はてなキーワード: ドシロウトとは
GPT3.5とGPT4とでは歴然の差があるとは感じる
でもGPT4とClaude 3 Sonnetとでどれくらい差があるのか、よくわからん
○○の出力は得意だね、賢いね、とか
結局恣意的に見てるだけなんじゃねって気がするし
英語や中国語ヒンディー語スペイン語とかの他の言語で賢いの?どーなの?って尺度では体感的には分からない
実際は何某かのスコアを使って定量的な性能評価をしてます、なんだろうけど
どこまで信用できるんですかね
賢い賢くないってそのスコアで測れるんですかね
AIっていう非常に複雑な対象を、何々スコアっていう単純なものさしで本当に測れているのか?
人間だってペーパーテストの点数や知能テストで「賢さ」が分かるかっていうとそうではないじゃん
いまだに地頭なんていうよーわからん概念を信仰してたりするじゃない、人間はね
と、いうふうなことがAIにも言えるんじゃないのと思う
LLMが競い合う折れ線グラフみたいなやつも、あれを出して、○○が××を上回りました、って主張するけど本当にそうなのかね?
歌川広重並に疑わしいよね
ひろゆきさん、認知症入所者死亡で施設に賠償命令判決に「認知症の高齢者は預からないのが安全」と私見(中日スポーツ) - Yahoo!ニュース
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/articles/7082b24304793be24e242b4cdf9335cf5e449d00
福祉問題に詳しい人が集うはてぶの強みは、このような課題解決の場面でこそ存分に生かせる。
西村や成田や高松の浅知恵では100年たっても思いつかないような仕組みを、みんなで話し合って、はてな発で投げかけたい。
有効な提言ができれば、はてなサービスの重要性も更に広く理解されるようになる。
先日の集団自決とベクトルが揃ってる、ともかく年寄叩きすればネット俗情でウケが獲れる。勿論彼が同様の立場になることなんか絶対考えない、富裕層の強者は被害に遭わないから社会インフラは劣化して上等。
賠償金を踏み倒した反社会勢力の方を、識者みたいに記事にするのが間違っていると思います。話の中身も、陳腐なネット俗論そのもので紹介するに値しないですよね。
産科が少ないのは女性が産科選びがちなのに、その女性を排除してきてるからでしょ。女が外科医を選ばないから女を差別していいという癖に、男が産科を選ばないから排除しないのは差別だよね。外科医だって賠償は多い
twitterで私見を述べるのは自由だと思うのでどうでもいいけど、この程度の知見しか持ち得ない人を知識人として持て囃すメディアは正直信用に値しないと自分は感じる。
この道を突き進めば「医療過誤で訴えるな」「(児童養護施設、障がい者施設を)虐待で訴えるな」までいく。俗情と鬱積、悪態を喚起するだけの御仁。本音主義なるものは社会に一利も齎さぬ。
その程度の違いもわからないドシロウトがムキにならなくていいから
お前が出来るのは売れてる新海に「たいしたことねーぜ!」っていうだけでしょ
ずっとそれやってたらよろしい
でも新海の話なんかしてないところに絡んでこないで欲しいし
「そんな話してないんですけど…」っていわれて引っ込みつかなくなって暴れないで欲しい
集団Aの賢い人が集団Bの馬鹿な人を、集団Bの賢い人が集団Aの馬鹿な人を取り上げ、「集団Bはこんなに馬鹿だ」「集団Aはこんなに馬鹿だ」と言い合う。
…そんな、「賢い人々」が「馬鹿な人々」を馬鹿にするだけの牧歌的な時代は、既に終わりを告げた。
いま展開されているのは、集団Aと集団Bの内部においてそれぞれに「賢いリーダー」と目される者同士が、「あいつは馬鹿だ」「何も分かっていない」と殴りあう地獄インターネットだ。
「あの人は博識だし、冷静だし、物事を鋭く分析して、分かりやすく説明してくれて、FavもRTもばんばん稼いで、みんな彼に一目置いているなぁ」
…なんて人が。
そういう人でさえ、別のクラスタから「知識も知能もない頭のおかしな馬鹿」扱いされてしまうのが、いまのインターネッツだ。
あれほど賢い人たちが、歩み寄ることも理解を示すこともせず、醜く殴りあってしまう。
たとえば、戦国時代のことに詳しいと思われているAさんが、別のクラスタではデマまみれの馬鹿だと嫌われている。
たとえば、野球のことを分かりやすく解説してくれることで人気のBさんが、別のクラスタではドシロウトと笑われている。
たとえば、アニメ評論家として多くのフォロワーを抱えるCさんが、別のクラスタではアニメのことを何も分かっていないと叩かれている。
Aさん、Bさん、Cさんが本当に馬鹿なのかは定かではない。
我ら愚者はただ神々の争いを見守るのみだ。
私は、センター課目でいうところの政治・経済、現代社会というものが全然わかりません。センター試験ではかつて6割をとりましたが、投票権のある今でも、知識はそのレベルから変わっていないでしょう。
集団的自衛権だとか憲法だとか、雇用や労働の問題だとか、消費税増税だとか、復興だとかオリンピックだとか、なんか、ウクライナとか、そういうことが論点になっているのは知っています。でも、私には自分のしっかりした意見がありません。
感情的に、「この人の言っていることは、なんだかうさんくさいなあ、怖いなあ」とか、「なるほどそうかもしれない」とか、ネットや新聞やテレビの意見に、そう思うことはあります。でも、それ以上に私には知識が無いのです。「だって、◯◯が□□なら、△△になるじゃん。15年前の××のときと同じだ」みたいに言っている人がいて、私は15年前の××を知らなかったし、□□や△△の意味も、そう思う論理もほとんど初耳に近かったりするのです。
確かに、たまに、「経済学やニュースを学びたいなら、まずは◯◯を読もう」というホッテントリなんかは見かけますが、そういうのはぜんぶ「そんな偏った視線はやばいぞ」って言われているんです。それで、なんだか、じゃあそれはやめとくかって思っちゃって、なんにも一歩も踏み出せてません。
理想は、例えば毎日新聞を複数紙読むことなんでしょう。でも、正直金銭的にもそこまでかけたくないし、キュレーションやフィルタリングの問題はあるけれど、ネット上にこれだけいろんなメディアがあって、テレビがあって、できれば私はそっちを有効活用したいです。
あるいは、「そんな若造の本を読むくらいなら、近代ナントカ学の基礎を作った◯×の本を読め!」という意見もみます。でも、目の前の日々の報道の論点を知りたいのに、正直その教科書を読むというのは、ドシロウトにはちょっとつらいんです。
そう、本、とりあえず池上彰の本なら何冊か読みました。聞き覚えのあるキーワードの一歩先の知らないことがたくさん詰まっていて楽しかったです。
もうちょっと世の中を知りたいんです。
夜はニュース番組を見て、話題になっているネットのニュース記事を見て、いまの私はそれだけです。
それで、twitterやはてブやテレビに出ている人たちが怒っているのを見て(そう、私が漫然と見かける人の意見とはスペースが限られたものばかりです)、なんだか「うわぁ、怒っているなぁ…でも、どうなんだろう…私詳しくないからなぁでもそこまで言うのも、じゃあどうしろって気がするしなぁ…」みたいな気持ちになるだけなんです。
一緒になって怒ることも、逆に「いやそれはないんじゃないかな」みたいに言い切ることも、足場が不安定でできないんです。
私は、これからどのような習慣をつければいいのでしょうか?
文章は下手だけど精一杯書いてみます。そんなことをしてしまうくらいには苛立ったということで、その理由と詳細。
読みにくい文で長々と個人的な感想を述べますし、「スポーツとか知らんけどイケメンが出るから見てる」みたいな人は不快になること請け合いなのでホント読まないでください。ちなみに全部「フィクションだから」で片付けられます。理由の間は平常語。
理由①:一日全力でレースしたくらいでへばってしまう田所さんの打たれ弱さ
書いておいてなんだけどこれはまぁいい。俺は未経験者だから実際のロードレースのことなんて知らんし、心肺に負担がかかって力が出せなくなることもあるだろう。俺も一応ボートっていうレース競技をしていたから分からんでもない。
でもそれにしても回復が遅すぎる気はするし、鳴子がピンピンしてるところからも田所さんのトレーニング不足、もしくは体作りのミス(短距離特化すぎる)を感じる。自転車レースという長距離競技をする上でどうかと思う。
理由②:一日目の中間とったくらいで「俺の仕事は終わった」とか抜かす田所さんの驕り
作中で散々明言されているが、自転車レースはチーム競技だ。っていうか自転車レースはよく知らんのだけど、あんだけ言われてる以上少なくとも弱虫ペダルという作品の世界ではそうなんだろう。
そんな中で、3日通して行われるレースの、たった1日の、それも中間ポイントで一番になったくらいで仕事をした気になるというのはどうなのか。中間ポイントに大きな価値があるにせよ、このセリフはその後2日ともそこそこのスピードで走りきれた(少なくともチームに付いていくくらいはできた)奴の言うセリフだと思う。
一日目がどれだけ早くてもその後がボロボロでは他のチームにプレッシャーはかけられないだろう。グリーンゼッケンが泣くぞ。
どうでもいいけど2日目の田所さんには「過去に偉大な成績を残し一時は注目を浴びるが、その後全く奮わず周りから置いていかれる」ということで日ハムの某選手と通じるものがあるように感じる。合掌。
理由③:こんなポンコツ状態の田所を待ち、さらに彼を連れて大集団を抜き先頭に合流できるとほざく主人公・小野田坂道の驕り
これが一番の理由。小野田くん、君は何様だ?
多分小野田くんの言い分としては、田所さんの前を走ってペースを作り、かつ空気抵抗をなくしてやればスピードが上がり追い付くことができるというものなんだろうが、フラッフラでまともに走ることすらままならない人の空気抵抗がなくなったところで何がどう変わるというのか。小野田くんもまとめてペースダウンして、貴重な戦力を失うのが関の山だ。現実では。
あと田所さんはスプリンターだから登り(現在のステージ)じゃ本来の力が発揮されないそうで、泣きっ面に蜂。巻島さん十分夢見がちやがな。
それにこれはインターハイを本気で戦っている他のチームを侮る、馬鹿にするということでもある。
他のチームも皆インターハイに向けて総北に負けない過酷な練習を乗り越えてきたんだろうし、みんなそれぞれに優勝を目指して頑張っているわけだ。君の行為は彼らのプライドを踏みにじることだと理解しているか小野田くん?
そもそも君は数ヶ月前まで自転車によく乗ってるだけのオタクだったはずだ。そんなドシロウト状態から一朝一夕で力をつけた君が、インハイクラスの猛者たちを病人引っ連れてゴボウ抜きできるはずがあるか。もっと謙虚になれメガネ。一日目の百人抜きは目を瞑ったがもう我慢ならんぞ。
スポーツ漫画である以上しょうがない部分もあるのかもしれないが、この作品は根本的にそういう「主人公無双」で「モブチームを軽視する」傾向が顕著であるように感じていて、そこが非常に気に食わない。
理由④:そんな状況なのに小野田くん待つ。追い付くと言う。挙句、歌う。
これは…まぁいいや。うん。こいつらレース中めっちゃ喋るし。ストイックにレースする頭文字D的な魅せ方もあったとは思うんですけど。
奈良県民は怒っていいと思う。
③はほぼただの愚痴になっちゃいましたが、まぁこんな理由で弱虫ペダル33話は見ていてかなり胃がムカムカする思いをしました。
前述のように一応自分もレース競技に携わっていた身なので、こういう作品にはいろいろと思うところはあります。モブもモブなりにそれぞれ思いを持ってインターハイに参加している、インターハイとはその思いがぶつかる場所であるということをもう少し汲んでほしいですね。
まぁ立ち止まった小野田くんを抜かしたモブは馬鹿にしやがってと憤るよりは普通に喜んでましたけどね。自転車乗りのプライドとは一体。
末筆になりますが、自分は弱虫ペダルという作品がとても好きであること(登場人物に魅力があるし、主要キャラの思いは有り余る程伝わってくるし、鳥海浩輔)、自転車レース未経験者なので何かと的外れなことを言っている可能性は十分あること、上記のようなポイントは確かに嫌だけどそれでも見ちゃうような魅力的なアニメであることの三点は明記しておきます。以上。
企業とかドシロウトにそういうオープンソースを使えって?それはマジで言っているんだろうか?
OpenOffice.orgを見てもわかるとおり、色々それも問題あるんじゃない?
マイクロソフト嫌いなのはわかったけど、現実的な話、うぃんどうずは、パソコンがこの世に存在する限り
あり続けると思うし、これからもOSはMSに頼らなきゃいけないでしょ。
なら、糞高い新しいOS売りつけるより、現実的なマネタイズを再構築して欲しいのよ。てかしなきゃならん。
スマホのような端末に移行して、「パソコン」という機械がごく一部でしか使われないものになった時は
その時はそれでもいいけどさ
まあ根本は馬鹿なのが問題なんだけどちょっと同情する部分もあるというか。
35歳の私は大学時代にWindows95が発売されてその後パソコンが一気に普及して自宅でも大学でもパソコンは結構使っていて、
インターネットも利用していたんだけど基本的にはサイト閲覧だけだった。
もちろん一部の個人が開設していたテキストサイトとかはあったけど、ドシロウトが「ホームページ」を作れるなんて知らなかった。
掲示板てものに書き込んで見ず知らずの人とやり取りをしたのもこの頃かな。
その後ウェブログという言葉を知って徐々に普及し始めたんだけど人との繋がりとかほとんど無かったというか、
それこそただの日記の公開みたいな感じだったと思う。
ただ、人との繋がりが無かったからこそ世界中に開かれた場であることを認識していた気がする。
ソーシャルネットワークなんて言葉はそれからだいぶたってから知った気がする。
ミクシィが始まった頃かな。
で、
こうして振り返ると私より上の世代は個人が情報発信するまでにいくつかの段階を経験してきた。
閲覧のみ → 掲示板書き込み → テキストサイト作成 or ブログ作成(誰も見てないけど地球の裏側の人も見れる) → SNS(ブログ+仲間との繋がり)
情報発信する前段階として観察する期間があって他人の成功や失敗を見てきた。
次に匿名で掲示板やサイトやブログ作成して情報発信をして、ミクシィで人と繋がったりコミュニティを利用したりした。
で、
最近の馬鹿たちの話に戻ると、彼らは気がついたらそこにいきなりSNSがあった世代なのかなあと。
観察して何かを感じて何かを学ぶ過程を知らずに、仲間と繋がるツールを与えられた。
仲間や繋がりのことは意識するけど、その画面の向こう側に広がるインターネットを意識するのは難しいよなあと思ったり。
もちろん馬鹿な彼らと同世代の中でもちゃんと学んでわかっている子もいるだろうしそういう子のほうが多いのかもしれないので、
結局馬鹿が馬鹿なだけってのもわかるんだけど、それもなんだかなあと。
で、
タイトルなんだけど、
例えば某巨大掲示板なんかだと匿名で好き勝手にレスしててちょっとおかしい内容だったりすると、
「半年ROMれ」とか言われちゃってカッとなってレス返すとフルボッコで涙目になるとかあったりして、
その時の「半年ROMれ」って「半年ROMって勉強しろ」というよりは「うぜえから消えろ」の意味だと思うんだけど、
実はやっぱり「半年ROMって勉強しろ」の意味もあるんじゃないかと思ったり。
実際、ROMって雰囲気を掴むとか傾向と対策を学ぶとか、情報発信の前にやること色々あるよってことで大事なんだなあと。
で、
小学校の頃はゲームクラブというなんとなく先生と遊んでいるだけの部。(部活動といえるかわからん)
高校では吹奏楽部(しばらく物理部とも兼部していたがこれはやめた)
大学では漫画研究会(しばらくフェンシング同好会と兼部していたがこれはやめた)
綺麗にばらばら。なんでも経験という気持ちで色々やってみた。僕は入部時点ではその都度初心者だ。それで先輩や経験者の同輩に教わりながらそれなりに真面目にやってた。
で、大学卒業して10年以上たってふと気がついたのは、このやり方だとリーダーシップがちっとも鍛えられないってことだ。意識にも登らない。マインドの醸成もない。
この本によれば採用活動ではリーダーシップがある人を採りたいんだそうだ。そういう人が集まるとパフォーマンスが上がる。実際に仕事でリーダーをやらなくてもリーダーで苦労する気持ちがわかるから仕事にも積極的になるし結果的にパフォーマンスが上がると。多分大人数をまとめて結果を出すってことが目的意識として強化されるんだろうな。
しかし、部活動をころころ変える人はリーダーにはなれない。経験者はどこにでもいる。運動部でも文化部でも一番技量のある人が部長なりパートリーダーになるのが普通だ。初心者が経験者の気持ちを掴んでリーダーになるなんてちゃんちゃらおかしい。まず経験者は初心者を下だと思ってる。当たり前の話だ。自分がずっと昔に通ってきた場所にいるんだから。よっぽどの弱小クラブでも無い限り初心者は最初から最後までずっと一介の下っ端。初心者は自分の練習で手一杯で部員をまとめる余裕なんて無い。
これから部活動を選ぶ立場のひとは、そのへんのことも頭の片隅に入れて選ぶと良いかもしれない。僕はすべて終わって10年以上たって転職活動始めてやっと気がついた。
話は飛ぶが君は女の子にもてたいだろうか?部活動をころころ変えるとこの点でも不利だと思う。
高校の吹奏楽部で、同じパートに経験者の女の子がいた。僕は楽器は初めてだった。彼女に音階とか和音とかチューニングを教わった。3度は低めにするほうが和音が綺麗とか教わったが全くわからなかった。綺麗なのだろうか?普通の方がいいんじゃないのとか間抜けなセリフを馬鹿正直に言ってしまった。素直にハイハイと聞いておくなり適当に調子を合わせておけばいいのにドシロウトが経験者に歯向かうとは我ながら暢気なもんだ。彼女は呆れていた。
2年生になって後輩が入部してきた。彼は経験者。いつだったかパート練習をしていた時後輩を何かに理由をつけて追い出してから練習を再開した。その時の彼女のセリフ。「後輩にかっこわるいとこ見せたくないでしょ。」ものすごい気遣いにこっちの気が遠くなりそうになった。僕は君にも後輩にも技量で追いつかないことはとっくの昔にわかっている。後輩も僕が初心者だって知ってる。そんな簡単にうまくなって追い越せるようなもんなのか?
ちなみにこの後輩は後で指揮者になっていた。指揮者ってのは全パートの譜面を読んで曲を覚えて全員で行う合奏を聞いて、全員に改善点を指摘するのが仕事だ。いや、もっと色々演奏者からは見えない仕事があるはずだが音域を広げるのが精一杯の僕にはなかなかわからなかった。
高校卒業直前ごろに定期演奏会があって、その時ソロをやった。やろうと思っていたアドリブは綺麗さっぱり全部忘れて譜面通りの曲を無我夢中で吹いた。手が勝手に動いた。それなりに練習は真面目にやっていたのだろう。その時は部長の女の子に「上手くなったね。」と褒められた。それはそれで単純に嬉しかった。そしてそれで終わり。
大学では漫画研究会に入った。同期の友人が何人かできた。僕は漫画は描いたことがなかった初心者だ。で、よくある話で部内で経験者同士のカップルができ、その後彼らは結婚をした。大学を卒業してずっと後にそのカップルと話す機会があり、当時女のほうが男のほうに惚れた理由が話に出た。絵柄で好きになったのだそうだ。その男そのものの見た目とか性格ではなく。
漫画描きにとって絵柄で惚れるというのはよく分かる。僕も絵の練習をしてみて自分の絵柄が何となくわかってきた頃は自分と同じような絵柄の作家を探すようにもなった。自分の練習のための題材になったり、読んでると自分が上手くなったような気がするのだ。なんとも横着極まりない。
初心者は楽器も絵も下手だ。そんなの当たり前だ。そしてそういうのは真面目に部活動やってる女子の目指す所に居ない。むしろ何年か前に通りすぎた場所にいる。
僕自身は別にモテたいともモテるとも思ってなかった。実際モテなかったし。毎日会う至近距離の人間関係を混乱させるのはどうかとも思っていた。そこをうまくやる自信は全然なかった。行動ペースがあわないし、もっと言うと女子なんて取り扱い注意の危険物ぐらいに思っていた。いつの間にかうまくやってるカップルを見ると一体動やったんだろう?と不思議で仕方なかった。女子については性的興味があること以外はどうでも良かった。(酸っぱいブドウだろうって?そうかもしれない。吹奏楽部に女子が多いのは入部してから理解した。吹奏楽って男子向きではないのか。別に男子がやってもいいと思うんだけど。)
閑話休題、、、とおもったがここまで書いて「就職は結婚みたいなもの」という物言いを思い出した。相通ずるものがあるのかもしれない。
部活動をころころ変える人はリーダーにはなれない。経験者は初心者についていかないから。リーダー経験は就職の面接での評価対象であり答えされられる。なぜなら技量と意識が突出していると期待されるから。会社はそういう人を採りたい。
この考えが全てとは思わないけどこれから部活動を選ぶ人は参考になると良いかもしれない。すでに終わっている人は別のことを考える必要があると思う。僕もこれから考える。僕にとっては課題がはっきりしたということが収穫。
別にリーダーじゃないからって真面目にやってないわけでは無いつもりだが、つもりで考えていても評価はされないし通用もしないだろう。具体的な結果を出していくしか無いのか。人を巻き込むのが苦手だと大きい成果は出せない?ごもっとも。だから僕は別のことを考える。
http://anond.hatelabo.jp/20100112121543で示したように、ドシロウトが考えてさえ明らかにおかしい論理展開でアルコール依存者への偏見をばら撒いたRRDが、またおかしいことを言っている。
・twitterはクソみたいなオタクが跋扈してるけど、2ちょんねるに比べればはるかにマシ - NOW HERE(http://d.hatena.ne.jp/RRD/20100120/1263995841)
田村ゆかりがらみでtwitter民の醜態がまさに知られたタイミングでこういう文章をつらつら書けるあたりでもうおかしいが、大体こんなもの、中身の人間のレベルとテクニックこそが問題なのだ。そのうちtwitterで嘘や捻じ曲げも発生するだろう。コメント欄に見える
その人の今までの発言も見れるわけだし
という要素は確かに嘘拡散を抑制する有効な要素だが(もちろんRRDはこんなことを考えることはできない)、それも「twitter民はみなソースを検証する」という条件が成立するうえでの話である。はなから検証なしで自分がお気に入りの「主張」をペーストするやつが出ればそこでおしまいだ。
なんにしても「今は」まだマシだ、というなら新規サービスを立ち上げてみればいい。利用者が少なく、またその使われ方が追求されないうちはどんなサービスだって「マシ」なものになるだろう。
まともなことが言われているのかどうかは、偶然を除けば、ただ発言者の知性と慎重さにかかっている。自分は嘘を垂れ流し、自分が属する何かをよく言うためにその良さでなく「クソみたいな」だの「2ちょんねる」だのといった単語を交えて、あれよりマシさ、としか言えないような人間にそんな知性と慎重さはないだろう。
テストで赤点を取って、「でもうんこもらしのたなかくんよりはマシなてんすうだーい」と小学生が喚いているようなものだ。そろそろ、ものを考えるくらいはしたらどうか。
なんだオメーそういうことをこの増田さんに聞いちゃう?ん?
それはもうね、ズバリ、モテ!モテ期来てるね!確実に来てるね!
他の凡庸な増田はケースバイケース的な?当たり障り無い回答返すと思うけど
違う。全然違う。
恋。
恋の始まりよ。
ただね、ここで食いつくのはドシロウト。
そこは敢えて知らん振りだね。ほんの一瞬の接触に留めて、じれる彼女のココロの内を
想像して楽しむのが玄人。
出来たらその日の彼女のそぶりなんかを日記に書きとめておいて、後から見せたら
「やだーもうこんなとこ見てたの?恥ずかしい!」ってなること請け合い。
密かに彼女の電話番号とか住所とか調べてグーグルアースとかで眺めてニヤニヤしたりね。
すごく久しぶりに合コンに呼ばれた。
僕は浮かれて、テンション高く、その場はとても盛り上がった。
それが功を奏したのか、その中の一人に気に入られて、その後数回デートをした。
僕は固まってしまった。
彼女とはとても気が合い、共通の趣味もあり、一緒にいてとても安らぐ関係だった。
その場で「うん」と即答しておかしくないシチュエーションなのに、
僕は答えられなかった。
なぜか?
一つ、心残りがあった。
働いていた、というのは、今はもういない、ということだ。
僕は彼女のことが好きだった。
いや、好きだったらしい。自分でもあまりよく分かっていなかった。
僕の頭の中から決して離れることはなかった。
幸いにも、彼女と連絡先は交換してあって、たまにメールもしていた。
でも、メールするたびに、嫌われてはいないな、と確認して喜んでいるだけで、
それ以上何かしようという気は持っていなかった。
そもそも、好きなのかどうか、自分ですらよく分かっていなかったのだから。
それが、別の女性と親密になったとたん、
そういう感情がモクモクと湧き上がってきてしまった。
それで、僕は固まってしまった。
こういうときどうすればいいのか、僕の乏しい知識ではすぐに判断できなかった。
しばしの沈黙の間、僕の心に悪い考えが浮かんだ。
キープ。
久々に彼女ができるかもしれない、と思うと、その考えを捨てることができなかった。
でも、前述の心残り。
心に引っかかるものがあった。
僕が黙り込んでしまったので、彼女は「イヤ?」とぽつりと聞いてきた。
僕はイヤじゃないよ、と答えると、なぜ?と聞かれる。
また沈黙。
繰り返すが、僕には恋愛の経験が少ない。
どうしたらいいのかわからなかった。
だから、正直に話した。
「ほかに好きな人がいる」と。
ヒドイ!だましてたの!?二股かけるつもりだったの!?
でも、これは僕がやろうとしていたこと、考えていたことの報いなんだろうな、
とすぐに納得した。
「そうじゃない。自分でもよく分からなかった。アナタにそういわれてから、
自分の心に気づいたんだ。ごめん」
さっきより長い時間、二人の間に沈黙が続いた。
「わかった。じゃあ、その人に告白してきなさい。
それでダメだったら、私と付き合って」
彼女の声は震えていた。
なんでそこまで、と思った。
複雑な心境だった。
でも、僕はさっきの心の痛みを覚えていたから、その申し出は受けられなかった。
僕の堅い頭は、持ち主の望むようには判断してくれなかった。
そのまま彼女と別れ、もう会えないんだろうな、と寂しく思いながら、
大切な人に電話をかけ、数日後に会う約束をした。
数日後、久しぶりにあった彼女は、いつにもまして輝いて見えた。
食事をしながら近況を語り合い、話題は尽きなかった。
しばらくして、ふと、お互いの言葉が止まった時に、
彼女が口を開いた。「何か話があるんじゃないの?」と。
僕は外に出よう、と言って、支払いをして、駅に向かって歩き出した。
駅前のちょっとした公園で、僕は告白をした。
「ごめんなさい。いま、付き合っている人がいるの」