね、お礼を申し上げたいです。
救える。毒を出してない人などいない。半分にするのでなく中和する方法を探れ。人によって毒の成分は異なる。読んでる限り境界例でも鬱でもない。それらの文章と全然違う。薬で気持ちは消えない。誰かと話すしかない
中和は、私にとって新しい視点です。。。もうちょっと自分の中で考えを練ってみます。
私はそもそも病気ではない……も、そうかもしれません。
病気ではなく、生きづらさを多少、人より多く感じやすくて、身体的にも症状がよく出るだけ、とか……
とりあえず、「誰かと話す」が有効なのは確かだ、と頷きました。
届かなくても諦めずに一生懸命話す根性をつけようと思います。
疲れたら、どっかのチラシの裏にでもぐちります。
少しでも多く、大切に1日1日を生きる。
それを忘れずにいこうと思います。
いろいろとありがとうございました。
>結局blogなんて、クソの役にも立たなかったわけだ。
http://anond.hatelabo.jp/20080528014217
>blogで僕は救われたよ
ケースバイケースじゃないの。
鬱やボーダーの人で、
ブログや掲示板(時にはハテブ)で頭の中身を全方向展開というタイプはいる。
本人はストレスを発散させているというが、
いつしか、文字として書いてしまった言葉に酔いしれ、
それが自分の本当の気持ちと錯覚することがある。
荒れたカキコを見ると、
当人をリアルで知っている周囲としても徐々に近寄りがたくなる。
オレの昔のツレは、そうやって自殺未遂→入院→退院後、快復期に電車飛び込み
……とやってしまった。
※匿名ダイアリーに書くの初めてなのでトラックバックミスったらごめんなさい。
ヘルプ読んだけどわかりづらい……
思いつくままに書くので、長文ごめんなさい。
昨日、はてブの注目エントリで彼女のブログの記事がとりあげられているのを見て、他人事には思えず、気に掛かっていた。その翌朝の訃報。耳を疑い、テレビニュースに釘付けになり、ネットニュースも見た。
はてなの住人さんたちはどんなことを書くだろうか、と思っていた。これからもっと触れる言及が出てくるかな、と思っている。
私の場合を片隅でも発信して、似た人、もしくは似た人の近くにいる人の何かの参考になれば、と思った。
私は鬱病と診断されて4年、その後、転院して、境界性人格障害と別の診断をされた。
死ぬことをはじめて意識したのは幼稚園のときで、それから30年近くずっと消えない。
「自殺未遂」の経験は、たぶん境界性人格障害の人間にしては少ないほうだと思う。
だから診断に時間がかかったのだろう、とも思う。
ずっと、「死にたい」「消えたい」という毒が自分の心から湧き上がっていたが、押し殺してきた。
リストカットをしたのは、中学生のときに一度だけ。二度としないと誓っている。
オーバードーズはずっと自分に禁じていたが、とうとう、先週、やらかした。
2日間、意識不明で点滴を打たれ、死なずに、幸いにも後遺症も残らず、生き残った。
(そもそも、オーバードーズじゃ複合要因がないと死ねないのはわかってたけど。)
オーバードーズする1ヶ月前から、薬の効きが悪いので、もう病院に頼るのはやめようと思い、通院していない。
薬の断薬作用がひどかったら通院しようと思ったが、ないので、たぶんこのまましない。
医者の処方どおりに薬を飲めない人間には薬を処方される資格はない、とずっと前から思っていたので、オーバードーズ後の意識不明状態から復活したあと、残った薬は全部捨てた。
前置きが長いが……
リストカットも、オーバードーズも、私が最後に選んだSOS発信の方法だった。
本当に死のうとしたわけではなかった。
死ぬならもっと確実に死ぬ手段を選ぶ。
前に、鬱病と診断され大量の薬を投与されていたころ、
病院の受付との些細なやり取りのすれ違いから大いに傷つき、憤慨し、
通院と投薬を自己判断でやめたことがある。
ブログにもその詳細をぶちまけた。
友人たちが、通院の再開を勧めてくれた。
本当に私が心から望んでいたことは、一緒に憤慨し、一緒に病院に行ってくれ、病院側の不手際を責めてくれて橋渡しをして問題を解決してくれ、私がまた心を開いて通院できる状況を作ってくれることだった。
「病院には行ったほうがいいよ?」という言葉はたくさんかけられたが、、
「一緒に行くから、病院に行こう。」と言ってくれる人はいなかった。
通院を再開したのは、ひどい断薬作用に苦しんだあとの自己判断だった。
泣きながら病院の先生に受付の人とのやり取りについて訴え、そこで他の患者からも苦情がついていたことを知り、先生から謝罪を受けた。
それを受けて、再開した。
「ただ、SOSはブログではなく、もっと大声でやれるようになると……」
と言われた。もっともだなぁ、と思った。
たぶん、言われるのを待つのではなく、一緒に行ってくれ、といえばよかったのだろう、と思う。
でも、あのときの自分は言えなかった。
変にプライドが高いのかもしれない。人への助けの請い方がわからない。
この場合のSOSの受信の仕方はどれが正しいのかも、よくわからない。
私が望んだように「病院に引っ張っていく」のは、本人を甘やかせるだけのような気がする。
私が「病院に一緒に行ってくれ。」と頼むように、変えていくのがたぶん正しいとは思う。
でも、他人のためにそこまでやれる人がどれだけいるだろう。
みんな自分が生きることでいっぱいで、そこまで他人にエネルギーを割けないだろう、と思う。
境界性人格障害、と診断されたとき、自分はとても納得したが、同時にひどい衝撃を受けた。
ご存知の方はご存知だと思うが、境界性人格障害(ボーダー)の人というのはとても困った人が多い。実に。周りをかきみだす迷惑もの。
そう思っていたので、自分がそれだったか、と思うと……
しかも境界性人格障害ならば、鬱の薬は本当に補助的にしか効かないわけで、根本的な解決方法はない。
私の「死にたい」「消えたい」と湧き上がってくる毒は、薬では消せないわけだ。
私は軽いパニック発作と、不眠も症状として持っているが、そのころから、その薬も効かなくなった。
どんなに薬を強めても、眠れないときは眠れないし、逆に、眠れるときは何も飲まなくても眠れる。
パニック発作も薬を飲んでも軽減しない。
だんだんと自分で受け止めきれなくなった。
実母に訴えた。
「私はこんな障害なんだよ。死にたいのが消えないんだよ。生まれてきた意味がわからないんだよ。」
と言った。
実母は泣いて謝り、どうすればいい?と逆に私に聞いてきた。
私をそんなふうに育てたのは実父のせいなのだ、と自分の感情をぶつけてきた。
それから数ヶ月。
そんなことはもう忘れられた。
眠れないことも、嘔吐がとまらないことも、周りには伝えていた。
目の前で吐いたこともある。
病院で症状を訴えると、聞いてもらえるのて処方も変えてもらえるのだが、それが効かない。
自分の「毒」がもうとめられなくなった。
誰も私を助けられない。助けての声が届かない。
私が追い詰められていること、苦しいことを、訴える手段がもう、なかった。
結果、オーバードーズとなった。
私は誰かに救ってもらえる余地があったのだろうか。
「死にたい」「消えたい」という毒は、他でもない、自分の心からこんこんと湧き出る。
それはどうやったらとまるんだろう。
オーバードーズでエネルギーを放出した今は、毒の出る量は減っている。
でもこれが再び大きくなったとき、次はどうなるんだろう?
私は負けずにいられるだろうか?
周りの人に望むこと……よくわからなくなった。
たぶん、毒が湧き出ない人にはわからないことだと思う。常に毒を自己生成される人間の内面は。
そして、きっと、手に負えない。
「毒」を放出する「SOS」は、それを受信した人にも「毒」を伝播する。
SOSを真摯に受け止める人ほど、きっと毒を食らう。
その闇に取り込まれる。
それがわかっているから、SOSを出すことをためらう。
大切な人に自分の毒をあてたくなくて、自分の中に押し込めて、押し込めて、死を選ぶしかなくなることもあるんじゃないか、と思う。
決定的な自殺を選んだことがないのでわからないけれども……
たぶんそれは、己の毒に負けたとき、なのかな、と思う。
人を救う、って難しい。
人に人は救えるのか?
身近にそんな困った重大な人を抱えてしまっている人に、私が言えることは……
なるべく気にかけて、寄り添って、否定しないでいることだろうか。
でも、毒を受け続けて、共倒れになることも、危惧する。そうなるのを恐れる。
餅は餅屋、専門家を頼るのが一番、といえたらいいのだけれども、
私は専門家の手に負えなかった。
「悲しみは半分こ」できるならば、毒も悩みも一緒に半分こ、してくれるのが一番救われるかもしれない。
そうしたら、いつかは毒が消える日がくるのかもしれない。
私には正解はわからない。
長文、失礼しました。
http://anond.hatelabo.jp/20080527065749
hrkt0115311さんのアドバイス、なるほど!と思いましたので、
私が書いた記事のURLを追記しておきます。あわせて、内容も短く添えておきます。
hrkt0115311さん、ほんとにいろいろありがとうございます!
http://anond.hatelabo.jp/20080527135329
…病院への付き添いについての、私の経験談
http://anond.hatelabo.jp/20080527135929
…病院につきそってほしかった私のSOSは、ボーダー特有の甘えとの気づき
http://anond.hatelabo.jp/20080527140359
…いただいた、「イキロ」の言葉に感激泣き
http://anond.hatelabo.jp/20080528020715
…hrkt0115311さんからいただいたトラックバック記事へのお礼とお返事
感謝感激です
http://anond.hatelabo.jp/20080528025927
…一番最初の記事「SOS…私の場合」の補足
http://anond.hatelabo.jp/20080528031558
ちょっとここまで書いて、一休み中です。(多少、息切れ&整理中)
「自分のブログよりも多くの方に目にとめていただくこと」
真摯にいただいた反応もとてもありがたく参考になったので、
今度は増田としてではなく、サブアカウントをとって、まとめておくなり、
続く限り記事を伸ばしてみるなり、新しいニュースを受けて書いてたりしようかと考え中です。
「つらい人、悲しむ人を少しでも減らしたい(自分も含めて)」
って思うならば、
一度思うだけじゃなくて、思い続けて行動し続けないと、
きっとすぐに忘れちゃうような。
川田亜子さんの訃報についても、新しいことが出てこなければニュースにならず、
だんだんと過去の出来事になっていくし……忘れられていくし。
とりあえず、まだ未定です。
川田亜子アナが自殺した。クルマに練炭を持ち込み、ウィンドウに厳重に目張りをした上での自殺だったらしい。
まずは、ご冥福を心からお祈りする。
彼女のblogを読んだ。ここ数日は、身体の不調を訴える悲痛なエントリが続いていた。しかし、それでもなお自らを奮い立たせようとしていたことも読み取れた。
彼女は、おそらくblogを通じ何かを伝えたかったのだと思う。いや、もっと平たく言えば、彼女はblogを通じSOSを発していたのだ。
しかしながら、それが届くべき人に届くことはなかった。
「届くべき人」とは誰か。それは家族かもしれない。あるいは古くからの友人かもしれない。もしくは恋人かもしれない。そして、そういう人たちなら彼女を救えたかもしれない。
とはいえ、今回わかったのは、そうした「届くべき人」たちが、blogなんざこれっぽっちも読んじゃいないということだった。
あの痛々しいエントリの数々にもし目を通していたなら、「届くべき人」たちは何らかの助けの手を差し伸べずにおれなかっただろう。
だが、結局は週刊誌や2ちゃんねらーの格好のネタになるだけだった。
Blogなんて、所詮はチラ裏から脱却することなど叶わなかったんだろう。ときどき都内のおしゃれなバーなどに集まって「blogは素晴らしい」論を交わしているアルファブロガーの気持ち悪い連中を見ていると、何を寝ぼけたことを言っているのかと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20080527001030
ひときわ華やかな顔立ちをしているがゆえに、
ある意味では印象に残らない人。
女子アナって、二十歳代後半になると潰しがきかなくなる
報道畑で残っていくというほどの育てられ方はしていなさそう
山本モナみたいにバラエティーで生きていくという器用さはなさそう
親しみやすさという点でもなにかに欠ける
寿な辞め方ってのもありだったんだろうけど、
検索している限り、あまりいいニュースは出てこないね
ただ、自分はあの生真面目さを美点だと思っていた。
もどかしくて、最初みっともなくても、
結果が伴うまで頑張ればいいじゃない、と。
彼女に誰か、
「理想主義でもいいんだよ、大人になっても悩んでいていいんだよ」と、
声をかけてあげていただろうか。
ちょっとした事情があって、『E娘!』という番組を毎週録画していた。自分が観ていたのは、期間にすると1年くらいだろうか。TBS時代の川田アナと、青木裕子アナがゲームや原稿読みで対決をし、勝敗を競うという、深夜らしいゆるいバラエティだった。その記憶をつらつらと書く。
(自分は他に、川田アナの代表的な番組をほとんど見たことがない。継続的に見たのはこれが唯一と言ってよい。)
この番組を観る限り、川田アナも青木アナもはつらつとしており、毛色はかなり違ったけども、2人ともにいい意味での度胸があった。テレビ勘、とでもいうのだろうか。
場の空気を跳び箱とするなら、川田アナは跳び箱を思い切りよく跳ぶタイプ、青木アナは跳び箱の根幹を揺るがすような正面ぶちかましをするタイプだったように思う。
美貌もあり、学もあり、テレビ勘もいい。両人とも資質に恵まれていた。
番組内の一(いち)コーナーとして、原稿を読む対決が頻繁にあった。報道志向の川田アナに対する修行、というような名目だったかと思う。
2人とも原稿読みは得意でないと言っていた。確かにあまり上手くなかった。加えて、川田アナは毎回とても緊張していた。ガチガチの状態でスタートし、一度噛むとそれを引きずってまたトチる、というのの繰り返し。単なる苦手意識だけでなく、「報道やりたいならこれくらいできないと」という枷を自分で設定して、さらにどつぼにハマっているように見えた。
TBSの先輩の駒田アナがゲストの際には、温かくも厳しいダメ出しを受けた。しかし、「落ち込んでいる」ことを笑みをまじえて視聴者に伝え、番組進行をつつがなく進めた。
その次あたりの回で、「前回は堪えた」「その日の仕事が終わった後にTBS近くの店でビールを飲まずにいられなかった」「裕子ちゃん(青木アナ)に電話をかけて呼び出そうとしたが、すでに家に帰っていたので結局1人で飲んだ」という顛末が語られた。
またある時は、互いのコンプレックスを3つ当て合うという、いかにも殺伐としそうな恐ろしいゲームがあった。巨乳の青木アナに、「胸が小さい」という最大のコンプレックスを当てられた川田アナは、「コンプレックスは口に出せないからコンプレックスなのよ! それをあっさり当てて…」というような趣旨の、悲痛な叫びを上げていた。
川田アナは華やかなアナウンサー業界の中でもひときわ華やかな顔立ちをしており(私見)、番組での物怖じしない様子も相まって、同性の誤解(あるいはやっかみ)を受けやすいタイプのように思える。バラエティの仕事が多く、TBS退社前後には、エビちゃんなど人気モデルとの仕事が多かったことも、アナウンサーらしさより芸能人っぽさを感じさせた。
しかし、そんな環境に5年いながらも、川田アナは「報道がやりたい」と言い、そのためにフリーになった。
今振り返ると、川田アナは、周囲の期待に器用に応えられるタイプであり、同時に、自分の理想と付き合うのがひどく下手くそな人だったように思う。
確かに、バラエティに対する適性はあるようだった。周囲もそれを見て同種の仕事を与え続け、本人もそれに対しては相応の仕事で応えていたはずだ。
ただし、それがイコール「報道への適性がない」ということでは必ずしもない。
悲劇の1つは、報道への適性を試す機会もそう多くないまま、周囲が「バラエティ向けアナ」とカテゴライズしてしまったこと。もう1つは、それに律儀に応え、結果を出すうちに、本人の中の「バラエティをやる自分」と「報道志向の自分」のずれがどんどん大きくなっていったことではないか、と想像する。
簡単な選択肢として、「5年もバラエティ畑にいたのだし、自分はそういうタイプなのだ」と割り切るという手はあったと思う。社会人として仕事をしていくうち、理想と日々の仕事をくらべ、現実路線に落ち着いていくというのは一般的な話である。
だが、川田アナはそれをしなかった。あくまで理想を報道アナとした。かつ、求められるバラエティの仕事も正しくこなした。生真面目な人なのだとおもう。
また、別の選択肢として、「報道のスキルも経験もまだまだです! でも熱意はあります! とにかくやらせろ!」みたいな強引さでとにかく仕事を得てしまい、そこから経験を積んでいく方法があったかもしれない。
原稿読みのゲームを見るに、川田アナは、原稿を読み、伝えるタイプの仕事のジャンルにとことん自信がなかったようだ。報道への意志を持ち続ける反面、自分にそのスキルがあるのか、という部分については弱気だった。
「報道をやりたい」という理想と、「バラエティの経験ばかりで、しかも原稿読みもまだまだな自分が報道と言い続けるなんて」という弱腰。その辺り、自分の中で折り合いがうまくついていなかったのではないか。元々、周囲の空気を必要以上に読んでしまう人のような気がするので、それも相まって、強引な手段には至れなかったのだろう。
上記の手段が取れないタイプであったので、結果的に、「日々の仕事をこなしつつ、理想に向けてゆっくり前進していく」方法をとった。しかし、理想と弱腰のギャップを埋められないままだった。…という状態がフリー期も継続していた、というのは、あり得るのではないだろうか。
加えて、コンプレックスをさらけ出すことに過敏な状態から推測するに、大きな悩みほどため込むタイプのように思われる。あるいは、悩みを打ち明ける時も、相手を慮って、笑顔で何でもないことのように話していた可能性だってある。かと言って自分1人で御することもできなかった。
ひたすら理想を志向し、反面なかなか現状が追いついてこない川田アナを、「中二病」的だと断ずるのは簡単だ。ただ、自分はあの生真面目さを美点だと思っていた。もどかしくて、最初みっともなくても、結果が伴うまで頑張ればいいじゃない、と。
彼女に誰か、「理想主義でもいいんだよ、大人になっても悩んでいていいんだよ」と、声をかけてあげていただろうか。
今は苦しまずにいることを願い、ご冥福をお祈りします。