はてなキーワード: きぬとは
そこにあるのは作者の世界観そのままであり、介入する余地が微塵もない。傍観することしかできぬ。
文字や絵にとどまらぬ世界観描写に加えて、我の思想を反映できるゆえ、我が生きていることを感じられる。
例えば女の子だけで冒険したいんじゃ!と思えばそのようにできる。
それが何よりも重要であろう。
電書端末上に何千何万の書影を積み重ねても、そこに主は存在せぬ。
ゲイムであれば自分の満喫したゲイム体験は、自分だけのユニイクなもの。
画面は人それぞれ違う。それがなぜ重要なのか。
我はこう思う。
皆が同じものを見て似たような感情を共有する時代は、不健全だと。
世界の多様な可能性に対する想像力を著しく狭め、いずれは価値観の断絶を生むのだと。
誰もが違うものを見ていることが当たり前であれば、より世界はフレクシブルになる。
「同じ」ことを喜ぶ時代から前へ進むことだけが、寛容性を養う。
そうは思わぬか。
なんでこの手の迷信はなくならないのか
筋肉に全てを捧げている女ビルダーよりそのへん歩いてる標準体重女性の方がおそらく太って見えるだろう。女ビルダーが普通の服を着ていると華奢でびっくりするよな
それだけ筋肉だけで体を大きくするのは、まして筋肉を大きくしにくい女性は、困難なのであるが、今だにアタシ筋肉のせいで太ってるの、骨格ストレートだから……とろくにトレもしていないやつが言いやがる。筋肉は相当な負荷をかけないとでかくできぬと言われても、それでも固辞する。迷信は消えない。
なぜなのかずっと不思議だったが、どうも原因は皮膚にあるようだ。
東アジア人に多い分厚い弾力系皮膚で脂肪を包むと、なんかちょっと硬そうに見える。少なくともマシュマロふんわりボディではなく、ガッチリした感じに見える
別にPC詳しいわけではないんだけれども、なんとなくLinuxに憧れがあって、いろいろググっていたんだけど、インストールが難しそうで二の足を踏んでいた。
(中には「インストールすらできぬ者にLinuxを使う資格は・・・」みたいなことを言っている人もいて敷居の高さを感じた)
そこに中古PCにUbuntuをインストールしたノートPCを3万円弱で販売している業者がいて、中古という点に引っかかりを覚えつつも、3万円ならいいかと思って購入した。
こうしてダメ元で買ったPCだったけれども、めちゃくちゃ高性能だし、壊れる気配もないので、こりゃいいやという感じで今も使い続けている。今後も同じ業者で買うことになると思う。
カツの衣にはサラダ油がたっぷりだし、カレールーには牛脂がたっぷり。
油脂というのは舌の表面を覆って塩味から酸味から苦みから、何がなんでもまろやかにしてしまう。
各店の違いをしっかり味わいたければかつなしカレーとして楽しむか、油を突き抜けるくらいの味をつける(ウスターソース=強い酸味と塩味をごはんに直接かけるとか、レモン汁と塩を足すとか)店を選ぶくらいのことをしないと無理。
ちなみにデミグラスハンバーグとか、牛乳たっぷりたした自作ひき肉カレー(家族がそういうの好きでたまにつくる)も
デミグラスハンバーグを冷蔵した真空パックで買うとオレンジ色の脂がべっとりとこびりついている。脂にはワインやタマネギの香りがうつっていてそれ自体でおいしいけど味覚としてはそれ以上の工夫の余地はない。
よくカップラーメンに小袋でそえられてる「香味油」が小袋じゃなくて大袋だったらどうなるかってかんがえればわかるだろうな。
乳化した油のなんでもまろやかパワーをうまくつきぬけるのはキューピーマヨの「酢と辛子」セットくらいだよ。素だと強烈な味なものがようやく届くんだよ。でもおまえらは結局乳化した油の味が好きなんだから味にいまさらこだわらずにすきなだけデブってろよマヨは飲み物って土方さんもいってたぜぃ
・破れかぶれで行われる大移動
・死に損ねたあなたの耳に鳴ってるかつて歌だったはずの音
・退屈を持て余した老人の鳴らすカリンバ
・長い長い長い長い長い朝
・許しを請うてもどのみち左肘から先が無くなるので
・籠の中で野菜はただ冷えている
・音の粒がはじけても混じり合わぬ私とあなた
・曲がりなりにも悲しいのなら今すぐこの場で両手を開け
・天使はいなかったその証明にシラスをご飯にふりかけて 味噌汁付き
・寂しいはずのお留守番はたった一度のシャッターに似つかわしく
・止められるなら苦労はしないさ、かさぶたが溜まるだけの部屋で
・照らせバックライト、僕らの行く末
・あんなにスカートにこだわっていたじゃないでも僕の流行りは終わったから
・器用な鍵盤弾き30名殺害されてイトーヨーカドーで発見されて
・あざむく速度が似ている彼と同居七年目
母から短大へ行ってすぐ就職しろ と言われていたので高校3年間、英語学科の短大を希望しますと 担任との二社面談をサクッと乗り切ってきたのだが
高3の夏、英単語の勉強 好きじゃねーなと気づいて音楽学部のある短大へ進路変更。
吹奏楽部の顧問、担任、母、とにかく全員から反対された。大して楽器が上手くなかったたからだと思う。
反対を押し切り 入学。楽器は両親が結婚資金を貯めてくれてたのを切り崩して購入。
大学でも 当たり前についていけなかった。
周りは幼少期から楽器やってるだの、全国大会金賞だの、まぁ当たり前に音楽で生きてきた人たち。
誰からも見捨てられたと思って、大学の外で一般のアマチュアと遊んだり 本番出たりしてた。
22歳、短大の同級生は就職した中 自分は研究生で大学に残っていた。マジで後輩から何してる先輩だろと思われてたと思う
近隣の吹奏楽部の非常勤講師をやらないかと声がかかる。それを機に大学を出る。(教授には当たり前に お前には早い やめろと言われた)
というか指導業でお金を稼ぐ(名ばかりフリーランス)で生きていくのに必死。
吹奏楽ガチでやってた人なら分かると思うけど、コンクールって労力ハンパなくて、結果出そうと思うと人生の時間ぜんぶ突き込む勢いでやらないといけなくて。
人生溶かしすぎて、自分何やってんだと鬱になっていたので これを機に部活指導を辞める。
ずっとクラシックよりジャズがやりたかったので演奏活動の夢を捨てきれず、いまチマチマと練習しているが、この20代をほぼ指導業に振ってしまったため ジャズなんて出来るはずもなく。
演奏する仲間もいない。
自分と同じ歳のking gnuやら石若駿やらの神世代を見るともう遅いのかな と思う。
これ、詰んだかな
ワクチンの有効性はまだわからない、有効かもしれないが、もしかしたら思ったほどきいていないのでは・・・というのが自論。
副反応だけでなく、副作用もぜったいないとはいいきれないはずだ。まだ特別に認可されて、医療従事者からはじまり、高齢者、若年層へもうちはじめて何年も経っていない。
「ワクチンの安全性についてはまだわからない」が正しい答えだと思うのだが、なぜここまで強制させるのだろうか。
死亡率をみても怖さを感じる。「ワクチン接種後に死んだことについて、現時点では因果関係がない」にせよ、統計学的な因果関係と、医学的、科学的な問題・課題とは異なる気がしている。
まとまりはないが、ワクチンはまだこわい、なるべく引きこもり、消毒ジャブジャブして、マスクもして密をさけるように暮らしているのでどうかもう暫く様子見させて欲しい。
ワクチンを打たない、または事情があって打てないひとへ社会的制裁が加えられるのはかなり恐ろしいなとおもっている。
同調圧力、日本はそういうところに陥りやすい。空気を読めとかいうけれど、我々はコロナなんぞに負けないで生きぬかないといけないのでは。
お前ら朝鮮人どもは、他所の国で悪さをしすぎた。北朝鮮拉致問題や金大中事件や統一教会、街宣右翼に朝鮮ヤクザ、パチスロといった警察との癒着は「バレなきゃセーフの精神」を体現した結果じゃないか。だから、お前たちの「上にトラップを仕掛けたら勝ちの精神」は両班制度の劣化コピーを日本に持ち込み、そして日本社会の上級国民(マスコミ、政治家、財閥、東京、早稲田、新卒一括採用)といったシステムを悪用してきた前科がある以上は、養護ができぬのだ。マスコミ共が、どう考えても「金をもらって」韓流ヘビーローテーションをやっているのに、それを明示することなく、あまつさえネトウヨという「社会的な負け組」というレッテルをはられて、哀れな「消して救済されることのない、被差別階級にされ」てなお、ネトウヨは消えないのは、あきらかに朝鮮人が日本を利用とする『用日』をしてきた過去があるからだろ。朝鮮戦争で「金儲け」したことを韓国に文句を言われる筋合いはない。なぜなら、日本が努力しなければ韓国は存在してないからだ。そして、原爆で日本を揶揄するのは、許せない。なぜなら、ヒロシマ・ナガサキがなければ、朝鮮半島に原爆を落とされていたからだ。その歴史を誤認して、アメリカを味方につけ、日本を貶めるという手法で、美味しい思いをするという手法を昨今まで続けることができたのは、両班メソッドを駆使できた環境にあるからじゃないか。そう「インターネットができる」まではな。インターネットが、朝鮮人の夢を殺してくれた。
だと私は思っている。そうしようとする女性活動を尊重するし、協力すべきだと考え、できるところで協力している。
しかし、その結果、
これは容認できない。
容認できないとは何様だ、こっちは男性の権利が女性を超えているのが容認できないんじゃ。と女性の皆様は思うかもしれない。思うだろう。
上で書いたが是正すべきだと思うし協力すべきだと思う。
だが突き詰めると私は男性であって、女性のことは他人事である。
理屈のうえで「是正すべきだ」とは考えても、「容認できぬ」とまで強く感情的には思えていない。
一方で女性の権利が男性をイコールよりも上に超えることに関しては、理屈のうえでもダメだと思いながら、かつ「容認できぬ」と強く感情的にも思う。
まとめると、理屈のうえでは男性が女性を上回ることも女性が男性を上回ることも等しくダメだと考え、さらに私個人が男性であるので後者については感情も乗って反発する。ということだ。
この世界が、あるいは日本が現在、男性優位なのは自覚している。
一方で、限定的な状況下では女性優位な面があるのも経験している。
たとえば寡婦年金や女性優先車両、レディースデイといった大小の制度的なものから、結婚・離婚の場面での女性優位な構造。あるいはもっと言えば男性が女性をエスコートするとか重いものを持つとかデート代を奢るといったような精神規範的なもの。
私が言いたいことを伝わりやすくするために非常に矮小化して話すと以下のようなことになる。
「女の子たるものお淑やかであれ。男の子を立てて一歩引いていなさい」という教育が古いものとされ、排除される。それはいい。
だがその一方で「男の子たるもの強くあれ。女の子を助けなさい」という規範が排除されていなければどうか。
はっきり言うと、「女は男を立てるべき」規範と、「男は女を助けるべき」規範が同居する社会は、男女不平等ではないと考えている。
そのどちらの規範も存在しない社会も、もちろん男女平等であると考える。
女性のみなさんが女性運動により前者の規範を消そうと努力するのであれば、それは容認するけれども、同時に男性からのカウンターとして男性運動をして後者の規範を消しにかからなければならない。そうでなければ結果男性が不利に立たされるからだ。
私は社会の中である領域では男性優位で、ある領域では女性優位という不均衡はあってよいと考えている。
たとえば鳶職には男性が圧倒的に多い。これは男女の力の差から仕方の無いことだ。一方で女性が鳶職になりたいと思えばなることができる。これが重要である。
管理職の問題も同じだと考えている。女性が管理職に就きたいと思えば、男性とちょうどおなじなりやすさで、なることができる。こうであるのが理想で、そうであるためにあらゆる構造を変えなければならないと思う。
しかし、女性の管理職の数が少ないからといって女性の昇進しやすさを男性より上にするというのであれば、それは看過できない。強く、強く、強く反対し、もし自分が決定に関与できる立場であるならば、やめさせるだろう。
「まず踏んでいる足をどけろ」
これは本当に本当に真っ当な言葉だ。そうすべきだと思う。
私も、自分が踏んでいる足に気付いた場合、どけるようにしている。
しかし男性の右足が女性の左足を踏んでいる一方で、女性の右足は男性の左足を踏んでいるという状況も私はあるように感じる。
その場合、男性のみがその足をどければ今度は男性だけが女性に踏まれている状態となるのだ。
「女性は自分たちで活動して男性の足をどけるのを実現させてきたのだから、男性もそうしろ」
と言うのであれば、仰る通り、そうさせてもらう。
と言うのであれば、女性にも男性を踏んでいる足をどけることに主体的に協力いただく。
と言うのであれば、「ある」と主張させてもらう。
果たしてそうだろうか?
あ
AMAKUSA1637
暗殺者は魚を嫌う
い
う
海ニ眠ル花
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え
エデンの花
お
おとなにナッツ
か
ガタピシ車でいこう!!
銃夢 LastOrder
き
く
KUROKO-黒衣-
こ
恋はオン・エア!
恋はゲームで!
さ
三獣士
山賊王
SAND LAND
し
シトラス学園
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す
すくらんぶる-b
せ
そ
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空の昴
た
Wピンチ!!
ち
忠犬ディディー
つ
て
太陽の玻璃
と
な
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