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2018-12-12

anond:20181212223001

んなこたーない

サカナクションとかゲスとか最近邦楽レベルが上がっている

正直言ってわざわざ洋楽を聞かなくても相当なものが聞ける

俺が若い頃とは違う

アメリカ音楽を100点とすると

K-POPは70点

邦楽20

カラオケレベルうんこ音楽蔓延している邦楽

一度原爆焦土化しないと復興できないだろう

邦楽HIPHOPってクソだと思ってたけど

KOHHっていいね

歌詞もいいけど普通に音楽センスがいいわ

日本では珍しい洋楽クラスアーティストだと思う

2018-12-01

anond:20181201162403

Youtube Musicプレイリストもなかなか良い

というかあるゆる音楽存在していて、更にあるゆるプレイリスト存在するから最強感ある

Appleビビるのもうなずけると思う

Google PlaymusicApple Musicってやっぱり欧米サービス邦楽に弱かったけどYT Musicはそんなことないしな

Apple MusicYoutube MusicビビってHomePodを捨てる

Alexa, play Bebe Rexha on Apple Music

https://blog.aboutamazon.com/devices/alexa-play-bebe-rexha-on-apple-music

音楽聴き放題サービスの雄はどう考えてもSpotify

日本に居ると邦楽ライナップの乏しさが気になるが、洋楽好きからすると洋楽ライナップの充実さは他の追随を許さな

ちなみに日本国内の音楽好き放題サービスの雄はdヒッツ。dヒッツは邦楽ライナップが素晴らしい

ただSpotifyの優位性は洋楽ライナップの充実では無かったりする

SpotifySpotifyたらしめるものはそのセンスの良すぎるプレイリスト群にある

音楽好きなら間違いなく「プレイリストならSpotify」と言うだろう

Appleもその事には気付いていて、専門のプレイリスト選出チームを作り、そのプレイリストの出来の素晴らしさを訴えてきた

そのAppleの決定は正しく、直接的な競合になるGoogle Play Musicや、Amazon Musicなどよりもプレイリストの完成度が高い

ただ、そんなAppleを見ていたGoogle選択した解法は衝撃的なものだった

Youtubeにある音楽ファイルユーザプレイリストを使って音楽サービスYoutube Musicを作り上げてしまったのだ

問題のあった権利関係Googleの誇る自動認識技術によって解消するという徹底ぶりで、プレイリストの充実さは一気にSpotify比肩するほどになってしまった

元来、そんなプラットフォームを持たないAppleは今回苦し紛れAmazon EchoApple Musicが聴けるようにした

欧米圏のホームアシスタントの雄はAmazon Echoであり、そのユーザ層を取り込もうと言うわけだ

しかし、忘れてはならないApple製品がある

Appleもそのホームアシスタント市場を得るためにApple HomePodをリリースしているのだから

今回のAppleの動きはホームアシスタント市場獲得競争事実上白旗を揚げてしまたことになる

残るフロンティアドライビングアシスタント市場教育市場

ドライビングアシスタントAppleGoogleで二分する形であり、教育市場Googleが席巻している

Appleがどうなるのか今後も目を離せない

2018-11-09

年寄り向けの邦楽ロック

良い年して邦楽ロックが好きなんだけど、どのバンドの歌も10代に向けて歌詞を書いてるように聞こえてしま

聞こえてしまうだけで、別に年齢制限なんてないんだけどさ

ミュージックビデオ制服少年少女が映り込んでることがほとんどだ

3割くらいでいいから、おじさんやおばさんに向けた歌を書いてくれないだろうか

2018-10-27

ライブに一人で行っても浮きませんか?

って聞く人ってどこ行っても一定数いるんだけどなんなんだろ…?

声優アニメ系、アイドルLDH系や邦楽バンドもなんでも行くけど毎回いるよね

いやあなたことなんて誰も気にしてないです

絶対友達と好きなアーティスト被るわけでもなし毎回ネットで知り合った人と行けるでもなし

一人だったら諦めるのか?そんなら最初からその程度の気持ちで申し込まないでほしい

それより一人に慣れると楽すぎてたまに誰かと一緒に行くことになると怠い

2018-10-15

久しぶりにラジオをつけて感じたこ

邦楽レベル低すぎね?

音痴にも程がある

外人に聞かせ続けたら頭ガンガン壁に打ちつけて死んじまうんじゃねえの

2018-09-27

ファンサ関連の記事見て、今までジャニーズとかEXILE系とか普通邦楽バンドとかしかライブに行ったことなくて

私が応援してたのはもうメジャーになって会場もアリーナドームクラスの人たちばかりだったのと

席運が悪くて遠いかなんか端のほうかばっかりだったということもあり

ファンサっていうのは無縁のものそもそもそういうの目当てじゃないしと思っていた

しかし!つい先日2.5次元舞台良席で見てしまったのだ!

なんだあれは…すごいな…目があったりお手振りもらったり投げチューされたり

そりゃあれにどハマりする人がいるわけだわ…別世界過ぎてビックリした

しかも会場が狭めだかそもそも距離が近すぎてびびる

だってめちゃくちゃ男前な人に構ってもらえるってすごくない?!

若手俳優とか売り出し中俳優が多いからなのかなんかそういう文化なのかよく分からんけど

あと10歳若かったらまんまと沼に落ちてたなぁと思いました

また行きたい…

2018-09-10

精神干渉拡声器地域別韻踏み音楽戦闘

これは足を踏み入れるまでは本当に得体の知れない世界だったのですが、知人にふんわりとすすめられかなり前に該当コンテンツ楽曲を拝聴いたしました。(夏休み前か夏休み中だったと記憶しています)

韻踏み音楽は荒々しく勇ましい男達の物である認識していましたので、韻踏み音楽戦闘というテーマは私の認識バチコイはまり、各楽曲方向性にもバチコイはまり、今も気分をバチコイ高揚させながら聴いています

物語音声も楽曲を概ね聴き尽くした辺りで拝聴いたしました。

私は乱暴言葉遣いばかりする架空キャラクターがとても好きなので、楽曲物語音声も非常に好感触かつ癖になるものです。

物語音声の言い争いを聴いている気分は、まるで駅などで目もあてられないほどの口喧嘩をするオッサン方や、そのほか関わりたくはないけれどなぜか目を向けたくなってしま揉め事を直に耳へぶち込まれているような気分です。恍惚

そして、楽曲を聴いていて心から思います。この世の揉め事、言い争い、喧嘩から暴力が消えて韻踏み音楽で埋め尽くされればいいのに、と…。

韻踏み音楽は、邦楽洋楽とは全く違う音楽であると考えています。(優劣ではありません)

ましてや、韻踏み音楽戦闘するのなら尚更違います。言えば、韻踏みは攻撃なのです。戦闘相手を全力で潰すという感情が荒々しい言葉(韻踏み)になり、精神干渉拡声器を通して拳や剣や弓矢、剥き出しの暴力へ変わるのです。これほど興奮するものはありません!!ヤバいです。

とは言っても、物語音声の中で語られている通り、人物皆が韻踏み音楽攻撃として扱う訳ではありません。攻撃や防御や回復、色々な風に韻踏み音楽を扱うのです。ほとんどの人物攻撃手段としていますが。

精神干渉拡声器というものが人々をなぜ熱狂させ、時に狂わせ、溺れさせてゆくのか。そもそも、この世に存在するあらゆる架空コンテンツすべてはなぜ人々を夢中にさせるのか…。

いやもうこの際そんな事はどうでもいいです。韻踏み音楽で敵を次から次へ潰し自分たちの信念を貫くための戦闘を続ける。そんな彼らを本気で応援したい。むしろ精神干渉拡声器による効果さえ受けたい。

見世物認識し彼らを見るのも良いです。そうやって何度もわたしは思いを馳せました。ですが、最近は「軟弱な癖に口は達者な殿方になり彼らにちょっかいをかけ韻踏み音楽で生きることが困難になるまで攻撃をされたい」という感情がより強いのです。

もちろん楽しみ方は人それぞれ。私のような方もいれば真逆の人もいるでしょうし、まだ楽しみ方が見つからない方もいるでしょう。大丈夫です。音の前では皆同じです。

地域別韻踏み音楽戦闘の最終戦闘の告知もあったと聞きました。燃えます。灰になるまで韻踏み音楽を楽しもうと思います

この日記、書いていてとてもたのしかったです。チラシの裏のものではあります自分の「好き」を言葉にするだけでもその「好き」は何倍にも何十倍にも何百倍にもなるものです。

刺激の足りない日々のなか希死念慮に追われるばかりでしたので、本当にこのコンテンツ出会えてよかったです。楽しいです。私はこれらがとても好きです。

ありがとうございました。

2018-08-30

邦楽歌詞って「好き」「愛してる」「アンタと仲良くしたいか美術館に火をつけるよ」

みたいなのばっかだよな

2018-08-24

邦楽歌詞って「好き」「愛してる」「もう離さない君がすべてさ」

みたいなのばっかだよな

2018-08-02

dapumpのUSAがダサすぎる

USAゲームというのが流行って(?)いるらしいの今更知って、原曲を聴いてみた

何これ?本当に2018年楽曲2003年とかじゃなくて?

たぶん作編曲PVもある程度狙ってわかりやすいダサさを作っているのだろうけど、それにしてもダサすぎる

洋楽ディスコブームリバイバルとか、邦楽シティポップ再評価とか、センス時代にそぐわなくなってきたものを再発見する系のかっこよさがUSAには一切無い

例えるなら中学生ファッションセンスみたいなキツさがある

なんでこんな話題になってるの?俺がおかしいだけ?

2018-07-22

ラッパーって今でも感謝してんの?

俺が知ってるのはもう何年か前のことだし、しかもそのとき邦楽感謝ものが多かった気がする。

2018-07-07

anond:20180707150628

演歌は創られた伝統」というのは要するに、「演歌はニセモノの日本の伝統だ」ということですよね。

「ニセモノ」というのは、「ホンモノ」があるから成り立つわけです。ホンモノが明確ではないのであれば、ニセモノも明確ではないということになる。

だとすると、

演歌はニセモノの日本の伝統だ」という主張をするためには、

「これがホンモノの日本の伝統だ」という主張が必要不可欠なはずです。

これは正しい。

まずそもそも日本」という単位自体ナショナリズムのものといっていい。

ゲルナーは『民族ナショナリズム』において"政治的単位民族単位を一致させようとする政治的原理"をナショナリズムと捉えた。

日本の伝統と言ってしまうと必然的にそうなる。

肯定する場合でも否定する場合でも主語日本にしてしまうとそうなる。

国家及び民族主語にして語る時点でナショナリズム的と言っていい。

演歌はもともと西洋音楽から日本の伝統ではない」

ということを自明であるかのように語る人がいっぱいいるけど、全然自明じゃないです。

もし仮に、日本は古来から文化的排他的海外のものを寄せ付けなかった、とかい歴史的事実存在するのであれば、

演歌はもともと西洋音楽から日本の伝統ではない」というのは正しいと思います

でも実際には、そんな歴史的事実存在しないんですよ。

箏も三味線も、もともとは海外ナウい楽器だったし、雅楽ももともとは海外ナウい音楽ジャンルだったわけす。

仏教インド発祥だということはだれでも知ってることのはずです。

ようするに、もともと海外のもの伝統になる、ということは日本では古来から普通のことだったわけです。

というか世界的に見てもそれが普通なんですよ。


この段落は非常に雑だし、前提がおかしい。

当該社会集団が何を選択的に残し、何を排除たか。何をナウいと考え、何をダサい判断たか

その価値判断は誰によるものか。どういう思想によるものか。

そういった当該社会集団による意図的選択連続としての受容史を単なる伝播、自然淘汰と読み違えている。

インド仏教日本仏教は全く違いますよね。

また、楽器で例えるなら韓国伽耶琴と日本の琴は全く違いますよね。

ダルシマーヤンチンは全く違いますよね。

文化は伝播してもそのまま伝わるわけではなく、ある種の選択判断が生じている。

雅楽だって日本韓国昔ながらのスタイルのままだと主張しているが、実際には微妙な違いがある。

その価値判断伝統の名の下にくだすのがナショナリズム的言説でしょ。

たとえばですよ、

正月によくかかる「春の海」という曲はたいてい「伝統音楽」の棚においてあります。この曲は洋楽邦楽ハイブリッドです。形式的には完全に西洋音楽です。

から

「春の海は形式的には洋楽から日本の伝統じゃないよ」

という意見もあります。でも同時に、

作曲者バリバリ邦楽演奏家なんだから日本の伝統じゃん」

という意見もあるわけです。

で、このふたつのどちらが客観的に正しいかということを実証することは不可能です。人それぞれ価値観が違う、としか言いようがない。

いやそもそも音楽学者で《春の海》をそういった視点分析する奴は今日びいないです。

伝統かどうかというのはもはや何の問題提起にすらならないんですよ。

なぜならその枠組み自体幻想だという前提で読むからね、まともな音楽学者は。

伝統」とはなんなのか、「日本」とはなんなのか、「音楽」とはなんなのか、

とういうような哲学的な問いにきっちり答えないといけないはずなんですよ、もし演歌はニセモノだと言いたいのであれば。

「創られた伝統」という概念と「創られたわけではない伝統」という概念は、どこがどういうふうに違うのか、

ということを哲学問題として、きっちり論理的説明しなきゃいけないはずなんですよ。でも、そんな作業してる音楽学者なんていないですよね。いたら教えてください。


とっくに議論されています伝統の創出についてはホブズボウムがまず前提。

ヘルダー、ダールハウスタラスキン、ヴィオラリーマン、リッサ、アドラーも読んでどうぞ。

特に19世紀ヨーロッパナショナリズム芸術関係が盛んに論じられていたので、

この分野の先行研究として学びがある。ロシアスペインフィンランドハンガリーなどなど。

繰り返すけど伝統って自然に生じるものではなくて、外と相対化されて初めて気づくものだし

伝統自体共同体による幻想なんだよね。

割と最近テレビラジオ地方地方性を駆逐したのではという話もあって面白い

北海道沖縄も、東京の発信する音楽文化に染まってしまったという話で、

それが国家音楽民族音楽だと大衆勝手に読み替えられているという話ね。

音楽って人間社会性そのものだよねってのはブラッキングの『人間音楽性』の指摘だが、

そういう純粋なる民族性の罠にはまってないですか。増田

あれ、演歌の話どこいった。

2018-07-04

anond:20180704115221

音楽SpotifyApple Music

音楽はAppleMusicじゃなくてGoogleHomeを使ってるからGoogle Play Musicだわ

iPhoneでもGoogleHome使ってる人はSpotify飛ばしてるのかな?

Spotify邦楽弱いんだよなぁ

2018-07-03

チャットモンチーの「完結」に寄せて その1

昨今の邦楽事情はてんでわからない。ロックの何たるかを語るだけの知識素養も持ち合わせていない。だがしかし、一つの時代がまもなく終わる、と言っても過言ではなかろう。

来月をもって、チャットモンチーというロックバンドが「解散」する。本人たちは解散を「完結」と称している。当初はこの表現にうすら寒さを覚えた。なにカッコつけてるんだよ、脂がのってきたのになんで辞めちゃうんだよ、という憤りが先走り、サムいと思った。

それでも、彼女らの系譜をたどり直し、彼女らの音楽を改めて聴いてみた。すると、今回の件はまったく「完結」としか言い表せないこと、さらには「チャットモンチーは既に終わっている」としか解釈できないことがわかってきた。

チャットモンチーへの弔辞と、メンバーへのはなむけの言葉として、思うところをつらつら書いてみる。

といっても俺がチャットを聴き始めたのは最近のことだ。

昨年1月松居大悟監督映画「アズミハルコは行方不明」を観た。地方都市の倦怠に呑まれながらも強かに戦う女子たち。その生き様暴力的な鮮やかさで映してみせた傑作だった。大都会トーキョーで漂泊していた俺には特に身に刺さるところが多く、新宿武蔵野館で悶絶したことを覚えている。

この映画主題歌が、チャットモンチーの「消えない星」だった。https://www.youtube.com/watch?v=EUin6rB1Yxw

不安言葉にかえて 言葉をくちづけにかえて 夜の永さ 見ないように 待つことにした”

チャットモンチーというのが、かように豊饒言葉を紡ぐバンドだとは知らなかった。松居監督オファーを受けて書き下ろしただけあって、女の子の儚さと逞しさを描いた映画を締め括るのにふさわしい曲であった。シビれた。

それからYouTubeチャットの曲をザッピングし、程なく「シャングリラ」をヘビロテするようになった。

それまでの俺の中でのチャットイメージは、「数多くの流行りのバンドの一つ」であり、言うなれば「あっち側」の存在として勝手に押し込めていた。おそらく、「風吹けば恋」の(表面的には)爽やかな印象が無意識のうちに刷り込まれていたのだろう。2008年から俺が中3のときだ、この曲が制汗剤のCMに使われて流行っていた。

”走り出した足が止まらない 行け! 行け! あの人のところまで”

俺にはほぼ縁がなかったピュアピュア恋愛に胸を焦がす、爽やかな汗が夏空に飛び散る、隣のクラス運動会応援歌に使う、スクールカースト上位層の女子たちがカラオケで歌ってやがる……

ここまで読んでピンときた方もいるだろう。中学の時分といえば、流行もの必死に抵抗するイキった奴がクラスに一人はいものだ。ちっぽけなアイデンティティーを保つため、そして劣等感を秘匿するために。そいつが俺だった。

ましてや小学5年以来の筋金入りの中島みゆき信者ときたら、もう手の施しようがない。ステージ4の中二病末期患者である。かくして俺はチャットモンチーなぞに目もくれず、ポータブルMDプレーヤーで「旅人のうた」を再生して感傷に浸るのであった。

それから10年を経て、チャットモンチーへの偏見が解けることとなる。件の「風吹けば恋」を聴いてみよう。のっけから衝撃的な歌詞である

“はっきり言って努力は嫌いさ はっきり言って人は人だね”

スポ根とか精神論は俺が最も嫌うところだ。かつ、そんな奴らへの醒めた目線。メラメラやキラキラ放擲すれば、ひとまず自我は保たれるし、自我肥大化に慢心もできる。しか歌詞はこう続く。

“だけどなぜ窓ガラスに 映る姿気にしてるんだ? だけどなぜ意地になって 移る流行気にしてるんだ?”

そう、そうなのだ。「これでいいんだ文句あっか」と居直るには、まだあまりに青すぎた。情熱栄光を諦めるには、まだあまりに若すぎた。後半の歌詞は、「多少無理してでも流行へのアタッチを試みる」とも、「意地張ってるけどやっぱり流行ものは気になる」ともとれる。いずれにせよ、羨望と嫌悪がないまぜになることはしばしばある。冒頭十数秒でこれほど揺さぶりをかけてくる音楽があるだろうか。

この葛藤をくぐり抜けた先に、前掲のサビが拓かれるのだ。故に、サビだけ切り取って堀北真希を先輩のところに走らせるあのCMは罪深い。「でもやっぱり」を捨象して、さも純情な青春ソングであるかのように仕立て上げている。

さて、資生堂への怒りとともに考えた。お前はどうなんだ。「走り出した足が止まらな」くなることはなかったのか?いやあっただろ!恋に恋していただけだったとしても、どうしようもなくどうしようもないことをしていた。肥大する自我に執着しつつも、何か圧倒的な他者の介入によって自我が瓦解することを待ち望んでいたのではなかったか

ある種の歴史認識が転換された。勝手に頭の中で理屈をこねくり回してあの不可解な時期を言語化してるきらいは否めない。それを差し置いても、俺のパラダイムシフト惹起するだけのパワーを与えてくれたのが、チャットモンチーだった。(自己認識の転換を迫るという点では、「majority blues」も凄まじい。こちらは橋本江莉作詞。“みんなと同じものが欲しい だけど みんなと違うものも欲しい” https://www.youtube.com/watch?v=xVi0jwNXe3A

中学ン時、誰か無理やりにでもこの曲を通しで聞かせてくれる奴がいればよかった。チャットモンチーのものはもちろんのこと、「風吹けば恋」を作詞した高橋久美子との邂逅がえらく遅れてしまった。

後に俺は、10年間のすれ違いをひどく悔やむことになるのだった。

まだまだ書き足りませんが今日はこのくらいで。続きはまた書きます

2018-06-19

日本人なのに英語の曲出してる奴wwwww

ハイスタとか流行ってたよね。今はよくわからんがわざわざ英語で曲出してるゴミバンドいるんでしょ。マジで意味不明カタカナ発音で聞くに耐えない。

あと、洋楽メロディラインを数年遅れでパクってる邦楽漏れなくダサい。JPOPは馴染みのあのメロディでいいんだよ。パクらなくても十分よい音楽を作ることができるのに。

2018-06-17

邦楽がクソとは思わないが

音痴でもアイドルから許されるみたいな雰囲気は本当に死んでほしい

anond:20180617205541

日本ロックでも海外レーベルから出して認められてるのあるから邦楽はすばらしいんだ!

と君はいいたいわけ?

邦楽はクソなのだから存在する必要がない

と思っている

音楽レベルが低すぎるし

そもそも日本語音楽に向いていない

日本特有音楽もない

ロック流行ればそれを真似し、ヒップホップ流行れば、ヴォコーダー流行れば……

そもそも日本人の精神()とか言われている演歌シャンソンパクリだし

よって耳のいい日本人は洋楽を聞くだけで良いのである

anond:20180617172436

気に入らないなら聞かなければいいけど、メタリカギタリスト邦楽愛しすぎて日本に定住していることは知ってほしい。

日本音楽はなぜクソなのだろうか

洋楽邦楽を聞いたことがあれば、

よほどのバカでない限り邦楽がお遊戯レベルだということに気づくだろう

問題はなぜこんなクソな音楽蔓延することが許されるのか、だ

「上手ではない」というレベルではなく、完全にドヘタであり、素人カラオケを聞かされている気分である

どんな三流国の音楽でも、日本の歌以下ではないだろう

2018-06-12

RADWIMPSの「HINOMARU

RADWIMPSが好きだ。

2年に一度ライブに行く程度だし、曲も全て知ってるとはいえない。

CDも気が向いたときや好きな曲、アルバムくらいしか買わない。

だけどなんだかんだもう、10年以上もずっと聴いているし、自分の中で好きな邦楽ベスト10のうち4つくらいはRADWIMPSの曲がランクインする。

洋次郎の言葉10代のころの私を形作ってくれたと思うし、今でもそう思っている。

たとえどんな変な曲を出しても、やっぱりRADWIMPSと洋次郎の紡ぎ出す言葉世界が大好きだから、最終的には曲も好きになる。

それくらいのライトファン

最近あんまり音楽のものを聴かなくなっていたので、情報も集めていなかった。

ツイッターのTL上でRADWIMPS新曲について触れているRTが回ってきて、どうやらRADWIMPS新譜カップリング曲が物議を醸しているらしいということを知った。

2016年に前々前世映画タイアップとして大ヒットになって(個人的には映画自体が壮大なRADWIMPSMVだと思ったが)、それ以前より多くの人がRADWIMPSについて興味を抱き、好きになった。

もちろん冒頭に述べた通り、RADWIMPS一見(一聴)しただけでは分かりづらい曲も多いし、取っつきにくいやばい曲も存在する(五月の蝿とか笑)

だけどどうやら今回話題になっている曲は、ちょっと今までのソレとは毛色が違うらしい。

正直に言います

私はこの曲を許せません。嫌いです。

きっと一生好きになることはありません。


リリース当日に洋次郎が発言した、まっすぐに届きますようにっていう発言

炎上を受けて、11日にした謝罪

違うんじゃないの?って思って、悲しいやら腹立たしいやら悔しいやらで涙が溢れた。

何回も何回も歌詞を読んで、洋次郎の言葉咀嚼したけど、どうしても私には理解できない。

今までの洋次郎の言葉を考えてみても、この曲だけは、全然かけらも理解できないしいいとも感じられない。

もちろんこの曲をいい曲だ、好きだと言っている人もいるし、その人たちを否定する気はない。

だけど、この時機で、この言葉で、この曲を書いてほしくなかったしリリースをしてほしくなかった。

ファンの色目もあるかもしれないが、RADWIMPSは今やほとんどの中高生が知っているバンドだし、好きなバンドひとつだと思う。

その、影響力を、インフルエンサーとしての自覚を、洋次郎はきっと望んでないかもしれないけれども、リリースする前に持ってほしかったし、周りもちゃんと考えてほしかった。

だってまりにも、愛国心を煽るものから

もちろん、愛国心はいけないものではないけれど、盲目愛国心ほど危険ものはない。

かつて世界中が盲目愛国心に陥って大戦争を起こした。

たった半世紀の間に二度もだ。

そのあとはイデオロギー主義主張をめぐってあわや地球の危機にまで陥った。

それは盲目愛国心の影響が少なからずあったのではないか

そして翻って、今の日本の子どもたちに、盲目的にならないくらいの考える力はあるのか?

過去日本が行ったことに対して、単なる受験必要な暗記事項としてではなく、世界構成してきた歴史として考える力が、果たしてどれくらいあるのか?

大人メディアSNSの言ったことを鵜呑みにしない思考力があるのか?

(もちろんこれは大人にも言えることだが、RADWIMPSの影響力や、people who live in Japan の将来のことを考えた場合子どもとしている)

たか歌詞ときで、カップリングの曲ごときでと笑う人もいるだろう。

いつまで反省すればいいんだと嘲笑う人もいるだろう。

だけどそれは、過去に学ばない理由にはならない。正当化する理由にもならない。

特に今のご時勢、世界のどこもきな臭くて、戦争する理由を探している人が一定数いる。

そういったこともRADWIMPSは考えてほしかった。

謝罪してほしいわけじゃない。

撤回してほしいわけじゃない。

ただ、RADWIMPSにも、洋次郎にも、そして一番はファンにも、その言葉の持つ辞書的なもの以外の意味を、もう一度考えてほしい。

切実なファンからの願いです。

どうも長くなってすみませんでした。

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