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2024-04-06

世界大学ランキング東大より上位の米国大に留学してました

もうかなり前です。

留学した当時は,その大学スポーツ推薦はありませんでした。それが誇りでもあったと聞いたことがありますが,さすがにコンファレンスでいい成績が出ない。僕が帰国してからだったと記憶しますが,スポーツ推薦を始めたようです。

ただし,その大学だけじゃなく,最近バスケットボール留学した渡邊君も言ってましたが,学期ごとに成績がある基準を下がると試合には出られなくなります

ですから,そうなりそうな学生は,同級生の中からチューター雇用して(もちろんお金がかかります),夕食後に図書館などで深夜まで勉強を教えてもらっていました。スポーツができるだけでは卒業はできない仕組みです。

さて,講義レベルのことですが,まず米国入試では,共通テスト (SAT) 等以外に筆記試験がありません。

まり日本一般入試というシステムではなく,日本AO(今の総合型)入試が,米国入試を真似たシステムです。

そして,共通テストの内容は,日本人の高校3年生が受ければ,多分簡単です。中学校レベルに毛が生えたくらいだと言われることもあります。これは,米国中等教育

目標日本のそれと違うからです。

しかし,SAT の成績がいいか合格するってわけでもありません。MIT も昨年度までは,入試の合否で SAT などのスコアを使っていませんでした。つまり面接や応募書類の中身で合否判定をしていたわけです。

しかしとうとう,今年からだったか MIT共通テストスコアを参考にすることになったようです。

秋ごろの日本全国紙に,ハーバード大学調査した大学卒業率の記事がありました。

米国の全国大学平均で,卒業率は50%,つまり二人に一人は退学になって卒業できないんです。これが入試筆記試験が無いからなのかどうかは,記事には書いてありませんでしたが,さすがにハーバード大などの研究大学卒業率はもちろん90%を超えます。当たり前です。

さて,そういう事情ですから,例えば米国研究大学1年生と,東大の1年生に,東大理科 I 類の1年生の数学の中の線形代数試験を受けさえると,東大生が80%は合格するのに対し,米国大学学生20しか合格しないかもしれません。

それは,高校までの知識と,大学1年生の

講義内容とが米国日本とでまるで違うからです。仕方が無い。

僕は留学先で,試しに1・2年生を対象とした複素関数講義の一回目に(ひやかしで)座ってみました。日本大学数学講義よりも丁寧で,分かりやすいです。

ところが60分の講義が終わった途端にひとりの学生が挙手をして質問しました。「先生,この時間内でしょっちゅう出てくる i って何ですか?」です。

日本大学生なら,文系学生でもこの発言にはびっくりしますよね。

まり虚数単位を知らない学生が,世界大学ランキング東大よりも上位の大学の1年生に,少なくとも一人はいたわけです。

これが,米国高校までの教育目標日本のそれが異なることの一例ではないでしょうか。


ところが,例えば工学部3年生以上の講義科目の内容を日米で比較してみましょう。ほぼ同じです。実際僕は,その両方を履修していますから,これは本当のことです。

僕の知人が勤めている日本旧帝大工学部のある学科は毎年のように優秀な学生英語不自由しない3年生を,1年間の交換留学させていて,米国で取得した専門科目の単位を持ち帰ること(読み替えること)が可能でした。

ところが,東大よりもランキング上位の大学留学した旧帝大学生の成績があまりにも悪いということが数年続いてしまいました。

講義内容は,3年生なら日米ではそんなに違いがありませんが,quarter 制度のあの詰め込み講義と毎週の宿題と,応用問題が出される期末試験でいい成績をおさめられないってわけです。

卒論は,オプションです。やる学生は圧倒的に少ないと感じましたが,これについては統計も何も持っていません。

僕が勤めていた大学では,工学部3年生の応用数学力学などの一部の講義をすべて英語実施しています

これは,交換留学公式プログラムに,欧米アジアの成績がいい3年生が半年か1年留学受け入れがあり,その学生が,日本人に提供している講義を一部だけ全部英語実施しているものです。

僕の英語があまりにも上手だからでしょうか,日本人の学生には不評な講義でしたが,日本人の学生も80%は70点以上をとります。80点前後ピークが来ます。70点あたり

分布の谷があり,残りの20%が65点未満くらいに分布するという状況です。

それに対し,欧米中国韓国から学生の成績は,ほぼ90%が80点以上にしか分布しないのです。

2024-03-02

イヴィッド・ウォルシュは、大富豪にして数学天才

自閉症だった彼は特異な記憶力を持ち、まるで映画レインマン』のようにポーカーでも負け知らずだった。数学勉強する学生だった彼は一種応用数学を利用して無茶さえしなければカジノで儲けることは可能だと気づいたのです。

資金提供をしてくれるパートナーを見つけ、多額の現金を元手にするアルゴリズムを書き出してからコンピューターを使った競馬予測で成果を確認し、カジノで莫大な財産を築きます。それと共に美術品の収集にのめり込み、膨大なコレクションを抱えてしまます

2024-01-26

[] 2024-01-26

最近、我が老境において、喜びの種となりつつあるのは、ビックバンセオリーを眺めることでござる。

インテリ気取りのオタク愚痴っぽい振る舞いが、滑稽さを誘い出し、わが老眼に微笑みをもたらす次第である

シェルドンなる輩は、ひも理論の奥深さに耽溺し、しかデニスキムの出現以来、中東問題解決と称して、何やら意味不明提案披露し、微妙差別的言葉も交えておる。

年を重ねても理解に苦しむ世の謎は尽きることなく、これが老いというものかと、我が老いびれた心に感じ入りたり。

 

さて、余は昔より数学の魅力に惹かれ続けてまいりました。

まりにも純粋数学よりも、応用数学の方が余には心地よいものでござる。

したがって、利潤を最大化させんが為に必要な推薦システムの機巧に興味を抱く次第でござる。

しかし、これは単なる問題解決において容易なものではない。

ユーザープロバイダー、システム三者関係形式化し、マルチステークホルダー問題として考察すれば、トレードオフの難しさが浮かび上がってくる。

システム運用最適化すればするほど、マッチングの機会均等性が損なわれるという難しい事態が生じる次第でござる。

この機会均等の欠如が引き起こす長期的な悪影響として、プロバイダーの離脱が挙げられる。

しかしながら、絶妙場合では単価競争が巧みに行われ、我が利益も増進するであろう。

サービス価値が低ければ低いほど、プロバイダ離脱危機高まる

なぜなら、サービスのものが他社と競争しており、「そんなに高いなら他のところへ行きます」との言葉が飛び交うのでござる。

故に、効用だけでなく、公平性も見逃すべからざる重要な要素となる次第でござる。

 

話は変わり、老齢においても脳の活性化を促す趣味模索しておる次第でござる。

何よりも自分が楽しむことが第一であるが、たとえばチェスヨガ比較し、どちらがボケを防ぐに効果的かを考察せざるを得まい。

多くのエビデンスが示す通り、運動は脳の活性化寄与するものである

したがって、ヨガが優位であるようだ。

ヨガに励む動機をどうやって引き出すか。

まあ、美しいお尻を手に入れることを目指してみるのも悪くはないかもしれぬな。

2023-10-09

anond:20231009025245

なるほど。だから応用数学数学ではありませんという論理なわけね。

anond:20231007235736

応用数学数学ではありません定期ですね。数学をやってるのは理学部数学科だけ、みたいな。 工学部農学部医学部の人たちは数学を知りませんてか

2023-03-13

anond:20230313222331

単一ファクトを答えさせるだけが想定なの?

雰囲気正解だね」は自然言語でもあるでしょう

応用数学だと、特定問題モデル化する方法数学者の数だけあると言われるケースもある

同じようにChatGPTにアイデアの類を試させるなら、ある種独創的なものを出しても「雰囲気正解」「間違いとは言えない」「発想としてはいい」みたいなこともある

2023-02-26

anond:20230226162141

微積分、線形代数、離散フーリエ変換

なんかこの書き方、応用数学としての粒度バラバラすぎて素人が書いてるように見える。

2023-02-24

文系学問文系でもできる範囲で発達しているに過ぎないと思う。

物事には理系しかできない論理構造というのがあって、それが必要ものについてはいまだ解明されていないと思う。

理系の方が論理なのだ法曹も目じゃない。

文系論理はなんというか線条的なんだ。ああなったら、こうなるという論理。雨降って地固まるというような思考様式さえ理解できるなら片がつく。双方向的な論理もあるかもしれないが所詮一次元のなかでのUターンに過ぎない。

俺はディ二の定理ガウス積分も「理解できない」ことで完全に理系素養がないと悟った何者かである

https://mathlandscape.com/dini-theorem/

たとえば上リンクのディ二の定理説明に使ってるグラフによる関数列の定義理解できない。

fn(x)についてfn(2/n)=1とは一体どういうことだと言うのか。

xについて解けばn=2のときx=1らしそうだがそれってどういうことなのか。つまり関数列のxを固定して数列としてみたfn(1)についてn=2のときの項は少なくとも1だということになるがそれ以外のnについても項が全く不明ではないのか?

理解できる人の脳が異次元に思える。

ガウス積分も同様だ。どうしても変数変換のところで理解が追いつかない。rとθが同時に動くような状況を理解しなくてはいけない。高校の置換積分とは理解必要な脳のスペックCPUでいうならbit数が根本的に違う。

ようするにこれらは変数の数の問題だ。文系論理変数でいえば一個の変化を辿っていくようなものしかない。

しか理系のそれは二個以上が容赦なく変化するような論理の流れを追えなければ理解が追いつかないということになる。

しかし私のような人間は一つの変数についてたどろうとするとそれ以外の変数に対する考慮がおろそかになってしまうような理解しかできないのだ。

この状況は絡まった糸で例えられるかもしれない。糸の端が外側に出ているという前提であれば、複数の糸がそのように絡まった糸玉に対してある端から辿ってその糸の別の端を探すということはできるはずだ。

理系やばいのはこの辿るという作業を二つ以上の糸に対して同時に行えてしまうようなところにあるのだと思う。とてもじゃないがワーキングメモリーが足りねえよ。

まり二つ以上の変数を一挙に思考範囲内に収めてみんなまとめて辿れてしまうんだ理系ってのは。

ちなみに文系でも理系仕草をすることはある。

応用数学を解いたり、初等的な計算が早かったり、フラッシュ暗算が得意だったりというところだ。なかに理系以上の計算力を持ってる人もいる。

しか理系もみんなそれなりの計算力はあるのである大事なのは計算力があるなら理系であるとは限らないこと。百ます計算公文式で得意げになってる子供理系としての将来を期待するのは早計なのだ

だって俺でもガウス積分を使わなければならない問題でも一定の演習を積めば答えの法則をそれとなく察してパズルのように解けるようにはなってしまうと思うから高校数学の延長上の応用数学はみんなパズルであるナンプレと大差ない。パズルとして解こうとする限り計算問題はみな線条的な論理理解力があれば事足りるのである

しか原理的な理解がなければ既存定理を発展させることはできない。

実は文系という人間にありがちと思われるのは、正しく新しい定理証明までできた気になって得意げになってるか、既存定理について延々と具体的な数値を代入してみたりして納得を試みようとするが一般的にそうだと言えることについてはついに何度人に教えてもらってもいまいち理解には辿り着けないかのどっちかだろう。

前者は無知の知すら弁えてない傲慢人間後者合理的知性主義によって既存の知性となんとかすり合わせを行おうとしているがそれができない、という違いだ。

ちなみにツイッターに棲息していがちな、法律の話で独自解釈をしているのにそれに気づかない人間は前者である

やや急進的な言い方かもしれないが、位相集合を基盤とした数論幾何をはじめとする現代数学と一部の物理以外はだから文系なのである理論や主張を腹落ちするのに複数の糸を同時に辿れるような能力はいらない。

というかそういう人間しか研究に携わってきてないから、そこから出力される理論もその程度なのだろう。理系の頭をもってしか理解できない領域が人文社会科学にもあるならば、それについてはいまだベールに包まれたままなのかもしれない。しかしなぜか真の理系人間の誰一人として文系学問には進まないか文系学問において理系脳をフル回転させようとしないのだと思われる。

dorawiiより

2023-02-16

anond:20230216223416

なんかそのシリーズはほぼ実体はないなー メタ、くらいの意味かなー。

数学は、数学応用数学で昔はさや当てがあった。応用数学を下に見る、的な。

物理と応用物理別に応用物理が下みたいな序列はない。

純文学大衆文学も昔はさや当てがあったと思う。今じゃナンセンスだよな。

2023-02-06

anond:20230206174811

できれば物理みたいな他学問との学際や応用数学じゃなくて純粋数学のなかであればいいんだけどね

2023-02-05

anond:20230205142212

反変ベクトルとか対称テンソルとか出てこようが結局物理数学の時点で全部応用数学に決まっていてそこまで高度な数学は使わんてことか。

anond:20230205141645

応用数学だと思う

写真撮る人とかはなんかカッコいい記号が出てきたって喜ぶと思う

https://anond.hatelabo.jp/20230205140325

昔、パンフ撮影のために黒板に数学の難しそうな式を書いてくださいって頼まれたことがあって、

自分が知る中でかなり高度な式を書いたら式が簡潔すぎて全くウケなかった

仕方ないか高校学部レベルのすごく初等的な積分計算を書いたらすごくウケが良くてそのまま撮影された

数学って難しくなればなるほどハイコンテキストかつ簡略な表現になるので何も知らない人が見るとそんなに難しそうに見えず、結局応用数学みたいな感じでゴリゴリ計算して煩雑な式がいっぱい出てくる、みたいなほうが難しそうに見られるジレンマがある

2023-01-18

anond:20230118081933

女だったら工学系の学部レベル応用数学基本的プログラミングコンパイラ作れるとかじゃなくていい)さえできれば大体どこでも採用されるだろ。

男でそのレベルだとちょっときついかもしれないが。

2023-01-12

anond:20230112123908

前田法律やら数学やら以前に無職じゃん。

放送大学の院にでも入って応用数学者を目指したらどうだろう。

2023-01-08

anond:20230107182835

応用数学としての量子力学しか興味がないっていう人のための本。そんなのないかな。数式はむしろバリバリでてきてほしい。物理とか(応用性を考慮し)物性とか本当は興味ないけど、しかたなくそのようなトピックからまなきゃいけない人のための本。

2022-12-25

応用数学って言うからには次元解析は基本だと思うんだけど、機械学習の話ばっかり

2022-11-05

それは確率(数学)の問題ではない

たとえば2つの封筒問題ってのがあるんだけど

Aさんの目の前には2つの封筒X,Yがあり、X,Yのどちらかにはもう片方の2倍の金額が入っている事だけが分かっている

そして金額が多い方の封筒がX,Yどちらなのかは分かってない

さて、AさんがXの封筒だけ開けたら中には1万円が入っていた

この時Yの封筒に5000円が入っているのか2万円が入っているのかAさんには分からないが

果たしてこのYの中身が分からない状態でXの中身とYの中身のどちらを受け取る方がAさんにとって得だろうか?

これの数学的な答えは「分からない」というしかない

Yの中身が5000円である確率が幾らなのか設定されてないんだから

じゃあここで「5000円である確率を幾つに設定するのが適切か?」なんて考えをする事も出来るけど

これは数学問題では無いと言うしか無いわけだ

こうやって現在数学数学的な設定が不十分の問題には「分からない」というしか無い学問になっていて

どういう設定を与えるのが適切かというのは数学以外の学問でやって下さいとなっている

…のは別にいいと個人的には思っている

設定が与えられた時に答えを導く事に全力を注ぐ事で、答えを導く方法が洗練されてきた歴史数学にはあるから

一方で統計学医学では上記とは違って「問題の設定をどう与えるべきか?」も学問の中に入っているし

もちろん「設定が十分な時に問題の答えはどうなるか?」も学問の中で扱っている

それが統計学医学って凄いなって思う

まぁ数学の方も応用数学の方で問題の設定をどうすべきかについても専門的な知識を持ってる人がいる

東大稲葉寿先生とか感染症モデルをどう考えるか・モデルが与えられた時にどんな数学性質が導かれるかの

研究者2人分の仕事やっててすげーなーって思ってる

2022-08-12

anond:20220812175135

プログラムを動かす最初の一歩ってそんな変わらないと思うけどね。

小学生はわからないけど、プログラムに興味を持ち出す人が目立ってくる中学生以上であればPythonでいいんじゃね?って思うけど。

というか工学部学生相手であっても、プログラミング初心者にいきなり応用数学レベルの話なんて教えられないから。

きれいなコードで、仕様の通りに動くものを作る難しさが一番最初に来るわけで、そこに大きな差はないと感じるが。

2022-01-19

anond:20180925130455

どんなに計算を役立てるか

  ← そういうのは応用数学や数理工学制御工学あたりでは?

2021-09-29

anond:20210927011443

数学論文では「正しさ」は査読通過の前提です。

ここは科学全般の「正しさ」とは異なります

理由は以下の通りです。

科学全般論文では、最終的に正しさを決めるのは実験です。

ところが、数学では実験により正しさを確かめることはできません。

応用数学では状況が異なるかもしれません。)

そういうわけで、査読通過の際は建前上は正しさが前提になっています

(もちろん、数学論文でも出版後に論文が訂正・撤回されることは珍しくはないです。)

以上が数学科学全般について正しさの認識が異なるということの説明です。

以下に私の認識を述べさせていただきます

論点1

出版された」という意味においては査読は終わったと表現して問題ないと考えます

ただし、上記の通り数学では査読通過は「正しさ」が前提です。

数学論文の正しさへの疑い(それは数学的な内実を伴っているように少なくとも表面上は見える)が表明されている中で、編集委員会がそれに対する何らの注釈論文に付け加えない形で論文出版するというのは、通常では考えられないことです。

前例ほとんどないはずです。

論点2

上述の論点1の通りですので、本件では論文掲載は正しさを特に担保しません。

例えば、「フェルマー予想」では慎重な査読したこと当然の帰結として、査読通過が直ちに論文の(十分信頼できるレベルでの)正しさを意味しました。

一般論として、査読の「慎重さ」の度合いにより、査読通過が担保する論文の「正しさ」が増減するのは当然のことです。

論点3

「皆無」というよりはむしろ、少数ながら存在すると表現する方が正確だと考えます

もちろんその数が今後増減することはあるでしょう。

なお、zbMATH(やMR)で論文の根幹となる部分の正しさに疑義を呈するようなレビュー掲載されるのは非常に稀です。

総論として、本件が数学界ではよくあることなどでは決してないことは間違いありません。

以下は参考です(何か誘導したい結論があるわけではありません)。

本件についてredditでもしばしば議論されています英語)。

否定的意見が多いように見受けられます

また、参考になる事例として「ケプラー予想」を挙げます

(本件とケプラー予想類似を指摘しているのではありません。)

別の事例としては「ポアンカレ予想」があります

この事例では論文査読出版プロセスとして)されなかった(雑誌投稿すらされなかった)にも関わらず、複数検証チーム自然発生的に検証活動を開始して、数年の内に正しさが確認されました。

その検証結果は数学界に受け入れられました。

2021-06-20

anond:20210620165852

数学(というか応用数学)で学ぶべきことは論理ではなく「現象数学的に記述する」ということだと思う。いわゆる「文系」の人は往々にして数学の「公式」などを唯一絶対の真理みたいに思ってるんだよな。でも現実はそうではない。

数学キモ現実現象構造いか数学的に扱える形に定式化するかであって、分かってない人には単なる事実の羅列のように見える公理も実際にはどのような現象構造記述したいのかという気持ちがあって作られている。例えば測度論的確率論公理は「ある物事一定割合観測される」という現象数学的に記述するために作られている。それは公理系としてはもちろん無矛盾だけど、世の中にあるランダム現象の全てを扱えるわけではない。実際量子的な現象は測度論的確率論の枠組みには収まらないランダムネスを持っているから、量子確率論とか代数確率論と呼ばれる別の枠組みが必要になる。

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