はてなキーワード: 死体とは
それも動物など他の生き物や、人形のようにある程度人型を模したものですらなく、本当に人間に近くもなんともないもの。
どう考えても異常性癖・性的倒錯とされるものの一種だ。人前で大っぴらに言えるものではない。
それでもこの性癖は、バレてしまったところでせいぜい変な奴がいる程度で終わってしまう。
(反例として初音ミクと結婚した人がいるが、氏はぬいぐるみやフィギュアを妻と称した写真があるので、どちらかというと人形系統なのだろうと思う。
初音ミクってモノっていうよりキャラクターだし。人形写真を見るにシンセサイザーと結婚した感じでもない。)
さらに不思議なのは、アプローチさえ上手であればこの性質は評価軸に乗ることすらあるということだ。
例えば車を性的に好きな人でも、「愛車はもはや妻みたいなもんだ、だから細かい所でも何でも知っておきたい」だの言えば、なんか車愛が深い人みたいになる。
あまり性的に見ていることをつらつら書き連ねたら流石にドン引かれるだろうけど、それは一般的な趣向でも同じことだ。
(例の漫画は「性的な事を大声で言ったらそら引かれる」という意味では失策だったと思う。)
おそらく「普通と違う」と言いながらも、同性愛や、子供・動物・死体・人形みたいな趣向は皆まだうっすら理解できるのだと思う。
人を愛することが分かる人は、人に性欲を抱くことを理解できる。
だが、生物から遠い所まで行ってしまうとよく分からなくなってしまうのだろう。
変な人ではあるけどそれを率先して叩く人は滅多に現れない。うっすらもわからないからだ。
「なんでそうなるんだ?」「どこに性的魅力を感じてるんだ?」という疑問の方が先に来るだろう。
現実の被害者が発生しないという点はあるが、それは人形だって同じのはずだし、そもそも内心の段階では被害者は発生しないはず。
だから実はここは観点に入っていないのではないかと自分は思う。
何が言いたいかと言うと、叩かれがちな指向趣向って言うのは、皆の根底にある趣向の拡張版なのではないかということだ。
実際LGBTは今、「珍しくないことだ」「たくさんいる」という方向性で理解を深めようとしている。
自分はきっと、小児性愛も珍しくないと思う。犯罪と隣り合わせな部分があるから難しいだろうけど、差別と犯罪を切り離して考えられるようになるといい。
こういう皆がうっすら持ってる趣向の範囲のことが一番難儀だから、救われたらいいなと思う。自分たちは別に救われる必要がないから。
他の刑法と同列ではありません。
例えば殺人は多くの場合死体が見つかりますよね?死体が見つからなくても被害者が職場にこなければ犯罪は発覚します。傷害や児童虐待も傷が残れば発覚します。
小児性愛犯罪はどうですか?被害者は何をされているのか理解していないので、被害を訴えないことが現に多いんです。発覚する割合が少ない(と考えられている)んです。
現状の日本社会だと、これが憎悪だと感じる人がいるのは仕方がないと思います。申し訳ないです。ただ、憎悪ではないということは主張します。
むしろ、「小児性愛者が偏見を持たれない、内心を侵害されないこと」と「犯罪被害を防ぐこと」を両立するためには何をすべきか?が重要です。
最近の小児性愛者の主張は、小児性愛について誤解を招くものが多いと感じました。件のマンガとか、私が引用した増田(「同性愛と小児性愛に類似性を主張している」)は、小児性愛犯罪に対する認識不足が露呈した例です。特に後者は、小児性愛行為自体が加害であるというポイントを全く理解していません。
「その行為が禁止されている理由をどうやら理解していなさそうな人が多数の状況」で「禁止されているので私は行為を行いません」と宣言する人がいても、不要な不安を招きます。そもそも、小児性愛自体が保護者不在の「陰で」行われる犯罪である(例えば殺人すれば死体が見つかりますが、小児性愛行為は何も見つからない)以上、ルールと罰則による犯罪防止効果はさほど期待できないんです。だから、「小児性愛犯罪の何が卑劣なのか多くの人が認識している」というメッセージがあった方が、犯罪を侵さない小児性愛者や、非小児性愛者にとって生きやすい社会になります。
私はざっくり言ってリョナラーである。いや厳密に言えばリョナラーには分類されないかもしれないけど、「殺人行為」と「死という概念」と「死体」に萌えを感じてしまう人間を分かりやすく表す言葉がないのでとりあえずリョナラーと名乗る。
一応言っておくけど、これから話すのは私個人の意見であってリョナラーの総意ではない。リョナラーてめちゃめちゃ色々いるし……
私の性的嗜好は実行すれば即犯罪である。私はこの性的嗜好が正されるべきとか病気であるとかは特に思ってないし、治すべきものとかも全く思ってないけど、それはそれとして実行すれば即犯罪だ。「現実で思いを遂げたら即犯罪である以上、ある程度犯罪と肉迫していると言わざるを得ない性的嗜好」という自覚がある。私がどんなに純愛を叫んだとしても、ハッピーエンドだったとしても、犯罪だ。
私の性的嗜好は、犯罪を誘発する可能性がある。殺人行為を肯定してしまっている以上、その可能性は否定できない。そして私は、私が犯罪者予備軍だという自覚がある。そのうえで、絶対に犯罪行為はしないと誓う。
大事なのは、犯罪者になるなんて有り得ないと否定して回ることではなく、自分がいつでも犯罪を犯す可能性があると自覚したうえで、それをしないと誓うことじゃないだろうか。自分が加害者になることを有り得ないと思っている人間は、とても怖いと思う。
それと同時に、私は犯罪を犯していないし、私の性的嗜好は治療されるべきものではないということも主張したい。別に理解されたいとも受け入れたいとも思わないが、そういう表現が規制されるべきという意見には従いたくない。わかる、そんなものが世の中から無くなってほしいという意見もわかる。気持ち悪いとか怖いとかいうのも自然な反応だと思う。ただ、それらの表現は過去の私にとって救いだったので、規制されて欲しくない。わがままでしかないが、それでも無くなるのは嫌なのだ。
私のことを「絶対に犯罪を犯すだろうから今のうちに死刑にしておくべき」とかいう人間がいたのなら、そっちの方が余程大変だと思う。自分に正義があると信じている人間は怖い。正義を持って人に裁きを下すという行為はとても気持ちいいからだ。別にその趣味を持つことを否定するとこはできないけれど、どうか見たい人しか見れないところでやっていただきたい。
性的嗜好の話に戻るけど、規制されないためには、やはりレーティングが必要だと思う。それを見たい人しか見れないようなところに置いておく工夫が必要だと思う。「実行すれば即犯罪」な性的嗜好である以上、ある程度「行儀良く」しておく必要は間違えなくあると思う。
私の思う社会的責任は、自分が加害者になる可能性を念頭に置いたうえで、犯罪は犯さないと誓うことだ。自分が加害者になるなんて有り得ないと思ってる人間は、怖い。自分の性的嗜好が実行すれば即犯罪だと自覚したうえで、それを好きなまま、悪い可能性にも目を背けずに創作を行なっていく、それが私にできる社会的責任かな、と思う。いや社会的責任って言葉なんなのかよくわかんないけど。
件のショタドールに関するツイート、問題になる前に流れてきてふーん……くらいのもんだったんだけど、後からめちゃくちゃ炎上して表現規制とかの話にまで発展してるの驚きしかない
私なんかほんまに人のこととかどうでもいいタイプだし危機察知の能力めちゃくちゃ低いし想像力も低いのであのツイートを見て現実の少年少女の性被害に思いを馳せることはできないわけなので…… まあ怒ってる人たちがおかしいとも思わんですが
だけどまあ、正直怒り方がなんか違和感があるんよな
というのは、あのツイートそもそもそんなに拡散されることを想定されてなかったというか、身内とその周辺相手に見て見て以上の意図なかったんじゃないかなって思うわけです
そりゃ公開垢だし真意はわからんけど、まあ私は公開垢でいろいろ言いたい放題してた時理解されない人に見られたら?とかは考えてなかったから……
で、まあちょっと拗らせた性癖持ちの人ならわかってくれるかもしれんけど、ちょっとお喋りしたくなるわけ
極論鍵でやれなんだけど件の人はもとが絵師なわけだし、ツイートでも言われてたけど結構男性ショタコンって小さなコミュニティじゃないかなぁ、と思うんですよ
ROMとかだけならまあまあいると思うけど、お喋りしたりお絵かきする人ってなるとやっぱりね……
で、そんな小さなコミュニティの中で見て見てした結果思ってた以上に拡散されて目についた そんだけなんじゃない?て思うんですよね
オタク……というかそういう性癖持ちのコミュニティが性癖晒すことと、一般でそういう話するのの意味合いが違いすぎるってことが今回の原因なんかなぁという感想
で、ここからちょっと加害性とかの話になるんですけど、少年少女に性欲を持つこと自体は仕方ないけど後ろめたさはあるべきでしょ実際やったら加害なんだから、ていう論調がわりかし多いですね
いや……少年少女は性合意もクソもないからどんな場合でもダメってのはわかるよ でもそれって性合意が「ない」じゃん
それと対称にされるべきなのは性合意が「ない」事例であって性合意が「ある」大人とかLGBTとかは何にも関係ないっていうのは間違いなの??
いやそもそもヘテロとかLGBTとかはショタコンとかとはまた別軸だしさぁ……
なんかそこが違和感ある
で、社会的責任に関するnoteとか読んでめっちゃ絶賛されてるから自分もこの辺理解したくて読んだんだけどそういう話ではなかったしな もうどうすればいいんや
社会的責任、ちょっとなんか同意しかねるところがあったのは作品に影響される人がいるから犯罪行為は否定の姿勢を入れるのが責任ってところ
いやそれ説教くさくね??
こっちがグロゴア読みたくてそういう漫画読んでたらこんなこと本当はしちゃダメですよ!とか言われても……知ってるが???そりゃそうだろ
ショタコンもロリコンもそれは知ってるでしょ 人が死ぬ漫画読んでる人が人殺した!て報道されたら怒るのにロリショタコンがドール持ってた!LO読んでた!て報道されたらやっぱりねってなるん??
いきなり海賊にはなれんけど少年少女加害はできるよねっていうのもある意味大喜利と同じじゃね?て思っちゃった 海賊にはなれんくても人殺せるし殴れるし金品強奪はできるので……
まあともかく色んな話が出てるしカウンターも出てるけど、性癖に後ろめたさ持ってっていうのはちょっと困るなぁ 私は現実人間の造形気持ち悪いからあんまり好きじゃない二次元で死体画像漁ってる人間ですが、絵師が後ろめたさ持って公開やめたりめちゃくちゃ見るの難しいようにされたら悲しいし……ごめんなさいめちゃくちゃ私情挟んだ
つかそういう思想は持ってていいけど後ろめたさは必要、大人しくしとけば怒らないって言うけど後ろめたさ持たなきゃ殴られる時点で衰退確定なわけでそれっていいの?てなる
思想とかはよくわからんのでこれはおかしいよってところあったら教えてください
件のツイートに関してはもう出ちゃったもんはしゃあないからあんま燃えそうなものは鍵でお喋りした方がいいなぁです 性癖持ちにも性癖持たない人にとっても……
離婚してからもよく遊びに行ってたし、電話もしたし、母親にも言えないことたくさん聞いてもらったし、本当に大好きで、大好きで、誰よりも大好きだった自信があった
なのに何にも感じなかったんだよね。遺体安置所で腐った父親の死体見ても、死臭とハエばかりの家に入った時も、火葬炉に棺が入っていく時も、骨を拾う時も、何にも感じなかった。あー死んだんだーとしか思わなかった
大好きだった家族が死んだ時は悲しむのがまあ世の中では普通なんだろうけど、どういう顔していいか全然分からなかった。時間が経てばちょっとは悲しくなるかと思ったけど、未だに何にも感じてない。死んだからもう会えないという事実だけがただただ残ってる
ほんと、大好きだった親の死で泣けないのなら誰だったら泣けるんだろうね。いやもう泣けないのかな。それでもいいのかな
LGBTは性的マイノリティの中でも数も多く、適切な手順を踏めば法をおかすことなく自らの欲求を満たすこともできる、そんな有利な条件の中にいて自分達はかわいそうなんて顔をしているこいつらが嫌いだ。欲求を持っているだけで非人扱いされる人々もいるのに。法をおかすことになるから一生欲求を満たせないことが確実な人々もいるのに。「ただの病気だから病院に入れろ」なんて酷い言葉をぶつけられる人もいる、かつてはLGBTも治療という名の矯正の対象だったのに。
自分達は認知や理解が進んで市民権を得てきたせいか、「性的マイノリティに小児性愛や動物性愛や死体性愛は含まれません」なんて言って他のマイノリティを切り捨てて自分達だけにマイノリティ故の同情票を集めている。性的マイノリティって括りを占有してる。マイノリティがマイノリティの場所を奪っている。まるで名誉男性ならぬ名誉マジョリティだ。
いつものジャンプに「BAD SHIELD UNITED」が載ったのは1997年のことで、これが久保帯人(宣章)との出会いだった。
感想としては「こんな漫画が読みたかったんだよ!!」しかなく、小学生の自分はチラシの裏に何度も何度もその漫画のファンアートを繰り出していた。
初めてアンケートを出し、この漫画をもっと読みたい旨を書いて編集部に送った。
それから長いこと待った甲斐があり、1999年という世紀末の記念すべき暦にゾンビパウダーの連載が始まる。
絵柄ですぐにあの読み切りの人だ!とわかった。やはり世間もこの才能に気づいていたか…と嬉しくなり、今1番かっこいい漫画として学校の机に「ZOMBIEPOWDER.」と彫り込むなどして愛した。
しかしあっという間に掲載順は後ろになっていき、全4巻の短命に終わってしまった。
この時はとても悔しかった。もうこの人の漫画は読めないのかもしれないと思った。
だがそれは杞憂に過ぎず、2001年、こんにち誰もが知る漫画「BLEACH」の連載が始まった。やはり初回から面白かったしキャラは魅力的で、どうしようもなく自分好みだった。
ただ、また打ち切りになることが怖かった。
そのためアンケートをなるべく書くようにし、今度こそ失わないために努力しようと思った。
コンのマスコット全員プレゼントの告知が出た時は本当に感動した。グッズが手に入るなんて夢のようだった。
即注文し届いた後は学生カバンに付け、登下校の間も今1番面白い漫画をアピールした。
それからの時間の流れは速く、瞬く間にBLEACHはブレイクした。
アニメ化、師匠のサイト、KBTIT(淫夢)など色々あったがすっかり「久保帯人」は世の中に広く行き渡った。
心配せずとも元からこの才能は誰にも止められるものではなかったのだ。
長い年月が過ぎ、BLEACHは終わった。積み上げたものの大きさを踏まえたらしばらく漫画は描かないかもしれないし、今後どんなものを読みたいか読者としてもわからなくなっていた。
あんなにファンだった久保帯人の漫画。もっと読みたいという気持ちは充分満たされていた。
約20年の間に自分もすっかり大人になっており、漫画を読むこと自体疎遠になっていった。
そして、久保帯人は帰ってきた。
Twitterで「それ」を知り、え!久保帯人の新作出てたんだ!とワクワクして該当サイトへ読みに行った。
つい先日ジャンプ作家が性犯罪で逮捕されたばかりというタイミングで性犯罪の漫画を描いていた。
かつて憧れた「どこを見てもとにかくかっこいい漫画、かっこいいキャラ」はなく、そこには腐った久保帯人の死体が横たわっていた。
当然ながらすぐに大きな批判を受けており、社会的にも久保帯人は終わりましたとハンコを押されているような気分で意見1つ1つを読んでいる。
加齢で古くなったりダサくなるのは当たり前だ。
でもその当たり前を乗り越えられる人が1番かっこいいし、久保帯人ならそれができると信じていた。
ずっとかっこいい漫画をかっこよく描き、大人も憧れるようなキャラクターや誦じたくなる台詞回しをクリエイトし続けてくれると思っていた。
今の久保帯人が1番読み返すべきは「BAD SHIELD UNITED」だと思う。
踏みにじる側になってしまったことを悔い、反省し、かっこいい漫画とは何なのか、今一度向き合ってほしい。
先日、友人から聞いた話。それがあまりにも面白かったから、別の友人らにそのまま話したら、新たな視点も加わって、さらに面白かったので、ここに記す。あ、ちなみに、全部嘘なんで、そこんとこよろしくね。
パッと思いつくのは、M崎、T野、A野だろうか。MもTも、どうやら学生時代、本当にモテなかったらしい。結果、M作品に出てくるのは「女」になる前の少女や老婆、または「母」ばかりとなる。
一方、モテなかったTは、とにかく「女」が分からなかった。結果、Tの作品世界に登場する女性は不可解な行動原理に基づくヤバい人物が多くなる。
他方、学生時代よりモテまくったA野作品においては、「女」はつねに何かしらセクシャルに主人公を狙うような配置で描かれている。それゆえ、主人公は「逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ…」と言いながら踏み出して、しかし「キモっ」と言われてしまう。
それぞれの作品世界に現れる「女」の描き方に、無意識の人間理解が表明されているように見える。もちろん、作品と人格をつないで考えるのはアレがアレでアレだからね。それは前提のゲスパー解釈ね。
で、そんな代表的アニメ監督のM崎に対してマウントを取れるのが、T畑監督。この二人を並べてヒヒョーしたO塚によれば、M崎の「森の中に昔から住んでる」作品の場合、駆け抜けた道の先には大きな毛玉がいる。しかしT畑作品の場合、そこには人の死体があった。
M崎作品では、煤玉の妖しをパンッと手で叩くとファンタジーが広がるが、T畑作品では、虫の命の光が奪われている。
M崎の最近の作品だと機械狂オタクに付き合わされた「女」は赦しの方便として描かれていた。一方、昔話を再構築したT畑作品では、容姿だけに価値を置かれて主体性を奪われた「女」の救済は「月へ向かうこと≒死」のみである。
とまあ、こんな話をネット仲間にしたら
唾液にこだわりを見せた「異常性癖」の若手最有力のS海はどうか、と聞かれた。果たして、この並びに置けば、どう見えるだろうか。
以上、架空の国の、架空の代表的アニメ監督を「女」で読むゲスパーなお話である。
解散!
ペドフィリア、レイプ、痴漢、露出狂、死体、といった要は性癖の達成イコール犯罪につながる人たちにとって、その性癖自体が犯罪と言われてしまうとどこにも相談できないし、相談された方も治療できなくならない?
病院に悩みを相談しに行ったら犯罪告白になるかもしれない。通報されるかもしれない。すごく難しい問題だからLGBTQと同一に扱えというのに無理があるのは承知してる。
そんな訳でLGBTQをセクシャルマイノリティとして扱おうというムーブメントには、別に私達は迷惑してないからセクシャルマイノリティといて扱ってやろう、というような傲慢さを感じてどうも好きになれない。
先日クトゥルフ神話TRPGの「同居人」というシナリオをプレイさせていただきました。
※クトゥルフ神話:ハワード・フィリップス・ラヴクラフトらによって作られた架空の神話
※TRPG:テーブルトークRPG、紙や鉛筆、サイコロなどを用いて会話を軸に遊ぶロールプレイングゲーム
このシナリオはSNSなどでかなり人気があり、有志によるおすすめランキングの投票でも上位に出るシナリオである。TRPGをよくやる友人に「みんながおすすめしているから」というようなセリフで誘われてプレイした。
結論から言うと私個人はこのシナリオがとても嫌いだなと言う感想を抱いた。しかしながらネット上の感想は狂気的なまでに「良かった」という内容ばかりが並んでいたのでなぜそうなっているのか気になる。
私自身がシナリオを書いたりその他創作をする人間ではなく、シナリオ自体の完成度などに口を出せる立場ではないため1プレイヤーとしての感想を述べて行こうと思う。
まず回してもらった結果、エンディングとして味気のない片ロストだった。(このシナリオはプレイヤー人数が2人)
エンディングはプレイヤーの選択によって決まるものなのであまり騒ぎ立てたくはないが。どうしても2人が生還するには、邪神と接触して死んでしまっている片方のキャラクターを生き返らせてほしいなどのお願いをしなくてはならない設計になっている。
個人的に、あまりクトゥルフ神話の神話生物と必要以上に関わりたくないタイプなため、その邪神の接触呪文を使えるようになった後もそれを使わなかった。(結果的に相棒がロストした)
神話生物に解決してもらうシナリオってどうなのかな~、とシナリオ終了時は少しモヤモヤしながら終わったが。問題はそのあとシナリオを読んだときに現れた。
神話描写についていろいろとおかしいのではないかと思った要素があった。
ひとつは旧き印が神格との接触呪文に必要な魔法陣めいたものになっており。古き印の中心に神格が現れるという点。
古き印は神話生物から身を守るような呪文であると解釈しており。通常印の領域を神話的事象から守るであるとか、門の近くに書くと門から神話生物が現れなくなるとかそういうもののはずであるのに今回は召喚のための魔法陣扱いされているのが不思議だった。
二つ目は接触の呪文を知る機会。シナリオ内では『ニューイングランドの楽園における魔術的脅威』という魔導書(これが魔導書かどうかについては今回問わない)が出てくるが。そこに接触の呪文と古き印についての記述があるらしい。基本的にこの魔導書には特別な例を除いて呪文は書いていない。呪文を知ることができる特別な例では確かに接触の呪文がある、しかし古き印は書いていないはずなのでおかしい。
・意識を失うレベルで車にはねられたNPCが翌日元気にPLのもとに遊びに来る。
・とあるイベントにて凍死を免れるため人肌程度の液体をかぶる描写があるが。むしろそのあと凍死するまでが加速しそう。
・手元にある死亡診断書(役所に届けるもののはず、コピーをとるなりすれば手元に残っていてもおかしくないがそうまでする理由がない)
・さらにはその死亡診断書に死体の写真も添付されているらしい。
・これはスピリチュアル的内容になるので実世界的におかしいというべきではないかもしれないが、魂が必要とされている呪文の発動を幻覚として存在しているキャラクターで発動させることができる。
まだまだあるがキリがないのでこのくらいにするが。なんとも不可解なシナリオだった。
クトゥルフ神話TRPGの世界はある程度現実世界に近いながらも、アーティファクトや神話生物が絡み不思議な事象が起きる世界だと個人的には思っているのである程度物理法則を無視したりなど、何から何まで現実と同じにしろとは言わないが。あまりに乖離しすぎていると推理が進まなくなるのでもう少しどうにかならなかったのかと思った。
凄い好きなんだよね。夜明けのブギーポップの序盤はマジで神。「共食いで死んだカラスの死体だ」で鳥肌が立つ。というか泣きそうになる。人の痛み、っていうものをブギーポップは書き続けてきた。それはペパーミントの魔術師でも表れてる。「律子、あれを出しなさい」「直接の毒性は無いって発表されたわよ!」ペパーミントの序盤も神。まあ正直ロストメビウス以降は微妙な感じがするんだけど。とにかくペパーミントのアイスをお守り代わりに魔法瓶に入れて持ち運んでた女の子のエピソードは神。人には痛みがある、でもその痛みから常に目を逸らして生きている...
最近夏目漱石を読んでいる。まあ丁寧な文を書く人だな、と思うし、時々面白いな、と思うこともあるけど、上遠野浩平ほどエンタメとか可読性を重視してはないわな。まあ、でも夢十夜の第一夜とかはロマンチックだし、エポックメイキングだと思うよ。
『こころ』なんかは、明治天皇が崩御した時に殉死した人の中には、殉死に見せかけて個人的な理由で命を絶った人もいた、っつー話なんだよな。つまりは漱石もまた「痛み」を書いた作家で、ある意味それは上遠野浩平と共通した点だと思うんだよね...
人生そのものにたいした意味を見出せず、なんだか生きるのがつらいというか、つらいのはみんな同じなんだろうけど、これ俺がわざわざつらい思いしてやる意味あるのか?と思ってしまう
興味ないソシャゲを無理してやってるみたいな感じがする
周回(=労働など)が作業でつらい!つったら効率的なやり方なんかを教えてもらえるんだけど、そうやって努力してまでこのゲーム(=人生)をやる必要があるのか?合わないんだしやめたらいいのでは?と思ってしまう
ソシャゲみたいに簡単に辞められればいいんだけど、現在の社会の仕様だとどう死んだって何かしら迷惑がかかるし、葬式・死体処理費用を残したって親兄弟には心労をかけることになる
命を尊重するのやめてほしんだよなあ
誰もがFGOなり艦これなり刀剣乱舞なりを楽しめるわけじゃない、みんな好みがあるんだから合わないのをわざわざ続ける必要はない
人生はみんなに合うんだ!死んだら絶対ダメなんだ!って考え方が蔓延してるのが迷惑というかウザすぎる
「どうしても好きになれないし楽しくもないのでやめますわ」「あっそうなんだ、おつかれー」
これでいいじゃん