「死生観」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 死生観とは

2023-09-12

増田ってすごい

どんな話を始めても嫌な顔をされない。

ここでなら初対面でいきなりうんこの話やセックスの話ができる。

身の回り差別病気死生観だって自由にしてもいい。

現実なら「意味が分からない(困惑)」「いや、ちょっと(苦笑)」「家族相談すれば?(他人事)」と拒否されるような話でも気軽な気持ちで始められる。すごい。

 

それにちゃんと返事が付くのがさらにすごい。

ノイズはかなり多いけどなんだかんだ反応らしきものがもらえる。

時にはとんでもなく博識な人や人情機微を知り尽くした風来の仙人みたいな人が現れて深い滋味のある返事をしてくれる。

どこの馬の骨ともわからない人間駄文時間を割き、親身に文章を考えてくれる、心温かい人がここには住んでいる。

報酬や見返りは一切ないのにだ。

ほとんど奇跡だと思う。

ここは奇跡が起こる場所だ。すごい。

 

また、ここでは自分で始めた話をどんな形でも終わることができる。

今ここで終わってもいいし後で書き足してもいい。

嫌になったら消すこともできる。

この真っ白なページにおいては、まるで編集長になったような気分になれる。すごい。

 

はてな匿名ダイアリー。略して増田

これだけすごい場所なのに「屑の掃き溜め」のように風聞されていることは残念でならない。

やはり昨今はSNS時代なのだろうか。

SNSで容易に付けられるハートやサムズアップに勝る真の愛がここにはあるだろうに。

2023-08-23

からでも間に合う感想攻略

夏休みも終わりに近づいてきたし、感想文で苦戦している本人、ご家族に贈ります

スタンダード篇(小学生向け)

本全体の説明を書く。

その本を選んだ理由を書く。

印象的なシーンを3つ、同じテーマか、承・転・結で結ばれている内容で抜き出す。

それぞれのシーンごとに、「どう思ったか」、「自分だったらどうするか」を書く。

本全体を読んでみてどう感じたのか、今後自分はどのようにしていこうと考えているのかを書く。できれば具体的な行動で。

可能であれば一つユーモアを落とす。

高学年であれば、思春期的な内容(悩み、葛藤死生観)をほんの少しどこかに織り交ぜる。

完成!

小学生向けと書いたけど、高校生でもこういう感想文を書く人がほとんど。万能レシピです。

それでも苦労して書けないよ!という人に、裏技を2つ紹介。

裏技

から感じたこから飛躍して、自分の書きたいテーマについて書く。

例えば、戦争を扱った本だったら今のウクライナのこととか書いてしまう。

本文から引用は最低限、なんならなくてもいい。最悪読まなくてもいい。

ただし、最後の結末については、本から影響を受けた内容で締めくくる。

本の内容に関係なく、自分の言いたいことに誘導できるところが手抜きポイント

裏技

本の内容について、つっこみをいれつつ現在テクノロジーに置き換えて自分ならどうするかを書く。

例えば歴史の本だとして、過去には正しいとされていたものが今も正しいとは限らない。

そういう部分にツッコミを入れて、今のテクノロジーならこうするといった内容を自分視点で書く。

下手すると悪ふざけになるので、最後には真面目なテーマに戻ってくる。

本文に対する深い解釈不要で、相手の関心を現在方法論に対してミスディレクションできるのが手抜きポイント

書評ダメゼッタイ

感想文で絶対にやってはいけないことは、その本の書評を書いてしまうこと。

書評というもの有識者がこぞって行っているもので、それをしようとすると正誤判定を受けてしまうことになる。

そこから逃れるためには、正誤判定の外に話題を持っていくことが必要

自らの考え方や行動については、その瞬間において正解かどうかなんてものはない。

そのため、感想文の一番の攻略は、「何事も自らの視点に置き換えて考える」ということに他ならないと言える。

以上。

皆さんがんばってください。

2023-07-14

りゅうちぇる27クラブ

に入りたかっただけでしょ?

 

その死生観まじだせーよ

2023-05-11

LGBTもだけど、イスラームももっと配慮できる日本になって欲しい

土葬墓地」設置へ ムスリム教会地域住民合意 大分

https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/477487

多様な価値観や性や宗教死生観身体的特徴を持った人々が共生できる社会になると、きっと少子化解決する。

明治時代の先人たちが頑張ったように、今を生きる自分たち欧米先進国の仲間入りを果たしたい。

2023-03-22

K2悪人はいない。料理漫画と違って」とかい大嘘

悪人はいる。

特に作中で絶対忘れられない悪人は「クローン培養のために人殺しも厭わない悪の秘密組織」と「医学否定するカルト宗教」だろう。

コイツらは紛れもなく悪党だ。

自分たち教義のためにVXガス暗殺を目論むような連中が正義であるはずがない。

ただコイツらと料理漫画悪人とではかなり毛色が違っている。

「強烈な死生観の元に自分なりの正義を貫きそのために殺人も厭わない狂人であるということだ。

彼らの狂気は「死生観」に基づいている。

死生観宗教観が狂気の由来となると、どうもやってることが大きすぎてなんだか納得しそうになる。

少なくとも単なる人格破綻者という印象からは遠ざかる。

だがこれが料理漫画になると「食の趣味」になってしまう。

「食い物の趣味のために他人ハラスメントを繰り返す狂人」となるとやはり印象が悪い。

やってることがしょーもなすぎて、そんなのを人に押し付けるなら1人でやってろキチガイ野郎がで終わってしまう。

この違いが「K2に単なる悪人はいない。料理漫画は単なる悪人を出して物語を転がすが、K2医療漫画なのでそれをしない」という誤認を生み出しているのだろう

2023-02-25

ChatGPTに架空ヘヴィメタバンドアルバムを考えてもらった

バンド名: Shadowrealm

アルバムタイトル: Apocalypse Chronicles

説明: このアルバムは、終末、死生観地獄など、深いテーマに基づいた曲で構成されています。"Apocalypse Chronicles"は、世界が滅亡に向かう物語表現しており、バンド名の"Shadowrealm"は、深く謎めいた世界観を表現しています

トラックリスト:

“Apocalypse Rises Again"

この曲は、人類の終末時について歌っています悲惨な状況にある人々が、最後希望として再び希望を見つけ、力を取り戻すために戦う物語です。

"Divine Retribution Unleashed"

神の怒りが地上に降り注ぎ、人間たちは絶望に陥ります。この曲は、神の正義と償いについて歌っています

"Hellfire's Eternal Embrace"

地獄の火が全てを焼き尽くす世界表現しています。曲の中では、この火に包まれた者たちが、激しい苦痛に耐えながら、絶望とともに永遠に生きることを歌っています

"Battlecry of the Immortals"

不死の戦士たちが集い、戦いの準備を始めます。曲の中では、彼らが魔法と剣で敵を倒し、最終的に勝利を手にする姿が描かれています

"Shadows in the Afterlife"

死後の世界で待ち受ける謎めいた影たちが、死者を誘惑していきます。この曲は、死生観について考えるきっかけを与えるような深い世界観が表現されています

"Necromancer's Spellbinding Reign"

黒魔術を使う霊能者支配する世界を描いた曲です。彼の魔法によって、死者たちが蘇り、地上に畏怖の念を与えます

"Legion of the Damned Souls"

地獄に落ちた魂たちが、一つにまとまり軍団を作り出す様子が描かれます。曲の中では、彼らが地上に攻め込み、人々を苦しめる様子が描かれています

"Endless Void of Despair"

何もない虚無の世界に取り残された人々が、自分たち存在意義を問いかます。この曲は、生と死、善と悪、そして存在意義についての深い哲学的思考表現されています

2023-02-13

anond:20230213131546

「命の重さ」というのは社会によってまったく異なる。日本でも古代中世戦前現代では全然違うし、現代でも国や集団によってまるで違う。

まず、あの時代棄民政策を行わなければならないくらいに人間が余っている時代である。そしてコロニー生活というものは、足の下には宇宙空間が広がり、吸い込まれたら死。空調壊れても死。デブリがぶつかっても死。生きてても数世代ずっと死んだように生きる借金生活死生観については現代日本人間とは共有できそうにない。

Gレコではクンタラ存在が示されるが、そういった階級が発生させられたのは、あの世界の人類が困窮極まっていたためであり、それゆえにユニーク死生観倫理観を育んできたことによるものだ。

そして、それは何もGレコに限ったことではなく、宇宙世紀についても実は同じで、だから一年戦争では話の枕に大虐殺するし、シャア地球に石ぶつけようとするし、鉄仮面人類の9割を殺そうとするし、エンジェルハイロゥは地球人すべてを幼児退行しようとする。

現代人がアステカ人に「儀式のために数千人も生贄に捧げるの?やばない?」と驚いても、「え、普通だけど、、、」と返されるだけだろうし、宇宙世紀の人間も「え、戦争だし、、、」って感じなんだろう。

2023-02-12

指輪物語エルフたちは永遠生命約束された存在だ。

なのにどうしてあんなに心が死生観で満たされているのだろうか?

死すべき定めの存在ではないのに心の中は死への渇望で埋められている。

そんな印象を抱いています

誤読なのかもしれませんが同じような考えの人は少なくないような気がします。

2023-01-29

安楽死制度AI葬が悪魔合体して最悪の時代が来る

故人の言動学習させたAISNS運営させ、ネットに転生したような幻想を与えるいわゆるAI葬は依存性が大変強く問題があるのだが、体験した遺族の歓迎姿勢からなし崩しになってしまっている。

これにネットで急速に発展した反出生主義の人たちが安楽死運動を盛り上げる中、「自身AI化によるネット世界への逃避」を見つけてしま可能性が大いに懸念される。自分学習させたAISNS上に残し、肉体の方は「処分」してしまう、常識的に言えば命を粗末にする行為に他ならないが、ロボットプログラム生命権利を主張するギーク達により一種擬人化として捉えられ、支持されてしまっているのが現状だ。この先にありうる最悪の事態は、三者相互作用により徐々にできつつあるデジタル宗教めいた死生観一般化であり、「貧困者はネットへ行け」という社会政府一体の主張が人々を無辜の死へと追いやってしま時代が来てしまうかもしれない、という事である

2022-11-09

29で死ぬこと

月曜日に話をしたばかりの同僚が亡くなったらしい。

4月転職してきたばかりだった。席が近く同い年ということでよく雑談する仲だった。

話が転んで死生観みたいな話になったときに、「明日仕事来なかったら『あっ逃げたな』と思っといて~」みたいなことを聞いていた。結局その翌日は無事に会社に来たのだけれど、今思えばその時にもっと強く否定しておけば……と言うのはある。前の会社メンタルで辞めたとか聞いてたし。

今「今日仕事に来ない」という状況になってみても、「逃げたな!」とは到底思えないので、あいつは何を言ってたんだと考えないでもない。

いや逃げたのかもなあ。生に対して執着無さそうだったし。そういうことを思うくらいには話し込んだ。

でも結局1回も飲みに行けてなかったんだよな。酒が入れば何かもうちょっと強く言えたのか。そんなことないな。

29歳で死ぬとか、やっぱり30前に死にたいなとかそういう意識があったんかな。

最近仕事トラブルあったらしいけど、別に月曜には元気に会社来てたし。

じゃあ月曜の帰り際にどう声をかければよかったのかとか。それこそおこがましいはなしだな。別に本人が納得してるんならそれでいいんだけど。

楽しい奴だった。自分と生まれも育ちも考え方も違うから話していてとてもおもしろかった。

きついなー。youtube見て笑うくらいの元気はあるけど。こんなもんなのかな。そら周りで人死にぐらい出る歳だけどさ。心の準備ができてないとつらい。

自分生き方に影響が出るとか、そんなレベルで付き合ったわけじゃないから。「ありがとう」とかそういう文句は出ない。ただ悲しみしかなくて。

さっきも書いた通りそういうことをしかねないやつだったから、なぜだか分からないということもない。ただ「今かなあ」というわだかまりが残る。

本人がそれでいいんなら、こっちに何を言う権利もない。こちらが勝手に居心地の悪さを抱えているだけなので。追悼する義理も無い。

30手前で死ねたらこんなに楽なことはないかもしれない。

結論出ないな。20過ぎたぐらいの頃には結構希死念慮抱えてたけど、それすら枯れ果てたのかも。

そういう勇気があることを羨んだほうがいいのかも。惰性で老いていくよりよっぽどいい。

こんな状況で明日仕事かよ。幸か不幸か私はまだ生きたいので、仕事行かなきゃいけないか

オチはない。ただ安らかにいてほしい。

2022-10-17

anond:20221017231830

俺は生まれてこの方一度も本気で死にたいと思ったことがなく、むしろ人間だれしもが絶対に死ななきゃいけないって事実絶望してるタイプなんだが、

世の中には生きてるだけで辛い、生きることは苦しみである、本気で死にたい、と思ってる人たちが結構いるっぽいのが不思議なんだよな。

この死生観への根本的な差異ってどこからくるものなんだろうね?

かのブッダも生を苦しみと捉えるタイプだったわけなので割と普遍的価値観ではあるのだろうけど、

かといって人がみな生きることを辛いと思っていたらとっくの昔に人類は滅んでるだろうから、やはりマイナー死生観なんだろうけど。

2022-10-03

安楽死施設って必要じゃね?

ダムから飛び降りた人話題だけどさ

まれたいと言ってないのに無理やり産まされたんだから苦痛なく死ぬ自由ぐらい保障しろよってな

メリット

自殺現場の捜索や処理にリソースを割かなくて済む

巻き込み型の自殺がなくなる

老人が減る

弱者男性女性)が減る(「ハッタショ」とかさ)

いつでも死を選べるという安心感が得られる

デメリット

圧力により死を選ばせる可能性がある←自殺教唆厳罰化すればよい。認知症は遺族のサイン一発で殺せばいい

反出生主義的なことを言うと「なんで死なないの?」とかいバカ一定数居るんだけど、死の直前の苦痛が怖いだけであって苦痛なく眠るように死ねるんならいつでも死ぬわな

首吊り後遺症残ったら飛散だしダムから勇気出して飛び降りるようなこともしなくていいじゃん

そんなことしたら社会が維持できない?

いや、最初からみんなが幸せになる社会を作ればいいよね?なんで社会とか言うものを維持させるために各個体が苦しまなきゃあかんねんアホくさ

しろ淘汰が加速して少数精鋭になるんだからいいんじゃないの?

安楽死施設があれば人類死生観とかゴロっと変わると思うよ。そもそも産むべきではないが、どうせ人類は産むわけだから苦痛なき死を選択肢として与えるべきだよね?これぞ究極のリベラルって感じじゃね?知らんけど

2022-09-05

増田♂52歳のナントカ

https://ncode.syosetu.com/n6290ga/

(´・ω・`)「…よかった!この話数では勿体ないくらいの起伏が詰め込んであって。しかし結局、現実は色んな死生観が雑多に混ざってるのが社会なんだよなぁ、とおもいました」

2022-08-21

ブクマカ介護職のことなーーーーーんにも考えてないよね(主語

エンデミックに至る過程で予想される大量の高齢者の死 今が未来を変えるラストチャンスブコメの話

ssig33 これすごいシンプルな話で、老人ホームの人は治療せずに死んでもらうというルールにすればわりとどうにかなるし、まあ多分そうなるよね

はああああ~~~~~?????死ぬまでの面倒誰が見ると思ってんの?????家族介護職だよ!!!!!!!!!!!!!!!!!

いや、面倒見るとか言ってごめんね。だけどこれはほんとうのことで、いまはコロナにかかったくらいで入院できないから、各種特別養護老人ホームとかグループホームとかの施設に入居してるお年寄り施設でそのまま面倒見てくださいとなってるんよ。

介護職が全員防護服つけてマスクつけてヘアキャップつけて靴にもビニールつけて、認知症のお年寄りに「なんでそんな格好してるの?私は病気じゃないんだから失礼!」とかときどき言われつつ、麻痺あるお年寄りには噛まれつつ部屋から出られないみなさんにごはん運んだりトイレに行くたびに消毒したりしてるよ。

記事でも「エンデミック化した時の介護現場がどうなるだろうと想像してみて下さい。コンスタントクラスターが発生するでしょうし、その機会に利用者の人たちにお迎えが来てしまうでしょう。そういうことを繰り返さざるを得ない社会が来ます。」って受け入れるよう書かれてるけど介護現場クラスター発生したらお年寄りだけじゃなくスタッフ普通に感染するからね。

これ以上高齢者福祉施設負担かけるなら人数増やす給料上げるか両方してくれ。ただでさえコロナ対策は体力的に厳しいからいろんな施設職員もひとりずつコロナにかかって現場崩壊してるんだ。いろいろ勘弁してくれ。

あと自宅でコロナにかかったお年寄りの面倒見るのはなおさら無理があると思う。スタッフはまだローテーションできるけど家族はできないから体力的にも時間的にも更にきつそう。


sirotar 知り合いの子供とかさぁ。小学校入学からず~~っと給食時間に一切の会話禁止なのよ。70や80の老人を生かす為に、1桁年齢の子供の未来を踏みにじるのは正直言って業腹よ。

yunoka0314 コロナ以前も人間は不死じゃなかったんだよね。個人的意見では年寄り最後の数年のために大学生以下の数年を犠牲しろとは言えないかな。重みが違いすぎる。

manjirou99 もう高齢者は諦めてくれ。高齢者の人は田舎の家に引きこもっておれ。他の人は普通に活動しなさい。これは自然現象一種、生きるも死ぬも定めよ。戦争経験してない世代高齢者は何の死生観も無く長生きしすぎ。

施設に入居してるお年寄りそもそもコロナはじまったこから全然外に出られてないよ。

感染者数増えるたびに外出制限されて、面会も制限されて、悪いと美容師さん、マッサージ師さんなんかは外から来てくれてるので感染者数増えると外の人間との接触を減らすために美容ヘアカット)もマッサージも停止になる。ついでに往診も電話になる。やってらんねー。

認知症のお年寄りが「なんにも悪いことしてないのに閉じ込められてる」って毎日怒って泣くのも無理ないよ。

子供我慢してるってだけの話ではない。我慢は全員してるんだからその状況を国よなんとかしてくれ。

全員が我慢してるから我慢しろって言いたいわけじゃないんだ。ただお年寄りのせいで子供我慢させられてるって論調は違うと思うんだ。

2022-08-15

共感にあらがえ - 内田樹の研究室を読んで

これは、いろいろと考えさせられるいい文章だと思った。永井陽右という青年を振り回すかのように語る内田樹。こういうマウントは嫌いじゃない。

ただ、内田が、

感情の器」って、あくまでも個人的身体条件のようなものから

というとき、何か逃げた回答のような印象を受けた。

たとえそれが自分の中から湧き出す内発的なものだとしても、大昔にアダム・スミス道徳感情論で追求したように、何かのテコで共鳴し、社会規範構成するに至るメカニズムが何かしらあるんだろうと俺には思えてならない。

そういう感覚を身に着けるのにどうすればいいかと問うた永井氏に、家風だとか、弟子入りだとか、そんな表現内田氏がするのは、けむに巻いているようにしか思えなかった。

家風にしても弟子入りにしても、そのつながり方が、社会規範にむすびつくメカニズムがあるはずだ。

アレックス・カー20年前に書いた本で『犬と鬼』という著作がある。

おりしも建設省代表される特別会計の闇が浮き彫りになった時代

アメリカの7倍のコンクリートを使って日本山河コンクリートで固めようとしていた、公共事業のあり方に疑問を呈した名著。

その『犬と鬼』のなかでカーは、そんな日本に至った問題を解明するヒントは「徳の逆説」にあるという。

「徳の逆説」というのは、国家も人も同様に、自分たちに最も欠けている資質を最も高く評価する傾向があるという、カーが常々思っている真理を彼なりに名付けたものだ。


A・カーは、フェアプレイ精神といいつつ、七つの海を支配した大英帝国の事例、平等を錦の御旗にしていた共産主義者トップ黒海に豪奢な別荘を保有し、人民実質的農奴と変わらない生活だったというソ連の例などを挙げつつ、最後に、和を貴ぶ日本人がなぜ明治開国後、対外侵略に夢中になったかという精神性に触れてゆく。

「徳の逆説」は、身近なところでも当てはまる。口うるさい親や上司説教ブーメランに思えてならない、という経験は誰もがしているはず。そして気が付くと俺も親父と同じことを子供に、という連鎖

最近、想起するのはやはり旧統一教会家族価値を高らかに謳いあげておきながら、その活動が原因で多くの家族崩壊している、といった、「おまゆう問題崩壊させているがゆえにますます高まる家庭の価値、という悪循環。これもA・カーのいう「徳の逆説」が見事に当てはまる。これは人が自分自身を規律しようとするとき動機付けメカニズムなのだ

内田永井議論テーマひとつである人権平等。あたか普遍的原理についても、

それを概念として具体化して社会が取り込んだ過程を決して忘れてはならない。

アメリカ建国者の一人、トーマスジェファーソン人権宣言を起草した当時、200人以上も奴隷を抱えていた。

これは矛盾というよりも、むしろ奴隷制にどっぷりと漬かっていたからこそ人権宣言が生まれたという「徳の逆説」のメカニズムを見るべきだろう。

どんなに薄汚れた社会であっても、一度高らかに掲げた理想は、その社会を真綿で絞めてゆく。欲望大全開の人民を前提にすると、民主政は成り立つのか。多数決をすれば少数者が圧政に苦しむのではないか、これがマディソン含め、建国者懸念だった。しかし、為政者の徳(アリストクラシー)と、欲望とは別に社会で正しいと思うことに投票する、二重人格的な資質人民に備わっていると信じて建国者デモクラシー設計した。裁判を通じ、繰り返し憲法価値観をテストする、という振り返りをビルトインした設計は本当に優れたものだ。結果として、最高裁が突き付けた奴隷制と財産権矛盾が、南北戦争北軍正当性を決定的にする。

内田議論に戻ると、外付けの人権というテーマと同時に、内発的なものとしての感情の器という、とても重要キーワードを出している。それは他方で外付け実装された人権と、どのような整理ができるのだろうか。

自分でうまく整理がつかなかった。内田はいう。

「人としてどうふるまうべきか」を子どもに刷り込むのは「家風」なんですよ。子どもたちは親の背中を見て、人間としての生き方を学ぶ。それは教科書で教えることじゃない。

これは、親子を中心とした自分史と言い換えられるのではないかと思った。さらにいえば、自分史は必ずしも親は関係いかもしれないのではないか。つまりこれまでの人生、来し方がキーなのでは。

内発的なものと外付けのもの、この二つはやはり、きちんと切り分けて、そして二つが、どうつながってゆくのか。以下、自分なりに整理を試みる。

まず外付けの倫理から。どのように受容されてきたか

舶来の概念というのは明治以来、洪水のように入った。民法など契約法の世界は、ほぼほぼ圧倒されたし、戦後憲法のものアメリカ経験に基づいたものだ。

しかし、日本人権教育は、残念なことに、人権普遍性を論証することに熱を上げてしまって、そもそも誰の内発的な経験がもとになっていたかという成り立ちのメカニズムを忘れた議論が多い。公共の福祉論などをいくら学説定義を整理してきれいに論じても、だから何?の議論だった。

戦後人権を外付け実装してきた日本は、そのルール規範の成り立ちといった背景をもう少し知る必要がある。それは教養として。

現在、旧統一教会問題話題の、国家宗教というテーマにしてもそうだ。

政教分離キーワードとなるのは、恐怖から解放だ。宗教に悩まされ、その扱いに苦慮するのは古今東西課題だ。宗教いかに折り合いをつけた制度設計をするか、古代ローマ時代からずっと抱えてきた。宗教的寛容、これが統治のカギだと気が付いたのはカルタゴ勝利した古代ローマ

そのテーマに対して、新天地アメリカに到着したプロテスタントたちの子孫が18世紀になってメイフラワー号の協約を思い出して試みたのは、旧世界では試みたことのない壮大な社会実験だった。百家争鳴な多様性のなかで社会構成するには、誰が正しいことを言っているのかは誰も断定できない、という前提に立つ必要再確認された。それが言論の自由関係では、20世紀初頭にホームズ裁判官らに代表されるように、自由市場比喩が生まれる背景ともなった。

他方、旧世界フランスでは、唯一の正しさを神に代わって宣言するカトリック教会権威苛烈弾圧が恐怖であった。だから公共空間合理化を徹底し、宗教を一掃する制度設計になった。フランス言論の自由は、その意味カトリック否定する権利が原点となる経験なのだ。だからこそ、フランスでは今でも神を冒涜する言論というのが非常に重要意味をもっていて、先日、仏風刺紙シャルリー編集長が英作家ラシュディ氏襲撃を非難したこと歴史的な背景は深い。

このように、人権というものは、何に対して恐怖してきた歴史があり、生まれてきたものなのか、という原点に思いを致すことが大切だし考えるコツだ。利他性じゃなくね。

それは、実は国によって微妙コンテクストが異なるものであり、普遍的価値として昇華できなくもないけれども、むしろ司法を通じて、原点となった恐怖を大切に思い出す機会が重要で、その社会が、その真理を繰り返し確信し、制度を強化し、再生産する重要な仕組みなのだと思う。逆に言うと、普遍的価値なら、なぜ何千年も克服できなかったか意味を問うというか。

しかし、外付けの倫理として受け取ったものを、思い出すかのように歴史を振り返るのは容易ではない。戦後日本裁判所も含めて。

でも、それこそが日本人権教育に欠如したものだということは個人的には強く思うところだ。


その意味では、外付けではない、外国の借り物ではない、内発的なもの感情の器からみえてくる倫理、これは本当に大きな価値がある。

内発的なものを自省するうえで、もっとも大切なのは自分の国や自分家族自分自身の歴史だと俺は思う。

自分自分先祖が痛い目にあってきた経験、あるいは他者を痛めにあわせてきた経験というのは、その人固有のものであって、その自分史や国の歴史を忘れてしまうと、あとは外付けの倫理けが残る。国レベルで言えば、それは端的に明治以降の日本アジア欧米との対外関係であり、開国以降、アメリカに敗北するまでの戦争に明け暮れた体験に他ならないし、国家神道によって死生観まで国に洗脳されかけた手痛い経験だ。

歴史というと大げさだが、要するに「自分たちに最も欠けている資質を最も高く評価する」、おまゆう精神自覚することだ。これは教養として学ぶというよりも、もう少し内省的なものだと思う。

自分理想とするもの現実とのギャップを振り返る作業といってもいい。

自分に欠けている部分、そこにこそ追い求めている何か理想的な姿の反転がある、という振り返り。

ネイションとしていえば、戦争体験の振り返りが重要キーになるし、国家宗教というのは、国家神道と戦争という経験で痛い目をみているのであり、ある意味、輸入された欧米経験教養として追体験するだけではなく、日本人が原体験としてもっていた大切な教訓。愛媛県靖国神社玉串料訴訟(1997年)の最高裁判決行政戦没者の遺族の援護行政のために靖国神社などに対し玉串料支出したこと違憲とした歴史的判決で、戦争経験がしっかり振り返えられた、という点で、司法仕事としてとても大きなものを残したと思う。建国精神を振り返るのが裁判所の仕事の一つだと思う。

しかし、戦後77年。戦争体験が風化するなかで、「あの時代を生き抜いた」という共通体験共通項として持っていたものがどんどん失われているのが今の時代

50年前の高度成長期だったら、戦争で死んだ部下を思い出しながら、仕事にまい進し、酒場で同期の仲間と語り合う、とか、厳粛に生きるための厳粛な死が記憶としてあった。

「あの頃は」という共通過去で人はつながることができた。それが内発的なものとして60年安保闘争を支え、水俣闘争があった。外付けの倫理ではない、思い出としての切実さの空気の共有があった。

まり、舶来の外付けの価値観と内発的な器は、その頃はわりと調和していた、といえるのだ。

それが、失われ、外付けの価値観だけがカラカラと空回りし始めているのが今の時代の特徴で、失われつつある寛容性の正体なのだろう。

永井氏はそんな時代に生まれ育った。彼は対談のなかで、大学時代

「そうかそうか、人権というものがあるのか、みんな賛同してるし普遍性高いじゃん」となりました。

と、外付けの人権から始まったと語っているが、外付けのものにも普遍性のみに着目し、それが生まれてきたプロセスを振り返らない、人権教育の失敗が見て取れる。

また、日本憲法に組み込まれ歴史への反省(前文含め)も記憶の風化とともに、個々人の内省が、時代への共鳴という形で、共感を醸成しなくなってしまっている。

高度成長期に「あの頃」といえば戦争時代だった。

それはかろうじて80年代までは存在していた。「おしん」が異例の1年間の朝ドラで始まってしばらくすると、

視聴者からは、おしん私自身そのものです、という声が橋田壽賀子のもとに多数届いたという。

しかし、時代は変わって、平成から令和になって「あの頃」といえば、昭和の末期なのだ

しかもそれをノスタルジックに思い出す、三丁目の夕日的な振り返りだった。さらには、あさま山荘であり、学歴社会バイクを盗んで走る尾崎豊であり、バブルの思い出なのだ。それは、その遺産に苦しんだ次の世代にとっては共感を呼びにくいものであるし、自分たちの社会の重圧と、戦争記憶との関連が薄まった。当然、日本憲法リアリティが失われ、右派から改憲論議が盛り上がってくるのは必然的なことだった。そんななか、統一教会が国の内部を白アリのように巣くって愕然とした先月から今月にかけての出来事というのは、忘れかけた宗教国家の結びつきの恐ろしさを、突如呼び覚まされるものだったに違いない。

しかし、いずれにしても過去記憶憲法規範が直接に結び付かない、その世代経験、そこに、永井紛争国の辺境の地を自分テーマに選んだヒントがあるように思えてならない。

紛争リアルがそこにある。そこに普遍的価値として大学生ときに知った人権、そして憲法価値を、自分なりの振り返りとして再確認する、動機付けがあったようにも思う。

しかし、たとえ社会の人々と共有されないものであったとしても、ひとは自分史のなかで、どうふるまうべきかを動機付けられる。

永井氏が、内田氏との対話のなかで

私は逆に、子どもの頃はよく母親に殴られたり色々と物を捨てられたりされていて、そのときに「この家では力を持った奴は殴ったり物を捨てたりしていいんだな」と思ってしまったんです。そして中学生になって殴られたときに「よく見たら小さいし別に喧嘩が強いわけでもないな」ということに気が付きまして。それでそこから自分母親のことを殴りまくるようになりました。ひどい時はアザだらけでしたよね。父親単身赴任でしたし。

といったときに、内田はそこにしっかりと気が付くべきだったと思う。

全然人権派じゃないね(笑)。」と返した内田に若干物足りなさを感じたのは、まさにそこだ。

動機付けられるものが、必ずしも、家風であったり、模範的ロールモデルとは限らないのだ。

この体験辺境の地での人権探し、自分探しは、多分無関係ではない。


ともあれアレックス・カー面白い

読んだのは20年前だが、年齢を重ねれば重ねるほど、彼のいう、逆徳精神の考え方が真理に思えてくる。

A clue to the problem may be found in what I call the theory of Opposite Virtues. Nations, like people in this respect, may pride themselves most highly on the quality they most lack. Hence “fair play” is a golden virtue in Great Britain, the country that attacked and subjugated half the globe. “Equality” was the banner of Soviet Russia, where commissars owned lavish dachas on the Black Sea and the proletariat lived no better than serfs. The United States prides itself on its high “moral standard,” while perpetuating racial and moral double standards. And then there is l’amour in France, a nation of cold-blooded rationalists. Or Canadians priding themselves most on being so distinctively “Canadian.” In Japan we must look at the time-honored ideal of Wa, “peace.” Wa means security, stability, everything in its proper place, “knowing what is enough.”Yet a persistent irony of Japanese history since 1868 is that for all the emphasis on peace and harmony, they are exactly the virtues that Japan did not pursue. At the end of the nineteenth century, rather than settling back to enjoy its new prosperity, Japan embarked on a campaign to conquer and colonize its neighbors. By the 1930s, it had already acquired a tremendous empire in East Asia; this inability to stop led to its suicidal attack on the U.S. base at Pearl Harbor, as a result of which it lost everything. Something similar is happening again. Perhaps Japan values Wa so highly for the very reason that it has such a strong tendency toward imbalance and uncontrollable extremes.

Dogs and Demons, 2002, A

2022-07-23

大切なのは自由人権

新型コロナウイルス感染症に関する忽那賢志医師記事を読んだ。

私自身は「社会機能を維持するためには高齢者や基礎疾患のある人はコロナで死んでも仕方ない」という考えよりも「周りの誰かを守るために自身の行動は一時的に多少制限されても仕方ない」という立場にありますが、どちらが正しいというものではなく、日本人国民性死生観が問われるところかと思います

新型コロナ 日本は行動制限なしで第7波を乗り越えられるのか(忽那賢志) - 個人 - Yahoo!ニュース

忽那氏は「社会機能の維持」と「周りの誰か」を天秤にかけているようだが、それは的を外していると思う。重要なのは人間自由権利だ。

クマに襲われて人が死ぬ活断層が動いて人が死ぬ台風が直撃して人が死ぬ――これは悲劇だが、人間が直接的に責任を負うわけではない。人間意志はどこにも介在しておらず、不幸な出来事と呼ぶしかない。そして、感染症で人が死ぬのもこれと同じだ。直接的に人間責任はない。

一方で、人びとの行動の自由制限することは、人間人間自由権利を直接的に奪うことだ。クマ活断層台風による死と違って、こちらは人間の手による悪行であり、人間責任が発生する。

私たちは、まず人間による悪行を防ぎ、次に自然災害対処すべきだ。したがって、新型コロナウイルス感染症理由にした行動制限はすべきではない。なぜならそれは人の手による、人に責任がある人権侵害からだ。自然災害人智の及ばぬ領域にあり、起きてしまっても仕方ないが、人間意志による悪行は人間によって阻止することができる。私たちはまず人の手による人権侵害と立ち向かうべきである。そのうえで自然災害対峙しよう。行動制限という人権侵害はいらない。コロナ対策私たち一人ひとりの自由権を脅かさな範囲でのみ行われるべきだ。

2022-07-10

結局宗教じゃん

俺ずっと思ってたんだけど、

人って結局宗教で動いてるじゃんって思うわ。

宗教っていっても、特定宗教だけじゃなくて、

死生観とかそういうものも含めてさ。

それを元に人って動いてるよな。

日本人はみんなそうだよ。

私は無宗教って言ってる人だって

なんだかんだ言って神やら仏をどこかで信じてるしさ(そうでないと初詣葬式とかしないだろ?)。

今回の安倍元総理の件も、結局宗教が原因で起こってる。

犯人は、文春によると、母親宗教団体とは対立する分派にいたらしい。

そして、宗教に絡んだ恨みによって安倍元総理を狙った。

まり原因は宗教だよね。

からさ、科学だとか民主主義だとかいっても、

結局最終的には宗教の話なんだよ。

理性的でない、非理論的なもので人は動いてんだ。

人を動かしてるのも宗教

問題本質宗教

から、俺が思うに

日本世界が良くなるにはさ、

宗教をやめるなり一つにするなりしなきゃダメなんだよ。

いや、「それはない。信仰自由だ」と思うだろ?

でも原因が宗教なんだからさ、宗教からなんとかしなきゃいけなくない?

問題の根源から変えていかないと、ずっとこのままじゃない?

建物のこと考える前にまず土台をしっかりしなきゃ。

けれどそれが難しい。難しすぎる。

宗教って現代科学でもどうしようもない部分なんだよ。

神がいるかとか、死んだらどうなるのか、人はなぜ生まれて生きるのかとか、

科学では答えが出せないんだよ。

もしくは出せたとしても、無機質で虚しい結論になるんだよ。

から結局、宗教に頼ることになる。

でもその宗教主観的ものから、人によってバラバラになってしまう。

から争いはずっと続くんだよ。ずっと。

客観的に「なぜ人は生まれて生きるのか」とか「死んだらどうなるか」とか

そういうのを証明しないうちは、どうしようもない。

2022-07-01

劇場版ゆるキャンはおもんない大人を描いたおもんない映画だった

あーあ。

俺はさ、ゆるキャンが大好きなんだわ。アニメ化する前からいかけてきて。ゆるキャンのためだけに芳文社マンガしか読めないアプリに月数百円払って。お前らの誰よりもゆるキャンが好きなんだわ。でも今回の映画マジで最悪だった。

ぶっちゃけさ、映画をやるって聞いたときは嬉しかったけど、「映画大人になったなでしこ達を描きます」って発表があったときはモヤっとしたよね。お前らもそうだろ?

原作差し置いて何未来の話描こうとしてんの?って

大人になったなでしこ達なんて見たくないんだが?って

でも考え直した結果さ、すばらしい出来のアニメを作ったスタッフなんだから良いものを作るはずだろう、って思うようになったのよ。

大人になったなでしこ達なんて見たくないけど、このスタッフなら大丈夫だろうと思った。

原作差し置いて大人になったなでしこ達登場させてでも描きたいものがあるんだろうなって思った。それはさぞ素晴らしいものなんだろうって思った。

から楽しみな気持ち100%で見に行ったんだわ。

でもダメだったわ。有給を取ってワクワクしながら上映初日に見に行ったけどクソつまらなかった。

なでしこ達が大人になってるからキレてるんじゃない。単純に1本の映画としてクソつまらなかった。ゆるキャンからどうという話ではなく1本の映画としてダメだった。

ここから先はネタバレから注意してくれ。正直俺はゆるキャンが大好きだから、お前らみたいなゆるキャンが大して好きでもなんでも無いカスどもに俺の怒りを消費されるのは我慢ならないんだが、それでも否定的感想を書かずにはいられなかったわ。

致命的なのがキャンプ場のテーマの「再生」。これがまったくダメだった。

初めに「再生」をコンセプトにすると言い出した理由って、古いドラム缶撤去するのに金かかりそうだからとか、鳥かごがなんとなく素敵だからとか、その程度の理由じゃん。浅すぎる。鳥かごはコンセプトとか関係なく普通に残して、ドラム缶は県から予算引っ張ってきて撤去しろよ。

なんとなくコンセプトが必要な気がしたから「再生」に決めただけで、再生をコンセプトにする動機が何も無い。

ドラム缶撤去するのが金かかりそうだから」って理由も悲しすぎる。なんて貧乏なんだ。大垣さあ、県主導のプロジェクトならそのくらいの予算は引っ張ってこいよ。お前にはそのくらいお茶の子さいさいだろ?

百歩譲って労働力ボランティアに頼っていることにやりがい搾取っぽさを感じるのはいいとしても、ドラム缶くらい税金撤去しろよ。錆びたドラム缶をそのまま残して誰が喜ぶんだ?ドラム缶じゃなくて例えばナショナル看板ブリキ人形ならレトロで風情があっていいねとなるかもしれないが、朽ちたドラム缶が置いてあっても誰も良い気持ちにはなンないんだわ。貧乏で寂しくて悲しい話だ。

せめてさ。せめて「私はリンちゃんからキャンプの楽しさを教えてもらった。その私が下の世代キャンプの楽しさを教える。これって"再生"だよね。だから再生ってすばらしいんだ。ボロいだけにしか見えない朽ちたドラム缶にも中古遊具にも誰かの思いが詰まっているから私は大好きで、リンちゃんがやってくれたように、私はドラム缶遊具も全部再生したいんだ」って展開にできなかったの?

こういうセリフがあれば納得感が出るんだけど、無いよね。無いから「ドラム缶邪魔!せや、再生ってことにして撤去費用浮かそ!」ってやってるようにしか見えねンだわ。

縄文時代遺跡を「再生」するのもおもんなかった。それ土器が出ちゃってキャンプ場を作れない流れになっちゃったからしょうがなく、妥協案として、本当は縄文なんてあってもなくてもどっちでもいいけどしかたなくキャンプ場のコンセプトに入れたんでしょ?大垣たち自身縄文文化に興味を持っているわけではないし(リンだけは後々興味を持つけど)、アニメスタッフ縄文文化に一切の興味を持っていないよね?

俺も別に縄文時代に興味は無いけど、縄文時代暮らしって、ちゃんと調べれば絶対面白いはずじゃん。狩猟採集をしていた縄文人は、小麦奴隷になってしまった俺らと違って、豊かな信仰ユニーク世界観を持っていたはずだろ?その文化は今の日本人に少なからぬ影響を与えているはずだろ?月の満ち欠けや季節の変化に"再生"を感じて、生まれては死んでいく自分たち人間死生観共通点見出していたはずだろ?縄文人は小麦以外のおいしいものも不味いものも食べていたし、信じられないくらい遠くの人間交易をしていたかもしれないし、俺にはわからない芸術性を土器見出していたはずだし、独自言葉を持っていたはずだし、歌もあったし踊りもあったはずだろ?

ゆるキャン映画で描かれる縄文はただの舞台装置しか見えないんだわ。

最後に完成したキャンプ場で、みんなでキャンプをするシーンさ。縄文関係描写ほとんど無かったよね?本当に悲しいラストシーンだったわ。縄文をコンセプトにしたキャンプ場を作った彼女たちはそもそもほとんど縄文時代に興味がないし、縄文キーワードアニメを作るアニメスタッフもおそらく縄文時代ほとんど興味がない。だから完成したキャンプ場にも縄文ほとんど登場しない。

ただただ「工事を始めると土器が発掘されて工事まりがち」というあるあるネタを登場させて笑いを誘うための噛ませ犬として、そしてリンたちに立ちはだかる障壁として土器が登場する。悲しい使い方だ。おもんある大人絶対縄文をそんなふうには扱わない。俺はおもんない大人から縄文に興味は無いけど、おもんある大人縄文を決して軽んじないだろう。

一番センスが無くてびっくりしたのは「富士川松ぼっくりキャンプ場」とかい名前

いや再生どこ行ったの!?!?!????!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!??????

コンセプトが"再生"なんだからキャンプ場の名前にもそれっぽいワードを入れないとダメでしょ。意味わからん。なんで松ぼっくり

かにゆるキャンには松ぼっくりが頻繁に出てくるけど、リンって別に松ぼっくり特別好きなわけじゃないよね?火種として優秀だからゆるキャンにはよく登場するけど、リン別に松ぼっくりにそこまでの思い入れは無いじゃん。富士川松ぼっくりキャンプ場のそこらじゅうが松ぼっくりだらけなわけでもない。少しくらい松ぼっくりは落ちているけど、松ぼっくりを推すほど松が生えているわけではない。

キャンプ場の名前に「松ぼっくり」って入れる意味が本当にわからなかった。マジでセンス無いと思う。原作で何度も出てくる松ぼっくりってワードを入れときゃ喜ぶだろ、という陳腐ファンサービスしかない。リン性格や心情をなにも考えていない。

あれもキツかったわ。ちくわ土器の破片を掘ってくる展開。ちくわ土器の破片を拾ってくるのはまあいいんだけどさ。その後千明が「ちくわが拾った破片について一応上司に報告したんだけど・・・」とか言い出したところで引いちゃった。

いやいやいや!

大垣千明、お前、なに報連相してんの?????????

お前はそういうキャラじゃないだろ?ちくわ土器の破片を拾ってきたら、「土器埋まってそうだな!私たちで掘り起こそうぜ!」って言ってシャベルでそこらを掘りまくるタイプだろ???そういう破天荒なところってお前の欠点ではあるけど、いいところでもあるだろ。なに報連相してんの?確かに報連相社会人常識だけど、大垣、お前は常識にとらわれる女じゃないだろ。大垣、お前は報連相のできる立派なオトナになったけど、同時につまんない大人なっちまった

別に報連相するなと言ってるんじゃないんだよ。してもいい。してもいいけど、土器調査他人に丸投げすんなよ。お前の知的好奇心はそんなもんなのか?自分で調べよう、自分で掘ろうとは思わないのか?筋を通すのは別にいいんだよ。ただ筋を通すこととおもんある大人であることは両立するだろ?もし土器ザクザク出てきたらそれ以降は専門家に任せるべきだけど、最初くらいは自分で掘ろうよ。DIYを描いたアニメでありながら、そういう"自分でやってみる精神"が欠如しているのもこの映画のつまらなさの原因だったわ。鉄腕DASHを見てるとワクワクするのにゆキャンキャンプ場づくりには何一つワクワクがなかった。土器調査草刈り技術も、どれも自分で調べずに他人に任せきりだったからだ。いや、実際はいろいろ調べているのかもしれないが、その過程描写されていない。たとえばなでしこパワーショベル免許を取ってくる展開は良かったが、免許を取るまでの過程は一切描写されない。DASH村だったら教習所TOKIOパワーショベル操作に苦戦しながら徐々に上手くなっていく描写絶対入るだろ?DIYは結果ではなく過程楽しいのに、この映画過程を描かない。

大垣に限らずみんなつまらない大人になってしまった。俺はそんな彼女たちを見たくなかった。近所の人に言われるがまま草刈りをする斎藤(お前は泥臭い作業なんて1秒もせずにググって良い草刈り機を見つけてポチるタイプだろ?)、ドラム缶再利用しようとか言い出す犬山(捨てろよ)、ソロキャンにあまり行かなくなったリン(毎週行け)。どれもこれも見たくなかった。みんなつまらない大人になってしまった。

高校生の頃よりもおもしろ大人になっていたのはなでしこだけだ。なでしこアウトドアショップ店員が似合いすぎる。大人になったなでしこ独自スタイル接客をしているシーンは大好きだし、ジムニーを買ってアウトドア好きに拍車がかかっているのも良い。登場人物の中でおもしろ大人になったのはただなでしこ一人だ。さすがはキャプギアメーカーCEOになる女だ。なでしこ、お前は面白い。残りは全員クソつまんない大人になってしまった。

しか彼女たちは責任を果たす。報連相をするし筋を通すしちゃん書類を回すし法律を守るし上司の言うことに逆らわないしセンパイ迷惑をかけない。でもそんなのは俺でもできることだ。それなりの社会人なら誰だってやっていることで、そこの描写面白みはない。立派になったなあ、オトナになったなあ、とは思うかもしれないが、その立派さを得るために彼女たちは何かを犠牲にしている。

ああ、本当に彼女たちはおもんないオトナになってしまった。おもんないオトナを描いたおもんない映画だった。それでもゆるキャンは好きだから映画のことは忘れてこれから芳文社マンガしか読めないアプリに月数百円払おうと思う。俺が一番おもんない大人なんだ。

2022-06-19

anond:20220619041725

死生観って大事だよな。

大抵の人は、死んだら終わりでただ一回の人生と思って生きてるんだろうけど、

もし生が持続するなら、そんな生き方間違ってるしなぁ。

早く科学的に解明されてほしい。

俺は死んでも何らかの形で自分意識は続くんじゃないかと思ってる。

どんな形かは分からないけどさ。

そうでないと、親ガチャとか国ガチャとかの理不尽さを受け入れられないよな。

前でなんかあったから今の生があるって思えば、納得はいくし。

今の生も、次の生に繋がるような生き方をしてるつもり。

でも死んだら終わりのパターンもあるから、ある程度この世の楽しみも享受してる。

死んだらおわりでも、続くパターンでも、どう転んでもいいような生き方にしてる。

からあんまり死ぬことは怖くないんだよなぁ。

つくづく俺は変な奴だと思う。

2022-05-21

中絶規制反対派だけど規制派の気持ちも分かるよ

俺は、女性人権、性暴力による妊娠胎児権利、命の定義、産んだ側のその後、産まれた側のその後……、様々な論理的問題限界点として中絶という制度は許容されるべきという考えなので中絶規制には反対だけど、中絶が許されるべきでないという価値観の人がいるというのは分からないわけではない。

命の定義は各国の法律文化圏における死生観によって変わってくるけれど、それでも中絶が"広義の命"を殺していることには変わりないわけで、それを許されないと考える人がいるのは自然なことだと思うし、そういう考えも正義の一つの形だと思っている。

から自分と同じ中絶規制反対派でも中絶規制派を悪魔や異常者のように扱う人達気持ちは分からないし、正直、そういう人たちの方が中絶規制派よりよっぽど恐ろしく感じる。

まあ、強姦されて妊娠させられる可能性が現実にある女性立場からしたら自己人生の救済としての中絶禁止しようとしている規制派に怒りを向けるのは正統な感情だと思うけど、ただそれは正義立場から悪に向ける怒りではなく、対立する他者権利正義を踏み潰してでも自分人生を守らなくちゃいけないんだという生存競争の中での怒りであるべきだと思う。

2022-05-07

道で信長を拾ったんだけど

こいつすげーチッコイんだな。150センチくらいしかない。16歳くらいか

なんか初手で名乗りながら刀振り回してイキってきてビビったけどバイクで突進した後腹パンで一発やったわ。

いまは落ち着いてきたのでローズネットクッキー食わしてやったら笑顔になってきたわ。

食器にうるさそうだったけどミッキーのコップでガマンしてもらってる。

音楽はニジューとかよりAdoとかのほうが好きみたいだな。


追記

思いのほかトラバブクマあつまったな。信長も喜んでるわ。みんなサンキュー

あれから時空警察とか区役所相談してとりあえず市営住宅学校の手配が決まるまではうちで預かることになったんだが、

親はうちの養子になるかみたいなことを言ってる。本人もまんざらでもなさそうって感じ。

ケンカで負けたからワイの舎弟になってもいいとまで言ってるがどうもワイの妹のことが好きっぽい感じがするからなんか複雑ですわ。

そういえばTV見てたらIKKOのことを一向宗勘違いしてどんだけ~って言いながら突撃するのかって言って怯えてたわ。

あとエビフライエビフリヤって言うのは何回言ってもなおらないからもうあきらめた。


追記

実在信長の子孫の人についての記述をしてたんだけど、さきほど我が家タイムスクープハンターの人が来て注意されたから消した。

本人と遭遇したりして万が一半透明とかになられても困るからな。

でもYouTubeとか見ても特に半透明になったりしてないみたいだからたぶん信長はゆくゆくはもとの時代に戻っていくことになると思う。

向こうの時代に戻ってもあまり危ないことせず健康に過ごしてほしいわ。


追記

信長を見てて思うのはこいつメチャクチャ頭いいなってこと。微分積分のこと教えたら目の色変えて勉強しだしたからな。あとは化学も。

いったい何を考えてるのかわかんないけど、ワイにはこんなのが何の役にたつのサッパリからすごいよな。

信長過去に戻すために協力してくれてる義太夫教授って人も感心してた。

ブコメタイムパラドックスについての指摘があるけど、義太夫先生いわく現代科学ではあまりよくわかってないみたい。

過去に飛ぶのはすごく厳しいいろんな条件がいるらしいんだ。

みんなもよく知ってるかもしれないけど、時間を止めることは割と簡単みたいなんだけどなぁ。


追記

「帰したら光秀を粛正するかも」ってブコメがあるけど、歴史についてはいずれバレるだろってことで、内心怖かったけど教えたんよ。

信長のやつ、割と淡々と聞いてたんだよな。

「このあとほぼ天下統一するんやで!」って逆にこっちのほうが興奮しながら説明したんだけど「まぁ当然だぎゃー」みたいな感じ。

くぅーカッコイイやないかい。

もちろん本能寺で光秀に殺されるかもしれないってことも教えたけど、

「今の時代日本史教科書にそう書いてるんだから、どんなに気を付けても殺されるのは決まってるだろ」

みたいに淡々説明されて、アホなん?みたいな扱いされたぞ。やっぱ死生観とかだいぶ違うんやなって思った。

そのへんは義太夫先生にも色々教わったみたいやね。

『実は本当は信長は別の何物かによって殺されてて、未来に行ってそれを知ったことにより過去に戻った後はその原因を排除したけど、

今度は光秀という別の要因が出てきて結局は殺される。俺たちの歴史はそうやって変わってしまった後の歴史から光秀に殺されたこしかからない。』みたいな。

光秀がなんだか不自然な感じでいきなり謀反を起こしたように思えるのも、そのへんの歴史復元力?みたいなものの影響なのかもしれないな。

もっと詳しい話もしてたんだが、義太夫先生の話はおれも横で聞いてるんだけど正直難しすぎてあんまわかんないのでこんくらいで勘弁してくれ。

そういえば義太夫先生過去に戻る話をしたあといつも「まぁ、時計台ジゴワット必要ないわけなんですね、ハイ」みたいなこと言ってニヤってするんだよな。

何のネタかわかんないかスルーしてるわ。


追記

好きなゲームについてのブコメがあったけど、やっぱ信長の野望とかハマると思うやん?全くそんなことないんだなコレが。

あれから学校にも行きはじめて友達もできて、みんなでフォーナイト?とかばっかりやってるみたいだな。ちなシムシティしかやらん俺は秒で戦力外にされたで。

あと将棋はもともと知ってるから当然強い。藤井くんとかの棋譜も見たら喜びそうと思って見せたんだけど、チラ見した段階で「まぁ儂が楽勝だぎゃ」とか言ってんの。まぁ強がりやろな。

スマホも当然持たせてて、グループLINEとかで手下?に勉強教えてあげたりしてるみたいやな。indeedで募兵しそうになったのは止めたけどな。

2022-03-19

anond:20220319130151

プーさん拍手喝采しているロシア人のおばちゃん

ロシア人から爆撃受けて家族は死に自分も片腕を失ったウクライナ少女の姿を見せてあげたいな


だけどロシア人死生観先進国根本から異なっていて

死の恐怖感覚が薄いと聞いたことがある

あらー私は両腕揃ってるからちゃん拍手できるわよ」なんて返されちゃうかな

2022-02-14

anond:20220214234742

日本倫理観つーか死生観の現状的にフランス(国違うかも)みたいな「老いたら死ぬだけ」みたいなのは受け入れ難いんやないかなー

現場の肌感だが、当事者が死にたくても家族が死んでほしくなくて家族高齢者なのに働いて施設に入れてる、みたいなのはあるよ

まあそれすら出来なくなるのかもね

2022-02-02

はぁ…

仕事も辞めたいのは最近変わらないが。

辛さは増えて実入りが悪いのが加速してる。

過去に様々あって死生観バグってるのもあり、わりと簡単に「そんなに辛いことをしてまで生きていたくはない」の段階にいくのがハードル低いので、気を付けないとなぁ…

2022-01-29

20歳越えて、病気になって自ら食べなくなった猫に対して猫が苦しもうが吐こうが必死になってシリンジで強制給餌続ける飼い主、結構観測できるので、母親90越えたら大往生胃ろうは苦しみしかないのでやるだけ無駄、生まれてきた以上人の死亡率は100%とは言っても割りきれないこともあるのが共に暮らすってことなんじゃないのかな

誤りさえなけりゃ命は死なないとでも思ってそうな彼等彼女らの死生観ちょっとおかしいよなとは思うけど、家族でもなければ知り合いですらなく実情なんてちっともわからんのに、Twitterやらで親の年金目当てって全世界に向けて自分の考えおっぴろげちゃう人達言葉の引き金の軽さもたいがいですね~ってなっちゃうな

そこは亡くなったかたを悼んだり隙自語するくらいにしとけばいいのにな

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