はてなキーワード: より子とは
欧米でピンクって、女性全般と言うより子ども向けの色なんだよね。
そもそもピンク=女性のステレオタイプ、と考える日本人が少女趣味過ぎるってだけ。
そうなるのは日本人(男性)が女性により幼くある事を求める風潮が強いからというのもあるし、
洋服なんかだとネオテニーな日本人は大人になっても白人黒人より幼い容姿なので
白人黒人の大人ならまず似合わないような幼い色・デザインでも似合う(少女の服と大人の女性の服の違いが少ない)ってのもある。
もっともダサピンク問題云々の時も、ステレオタイプだからと言うより子供扱いすんなというニュアンスも込めていたと思ったけども。
(それに対して「プリキュアの主人公はピンクだから女性向け=ピンクで良いのだ」とかまさしく女性全般を子供扱いする反論が多かったのも頭の痛い所だが)
ぼくには、1歳上の妻がいる。
大きな目が、彼女の魅力だ。
弟や妹の方が大きいよ、と彼女はうらやましがりながら言うけれど、
ぼくにとっては丁度良かった。
高嶺の花かな、と思っていたら実は手が届くかもしれない、
そう思ってアプローチした。
それがうまくいって、付き合うことになり、
去年結婚した。
体の相性はすごく良かった。
ぼくは彼女なしでは生きていけなくなるな、と思う位だ。
結婚する前までは、週3回以上していたと思う。
十分満足していた。
それで、しばらくしなくなった。
安定期は、少しくらいしてもいいようだ。
触るのを、嫌がるようになったのだ。
どうも、する雰囲気になりにくくなった。
それが悪いとはいわないが、ぼくはどうすればいいんだろう。
今でもそのウンコさを一生懸命正当化させようとする自分がいて辛い
コンプレックスになってるのだろう
今の自分も認められない
意味わかんないだろ?
こういう、意味わかんないのもいるんだよ、たまに。
小学校の頃は勉強が嫌って理由だったけど中学は案の定いじめあったのね。
当時は、ブスってだけで理不尽だよ、ぴえーん
って感じだったけど今思えば
いじめられる心当たりがたくさんある。
無口でともだちいないようにみえたけど、いじめられてる感じではなかったから
顔も普通 目つきはスナイパみたいだったけど
なんでか聞いたこともなかったけど。
当時は、彼に興味がなかった。
それどころかブスのくせに同じ趣味でよく話す男の子にうつつを抜かしていたよ
話は戻るが、同級生にはむしろ鬱陶しく感じることもあったんだ。
優越感を感じていた。
「◯◯って、いてもいなくても同じだよな笑」
とか言っていた記憶がある。ひどい。
奴と一緒になることは何かと多かった。
算数は、バカでついていけてない子供は教室を移動する少人数クラスシステムがあった。
でも不思議なことに、やつは休み時間ともなると図書室へ向かい、本を読みふけるんだ
何をやるにも後ろについていたやつが、クラブ活動だけは図書クラブに入ってたし
ひたすら活字を読んで、たまにニヤニヤわらうやつを一人で面白がって見ていた記憶がある。
私その頃から本が嫌いだった
読字障害?って奴だとおもう。
なんどもなんども同じ文章読んじゃうんだよね
だから本なんかつまんねーもん読んでるやつが、面白かったんだよ
何かと気にかかるやつだった。こんなにいまでもきになるなら
早めに気にかけてる姿勢を表に出すべきだった。死ぬまで後悔しよう。
中学に入るともうクラスも離れ離れ、いろんな学校からいろんな新しいやつが入ってきて
不良化するやつ、オタク化するやつ、いろいろいた。
私は結局どこのグループにも属せなかったので、勉強もまともにやらずに不登校
でもクラスにやつと塾が一緒だった子がいて話す機会があったらかなんとなく本当に何の気なしに好意とかではなしに
どう?と聞いたことがある、ちょっと太った?とか行ってて、おー、不登校はやっぱ太るよな、と思った記憶がある
母はそれを許さなかったけど、学校行ったふりしてその辺ぶらぶらはしょっちゅうだった
しかしそのうち帰れなくなって、泣き喚いたな、家に入れてくれ
親父はもう新しい彼女いたんだけど部屋に居さしてくれた。
彼女呼ぶ日はやんわり出て行けと言われたけど
でも不登校はゆるさなかった。母より子供に無関心だから、調やしないし
ふらふらサボりもバレなきゃオッケーになって
そんな中、親父と出かけに行くんだよね
親父と出かけるのには全く抵抗なかった
顔も、知らない人に、そっくりですねって言われるくらい似てるから
援助交際に見えることもないだろーとおもったし
お前らが小さい頃は、こーゆうとこで遊んだよな
と言いたくなった(爆笑)
そこでさ、やつをみたんだよ
なんのゲームか知らないけど、アーケードゲームつうの?格ゲー?
なんですぐわかったんだろうな
好きだったのか?(爆笑)
冗談はさておき
話しかけようと思ったんだ
凝視してた
しかし親父がいる、、
なんか恥ずかしい
気付かれたいような気付かれたくないようなでみてた
でもたぶん向こうは見てもわかんなかっただろう
そこでさがっくり落ち込んで、ずうっと気になってた
一人で遊んでるよ、あいつ
すっげー気になった。面白くて、
すっげー面白いのがこの後、買い物を終えて車に乗り駐車場を出るとき
オおぉっ!?って思った
どこ行くんだ、あいつ
すっげー気になった。面白くて。
卒業式の日、くんの、こないのって先生にいわれてワチャワチャしてたら
って三年間まともにきやしなかった制服に身を包んで行ったでござる
やつがいた。
相変わらずのオーラを放っていやがった。
帰り道にやつを見たよ
お母さんと一緒だった
お母さんが、うろ覚えなんだが綺麗なんだよなあ華奢で、上品な感じ。
当然なんもいえなかったけど
お母さんが羨ましく思った。
大人になったら子供を産めばいいじゃないか
と思ったけど
これは、私が子供を産めば気がすむ問題じゃないなって心の中で思った。
きもいね。
数年後、いきなり電話かけたんだよ私は
でもお父さんが出て、家にいますけど→今、出られないと…といわれた
そりゃそうだよな 怖いもん。拒絶だよな
それに、ただの同級生がいきなり電話をかけてくるシチュ=宗教への勧誘、マルチ商法、カツアゲ
みたいなイメージになっただろうし、
あの、なにかご用ですかって言われて、
いや、話したかったんです…
卒業アルバム、髪の毛ひどく切っちゃって百均のズラ被ってうつったんだよね
特定されそうだなあ、でもいいや、これからも真面目に生きる気ないし。
で、買わなかったの。振込用紙はやぶってすてた。
小学校のころのアルバムも引越しする際処分した。だからやつの顔はうろ覚えなんだけど
今どうしてるのかひたすらきになる
自分が男なら良かったと思う
50年後でもいいから一目会いたい
その50年後に交わす言葉が
あの日、いきなり電話なんてしてごめんね、じゃあね
じゃあね
だけでも構わない
女が子供を持ったときに、「うちの子は世界一かわいい!」「子供のためならなんでもできる」とかなんか子供を愛する言葉をかけるわけじゃん。
で、それを見ると、「自分が遊びたいから妊孕性ギリギリ保たれるくらいまで子供作らない」っていう女の人はちょっとどうなのって感じる。自分の遊びより子供の命のほうが全然大切!って母親になったら思うだろうに、なぜ一人で居る内は自分勝手にできるんだろう。親が自分をかわいがってくれるのを感じたなら、自分も子供をかわいがるというふうにならないのかな。
でも、高学歴女も考えているという話を聞く。「こんな時代だからこそ、ちゃんとした親同士じゃないと子供が不幸になるから、私もしっかりしなくちゃね」っていうのを考えて高学歴になったらしいみたいな。でもそれもいいわけに聞こえるんだよなあ。
痛みや苦しみがあってこそ、本当の価値がある。
これだけ選択肢に溢れた時代にわざわざ茨の道を往くなんて効率悪いしただのマゾヒストでしょ。
そりゃあそうでもしないと辿り着けないような場所ならいいよ?
でもさ、楽な道と過酷な道どっちも選べるんなら、過酷な道を選ぶメリットがないじゃん。
てめえが経験するわけでもない激痛を、それも無意味な激痛を女に強いるって馬鹿でしょ。
じゃあお腹痛めるどころか悪阻すら経験してないてめえらは子供を愛せないんだね。
うちの母は、お産の時聞いてたより楽だったって言ってたよ。
それでも立派に愛情注いでくれたよ。
昨日、やっとうちの小4と小2の夏休みの宿題が終わった。親泣かせといわれる、読書感想文と自由研究もばっちり終わった。今年も自分と旦那のこれらに対する熱の入れようは半端じゃない。
・作者、課題図書の選者の意図、テーマを読み取り(親:子=99:1)、
・一度物語を分解し(100:0)、
・それに対して自分の心情を描画させ(50:50)、
・作文にまとめる(50:50)、
自由研究も、
・テーマ決め(親:子=50:50)、
・観察結果(50:50)、
・考察(70:30)、
・まとめ・感想(30:70)、
のような割合で親が関与している。なおかつ自由研究の大テーマは兄弟ともに毎年同じにして、前年度までの研究に対しての積上げ研究にしているので年を追うごとに深みのある内容になり、こちらも毎年何かの賞に入れている。
こんなに親が係われば、賞に入るのなんか当たり前だろうと思うかもしれないが、実際、市区町村を勝ち抜き、県レベルの賞に入ってくるのは、小学生とはいえかなり高度なものが多く、自分で発想~アウトプットまで親の関与なしにそのレベルまで仕上げられる子供はほとんどいないだろう。
うちの子たちも含め、かれらはそこそこの教育レベルの家庭にあり、考える力(=生きる力)を身に着けて社会に出ていくことは予想できる。なぜなら自分たちの親がそうだったからだ。教育に関心のある親の元で育ち、夏休みの宿題は嫌々ではあるが、親によってきちっとした仕上がった作品を夏休み明けに持っていくと、先生やクラス中から羨望の眼差しでみられ(その後の授業参観の時には、県へ出品しているため自分の作品だけ展示されないという小さい問題はあったが)、大きな自信につながったことも言うまでもない。現在社会工学系の研究を仕事にしているダンナについては、(我々凡人は)研究は自分一人だけでやるものではないという持論があるらしく、卒論~博士論文、現在に至るまで指導者や同級生、同僚からのアドバイスを、仲間と一緒に確認してまとめただけだ、といっている。
ところで、子供の宿題を親がやるのはおかしいという意見がある。「自分の事は自分でさせる」「親の勉強してどうするんだ」「子供のためにならない」等々。主義として本気でそう思って、そういう方針で子育てしている人はそれでいいと思う。けど、忙しくてできない、という理由で子供に目をかける暇がないという人は、夏休みのうち、週末ぐらいは子供の宿題を手伝ってあげれば、勉強の方法に触れることによって、新しい発見があるかもしれないし、高クオリティーの提出物は、子どもの自信につながると思う。
仕事は上手くいってる?
結婚できてる?
こどもいる?作るときに怖くなかった?
子どもの頃生きづらくなかった?
今生きてて楽しい?
なにより子どもの頃、大人にこういうことを教えといてほしかったってことある?
追記(2014/07/12)
妹さんのことを書いてくださった方。
本当にありがとうございます。
我が子も不器用で日常生活に関する事ができるようになるのが非常に遅いです。
反応も鈍いので将来車の免許も取れないのではないか、とれてもアクセルから足を離すのが遅くて事故をおこしてしまうのではないかと今から心配してしまいます。
アドバイスいただいた通り家事や料理はできるようにさせていけたらいいなと思います。
IQをどこで?の方。
我が家の場合、市の障害福祉課で相談すると対象の医療機関や児相を案内してくれました。
ただの通りすがりさん
このページは増田にかいてあることを掘り下げたブログ、という認識でいいのでしょうか?
それはともかくとして、IQ70台にもいろいろなケースがあるのですね。
あれは「万一の時の為の命綱」なんだよね、本来は。
紐はなるべく短く持ち、子供の手はがっつりと握って何がなんでも離さないよう努める、勿論子供にも手を離さないよう言い聞かせた上で
最初から紐を伸ばして「犬の散歩」状態で使うのが前提ではないし、
上記の使い方をしていても、子供が手を振り払って「犬の散歩」状態になるような状況が
「万一」ではなく頻繁に発生するような子であれば最初から使ってはいけない。別の策を考えるべき。
その別の策ってのは増田が書いた通りだと思う。
そういう前提を元にしたハーネス批判に対して「見た目の問題」だの「自分がした苦労を若い世代に押し付けようとする老害」だの、ってのがなあ。
子育て経験が無い人なら仕方ないかもしれないが、子供育てている人ですらその認識ってのが驚きだよ。
紐伸ばして子供自由に歩かせてたら何より子供自身が危険だと、少し考えれば分かる筈なのに。
自転車突っ込みもだが、車道に飛び出してはねられたりしたらどうするの?
歪んでるなぁと思うけどほんとにそう。
おめでとうを言うようにはしてるけど、その次には偉いねぇと思ってしまう。
もちろんその内訳は
「へぇー子供産むんだぁー。仕事も犠牲にはなるし、それ以上に一年間お酒も飲めないし旅行も子供が大きくなるまで出来ないし、お金も自分のためには使えなくなるし、
遊びに行くのにも一苦労になるのに!
働いてお金稼いで、土日や連休になったらそのお金使って旦那と一緒に旅行に出かけて美味しいもの食べたりきれいな景色見たりするのが最高に楽しいのにそれもできなくなるなんて耐えられないわー!
子供産むなんて偉いねぇー尊敬するわぁ、クズな私の分まで子供たくさん産んで日本の未来でも救ってあげてね!
もちろん子育てには素敵なことがいっぱいあるからいいんでしょうけど、ピルを一生飲むと決めてる私達夫婦には永遠に知ることはないことだから知らん。
まぁ私と親しくない人ほど子供産んで、私と親しい人ほど結婚せず独身だから特に人付き合いには問題ないんだけどさ。
結局子供産む人のことを理解できないなぁと思っているか、そう思える思考回路が羨ましいなぁと思うって話なんだろうけど。
子無し夫婦で生きるより子供持ちで生きるほうが世間から白い目で見られなくて済むから、
30代男
妻、子供一人(二歳)
子供はほしい、兄弟多い家庭だったため娘一人よりは兄弟いたほうがいいと思っているし
しかし現実問題妻も時短ながら誰もが知っている一流企業で働いているし
どうしてもIT業界は夜型で21時、22時なんてざらで普通に終電逃してタクシーで帰ることもままある。
本来は仕事をさっさと切り上げて帰ればいいのだがそう毎日はうまくいかない。
となると育児は時短勤務可能な妻の仕事に必然的になってしまう。
妻は朝子供にご飯を食べさせある程度夕食の準備をし慌ただしく早い時間に出社する。
私も朝はなんとか子供を保育園に連れて行っているがいつも定時ぎりぎりかぎりぎり遅刻
妻は保育園が終わる前に保育園へ迎えに行きスーパーへ寄り子供の晩御飯を作って食べさせ
お風呂に入れて次の日の保育園の準備をし私の食事も作って置いてくれ、子供に歯磨きをさせ
一緒に遊び、9時頃に寝かせつけ子どもと一緒に泥のように眠りにつく
これだけでも妻すげー!という思いと、そこまで大変なことを押し付けてしまって申し訳ないという気持ちがある
私は休日に子どもと遊んだり車でみんなで買い物に行ったり子どもとお風呂に入ったりするくらい
しかしIT業界あるあるで休日対応も無いことは無いのでその時まで妻に子育てお願いしっぱなし
そんな状況で子供が増える想像をすると生活の破綻しか思い浮かばない
今でさえ家庭料理と言われる手の込んだ家庭の味も食べさせてもないだろうし
満足に親子の時間も作ってあげられていないと思う
二歳の子供はなんでもかんでも嫌々いう時もあるし、なんでかずっと泣いている時もあるしで
父母ともども疲れ果ててしまうこともある。
両親に頼れればいいのだが私も妻も田舎から程遠く帰省した時くらいしかめんどうみてもらうことも無い
妻も仕事は辞めたくはないという
金はあるのにだ。
金がないから子供が作れないという理由はもっともだが、その人達は金銭的問題さえクリアしさえすれば子供を持つ可能性があり
政策としてそこをカバーするのが少子化対策には一番費用対効果は高いと思う。
しかし私は既に子供がいる世帯でもっと子供がほしいのに作ることができない人たちに二人目三人目を作ってもらうほうも考えてほしいと思う。
なにせもう子供はいるわけだから新しいものを買うのは最低限でいいし何より子育てに慣れている
一人っ子ばかりの世の中は多分なんか良くないと思うし
(「子供を作る」という言い方は違和感があって嫌な言い方なのだが他に良い言い換え方が見つからなかったので「作る」という言い方にした)
とは言いつつも子育ては楽しいし子供はわけわからん可愛さとなんだか見てて幸せになるような行動ばかりでこれからの成長が楽しみすぎるくらい愛してるし
嫁になんて行ってほしくないと密かに思っているくらいで、できればもう少し家族が増えて楽しい家庭を築いていきたいとは思っている
ニートが嫌いで働いてほしいなら、なんで亭主は無避妊のセクロスでガキなんかしたんだろうね?
そのせいで元増田は折角仕事を始めた矢先に孕む羽目になっちゃって、これから最低15年は衣食住も自力で工面できない穀潰しニートの世話をする羽目になっちゃったんですけど。仕事どうしたんだか知らないけど大した学もキャリアもないなら辞めることになっちまったんだろうな勿体ない。
金を稼がない人間をニートと呼んで嫌うなら子供なんか作らなきゃいいのに、それを欲しがってわざわざ作る人間って頭に障害でもあるのかな?
最低15年、平均20年強、障害児や穀潰しなら一生親が世話しなきゃいけない、おまけに嫁と違って家事すらやらない個体が多く年を取るごとに幼い頃の可愛さも失われていく、よく考えるとこれほどの無駄ってちょっとないよね。
「自分の遺伝子(失笑)」なんてバカバカしい概念に縋って、それでも血が繋がらない他人の嫁より子供のほうが価値があるんだと信じていたい頭のおめでたい輩が多いってことなのかもな。
移動ってのは結構体力を使う。不特定多数の人間が居るから、今の時期なんかだと特に風邪だのインフルだのの黴菌もらうかも知れない。
そして子供ってのは身体が出来上がってる大人と違ってデリケートで、ちょっとしたことで体調を崩す。
そうなった時、新幹線の中での対処は限られている。薬を常備するにしても、大人用の薬なんて使えない(何故小児科なんてものがあると思う?)。
故に、ある程度子供が育って体力がつき、親の手が離れるまでは、新幹線だの飛行機だので長距離移動させるのは避けるべきだと思う。
それは周囲も、なにより子供自身も参らせてしまう行為だと思う。
これから年末年始、子供を連れて田舎に帰省って家庭も少なく無いだろうけど、子供が長距離移動に耐えられるのか、移動中に何かあった時に対処できるかってことは考えて欲しい。
http://blogos.com/article/72718/
女性が子供を産むことのできる年齢にある上限が変わらないというのは本当に酷なことであり、子供が産めない男性の想像を絶する。
んだから
世にロリコンオヤジと草食系男子が増え続ける限り、年を取るに経て価値が低くなる今の婚活市場で彼らが理想の結婚相手をゲットする確率はどんどん低くなる。
なんだろ。
つまり、生き物として、オスとして、より子供を生みやすい方に引っ張られるようにできてるのは至極当然なんだよ。そこはもう固定要素なんだから。人によるばらつきはあるが、全体としての分布は変わらない。「増え続け」てなんかいないんだよ。元々多かっただけだ。
そもそも論として、子どもの保護というけれども、お金は子どもを保護するか?というそもそもの問題が有る。
財産という物を仮定した時に
たとえば、工場が財産だった。会社が財産だった。 これを家長が相続して、残りの子弟たちを家長として保護するのと、
工場を売却して、それぞれがお金で受け取るのと どちらが より子どもが保護されるか?というのは現実を見ると後者では有るんだけれども
工場という生産装置を維持する。家業を保持していくという観点に経つと前者の方が好ましい。いわゆる平等な財産分与では家業が保持できない。
そして、家業が保持できない状態で本当に子々孫々の反映を維持できるか?というのは謎。
子どもの保護や平等が本当にお金であるべきか?というのは、もっと議論されてもいいのでは?
1億円の価値がある会社を貰うのと 1億円を貰うのでは 意味が違うでしょ? 前者はちゃんと経営すれば ずっと使える。後者は、価値が毀損する。
いろんな価値観があるけどね。