はてなキーワード: 輪廻とは
"お前が後継なら安心だった"か。
家長というものに縛られ、自分のやりたいことなんて二の次にして生きてきただろう増田の兄弟。
後継がどうとか「家」のことを気にする、そんな増田の育った家庭で、
"女の特権とやらを行使しない"ような増田の奔放な生き方を男の長子ができたかどうか。
増田が男だったなら「女は身軽に生きられていいな次生まれる時は女がいい」とでも放言していたのだろうか。
もしかすると増田の前世で男の人間だったころそんなことを願っていたから女として転生したのかもしれない。
そして今度は現世の願い通りいつの日か再び男の人間として生を受ける。
そしてまた「来世は女がいい」といい女に生まれる。
面白い考え方だとは思ったけど、それ以上に言葉遊びというか、哲学遊びな気もするな。
「マイナスは確実にあるが、もしかしたらプラスもある」より「確実にマイナスはない」のほうが合理的と言うけれど、
誰もが「限られた時間」や「あり得た未来」という代償を支払い続けて生きている以上、マイナスのない行為など存在しない訳で、
代償を恐れることは即ち生きることを、何もしないことも含めた全ての事象を恐れるに等しい訳で、
・車には交通事故という、他者の権利を侵害するマイナスがあるから倫理的に廃止した方が合理的
・インターネットはそれによる犯罪の誘発という、他者の権利を侵害するマイナスがあるから倫理的に廃止した方が合理的
もっと言えば、
・現代人は限られた資源を一方的に使い捨て、将来や発展途上国の人が活用する余地や権利を侵害しているから科学技術自体を廃止した方が合理的
・限られた食物を消費することは他の誰かが食べられた食物を、特に貧困地域の人の生存権を奪う事に繋がるから生命活動も廃止した方が合理的
これが「出生」というセンシティブな大事に適用されてるから、物凄く鋭敏に聞こえはするのだけれど、
世界は色即是空でプラスもマイナスも存在せず、苦痛の存在しない楽園では快楽も認知・定義・存在することはできず、
人の認識が生み出す虚構の世界に対し、絶対的で普遍的な価値を見出そうとするが故の苦悩と言うか、
ある種の『悲劇のヒロイン症候群』的な思考遊びでしかない気がする。
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「出生による苦痛」を特別視して、且つその前提条件を割と当然のように語られる方が多い印象だったので追記。
これはもはや宗教的な話になってくるのだけれど、
何故、「生まれてくる前の世界が、苦痛も認識も存在しない“無”である」ことを当然のように前提にしているの?
例えば『六道輪廻』みたく、今より悪い世界から現世というより良い,より苦痛のない世界へ生まれ変われるという可能性は?
これは別に宗教論議をしたい訳ではなくて、現代科学では出生前も死後も“あること”も“ないこと”も分かっていない以上、
俺たちは捕まえたツクヒを囲み、この後どうするべきか考えあぐねていた。
「ふん、サンタなんてタダの不審人物だ。そんなのを糾弾して何が悪い」
「不審人物だっていうが、サンタは法的に認められているぜ。判例もある」
「オサカ。お前、それ映画の話じゃないのか?」
「おい、マスダ。なんで『家にボッチ』や『エクセレントかも、人生?』は知らないくせに、それは知っているんだ」
「ニワカってそういうもんだろ」
こりゃあ、真面目に説得しようと思っているのは俺だけだな。
「オレを止めたって無駄だぞ。何の意味もない。ドッペルも、いずれ分かることだ」
実際問題、ツクヒを捕まえたところで、これで事態が解決したわけじゃない。
ツクヒ自身がサンタの存在をゾンザイに扱う限り、いずれ同じことが起きる。
サンタという偶像を、そしてそれを大事にしようとする人々の精神を。
「そうだな。でも、今じゃない。それに、こんな形でもない」
「なぜだ!? どうしてそこまでして隠す。大人は子供たちを騙し続け、そして騙された子供たちが大人になったとき、また子供たちを騙す。こんな悲しい輪廻は終わらせるべきなんだ」
「ねえ、それって本当に言うほど悲しいことかな? 子供の頃にサンタという夢を与えられ、それがなくなっても今度は夢を与えられる側になれる。両方とも体験できるなんて、素敵なことじゃないか」
「なんだと?」
「そりゃあ嘘はいけないことさ。けど、それでも嘘をつくのが人間だ。そんな人間がいる世の中は嘘だらけだ。だったら大事なのは、嘘に対してどう臨むべきかってこと。サンタはその足がかりなんだ」
俺は、これまでに自分が学んだことを整理するように、サンタについて語った。
「それにサンタは嘘でもあるけれど、良い嘘でもある。それは夢になりうるものなんだ。別に信じている子供たちを弄ぶためじゃない。信じることの大事さを尊重しているんだよ」
「詭弁だ!」
ツクヒの指摘は尤もだ。
俺の言っていることは詭弁に過ぎない。
だが、そんなことは百も承知だ。
「もちろん詭弁さ。とても前向きなね。皆がサンタという存在を大事にするのは、その詭弁に素晴らしいものがたくさんあることを知っているからさ」
俺がツクヒを説得する姿を眺めていた兄貴は、その様子にあっけにとられていた。
「弟よ……、プレゼント目的で善行積んでたお前が、数時間見ない間にずいぶんと様変わりしたな」
「俺は何も変わってないよ。クリスマスは良いものだってことを、改めて確信しただけ。それにその証明は、兄貴がこれからしてくれるだろ?」
「えっ……俺?」
兄貴が素っ頓狂な声を出す。
嫌な予感を察知したのだろう。
左手で口元を覆い隠しているが、それでも歪んでいるのは明白な表情だ。
「くそ……まさか、また着るハメになるとは。店長も、なんで快く服を貸し出してくれるかなあ……」
兄貴はサンタの服を着ることが不服らしく、ぶつぶつと文句をたれている。
「オサカは何でここまでついて来てるんだ。お前はもう帰れよ」
「『家にボッチ』の、オッサンの親子再開シーンは何度観ても良いよな」
「は?」
「クリスマスもののクライマックスは一番美味しいところってこと。それを見逃すなんてありえないね」
「お前は一体何を期待しているんだ」
ツクヒはというと、これから俺たちがやろうとしていることに疑いの目を向けている。
「おい、マスダ。お前のやりたいことが理解できん。あんな不出来な偽サンタで訪問なんてしたらバレバレだ。ましてや知り合いじゃあ、ドッペルに見られた場合すぐに気づかれるぞ」
「だろうね」
「分かっているなら、なぜやる!? オレを止めたのは、サンタがいないことをバラさないためだろ。矛盾してるぞ」
「なあ、別に俺じゃなくてもよくないか? 知り合いだとバレやすいし、俺じゃあ気の利いたフォローとかできないぞ?」
兄貴も俺のやることには否定的だが、単にサンタの格好が嫌なだけだろう。
俺はそれを受け流し、兄貴を家の前まで押していく。
ドッペルの両親とあらかじめ打ち合わせをし、玄関のドア鍵は開けてもらっている。
兄貴は溜め息を大きく吐くと、しぶしぶ玄関のドアノブに手をかけた。
「輪廻って本当にあるのかな」
「何いきなり。宗教的な話とか嫌いじゃなかった?」
「ループしてるってこと? デジャブってやつじゃない?」
「いや、もっとはっきり分かるんだ。たとえば次の新橋駅で、飲み会帰りのサラリーマンがたくさん乗ってくる」
「酔っ払い達が大量に乗ってくるんだぞ」
「そりゃ金曜夜だしねぇ。ていうかそれ、輪廻じゃなくて、何だっけ……思い出せないな」
「なに、違った?」
「だって生き返る話じゃないでしょ? 輪廻って生まれ変わる話だよ」
「よくわかんないんだ。こういうの何ていうんだっけ?」
「現在から過去に戻って繰り返す……あ、そうそう、タイムリープだ!」
「あー、でもおかしいな」
「何が?」
「過去への巻き戻りを起こす人は、時間を操るガジェットとかを持ってたりするんだ」
「タイムマシーンとか? そんなの持ってないぞ」
「そうね。あなたの狭いワンルームにそんなものを置く余裕がないことくらい知ってるよ」
「余計なお世話です」
「すると残るは時間を操る超能力って線だけど、あなたがもし超能力を持ってて、それをずっと隠していたなら、今が危機的状況じゃないと変なんだけど」
「どういう意味?」
「未来から来たあなたの正体は悪の組織と戦うヒーローで、超能力を隠しながら現代社会に溶け込んでいるの。それが危機的状況に陥り、ヒロインである私はあなたの真の姿を知ってしまうのであった」
「多分ツッコんだほうが良いんだろうけど、面白いから放っとくのもいいかも」
「もしくはあなたのほうが悪者で、私は騙されている清純可憐な少女で」
「でも少女って、もうすぐ30……」
「うるさい、まだ29だっつーの。それでね、そうね……ドアの所に夜なのにサングラスかけてる女の人がいるでしょ? あの人が私を助けに来た主人公」
「うーん、どっちも嫌だな。平和なほうがいいなぁ」
「あとは本人の力じゃなくて、巻き込まれ系ファンタジーって線もあるか」
「勘弁してくれ」
「歴史を守る時の女神と、改変しようとする悪しき神がいて、あなたはただの無力な男にも関わらず、その戦いに巻き込まれたの」
「ノリノリですね。知らなかったけど、そういうの好きなんだ?」
「確かに嫌いじゃないです。はい」
「意外な一面だ。なんというか、非常に良いっす」
「すいません、突っ走りすぎました」
「たまには良いでしょ。でさ、それより本題に戻ろう」
「うん。前にこの景色を見た気がするって話ね。他に何か、違和感とかない?」
「違和感ねぇ……あのさ、もしかしたらだけど、俺たちもだいぶ酔っ払ったのかな」
「何か気づいた?」
「たぶんだけど、俺の記憶が正しければ……この会話自体も繰り返しになってる気がするぞ」
「そうかな? 言われてみれば、さっきも似たようなこと喋ったかも……」
「できそこないの、しりとり」
「全ての魔女を生まれる前に消し去りたい。すべての宇宙、過去と未来の全ての魔女を、この手で」
「希望を信じた魔法少女を、私は泣かせたくない。最期まで笑顔でいて欲しい。それを邪魔するルールなんて、壊して見せる。変えて見せる」
によって救われることが約束されているので、
その阿弥陀様が現れるまでの次元・時間においては、魔法少女は絶望して発狂し続けるのです。
これが他力本願です。
と説得することで現世での救い(気休め)が得られます。
今日は初期仏教のご紹介のためにこちらにあがらせていただきました。
初期仏教の効能と素晴らしさをみなさんに知っていただきたいと思います。
・殺生しない
・盗まない
・妄りなセックスをしない
・嘘つかない
・飲酒しない
マミさんが守るべきはこのたった5つです。
これによってどのような効果があるかというと、心の不安定さを減らすことが出来ます。
さやかも杏子も殺人や嘘がトリガーとなって身を滅ぼしているように
この五戒は現代にも何の古臭さもなく通用する「人類の主要な自滅ファクター」を潰すためのリストです。
心の汚れはソウルジェムの汚れ、厳しく戒を守ることは人間にとっても魔法少女にとっても最優先タスクなのです。
たとえばマミさんは現在こそ後輩女子との姉妹愛を求める中学生ですが
更に孤独感を深めると飲酒や妄りなセックスを覚えて依存していきがちなタイプに見えます。注意が必要です。
私の悩み苦しみが消え去りますように。
私の願い事が叶えられますように。
教室で暇そうにしているとき、部屋に帰って1人なとき、空き時間ごとに真剣に常に念じます。
まず自分が幸せになりたい気持ちを認めて、心から自分の幸せを念じます。(さやかはその気持ちに嘘をつきました)
次に自分と全く同じに、すべてのいのちの幸せを差別せず念じます。(さやかは恭介や仁美の幸せを喜べませんでした)
これは心の筋力トレーニングであり、毎日やれば着実にそのような心になってきます。
するとソウルジェムの汚れが止まり、回復し、しかも以後は汚れにくくなっていきます。
なお「生きとし生けるもの」をありありと広いスケールでイメージ出来るほど効果があがります。
あらゆる人間、あらゆる動物、魔法少女、魔女、インキュベーター、真努迦仏のような高次元の神々、
どこまでも広げていくことが可能です。
慈悲だけが無量の心なのです。
ただし、慈悲を念ずることは強烈な効果はありますがあくまで一時的です。
これによって魔女にならないように時間を稼ぎ、次にご紹介する瞑想をすることこそが狙いとなります。
日に2時間。
肉体が既に空しいものとなっている魔法少女は瞑想が進みやすいでしょう。
これにより預流果の段階まで瞑想が進めば
苦
無我
魔法少女もまた宇宙の全てのものと同じく、縁起により生じて滅していく因果の流れであること。
(執着できるようなものは人間だったときから一度も手にしたことなどないこと。)
魔法少女に限らず一切の生きとし生けるものにとって、生きることは本質的に苦であること。
(「苦」は悲観主義やニヒリズムとは全く違う言葉なので、ここでは理解したつもりにならないでください。)
今や頼りなくソウルジェムに宿るという「我」はそもそも錯覚であり存在しないということ。
(きゅうべえにぶっこ抜かれ毀損されたものなど元からなにもない)
初期仏教のメソッドにより完成した阿羅漢マミさんはなにものにも執着しません。
期待も怒りもありません。
かわりに智慧があります。
心を汚すことがありません。
願いもなく。絶望もなく。
○朝食:ヨーグルト
○夕食:ポテト
○調子
はややー。
そのあと木曜日に書いた、漫画喫茶で提出書類を書いて送信してからのポテト祭りと漫画祭りを開催した。
「真マジンガーZERO」「真マジンガーZEROvs暗黒大将軍」「スピリットサークル」の三つかな。
前二つは続き物だけど。
どちらも輪廻がテーマなんだけど、どちらの書き方もすごくよくて考えさせられる感じだった。
特に「誰かをゆるすこと」を色々な切り口で描かれていて、全く関係ない二作品なのに続けて読んだせいで、すごくすごくよかった。
こういう、偶然のつながりって面白いなあ。
それにしても眠い。
朝まで漫画読んでたのは久しぶりなので、ゆっくりねむねむはややーします。
●3DS
感動のエンディング。
こういう運営型ゲームの一種の終わりを見守れたのは初めてなので、すごく悲しい。
イラストバッジの悪ポケコンプリートは終わったし、もうあまりログインすることも無いと思うと、とてもとても寂しい。
また、バイトに会えるゲームが出る、となれば、ポケモンでなくてもスイッチが買いたくなる程度には好きなゲームになった。
○ポケとる
○はねろコイキング
8代目で、CPは38.9k。
ログボのみ。
このところ世間を騒がせているキングコング西野の絵本「えんとつ町のプペル」無償公開事件。
これについて自分は本当に西野亮廣という人間は天才だと感じた。
と言っても別に例の絵本は西野が書いてないのに西野が書いてることになってる件とか、
配布してるページが収益貰えるシステムになってるとかそういう下らないことを指して天才と言いたいのではなく、
彼の行った一連の「ネット印象操作」についてが天才的だと言いたいのだ。それについてちょっと説明してみたいと思う。
http://lineblog.me/nishino/archives/9256089.html
「お金の奴隷解放宣言」。このセンセーショナルなタイトルと以降の文章についてどう思うだろうか。
多くの人は以下の2つの印象を持つだろう。
・お金のことをよくわかっておらず、格好いいことしようとして周りに迷惑をかける無知
おおむね、ネットの反応も上の2つで通っていたと思う。
重要なのはこの2つの印象を同時に持ってしまうことだ。つまり「お金のことを何も理解してない上に裏できっちり稼ごうとしているバカで賢い人間」。矛盾していると思うだろうか。
いや、そんなことは無いのだ。日本には似たような人、または似たようなイメージを持たれている人が多数存在する。
例えばワタミの渡邉美樹社長。社員に対してああだこうだ頭の悪そうな夢を説いているが、実際の所人件費をケチるための方便だろう。
あるいは日本ユニセフ協会のアグネス・チャン。世界の子供を救うなんて言ってるが、実際の所募金で金を稼ごうとしているだけだろう。
事実はともかく、日本にはこういうイメージを持たれ、日々ネット民のサンドバックになり続けている人間が多数存在する。
西野亮廣はそんなサンドバックのイメージにピタリとはまったわけだ。
だから誰もが西野亮廣を攻撃した。この人が人を呼ぶ大炎上により無事「えんとつ町のプペル」の人気は再燃。見事amazonの絵本売上でランキング1位をかっさらったのだ。
めでたし、めだたし。
・・・で、終わらなかったのが今回の話のスゴイ所だろう。
この時点で西野は賢いだの商売がうまいだの、「上から目線」で評価しようとする人もいたが、個人的にはそりゃねえだろと思っていた。
いくら成功しようと儲けようと、他人に嫌われて成立する商売なんてクソの一言で済ませるべきだ。だから今回も、西野はクソ、で終わるはずだった。
ところがこの西野亮廣という男、この炎上を鎮火するどころか、同情すら買ってしまったのだ。
http://lineblog.me/nishino/archives/9256313.html
今度の記事はどうだろうか。そこにはいい格好したいだけのうすっぺらい無知もいない。裏でこっそり稼ごうとするクズもいない。
いるのは堅実な夢を語り、真っ当なビジネスで堂々と稼ぐ西野亮廣ただ一人だ。
これが恐ろしいところだ。ネット民は誰もが西野を「叩いても反論できない男」だと確信していた。
渡邉社長が「社員に残業を強いているのは経営のためだ」とか、アグネス・チャンが「募金の一部を貰ってるのは社員を食わせるためだ」と言うだろうか?
口が裂けても言えないだろう。それまでの発言を否定することになるからだ。
前日のすっからかんな内容の記事にはウソも隠し事も無かった。しかし、この日の発言をする余地をしっかりと残していた。
これについて文句を言う人は前日より遥かに減った。何しろ、彼の発言は何もかも正しいからだ。
無料で配布しても利益は出る。お金が必要じゃない場合もある。むしろこれらの言葉は、旧態依然とした日本の大企業や政府に言ってやりたい言葉、
前日の記事をリアルタイムで見ずに、この記事を見た人はどう思うだろうか。
「なんだ、西野ってカッコいいやつじゃん!それに対して文句言ってる連中は頭悪いな!」だろう。
つまり、西野亮廣が嫌われることにより発生した炎上は、ここで無事鎮火したのである。火災発生からたった一日で。
「炎上ビジネス」と言われた案件は数あれど、そのどれもが今も嫌われ続けている。
対してこれほど見事に嫌われの輪廻から外れたのは類を見ない。だから西野亮廣は天才だと思う。
いや、これは西野亮廣個人がやっているかはわからない。というか十中八九、裏にブレーンがいるか、あるいは西野本人がブレーンとなって駒を動かしているかだろう。
何しろ1/20の記事がこなれすぎている。たった1日、いや、炎上した後から計算すれば半日で、これほど見事な文章が書けるだろうか。
おそらくは元からネットの反応を予見していて、それに対する文章を用意し、そこにツイッターの反応を埋め込んでいった。それだけだろう。
だからといって蔑むことはない。キングコング西野というコンテンツを、ここまで見事に運営したグループに天晴と言うほかない。
ただし一つだけ、どうしても気に入らない点がある。
声優の明坂聡美さんをはじめ、ネットでは「無料配布は誰も幸せにならない」という文句が巻き起こっていた。それに対して、「えんとつ町のプペルは売れた」という趣旨でこき下ろした点だ。
ネット民が文句を言ったのはえんとつ町のプペルを無料配布したことではなく、あくまでその後のポエムに出てきた「お金はいらない」という下りだろう。
早い話が彼らは論点のすり替えを行って上手いこと反論したのだ。いや、議論になっていないから一方的な暴力だ。これについては流石に弁護できない。