はてなキーワード: 馬頭とは
どうも自作の銃は、2発装填しかできない「一発必中」タイプだったようだ。
一発目の派手な空砲で振り向かせ、ミスしたとしても2発目で振り返ったところを仕留める、という、
宗教団体への私怨、といった情報錯誤で混乱させるところも訓練で織り込み済みなのだろう。
1発目で肩をすくめ、あたかも他人事のように緩慢に振り向いて硬直している。
レーガン氏の暗殺未遂事件では、後ろに配備していたSPが1秒以内に車に押し込んでいる。
https://www.youtube.com/watch?v=31Q52_rc2IA
もしSPもしくは県警が同じように動いていたら、確実に救われた命である。
18歳の目撃証言者によれば、3~4秒の間に犯人は間合いを詰めて、致命の2発目を撃ったようである。
その3~4秒というのは、SPが命を張って元首相に飛びつくのに十分な時間であると思う。
2007年以降、同様のテロ事件が起きていない平和な日本で銃撃など起きるわけがない、
テロリズムに付け入る隙を与えた、恥ずべき職務怠慢であるとしかいえない。
先日の尼崎USBメモリ紛失事件も、20年に渡って多重委託が行われており、
結果として重大事故となった。
連日の企業へのサイバー攻撃もそうだが、本当に日本の国防意識の甘さを露呈してしまった。
しかし、曲がりなりにも彼らはSP、シークレットサービスなのだから、
弾丸の音に首をすくめて、のそっと突っ立っていた事実は、まったく言い訳ができない。
ただ要人の横に立ってにらみを利かせていれば良い仕事と思われていたのではないだろうか?
かつて明治維新直前の日本は、欧米の外国人商人や政府関係者が多数来日していた。
「我々のもつ短銃は、サムライの日本刀・居合術の前には無効である」
ということもよく知れ渡っていた。
中距離から一瞬で間合いを詰めて致命の一撃を食らわす日本刀は、非常に恐れられていた。
またそれは武士階級の持つプライドとセットであり、常に死と隣り合わせの緊張感を持っている、
中にはそういう知識がなく、日本刀と居合術を軽視して、斬撃にあって命を落とす外国人もいた。
被害者は蛮勇で挑戦的な性格があったといわれ、大名行列に馬で突っ込んだ。
馬頭を何度もひねって列を乱したため、数秒のうちに2名が切りかかった。
1撃目の袈裟懸け斬りで硬直させ、逃げようとしたところを下方向から顎に向けての深い抜き身の一撃で致命傷を与えた。
ほぼ一瞬の出来事であったろう。
また、92年の金丸氏銃撃事件では、周辺の日本人は、瞬間的に犯人を捕らえるために動けている。
まったく訓練を受けていない議員ですら瞬時に犯人を取り押さえている。
この時期はまだ平和ボケしていない、日本人らしい俊敏な所作ができていたということだろう。
このように、日本人は危機意識さえあれば、極めて統率性の高い武力・俊敏性を本来的に持っている。
今回の問題は、銃社会でない日本において、どう対処すればわからなかった、というのが本音だろう。
しかし、本当に任務意識があれば、首相に飛びつくなり、防弾カバンを投げつけるなり、
いくらでも「動けた」はずである。それを怠った3~4秒で、運命は決まってしまった。
まるでゆったりとした刈り入れ期の終わった農民のような所作で、武士の動作などみじんも感じられない。
偉大な宰相を失わせてしまった罪は大きく、世界に恥を晒し、まったく恥ずべき対応であった。
物理戦闘だけでなく、サイバーセキュリティや経済戦争など、多方面で防御力が問われている。
攻撃は最大の防御ともいうが、そのためには「自衛を想定とした先制攻撃訓練」も必要ではないだろうか。
まさに上に述べた、1人で5人を相手にできる居合術・抜刀術のようなことがそれである。
銃社会でない日本には、銃以外に適した短距離戦技術があるはずである。
それを研究してもらいたい。
馬の守護仏であり近世では馬を使って荷運びをさせていたことから交通安全の神様であらせられる馬頭観音様の御名前からやね
誰もが知りたい情報はその情報を正確に伝達しようとする為に人間同士で直接会話する方が正誤も見極め易くてええんよね、だからそれが遠距離であっても直接正確な情報を届けよう、受け取ろうとするものやねんな
で、その遠距離の道すがらがなるべく安全であることを祈るものなのなんやな
やから現代のインターネットではより正確な情報を安全に手に入れる為に馬頭観音様に祈る地域もあったら面白かったのにね
そういうことであまりにも加速度的に流行った動画や情報は「この情報を得る為に人々が錯綜して大怪我しませんように馬頭観音様に守護していただけますように」という意味で「馬頭する」とか言われておったら笑うよね
ただそうなると『バトウする』が『罵倒する』に言い換えられてしまって「アンチっぽくてやーね(最近の若い奴らは反対意見のことをすぐにアンチ扱いする)」と流行りの言葉を口にする連中はきっとどこかで思う訳で
そんで馬頭観音様の名前の頭の部分を言い換えて「バズ(馬頭)する」と呼ぶようになったんやね
そして今の「バズる」に変わったんやね
まぁ嘘やけどね
どうせなうとかリスケとか言ってた連中によくある『流行りの英語使っていっちょ世界の荒波に乗ったろかい』の名残りやから大したこと気にせんでええで、こんなんむしろ「流行る」でええやんけっておっちゃんも思うで
buzz自体がハエとかの羽音を表現してるもので、転じて騒がしいの意味合いになって、騒ぐからこそ話題になるし、評価になるっていう転じて転じまくってる感じの言葉なんやねんやねんぺ
だから流行った時に「お、話題にな(buzz)った。」って言うんやろうね、おっちゃん若者言葉はようわからんよ。
そんな感じや
適当に嘘ついたら本当っぽくなるの怖いわ〜
とりあえず馬頭観音様堪忍な〜
心配してくれた人達、同じ境遇の人達、リアクションありがとう。
いつもニコニコ愛想よく、仕事も全力で取り組むのが気持ちいいに決まってるし、充実するのはわかっているけど
最近は、いじわるババアみたいに不機嫌そうにダラダラ過ごすのが一番楽という結論に落ち着いた。
なんなら30分で終わる仕事に1日かけて、報告は更に翌日に持ち越す。
調べればわかりそう、技術的にはできそうと思っても「難しそうですね、頑張ってください。知らんけど」で会話終了を心掛けている。
なんかね。
パソコン難しいからわからん→自分がわからない事は簡単なはず→簡単な仕事しかできないから非正規、なのか
ゆみちゃん?あいなちゃん?あー!しのぶちゃんだったか!がっはっは!いやもう、ちゃんって年でもないか?失礼失礼!(笑)と、毎回必ず言って来たり
マイクロソフトへの苦情
買ってきたデバイスやPCの初期設定全部やれ、パソコンの事なんだからそっちの仕事でしょ
気が付いた人がやるルールのコピー機の紙の補充やインクの交換は、気が付いた人が私に言うか、気が付かないフリで待つだけ。
新しく導入したソフトの使い方誰もわからんから簡単な手順書を作れ
電話に出るのは女の仕事、面倒な問合せやクレーム・サポートの対応は電話に出た人間の仕事
テレワーク用ソフトのセキュリティが「絶対大丈夫だよな?な?」と何度も確認してきたり
DXでクソ高いソフト導入したから後は簡単でしょ?よろしく頼むわとか(これは全力で逃げた)
うちは50↑のバブル世代以上が全員こうなので、若い世代も弱者に丸投げ文化が育ちつつある。
人生も終盤を意識する年齢になり、今の働き方を考えてなおしてみた。
そしたら思ったのよ。
今更正社員になれたとしても、家も車も家庭も老後資金も手遅れなので吹っ切れた。
いつも不機嫌そうで遠巻きにされていたお局様は正解だった!
私も面倒なお局様になる!
腫れ物に触るように扱われる!
本当は半裸で踊りながら料理して腹に火傷するような間抜けなのに
職場で身を守るために、世界が敵みたいなしかめっ面で過ごさなければならない。
属人化しないように気を使ってきたけど
もういろいろ作っちゃうし、使える仕様書もマニュアルも残さない。
【以下追記】
私は時給で働いているので。
金・時間・メンタルの全てを満たす職場を探すのは自分の条件では厳しすぎるので、私は時間を選んだ。
なので管理職含めた誰もが貧乏くじを引かないように、ルーチンワークだけを抱えて忙しい顔をしたがる。
誰も部下の仕事や全容を把握しておらず、トラブルも各自の責任で各自が対応する。
課長に頼まれた仕事の進捗を報告にいくと、そっちで勝手に終わらせたらいいのになんで報告にくるの?という顔をされる。
他企業を知ってるからその感覚で頑張ってたら、便利な使い走りとして浮いてしまったのだと思う。
現在最高位のお局様は二人いるので、牛頭と馬頭のような貫禄がある。
敵に回したくない…という共通認識があるから、部長レベルの人が
「彼女に頼むの怖いからな〜(苦笑)」で仕事を逃げる茶番が成立するんだよね。
事務職の女性達とはうまくやって、彼女らの後継者を目指したい。
仕事以外に自分が所属できる小さい趣味の世界を、できるだけたくさん増やそうと思う。
待遇が上がらないならちょっとずつ仕事の質を下げて、その分他に使いたいね。
Microsoftへの苦情について。
Windows Updateへの苦情がすごく多い。
そろそろサポート切れるから次のバージョンのテストしてねって言うとものすごく嫌がられる。
古いOS使ってても増田さんがサポートしてくれたらいいじゃんとか。
個人でサポート無理だし、リスクを説明してもその時は聞いてくれるけど
私の話は「なんかまたギャーギャー騒いでる」受け止め方しかされないので流される。
それと弊社は、仕事としての開発は未経験かつ大学でPython得意でしたみたいな人たちが
様々な言語で独自に作ったツールがたくさん転がっていて、仕様書もコメントもなければ製作者もわからない。
自分の仕事の範囲で使うならいいけど、それを基幹システムに組み込んでしまっている。
なのでOfficeやOS更新とかで動かなくなるとクレームがくるのです。
20年前に作られたVBAとか、かろうじて見つけた仕様書が30年以上前のCOBOLだったり。
それと彼らはDOSやTeraTermの黒い画面こそが一番偉く、その中でも難解なコードは一番偉いと思っているので
画面系は作った事がないしバカにしてるし簡単にできると思っている。
ユーザ-や事務職員用にどうしても画面が必要になったら制作依頼されるが
結局それを使ってデータ入力するのは私の仕事になったり、使われなかったりもする。
これ割とダメージある。悲しい。
馬頭しながらしごいてくれるお姉さんが好きかな
いる、馬頭の人が有名かな
「馬頭」のせいで話が全く頭に入ってこない
しかし、サボった。休みなんだからサボったというのが正しい表現かわからないけど、タスクをこなさなかった。
どっかでしわ寄せが行くかもしれないけど、また、明日上司になんか言われるかもしれないけど、うるせーって話だ。
私が多少仕事が遅いところで、世の中、乱や一揆が起こるわけではない。
あるいは、宇宙だ。木星の衛星ガニメデの運行や、馬頭星雲の界隈では、私が仕事をさぼろうが真面目にやろうが関係ない。
かなりそこから近視眼的になるけれど、たぶんカンボジア辺りの人にとっても、私が休日にちょっと仕事をしようがしまいが大勢に影響はない。
仕事なんてガチガチに真面目にやるもんじゃない。人に迷惑かけるのはもちろん駄目だけど、多少はお互い様。
そして、個人的な感覚では、それくらい気楽にやったほうが、却っていい結果を生む。
野球で肩の力抜いたほうが素直なスイングができて、いい打球を飛ばせる感覚に近い。
がちがちに考えて仕事しないほうがスッと、いい結果を生むことが多い。
だからある種、マジにならないほうがいい部分がある。マジにならないほうが少ないコストでいい結果が出るならば、マジにならないほうが真面目っつーこと。
そして多分、長期的に結果を出すためにも全力ダッシュはしないほうがいい。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
合意したことを免罪符に何でもOKになるなら、どんなものをどんな手段でもOKになってしまう。
どうも「自由」を一方的に、或いは「勝手」と混同しているか魔法の言葉と勘違いしている人が稀にいるが。
もちろん、馬は「自分、好きでやってるんで」というが騙されてはいけない。
“取引そのもの”には本質的に上下関係や優劣関係などはないが、古今東西、双方が対等な関係とは決していえなかった。
現代では、いくらか法で取り締まることもできるようになってきたが、未だ完璧とはいえない状態だね。
学ぶべき教訓はこうだ。
……馬でなければいいか?
構わないが、馬でもないのに人参なんてどうするつもりだ。
人間なら見ればすぐに分かるが、人が食べてどうこうする物ではないぞ、あれは。
連日、例の事件についての詳細な顛末や、それに対する意見がタイムラインを騒がせている。
はっきり言って、目に入れたくない、とすら思う。
彼の孤独を思うと、居たたまれない。
彼だけじゃない。この世界には、今も彼のように、毎日罵声を浴びさせられ、暴力を受け、この世の地獄のような孤独を味わっている人間がいる。
私はまだ良いんですよ。仕事でミスをしておばさん達に嘲笑されたり、こそこそ陰口を言われてるんじゃないかとびくびくしたりしても、甘えられる恋人がいるし、冗談を言い合える友達が(ネットのだけど)いるんですよね。
でも、彼にはそれがいないんです。孤独なんです。誰ひとり助けてくれない。親も先生も周りの人間も助けてくれないし、助けてって言えないんですよね。
どうして助けてって言えないかって、自分が悪いと思ってるからですよ。逃げても良いんだよ、とか君は悪くない、と言われたって、誰より自分が、自分のことを許せないんですよ。
だって許せる訳ないじゃないですか。学生の頃のクラスなんて世界そのものですよ。世界中の全ての人から嫌われたり殴られたり無視されたり罵声を浴びさせられるような自分を、どうやって許せって言うんでしょう。誰にも愛されず、得に良いところも無く、人に嫌われる要素しかない自分を、どうやって許せって言うんでしょう。そんな風に自分が嫌われる存在であるってことを、大事な親にどう言えって言うんでしょう。
例えその場から逃げて、高校を辞めたとして、就職活動の時に「高校を辞めるような奴はちょっと」「いじめられるようなやつはちょっと」って言われ続けるんですよ。これつまりみんなに嫌われていじめられて高校を辞めるような奴は悪だってことじゃないですか。企業だって他人に嫌われるような奴なんてそりゃ採用したくないですよ。「一緒に働きたいと思う人」つまり他人に愛されるような人を雇いたいと言うことですよ。やっぱりいじめられるようなみんなに嫌われるような俺は生きてちゃ駄目なんだって思っちゃいますよ。
結婚する時だって、相手の親にさあ会うぞって時に、こんな、大勢から嫌われて、馬頭されるような人間で恥ずかしいと思ってしまいますよ。
常にそうです。いかにも明るくて、話し上手で、友達が多そうな人間と対峙する時に、ああ、私は皆に愛されない存在ですと言う負い目を感じ続ける。
いじめられるような人間であると言うことは、負い目として、罪として、その人の中で生き続けてしまうのではないでしょうか。
結局この世は弱肉強食なんです。どんな屑みたいなことをしても、他人からの寵愛を受け取り、自分を許せるやつもいる。そんな奴に「自分が駄目なんだ」って思ってしまうような奴が太刀打ちできる訳ないじゃないですか。
自分を責める正直者がバカを見て、自分の非を認めない、自分が正しいのだと思いこめる人間がしあわせに生きていける。
そんな事実を目の当たりに突きつけられているような感じがして、今回の事件はちょっと情報が入ってくるのすらいやで、目を背けてしまいたくなります。
ああ、私も器用で、当たり前のように愛され、自分は悪くないのだと胸を張って言えるような人間に生まれ育ちたかった。少しでも他人に負い目を感じずに生きていたかった。
あの時君のように死ねなかった私は今もこんな気持ちを笑顔の奥底に隠して暮しています。
それでも普段は笑っていられるだけましなのか、やっぱり死んだほうがマシなのか、私には良くわかりません。