先日、友人から聞いた話。それがあまりにも面白かったから、別の友人らにそのまま話したら、新たな視点も加わって、さらに面白かったので、ここに記す。あ、ちなみに、全部嘘なんで、そこんとこよろしくね。
パッと思いつくのは、M崎、T野、A野だろうか。MもTも、どうやら学生時代、本当にモテなかったらしい。結果、M作品に出てくるのは「女」になる前の少女や老婆、または「母」ばかりとなる。
一方、モテなかったTは、とにかく「女」が分からなかった。結果、Tの作品世界に登場する女性は不可解な行動原理に基づくヤバい人物が多くなる。
他方、学生時代よりモテまくったA野作品においては、「女」はつねに何かしらセクシャルに主人公を狙うような配置で描かれている。それゆえ、主人公は「逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ…」と言いながら踏み出して、しかし「キモっ」と言われてしまう。
それぞれの作品世界に現れる「女」の描き方に、無意識の人間理解が表明されているように見える。もちろん、作品と人格をつないで考えるのはアレがアレでアレだからね。それは前提のゲスパー解釈ね。
で、そんな代表的アニメ監督のM崎に対してマウントを取れるのが、T畑監督。この二人を並べてヒヒョーしたO塚によれば、M崎の「森の中に昔から住んでる」作品の場合、駆け抜けた道の先には大きな毛玉がいる。しかしT畑作品の場合、そこには人の死体があった。
M崎作品では、煤玉の妖しをパンッと手で叩くとファンタジーが広がるが、T畑作品では、虫の命の光が奪われている。
M崎の最近の作品だと機械狂オタクに付き合わされた「女」は赦しの方便として描かれていた。一方、昔話を再構築したT畑作品では、容姿だけに価値を置かれて主体性を奪われた「女」の救済は「月へ向かうこと≒死」のみである。
とまあ、こんな話をネット仲間にしたら
唾液にこだわりを見せた「異常性癖」の若手最有力のS海はどうか、と聞かれた。果たして、この並びに置けば、どう見えるだろうか。
以上、架空の国の、架空の代表的アニメ監督を「女」で読むゲスパーなお話である。
解散!
だから、A野の描く女は嫌な奴ばかりなんだな・。・
意味の無い伏せ字を使う性根が気に入らない
検索避けだろ。意味はある
検索避けしつつ反応をほしがる性根が気に入らない
お気持ち表明したいだけなのにわざわざ検索避けを意味のないものともっともらしい理屈をこねるその性根が気に入らないwww
お気持ち表明をする性根が気に入らない