当初は毎朝夕メールを送るようにしていたが、自分の都合で遠ざけてしまった。
今その人がどういう人生を送っているのか深く知らない。
結局、その時は誤報となったが、また自ら飛び込んでしまった。
今はリストカットやオーバードーズを繰り返す彼女を、その親と第三者と自分で連携を保ちつつ経過を観察している。
他人の自殺は止めるけど、自身の生きるということには興味がない。
というか、自身の意思ではなく逝けることに憧れさえある。
そんな独善的で傲慢な考え方は、一度目で嫌になった。
自殺を止めること。それは少なからず人の人生に足を踏み入れること。
一度目も二度目も相談を受けている関係上、その人の人生を全く知らなかった訳ではない。
けど、その人が望む最後を阻止してしまえるだけの権限を持ちえたのか。
その人が望む最後を阻止してしまえる程の責任感があったのか。
一度目の件はきっかけに過ぎなかったが、それ以降他人との接触が怖くなり、気付かぬうちにヒトと距離をおくようになった。
答えを見付けられぬまま6年が過ぎ、また同じことを悩んでいる自分がここにいる。
その危機が予測出来た状況に置いて、自分よりその資格を有する者へ、その後のバックアップが出来る人への連絡手段を持ち合わせていなかったことは、
その後の責任を負いたくないと考えてしまう身としては、準備不足だったと思う。
自殺は、「気付いて貰いたい」、「気に掛けてもらいたい」ことが目的という意味では、充分に役に立ったのかも知れない。
本当に死のうと思う時は、誰にも言わないことは身をもって知っている。
今は、親・第三者共に疲弊して頼らざるを得ない状況なのが解るので、協力しているが、本心は逃げたい。
多分、今の自身の心理状況を分析している自分から逃げたいのだと思う。
自殺という問題は、それを専門に扱っている医療関係の人でも対応の難しいものです。 電話口で自殺の決意を語られている時、多くの人にとってそれは知りたくない事実で、でも知...